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二月九日が「漫画の日」とありましたので、もしかして手塚治虫と関連した日ではないかと「何の日&出来事カレンダー 2月」をクリックしましたら、ピンポーン、大当たり、「漫画家・手塚治虫の命日」でした。 私が手塚治虫の漫画に遭遇したのは、小学校2、3年生頃に4才年上の従兄弟の家で目にした「サボテン君」(雑誌雑誌『少年画報』に連載)でした。もちろん一目見て他の漫画家と大いに異なるその斬新な漫画のタッチとスピーディな物語の展開に心を奪われました。 さらに私が毎月購入するようになった少年漫画雑誌『漫画王』{秋田書店発行}にも中国の長編物語「西遊記」を手塚治虫が漫画化した「ぼくのそんごくう」が連載されており、大いに楽しむことが出来ました。小学校4年生のときには、小学校の友だちの家で光文社の月刊漫画雑誌「少年」に「鉄腕アトム」が連載されているのを数冊借り出して何度も繰り返し読んで大いに楽しみ、その友だちに返却後また数冊借り出すことを何度も繰り返しました。そしてとうとう家での購入漫画雑誌を母に頼んで秋田書店の『漫画王』から「鉄腕アトム」が連載されている月刊漫画雑誌「少年」に切り替えてもらいました。 私だけでなく、多くの子どもたちが手塚治虫の漫画に魅せられ、夢中で愛読したものです。そんな手塚治虫も1989年2月に胃ガンで亡くなっています。手塚治虫の他界後、彼を追悼するために様々な企画がなされ、また多数の作品、文章が発表されましたが、私の気持ちを一番よく表してくれていたのは同じ団塊世代の矢口高雄の『ボクの手塚治虫』(毎日新聞社、1989年10月発行)でした。この矢口高雄の『ボクの手塚治虫』について、すでに拙ブログに書いてアップしています。 なお、漫画の神様と讃えられるようになった手塚治虫ですが、一人の漫画家として他の才能のある漫画家の評判をとても気にする「嫉妬の神様」でもありました。そのことについて原田高夕己さんのブログ「漫画のヨタ話」の「福井英一」にとても興味深い記述がありました。 手塚の他の漫画家への嫉妬は福井英一のみならず、石森章太郎、水木しげる、大友克洋等の才能ある漫画家に向けられ、激しい対抗心を燃やして自分自身の創作者としての飽くなき変化と向上のための糧としたのでした。
2017年02月05日
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みーしゃん♪さん、こんばんは、やまももです。 巽尚之著『鉄腕アトムを救った男』の書評をお書きになったみーしゃん♪さんから9月19日の拙文へコメントを寄せていただき、とても喜んでおります。本当にありがとうございました。 ところで、手塚漫画の『どついたれ』の映画化の件で、太田房江知事が出演するという話もあるらしいというので、拙文に「どうせなら元知事の横山ノックに闇市でなにか怪しげなものを売るオッサン役で出てもらいたいものです」と書きましたところ、みーしゃん♪さんはそれについてつぎのようなコメントを下さいましたね。「面白いといえば横山ノックなんですが、大阪人にとっては、過去最大の恥さらしなので、映画には出て欲しくないですね。まあ、自分の参議院議員時代の年金を全て映画制作につぎ込むのなら別ですが。」 まー、そうでしょうね。ええ、お気持ちはよく分かります。しかし、やはり一番天下に恥をさらしたのは大阪の府民であり、オール与党でしょうね。タコにやらしたらおもろいがなという選挙民や、またタコでもイカでもなんでもええがな、どうせ思い通りに動かせるんやさかい、みんなで一緒に担ぎまひょという政党こそが、懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決を受けるべきなのかもしれませんね。 それに、手塚漫画の『どついたれ』に登場する葛城健二のモデルの葛城健蔵氏は、長年にわたって犯罪者の更正に取り組んできたそうで、「会社経営より更正にかかわったほうがキャリアが長い」ことを誇りにしているそうですね。 ほな、横山ノックはんにも映画に出てもろたほうがええんとちゃいまっか。そうでんな、やっぱり戦後の闇市で明石のタコを売るオッサンがええかもしれまへんな。えー、タコでっせー、タコでっせー、明石のタコでっせ。生きがよろしおまっせ。安いでっせ、安いでっせ、買いなはれ、買いなはれ、大阪府民のみなさん、みんな買いなはれ。そして次の場面では、「腐ったタコでもえらい人気や、ほんま、よお儲かるがな」と札束を数えてほくそ笑む横山ノック。 大阪府民はこの場面を観たら、ゼッタイに笑たらあきまへん。大いにハンセーすべきやと思いますな。いや、ほんまに文化科学省ご推薦の素晴らしい映画になりまっせ。横山ノックはんもええ罪滅ぼしになるんとちゃいまっか。 おっと、私はもしかしたら講談社の手塚治虫漫画全集に収録されている『どついたれ』に影響されて、表現がえらくえげつなくてどぎついものになっているかもしれませんね。失礼しました、ごめんなさい。 この手塚漫画『どついたれ』は、「週刊ヤングジャンプ」に連載されたもので、手塚自身が「関西人の心意気、つまりばくちを打ってでも生き抜くようなバイタリティーを描きたいんですよ」と言っていたそうです。都会的でスマートなキャラクターたちが活躍する彼の従来の漫画とは随分毛色が違っています。特に第一部では、実在の関西の企業人の葛西健蔵、廣瀬昭夫、津田友一をモデルにして、戦後の混乱期に生きる庶民の猥雑でバイタリティー溢れる生活を描いており、私のように戦後まもなくに生まれた人間にはとても懐かしいものがありました。 しかし、手塚治虫自身は、彼のこの漫画が読者には受け入れられていないのではないかと非常に気にしていたようです。そのためか、第二部では、戦災孤児の哲と女スリの克子という大阪の街に生きる二人の若い男女をメインの登場人物にして物語を展開させていきます。この二人の大都会の片隅に咲いたほろ苦くて切ないラブロマンスはなかなか読ませるものがありましたよ。 しかし、結局、手塚治虫自身がこの漫画に行き詰まりを感じたのでしょうか、自ら連載を打ち切っています。ですから、この手塚の異色作品は、個々には面白い箇所が沢山あるのですが、途中で突然に終わる未完の作品のため、どのように評価していいのかよく分かりません。ただ、連載当時、若い読者にはあまり受けなかったであろうことはなんとなく分かるような気がします。
2005年09月21日
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手塚治虫は、私たちにたくさんのすばらしい夢を与え楽しませてくれました。そんな手塚治虫も1989年2月に胃ガンで亡くなっています。1928年11月生まれですから、還暦を迎える前に他界しているのですね。手塚治虫の他界後、彼を追悼するために様々な企画がなされ、また多数の作品、文章が発表されましたが、私の気持ちを一番よく表してくれていたのは矢口高雄の『ボクの手塚治虫』(毎日新聞社、1989年10月発行)でした。 矢口高雄といえば「釣りキチ三平」で有名な漫画家ですね。彼は1939年に秋田県平鹿郡増田町に生まれています。貧しい農家に生まれた矢口少年が初めて出合ったマンガは宮尾しげをの『西遊記』。全部暗記するほど繰り返し繰り返し読んで、すっかりマンガの虜(とりこ)になってしまいます。 そんなマンガ大好き少年に強い衝撃を与えたのが『流線型事件』というマンガでした。表紙の立体的で迫力のある絵を見たとたん、矢口少年は、「まるで自動車と正面衝突したようなショック」を覚え、さらにこの作品の絵の新鮮さ、都会的でスマートなキャラクター、実に科学的な内容にすっかり魅せられ、クライマックスのカーレスのシーンでは、車が「画面の奥からおらをめがけて飛び出してくるっ!!」と驚嘆したそうです。この『流線型事件』の作者が手塚治虫だったのです(なぜか、作者名の漢字に「てづかおさむし」とひらがなが振ってあったそうです)。 友人の家の遊びに行ったとき、便所に便所紙がわりに置いてあった「ジャングル大帝」をもむさぼり読むような矢口少年ですが、それが連載されている『漫画少年』を毎月買うお金がありません。でも、どうしても読みたい、なんとしても続きを読みたい。そこで彼は杉の樹皮を山の伐採現場から背負って運び出すアルバイトを始めます。一把5、6キロの重さ、それを2把背負いながら片道2、3キロの山の急勾配を膝をきしませて下りるという重労働を続けて『漫画少年』を買うお金を得るのです。そんな辛い思いをしても、でも彼は「ジャングルブック」が読みたかったのです。でも、こんな思いをして手に入れた「ジャングルブック」だからこそ、それをむさぼり読んでいるときの矢口少年は、おそらく世界で一番幸せな子供だったと思います。 矢口高雄は『ボクの手塚治虫』の最後を、「ありがとう手塚先生・・・・・」「安らかにお眠りください」と結んでいますが、それはまた全国の手塚治虫ファンの気持ちでもありました。
2005年09月20日
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みーしゃん♪さん、こんばんは、やまももです。 みーしゃん♪さんが運営しておられるブログ「みーしゃん♪のお部屋へ」に前にお伺いしたときに実業之日本社から出版された巽尚之著『鉄腕アトムを救った男』についてのご書評を拝見し、とても興味深く読ませてもらいました。 私は子供の頃から手塚治虫の漫画が大好きで、月刊雑誌『少年』に連載されていた「鉄腕アトム」は、発売日をいつも首を長くしてまっていたものです。それだけに「鉄腕アトムを救った男」という書名が目に飛び込んできたとき、あの顔は可愛いけれどすごいパワーを持ったロボット少年をどんな男がどのような困難を救ったんだろうかと大いに興味を持ったものです。しかし、みーしゃん♪さんのご書評の簡潔にして要を得たご説明ですぐ題名の意味が判明いたしました。 この『鉄腕アトムを救った男』についてのご書評の冒頭には、昭和48年の晩秋の午後2時頃に大阪の葛西(かっさい)株式会社の創業社長の葛西健蔵のところに手塚治虫が訪れたことが紹介されており、「48年秋の出来事は、手塚治虫が社長を務める『虫プロダクション』が倒産し(倒産当時は社長を辞めていたが)、ヤクザまがいの借金取りに追われ、困り果てた手塚が葛西の元を訪れたものである。葛西は、とりあえず、漫画やアニメの版権を一旦葛西名義に書き換え、貴重な財産の保全を図る。しかし、このことで、債権者の矛先は葛西に向けられることになる」と説明しておられますね。 ご書評を拝見して同書がとても読みたくなり、昨日なんとか入手して読了しました。創作者としては天才でも、経営者としてはなんだかおぼつかない手塚治虫の姿が記述されている部分も面白かったですが、また手塚治虫の漫画『どついたれ』のモデルになった葛西健蔵、廣瀬昭夫、津田友一というとても気概のある大阪商人たちの生き方にも大いに興味を惹かれ、一気に読んでしまいました。 なお、私は手塚治虫の『どついたれ』という漫画はまだ未読なんですが、手塚漫画としては異色作品のようですね。この漫画も読みたくなりました。入手して読みましたらまた感想を書きたいと思っています。 それから、『どついたれ』の映画化の話が持ち上がっているらしいとのことで、みーしゃん♪さんが「是非、映画を観てみたいと思う」と書いておられますが、私もやはり上映されたら観てみたいですね。戦禍をさまよう手塚治虫に水と食糧を分け与える民家のおばちゃん役で太田房江知事が出演するという話もあるそうですが、どうせなら元知事の横山ノックに闇市でなにか怪しげなものを売るオッサン役で出てもらいたいものです。
2005年09月19日
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