1884(明治17)年11月1日
この日、埼玉県秩父の三峰山の椋神社で、秩父困民党を名乗る貧民達が、借金の返済猶予を求めて蜂起しました。
明治14年の政変で、大隈重信に代わった松方正義は、徹底したデフレ政策をとって、財政均衡の回復を目指しました。その結果、商品価格は急落し、農業だけでは生きてけない、商品作物地域の農民の生活を直撃しました。
関東平野周辺の山麓部は、土地もやせており、養蚕を副業とすることで、生活が成り立つ地域でした。そうした地帯でも明治15年の春蚕から、生糸の値下がりが起き、それが回復することなく、ずるずると下がり続けました。過去の経験から、借金をして危機を凌ぎ、生糸相場の回復を待って、借金を返済しようとした農民は、借金を返すことが出来ず、借金取りに追われて山野に姿をくらますしかなくなり、いつしか自分たちで困民党を名乗るようになったのです。
秩父の農民達は、役所に借金の返済猶予を求める小規模な実力行動を,何度か繰り返したのですが、埒があかず、この上はお上を相手に1戦交える覚悟でと、相談の上、この日の蜂起となったのでした。
蜂起仲間には、秩父の猟師たちも加わっていたため、数人の鉄砲隊も存在し、最初の小競り合いでは、駐在の巡査が射殺せれています。翌日には地域の中心大宮郷(今の秩父市)を占拠、秩父郡いったいは困民党に制圧されたのです。
この中で、困民部隊は「畏れながら、天頂様に攻敵するから加勢しろ」と、周辺の民を勧誘してしています。こうしてその勢力は1万人を超え、明治期でも最大規模の反政府反乱に成長したのです。
驚いた政府は鎮台兵数万を派遣して、ようやく本体を解散に追い遣りましたが、残された部隊は山中谷を通って群馬県中込に出、長野県に入って各地を転戦して、さらに抵抗を続けましたが、遂に11月8日、八ヶ岳山麓野辺山高原で、力尽きました。
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