坂本龍馬が「日本一の先生」 「天下無二の軍学者」と腹の底から尊敬していた
勝海舟は、タダの大言壮語の、法螺吹きとは違ったのです。
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勝海舟と会うまでの、坂本龍馬は、当時の流行ともいうべき
「外国を打払うべし」という攘夷論に傾倒して
積極的に、武市半平太率いる土佐勤王党に加盟したものの、
武市のテロ行為の実践に、大いなる疑問を感じて、脱会していたのです。
龍馬は新しいものに興味があり
「何でも、聞こう!吸収してやろう!!」
という気概に燃えた素晴らしい男だったのです。
開国論というものの旗頭、勝麟太郎という人に会ってみたい!!
よい話だったら即、弟子にしてもらおう!!
彼は即、行動を起こしたのです。
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龍馬が、千葉重太郎と共に海舟を斬りに来たものの、
海舟の話に感動して弟子入りしたと言うのは、維新後の海舟の法螺話です。
龍馬は、千葉道場が剣術指南をしていた関係で
福井藩の殿様である、
松平春獄に紹介状を書いてもらい、礼を尽くした勝家への訪問だったのです。
(海舟は悪気は無いのですが、ユーモア精神旺盛で、話を面白くするリップサービスが過ぎるところがあります。
そこが、聞く人を喜ばせようとする、彼の優しさとも言えるのですが。)
(咸臨丸が日本人のみで太平洋を横断したというのも法螺話です。
勝以下日本人乗組員のほとんどは、船酔いで船倉で寝ていたというのが真相です。
元気なのは、ジョン万次郎と、
木村摂津守の従者だった、福沢諭吉のみというありさまだったのです。
実際はアメリカ人のブルック大尉以下が操船したのです。)
堅物の福沢は、海舟の法螺話が大嫌いだったのです。
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それはさておき、龍馬が、氷川の勝の家に訪れた時の会話の再現です。
「麟太郎先生は、開国論者じゃと聞いちょりますが、開国ちゃどういうことぜよ。
教えとうせ。」
お前さん、土佐の生まれかい。だったら大海を知っているよな。
海の向こうにはな。メリケンてえ國があるのさ。
これが地球儀てえもんだぜ。お前さん見たことあるかい。
「先生、地球が丸いくらいは知っちょりますきに」
おお!そりゃあ話が早いぜ。じゃあこの話は知っているかい。
日本の主権者である将軍は徳川家の世襲だがな
メリケンの将軍は、大統領(でいとうりょう)と言うんだ。
大統領は、民主主義と言ってな、国民の入り札(選挙)で
身分なんぞ関係なく誰でも努力次第でなることができるんだぜ。
大統領を選ぶ入り札(選挙)の権利は国民にあって
大統領は下々の生活の心配までしているんだぜ。
メリケンは、そんな自由闊達な國なのさ。
日本と外国は海を通して繋がっているから、
これからの日本は世界を相手にしなくてはならねえんだよ。
交易をするために何が必要か、お前さん分かるかい?
「先生、それは船が必要ぜよ 大きな船が。。」
お前さん飲み込みが早(はえ)えなあ。 てえしたもんだぜ。
「先生、土佐は上士、下士の身分差別が酷いぜよ。
下士は生涯、上士の下働きで終わるきに。 これは間違っているぜよ。
こんな理不尽は、打破せねばならんきに!!
先生、俺を弟子にしとうせ!!雑巾掛けでも庭掃除でも何でもやるきに!!」
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龍馬の生家の本家は才谷屋という商家で龍馬も幼少の頃から出入りしていて、
商いについての興味があったのです。
海を行く船にも関心があったことから
龍馬は勝の言う海外との交易の話に目を輝かせたのです。
海援隊の発想はこの時に彼の脳裏に浮かんだのです!!
勝海舟との出会いで、坂本龍馬は、開眼したのです!!
普通の攘夷屋なら勝のことを「西洋かぶれ」
「法螺吹き」となるか、あるいは勝の言うことが「???」となるかのどちらかです。
ところが龍馬は勝の話を即、理解したのです。ここが龍馬の偉いところです。
その後の龍馬の活躍はみなさんよくご存知だと思います。
「雑巾掛けでも庭掃除でも何でもやるきに!!」これが龍馬という男なのです!!
真っ直ぐな人間は、必ず人生の師とめぐり合うものなのです。
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