野次馬の部屋

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

予算組み直し New! じゃここうこさん

マイナ保険証 New! エンスト新さん

【自販機の困りの不… New! Gママさん

きままかふぇ きままなきんぎょさん
AIBOオーナーおばさ… 夕日620さん
ひこ星ネットワーク ひこ星☆彡さん
ようこそ信濃の国へ 黒岩山さん
KANTUBAKI KANTUBAKIさん
不満のはけ口 ピカ51さん
JULIETTAmonologue2 hiichan14822さん
2005年07月04日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
風化させたくない・・・戦争体験なんて言いますけれど、戦争体験を知らない人が多数を占める時代に、戦争体験者も高齢になり体験談を語れる人も少なくなって
戦後60年たった。
戦争の体験・・(@_@。さん小学4年生、空襲警報のサイレンが鳴るたびに防空壕に走って行った事だけが頭に焼き付いている。防空ズキンを肌身離さずもっていた事、市内が焼ける8ヶ月ほど前に、祖父母を抱えて街中を逃げるのは大変だからと、少し町中から離れた所に移り住んでいた。空襲の半年前に祖父が他界し父に召集令状が来て、祖父と父を同時に送り出し、残った祖母、母、子供5人、母は相当不安になっていたと思う、
焼夷弾が落ちた時も、防空壕に近所の人達と入っていた。焼夷弾が落ちる前に、雨??かな??降ってきた(重油の雨)その後に焼夷弾が・・・
防空壕からほど近いところにレースを織っている工場があったためそこに焼夷弾が落ち、(@_@。さんが通っていた学校にも・・・落ちて丸焼け
防空壕から西の方角が市内で、赤々とまるで昼間のように明るかった。
戦争の記憶も今では忘れがち、逃げる練習した事、運動場にサツマイモを植えたこと、やける前に学校の屋根を縄で覆う為に、生徒が毎日のように縄を持参していた事学校が焼けて校舎がなくなり、焼け残ったお寺、工場などで勉強していた事
家は女子供で母は、また空襲があると・・不安がり山の知人を頼り山奥に疎開していった事、西祖谷まで2日がかりで行った事、電気も水道もない山奥に
終戦はその山で聞きました。その時は子供心にもう逃げ回らなくってもいい~
憲法第九条によって平和な時代が60年続いています。
尊い犠牲のうえで・・・忘れてはいけませんね。
昔の子供・特に男の子は口をそろえていっていました。大きくなったら何になる・・・兵隊さん、何もわからない小さな子供が兵隊さんになるって
女の子には羨ましいことでしたが・・・もう2度と戦争は嫌です。
平和な世の中が続くようにみんなで戦争反対を叫ばなければ~~~~~
もうすぐ終戦記念日が来ます.60回目の






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年07月04日 14時11分00秒
コメント(15) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: