野次馬の部屋

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2009年08月16日
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テーマ: たわごと(26924)
カテゴリ: 徳島新聞から
昨日は 
64 回 目 の 終 戦 記 念 日

  (8月15日)は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。


         海行かば

                作詞:大伴 家持
                作曲:信時 潔
                  著作権:消滅(詞)、有(曲)

     海 行 か ば

      水 漬 (みづ)く 屍 (かばね)

           山 行 か ば

         草 生(くさむ) す 屍

          大 君(おおきみ)の

        辺(へ)に こ そ 死 な め

          か え り み は せ じ

昭和12年1月  大阪中央放送局


昭和12年11月政府は「国民精神強調週間」を設定し、
この行事週間のテーマ曲として大伴家持の詠んだ
「海ゆかば」に曲をつけるよう作曲者に依頼した。
こうして「海ゆかば」は大阪中央放送局(JOBK)が製作し
「国民歌謡」の一つとして発表され、『力強く堂々と歌う』よう指定がされている。
昭和18年12月には会合の際に必ずこの曲を歌うように命令が下った。
 しかし、太平洋戦争末期の大本営発表で玉砕を報道する際の曲に使用されたため、
今日に至るまで悲壮感溢れる曲として印象付けられている。


戦争中、英霊を迎えるたびにこの歌・海ゆかばを歌わされました。
この歌を聴くと今でも鳥肌だって来る。
嫌いなわけではないのに~~~~~いい歌ですよ


64年前の8月15日
野次馬さんは小学4年生でした。
西祖谷山村字善徳・・山の中腹で終戦を迎えました。
ラジオもない、電気もない、水道もない、山で

何処から伝わってきたのか定かではないけれど・・・・・
大人たちが戦争が終ったと口々に言っていた事を思い出します。
アメリカ兵が占領してくると大騒ぎをしていた事を思い出します。

父は終戦間際の6月に人手が足りなくなって来たのか
40歳ちかくなっていた父に赤紙が来て(内地勤務だけれど)出征した。
終戦から1ヶ月ほどして父はリュックを背負って山道を歩いて帰って来ました。
父が帰って来るのを待ちわびて疎開先の祖谷から元の家に帰った。

2時間もあればいける所(祖谷のカズラ橋)なのに・・
その頃は池田まで1日かかり、池田で1泊して翌日に祖谷に

市内に帰っても食べる物はない毎日おなかをすかしていた事!
記憶がよみがえってくる~~

今は平和な時代、お金さえあれば何でも手に入る。

いま1度考えないといけませんね。
贅沢な暮らしに慣れてしまった事! 平和ボケしています。





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最終更新日  2009年08月19日 07時45分07秒
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