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中川ショック以来、上げて100円をうかがっていたドルが、今日の夕場でどれだけ下がるか…見ものです。すでに前哨戦は市場で始まっていますけれども。雇用統計・週末・禿の3月決算前・NY株下落・シティヤバすぎと、これでもかーというほど、ファンダメンタル的には悪い要素がテンコ盛り。さあ、どのぐらい下げるでしょうか。かく言うボクも、昨日の相場は久々に屈辱の負け越しを喫しました。まさかユーロがあんなに暴落するとは…手持ちの玉を防衛する為に火消しに走らせたナンピン玉まで延焼してしまう大暴落…トリシェ、時期悪すぎ。せめて週半ばなら、ロングで損失を圧縮する事が出来たでしょうが…ああ、まだまだボクも脇が甘い。防衛ラインを突破された為、損切り16万円の消耗。まあ、プラマイで見るとチリみたいなもんですが、テクニカルをやぶられるのは、とても悔しい。まあ、悔しいからこそ、次の取引へのバネになるんだと思いますけどね。さあ、週明けのリベンジが楽しみです。全力で行きますよ。
2009.03.06
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確申の時期に入り、ちょっとグダグダ気味の鳩でございます。帳簿ぐらいちゃんとつけなさいよ!とか怒ってもしょうがないのですが、ボクも税務署の応援に行ったり、通常業務をしたりと、結構しんどいのです。基本的に残業をしない主義なのですが、物理的にこの時期は残業が必要になりますね。まあ、そういう業務をやりながらも、投資の為のモニターはちゃんと開いております(笑)最近よくやるのが、FX。今日は、初心者による初心者の為の基本戦略を語ってみたいと思います。元々僕は、投資の大半を株式でやっていましたが、2年ほど前からFXを少しずつ勉強してきました。で、通貨変動がひと段落したので、最近は短期相場はFXでひたすら小遣い稼ぎしています。長期は、前にも言いましたように、プラチナ相場がお勧めです。一般的に三相場のうち、最も難しいのが為替相場、次に商品相場、最も易しいのが株式相場と言われています。その意見はごもっとも。それは、価格変動する要因の多寡ですね。為替という物は、もちろん金利政策や、経済指標などのファンダメンタルズの要因が一番大きいでしょう。しかし、アナリストはもっともらしい事を言いますが、短期的な相場を左右する要因のうち、一般人をして殆ど予測可能とせしめる事態という物は、ボクはあまりないと思います。大変動になった時、資金力にあまり自信のない投資家は、素直に損切りするのが、投資の鉄則です。だから、基本的にファンダメンタルズよりもテクニカル分析の方が短期投資ではいいと思います。テクニカルの基本は、相場の「売られすぎ・買われすぎ」感を身につけること。RCIというと、ややこしい感じですが、簡単に言うと、相場の谷がどれだけ深いかを予測する能力…とでもいいましょうか。僕は下げ相場の時に仕込むのが基本だと思います。上げ相場のときに仕込むのは、どんな冷静な人間にも欲という物が働いてしまうため。ただ、谷がどれだけ深いか、という事が想定できなければ、不安になってなかなか買い注文を出すことができない。そういう意味において、どのレンジで値段がよく交錯しているか、という事を見極めて、そのレンジに複数の値で買い指値を入れ、また売り注文の時も同様に売り指値をしておく。そうすると、必要以上に相場に一喜一憂する必要がありません。こういう注文方法をイフダン(IFDN)注文と言いますが、いちいち相場を見て、スプレッドを気にしながら個別注文を出すと、FXではほとんどの人が失敗するとみていいでしょう。チャートは、レンジを絞るのにはとても大事なものですけれども、それを見ながら注文を出すことは、絶対にしてはいけません。売られすぎの時に、予め決定しておいた値段でサッサと売って損失を拡大しないようにする注文をOCO注文と言いますが、これも自分の理性に自信がないという人は、打っておくといいでしょう。IFDNとOCOを組み合わせておくと、上がれば売り指値で利益になり、下がりすぎても、損失を限定できる。まあ、これだけでもすぐに利益を出すことはできますが、最近、僕がやっているのは、円・ドル・ユーロの三点取引です。時々、気まぐれにポン様(ポンド)やスイスフランを買いますが、あまりお勧めの通貨とは言い難い。何せポン様は、今や120円を切る時もあるほど下落されております。250円代の神々しいまでの御威光を放っておられたポン様は、何処に行かれたのでしょうか(笑)さて、相場には、フィーバーする時間帯という物があります。たとえば、日本ではお昼休みに相場が変動しやすいですので、早朝のうちに、まずドル買い注文を出しておく。買い成立の連絡がきたら、一部をユーロ建の買い指値、一部をドルポジションで売り指値で注文しておきます。こうしておけば、1.円 → ドル → 円 2.円 →ドル → ユーロ → 円と二つのルートに分散注文できます。じゃあ、直接ユーロ買い指値注文を出せばいいんじゃないの?というご質問が出そうですが、それは、円/ユーロ相場と、ドル/ユーロ相場の安定性の違いに根拠があります。ドル/ユーロ相場の方が、圧倒的に連動性が高い。だとするならば、ドル/ユーロ相場の方が、圧倒的にレンジを絞りやすい、という事が言えるのです。別の言い方をすれば、少々欲をかいても、利益実現可能性が高まるという事ですね。ドルを安く買い、調達したドルでトントンの所でユーロ買いし、高値で円還元する、という方法。どちらにしても、基本はドルです。ドルを如何に安く調達できるかが、腕の見せ所です。昨今の通貨変動を受け、FXで破産したとか、なんとかいう話を聞きますが、僕は逆に、どうやれば破産する程の損を出すのか実に不思議なのです。いや、損を出している人がいるから、ボクのように儲ける人間がいるのでしょうけれども、理論的に攻めればこれほど面白い相場はないんじゃないかな、と思うのです。投資という物は、所詮バクチです。バクチは、勝つこともあれば負けることもあります。しかし、バクチは常に知恵をめぐらせ、頭を使って攻め、勝つ事を目指さなくてはなりません。無謀なレバレッジをかけて一気にロスカットされてしまう人は、考え直した方がいいでしょう。ボクの投資方法は、自称徳川家康型の戦略だと思っています(笑)地味に、ひたすら地味に時を待つ。チャートは、当然読む必要があります。それは今日のレンジを絞るため。言わば漁場を探るために魚群探知機で魚の群れを探すような作業です。でも、一度場所を決めたら、そこから動かず、ひたすら敵が現れるのを待って、出てきた者を一人ずつ撃ち殺すスナイパーのような方法をとります。敵前一発狙いでバズーカを放てる程の資金も度胸もありませんので(笑)
2009.02.09
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先週の26日の金曜日は、うちの事務所の仕事納めでした。午前中で業務を終わり、大掃除をした後、夕方から納会をやりました。うちの事務所でも不景気の折、今年はボスが長年つきあってきた関与先の方からも何件か倒産の憂き目を見た人がいるのですが、ボク自身が一年目という事もあり、スタッフの皆さんに適切な指示を与えられないことも多く、自分の無力さ、実務能力の低さを痛感した年でもありました。来年からは仕切り直しで頑張っていく所存です。そんな一年の締めで新宿へ飲み会に行ったのですが、しこたま酔っぱらった挙句、帰途についたのは10時頃だったと思います。新宿から中央線に乗り、立川方面へ。しかし、ええ、気づいたら「次は~飯田橋~」とか言ってるんすよ。快速に乗ったはずなのに(笑)しかも、周りを見たら、みんな眠りこけて、中にはジベタリアンのようにボクの足元で胡坐かいて寝てる奴までいます。つくづく使えない連中です。吉祥寺、国立、国分寺と、ボクと同じ方面の奴5人全員が全員、終電で東京へ運ばれました(泣)学生時代に、三田で飲んだ後、武蔵小杉方面の地下鉄に乗って、気づいたら赤羽だったって事がありましたが、今回はシャレになりません。しかも、この日はやけに寒い!とことん寒い!彼女に「乗り過ごしたから、迎えにこい」と電話すると、「しね」と。何もそこまで言わなくてもいいじゃないか。世間知らずのお嬢様だった彼女が、だんだんカミサン化しております。彼女も飲み会で、しこたま酔っぱらって眠っていたようですから、無理もないか。仕方がないので、魚民で夜を明かしました。何故か代理の監督責任とかいうわけわかんない理由で、ボク持ちになりましたが、今年一年、頑張ってくれたみんなへの恩返し。余計な出費とか言いません(笑)男3人、女2人のへんなメンツで、朝まで投資ネタや政治ネタで話をしました。始発で家に帰った昨日は、思いっきり熱を出して一日ダウン。これが仕事のない日で本当によかった。年末調整と確定申告のちょうど中間の「嵐の前の静けさ」。英気を養って、戦いに備えねばなりません。本当に、酒はほどほどにしないと、えらい事になります。反省です。
2008.12.28
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ちょっと古いですが、面白い記事がありました。消費しない20代が日本を滅ぼす!?---------------------(引用ここから)-----------------------------ミニマムライフ(シュリンク)世代1.生活や人生を縛るものを持ちたくない2.「ラク」が一番3.傷つくのが嫌い4.損をするのが嫌い5.人生に手ごたえを求めている---------------------(引用ここまで)-----------------------------これを見るに、ボクは、1.2と3.4、及び5の3つに傾向を分類しなくてはならない、と考えます。1.2は合理主義的、快楽主義的な態度であり、どちらかというと欧米的な傾向、3.4は、物凄く純粋日本人的な傾向、そして5はいつの時代も若者の魂の部分にある傾向です。この世代は、ですから、必要以上に職場の上下関係とか、戦友とかに干渉されたくない、また、休みの日は基本的にボーッとして過ごすだけだけど、それでも付き合いに巻き込まれるのはめんどいからイヤ、という現代人的な一面と、だからこそ周りにグダグダ言われないように仕事はチャッチャとやり、上司に文句言われないように不平も言わず、とにかく君子危うきに近寄らず、という古来の日本人的傾向を併せ持つ事になっています。でも、何か不完全燃焼感が残ってしまい、ある日突然、自分探しの旅に出る、というオヤジ世代には、保守的なのか革新的なのか、真面目なのか不真面目なのか、よく分からない人間達なんでしょう。ボクはこのミニマムライフ世代の頭、氷河期世代のケツに位置し、橋渡し的な位置にいるのですが、この対談でも述べられている通り、この世代はボクも含めて、非常に現実的で、シビアでドライな考え方をします。夢みたいな事を語って酒飲んでいる暇があるなら、働いて定時に帰ってさっさと寝るという若者が多い。この傾向は、おそらくその次の、携帯片手に育ったゆとり世代には、継承されないでしょう。ミニマムライフ世代の行動は、生育した社会環境が大きく影響しています。決して自分達が苦労をしたわけではないが、幸不幸感覚というものは、あくまでも相対的社会状況により形成されるものであり、人間の行動の第一原因が快楽、つまり幸不幸の感覚に左右される以上、我々の育ってきた時代というのは、平和の中にある鬱屈した不幸の時代であったと表現できます。ボク自身もそうですが、親のスネを齧りながら、学生運動に勤しんでいた世代を、何と欺瞞的な奴らだ、あんな大人にはなりたくない、と強く思う一方、兵卒として前線で戦い、戦後日本の礎を作った世代には、強いシンパシーを感じる人が多いように思います。まあ、ある意味神なき時代に神を求め、苦悩の意味も分からず苦悩する人々、と言えるでしょう。でも、ボクは竹中先生とは違って、あまりこの傾向を悲観的には見ていません。というのは、消費は放っておいても先細りするのは確実であり、これからの日本は、投資の時代に突入するからです。選ばれた人間が、正確適切なリスク管理の元、多くの富を使って海外への支配力を増大させていく事で、消費とは別の形でマネーフローを生み出す事ができます。ミニマムライフ世代の傾向は、投資家の持つべき資質を全て備えていると言っても過言ではありません。臆病な怠け者である、この世代は、そうであるが故に、合理的かつ現実的な思考様式を身につけている事が多いものですから。投資の勉強をしていくうちに、彼らは、人的投資の必要性を認識していく事になると思います。経営と投資は、不可分なように見えますけれども、経営は、ガッツで何とかなる面も多々ある(ぶっちゃけ人を動かせてナンボですから)反面、投資は頭とセンスがなければ、悲しいほど努力が報われません。ボクもあまり投資センスは良くないのですが、勉強すれば、大局的に見て、そこそこ釣果はあったかなと言えるぐらいにはなります。「自分探し」などというバカな事をやっているぐらいなら、自分よりも遥かに高等な知能を持った先人の書いた本を一冊でも読めば、それなりに進むべき道のヒントはある筈です。ボクも、まだ悩み多き人間ではありますが、少なくとも、学生時代に経験した自己喪失感は感じなくなり、使命感に溢れています。一人でも多くの若者が、経営者、投資家として大成したい、と思えるように頑張りたいと思います。
2008.12.19
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内定取消が、巷で問題になっております。正直に言って、ボクは学生時代に就職活動をするのが面倒だったので、院に行きました。人生の大事な時に、ものすごく打算的な判断をするボクの性格は、大学受験の時も同じですけど(奨学金出るならいいや的な選び方しましたから(笑))当時は就職氷河期最後、小泉構造改革の「痛み」と約10年間の「打算」のツケを払わされた影響で、とにかく就職の口がありませんで、おおむね中堅のマーチレベルだと、地銀総合職ぐらいでよしとする時代でした。ところが、院でフータラ遊んでいる間に、いつの間にか世の中、完全な売り手市場。メガバンが1000人単位で採用とかいう、あり得ない状況になりまして、シュウカツしなくちゃなーとか思っている内に、癌になるという、何か自分の事ながらおもろい人生(笑)まあ、結果オーライですかな。同期の話を聞いていると、とてもじゃないが、日本の企業はボクのような人間には割が合わないですね。ぶっちゃけ、カネ以外の事で人様に拘束されるのはイヤですから。でも、学部生の頃の同期の奴らの悲愴感は、本当にひどかったです。いくら高学歴と言っても、文系が幅をきかす業界なんて限られております。ボクの母校は、金融が強かったんで、比較的就職は楽な方だったのですが、それでも、留年を繰り返した奴や、下位学部の連中は、金融業界から総スカン食らって、方針転換した頃には財閥系不動産会社のエントリーは終わっていて、メーカーに行こうにも、元々理系畑の所で、ある程度仕事ができる業界というと、マテリアル系か量販機械系に限られ…とまあ、結構後手後手に回っちゃう人が多かったですね。40社50社エントリーするのも、決して変ではありませんでしたから。結局民間はどこも決まらず、オマワリになる奴や、卒業間際にとりあえずブラック企業と言われる企業に名前だけ置いて貰って、速攻で転職活動なんてのもいましたし。夏休みが終わるまでに就職が決まっていなければ、もうその時点で、殆ど試合終了と言っても差し支えありません。ましてや卒業時点で、仕事が決まっていないなんて事になれば(いわゆる「既卒」)、よっぽどの奇跡でも起こさない限り、サラリーマンとしては人生終了です。で、何が言いたいかというと、「新卒」の青田買いをやろうとするから、こういうおかしな事になるんだという事ですね。こういう事をするから「横並び」の弊害と、それをぶち壊した時の「不公平感」と、世代間の軋轢が出来てしまい、「既卒無価値」というバカバカしい差別(就職格差)につながるのです。経済情勢(=雇用情勢)で、世代を一括りにし、その同期、オトモダチ意識を高める時代じゃないでしょうと。今や、若年層は世代間で非常にいがみあっていますが、彼らも仕組みを作った「大人達」の犠牲者です。ボクは、人材を育てたいと思います。しかし、だからこそ惜しみなく投資する為に、「ぶら下がり」の無駄を徹底的に省いていかなくてはいけない。指導者候補には指導者となるに相応しい教育を受ける義務と権利があるのです。「新卒」とか「正社員」とかいう枠組み自体をぶっ壊した方がいいんじゃないでしょうかね。こんなかわいそうな「時代の犠牲者」を生まない為にも。
2008.12.17
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来年の大河ドラマ「天地人」のLOVE侍こと直江兼続なのですが、率直に言って、エッ?というかんじです。もっとも、僕らの中学時代のように「戦国オタク」や「三國志オタク」ばかりでなく、最近は一般女性にも戦記モノ読者が増えているらしいのですが、なんか長身・イケメン・義理人情だけが独り歩きしそうな匂いがプンプンします。何年か前でしたか、「義経」があまりにもいい人すぎて、今一つ骨肉相争う醜さが伝わってきませんでした。昔の「伊達政宗」みたいな名作は、出てこないのかな?母親から疎んじられ、温厚な父を敵の奸智で失った青年が、情け容赦ない野望と策略で一大強国を築いていく過程は、実に面白かったです。まあ、人間的には最悪な部類に入るでしょうけど(笑)ボクは個人的に、直江兼続を全く評価しないばかりか、武人としても政治家としても中途半端という印象を否めません。直情径行、忠義に生きる武人である一方、評定でゴネた一方当事者を、屁理屈をつけて打ち首にするという事もやる人です。有名な「直江状」で家康を挑発して、関ヶ原の一歩を作った(三成と兼続の間に意思の合致があったかどうかは、不明)件に関しても、隣国の最上を簡単に攻略できるとタカを括った、完全な戦略ミスであり、慶長出羽合戦では、庄内地方を逆に最上に奪還され、全く成果を挙げていません。確かに米沢撤退戦の、追撃してきた最上・伊達軍に対する采配は見事な物だったようですが、五大老の一人である上杉家の立場という物を、もう少し考えていれば、こういう無謀な判断は、出てこなかったはず。一時は、反徳川のキングであった前田家が、利家の病死があったにせよ、おまつを人質に出してあっさり解決を図ったのとは、対称的なように思います。家康が動けば、三成が挙兵する事は確実であり、加藤・福島・黒田といった豊臣政権下での武闘派の大大名が、ことごとく三成を人間的なレベルで嫌っていた事実を考えると、全くの短慮であり、結果、上杉家の重臣に逃げられ、慶長出羽合戦のウォーミングアップ期間を最上に与えてしまうなど、全くいいところがありません。よく「天下分け目」という表現が使われる関ヶ原ですが、ボクはどう考えても、徳川方に分があったと思います。もっとも、関ヶ原自体は、一つの戦闘であり、どちらが勝っていたかはわかりません。史実とは逆に、小早川が銃声にブチ切れて松尾山から慶長の役の時のように、大将自ら槍を引っさげて突っ込んできたら、それこそ徳川に内応してサボタージュしていた吉川隊(+後続の毛利、長宗我部隊)も側面から徳川方に襲いかかってきたでしょうから、関ヶ原自体の結果は、薄氷の勝利と言ってもいい物だと思います。ただ、組織力の差は歴然としたものであり、徳川方が豊臣恩顧の武闘派大大名をしっかり押さえて、三河武士の強固な家臣団を擁しており、仮に家康個人が討ち取られても損害が少ないのに対し、西軍は、総大将が毛利輝元でありながら、彼は大阪城から一歩も出ず、実質的に人望も役も統率力も見劣りする石田三成が戦場を指揮する事になり、勝っていたら勝っていたで、逆に美濃・尾張征討戦で、二重権力構造の弊害が出ていたであろうと推測します。まあ、この辺の解釈は、イフの領域ですので、殆ど意味がありませんが、どっちにしろ直江の行動があまりにも思慮に欠け、結果的に親友の、有能で実直な三成を死の淵へ追いやった結果は、揺るがないと思います。ボクは、こういった点で、直江をあまり高く評価する事は出来ません。ボクの希望としては、最近評価の上がっている武田勝頼、軍人としての無能ぶりを曝してしまったけど、徳川の世の基礎を作った(この点、ボクは三代家光が過大評価されている事が実に不満(笑))徳川秀忠、四国の覇者長宗我部元親、忠勇無双の武人島津義弘あたりにクローズアップした作品ができたらなあと。それにしても、戦国時代というのは、恐ろしいほど人材の質が向上しましたので、綺羅星のごとく優れた軍人・政治家がいて、後世の人間から見れば、どんなに学んでも学び足りない魅力がありますね。
2008.12.14
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日本以外の国の貨幣価値がどんどん下落し、オセアニア通貨やウォンが末期的状況になっている現実を副島氏は、直視すべきです。第二の基軸だなどと言われていたユーロまでが、見るも無残に腰砕け、10月半ばまで頑張っていたポンドも、失速してしまいました。副島先生は、どうもこの現実(半年ほど前の現実ですが)を受け入れたくないらしく、「恐慌前夜」では、このような事を書かれています。-------------------(引用ここから)-----------------------(恐慌前夜 P70)サブプライム危機以降はドルの信用(威信)が全般的に落ちている。それを何とか阻止して、ドルの信用を維持する為に「強いドル」を意識的に演出している。だからしぶとくドル高(円安)が続いている。各国でアメリカの通貨当局と協調する者たちが必死になって、為替相場の粉飾(ドレッシング)をしているのだろう。-------------------(引用ここまで)----------------------ははは…ロスチャイルドすごいですね、はいはい。副島氏は、「中国 赤い資本主義は平和な帝国を目指す-日本はどのように立ち向かうべきか」において、人民元買いをしろと仰っていましたが、「恐慌前夜」では、豪ドルに鞍替えです。その根拠がBHPとリオ・ティントがくっつくという話(確かに、大きなニュースではありますが)です。でも、一義的には、英国資本の多国籍企業なんだから、それが豪ドル買いにどれ程の影響を与えるかは、未知数だとボクは思います。それに最近、独禁法に引っ掛かるんじゃないの、という疑いも出てきていますんで、先行不透明です。ま、豪ドルの相場は、最近、もうエライ事になっておりますが(笑)これだけでも、予言者を名乗るのは、やめましょうよ、副島先生。----------------------(引用ここから)--------------------(恐慌前夜 P90)これからはオーストラリア・ドルとカナダ・ドルが強い。とりわけオーストラリア・ドルがもっともっと強くなるだろう。(中略)これから日本人の資産家が資金を逃がす(移す)ならばオーストラリアであろう。----------------------(引用ここまで)---------------------本当に、少しでも信じちゃった人が、かわいそうです。今、喜んでるのは、あなたの一番嫌っている、FXなんかで稼いでいる連中でしょうがと(笑)次は、以前にシナを思いっきりヨイショしまくったけど、思わしくなかったよ…という言い訳です。----------------------(引用ここから)---------------------(恐慌前夜p146) アメリカの金融崩れが激しいということは、中国経済の立ち直りもなかなか厳しいことを意味する。中国は粗雑な一次産品を世界中に輸出して稼いできた。この構造にも打撃が与えられる。中国のこの20年間の驚異的な急成長は、実は保有する米ドルと米国債を、その信用の土台にしてなし遂げられたものである。だから米ドルと米国債が崩れると中国も苦しい。 しかし、アメリカのドル覇権が崩れたあとは、その先は逆に中国がアメリカのドルの信用を支えてゆくだろう。(中略) ただし中国人は、ドルと米国債の下落があまりにひどいようだと、遠慮などせずに公然とドルを売り始めるだろう。そうすればアメリカの没落はさらに早まる。今のところ中国政府はアメリカに遠慮して、かつ自分自身が損をするので、保有するドルや米国債の売却を公然とは行っていない(密かに売り始めている)---------------------(引用ここまで)-----------------------はっきり言いますが、この部分は、知識が浅いとかそういう問題ではなく、完全に嘘八百です。まず、「ここ20年間の驚異的な急成長」と言いますが、米国債とかそんなものではなく、長年の固定相場制(管理フロート制に移行)と、激安労働力以外に何があるのかと。そもそも、シナが米国債の主要なホルダーになったのは、ここ10年の話。また、そうであるからこそ、>遠慮などせずに公然とドルを売り始めるような事をすると、アメリカは、完全変動相場で対抗するに決まっています。事実、事あるごとにそうアメリカはこれを主張しているのですから。ドルのお墨付きを失った人民元は信用を失って暴落し、負債だらけの国有企業なんぞ、簡単に吹っ飛びます。何よりも、シナ共産党自身が「ビッグバン」を抑えこむほどの力をもはや持ってはいない事を、彼はどう考えているのでしょうか。>保有するドルや米国債の売却を公然とは行っていない(密かに売り始めている)妄想乙としか言いようがないですね。9月に米国債保有率1位になったのは、どこの国でしたかなと(笑)
2008.11.28
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副島氏の事を書きかけなのですが、ちょっとムカついたニュースがあったので、先にこれを書いておきます。恐れていた事が、ついに現実化しちゃいました。大手企業が、この不景気の煽りを受け、派遣の削減に動き出しました。シャープ:福山工場の派遣社員、大幅削減を検討http://mainichi.jp/select/biz/news/20081122k0000m020074000c.html自動車各社:減産や人員削減拡大 マツダ1300人、日産ディ200人http://mainichi.jp/select/biz/news/20081121ddm008020019000c.htmlはっきり言って、ふざけんなと思いますよ。いや、派遣を切るのは確かに不況だからでしょう。でも、派遣に対する「不安定雇用」なる批判が、これからこういった動きを加速させていく事は、絶対に間違いありません。企業サイドとしても、既存の労働者を雇えなくなったというのは、イメージダウンを免れませんから、避けたいところですが、「派遣はダメなんでしょ?だったら、要らないので切ります。これからうちは、正社員の多い優良な職場です」という奇妙な正当化事由を与えてしまいます。近く、日本はまた、プチロストジェネレーション世代が出来ます。新卒でも職がなくなっていく時代に、大したスキルもない彼等を正社員で拾い上げる企業が、どこにあるのでしょうか。新卒25歳まで、転職35歳までと言われる日本の厳しい年齢差別的な労働環境で、アブレた人間の面倒は、誰が見るのですかと。ボクは、猛烈に怒っています。派遣労働者の絶対数を減らせば、その先には、10年前の失業者ばかりの世界しか待っていなのです!何故そんな事が分からないのか!企業は、これまでの動きからも明らかなように、円高になったり、業績が悪くなったり、世論・法律の締め付けが厳しくなったりすれば、なりふり構わぬ「カット」と「外国への逃避」を推し進めます。仮に、派遣労働者がいなくなって、少し困っても、契約社員枠に一部を取りあげるだけで、おそらく大半の人はクビでしょう。経営者は、生産能力が落ちたとしても、生産規模をそれに合わせるのであって、生産能力を生産規模に合わせるような事をするバカは、まずいません。ボクは、何度も言ってきました。日本式のジェネラリスト型労働環境は、もう今の社会には通用しないと。何故なら人口構造自体がかつてのようなピラミッド型ではなくなりつつあり、消費浮揚も見込めず、公共投資したとしても海外へ流れ、低金利は借金を漫然と借りる野放図な経営を惹起し、企業の経常は悪化する事に全く変わりはないからです。結果、莫大な財政赤字だけが残る仕組になっています。人を雇えば某かの戦力になっていた時代とは違って、今や7割の企業が赤字経営を余儀なくされているのが現実なのです。こういう状況では、一方で専門職労働者が極度に不足し、一方で単純労働者が溢れかえる事は、自明です。現在、医師不足、弁護士不足である一方、日雇い派遣労働者は、ネットカフェに溢れています。配転出向で、人材をたらい回しにして、正社員を「飼い殺し」にするのは、はっきり言って、今の時代には本人の為にもなりませんし、会社の為にもなりません。ダラダラと「付き合い残業」をする変な習慣も、変えなくてはいけない。このように、問題の本質は、日本企業があいも変わらず、新卒至上主義であり、年功序列であり、労働力の流動性が非常に低く、労働生産性が先進国最下位という不名誉な地位にある事です。つまり、産業構造自体が、古いシステムで動いている。オバマではありませんが、まさに構造的な「CHANGE」が必要なのです。派遣業は、その過渡期にあって、労働流動性を高めるために、非常に重要なワーキング・スタイルの一つです。無論、最低賃金などの問題を否定するつもりはありませんが、よく槍玉に挙げられるネガティブリスト方式で何がいけないのか、理解に苦しみます。これを一つの労働力の広範な受け皿としてキープしておかない事には、絶対に、単純労働者層の底が抜けてしまいます。有能な人材(優良品種)に投資しなければいけないからこそ、肥料を与えて、流動性を高めなければいけないのですし、適性の無い人には、冷徹に「ダメな奴はダメ」と除草剤を撒いて切っていくべきなのです。ボクは、一方で雇う身であり、一方で雇われる身ですので、その辺は非常にシビアです。投資する事には金を惜しみませんが、企業の体力を低下させてまで労働者を守るのが企業の責務だなどという、甘ったれた考えは、絶対に認められません。
2008.11.26
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お久しぶりです。鳩は、無事転職をし、某会計法人のパートナーを務めております。仕事が限りなく多忙になりましたが、まあ、文句は言ってられんでしょう。日々、精進します。さて、今日は、ある関与先の方から手渡された小冊子(業界誌)に寄稿されている副島隆彦氏のお話。元々乱読、誤読が非常に多く、神がかり的な物言いが終始鼻につく論者ですが、今日、読んだレポート「米国発金融恐慌は不可避となりつつある」は、本当に呆れました。たった12ページのレポートでしたが、副島節は相変わらず。時期的には、ちょうど「恐慌前夜」を書かれたころでしょうか。氏のスタイルなのか何なのかは、よく分かりませんが、要するに、「リサーチ満点、論理破綻」。たまに、特大満塁ホームランを打つ、打率1割代の助っ人みたいな人です。まあ、そこが特殊な人気のあるヒミツかもしれません。今回のレポートでは、要するに「キャッシュや証券類はあてにならないから、タンジブル・アセット(現物資産)に資産形態を変えて、自分で持っとけよ」という、業界向けの、デジャヴュ感の強い結論(「有事の金」論は、かなり使い古された論理ですね)になっているのですが、自分で持っとけという話は別にして、ボクも現物資産で資産保有をするという結論には、賛成する部分も大いにあります。が、その結論に至るプロセスが、彼の場合、欠落しています。ボクは、もう少し現実的な視点を持っています。税金対策を考え、保険商品などと併用しないといけませんし、有価証券類が一概にダメだというのは、乱暴な論理です。というより、つい先ごろまで、穀物価格や原油価格がホットであったように、現物だって先物市場がある以上、一歩間違えれば、相当にリスキーな商品なのであって、貴金属もその例外ではありません。ほんの数か月前まで第12次金ブームと言われ、3400円台だった金も、現在では、2300円から2400円程度を推移しているので、決して「安全」だとは言い切れません。プラチナはさらに酷く、数か月前の高騰(最高値7780円)がウソのように大暴落(2500円前後)をしております。これは、南アフリカの電力問題も大いに関係しておりますが、工業需要の著しい低下(というか、北京五輪で高騰した金属相場全体が、もともと下落していますので)が、大きな要因の一つでしょう。つまり、逆の発想をすれば、超円高の今、中長期目標で買えば、工業需要の上昇に合わせ、ボロ儲け間違いなしです。確実に儲けたい人は、今のうちにT中貴金属へGOですね(笑)話がそれましたが、要するに「有事の金」と言ったって、今説明しましたように、金貨とか、宝飾品ぐらいにしかならなかった時代とは違い、幅広い工業需要があり、それが複合的な要因として、市場価格に表現されるのですから、通り一変な説明では、説明しきるのは難しいし、安全資産だというのは、遥か昔に取引が自由化され、工業原料として広く認識されている現在においては、ハッタリ以外の何物でもありません。これまで、金とプラチナは比較的価格変動に相関関係がありましたが、最近の相場変動にその法則が働かない場合が多いのは、普通に考えれば、需要層の要因が働いているとしか考えられないわけです。つまり、単なるお漬物効果としてよりは、工業需要(当然、景気が重要なファクターになります)を睨んだ、賢い投資をする必要があります。故に、タンジブル・アセットなら大丈夫、という彼の安易な結論の導き方に、ボクは批判的です。まるでその発想は、金を新大陸から集める事だけに固執して没落した、大航海時代のスペインのようです。次に、そもそもこれらの彼の論理は、「米国債や米ドルが紙キレになる」という前提から導き出されているのですが、これがいかにおかしい事かは、賢明な人々には、すぐに理解できるでしょう。小泉政権時代、彼は「米国債陰謀論」の典型的な旗振り役でしたが、その後日本の国債保有率は急激に減り続け(というか、シナが物凄い勢いで買増ししているので)、40%を上回っていたのが、20%割れが視野に入り、今年度9月末時点では、ついにシナに首位の座を奪われました。ボクとしては、あの時の「陰謀論」の釈明マダー???って感じなのですが、キャッシュで持つか、米国債で持つか、という事は、日本にとってみれば、勘定科目の問題なのであって、殆ど差はないわけです。(無論、全くないとは言いませんが)現在の通貨体制という物は、アメリカが「借金」をする事で成り立っているのですから、アメリカが、一国の事情で普通の国のように安易に緊縮財政政策、もしくは保護政策をとろう物ならば、一気に経済規模が収縮してしまいます。加えて、それはアメリカ帝国の終焉を意味しますので、アメリカ自身の望む所ではない。現実的には、危機になればなるほど、ドルは他の通貨に対して強くなっていくのは、目下の情況を見れば、明らかです。すべての国が、既存の貨幣価値の崩壊、ひいては流通秩序の崩壊を何よりも恐れるからです。貨幣秩序の崩壊した状況では、モノの流動性が極端に悪くなるため、現物資産を持っていたって、大した意味はありません。黄金に囲まれて、リッチに飢え死にしたいなら、それでも構いませんが(笑)この点、 松藤民輔氏の「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術──連鎖崩壊時代の「実践・資産透視学」で述べられている「アメリカは滅び、ドルは強くなる」(もちろん、滅ぶのは「帝国」としてのアメリカです)という極めて的を射た表現が、現実に即していると思います。----------------------------(引用ここから)-----------------------------(「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術──連鎖崩壊時代の「実践・資産透視学」 P61 ) サブプライム危機でアメリカ経済が冷え込み、今後、金融恐慌がいっそう深刻化してくると、NYダウは暴落し、株価の下落と同時に、不思議なドル高になっていく。(中略) さらに米国債の暴落は、ドル高という普通の人々の非常識が発生することになる。全世界はドルショート(売り)で、資産ロング(買い)をこの5年間進めてきた。紙切れになりそうだと信じるプロや専門家の方が多い。しかし、米銀の動きは米銀によるドルの貸し剥がしを惹起(じゃっき)させ、ドル高に傾いていく。その時、日本人と日本の金融機関が大量のドル債を持つことで、ドルの信認は崩れない。しかし、通貨としてのドルは生き残るものの、国家としてのアメリカは、かつての大英帝国のように力を失っていく。そしてこの恐怖は、金融資産大国の日本の時代を政治的にも、経済的にも準備させることになる。----------------------------------(引用ここまで)---------------------------------いや、見事な分析です。半人前のボクの言いたい事を、うまく纏めて下さっています。やはりプロのモノカキは違います。そう、ここは、流動資産で無敵の底堅さを誇る日本の大きく出る局面なのです。円高は、大いなるチャンスの幕開けなのに、何故か意味もなく暗い最近の世相は、どうにかならないものでしょうか。
2008.11.25
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今日、仕事からの帰り道、ガソリンスタンドで給油している時に、事故がありました。国道に面したスタンドでしたが、ガソリンを入れ終えたワゴン車がスタンドから出ようと車の流れを見計らいながら、歩道で、止まっていました。やっと流れに乗れそうな状況になったので、運転手が車を発進させた時、反対方向、車から見れば左前方から、ママチャリが、車の前方を迂回する格好で直進してきたために、衝突した…という感じです。この後、このママチャリを運転していた女の態度が、無茶苦茶悪かったので、ボクは正直、嫌悪感を覚えました。ジャージ姿の30ぐらいの茶髪デブでしたが、子供を乗せていて、子供が道に投げ出されているのに、罵詈雑言を運転手に浴びせながら、地面にふんぞり返るという表現が適切でしょうか。典型的なDQN親です。ボクは、車道で車を制止して、子供を保護した後、スタンドの兄ちゃんに交通整理をするように指示した後、取り合えず、事故を起こしてしまい、精神的に動揺しているワゴン車の運転手に代わって、車を移動させました。救急車も警察も来たので、事情を説明してボクは、その場を去りましたが、この種のDQN親を見るにつけ、とても暗い気持ちになります。自分の不幸だけしか、観念することの出来ない人種の愚かさと、素直に人の不幸に憐れみを感じられなくなっている自分の感性の両方に。実に残念な事です。ボクは、何も悪い事をしている積もりはないのだけれども、ひどく精神的に負い目を感じます。まあ、その話はさておき、この女のように、最近の人は交通の「KY能力」が著しく低下しているように思います。KYは、「空気読めない」ではなく、本来の「(K)危険(Y)予知」の方。ちょっと古い言葉で、元々は、工事現場等での安全確認の為の事前確認作業を「KY作業」と言っていたそうです。最近の言葉で言えば、リスク・マネジメントと言ったところででしょうか。ボクは、その原因の一つを「オートマ」に見ています。オートマ車というのは、アクセルを開けば加速し、減速時は、ブレーキをかけるという、ごくごく単純な構造です。従って、その人の意識を問わず大なり小なり、アクセルを開き気味に走ってしまいます。結果、信号の直前でかなり強いブレーキをかけて止まる車をよく見かけます。これは、運転をマンネリ化させ、自然と「だろう運転」の方向へと導いていきます。しかし、マニュアル運転は、そうはいきません。勾配や信号、車間距離を計算しながら、ギアワークで走らなければ、軽快な運転が出来ませんので、嫌でも周囲の状況に対する注意が働きます。また、慣れてくると、疲れるけど、それが楽しくてしょうがない。マニュアル車を運転していると、シフトミスや、エンストを、誰でも最初は経験すると思います。でも、公衆の面前でエンストしてしまったり、とんでもないシフトミスで変な制動がかかってしまったりと、恥ずかしい思い、恐い思いを経験するからこそ、車との一体感が増し、又、それゆえに、周囲の状況に対する適切な判断が働くのではないかと、ボクは考えます。個人的なことを言えば、ボクは、かなり高速で走っていますが、最近は、殆ど事故をしておりませんし、白バイに捕まりかけた瞬間に証拠隠滅できる(ロックオンされてから、計測されるまでに、死角に潜り込みつつ、減速する)という、テクニックをよく使っています。これもKY能力の一つですかね(←違)
2008.05.08
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「痛いニュース」をみてたらこんなのが。・ボクは、死刑廃止も一つのオプションとしてありかなっていう、この分野に関しては、比較的リベラルな考え方なんだけれども、こういうのと一緒にされたくないです。・ボクは、人権という言葉が大嫌いで、できるだけ「基本権」という言葉を使うようにしているけれども、人権派から、百万光年距離のあるボクから見ても、相当問題です。まあ、どの辺に良識のフィルターをかけるのかは、その人個人のそれこそ「良識」の問題なんだけど、この人のイッちゃってるぶりはすごいなと。過去にも、かなり問題な事を書いておられるようで。--------------引用はじめ------------------(拉致被害者横田さんに関して)私は子供をなくした経験がありますが、 「めぐみちゃん」はちゃんと育って、結婚までして、あまつさえ子供まで儲けています。 私の目から見ると信じられないくらい幸福です。なのにその幸福に感謝もしないで、いつまでもいつまでも「めぐみっちゃん」とか 不幸面してられるアンタが心底うらやましいよ私は「めぐみちゃん」とほとんど同じ年ですが、ホントできることならいくらでも替わってあげたいです。私は「めぐみっちゃん」とかいうオバサンのいる国に生まれてよかったと思ったことはただの一度もないし、これからもこんな日本みたいな国に生まれて幸せだったと思うことは生涯一度もないと確信しています。毎日、夜寝るときは今日も日本から脱出ができなかった自分のふがいなさに苛立ち、朝起きたときは今日も奇跡がおきずにまたも日本で目覚めてしまった絶望に日々打ち砕かれます。こんな限りない日常が終わりになるなら是非拉致されたい。行き先は北朝鮮でも火星でもとにかく日本人がいないところならOK。(ハワイやスイスみたいに日本人が蟻んこ見たいに群れているようなところは身の毛もよだつが)。----------------引用終わり--------------ふざけんなとしか、言葉が思い浮かばない。止めはしません。さっさと日本から消えてくれ。ああ、見てはいけない物を見てしまった。最近、鬱がどんどん酷くなっています。抗鬱剤も殆ど効かない。それに不眠症も手伝って、非常にグロッキーな状態です。大丈夫なんだろうか…また躁状態になったら、書きます。ではでは。
2008.04.24
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先日、ゆうちょ銀行を利用する機会がありました。ボクは、郵便以外で郵便局を訪れる事がないのですが、先日、古書を注文した所、相手様が、ゆうちょの口座しか持っていないとの事。なんか嫌だなあ、と思いつつも、銀行へ行ってみました。あれ?まだ、振込できないの?民間バンクになったんじゃないの?正直、ここでかなりプッツンきました。ボクは、待たされる事が、死ぬほど嫌いな人間です。あの殺人的なコミコミで、悠長に待っているほど、神経が出来てはいません。仕方がなく、チャリンコをこいで、2キロぐらい離れた郵便局まで行くと、やはりコミコミ。しかも、何でATM使えないかな?ATMに並んだ自分が、バカみたい。今時、ATMで入金できない銀行なんて、存在価値あるの?いちいち振込用紙に住所氏名書かすって神経も理解出来ないけれど、それがATMで使えないってのは、本当に商売やる気あんのって感じです。もう、回路が爆発寸前。さんざん待たされた挙句、窓口にきたボクの目は、相当殺気立っていたと思います。「手数料525円になります。」嗚呼、何という旧石器時代的サービスの悪さ…もういい、何が何でも、絶対ゆうちょには、口座作りません!!!!
2008.04.12
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バイオハザード3をやっと見る事が出来ました。正直な所、ミラ様の暴れん坊将軍っぷりを見られればいい作品です。内容や、ディテールは、B級以下。お子様には、ちとグロいか。決して怖いわけじゃなく、グロい。それにしても、ミラ様は格好いい。純粋に感動します。少し顔がふっくらした?のは、いただけない所ですが、モデルみたいなガリガリ女が、何故かマッチョな男をバッタバッタ倒していく軽薄な某アクションにはない、「戦士と言えばMilla」と言いうる重厚感があっていい。白痴のような表情から、一気に鬼の形相になる所が、個人的には好きです。彼女に伍するハマリ役女優と言えば、ボクの中では、24のクロエ・オブライエンしか思いつきません。あ、クロエは役名か。まあいいや、名前知らないし(笑)ボクとしては、それで満足なんだけれども、映画版バイオは、もはや元祖バイオ色なんて、微塵も感じられない(笑)その点は、ゲームも同じ事かもしれませんけれども。閉ざされた空間でのサバイバルホラーから、一気にパンデミックになり、ゾンビをバッタバッタなぎ倒していくアクション系の話になってくると、どうも粗製乱造っぷりが出てくる。アクション効果面でも、「マトリックス」の出来損ないの(というか、場面によっては、どう見てもパクリ)印象が強く、正直、あまり感心しません。そういえば、本家「マトリックス」も、「1」の内容的完成度より、「弾かわし」のシーンが評判になり過ぎて、続編は、内容的に遥かに見劣りする物になってしまいましたけど。こうなると、観客は、どんな「ラスボス」が現れるかのみに期待が集中してしまう傾向があり、正直つまんないです。本作における「ラスボス」は、ゲーム版元祖バイオのラスボスであるタイラントをモチーフにして作成されている事が推測されますが、前作のネメシスといい、本作のタイラントといい、ゲームの印象が強すぎて、オリジナリティに欠けます。別にイミテーションならイミテーションでもいいのですけど、ミラ様が超人すぎて、怪物が出てきても、「うわーグロくなっちゃったな」ぐらいの印象しか持てません。まるで某セガール拳のようで、ちっともスリリングではない。アクションとしては、こういうのは「反則」なんですよ。そういう「反則的存在」というべき者を主人公に据えるのは、篠原涼子じゃないけれども、「アンフェア」。どんな超常現象を起こしても、「スーパーサイヤ人だから」で結論付けられる事ほど、つまらない事はない。作品は、ひたすらミラ様の独壇場。ミラ様好きでもなければ、多分に「しつこい」と思われることでしょう。あ、あとディテールに、もうちょっとこだわってほしい。ラスト近く、日本のシーンがありますが、地下鉄の入口に「夜空雪風 考楽火月星 Tokyo Metro Zatoichi Square」とかいう意味不明な表記がありました。何じゃそれ。日本人が見て分かるように作ってくださいよ(笑)一方通行二車線の狭い道路にデカデカと漢字で「芝浦・品川」っておいおい…そりゃないよ。そして、前作、前々作でもそうだったのですが、登場人物が、ソニーの「VAIO」を端末に使っているのは、駄洒落かよと。ソニーピクチャーズの作品だからなんでしょうけれども、露骨すぎ。
2008.04.05
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モバイルをWS0011SH(アドエス)に買い換えました。PCが、いよいよ末期的症状になってきた事もあり、モバイラーとしては、ちょっと困った事に・・・そこで、アカデミックパックで、使い慣れたウィルコムZERO3シリーズのアドエスを買いました。ちょっと他社商品にも興味があった(EMのスマートフォンは、特に魅力的でした)のですが、実質端末料金ゼロ円という、魅力的な料金体系がありますので、ウィルコムを続ける事にしました。結果的に、ボクは車の中で、キーボードに繋いで、横置して使う事が多く、画面を回転させると、対して液晶の大きさは問題にならないので、値段的にお得な分、アドエスで大満足。正直、何日か使ってみたのですが、PDAタイプの旧シリーズと比べて、サイズ的問題を考慮すると、格段に使いやすいし、電池消耗という最大の難点も、かなり改善されたように思います。(まあ、それでも携帯ほどの効果を期待する事は出来ませんが)特に、サイズは、思った以上に効果が大きいということが、よく分かりました。ポケットに差込んでも、スーツの型崩れしないサイズってのは、ボクらには、非常に有難い事です。それと、メモリが256になったからか、こころもち、起動がキビキビしているかな。今も、CDから落とした音楽を聴きながら、キーボードをたたいているのですが、それぞれの操作について、スムーズに行う事が出来ます。かなり満足であると共に、現代の技術革新の速さって物に驚きを感じます。数年前の旧ZEROが、もう昔の黒電話(笑)率直なところ、これあったら、iPodいらないと思います。配信にお決まりのガードを外すのが面倒くさいので、ボクは、メディアプレーヤーしか、使う気になりませんが、皆さんはどうでしょう。反面、本体のキーボートは、イマイチ・・・というか、悪くなっているかんじ。しかも、支点部分が、何故か尖っていて、手にかなり負担がかかるのは、完全な設計ミスでしょう。片手操作は、し易い反面、両手操作はしにくくなりました。まあ、片手主体のコンセプトで、作られているので、その辺は文句を言っても仕方がないのかもしれませんが。若干の不満は残るものの、アドエス本体の操作性は、とても高いものだと思います。が、正直、ウィルコムは、せっかく「ミニPC」と言えるほどいい端末を出しているんですけど、ボクは、イーモバイルの経営者思想、開発コンセプトに共感する部分が多く、イーモバイルの地域的なカバー範囲が増えれば、おそらく乗り換えると思います。あともう少し、時間がかかってしまうのかな。そうなると、ウィルコムどころか、既存の電話会社大丈夫なのかって、正直思いますけど。http://japanese.engadget.com/2008/02/25/emobile-new-handsets/>Felicaなど他社製携帯についている付加機能について尋ねられた千本CEO曰く「お財布携帯とかなんごちゃごちゃついていてグリコのおまけみたいな奴ね。あんなの作ってるから国際競争力がなくなる」「余計なおまけは要らない!」素晴らしいの一言。ぶっちゃけ、電子マネーなんて、使いませんし、国際規格でも作らない限り、支持を受けられるわけがありません。電子取引や電子トレーディングとは、わけが違います。お財布携帯があるからと言って、お財布を持たないで、お出かけする人は、まずいないですし、店舗ごとに違う電子マネーは、不便な事この上ない。それは、「ムダ」以外の何物でもないという事。そのくせ、青歯対応端末が、なんでこんなに少ないのかしらと、正直、既存の電話会社の怠慢ぶりには、呆れるばかり。僕らが高校生の頃、iモードが、非常に斬新なアイデアでしたが、反面、ボクらのようなモバイラーは、iモードが、「閉鎖的コミュニティ」である事を常に批判してきました。なるほど、iモードコンテンツは、充実してきたかもしれませんが、シティユースという観点で見れば、音楽を楽しめたり、ワープロできたり、メモを取れたり、PCに近いコア機能を充実させて欲しい、という欲求がありました。日本は、その点において、世界に大きく遅れをとったといえます。そして、やっとかつてのボクの夢だった「PDA携帯」が、使える時代になりました。もうだいぶ前、アメリカにいた時、同じような物を使っていたんですけど…随分遠回りしたもんだと思います。
2008.03.31
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今年も、新しいスタートの季節がやってまいりました。ボクも、来春あたり、転職しますので、エージェントから、情報収集している所です。(今、経理系のエージェントは、一杯求人があって、お得ですよ)ボクの場合は、保有資格は、理系、文系とも、結構あるので、年収700万程度の人並みの仕事は、結構ある模様。友人に啓蒙されて、公認会計士を目指そうかとも思いましたが、既に保有している税理士資格とダブる部分も多く、苦労対効果が割りに合わず、新しい知見を求めたいという欲求もあり、やめておく事にしました。ボク自身は、決してクリエイティブな才能溢れる人間ではありませんけど、クリエイティブな仕事をしている人と、常に交わりをもって、自分の刺激にしていきたいという欲求があります。M&A系は、ボクの性に合わないし、「GNP(義理、人情、プレゼント)」と揶揄される典型的な文系ホワイトカラーは、絶対に御免こうむる。しかし、正直なところ、転職組は、かなりの担保をつけてもらわないと、生え抜きに目の敵にされる可能性が高い。故に、企業主軸の営業部隊からは、独立性の高い部門で、尚且つ頭の固い文系だけしかいない組織NGと、条件を絞り込んでいくと、結構狭き門だったり。方向性としては、ボクの不案内な特許方面の方とタッグを組んで働ける所を希望。T芝の中途あたりが狙い目かな。それとは真逆の公務員もいいんですけどね。絶対、仕事しませんけど、こちらは、自分で人と交流して、資格を取得し、スキルアップしていくのに、適しているかも。「遅れず、休まず、仕事せず」は、キホンです(笑)要するに、典型的なぬるま湯組織か、競争性の非常に高い組織か、どちらか。ぶっちゃけ、ロイヤリティなんてありゃしません。企業が、ボクの才能に、正当な価額の報酬で報いてくれれば、それでいい。使い捨て、過労死、大いに結構。地位と年収と資格が、我々文系の全て…とは言いませんが、それらが最大の価値です。ところで、この時期になるといつも思うのですが、日本の異常なまでの新卒採用の企業慣行は、どうにかしなければいけないと思います。又、横並びの賞与慣習も、インセンティブボーナス制度が当たり前の欧米企業から見れば、考えられない。ボクは、氷河期世代の一番おしりの所で、就職難の時代でした。今は、あまり人気の無い警察官や、自衛隊の幹候にも、高学歴からかなり受験者が集まっていた時代です。自然、同期にも、資格試験や、希望する就職先に行けなかった等の理由で、今でもフリーターまがいの生活をしている者もおりますし、世間で言うところのブラック企業に泣く泣く就職した者もおります。学部の卒業から数年たち、もうこの段階で如何ともし難い格差が、我々の間に出来ていて、人間関係にも歪みが出ています。しかも、ダブルマスターなど、学位が重要視される反面、働きながら専門職の資格を取ろうと思っても、なかなか難しい時代になってしまいました。労働環境が、フレキシブルさを欠いたまま、求められる物は、欧米的になっている。経営者諸氏には、高学歴の彼らにチャンスを与えて欲しい。ボクは、学歴という物を資格の一種だと考えています。学歴社会という言葉は、非常にマイナスイメージでとられがちです。又、学歴だけで世間を渡っていくという事も出来ない。しかし、脳のスペックは、間違いなく学歴に比例する。もっとも、時代が下って、より選択肢の多い時代になれば、そうとも言い切れない時代がくるかもしれません。しかし、猫も杓子も大学に行く今の御時勢、大卒者の能力は、出身大学のレベルと、ほぼ正比例すると考えていい。ならば、「新卒」という変な採用基準は、捨てるべきです。これは、「年功序列」と「横並び福利」セットでこそ、機能するもの。今や、単純労働に近い名目ホワイトカラーが、それほど必要な時代であるとも思えません。むしろ、ボクのように、「働かない為」に、福利ズブズブの組織に入って、有給を取りまくった挙句、資格を取ってさようなら、なんてされたら、企業もたまったもんじゃないでしょう(笑)ボクは、研究職と、専門職へのリベートを厚くし、反対に営業部隊は、給与の大半を歩合給にしてもいいと思います。その代わり、成績優秀者には、インセンティブでしっかり労をねぎらう。こうすると、自然に出来ない人はやめていき、スペックの高い怠け者は、しっかりと働くようになる。有能な若者が、ただ単に、学生時代に怠けていたとか、悩み事があったとか、就職活動をうまく出来なかったとか、希望の職種にこだわりがあったとか、そういう単純な理由で、不幸にもドロップアウトして、単純労働にジャンク化してしまう事を、ボクはとてももったいないと思います。
2008.03.30
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母方の一番下の従弟が、今年、大学に入ります。剣道、棒術、馬術、フェンシングに水泳、ヨットと、こいつには、色々教えようとしましたが、何をやらせてもダメ。僕の従兄弟は、全部で23人いますが、親戚筋で、一番出来が悪いんじゃなかろうか(笑)勉強の方もからっきしで、何とかそこそこ名の通った学校へ入ったものの、いつもビリから数えたほうが早いような成績。学校に出席日数ギリギリしか出席せずにいても、私学にさっさと合格を決めてしまい、国立入試の日には、悪友とゲーセンで遊んでいた誰かさんとは、えらいちがい。よく、大学進学の選考時に、アシキリされなかったもんだと思いますけど。でも、こいつには、昔から、言葉では表現の出来ないのですが、余人には無い、「出世のオーラ」みたいな物があるんです。劉備ってこんなオーラがあったのだろうか?人徳でしょうか?いや、昔のボク以上に悪ガキなんですけどね。こいつの母親も優しく、和み系の人であり、長身外国人顔で、文武両道のボクの母とは、似ても似付かず、血を分けた姉妹とは思えないのですが、それ以上に、こいつには、何かしら統率の上で、無くてはならない、「引っ張っていく力」というより、むしろ、周囲の才ある人々が、もりたてていきたくなるような力が有ります。ボクは、自分でも結構、嫉妬深い方だと思いますし、同族であろうとも、否、同族であるが故に、容赦なく反目し合う、競争意識の強い人間でしたが、不思議と、こいつの恐るべき力には、嫉妬を感じないどころか、応援したくなります。人間の感情というのは、不たしかなものですね。(おまけ)腐女子臭がぷんぷんします。男の嫉妬って、こういうんじゃなかろう・・・と。まあ、色々と考えさせられる話ですが。BGMが「同期の桜」なのは、成立経緯となんかシンクロしていて(腐女子的意味で)面白いです。アニメンタリー決断 第10話 海軍落下傘部隊
2008.02.24
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今回の海難事故では、情報が錯綜しておりますが、レーダーでキャッチできなかったかもという、言い訳は、通らないでしょうし、事故の責任は、おそらく大方イージスの方に行くんでしょう。また、それでいいと思います。実際、たるんでいた事は事実なんだから、喧嘩両成敗、とはいかないでもいい。艦長さんは運が悪かったのだろうけれど、艦長さんの首ひとつで、事態を収拾することが出来るかどうか…石破先生の腕の見せ所かしらと思う、今日この頃。何にしろ、事故が起こった事よりも、その後の、連絡がなってないよ。これが、実戦を経験していない軍隊のなれの果てなのでしょうか。シャキッとしろよ、雑魚どもが。君達のようなボンクラ兵士の代わりは、いくらでもいるんだ!…なんて言えないし。上もモチベーション保つの大変だろうな、と思います。でも、車を運転していて思うのですが、大型ダンプが、ちっこい原付にビビッてフラフラ運転してたら、余計に危ないでしょう。ダンプに乗った事ないので、分かりませんけど、ちっこい原付がトロトロ周りを走っていたら、見えない事が多いので、メチャメチャ怖いだろうけど、そこは相手の良識にまかせるしかないのかな。ボクは、比較的視界の広い、小型で低重心のスポーツカーに乗っていますが、有名な「左後方の死角」には、時々ヒヤリとします。まあ、その分、たまにバイクに乗る時は、ドライバーの気持ちが良くわかって、進路設計をやり易いように、手信号を送ってあげる事が多くなりました。これが、大型ダンプだったら、もっと正確な判断が求められるだろうな、と想像できます。自動車事故なんてのは、殆どが大きなミスというよりは、殆ど回避不可能な状況で、お互いのちょっとした手違いから起こってしまう事が多いので、こちらから、分かり易く教えてあげる心がけが大事です。法律を守って走っている人の方が、絶対的に正しい、とは言えないのが、運転する人の「マナー」です。今回の場合ですと、個人的には、イージス側から見えたか、見えないかを議論する事も大事だけれども、車の場合より、両者の機動性、視界、規模に差のある、海の交通においては、それらにおいてより優れているほうが、回避する努力を怠ってはならないんじゃなかろうか、と思います。まさか東京湾で、今回のような事が起こるとは思えません。それは、船舶の数がとても多く、同クラスの船が、本件のように常に回避行動をとっていたら、逆にとても危ない為、運動性能に優れるほうがよけてあげる良識が働いているからでしょう。それに、商業船舶は、一度事故を起こしてしまうと、保険が一気に跳ね上がる仕組みになっています。だから、国際的に見てもSOLAS条約のような、比較的緩めの規範でも、大丈夫な面があるのです。今回の件、軽重はあるにせよ、お互いに非があるんじゃなかろうか。まあ、過失相殺で、とんとんの所で手打ちするのが、一番いいんじゃないかと思います。
2008.02.20
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言う奴がいるだろうな、と思ったら、やっぱり・・・東芝撤退、HD買った人は? 規格戦争で消費者置き去りまるで、資本主義って物をわかっちゃいない。ンナ事、気にしていたら、恐ろしくて新たな規格を発表する事が出来ないですよん、と。当たり前ですけど、二つの対立する媒体が互いに一長一短だから、抗争が活発化、周囲に飛び火し、それが資本主義戦争を促すのですから。資本主義とは、カネという実弾が飛び交う、戦争その物。債務不履行でもなければ、自己責任以外の何なのだと。消費者を純真無垢の子羊ちゃんとでも言いたげに、バカにするのも、程ほどにしろ。それに、目ん玉飛び出る程、高い買い物でもなかろうて。貧乏くじをひいてしまった人は、いい勉強をさせて貰ったと、天意に感謝するべきです。それにしても、東芝という企業、最近の機動戦を思わせる見切りの早さは、日本企業の中でも群を抜いている感があります。引き際を知る事は、攻め込むよりも難しいのに。得意分野への集中投資型へ、大胆に切り替えて行く経営姿勢は、とても素晴らしいと、個人的には思います。同じように思っている人が多いから、今日の株価も上がっているんでしょうか・・・ま、株は、プロのアナリストでも外すような水物ですから、門外漢が軽々に言うのも、どうかとは思いますが…(おまけ)ニコニコで見つけた腹筋ブレイク動画でも。驚異のシンクロ率ですよ(笑)特命野郎Aチームアヰドルマスタア「出征アヰドルを送る歌」何という神すぎるギャグのセンス(笑)
2008.02.18
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昨日、内輪の同窓会で、大学時代の友人に会ってきました。一人は今、会計士補として、大手監査法人にいるのですが、とても実務家らしくなり、会計(というより、経営)のお話は、とても興味深く、よく勉強しているなぁ、と思った次第。反面、弁護士になってイソ弁をやっている奴は、どうも学生時代のままのようで。これから、弁護士大量生産の時代に入り、競争が激化するというのに、何とも気楽なもんです(笑)ボクは、学生時代に税理士資格を取ったのですが、税務論ってのは、所詮、中小企業の社長さんの為の税金対策指南、という側面が強く(まあボクも一応、事業者なので、役に立つかなと思って、とりました)、結局、何か不完全燃焼感が、残っていました。時々やってくる、国税のオッサンには、きちんと反論できるようにはなりましたけど、結局、それ以上でも以下でもないんですよね、「業」として税理士をやらない人間にとっては。あいも変わらず、「地上物を潰す為に」不動産経営している実態は変わらず、何してんだか・・・ってかんじ。専門も公法系なので、あんまり役に立たないし。会計士の守備範囲の広さは、前から理解していたのですが、実務的な監査論をきちんと勉強した人とペーパー税理士止まりの人間とでは、やっぱり経営上の知識量の面でも、「格の違い」を感じざるを得なかった次第。なんか、転職を決めていたのに、ちょっと会計士にも興味がわいてきました。単純だな、ヲイ(笑)でも、もう20代も後半、将来の事は、よく考えて、転職しないと。ま、いずれにしても、良き友人に刺激を与えて貰えるのは、いい事です。
2008.02.11
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あちゃー、こりゃ、オバマ物凄く不利ですな。今の段階で、互角って事は、地力に勝るヒラリーの方が、かなり有利でしょう。票田をカッチリガードしたのは、オーソドックスなようでいて、かなりの大戦果。ボクは、日本人として、アメリカの方々にお願いしたい。どげんかして、ヒラリーだけは、封じてくだされ!!!はっきり言って、よその国の選挙、保守だろうがリベラルだろうが、そんなの関係ねえ!という感じ。(まあ、ロン・ポールみたいな、アメリカのリーダーとしては、不適切な人(笑)が、まかり間違って大統領なんかになったら、困りますけど(笑))特に、アメリカの場合は、保守内部、リベラル内部でも内ゲバが激しいですし、それは、経済、倫理、外交の3つのファクターで見た場合、ますます多様化して、共和党なのか民主党なのか、見分けがつかないこともよくありますし。オバマは、おそらくヒラリーより、リベラルなんでしょうけど、ヒラリーのようにチャイナロビー活動によるコネクションで、シナべったり、ということは、ない。それだけで、日本にとっちゃ、100倍マシということになります。さらに、オバマは、おそらく、それほど「良家のコネクション」を持っているとはいえない、インテリ候補ですので、オバマ自身が何かを強力に推し進められるタイプではなく、参謀次第な面が強い。おそらく、アメリカの財布握っているユダヤ人とは、相容れないでしょうし。そうなると、こっちが、お願いしなくても、自ら求心力を低下させてくれる事になるので、日本は、東アジアの名代としての地位を安堵させる事も、出来る。(それには、日本が潤沢な資金力を運用する能力が、どうしても必要ですけど。)ま、ボクがオバマに勝ってほしい、最大の理由は、もしかしたら、アンチ黒人票が、比較的バランス感のある、共和党のマケインに流れることを、ささやかに期待してたりするんですが(笑)アンチ女性より、アンチ黒人の方が、どう考えても多いですから。
2008.02.07
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当ブログは、大阪府知事橋下氏を応援しておりますが、橋下氏の、発言が、物議を醸しているようです。ボク個人としては、今回の住民投票は、アリだと思いますけれども、橋下氏の言いたい事も、概ね分かります。考え方が近いこともあるので、ちょっと、論理の筋をまとめてみましょう。・極めて限られた母集団に「意識調査」をした所で、はじめから結果は分かっている。そのような物は、国策遂行上の、障害以外の何物でもない。・その法的拘束力のない物を、針小棒大に喧伝し、プロパガンダを撒き散らす連中が、必ず出てくる。「住民自治」と言いながら、その実は、「国策の妨害」に目的があり、混乱を撒き散らすだけの住民投票など、百害あって一利なし。→下地島空港事件では、逆に、自称「住民」達が、どこからともなく、ワンサカ集まって、代表権と統治権を持つ、小さな町の自治体首長と議会の決定をひっくり返させるという、代表制を無視した行為が行われました。無論、住民投票とは、異なりますが、擬似のお祭り投票にせよ直接民主制は、こういうファナティックな側面は、否定出来ない。・結局、効果の面で言えば、首長が「反対」を表明するのと、何ら変わらず、敢えて「住民投票」に踏み切る意味は、議会を精神的に牽制して、箔をつけるだけの、情緒的なものにすぎない。一方、・憲法の予定する、代表制は、本来、自由委任の立場にある以上、その代表意思は、国家の代表意思であり、住民の代表意思ではない(日本の場合は、地元に利益誘導するクソ議員ばかりですが)。つまり、国の政策に対して、抗弁をしてはいけないのではなく、国の政策に反対するには、代表権をもつ人間が、しかるべき手続きに基づき、自分の責任において、主張すればいい、という事。ま、橋本氏の言い分は、こんな所かな、と想像してみました。要するに、「民意」なんぞという、危なっかしい物を、利用するのは、慎むべきだって事ですね。これは、要するに、政治センスの問題でしょう。民意は、事実上選挙の際の、バロメーターに過ぎない。これを手続的民主主義と言います。つまり、民主主義の根っこを「治者と被治者の自同性」に求めるような、古い憲法観ではなく、素直に民を「被治者」と認めてしまい、その上で手続だけに民主主義的手法を求める考え方からすれば、それ以外の部分について「民意」を徒に利用するのは、「民主」という言葉の濫用である、と考える事が出来ます。リーダーは、自分の良心に従い、自らの権限と責任において、仕事すればいいのであって、選挙民の意思を斟酌したり、選挙民の意思に拘束される必要はさらさらない、それが自由委任ってもの。ですから、率直に言って、住民が賛成していようが、いようまいが、職務を執行できる立場にある筈の人間が、都合のいい所でだけ「住民意思」を徒に利用するのは、姑息だと思われても仕方が無い、といったところでしょうか。心情的には、ボクもかなり近い物があります。民主党の「ガソリン値下げ隊」とか、正直、殺意を覚えますし(笑)一方、出来るか、出来ないかの問題で言えば、出来るのであって、議会と国の両面攻めにあっている首長さんからすれば、どうせ国に押し切られるにしても、タダじゃ死なないぞ、県民の為に玉砕してやる、ぐらいの覚悟があるかどうかは知りませんし、国にもっと金を積めと言いたいのかもしれない。その辺は、分かりませんが、兎に角、自分を大きく見せかけて、最大限の譲歩を得ようとしている事は、事実でしょう。その上で、住民投票は、政策的に、価値があるかもしれません。どちらにしても、極めて政治的な問題であり、法律論の問題じゃないですね、というのがボクの感想。で、最後に引用もとの記事で短くコメント寄せておられる先生方の意見に、寸評。>橋下氏の発言に対し、小林良彰・慶大教授(政治学)は「この種の住民投票には法的拘束力がない。住民の意思の確認・表明なのだから、それを憲法が制限することはあり得ない」と指摘。「防衛は国の専権事項だが、基地問題は地元住民にとって生活問題だから、意見を言う資格がある。それは憲法が認めた言論の自由だ」と述べこれは、少し誤解があると思います。本件において、橋本氏が、攻撃しているのは、リーダーとしての井原氏の行動にすぎない。法的拘束力に演繹されるか否かではありません。つまり、自身の責任において、反対の意思表明をすればいいだけであるにもかかわらず、始めから結果が分かっていることを敢えて利用し、自身の政治目標を達成しようという姿勢は、憲法の代表制概念に照らして、誉められた態度ではない、という、主観論を述べているにすぎません。ですから、>それを憲法が制限することはあり得ないとか、>「防衛は国の専権事項だが、基地問題は地元住民にとって生活問題だから、意見を言う資格がある。それは憲法が認めた言論の自由だ」とかいうのは、当たらない。それは、橋本氏も専門家なのですから、認めるところですし、それを批判しているわけでもない。批判のポイントがズレていると言われてもしょうがない。>小林節・慶大教授(憲法)は「橋下さんは憲法を紋切り型に解釈しているのではないか」と首をひねる。「地域の問題について住民の声を直接聞いて、その結果を地方自治体の意向として国に示して実現を図っていい、というのが憲法の考え方だ」と言う。まあ、恩師だからというわけじゃありませんが、至極オーソドックスかつ妥当な見解。>奥平康弘・東大名誉教授(憲法)は「法的拘束力のない住民投票の是非について、わざわざ憲法を引き合いに出すこと自体が論外」と突き放した。法的拘束力のない事について、憲法の「精神」を演繹する行為は、本当に「論外」なんでしょうか?これは、見解の相違かもしれませんけれども、そもそも憲法という物は、H・L・A・ハート流に言えば、「確認規範」であって、それは諸規範を秩序化する規範であります。だからこそ、憲法は、下位法規に対して演繹的拘束力を持つと言えるのです。だとすれば、その精神に照らして是非を語る事と、法的拘束力を斟酌する事は、別問題(精神の問題と技術論の問題)であろうと思う次第。
2008.02.04
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ボクは、こういう問題に関しては、アイデンティティの問題とは違い、比較的穏健な立場だと自認しております。ぶっちゃけ、適切な情報があり、適切な開示が行われている状況下ならば、てめえの口に入れる物ぐらい、てめえで判断できなくてどうする、という考え方です。ボク個人の場合ですと、基本的に烏龍茶の茶葉は、台湾産の物を業者からネット通販で買っていますし、野菜類に関しては、基本的に青汁で済ませております。そもそも、彼女もボクも家にいる時間は、極めて限られておりますので。まあ、加工食品なんて、究極の無駄遣いだという、ボクの感覚が彼女に浸透したのか、最近は、あまり物を増やさなくなってきました。賢い賢い。うちが、一般家庭よりも多く使うのは、醤油代わりに使っている、ポン酢だけかと思います(笑)別にビンボーさんを楽しんでいるわけではありませんが、食欲に任せて食えば、その分、経済的にも健康的にも負荷が増えるのは、常識。人生かけて、美味しい物を食べたいってんなら、それでもいいでしょう。ボクは、かなりの酒飲みですが、酒神ディオニュソスに殺されるなら、本望です。でも、たかがラーメンや加工食品如きに、殺されるいわれはありません(笑)また、話がそれました。このように、ボクは、日本の消費者意識に期待する考え方ですけれども、これだけシナの野菜が危ないという話が出ていても、いまだにスーパーに行けば、市民権を得ている状況を見るに、値段につられて買っている人間がいるんでしょう。でも、そんなのは、その人個人の問題であって、一応の検査基準をパスして、市場に出回っている段階で、判断は、消費者の自己責任になるべきであると思います。政府の市民経済への介入こそ、警戒すべきです。けれども、今回のケースが問題になるのは、「著しく即効的因果関係」と「加工品」という二点であろうと思います。毒物の体内蓄積という物は、大昔から言われており、おそらく現代社会において、毒物の体内蓄積をゼロにするのは、不可能なのですけれども、今回は、あまりに早く症状が発生してしまった上に、加工品という、言わば製品の外観を信頼した者に対して、企業側が、十分に注意義務を果たしていたのか、実に疑問に思われます。この点、JTの対応は、遅きに失したのではないか、という事も言われておりますけれども、ボクは、そうは思いません。少なくとも個別的ケース、もしくは、国内の刑事事件であるとの推測が働いていた状況において、全品を回収したり、販売元企業がその情報を開示ししたりする程度まで、責任が求められるとすれば、企業活動を著しく害する事になります。もし、左様な責任が、要求されるならば、逆に、それを利用する輩が出てくる可能性があり、もし、そういう事態に立ち至った場合の企業損失は、甚大な物になる事は、創造に難くないと思われるからであります。それにしても、あちらさんだけでなく、日本の世論の中にも「反応しすぎ」という見解が見られるのは、実に奇異に思われます。それは、どう考えても、容疑者がシナがらみの可能性があるからだろうと。昨年の一連の偽装問題の時に、「騒ぎすぎ」だと言っていた人間がいたでしょうか?事実、法益の重大な侵害が発生していなくても、外観の信頼を毀損したというだけで、批判がなされたのでは、なかったでしょうか?ボクは、それを敢えて批判しようとは思いませんが、批判者の論理は、理解できているつもりです。実際のところ、「消費者が過剰な「安全」を求め、それが事業者を追い込んでいる側面も否定できない」と思っております。しかし、それを抗弁として使ってはならない、というのが、コモンセンスというもの。本件では、現実的に重大な法益侵害が発生し、凶器たる原因物質が、日本で一般に流通していない物であるという事が判明しているならば、流通過程、生産過程における混入であろうという、推測とは別に、おそらくシナの中の人達が関係しているであろうという推測は、極めて簡単に成立する推測です。であるとするなら、一応、政府が動くのもやむを得ませんし、企業が「不熱心」と思われないために、回収に走り回るのは、当然の事でしょう。本件は、誰がやったにせよ、偽装問題よりもはるかに悪質かつ危険性が高い物です。「騒ぎすぎ」という神経は、ボクのコモンセンスに照らして、理解不可能ですけれども、その主張は、尊重します。ただ、それを主張する人は、偽装問題についても、同様の見解を採っていなければ、筋が通りません。故に、筋が通らない事を平気でやっている人は、相手がシナだからというバイアスがかかっているにすぎないと思われます。
2008.02.03
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最近、心に潤いが足りないなぁ…とか、思ったので、久しぶりに恋愛小説でも読んでみる事にしました。オースティンの「Pride and prejudice」(邦訳では「自負と偏見」「高慢と偏見」など、数種類の訳があります)。ところが、一時間もすると、ツマンネ…(笑)サマセット・モームや夏目漱石も評価しておる作品なのですが、どうも恋愛小説っての自体に馴染めない。文学者を除いて、恋愛小説ってのは、どうして男には理解されないのでしょう。この問いは、そっくりそのまま、何故、女性(の一部)は、恋愛小説が好きなのか、という疑問と同義なのですが、一つ回答があるとするなら、女性は人からの愛を心から渇望する傾向が強いからかもしれません。「恋愛小説」というのは、恋愛をテーマにしているわけですから、事件はあっても、決定的な悲劇にはならない、何か、男から見ると、淡々としていて、つまらない。男が、しがらみや雑念から解放され、愛の全てを女性に向けてくれるかどうか、その過程を見るのは、女性にとってはこの上なく楽しいのかもしれないが、リアルにそんな男がいたとすれば、ストーカー的傾向のある男だけでしょう(笑)少なくとも、ボクは彼女にフィフティフィフティを求めますので、甘えられたり、干渉されたりするのは、大嫌い。サラ・ブライトマンではありませんが、男にとっちゃ、「It’s a question of honour!(この動画好き(笑))」なんですよ。サビの歌詞は、圧巻ですね。If you win or you lose, its a question of honourAnd the way that you choose, its a question of honourIf you win or you lose, its a question of honourAnd the way that you choose, its a question of honourI cant tell whats wrong or rightIf black is white or day is nightI know when two men collideIts a question of honour男は、よく言えば自己を客観視するのがうまく、悪く言えば、自分本位である。自分本位と、自己利益が、パラレルではない所が、実に厄介。名誉が実存を凌駕してしまう事が、よくあります。名誉に殉ずれば、実存が抹消されるのだから、本末転倒ではないか、という問い、要するに「死んじまったら、元も子もねぇよ(笑)」という意見は、大昔からあるんですけど、「名誉なき実存が、人間の存在証明と言えるのか」という反論もまた一理あり。この「Pride and prejudice」の主人公ダーシーもそんな男の一人。エリザベスの愛を失いかけても、自分は愛し、その頑なまでの高慢さを墨守する馬鹿さ加減は、何とも美しい。最後に、ベスが振り向いてくれたから良かった物の、おそらくベスが気付かなくても、ダーシーは、そのキザな態度を崩さなかったと、ボクは信じます。まるで、学生時代のボクのよう(笑)だから、結局男と女の妥協点になるのが、「悲劇」になるのかもしれません。「悲劇」に「恋愛」がお約束のように付いているのは、その為です。誰からも忘れられた人が、一人寂しく野垂れ死にするのが、ボクには最も不幸な事だと思うのですが、そういうのは、「悲劇」では、ありません。オイディプスの昔から、悲劇には、必ず、主人公が、実は愛されているという担保が、作中にあります。愛されてるからこそ「悲しい」のであり、人の不幸に涙する時、女はその純粋な愛に涙し、男は信念に殉ずる者を称える。シェークスピアが多くの人から支持されのは、そのすべての作品にこの両面性が潜んでいるからに他なりません。
2008.01.31
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ボクは、自他共に認める、アンチディズニーです。あの、なんとも言えない楽天的展開が、ガキの頃から我慢ならない。単純にジョークの軽妙さというか、コント的要素を重視するなら、トム&ジェリー(特に最初期の奴)の方が100倍パンチが効いてるし…まあ、いい年した大人の男が、ゴジラに結構魅入ってしまうのを女性が理解出来ないのと同じぐらい、多くの女性がディズニーにのめり込む心境が、男であるボクには、理解できません。ボクの彼女も例外ではなく、プーさんやらミッキーマウスやら、何やらかんやらぬいぐるみが一杯…いい加減、整理しろと。毎回毎回、TDLで何時間も並ばせんなと。待つという行為が、ボクの神経にとってどれだけ悪影響を及ぼすか、理解しているのかね、全く(怒)と、いつも言ってるのですが、聞く耳持たず…ま、娯楽的な楽しさなんて物は、感性の問題ですから、第一印象で、面白いと思えない物を、話題になっているからと言って、ムリに理解しようとすれば、ますます面白くなくなる物。ですから、第三者に対しても、「面白くない」と思っている人に、「面白い」と思ってもらおうと、作品の良さを力説する奴は、はっきり言って、ウザいだけ。これが、シラノ・ド・ベルジュラックやらハムレットやらなら、酒を交えながらマニアックな奴が語るのを聞くと、知的好奇心を掻き立てられる物もありもしましょうが(ちなみに、ボクの語りネタは、コルネイユの「ル・シド」)、娯楽作品ってのは、安い酒のような物で、まあまあ、値段の割にはいい感じに酔えるか、不味いかどっちか。要するに、作品に自己投影、感情移入できればよし、出来なければダメ。そういう意味では、ボクにとって、ディズニーは、本当に不味い酒でした。ま、散々けなしといてなんなのですが、先週、彼女がプレーヤーに入れっぱなしにしていた「リロ&スティッチ」を不覚にも見てしまったところが…結構酔っ払った(笑)というか、あのドンキで売ってるキャラクターグッズの青い生物、スティッチって言うんだ…とか、そのレベルだったんですけどね。筋は、どう見てもス○ーウォーズから着想を得ているとしか思えませんし、話のまとめ方は、あいもかわらず、ディズニーっぽい展開なんですが、内容が他の物に比べて、シリアスな物を含んでいるというか…これまでのディズニー感が少し変わりました。話的には、ダンボやみにくいアヒル系ですね。ネットで調べてみると、興行やグッズ販売的には、大成功しているものの、従来のディズニーファンからは、賛否両論の模様。(彼女も「イマイチ」らしいです)要するに、旧来のディズニーファン層以外から、支持を取り込んでいるんでしょう。スティッチ自体についても、「ディズニーキャラとして認められない」という人もいれば、「究極の萌えキャラ」と位置づける人もいるみたいで、評価はマチマチ。いずれにせよ、ディズニーの中では、かなり異色キャラとして位置づけられているようです。で、今日、ツ○ヤで、「2」を借りました…おいおい、ますます話がシリアスになっているじゃないか…二重人格がキーワードなんですけど、鬱病の人間としては、ふむふむという感じ。小さい体で、一人で悩むスティッチが痛ましい。まあ、ボクは、根がグチャグチャにヒネクレた人間ですので、片っ方で感動しながら、片っ方でハッピーエンドマダー?という心が無きにしもあらずだったんですけど、かなり最後の方まで、「めちゃんこシリアス」を引っ張るのは、昔の童話並み。やってくれるじゃありませんか。「2」は、特にディズニーつまんね、という人にもお勧めできると思いますよ。
2008.01.20
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震災から13年ですか…早いもんですな。あれからというもの、神戸、芦屋はとんとん、大阪、尼崎はガタガタ、案外人口バブルで元気なのが西宮だったりする阪神間。大阪圏は、バッタもん商売の所が多く、神戸は、そうでもなかったりするんですけど、やはり、武庫川を超えたら、文化圏というか、空気が違うかなと思います。昔は、西宮ってのは、典型的なベッドタウンだったのですが、震災から「焼け太り」して、最近は、いい感じに神戸文化圏に吸収されているかんじですね。まあ、当時阪神間に住んでいた人間には、なかなか苦い思い出なのですが、うちも断水しまして、往生しました。電気設備は、自家発電機があるので、何とかなったんですけど、水だけはどうしようもなくて…ほんのガキンチョでしたけど、えっちらおっちら水運びしたのを覚えております。閑話休題。阪神大震災と言えば、思い出されるのが、当時の村山総理の「なにぶんにも、初めての事ですので」この短い答弁ほど日本的な、あまりにも日本的な(無論、悪い意味で)答弁は、無いんじゃないでしょうかね。911の後、ブッシュがこれを言っていたら、死刑モノでしょう(笑)ま、村山閣下、正直と言えば正直なんでしょう。初めての事だから、想定外でした、想定外なので、権限行使を躊躇しました、あるいは、責任を負う事をためらいました、と。何と「平和的」な感覚でしょう。あまりにも小市民的。先頭きって、被災地に助太刀でござると、駆けつけるのもどうかとは思いますが、こんなクソみたいな言い訳しか出来ないなら、そういう無謀な行動を取る方が、遥かに良い。最悪、二次災害に巻き込まれて死んだとしても、無謀で愚昧な指導者が、死して英雄になり、国民は団結できる。それは、政治家として、最高の仕事が出来た事に他なりません。ま、地震を「想定外」と考える事自体がどうなのかと思いますけれども、想定外の状況において、行動しなかった事は、当然、国民から非難されるでしょう。でも、為政者なら、黙殺して見殺しにする事も時としてはやらねばならない(無論、このケースはそれに該当しませんが)。為政者は、それに対し、合理的なエクスキューズを用意し、その裏づけを補強しておかなければなりません。これら全ての責任を怠ったという点において、あの答弁は、日本の無能ぶりを世界に発信したと言っても過言ではないと思います。初めて、あるいは想定外なら、より積極的に行動して、状況分析に努めろと言われるのは、当たり前。地震でも「なにぶん、初めての事ですので」が言えてしまう国なんですから、戦争だったとしても、この国の為政者は、同じ文句をたれるのでしょう。ここ半世紀、「初めての戦い」で、核爆弾でも落とされないと分からないのでしょうかね。敗戦の弁で「なにぶんにも、初めての事ですので」とだけは、言わないでくれよ。
2008.01.17
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昨年、受けに行ったまま、ほったらかしにしていた健康診断の結果をとりにいってまいりました。低コレステロール血症、貧血、低血圧何じゃ、こりゃ…低血圧は、昔からそうでしたけど、今回の結果は、ちょっと驚き。そりゃ、献血でちょっと採血しただけで、フラッとくるはずだわ…ネットで、ちょいと調べてみると、低コレステロール血症とは、今の鬱病とも関係があるとかないとか…中性脂肪が標準だから、あまりよろしくない感じなんでしょうかね。医者に、牛乳を飲めとか言われました。確かに、乳製品、ここ数年とって無いかんじ。というか、ここ一年ぐらい、動物性の食材をほとんど食ってないもんね。だって、おかずのバリュエーション増やしてもらうぐらいなら、焼酎のいいのを買ってこいと。(最近、黒糖にはまってます)一汁三菜も考え物ですね。冗談抜きで、この飽食の御時勢に、栄養失調で死ぬとか、カッコ悪すぎますから、明日から毎朝牛乳を飲もう!いつまで続く事やら(笑)
2008.01.15
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今日の報道2001で、大阪府知事選三候補が集結しとりましたが…あの映像を見る限り、どう見ても橋下候補圧勝だろ…と。まあ、大阪という土地柄を勘案しても、大番狂わせが無い限り、橋下候補は、当選するでしょう、と予想しておきます。オッズは、どうなる事やら(笑)大阪は、左翼が強い、というイメージが強いんですけど、率直な物言いが出来る風土が東京よりも強いです。特に「ムーブ!」や「そこまで言って委員会」等は、関西ならではの、かなり危険度の高い?右よりの番組。これらの番組にレギュラー出演している「橋下・勝谷・宮崎」の今をときめく若手三羽烏は、関西系のメディアで鍛えられた人達ですから、論戦で彼らを倒すのは、どだいムリな事。民主党候補、「大規模開発します…」って…それは、やるとしても、言っちゃダメだろうと。共産党候補「弱者支援」…はい、却下。財政が苦しいのに、ばら撒きしてどうする。ちゃっかり、「同和利権をぶっ潰します」ってあたりが、左翼の中の人達の内ゲバが、目に見えるようですけど、見るべき政策は、それぐらいかな、と。先の参議院選挙でも、共産党は、9条ネットを攻撃してましたけど、本当に進歩ない奴らだなと思いますね。そんな事じゃ、何万年たっても「前衛政党」なんぞには、なれんぞ、と言っておきます。で、結局消去法で、自民候補、となるのが、選挙のいつものパターンなんですけど、今回は、そうでもない。橋下さんは、「リサーチ」と「家計経済」ですか。よう言った。行政は、リサーチ&チェックに権限を集中させるべきなんです。「グランドデザイン」の話が出た時、橋下候補一人が、「官僚主導でそんな大風呂敷広げても意味無いよ!」と反論した所で、こいつは出来るな…と、思いましたね。敢えて「視野の広さ」を捨てる事で「庶民の味方」なイメージを強くアピールする、逆説効果アリです。こういう柔軟な切り返しが、他の候補に見られなかった時点で、イメージ論では、橋下候補独走状態だと思いますね。橋下候補は、ボクとかなり考え方が近いこともあって、選挙権持ってたら、確実に応援に行きますね。知名度もさる事ながら、橋下候補の、三羽烏の中でも、あの口八丁手八丁の才能は、天才的な物があり、とても、頭の柔らかい人だなと、感心します。テレビ見ている分には、田嶋、三宅の頭ガチガチ同士のコントも、楽しいんですけどネ(笑)個人的には、橋下さんのようなラガーマン精神と、軟派さと、柔軟な脳ミソを併せ持った人間は、掛け値なしに好きです。得な人だよな、ホント…
2008.01.13
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ダメだ、こいつ。いい年したオバサンが、自分で「姫」とかアピールするのは、政治家以前に感性を疑います。どんな育てられ方したのか…まあ、別に誰が誰と不倫しようと知ったこっちゃありませんし、趣向も人の自由。けど、女性の支持者は、そういうのには、ウルサイんじゃなかろうか…下世話なようですけど、徹底的に釈明するか、忘れてもらえるようにしっかり仕事に励むか、どっちかにしなさいよ、全く。まあ、釈明しようったって、相手が捨て身の特攻してきたんだから、ボロを出しかねませんけど(笑)36計逃ぐるにしかずって言葉知らんのか。佐藤ゆかり先生の爪の垢でも煎じて飲め…と。恋多き女が通用するのは、芸能界と水商売だけですよ。さて、次の話題。今日、週刊新潮読んでたら、「格差といってもアフリカに比べればまし」という言葉を久しぶりに目にしました。この言葉、反対派からは「下には下がいるぞ」という解釈されかねないのが、実に残念。アフリカの現状は、単なる格差社会の「拡大図」に過ぎない、つまり、資本主義という制度が存在する限り、「格差」は存在しなくてはならないし、逆に言えば「生存権」に対する渇望こそが、資本主義の原動力に他ならないという事です。よって、「アフリカ人みたいに餓死したくなければ、死ぬ気で働け」というのが、その主張の本義でしょう。ぶっちゃけた話、ネットカフェ難民みたいな人種、努力の欠如以外に、どう説明しろと。現在の世界は、グローバリゼーションにより、マネーが実体を凌駕している状況があります。言わば担保無きマネーが国の間を飛び交う時代。ボクは、これを非常に危険な兆候であると思いますが、これは、資本主義という制度その物が内在的に持つ危険性と同じです。つまり、人的、物的資本を未来に投資する事で大局的に見れば、セイの法則どおりに、右肩上がりの人的、物的利益を得る(はずだ)という楽観的な仕組みが、あるポイントにおいて、「人の余剰」「物の余剰」というビッグバンを生んでしまう。そして、この現状は、「再配分すれば、解決」という単純構造でもないって事がジレンマを生みます。それは、「みんなで手を繋いで、赤信号渡りましょう」と言っているに等しい。元々、養える人間を遥かにオーバーしたインフレ状態で、人もモノも増やして賄っていた構造が、ある日突然、非常に限られたモノを奪い合う仕組みに変わってしまっただけの事です。ですから、昔をノスタルジックに語る事はナンセンスなのであり、産業構造も雇用状況も変化している現代において、「救貧」は、百害あって一利なし。サッチャーのように、「金持ちを貧乏人にしても、貧乏人は金持ちにならない」と、日本人が本当のことを言わないのは、欺瞞的としか思えません。まあ、池田勇人先生が閣僚やってた時分から、不況になるたんびに野党は「中小企業」を引き合いに出して、攻撃してましたから、40年間進歩が無いと言っているに等しいと思うんですけどね(笑)最近、現代のあらゆる社会問題の究極的解決は、人間の天敵が現れる事しか有り得ないのは、残酷なようですけど、真理なのかな、と悲観的になりつつあります。
2008.01.13
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松下が、全てのブランド名を「パナソニック」に統一するそうで。実は、オヤジが元松下のエンジニアでして、なんかちょっと微妙な気分なんですよ…「パナソニック」ブランドが一般的になってからも、オヤジは、「松下だ」と、子供を叱り付ける程の、松下への入れ込みようでした。同僚の方も同様に、愛社精神が高かったですね。それぐらい、松下電器ってのは、愛社精神の強い労働者が多く、人材育成もしっかりした企業です。トランジスタ世代であるオヤジは、大学紛争に巻き込まれ、博士課程と研究者への道を諦め、大学を去っていきました。オヤジは、研究室を壊されて大学を去り、オヤジの後輩(法学部)は、教授の家に集まって勉強をし、今は高裁判事…学生運動の陰には、それに参加しなかった若者達にも、少なからぬ影響があったのです。で、今とは違って、終身雇用が当たり前の時代ですから、「乗り遅れ」のオヤジを拾ってくれた松下電器に、オヤジは随分と恩義を感じていたのでしょう、「最後の御奉公」の日まで、一エンジニアとして、懸命に働いていました。口数が少なく、出世とは無縁の人間でしたし、マネジメントに関しては決して得意とは言えない人なのですが、ジェネラリストとしては、最高の人材じゃなかったかと思います。「最後まで一線で仕事できるのは、いいぞ」とオヤジは、いつも言っていました。出世しない親父に、ボクは、子供の時分から反抗する事が多かったのですが、今なら何となく分かるような気がします。マスコミの母親と、技術屋のオヤジ…何でうちの親は、こうも違うのか(笑)そんな社を愛する社員で構成されていた「松下」も「ナショナル」から、全部「パナソニック」になるわけですか。昭和も遠くなりにけり…世代交代とでも、言うべきでしょうかね。
2008.01.11
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年末から正月にかけて、ダウンしておりました。何の病気か今ひとつ分からなかったのですが、何とか復活。三賀日も帰省できないとは…一昨年も大病を患いましたし、徐々に体力が弱っているのかもしれません。まあ、親よりは長生きしてやらないといけませんけど、生き死にばかりは、天意次第ですから、どうにもなりません。正月ネタというか何というか…今年のボクは、厄年。あまりいい一年にはならないようです。星の巡りも悪いですね。昔、九星占術や五行やらを研究したことがあります。というのも、生まれた時に見て貰った九曜占が、悉く当たっていて、10歳ぐらいの時、科学的実証を超えた世界に因果律が存在するに違いないと考えるに至ったわけであります。それから15歳ぐらいまで、何かと色々独学で勉強したものの、麻疹みたいなもんで、その後は、すっかり忘れ去っていましたが、母親が今年、暗剣殺の正中に入っておるので(年がバレますが)、ちょい心配になり、またまた易学の本を引っ張り出してきておる次第。赤ん坊の頃の判断によると、ボクは、才知に富む反面、移り気で、金遣いが荒い…らしい(笑)審美眼や芸術的センスに優れる。仕事や住居は安定せず。良い上司を得る事で、仕事に能力を発揮する。闘争心が強い為、勤勉な努力家であり、強い個性を持つ野心家でもある反面、嫉妬深く、人から顰蹙を買うこと多し。クリーンヒットです(笑)健康は、宜しからず。特に、手足、呼吸器系に注。40前後に災いの兆し…と。要するに、短命なんですね。ふむふむ。大厄あたりで死ぬのかも。女性なら、案外、魅力的な人かもしれません。わがまま美人薄命…なんちて(笑)まあ、正月早々、不吉な話ですが、今年は用心と堪忍の一年になりそうです。
2008.01.06
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「痛いニュース」で、面白い記事を発見。「フランダースの犬」ですね。ボクも欧州にいた頃、同じような議論をした事があります。実は、「フランダースの犬」は、悲劇でも何でもなくって、最後に少年が、アントワープ大聖堂で、愛するルーベンスの絵画を見ながら、神に救済される(死ぬ)、というどちらかというとハッピーエンドに近い話なのですが、日本人は、「かわいそうに」と見てしまう。実際、あまり信仰心があるとは言えない人の多いアメリカで映画化された時は、(宗教的価値観抜きの)ハッピーエンドに改変されています。で、欧州の人間がこれを単純に「負け犬の死」と見ているという合理的解釈は、少しズレていると思います。上述のように、散々、社会から阻害された貧乏人の少年が、最後に大願成就して救済される、つまり、負け犬の死には違いないけれども、そこに「救済」があったという、実に宗教的価値観を巡る重要な要素が隠れていて、これを見逃して「負け犬の死」だけを切り取って紹介するのは宜しくない。一方、日本人の「滅びの美学」というのもまた、大いにズレている。滅びの美学もしくは、散華の美学とは、様式美と、生に固執せず、死地に赴く「あっさりとした(あさり、とも)」諦観の美という2つの要素を備えている必要があります。それを支える精神性とは、常に「誰かに見られている(から、美しくあらねばならぬ)」というナルシシズム的心持であり、正しい事よりも美しさを愛するからこそ、このような価値観が出てくる。それが「輪=和」の思想であり、ギリシャの「黄金比」の「正」の思想と、実に対称的ではないかと考えます。そこへ来ると、野垂れ死にした少年を可愛そうと思うのは、憐れみの情にすぎず、それは、見方によっては相手を見下しているともとれるわけで、「滅びの美」とは、逆の思想であるとも言えるわけです。ま、非常に勉強する事の多い作品ですね。
2007.12.27
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PACについての前回のエントリに関して、例のお方からコメント頂いたのですが、一応反論しときます。もっと専門的な視点からの指摘が欲しいと思うんですけど、詳しい方は、どうぞよろしく。>自分が「最良の場合」しか想定していなかったことが論点なのに、それを徴兵制の是非にすり替えちゃってまあ。何処が「最良」の場合なんでしょう。1.基本的に「徴兵制」をとるメリットは無い2.ボク個人としては、有り得ないと思う。(最良の場合)3.人材難になるぐらいなら(最悪の場合)原則に従って徴兵制でも問題はないが、4.その他にも、リストラと火力増強をセットで行う、一部アウトソーシングという方法もあるよ(次善策)ま、付け加えておくなら、海外派兵ごときで人材難になる軍隊ならば、はじめから本土防衛時の戦力にはならないでしょう。せいぜい、逃げ出して敵の的になって、注意を引くぐらいの効果しか見込めない。ボクは、自衛隊がそうだとは思っていないが、もし事実が左様であるならば、徴兵の兵士でも大差ないと思ってます。>徴兵制に反対する人の中には、徴兵制は有能だと考えている人が居るということを認めた段階で、この人の「最悪の場合」論は破綻しているんですけどね。いるじゃないですか、あなたのような方が(笑)「徴兵制になる」という最悪の場合しか想定していないんでしょ。>必要性があり、有能であったって、それにネガティブな副作用があれば不都合はあります。要はそのメリット/デメリットの比較の問題ボクは、それを「正反対の主張」だといっているんですよ。「副作用」があっても「必要性がある」という事は、究極的には、メリット以外の何ものでもない。つまり、「平和憲法」を後生大事にしたいあなた方が、その憲法の規定に無い「徴兵制」にメリットありというのが、実に欺瞞的だと。どうせなら、憲法抱いて死にますという方々のほうが、殉教者らしくて潔い(笑)ホンネは「戦争に巻き込まれる」事しか、考えていないから、全ての「政治的メリット」及び、「現実的運用上の制約」を捨象して考えているにすぎません。あなたは、徴兵制に至るであろう、もしくはその危険性があるという実証的なデータを一切出さないばかりか、現実的運用上の制約にも無頓着であり、ボクの次善策のように、他の手段を講ずるわけでもなく、ただただ、徴兵制徴兵制と言っているにすぎない。これをプロパガンダと言わずして、何と言いましょう。本気で徴兵制になると思い、またその事を本気で心配するなら、他の方策を考えて何とか避けようとするのが筋。その努力の痕跡が全く見られないのは、徴兵制なんてぶっちゃけどうでも良く、徴兵制をスケープゴートにしているだけにしか、思えません。>日本が何故あの時期に開戦に踏み切ったかと言えば、これ以上開戦が遅れれば、日米の戦力差が「あれ以上悪い事態になると想定」していたからですよ。今ならまだ対米7割の戦力を持っているから1年くらいは戦える。今ならアメリカを叩いて譲歩を引き出せる。そう考えての開戦だったのでしょ。それは存じていますけどね。>日本が見ていたアメリカの戦力とは、日本がアメリカに対して仕掛けた場合のアメリカの「防御力」。時期が遅れれば相手の防御力が増す、だから早く仕掛ける。これは間違い。何故なら、機動部隊は、防御力でも何でもなく、攻撃戦力、今でいう弾道ミサイルみたいなもんじゃないですか。単なるパワーバランスの問題にすぎません。交戦すれば「攻撃力」以外の何者でもない。それを無力化しようと考えただけの事。>防衛兵器を敢えて配備しないことで相互に抑止する、裏を返せば防衛兵器の配備は核戦争の抑止という点ではネガティブに評価されていたということ。私はその事実を指摘したんですけどね。違いますね。1.既に「核迎撃ミサイルの存在」という前提があり、2.これを運用するのにコストがかかり、3.戦術的にそれを補うだけの兵力が存在する(費用対効果の問題)が故に、ABMという「取引」をしても問題なしと判断したにすぎません。ABMの文言上の精神からすれば、SDI構想なんて、不誠実な事でしょうけど、実質、アメリカはやっていた。要するに、相手が核ミサイルを多く保有するのを制限したいが、相手さえ持たなければ、隙あらばこっちが絶対的優位に立てるように、新たな迎撃方法を開発するし、条約逃れの方法で、相手よりも軍事的優位に立ってやりましょうってのが、ホンネ。つまり、1.から3.の前提が無い以上、MD配備を同列に論じる事は、全く見当はずれであるという事。次に、これと関係して>パーシング2はSS-20同様の中距離核ミサイル。即ち、攻撃用ミサイルには攻撃用ミサイルで対抗する。それが冷戦時代に実際に採られていた態度無論、理解しています。誰も迎撃ミサイルだなどとはいっていません。「態度」と書いています。つまり、空白地帯に脅威が迫れば、それと同じ土台を作った上で、交渉するのが、普通のやり方であり、ABMもその延長である、従ってその前提を欠いている現段階のMDは、同一視するに値しないという事。脅威には、こちらも脅威を与えて、その上で交渉しましょうというから、取引効果がある。「お前は、次に槍を持つ筈だから、盾を捨てろ」等という事を「槍を持った人間」が強く言えば、「お前が言うな」と一笑に付されるだけの事ですし、「お前は、盾しか持っていない人間を突き殺そうとしているのか」と変な勘繰りを入れられる。 >相手がMDを持とうが持つまいが、撃ってしまったら最後、「交戦国」扱いになることには全く変わりはないんですけど。>要は相手が交戦国となる覚悟があるかどうか。一旦そのハラを固めたら、たとえ相手がMDを持とうが、ミサイルを撃たないメリットなどどこにもありません。戦争って物が全く分かってないんじゃないんですか?無防備な敵戦力に打撃を与えられる可能性があるからこそ先に「宣戦」する意味がある。先に打撃戦力で出鼻を挫く事で、敵兵力に打撃を与え、あるいは混乱を起こす事で戦意を喪失させ、一気に制圧戦力で「制圧」してこそ、「先制攻撃」する意味があります。無論、包囲してから要求を言い、聞かなければ宣戦という方式もありますけど、それは米軍及び自衛隊に反撃や応戦準備の機会を与えてしまう事になりますから、やらない。>損得勘定のどこが「理性」じゃないって言うんです? この人は理性を持たずに勘定が出来るとでも言うのでしょうか?出来ますね。パブロフの犬のように、理性なんてなくても、認識さえあれば、損得勘定は出来ます。死を忌避する動物的本能なんて、まさしく「損得勘定」。「規範」に直面し、その規範に照らして弁証的に考える能力があってはじめて理性、つまり理性には、常にアレテー(卓越性)が付きまとう。ボクが言っている「妥当性」とは、そういう意味。無論、方法論として理性を持つからこそ、複合的な「損得勘定」が出来るんですけど、それは単なる方法論上の話であって、動機形成の過程とは別物。例え100%成功するのが分かっていて、捕まらない事が予見できても、「やらない」という動機を形成するのが「理性」です。>一方に、勝手に「恐怖」なんて言葉を付けたりして、印象操作しようって魂胆がミエミエですね。はじめからそのように主張しているにも関わらず、曲解したあなたの間違いに過ぎません。>つまり、泥棒に入られるか否かは専らそのようなことを考える者の「恐怖」という感情に依存するということであり、それを感じない者に対しては何をやってもムダってことになる。相手次第ですけど、何か問題でも?「それを感じない者」が発生する確率が低下するなら、その方法を採るべきだと主張しているまで
2007.12.26
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PAC-3は、無用の長物…なんでしょうか?ボクは、PACの実際の能力については、訓練で実射もされていないほど高価な物なので、正直、分かりません。だから、その能力を疑問視するのは、当然の感覚だと思います。しかし、最低限、カタログスペックや構想自体は、勉強してから議論すべきだと思います。特にPAC否定派の99%が「反戦」な人達なのは、結論ありきが目に見えているように思います。今日は、そういう人々の論に反論すべく書いてみたいと思います。まあ、軍事に関しては、本を時々読む程度ですので、誤解もあろうかとは思いますが…(1)そもそも、「撃たれた時」を前提に考えるのは、如何なものか。これは、あちらサイドの人達の特徴なのですが、「悪いシナリオ」を説明する為に、「最悪の場合」しか想定しない事により、本来の主張とは、全く逆のパターンの主張をしてしまう傾向があるようです。例えば、「徴兵制があり得る」という事を証明する為に、「徴兵制なんて、コストパフォーマンス悪いよ」という主張に対し、「いやいや、かくかくしかじかで、徴兵制は現代でも使える」という「徴兵制は有能だ」論に転じてしまうかんじで。率直な所、徴兵制にしなければいけないほどの人材不足ならば、国民が自分の国を守るという原則から、徴兵制になったとて、何も不都合はなく、そうでなければ、徴兵制にするメリットがない。これが、普通の考え方というものでしょう。PACの場合ですと、最大射程20km程度でどうやって守るんだとか、湾岸戦争でPAC2は、たいした戦果を挙げられなかったじゃないかとか。→じゃあ、戦術核でも持ちます?普通の論の筋だとこうなっちゃう筈(笑)でも、そうならないのは、彼らの中では「こちらが持たなければ向こうも撃って来ない(であろう)」という、根拠なき希望的観測があるからに他なりません。特に、ミサイルという物は、「撃たせない」為に持つものであり、「撃つ」為に持つものでは無いという発想が、重要です。「撃たせない」為に持ち、結果、相手が撃たなければ、それは、効果があったのです。ビルの警備員と同じです。警備員がいるから、泥棒が入らなければ、警備員がいる効果があったのであり、「警備員なんて、制服だけの見かけ倒しで、武装していないから、いても意味ない」という論理は、泥棒(というより、強盗)に入られる事を前提にした議論でしょう。入られた場合についてよりも(無論、それも大事ですが)、入られないようにするのが、鉄則。しかし、口で言って通じると言うなら、ビルの入り口に、「関係者以外立ち入り禁止」の看板さえ立てておけば、警備員なんて居なくても、泥棒さんが「理性」を働かせて、帰ってくださると言っているに等しいでしょう(笑)(2)ターミナルフェーズとしての位置づけの無理解 運用面の批判で、一番馬鹿らしいのは、この点。エリアディフェンスとポイントディフェンスの違いが理解出来ていない、と言うべきかもしれません。ミサイル防衛の主翼は、SM3。これは、先の実験でも迎撃成功したように、極めて信頼性の高いものです。日本に向かってくる弾道ミサイルの大半は、これで撃ち落とされ、それらが撃ち漏らしたのを、ポイントディフェンスとして、PAC3が守る。無論、「撃ち漏らし」が絶対に無いとはいいません。しかし、「防壁」を突貫ドリルで穴開けて突き進むコストを考えるならば、相手も工作員を送り込んだ方が遥かに安くつきます。特に、「原発にミサイル」論は、その点が、非常にアヤフヤ。弾道ミサイルなんて、一つの発射台から釣瓶撃ちにできる代物じゃありません。発射間隔の長い大砲を、何発撃とうと殆ど意味ありません。又、原発を攻撃すれば、彼我共に大損害を受けるのは必至であります。自爆攻撃するテロリストならいざ知らず、普通の戦争で原発を攻撃するメリットなんて、殆どありません。(3)湾岸戦争で…これは、PACについてちょっとでも調べてみると、全然別物だというのが分かると思うのですが、PAC3は、射程距離を犠牲にして、釣瓶打ち出来るように小型化し、誘導方式も対弾道弾という目的に沿った運動エネルギー方式のものに変わっています。従って、基本的に対航空機用のPAC2を比較対象にするのは、全く見当はずれだと思います。ましてや、射程距離のカタログスペックを根拠に非難するのは、大東亜戦争開戦時の各国の主力戦闘機のカタログスペックを見て「零戦なんて大したことねーじゃん」と言う馬鹿と大差ありません。迎撃ミサイルにおいては、直線邀撃だけを想定するのではなく、エンベロップ(回避不能領域)を最大の基準として、ミサイルの性能を考えるべきもの。(4)シナのミサイル全部に対応できない当たり前です。全部に対応する必要はありません。事が起これば、初期攻撃を、SM3でエリア・ディフェンスし、シナの主要軍事施設を米軍が叩くというシナリオで動いているんですから、想定する意味がありません。空では、米軍や自衛隊の前に殆ど歯が立たないシナの軍勢ですから、主要軍事施設を叩いてしまえば、悪さは出来ません(笑)ここまで来ると、軍拡論なのか、軍縮論なのか分からないですね。
2007.12.23
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某所で、「路上デモを交通秩序の維持を根拠に不許可処分にする事は、公安条例上、可能か」という事について、議論しておったのですが、その事について、エントリを立てられたようですので、反論しておきます。まあ、事の発端は、ボクがある日、明治通りを目黒方面から早稲田へ向かう途中、「市民団体」のデモに遭遇しまして、そいつらのせいで、一車線通行で大変な大渋滞になったのに、随分ムカついたので、市民団体に対しては「やるんなら、ハチ公でやれ」、昼日中からデモを認めた無能役人には「何で公安条例の3条規定で不許可にしねーんだ」と怒ったわけです。ここで、この方に、3条規定は、「条件変更規定だから、不許可には出来ないんじゃね?」という趣旨の反論を頂きました。とりあえず、再反論しておきます。>まずこれは、許可した後の「その許可を取り消し又は条件を変更」を説明したものであって、許可についての説明ではありません。許可についての説明だなどとは、ボクは、ま・っ・た・く言っておりません。不許可裁量の可能性について、言及しているのです。要するに、「条件付帯事項」の究極として、「不許可事項」の裁量があるか否か、またそれを行政庁が想定しているのかについてであります。さて、ボクが何故以下の文言を引用したか、イマイチお分かりになっておられないようなので、書きます。「許可当時判明しなかった事情で第三条関係の一の不許可の事由に抵触し、または条件の変更を必要とする事情のあった場合をいう。」という文言ですが、「不許可事由」と、「条件付帯事由」を別々に理解しているとするならば、「第三条関係の不許可の事由に抵触し、または一の条件の変更を…云々」とならなければおかしいですし、不許可事由が、絶対的に本文の条件だけならわざわざ「一の」という単語を入れなくてもよいのです。従って、文言どおり解釈するなら、本文と但書がワンセットで、「一の」「不許可又は条件付帯」と解釈できるわけです。そこに「裁量権」の存在を認めていると解することが出来ると言っておるのです。さて、資料を見ると、>(5)不許可を必要とする程度に公安侵害の危険性があるか否かの判断は、敍上の形式的な要件の外に次の事項を考慮して具体的に判断されねばならない。とあります。「交通秩序」は立派な「公安事情」です。道交法は、法律条例の優劣という点では、公安条例に勝りますが、地域における対象の範囲については、公安条例の方が上位にきます。もっとも、これは本文を意図した文言ですが、「要件」として、「四囲の状況」が挙げられている事に、注目。何せ、「形式的に判断するな」と言っているのですから、機械的に判断しちゃダメですね。「具体的に」判断せよとは、これ即ち「裁量して良きにはからいなさい」という事に他なりません。→裁量権を肯定しています。>条件の付け方が実務上不当だと言える事があるにしても、条件を付けて許可したら不許可だと言うのは、曲解でしょう。上記の理屈とは若干異なりますが、これも反論しておきましょう。デモは、時と場所が異なれば、主体が同じでも、「同等のデモ」としての実質を欠きます。デモの日時態様の制限は、実質的に「不許可」と同等の効果を生む事が多い(から、注意しなさい)というのは、ボクの個人的見解でもなんでもなく、東京都公安条例事件の差戻審判旨でも述べられている事。まあ、実際の所はもう決着がついていています。路上デモを申請した方ならお分かりかと思いますが、許可なんて殆どおりやしません。認められたとしても、態様も制限され、デモ隊が一車線通行でかなり公共性の高いものに限られるでしょう。行政庁は、デモの不許可を「直接的危険」以外にも出せます。S57.11.16 第三小法廷・判決 昭和56(あ)561 の判旨に以下のようなくだりがあります。>道路における集団行進に対し道路交通法七七条一項の規定による許可を拒むことができるのは、当該集団行進の予想される規模、態様、コース、時刻などに照らし、これが行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、しかも、同条三項の規定に基づく条件を付与することによつても、かかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に限られる。とあります。根拠法規は道交法で、公安条例とは異なりますが、要するに「交通秩序を維持する目的での不許可は制限的であらねばならない」という意味であり、これは逆の言い換えをすれば、交通秩序の維持を目的とする不許可処分の成立可能性を認めている事に他なりません。
2007.12.20
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年甲斐もなくニコ動にはまっております。著作権…見ないふり見ないふり(笑)フラッシュやOPは、みんな、天才すぎですね。若い人のクリエイティヴな発想には、頭が下がります。オヤジになりかけのボクには、とてもこんなのは、作れません。それに、古いドラマや時代劇が、沢山アップされていて面白い。「決断」は、DVD買おうかと思っていたのですが、全部ニコ動にあるみたいなので、見てしまいました。(アニソンがどう聴いても軍歌(笑))やっぱり、戦地を経験した現役世代がいると、これだけクオリティの高い作品が作れるのでしょうか。最近でこそ、戦争映画がポツポツ作られるようになってきましたが、戦地を経験した世代が一線を退いてからというもの、「戦争」がよくも悪くも人々の関心事から消え去っていました。アニメにしちゃ、今なら中高生レベルのハイクオリティな内容です。60年代までは、市川雷蔵や鶴田浩二主演で日本の戦争映画の黄金期だったってのも理解できます。一般的サラリーマンの「青春」が「戦争」だった時代、「平和の中の混沌」に揉まれていると、戦争がノスタルジックに見えるのも、無理はありますまい。又、戦争は、知性、技術、団結力…あらゆる物を最高に「必要」とする故に、一線で戦っていた人には、比較的「反戦」な人が少ないのも、よく分かります(後方にいた人や、少年期に終戦を迎えた人と対称的)。時代的共通感覚は、一世代飛ぶというのも、何か分かるような。全く状況は違うのですが。何かニコ動から、また大脱線してしまいましたが…最近は…新必殺仕置人シリーズを一話から順番に見ています。「仕事人」を再放送で見ていた世代ですが、古いのは物凄く後味悪く、やるせない作品が多くて、ドラマとしては最高です。昔のテレビって、いい作品が多いですね。
2007.12.18
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今日、遅めの朝ごはんというか、早めの昼ごはんというか…とにかく、微妙な時間に食事をしようと、大学近くのある海鮮丼屋に入りました。味はともかく、普段は殆ど外食しない人間にとっちゃ、まあ久しぶりに幸せな時間。店内に客は無く、ボクも本を広げて読み始めた途端…聞こえてきました、チャイニーズ。前からこの店、シナ人雇っていたのは知っていたのですが。ボクは、外国人の知り合いに、いつも注意するのですが、日本ではトーンの高い声、大きな声を公共の場で発するのは、無作法に見られますよ、と。この傾向、黒人には比較的少なく、白人(ラテン系?)やアジア系の人間、あと、何故か女性に限ってイギリス人に当てはまる事が多いように思います。電車の中でシナ人の女性が、大声で話しているのは、実に不愉快な極まりない。さて、話を戻して、我慢して茶をすすりながら本を読んでいたのですが、どうも今日は、普段にも増して五月蝿い。本を置いてよく見ると、店員三人が、三人ともシナ人じゃないか…ナンテコッタ!!!しかも、オーダー受けてすぐに味噌汁だけ持ってくるって…コリャダメだ(笑)五月蝿いオヤジなら、本当にクレーム物です。しかも、暫くして店内に入ってきたのが、うちの大学でフランス語教えている白人教師じゃないか…フランス人、生マグロ食べるの?とかいう疑問はさておき、この店に限っては、なぜか、外界とは隔絶された異空間になってしまったような気がしました。まがりなりにも日本食の店がこんなじゃあ…暫くして入ってきた、老紳士二人に、異国の地で偶然であった日本人のような親近感を覚えました(笑)遠い昔、白人ばかりの電車の中で、人の前を通ろうとした紳士が、手刀を切る独特の仕草を見せ、子供ながらに(子供だからかもしれませんが)親近感を覚えた事を、想起しました。あの人種の坩堝のアメリカ人でも、スペイン語ばかりの地域に行くと、カルチャーショックを味わうと言ってましたが、日本もこれから、こういう状況に出くわす事が多くなるのかなあ、と少し残念に思った次第です。
2007.12.11
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ゆとりの弊害が、モロに出た、今回のOECDの試験結果。ボクは、教育者として実に不愉快です。子供を実験に使うのも大概にしろと。今や、就職は売り手市場ですが、氷河期世代後期のボク達と比べても、大学生のレベルは、非常に低下しています。ボク達が受験生ぐらいの頃、「分数計算の出来ない大学生」が、問題化されていましたが、事態は、より深刻化しているようです。テレビを見ていると、「考える力」だとか何とか…で、今日たまたま「考える力」が欠如している実例(学生の出来なかった問題)が出されていたのですが、これがなんと、「対照実験」についてだったんです。これが出来ないことが「考える力」の欠如だと?いい加減にしろ!対照実験なんて、我々の世代では、小学生でも知っていました。例えば、理科の光合成の問題、金属をとかす実験の問題…最後の一問は、「何故何も手を加えていない標本を用意するか」です。もう、「はいはい、またね」という感じで答案を書く。これは、定石の一つにすぎません。あのー、単なる勉強不足を「考える力」とか、意味不明な言葉で誤魔化すのは、やめてもらえませんか?子供を、何かIQ200の天才か何かだと思っているのか!!かりに「考える力」が欠如していたとしてですよ、その「考える力」の欠如したバカは、考える力を養って、結論を見出すまで、次へ進めないって事ですか?じゃあ、三平方の定理を証明出来ないノータリンは、自分で三平方の定理を証明出来るようになるまで、一生、ROMってろって事ですか。こんな事じゃあ、根っからの文系人間は、一生、三角関数にはたどり着けないでしょうな。三平方の定理さえ覚えていれば、特殊相対性理論は、簡単に証明できます。運用する事で、世界が広がるから「定理」とか「公式」があるんじゃないんですかね?それを暗記する事をサボった人間が、「知らない事」を免罪符にする資格があるのかって事ですよ。でも、これと同じ事を平気で言う人間がいます。前回の結果で低下していた事を受けての談話なのですが、今回も見事に下がりました。>1999年、中学生の約70%が2次方程式を解くことができたという統計があります。ところが大学入試の結果を見るとどうなっているか。経済学部で2次試験で数学があるところでは90%以上2次方程式を解けている。ところが2次試験で数学がないと30%、学校によっては10%以下と いう結果が出てくる。つまり、考える力が養われていないから、必要がなければ忘れてしまう、ということなんです。考える力があれば公式を忘れても解けるは ずです。この人、何を言っているんでしょうかね。二次方程式の解の公式すら覚えていない、あるいは覚えられない人間が、公式を自力で導くのなんて、常識的に考えても無理なんです。まず、二次方程式の解の公式を習うのは、カリキュラム上は中学三年生でした。一方、二次方程式の解を導くには、二次関数のケツが座標上、原点から、両軸にそって、どれだけ離れているか、という事がキホンになるわけです。しかし、ケツが原点から離れた二次関数を習うのは、高校一年の数学1だったと思います。ですから、カリキュラムどおりに教えていれば、二次関数の解の公式を演繹的に導く事は、基本的に不可能という事になります。ボクはむしろ、しっかりと公式を覚えた子供が、高校に入ってから、二次関数の発展型を習い、「あ、そういう事だったのか…」と公式を見つめなおせる。これこそ、重ね塗りの「経験知」となり、きちんと身につく知識になる、と思います。朝食に何故納豆を食べるか考えながら食べる人間は、あまりいません。言わば、公式的に食べている。しかし、その習慣が無意識化された後、違った文化に接する「自由」が与えられ、意識化される事で、その「公式」は、反芻され、「自分は、朝、納豆を食べる習慣がある。何故かというと…云々」という肉付けが出来ます。ボクの小学校時代、唯一尊敬していた恩師が、こう言いました。「幼年は、勉強をせよ。少年は、勉学をせよ。青年は、学問をせよ。将来、学び(叡智)を問う為には、自らに強いて、勉めなければならない。これを勉強という。」うまい事いったなと(笑)詰め込んだ知識を、一つ一つ問う事が、人格の成長過程にシンクロして行われるのが、最も理想的だという事ですね。「知識」に「叡智」を見出す作業、反芻する自由意思が、本当の意味での学問です(そこには、多くの偏見や、矛盾が含まれています)。ですから、知識の無い人間、教養の無い人間には、叡智を発見、斟酌する権利すら与えられていないという事です。これは、実に悲しい事ではないでしょうか。
2007.12.05
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学生時代に親に買って貰ったベースグレードのモバイルPC、色々と詰め込んでいると、なんか最近、やたらソフトの起動が遅くなってるんですよ。小型パソコンに中古のメモリカード噛ませて何とか頑張ってきたのですが、もうそろそろ限界か…とか思いながら過ごしておる、鳩で御座います。メモリすらギガの世の中、最新ソフトの推奨の多くが512mb以上ってのは、もうダメだ…ついていけない(笑)そろそろ買いかえ時かな。ボクは基本的にモバイラーでありまして、PDAと小型パソコンを利用しているのですが、如何せん、PDAは、色々な意味で制約が大きい(まあ、ZERO3が発売される前後から、技術革新が甚だしいのは、事実ですが)ので、PCを航空母艦、ZERO3を艦載機のように利用しております。出来れば、家に懐の広い大型ドックが欲しいのですが、まあそれは無いものねだり(笑)携帯電話は別に持ち、ピッチは、基本的に校内の内線機能とメールのみの利用。ですが、これで軽く文書を修正するぐらいなら、出来ちゃうんですから、Zaurusを使っていた高校生の頃からは、隔世の感があります。あの頃は、エッジの通信速度の遅さにイライラしていたもんですが、それでも、月々定額で10000円以上払っていたのが、今ではコミコミ月々5000円以下で全て出来てしまう。さて、ボクの持ち物を整理してみます。PC…SOTEC WL2130 ベースメモリ128mbを512mbまでアップして、頑張り中。ソフトは、出来るだけ外付けHDに収納していますが、基幹ソフトは中に入れないといけないので、使用域75%の飽和状態。ZERO3…なにげに手元に居る時間が一番長い、かわいい相棒。ディスプレイが大きめなので、物理的に電池消耗が早いのがネック。御飯を食べながらでも、簡単に文書修正出来るのが、いいですね。タッチパネルも付いているので、メモを取るときも、重宝します。最近では、EMOの方が機能面ではかなり上なのでしょうが、コストパフォーマンスでは、こっちの方がかなり上。兎に角、使い勝手の良さがピカイチなんですが、ツルツルボディは、傷や指紋が目立つので、そこがちょっと気になる(笑)N904i…GPSのゼンリンは、ボクのカーナビ(笑)それ以外は殆ど使っていないのですが、GPSだけでパケットが物凄い事になるので、最近、パケホーダイに加入しました。新しいPC欲しいなあ。物欲は尽きない(笑)
2007.11.27
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父の院時代の友人のお父様が、先日亡くなられたので、相続面でボクが指南する事になりました。その方は、中小企業の社長さん。後継者の息子がいるので、後継問題でもめる事はないのですが、相続税と固定資産税ほど、我々にとって理不尽なものはありません。額面所得の高い方は、所得税が理不尽に思えるのでしょうが、大して額面所得も無い我々にしてみれば、何もしていないのに、どんどん財産が減っていく…これを「富の再分配」なんて言われてもねぇ。実質的に、私有財産の不可侵原則は、曲げに曲げられているのです。たいしたアガリも無いのに、固定資産税を払う度、おお…またフェラーリが消えていく…とブルーな気分になっているボクにしてみれば、ニュースを見ていても、ネットカフェ難民?格差社会?何を甘ったれているのかと、はらわたが煮えくり返る思い。投資や寄付なら、喜んでしますが、パンとサーカスには、ビタ一文出す気はありません。戦後、日本人がおそろしくケチになったのも、分かるような気がします。さて、相続税対策の為に、マンションやビル経営…というのは、常道であり(大体、総資産の70%程度が望ましい)、うちのオヤジも、単純にそう考えて、ボンボンと建物を建てた口なのですが、世間の人間が考えるほど、楽なものであるはずもなく、当時は、今のように建築主が保障してくれるような制度も未発達だった事もあって、一介のエンジニアに過ぎないオヤジには、あまりにも畑違いでした。まあ、うまく経営したとしても、メンテと、建物を潰す為にカネを貯めているような物ですが(笑)土地を遊ばせておくと、評価が高くなって、税が払えずに、土地を手放さなければならない事になりますし、建物を建てて経営しても、銀行で借りた現ナマがそのまま「資産」に計上されますから、これも立派な課税対象。まあ、それでもうまく利回りが出ていれば、コツコツ借金を返していけばいいのですが、デフレの時は、基本的に中堅以上の賃貸物件は不人気になるものでして、マイホームを建てるのを急ぐか、分譲を買うか、安い物件で我慢するか、という選択をする人が大半であり、利回りプラスを維持するのでさえ、並々ならぬ努力と、かなりの経営手腕が必要です。相続税ってのは、いつも固定資産税に苦しめられている、中規模の事業者に、さらに追い討ちをかけるもの。現金換算すると、とんでもない額です。特に、総資産が10億を上回る人は、相続時に国税の調べが入りますので、情け容赦なく持っていかれます。誤解を恐れずに言えば、たかだか10億程度の資産で、国家権力がここまで家庭にズカズカのりこんできて、資産の4分の1以上むしりとって行くのは、正気の沙汰とは思えず、どうも先進国の常識からかけ離れています。最近では、相続税を廃止している国もあり、今後、ボクはそちらの方向で検討していくべきなのではないかと思います。サッチャーが「金持ちを貧乏人にしても、貧乏人は金持ちにはならない」と言いましたが、これで困るのは、大金持ちというよりは、その下のランクの我々、いわゆる、イノベーター層という奴です。見栄とプライドが高い反面、新しい事へのチャレンジ精神とそれをするに足る資力、それに子供のような遊び心を持っている人々。現在の税制は、この層を直撃します。もし、この税収を撤廃するなら、財源確保が難しい、という議論もあるでしょうが、スイスに世界中からカネが集まって、タックスヘイヴンになっているように、必ずしも財源確保に支障をきたすという事はないと思います。いきなりそれが無理だとしても、特に高額の納税の場合には、寄付等の「社会目的ある出資」に対して、税の大幅な特別減免措置は、あってしかるべきではないのか、と思います。自分の出したカネが、自分の希望する公益目的に近い形で使われるべき、それが高額であればあるほど、そういう要請は強くなるのではないでしょうか。少なくとも、美術品等、大して興味も無いような物を使って転がし合いをして、節税するなんていう、古典的かつバカらしい事をしなくてもいいようにしていただきたい物です。うちも、オヤジが年も年なので、そろそろ対策を考えなければと、思っています。
2007.11.20
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前回、沖縄の事について書いたのですが、ボクは沖縄のゲマインシャフト(地縁、血縁を根拠とする前近代的共同体)が非常に緩んでいるのではないか、というのがその見解。日本人とドイツ人は、非常に「集団性」の高い民族だと言われています。英米的な個人主義が、個人に過剰なまでの責任を担保に、広範な自由を保障するのと反対に、集団が力をもつ事で、個人の自己実現が成る。おそらく、日本に詳しくない外国人が、権力関係だけから見れば、イタリアのように、ヤクザが支配する暗黒社会だから、治安が悪いに違いない、創価信者ばかりの芸能界を見ると、創価のプロパガンダに汚染されている、と判断するであろうし、事実、恥ずかしげも無くそういう浅い日本人論を展開している外国人もいるのは、事実です。しかし、これが如何に荒唐無稽かは、日本に住んでいる人間から見れば、火を見るより明らか。日本の地方には、非常に強固な「地縁感情(ムラ意識)」がありまして、単純な権力関係では説明できない、日本人の原動力になっています。例えば、在日や左翼が強いと言われる関西は、反面、ボクも含めて在地の人間は、彼らに対して非常に警戒感を持っており、見ようによっては、とても排他的な価値観を持っています。冠婚葬祭はもとより、子供の教育環境についても、とてもシビアであり、日教組系の教師の多い学校(=地域の最下位周辺校である事が多い)に入れないために、必死になって勉強させる家が多く、私立受験熱も大変なものです(進学4強と関関同立、大阪国立三校等)。これは、おそらく先人から継承された「必要なる偏見の叡智」であると思います。ところが、悪い意味で、ゲゼルシャフト的な連帯が出来上がってしまっているのが、沖縄。沖縄で力を持つのは、昔からの農業従事者ではなく、戦後に、爆発的に増えた基地及びその利権で働いている労働者ですから、農村より労組等の団体が力を持ち、むしろそれらに農村が取り込まれる傾向が強い。小さな農村では、えてしてそれこそ、労組が「数の暴力」でもって、議会決定を覆す事も往々にしてある為、在地の人間は、「もういいや」という感覚になり、いつの間にか、自分もデモに参加していたって事になるんでしょう。さて、そんなモデルケースが2005年にありました。旧伊良部町(現宮古島市)は、伊良部島と下地島からなる人口7500人程の町であったのですが、2005年、下地島にある下地島空港に自衛隊を誘致しようという動きが町議会で、9対8の僅差で可決されました。この動きは、当時進んでいた宮古島市への5市町村合併を避けて、非常に厳しい財源を安定化させ、独立を守るという理由が一点、又、当時新聞を賑わせたシナの領海侵犯問題への危機感があり、全く根拠の無い物ではありませんでした。無論、議員も自分達だけの都合でやったわけではなく、一定数の町民の意図を汲んだものであったのが、事実です。当時の週間ダイヤモンドの4月2日号に櫻井よし子女史が論文を寄稿されているのですが、少し引用してみましょう。----------------------------引用開始---------------------------------------だが、伊良部町は、県の方針とは逆に、自衛隊の下地島空港への駐屯を国に要請したのだ。 彼らは問う。中国の原子力潜水艦による領海侵犯について、先島圏域の首長が誰一人として抗議の声を上げなかったのはなぜかと。沖縄県も、領海侵犯に対してなんの抗議も行なわなかったのはなぜかと。住民の安全を守るべき自治体の首長が、誰一人として声を上げなかったこと自体、寒心極まる。その理由は、首長らが「誰が地域を守り、県民を守るべきなのかまったく認識していない」からだと彼らは指摘する。そして「再び中国軍の領海侵犯が起こらないという保証はない」として、「先島圏域の住民の安全保障は、伊良部町の安全に尽きると認識し、政府の責任において緊急に自衛隊を誘致し駐屯を実施」してほしいと、「強く要請」したのだ。-------------------------引用ここまで--------------------------------------当時の浜川伊良部町長は、なかなか政治的手腕に優れた人であり、この問題を長期化すると、「プロ市民」が意思決定の大きな阻害要因となり得る事、さらには、県と宮古島市からは、激しい反発がある事を予測しておられた物と思います。彼は、防衛庁サイドに強く働きかけると共に、非常に腰の低い態度で県や市に対応する一方、議会採決においては、非常に強硬かつ短期の決戦で挑まれたようです。結果的には、この案は一時可決され、大いに盛り上がるのですが、後に開いた「住民集会」が仇となり、島の住民の過半数が参加した(もし、本当に全員が住民なら、どれだけ暇なんだよといいたくなりますね(笑))結果、この決定は覆りました。議会の代表制も何もあったもんではありません。結局、下地島空港は、今年の4月に那覇空港との不定期便が開設されたものの、採算が取れず6月には早々と運行休止、路線の無い状態になってしまっています。議決に奔走した議員さん達には、酷な言い方をしますが、自分達の無為無策は、自分達で処理して頂きたい、決して国に頼らないでくださいと、声を大にして言っておきます。当時の様子がニコニコにありましたので、どうぞ。どう見ても大半が「町民」じゃありません(爆)
2007.11.13
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少し前の事なのですが、学テの結果発表がありまして、ボクも興味深く分析している所です。どうも「応用力」が無い、というのがマスコミで言われていたようなのですが、まあ、それはある程度仕方が無い事だと思います。応用力というのは、考える習慣を身につける事に尽きるわけでして、長いスパンで見ていかなければなりません。ただし、応用力というのが、所謂定石を暗記させずして、出来ません出来ませんという子供を増やしているなら、これはいけません。国語の読解なら、文脈読みという基本が必要でしょうし、数学なら、定石の暗記は欠かせません。まあ、それより何より、-------------------ウィキペディアより転載---------------------------中学国語A上位5県・・富山(1)、秋田(2)、福井(3)、山形(4)、石川・青森(同率5) 下位5県・・北海道・佐賀(同率42)、和歌山(44)、大阪(45)、高知(46)、沖縄(47) 中学国語B上位5県・・富山・秋田・福井(同率1)、山形・石川・岐阜・静岡(同率4) 下位5県・・滋賀(43)、和歌山(44)、大阪(45)、高知・沖縄(同率46) 中学数学A上位5県・・福井(1)、秋田(2)、富山(3)、徳島(4)、石川・香川(同率5) 下位5県・・大阪(43)、岩手(44)、北海道(45)、高知(46)、沖縄(47) 中学数学B上位5県・・福井(1)、富山(2)、秋田・石川・岐阜(同率3) 下位5県・・岩手(43)、北海道(44)、大阪(45)、高知(46)、沖縄(47) --------------------以上、ウィキペディアより転載----------------所得と教育の相関関係は、よく言われますが、この結果を見る限り、もっと言うべき事があるんじゃないの?と思います。確かに東大生の親の年収がいくら以上、というのがよく言われていますが、世の中の同一学年の進学者の内、一体何パーセントが東大へ行くというのでしょう。もっと言えば、東大生は確かに親の年収もいいのでしょうが、確実にIQも高い人達が行っているのです。IQが高いから、小さい頃にお受験で私立の名門に合格でき、さらによく勉強して東大へ行く。そのシステムを妬むのは勝手ですが、公立高校の授業レベルをちょっとやそっとあげたところで、東大に入れる人間の数に大差はありません。地域のトップレベルの公立高校で、上位の成績で卒業し、一浪して入るのが、妥当な所でしょう。それよりも、マーチ、日東駒専等の中堅と言われるレベルの学力の底上げを図るのが、先決じゃないんですかと思いますね。そのレベルは、親の年収なんて、殆ど関係ありません。勉強させられるか、どうかです。 そう見てみると、上位集団と下位集団が、科目を問わず、ある程度固まっているのは、実に興味深いですね。上位が中堅都市であり、下位が地方なら、「格差」で説明も付きましょうが、上位も下位も大半が地方です。さらに、大都市間でも、教育に力を入れている東京は、母集団が大きい為、不利であるにも関わらず、平均より少し上であり、大阪は、かなり低いようです。こんなに如実に結果に現れるとは、想像出来ませんでした。さて、特に目を引くのが、沖縄のブッチギリのレベルの低さ。沖縄の成績が異常に悪いのは、もう誰が何と言おうと、日教組系の教師の巣窟なのが明白だからなのですが、基地利権と補助金にタカって、仕事もロクにせずにデモに行く、そんな大人に子供を育てたいと、沖縄の島民は、本気で考えているのでしょうか?それでいいというなら、それでも結構、ただし本土から金を毟り取るのは勘弁して頂きたい。基地がなくなったから、失業者が出て大変だ、デフレで困っているなんて、口が割けても言わないで頂きたい。そもそも自力では、実質60万人しか養えない県が130万の人口を擁するに至っている現実は、一体何に基づいていると思っているのか!500億しか財源の無い所に、2000億の金が流れている、その根元は何処だと認識しているのか!ボクの沖縄出身の友人は、このような合理的思考が出来なくなる風潮を、非常に憂いていますが、それでも「デモは生活の一部」になっていて、誰も基地がなくなるなんて考えもせずにデモをしている、と言っています。ゴザ暴動を見ても分かるように、本来、米軍基地は郊外の人の少ない所に設置されていたのですが、そこに職を求めて人が集まり、一つの「城下町」が形成された歴史があるにも関わらず、「住宅地の近くに基地がある」と文句を言ったり、じゃあ、移転しましょうと言ったら、ジュゴンがどうのこうのと、ハァ?と言いたくなるような事を平気で言ったり。なんかもう、沖縄絡みの話を聞くと、「もうお前ら、独立したけりゃ勝手にしろ!」と言いたくなります。 なんか、学テから随分話がそれてしまいましたが、沖縄人には、この結果を真摯に受け止めて頂きたいもの。
2007.11.12
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「同期の桜」は、「加藤隼戦闘隊」と共に非常に有名な海軍挽歌の一つ、ボクも大好きなのですが、この歌には、何かしら違和感があるのも、事実です。歌詞を見てみましょう一)貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ国のためニ)貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 血肉分けたる仲ではないが なぜか気が合うて別れられぬ三)貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く 仰いだ夕焼け南の空に いまだ帰らぬ一番機四)貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く あれほど誓ったその日も待たず なぜに死んだか散ったのか五)貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう色々、派生的な歌詞があるみたいですが、これが一番メジャーじゃないかなと、思います。鶴田浩二バージョンだからかもしれませんが(笑)ボクは、5番の歌詞が特に好きです。男の同期は、仲間であると共に、常にライバル同士、だから、遠くにありて思うもの。これは、男と生まれ落ちた者の宿命とも言うべきでしょう。孔子も言うように、「君子の交わりは淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと甘酒の若し」であり、必要以上に男同士がべたべたとくっ付いていると、必ずと言っていいほど、対立が起きます。「史記」にも刎頚の交わりを結んだはずの友人同士が、互いの才能を妬み、憎み、殺し合う悲劇が描かれております。そう考えると、この5番の歌詞は、まさに君子の交わり。たった一週間程度の「再会」を約して、持ち場に戻る男達。あの醜い木をたった一週間の花見という「再会」の為に大切にする、丈夫の心意気とシンクロする物があります。そこへ来ると、どうも4番は、ミスマッチな気がしてならない。女々しいという以上に、5番の観念論的な歌詞を台無しにしてしまう、低俗かつ感情論的な印象があります。流石に、全体的な構成として不自然だからか、4番が飛んでいる音源もかなりあります。さらに、細かい所では、一番の「散りましょ」というのは、当時の人間が、男の同期に語る言葉としては、実に不自然である(「散ろうぞ」が正しい)し、「何故か気が合うて別れられぬ」という所も、何かな…実は、この「同期の桜」には、別の歌詞がついており、題名も「二輪の櫻(戦友の唄)」というものでした。もともとは講談社の「少女倶楽部」昭和13年2月号に掲載された上海の海軍陸戦隊の話に付された「二輪の櫻」(西條八十)の詩が元になっています。一)君と僕とは二輪のさくら 積んだ土嚢の陰に咲く どうせ花なら散らなきゃならぬ 見事散りましょ 皇國のため二)君と僕とは二輪のさくら 同じ部隊の枝に咲く もとは兄でも弟でもないが なぜか氣が合うて忘られぬ三)君と僕とは二輪のさくら 共に皇國(みくに)のために咲く 昼は並んで 夜は抱き合うて 弾丸(たま)の衾で結ぶ夢四)君と僕とは二輪のさくら 別れ別れに散らうとも 花の都の靖國神社 春の梢で咲いて会ふ率直に言いましょう。気持ちわりぃ・・・昔から、少女趣味ってのはあったのですかね。腐女子の仮想男子文化というのは、案外、男のオタク文化以上に根が深いのかもしれません。ベルバラとか、昨今のBL系と同じノリじゃないか。こんなのが、同期の桜の元唄だったんですね。これでは、花の都「パリ」が「靖国神社」になっただけであり、あの崇高な友と国家への愛が台無しです。この少女趣味の片鱗が少し、「同期の桜」に残ってしまったというかんじでしょうか。ちなみに、この同期の桜、戦後に盗作訴訟が起こっているのですが、この「二輪の櫻」の音源が残っていた事から、盗作を主張した男の訴えは、却下されたそうです。色々複雑な事情がある歌なんですね。
2007.11.10
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「辞めるの辞めた」という判断をされた小沢先生の胸中や如何に…この動きは、全く予想外でした。民主の重鎮の方々が引き止めに入るのは、当然すぎる話なのですが、小沢先生がこれを飲むという判断は、党にとっても、小沢先生自身にとっても、マイナス以外の何物でもないのですがね…党としてみれば、小沢先生の分離独立とそれに伴う党内抗争の激化を封じるという事が一点、さらに繋ぎ止めて置くための交換条件的に、再び院政を敷かれる可能性を封じるという事が一点。それを防ぐ最もいい手段が、大将のまま、傀儡政権にしてしまうというのが、手っ取り早いって事でしょうね。でも、これは大局を見ぬ小人の見と言わざるを得ません。党の分裂よりも、誰の目にも求心力の低下、大局観の欠如は火を見るより明らかになってしまいます。一番賢い手は、パフォーマンス的に重鎮達が、辞めないように三跪九叩頭の礼を演じ、小沢先生がそれを固辞して辞めると同時に、謝罪パフォーマンスと党内に残る事をマスコミの前で約束するという物。こうすれば、党にとって一番ダメージが少なかったはず。にも関わらず、小沢先生の去就は、重鎮の談合で決めてしまって、いつも言っている「説明責任」とやらは後回し、身内だけで盛り上がって、何をやっているんだって話になりますね。その結果が、「続投」ですか。小沢先生の涙は、案外、身内に裏切られて、操る方から、操られる方になってしまった自身を、憂いておられるのかもしれませんな。鳩山先生は、「参院選の功労者だから」という説明で、乗り切ろうとしているみたいですが、そんな理屈が通りますかいな…(笑)この党、もう少しマシだと思っていたのですが、(マシな人もいるのは、いるのでしょうが)組織として見た時、もう有り得ない程、足並みが乱れていて、危なっかしくて政権なんて任せられませんね。防御する側に立ったら、このザマでは、話になりません。
2007.11.08
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かなり昔から、言われている定説ですが、「軍需が民需を圧迫する」という論には、えてして非常に不可解な言説を生みます。これは、1983年の論説なのですが、未だにこの種の論説に需要がある事を鑑みれば、何かある種、宗教じみたものさえ感じます。こういう言説を言う人々は、アメリカ製の兵器の一体何パーセントが日本の技術に依存しているかについて、全く無頓着なんでしょう。さらに、我々の身のまわりの物、例えばデジタル時計、インターネット、GPS端末、携帯電話、保存食品等、ありとあらゆる物が軍事由来の産物である事について、全く無思慮なのでしょう。平気でカーナビを使いながら、車を運転し、携帯電話で喋り、家に帰ればインターネットで電子取引しながらインスタントコーヒー飲んでいるような人間に、「民需」「軍需」について、手放しで平和利用のみを主張する資格はないと思います。軍事は、生きるか死ぬかの勝負であり、ちょっとした製品の性質の差が、致命的なデメリットになり得ます。したがって、純軍事的分野の差を縮めるのは、理論工学であり、はっきり言って、素人には無縁の分野であると言えるでしょう。しかし、軍需にしろ、民需にしろ、先端の理論工学だけでいいかというと、そうではありません。確かに、理論工学を寄せ集めれば、それなりの製品を作れない事はありませんが、コストがかかり過ぎる上に、船頭多くして何とやら、不具合がたくさん出てくるのも、事実。さらに、複雑な構造は、量産化の上で、致命的でしょう。それを補う、というか、多くの人が利用できる製品に仕上げるのが、基礎工学であり、この基礎工学のレベルが、国の工業力のレベルです。戦前の日本と戦後の日本で決定的に違うのは、この基礎工学のレベルだと言っていいと思います。民需は、基礎工学による所が大きく、軍需は理論工学のカテゴリーがどうしても大きなウェイトを占める、要するに、それだけの話であって、「戦争目的か平和目的か」という事に、意味はありません。トヨタのトラックだって、アフリカでは立派な「兵器」なのですから(笑)要するに理論工学がなければ、技術革新は有り得ないし、基礎工学が無ければ、工業力が向上しない、どちらも大事ですねって結論です。それをいちいち、軍需だ民需だというのが、お門違いというもの。「軍需が民需を圧迫するから、軍拡はんたーい」という人がいれば、「では、日本の軍事費の対GDPパーセンテージはどれぐらいですか?」と聞いてみましょう。おそらく、答えられないと思いますから(笑)
2007.11.07
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久々に、政治の話です。小沢党首、おやめになるんですね。まあ、大変なことで。今回の事、これは、安倍閣下と同じパターンじゃないのってのが、ボクの感想です。要するに、参院選での勝利を追い風に、勢いづいて、他の内政問題とセットで、ついテロ特の延長に反対した、ところが、アメリカの圧力と、与党の手堅い守り、さらに予想外の世論の乖離で持久戦の様相を呈してきた、これはまずいぞと、新法への理解というアメ(これを担保するのが国連決議という、とって付けたような根拠立てが、その性質を証明している)と、航泊日誌、守屋問題のムチの両面戦略で挑む過程で、党内から反乱分子が出てくる。元々、さほど自民との対立を望んでいないであろう小沢先生の及び腰に、急進派は水面下で反発する、かなり焦った小沢先生は、最終的に、敵に身柄を預ける事で延命を図ろうとなさったが・・・フランス革命前夜のヴァレンヌ逃亡事件を見ているようです。これは、安倍前閣下が、衆議院の圧倒的優勢を頼みに、かなり強硬に仕事をしたものの、その反動と身内のボロで参院選に敗れ、信頼して巻き返しの後見人になってもらった麻生先生の傀儡となって失脚したのと、シナリオ的に似ていませんかね?まあ、ボクの推測の域を出ませんが。誰の描いた構図にせよ、この数日間のシナリオは、おそらく会談をされた両者は、坂道を転がる石の如く、当初から転がり落ちる可能性の一つとして、想定済みだった事は、想像に難くありません。だとすれば、小沢先生が次のアクションを起こさなければ、一人貧乏くじを引いた事になり、物語として歯切れが悪い。故に、これはシナリオの進行過程の一つにすぎない、と見るべきでしょう。策士の小沢先生の事です、何か方法を模索されておられるのでは・・・と、僭越ながら想像しております。まあ、何にせよ、民主は談合を蹴った以上、死に物狂いで斬り進むしかありますまい。おそらく、対テロ新法には、今までにもまして、最後の抵抗をしてくるでしょう。自民は、時を急いで安倍閣下と同じ失敗をしてはなりません。石破閣下がどのような手腕で、敵の死に物狂いの突貫をかわすかが、鍵になると思います。そしてボクは、彼ならやり切る手腕をお持ちだと期待している所であります。
2007.11.04
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先日、「ガイアの夜明け」でGT-Rの研究開発ドキュメンタリーをやってました。今回のGT-Rは、カタログスペック480psのモンスターマシンというか、スーパーカーというか…一部では、東京モーターショーの出品を見て、「若者層をターゲットにした」なんて頓珍漢な論評もされるのですが、このガソリン代の高い御時勢、貧乏な若者の玩具で、正味800万の代物が買えるかと(笑)スポーツカー=若者って図式はどうにかならないんでしょうか。バイクの世界では、ライダーの高齢化(80年代後半から90年代にかけての若者層)が言われていますが、車にしても同じ事です。バイクでビッグスクーターが増えたように、車も燃費と収容性を両立させた、ワンボックスやミニバンが流行り、スポーツカーやSUVは、どんなに頑張っても、買うのはバブルの頃にフェアレディやランクルを乗り回していたオヤジばかり。それは、車を相棒とか、自己の分身とか、あたかも戦闘機のパイロットのような美学の象徴としてではなく、便利な移動ツールにすぎないと、みなす人が増えているからでしょう。ま、ある意味では、合理主義的な美学だとは思いますけどね。さて、今は、自動車雑誌の大半が手放しでGT-Rを誉めてますし、結果は、販売戦略次第の所もあるのですが、結果は「ポルシェ越え」をどこまでアピールできるか、これにかかってると思います。チープさを見せてしまったらいけない、という思いから、どちらかというと、日産の伝統であるポルシェ系のデザインから、フェラーリやコルベットライクなデザインにして、全体的に細身な印象かつケツをしぼったロングノーズにしたのは、官能的であり、ボクは好印象を持っています。ゴーン体制下の日産車は、どれもこれもズングリしたデザインで、不満を感じていたボクには、大満足。ただ、これがホンダのS2000やNSXの二の舞にならないかは、非常に心配な所。フェアレディが、そこそこ売れたのに気をよくして、力んで作った感があるのですが、フェアレディは、正味400万ぐらいですから、中年オヤジには、まあまあ妥当な所でしょうが、維持費が異常に高いGT-Rを800万も出して買う、酔狂な人間がいるのか、いたとして、そんなエエカッコシィ(笑)は、外国製のスーパーカーを買うんじゃないの?発売前は、「極限のスパルタンマシン」とか、「ゴーカートのようなコーナリング」と評されたS2000が、今や「乗り手無視、技術屋のオ○ニーマシン」なんて言われる始末ですからね。そういう声を意識してか、シャープだったS2000は、マイチェンを重ねるごとに、排気量アップ、低速域を太くする等の対策を取ってきましたが、元のスパルタンな味がどんどん損なわれていく結果になってしまいました。NAエンジンの車体で、低速域を太くしろなんて言う評論家も評論家だと思いますが、「NAエンジン、ツーシーター、シフトはマニュアルのみ、しかも、専用工場で受注生産という生産コンセプトを理解しない奴は、買うな」と言えないのも、S2000ファンとしては、実に残念。スポーツカーという高い買い物は、理性で選ぶのではなく、感性で選ぶべきなんです。価値が分かり、資力のある人間だけが、買えばいい。それが、プレミアを生むことで、ブランド価値が高まる。逆に、評価されない価値は、理屈の世界以上に、早く消えていくべき存在なのかもしれません。そういう意味では、芸能人的なものだと言えるでしょう。
2007.11.04
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今日は、また歌姫について。ラテン系でいきます。やはりラテンと言えば、グロリア・エステファン、ラテンという分野に疎い人でも、ポップス歌手として知名度は非常に高いです。キューバから逃れて、マイアミで過ごした経歴を持ちますが、親が学者のエリート家族、自身もマイアミ大学で心理学専攻のなかなか素晴らしい学歴を持っておられます。大学時代に夫のエミリオ率いるバンドのヴォーカルとなり、そのまま恋愛結婚で、ずっときているので、なかなか家族関係も良好な模様。グロリアの魅力は、何と言っても、ラテンの中でも非常に幅広い分野を歌える事と、歳を重ねるごとに増す美貌。アルバムごとに「味」が違うグロリアを楽しめます。ボクのお勧めアルバムは、「Abriendo puertas(Opening the doorsの意)」「Arma caribena(Caribbean spiritの意)」。どちらもスペイン語詞ですが、前者が比較的楽観的かつ解放的、平和思考なのに対し、後者は、バラード調の美しい旋律ながら、詞は、別れの歌が多いのが特徴。バブル前後の一時期、ソバージュ頭でTurn the beat aroundやEver lasting love等のカヴァー曲をはじめ、英語の歌を歌っていた事がありますが、アトランタ五輪のreachを最後に、どうやら90年代後半からは、再び純ラテン系路線に戻っているようです。英語のポップスも、捨てがたいのですが、やはりグロリアと言えば、ラテン。こちらの映像は、セリーヌ・ディオンとの共演。歌は、グロリアの出世作「コンガ!」ですね。おやおや、こんなに身長差があるの?まるで、男性と女性のデュエットのようです。ラテン系は、白人の中では小柄な人が多いのですが、グロリアも例外ではないようですね。顔のほうも、見るからにフランス系ゲルマンのカマキリ顔セリーヌと、ラテン美人のグロリア(笑)さて、もうお一方。「第二のグロリア・エステファン」と言うと、23歳で殺された、悲劇のテハーノ歌手であり、ジェニロペ演で映画化されたSelenaなのですが、今はメキシコのスター、Thaliaさんかなと思います。2002年ごろ一時的に、日本でも知名度が少し上がったものの、90年代後半のリッキーマーティンみたいなブームには、ならなかったようで、忘れ去られた感がありますが、スペイン語圏では、非常に人気のある歌手。比較的若い人ながら、低音に強みのある所がグロリアと似ている…というか、聞けば聞くほど、グロリアと同じ声に聞こえてくるぐらい、声の質が似ています。今後の活躍が期待されます。Selenaのと同じ曲「Amor prohibido(prohibited love)」で比べてみてください。(最後の方で「!Selena Vive!」を三唱しています。)
2007.11.01
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ボクの大好きな歌手の一人である、Nicky French。小学生の頃だったか・・・彼女の歌う「愛の翳り(The Total Eclipse Of The Heart)」がヒットし、凄い歌唱力の持ち主だな、と子供ながらに感動した覚えがあります。バックシンガーとして下積み経験の長い、彼女の重低音ハスキーヴォイスに魅せられた思春期でした。「愛の翳り」は、ロック歌手のボニー・タイラーの持ち歌であり、多くの歌手がカヴァーした名曲なのですが、ボクの感性では、Nickyのが、一番です。その後、音沙汰ナシで、どうしているのかなぁと思っていたのですが、検索してみると、どうも本国イギリスでは、一応歌手業を続けておられるようで、一安心。ただ、この人、動画を見ていただければ分かるのですが、ダンス(ステージ・パフォーマンス)が出来ないのと、可哀想な事にルックスが…ヌリカベ(爆)もう、今年のライブ映像なんか、どこのオカマバーかいなと思っちゃいます。いくらガタイのいい女性が好みのボクでも、これではねぇ(爆)太くてハスキーな声がいかにも元オトコ・・・っぽい・・昔は、ちょっとマリリン・モンロー的なエロチックさがあったのですが、今は時代遅れのボディコンみたいな、膝上ワンピが痛すぎる!のに、ご本人はどうもこのファッションがお好きなようで、You Tubeのどのライブ映像でも同じようなファッションです。↓↓↓↓↓↓ http://www.youtube.com/watch?v=oNrgGhvFsk4まあ、悪口はさておき、下積み経験の長いこの人のアルバム「愛の翳り」は、絶対にお勧めです。確か、ベリンダ・カーライルの名曲「Heaven is a place on earth」や、言わずと知れたカーペンターズの「二人の誓い」も入っていたように記憶しています。なにぶん、古いアルバムですが、ブックオフででもどうぞ。多分あると思いますので。そして、比較的新しい曲である「Te Amo」もディスコ好きには、運転の時のBGMとしてお勧め。ちなみに、題名はスペイン語ですが、中身は英語です(笑)↓↓↓↓↓↓http://www.youtube.com/watch?v=B9PfcAilnUU
2007.10.31
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最近、転職を考えています。かつての指導教授から、海外の大学へ行って来いとのご命令が下りました。要するに、海外の大学で箔を付けてこいって事です。ボクは、学部生時代と院生時代を合わせて3度海外へ行っておりまして、特に海外へ行く事への文化的問題はありませんが、正直なところ、これ以上実家の手の届かない所へ何度も行くのは、キツイので、お断りしてきました。そして、もう一つ、重要な問題が…給金の問題。助教授になるまでは、人並みの生活が出来ないのは分かってましたが、講義をする以外は、好きなときに、好きなだけ図書館住まいしていられるフリーターっぽい生活が魅力でした。諸葛亮は、30前まで草庵で暮らしていたスーパーニートだったらしいですが、ボクもそういう生活に憧れていた所があります。しかし、今のままだと、学生時代以下の生活なんですよね、実際(笑)最近では、一日に気付いてみれば、口にしたのがスタバのコーヒーだけ、なんて日も珍しくありません。まあ、塾講師のバイトで、学生らしからぬ給料貰ってた時代の方が異常なのかもしれませんが。そんなわけで、契約を更改せずに、再来年からの転職を考えておるのですが、研究機関へ行くのは、大して生活が変わりそうもなし、民間企業もなんか面倒臭そう。手間かけて行って、交通費も出されずに追い返される(先に転職した先輩の経験談)のも、僕の自尊心が許さなさそうだし(笑)というわけで、公務員にでもなろうかと。と言っても、国家一種は学部時代の同期が、何人も遥か上の相当なポストに行っているので、却下。彼らと顔を合わせなくてもいい、現場仕事希望…で、検索してみると、大体、・県庁上級・防衛庁職員・国家二種・警察官ぐらいかな。まあ、ゆっくり考えてみる事にします。20代半ばになって、転職とは…我ながら、計画性の無さには唖然とします。「大人のマナー」が、全然なってませんね。正直、自分の事はあんまり考えてないなぁ。というか、権力も与えられないのに、責任だけ押し付けられるんなら、偉くなりたくなんかないし、金儲けは、ボクの流儀に反する所もありますし(笑)色々、ヤヤコシイ性格の人間は、我ながら困った物。
2007.10.30
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日本語の乱れが言われて久しい、というよりも、日常会話のイントネーションが、明らかに単調化しているように思います。特に文法的におかしな発言をしていなくても、何かしら昔とは違います。言語学の先生方が、日本語の乱れを言う時、女性語の変質を指摘されますが、女性の言葉に品が無くなったというのには、一理あると思いますが、それよりも、男性のような単調な喋り方をする人が増えてしまったのが、変質を感じさせるポイントのような気もしますまあ、今日の話は純粋に文法的な話。「~で宜しかったですか?」や、「~の方をお持ちします」等のコンビニ・飲食店用語ではなくて(元凶は、マクドナルドだという説もありますね(笑))、我々も時には間違いをおかしかねない問題。昨日、蕎麦屋に入ったんですよ。セットメニューを頼んだ所、店員の女性が「お蕎麦は、温かいのと冷たいのが、ありますけど、どちらに致しますか」と言われたのです。ボクは、非常に違和感を覚え、その事を伝えたのですが、彼女は非常に恐縮してくださり、先日のバカポリとは、雲泥の差(笑)何処がおかしいのか?まず、「あります」は、「致す」との統一を図る意味で、「御座います」とした方が不自然ではありませんが、それよりも大きなこと。「致す」は、謙譲語であり、日本語においては、自分の立場を下げて言う言葉なので、基本的には、話者を主語とする文しか受けないものです。例外として多いのが、特に命令形などの変化型で多用される形で、「有り体に申せ」や、「左様に致せ」等のタイプ。これは、上司と部下のように、確固とした上下関係があり、水が上から下に流れるが如く、話者が目下の者へ自己同一化を図って、発する言葉であり、命令という、ギスギスした物に丸みを持たせる機能を持つ物です。謙譲語の丁寧語的用法だと、言えるでしょう。「~し給え」や、(同輩に近い者に対して)「~されよ」のような言葉の方が、文法的な統一性という観点では、望ましいのでしょうが、最近は、こういう言葉を使う人も少なくなり、会社でも、上司が部下に対して「○○さんは、~して下さい」等というように、敬語の逆崩壊も進んでいます。敬語は、現実の上下関係とパラレルに存在する物でありますから、上の者が適切な敬語を使わない事も、下の者が「タメ口」で話すのと同様に、敬語の存在意義を危うくする物だと思います。話がそれましたが、上記のような理由で、相手を主語とする文で謙譲語を使用するのは、非常に無礼に当たります。こういうリスクを避ける為、「仰る」「なさる」「頂く」「申す」等の独立型の敬語を使わずに、尊敬語は、「動詞+助動詞れる・られるの尊敬用法」、謙譲語は基本的に使用せず、「動詞+です・ます」で、全て代替して、乗り切ってしまおうとする人も、非常に多いのですが、上記の通り、それは敬語の存在意義自体を危うくする物でありますし、社会人の振る舞いとしては、実に無教養に見えます。トイレタリーを「化粧品」と訳す意味も知らずに、電車の中で化粧している愚者と、程度問題の差でしかありません。正しい敬語を使うように、自分も心がけたいものだと、思います。
2007.09.17
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