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2023/03/27/月曜日/薄曇り、道に薄紅の小さき降る〈DATA〉 集英社 / 著者 加納朋子 2022年5月30日 第一刷発行 「小説すばる」南の十字に会いに行く 2017/6月号星は、すばる 2020/10月号 箱庭に降る星は 2020/12月号木星荘のヴィーナス 2021/2月号孤舟よ星の海を征け 2021/4月号星の子 2021/6月号リフトオフ 2021/8月号 単行本化にあたり、加筆修正〈私的読書メーター〉〈加納朋子さんだし基本はジュブナイル。併せて昔懐かしい少女漫画の王道のような展開に、誰も安心して〈沼っち〉読書になること請け合い。母のケアが受けられない七星の、学校で迎える初潮の戸惑い。母は少女期に両親が離婚し、父は、研究を諦められない母親が出奔という幼児体験をもつ。凄惨なイジメやストーカー、汚い大人の存在、災害、思わぬ事故による夢の喪失などなど、書き連ねると辛い話題のてんこ盛り。が、これらが時空を超えて結びつくときピタリと幸いの像を成す。これこそ物語。現実にも最年少女性飛行士がT大医学卒のシンクロ奇跡。〉ピタリと幸いの像を結んだその刹那、巡る星座の星空の如く、はや様相は変節を遂げる。ここが心地よいと断じても留まることはできないお約束。今の幸せも流転の内に不協和音を生ぜしめ、辛いモノヘと相関していくのが、生じ滅していく生命の理しかし嘆くなかれ、それとてもほんの束の間のカタチならん。願わくば、日本のロケット、日本のジェット、次のステージでピタリと仕合わせ果たさんか。
2023.03.27
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2023/03/22/水曜日/桜はほぼ満開〈DATA〉集英社社 / 著者 小川哲2022年6月30日 第一刷発行 2018/10月号〜2019/5月号 2019/7月号〜9月号 2021/1月号〜11月号 「小説すばる」〈私的読書メーター〉〈どなたかの「物理的に重いがはそこまで重くない」感想に膝を打つ。山田風太郎賞受賞の意義あり。主題は拳=戦争というよりは20世紀初めに幻のように現れた、今は世界地図のどこにも無い満州国の架空の街の都市計画上に、やはりフッと立ち上がった建造物の、時間と空間と言えるのかも。そこに入れ替わり立ち替わりの群像劇。中でも魅力的なのが細川と孫悟空。共に百年のオーダーで「地図」を幻視した。建築と音楽のヴォイドについて前者は内井昭蔵の建築雑誌寄稿文を昔日興味深く読んだ事や建築家中村與資平の事などが想起された。〉地図といえば、忘れられない記憶がある。学生時代に訪れたカトマンズの、確か「チベット人の家」とかいう名の食堂の壁に貼ってあった世界地図。その地図は、それまで私の目に親しんだ世界地図とは全く異なるものだった。中央にはユーラシア大陸。日本は正しくファーイーストの右端隅っこで、何と!北海道は欠けていた。おおー、世界からはこう認識されていたのだ本邦よ、という発見。そんな目から鱗、意識の座標転換体験こそ、実はインドネパール旅の白眉だったかもしれない。そんな世界の隅っこ島国が抱いた仮想敵国ソ連への深謀遠慮。ソ連の南下を防ぎつつ、石炭エネルギー確保に走るにあたり、日露戦争犠牲10万英霊に対する勝利品の貧弱という国民不満の醸成。その追い風も受け仕立てられた満州国は、しかし世界のどこからも国として認知されなかった。あゝ〈遅れてきた青年〉の一周半遅れ。つまり、世界地図に載ることはなかった。ここで疑問。日本で当時、満州国の存在する世界地図は存在したのだろうか?小説中の幻の島と満州国がだぶるではないか。さて、五国共和を歌った満州国小説では、日本人朝鮮人ロシア人満州人漢民族モンゴル人及びその土地で死んだ英霊がうち揃い、自由と平和と繁栄を享受する、そんな浄土を打ち立てようと若きアンビシャスを具現化した細川がいた。確かに、二心なしに理想の大地を目指した人びとも現実にいたときく。そんな彼らも、妖怪岸信介←故安倍氏祖父、のような自己の利益に聡い満州国官僚の姿に幻滅して早々萎んでいった。何でもアヘンでひと財産築いた?凶作と不況に喘ぐ日本の寒村から娘が売られていく現状を打破しよう、満州でなら小作農ではなく大きな耕地の持ち主になれる。政府が甘言を弄したと非難される側面大とはいえ、その農地はそもそも誰のものだったか、自らに問う事にフタをした、その事実も重い。しかし、どちらが辛酸を舐めたか。官僚機構は結局あの敗戦を挟んでもそのまま引き継がれたのだなぁ。この鉄の構造。長野県飯田市に程近い、阿智村に満蒙開拓平和記念館がある。満州国に渡った人びとの実情を学ぶことができる。当初個人の力で設営された記念館である。そこを見学した際に、平成天皇ご夫妻がこの記念館を訪れた事を知り少しは心が温まった。さて、この小説の重要なファクター、もう一つの柱は都市計画だろうと考える。コルビジェの 輝く都市 だったかの話なども出てきた。コルビジェといえば。若い頃、マルセイユまで出かけて ユニットアビタシオン 集合住宅壁のレリーフ、人間のモデュロールを見たときは感激した。けれど建築そのものはピンとこなかった。コルビジェはやはりロンシャンの教会堂ユニットアビタシオンが機械とするならロンシャンは生命だ。そのくらい違う。私は建築好きなので、こんな小説は美味しいのであるが、文中で、中川が明男の建築プランを「明後日」と代官山同潤会アパートの部屋で評した件。これは アーコサンティ を匂わしたのか?などと妄想した。思想は跳躍しても技術は一歩ずつ前進するのだなぁ、「エレベーターと空調」なるほどなぁ、の超高層。それに内井昭蔵の寄稿文に影響を受けたのではないかと思われる、建造物とその利用空間についてもっと迫りたいものだがここでは一つ音楽について。音楽家は五線譜に音符を連ね作曲する。現代音楽はいざ知らず、再現性のためにはともかく。しかし音楽を聴くものは、そのピン留めされた音符の移行のみを音楽と感じているだろうか。実は音と音の間、インターバル。或いは休符、その無音にこそ音楽的感情が乗るのではないか。摩擦で生じるのでは無い音をウパニシャッド哲学だった? アナハタ と名づけている。そんな音の原型が宇宙を満たし、生じ滅して流れているのではないか。ひとは設計された建築物ではなく、それが構成した空間を動いて暮らして休んでいる、ように。本を読んで随分遠くまでふらふら来てしまった。
2023.03.22
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2023/03/19/日曜日/寒さが少し戻る昨日今日〈DATA〉朔北社 / 著者 フローラ・トンプソン訳者 石田英子 2008年8月1日 第1刷発行 〈私的読書メーター〉〈(午後の紅茶)のような味わい読書。著者は1876年オクスフォード州の小さな村で生まれ育った。細部まで克明に自身の幼少期を追想した、記録のような随筆のような小説。これが英国の高校生必読課題図書に挙げられているのだから、英国人の思想のようなものが感受させられる。ヴィクトリア女王在位50年の祝典の一方で、白煙を吐き機関車は国土を疾走する。古い殻をくっつけたまま、考え方や様式、価値観が変化する時代。廃れていく子どもの遊び、人びとの営みと共にあった歌、自然、職業、始まった義務教育。大戦前の幸福な田園の風景が鮮やか。〉ーー鮮やかな田園風景開け放たれた教会の扉から迷い込んで来る鳥や蝶学校と家庭の2時間の道のりの丘や林、野原。見つけたベリーもリンゴも植えられたカブも、もいで食べてしまう子どもの集団男の子たちはコレクションのために野鳥の卵を獲り、空っぽになった巣を壊して道に捨てた。中身は吸い取り食卓に供され母親たちは喜ぶ。それらを母さん鳥はどんな悲しい思いをしてるだろうと、ひとりローラは胸が潰れる。そんなローラには、学校や教会で受ける矯正のような教育が、往復の野山で野生に開放される子どもの姿として浮かび上がる。ラークライズには、当時電気ガスはもちろん、水道も無かった。女たちは離れた井戸まで水を汲みに行き、ふた部屋あれば上等な、小さい家を清潔に磨き上げた。1ダースもの子どもたちを産んだ小さい家々は、はちきれんばかり。まるでイングランドの丘のうさぎたちのように子沢山。いつだったか。英国マスコミが日本の住宅をうさぎ小屋と皮肉ったのはその記憶を呼び覚ました所以ではないかしら。もっとも日本のうさぎ小屋には子どもは一人か二人か。さて。この本では著者が経験した二つの大戦を知ることはできない。ただ、魂の片割れのようだった2歳下の弟の戦死を記したメモリアルが、慣れ親しんだ教会の壁にあることが淡々と短く描かれるだけなのだけれど、読み手には返って余白が膨らむ。何年か前、大津市の町屋の宿で朝ごはんを共にした、東北の役所で働くオックスフォード大卒と思われる英国人女性に、英国の国民的な詩は何ですか と聞いたことがあった。彼女は少し考えて、それは第一次世界大戦で戦死した若者を歌った詩だと答え、一部朗唱した。英国人であれば、みな暗唱できるそうだ。なぜなら、それは英国史上最も無意味な大量の若者の死であり、最大の悲劇なのだという。1ダースの子どもたちは女の子であれば12歳ともなるとお屋敷に奉公に上がった。農家を継がない、職人にもならない男の子たちも幾人かはそんな選択肢があった。第一次世界大戦で若い人たちは命を落とし、お屋敷を支えるメードも馬丁も庭師も動物係も消えた。お屋敷自体、財産が失われアメリカの金持ち娘の持参金をアテに生き残りを諮るような、そんな時代へ変化を歴史は伝える。さて、ローラは問うのだ。モノは無いし、苦労も子どもも多く大した教育も受けず、日々の糊口を凌ぐだけの暮らしだったが、決して不幸ではなかった。貧乏は不幸では無い。村人はみな屈強で健康だった。何よりも情が通い、文字通りコミュニティが生きていた。幸せとは心の持ちよう ではないだろうかと。当時珍しい自由主義で無神論者だった石工の父、賢明な母から受け継いだローラの繊細な気質と、みなに慕われたヴァイオリンを弾く、敬虔な祖父の人間味豊かなモデルロール、それらによって揺籃された著者の感受性は、今尚読み手の心に染み透る。
2023.03.19
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2023/03/14/火曜日/朝は曇り〈DATA〉東洋経済新報社 / 著者 安冨歩2014年7月3日 発行〈私的読書メーター〉〈『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』が評判となった折、著者もそれを読み感激した所とまるで違う!と感じた点があったそうで、ならばドラッカー『マネジメント』を専門?でもある論語をサブテキストにして解題した、というのが本書らしい。門外漢の私にはマーケティングって市場調査の意かと思いきや、事業のマネジメントから考えるそれは「われわれの事業は何か、何であるべきか」という問いの継続と見るのだとか。「学而時習之」の回路の開かれた人を仁とし、これがマネジメントのエッセンスであるという〉学而時習之学びて時にこれを習うこの一文に中学生の私は痺れた、のではあった。何もかも忘れてしまう私にあって、新書の著者名、貝塚茂樹の名もくっきりと未だ鮮やかなのであるから、こういう図書こそ生涯の友といえる。『論語』によって、その思想と漢字の面白さに目を開かされ、昂じて戦前使用の古い書体を父の古書から模写してはそれらをあちこちで使用する偏執振り知ってる?体って骨が豊かって書くんだよーなんて夕餉のひととき賑わした。当に「学ぶと習う」を手元で展開していたのだった。あ、それで思い出した。静かという文字を学んだ小学生のとき「青が争う」と書くことに日本的美意識を発見したようで感激したものだったなぁ。小学生の女の子だって色々考え感じてるんだからね、と時々思い出す。同時に学び始めた英語は、友だちのお父さんが教室でカタカナで発語するコトバに親和性がみいだせなかったなあ、しみじみ。で、学ぶ=learn 習う=study人工知能の deep learning てあるけど確かにAIは 過去に蓄積された凡ゆるデータから最適化解答のアルゴリズムは達者であろう。しかし彼らに study はやれないんじゃないかな。と思うのだけど。それから、創発というようなことは study からしか出て来ない と思うんだがなあ。演算ではなく「習う」ひょっとして 繰り返し、或いは 鍛錬いやいや「習う」には、何やら明るい、悦びが伴う。幼い子が飽きもせず繰り返し繰り返し夢中でやり遂げていくような。一つの傑出したタブローに至る前には膨大なstudyがあるのであって、data の山なり海があるのでは無い、のだ。私よ、studyをしよう。
2023.03.14
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2023/03/06/月曜日/まだまだ寒い一日この本は先日の旅に携行した。他にもう一冊持ったが、こちら すら読み終わらず。〈DATA〉河田書房新社 / 著者 奥泉光 加藤陽子2022年6月30日 初版発行2022年7月30日 2刷発行〈私的読書メーター〉〈小さい本だけど、ご両人と編集者の真摯な気合いがこもっている。本中に「軍人勅諭」と「国民勅語」の資料が収められ、更に解説コラム「ポツダム宣言」「終戦の勅書」の二つが入れられていることがそれを示す。これを〈先の戦争〉の我らが教科書と名付けたいくらい。奥泉光さんの『浪漫的な行軍…』小説家というのは凄いなあ、としみじみ感じさせられた。その本と田中小実昌『ポロポロ』が物語性の回避として多声の語りに触れ対比される辺り、ああこんな風に読んでいくのだな、と瞠目。読書マニアな加藤さんのカバー流石。山本七平山田風太郎つん読〉先ず 奥泉光さんの 「はじめに」ここが私には重要だ。「国民国家」の語が何度か出てくるが、その事にどれだけ自分は意識的であるか、と考える。近代に発明された「国民国家」を統合する方式とは憲法と議会、それと軍隊である。と加藤さんが言う国民という自覚を揺籃するための「義務教育」というものが一方にあると今の私は思う。子らを学校に上げるその昔、少なくとも私はその事に自覚が乏しかった。年齢が達したならば自明のこととして至近のガッコに、あれこれ準備を整え通わせただけである。何という無自覚、空っぽさ第一子の入学では国旗掲揚は無かった、と記憶する。その卒業では国旗掲揚があり、第二子の卒業は全員起立の君が代斉唱と、随分な変化を目の当たりにした。第三子においてはその辺りに違和感すら持たない。こうやって何も考えない訓練は進行する。あ、気がつけば本の内容からも離れているような。いやいや〈教育〉を亜〈軍隊〉として国民統合の柱化作戦かもしれぬではないか。子ども側からの抵抗作戦は〈不登校〉、各地で繰り広げられる公教育からの子どもの逃走、過去最大公園も道路からも彼らは閉め出され、道を歩けば老人の暴走車に突っ込まれるのであるから、もはや子どもはこの国に生まれて来ぬ。かつて国体のために日本民族が全て滅んで良いとする極端な思想があったが国民国家を維持するには、やはり諸外国からこの国に暮らしたい、と思う人びとに参加してもらわざるを得ないんじゃない?人びとの自由な性にすら理解不能のフリーズ老人思考政権とそれに甘んじる行政マスコミは、結局押し寄せる津波の前でただ茫然と立ち止まる姿と重なり見える。3.11がすぐそこだ。ハナシはとんだ。対談のお二人は危機感を持ち、真剣に日本について戦争について歴史について資料と物語について語っている。さて物語を書くことにこんなに自覚的な作家が同時代にいることは、かつて大江健三郎がいたことよりはるかに尊い。対談の場へ、書物を通して私も参加したい。軍隊のない、つまり統合形式が一つ欠けた我が国民国家、のアメリカ世からの自立はそろそろ国民レベルで検討する時ではないのかしら。資源の無い災害頻発国ではスイスに見られるような国民一人ひとりの防災とサバイバル意識向上が今後期待される。騙された国民、であってはならない。
2023.03.06
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2023/02/19/日曜日/曇天今年の梅は実に見事に咲き誇る。娘夫婦がやってきて昨夜は飲み過ぎ、曇天やよし〈DATA〉講談社 / 著者 三木那由多朝日選書3472022年7月19日 第1刷発行初出「コミュニケーション的暴力としての、意味の占有」群像2021.1月号、上記以外は同誌連載〈私的読書メーター〉〈ある研究分野を究めるべく関連文献を探るとたいてい世界の誰かが先じ、学問は先へ細部へ昂進する。文献どころか日夜更新されるレポートを読むだけで時間は浪費され思考を深めるまでに到達できない、というような事を安富教授が語っていた。言語哲学。それもまたそのように今日的な専門をカジュアルに紹介?と読み始めたが、著者の息遣いのようなモノが「共同的コミットメント」「アンブレラターム」へ私を真摯に結びつける。漫画、ゲームからは言語振舞いを、自身の性自認からは哲学の根源を、辛い体験から柔らかく紡ぎ出す。鶴見俊輔を偲んでしまう〉初稿「意味の占有」の印象として、著者が女性である事を疑わなかった。女性であることのマイノリティから繊細に作用する言葉の機微を描いてる、との感想を持ち、先に進んだ。先生の呼称へのこだわりも、私とキヲイツニスルなあ、ほんとフクザツだよね、の共感大人からそう呼ばれれば、先生と呼ばれるほどのバカじゃなし、と返したいし。小中学生からそう言われれば、あなたの側にいたい、ちょっと年上のともだち?みたいな、と言いたいけれど。やがてめんどうで、どうとでもという辺りで揺れるそれから所謂センセイ方の、つまり発言にパワーを持つ立場の方の言葉のアレコレそれからドスーンと来ました。「哲学と私のあいだで」の章自民党「LGBT理解増進法案」2021/5/19.20この時のヤナカズオ、山谷えり子氏の発言は本当に不快で、今にして思えば統一教会日本会議の言説スピーカーだったことが鮮明ツイ先日岸田氏秘書の発言も聞くに耐えない。彼らの風体も含め恐ろしく時代錯誤で、今に生きている恐竜のような印象だ。著者は連載途中に自らの性自認を公開したが、それはそれ無くして哲学者としてのスタートを開示できない困難さを覚えた所以だろう。文を追いながらなんて誠実な方だろう、と感じたものがこの章で極まった。ヒトはそもそも胎内ではみな女性なのである。ある時点で浴びる性ホルモンによってどちらかに振り分けられる。素人目にはその濃淡もあるだろうと思うのだけど。私はここで手塚治虫『リボンの騎士』を思い出す。この世に生まれて来る直前、赤ちゃんたちが並んで、男となるか女となるか神様がノートに記すと、お守り天使が其々に応じたハートを渡す。ところがリボンの騎士は天使の手違いで男女二つのハートを持ってこの世に生まれて来るのだ。それと、大島弓子の漫画に見る性のトランスファーどころか、非常に複雑な交差を子ども時代を通して自分の裡に取り込んで成長した今、何の不思議もなく受容できるのだ。そういう女性、稀に男性は多いのではないかしら。「子どものように泣く」それができることは実は特権的なギフトではないだろうか。著者にそう話しかけてみたい。
2023.02.19
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2023/02/15/水曜日/お昼前から晴れる〈DATA〉朝日新聞社 / 著者 ドナルド・キーン訳者/金関寿夫朝日選書3471988年2月20日 第1刷発行〈私的読書メーター〉〈5.6.7章立ての5、川合小梅、樋口一葉、森峰子←鴎外母、下村とく、有名無名4人の女性。杢太郎日記に目を通すだけのつもりが、のっけから目を奪われ。6、独歩、子規、啄木。明治の文学作品中、一番感動させられたのが啄木の日記であるとキーン氏記す。7.有島武郎、幸徳秋水、徳富蘆花、杢太郎、永井荷風。私にはこの章が圧巻。維新から70年これら作家の西欧受容の地平は今の私たちに繋がる。杢太郎日記、初期と後期の温度差は大震災と復活に追われた土木技師の兄の件がある筈。或いは大逆事件が落とした影の来る所、の戦災の予感か。〉杢太郎晩年、と言っても六十歳前のこと。食べるものとてない戦時下、大学研究室キャンパスでいよいよ野草などのスケッチ夥しい。時節柄、食べられる野草などもまとめてあった様子図鑑に載せうる体裁の静物画故に個性や表現は排しているけれど、律儀で正確を好む研究者と芸術家の繊細な感受性を伴う。文章において、その二つの面は東大医学に進むにつれ窺われるように感じる。杢太郎、当に二十歳の日記「…大利根の河、ゆるき脈拍をうちて流れたり、この河の尽きて海に入るあたりは岩石露れて 外海よりよする大波よせてはくだけ、くだけてはよする様の、稗史(民間の歴史)に戦闘の様を見るが如くなれども この波を走るあなたには常陸一帯の地 ねむるが如く横はる也」学んだ全てが、この人の裡に芽を出し、根付き、花開くかのような文体ではないだろうか。その彼が国外での病院勤務の後、パリに留学するのは38歳。「巴里!百三十人からの若い画かきが居て、画の話と女の話に有頂天になつている巴里!そこにいつも見すぼらしい不機嫌な黄色い顔をしてとぼとぼと道を歩いて居る人を想像して下さい。…踝のかくれるやうな、だぶだぶした長い外套 ー 肩幅を超えるほどに扁い顔 ー なほそれよりも飛び出した頬骨 ー その小さい眼は然しよく見ると、日本の雀の眼より狡猾さうに見える…どこかに容易く真似の出来るオリジナリテエが隠れては居ないか…どこかに女は居ないか…主としてこの二つのものを捜す眼 ー 黄疸病みが酒に酔ったやうな黄褐色 ー 揚がつた左の肩、こごんだ背中、飛び出した前歯、一寸法師。」とまあ、何とも辛辣さは内外に向かう手紙を記している。殆どの人が当節このような感慨から自由では無かったろう。どう見てもこれは夏目漱石の印象に続く。一校で夏目漱石から英語を教授されたこと、中学からのドイツ語能力を考えると、森鴎外に師叔したこと、ドイツではなくフランスで研究生活を送ったことが、運命のすれ違いのようにも思われる。当時の旧制高校生はゲーテで明け暮れたそうだから森鴎外は必然の流れであったかしらん。この本で初めてまともに徳富蘆花を読むこれは大発見であった。キーン氏の徳富蘆花理解の筆致も素晴らしい。幸徳秋水、永井荷風これらも第一次テキストに当たりたい。
2023.02.15
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2023/02/03/金曜日/寒い曇天〈DATA〉講談社 / 木下杢太郎岩坂恵子選2016年3月10日 第一刷発行〈私的読書メーター〉〈1ヶ月弱を掛け読了。その文体と語彙と思索をよろめきつつ追いかければ也。杢太郎60年の境涯中、戯曲、詩作、小説、随筆、紀行文、水彩、本の装丁、美術研究、南蛮キリシタン文献研究などどれも一流の為事だが、何といっても癩病研究において世界的偉業を成した上に患者隔離差別を国内でいち早く科学的人道的に批判を加えた、という真に天晴れなルネサンス的巨人である。満州で北米でキューバでパリで欧州各国で神戸名古屋仙台で席を温める暇なく発熱甚大なる分子氏の、故郷伊東の郷社の鹿島踊。その詳細と洞察の「海郷風物記」を謝し讃える。〉しかし。凄い人ではある。皮膚学の研究や大学教壇に立つ終日の傍ら、改造社の書物の幸田露伴論を書くに辺り、10巻からなる露伴全集を読み上げたという。私は露伴を面白く思うが全集を読み上げるだけの胆力がありませぬ。杢太郎は関東大震災前の東京を前期と後期に分け江戸と漢籍教養の未だ面影を残した前期東京を愛した。杢太郎が故郷伊東を離れ、学問のため上京したのは後期であって、もはや江戸の風景は消失していたのだけど。露伴の根幹にある、漢学、儒教の教養を看破し露伴が古典のいにしえに遡ることで体得されたユマニテを言及する件。また露伴の描く風景の人物点描の妙を例えて「六百年の滝の桜が今年も花を咲かした如く」と評するのであるが、これは露伴を語るに何と優れた言い回しであろうか。人に対するに、風景を見ることの詩心よ。
2023.02.03
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2023/01/31/火曜日/冷ややかな晴れ〈DATA〉平凡社 / 著者 森まゆみ2018年3月26日 初版第1冊発行〈私的読書メーター〉〈木下杢太郎の、天草の帆掛船スケッチ表紙のハードカバー版で読む。断然こちらがよい。というのも五足の靴の持ち主の一人は杢太郎なのだから。そもこの旅は、バテレン耶蘇教に関心を持ち、天草四郎の乱の戯曲を後に成す杢太郎の意向大と想像する。随行は吉井勇、北原白秋、平野萬里ら20代前半の「明星」同人とその主催者である与謝野鉄幹という組合せ。明治40年の彼らの旅を著者がトレースする重ね書き体で、時々時間のあわいが淡くなるのも著者の指向と嗜好。彼らの文中に鴎外『即興詩人』を見出せるのも、ならでは。羨ましい垂涎の旅ではある。)『即興詩人』はアンデルセンの著作すっかりこれを読んだ気でいた自分。ーそういえば森鴎外記念館でこれを買うかどうか悩んだのだったわ。なぜ読んだつもりだったか。それは、マイケル・ブースの『ありのままのアンデルセン』を読んでいたからだった。以下、〈私的読書メーター〉〈マイケルブースと言えば『英国人一家日本を食べつくす』の著者ではないか。これは彼のデビュー作と呼べるものらしいが、独特の辛辣なハッタリに近いユーモア、英国人気質はまさに栴檀は双葉より。ゴッデンの描いた人物像も観察力の高さを覚えたが、こちらは彼の官能の元と行動の裏付けをあらゆる資料を駆使して、『一詩人のバザール』旅行記を辿る過程でアンデルセン人間像を肉付けしていく。脚と体力と資金を酷使、不運天候胃袋に翻弄され、ドナウ川クルージングでは突然の母親登場、アンデルセン自身と一体化していくかのごとき愛と発見の旅記録〉という自分の記録を今更眺る。五足の靴ならぬ、一足の靴(私の)は、コロナの前年アンデルセン生誕の町、オーデンセを徘徊した。大きなアンデルセン博物館が建設中で、東京オリンピックの競技場と同じ2020年開館、開催の予定と記されていた。共に隈研吾の設計そういえば、隈研吾の「負ける建築」展を昨年見たとき、競技場の模型は見たけど、オーデンセは展示がなかった。それ、見たかったのに。閑話休題森まゆみさんの文章は、何というか晒し木綿の手触り使い込まれてふっくら温かい。そして媚びが無い。それがすっきりと気持ち良いのだが五人と森さんが混在して、あれ、これはいつの誰の旅?みたいな印象も与える。まあ、それが妙、でもあろうか。森鴎外はまるで五人の文学精神の岳父というべきか。特に医学と芸術に揺れた杢太郎にとってはポーラス。森まゆみさんはその町内で自身を育んだ、そんな縁も発動力たり得たことと思う。森鴎外記念館には、当時からの庭木の見える落ち着いたカフェがある。
2023.01.31
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2023/01/20/金曜日/今日は晴れた〈DATA〉 徳間書店/保江邦夫2015年11月30日 第1刷2015年12月15日 第2刷〈私的読書メーター〉〈理論物理学者が辿り着いた〈神さまから愛される〉方程式⁈著者の桁外れな生き方に驚き続けているウチに一晩で読んでしまいました…多分にご謙遜が含まれているでしょ、いくら何でもハッタリで東北大→京大院→名大院→ジュネーブ大研究室へなんて。何ですと!アウトバーンで猛スピード運転中に幻視した数式はシュレディンガー方程式を導く⁈不思議を凌駕していく氏の空間感受性は、湯川博士の素領域理論を経て、エジプトピラミッドで秘儀を授り次元転移力を得た⁈人間情緒を含む統一場はカミのアイに満たされ。ロズウェル、キリスト、えええ⁈〉さすが、徳間書店の本だなぁ。荒唐無稽、なんぼのもんじゃいマインドが溢れている。著者の経歴がアンビリーバボあの、岡山のノートルダム聖心女子大の学長でいらした渡辺和子さんが直々、ローマ法王庁枢機卿推薦ありの氏を大学に招いたという。その橋渡しをしてくれた神父さんとは、氏のジュネーブ時代に世界宗教者会議で骨折り協力した事で昵懇であったそうなそんなご縁が枢機卿の推薦文につながる。情けは人の為ならず道理。さて、その神父さんの、エクソシスト=悪魔祓いとなれる神父の人物像描写が興味深い。曰く、悪魔に憧れられるくらい悪業を尽くすような人物でなければとても務まらないという。呑む打つ買う、なんぞ目ではない。小心な善男善女に唾棄される、そんな神父がエクソシストとして法王庁高職からダイレクトに指令を受け、世界中を回るのである。ほー、世界って底知れない。ここまではリアルに面白く読んだけれど、後半は徳間書店カラーぶっちぎりで、ハテナ感が募る。尤も不思議大好きなタチゆえ、かもねかもね、はああ?としっかり楽しむ(@_@)
2023.01.20
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2023/01/15/日曜日/お日様を見ていない〈DATA〉亜紀書房 / 著者 ハイノー・ファルケ、イェルク・レーマー訳者 吉田三知世2022年9月28日 第1版第1冊発行〈私的読書メーター〉〈すこぶる時間が掛かった読書。その割に自身の知識感度は1のマイナス1光年ほども広がらず。相対性理論と量子論の知見が私の知的閾値を光速度で一万年くらい遠ざけるものですから追いつけず。「存在するものの全てが光」金魚鉢から死んだメダカを掬い取った時には生命も光だと知ったのだったが。「光より速いものは存在しない」しかし光を飲み込むブラックホールは光よりも早く光を捉えているから放出されないのではないのか?それって重力なの?銀河系中心にある巨大なブラックホール辺縁の、赤い光のセンセーションも脱兎の如く遠ざかり。〉このタイトルはやや恣意的、著者の宗教観による所に傾いているようにも感じる。ブラックホールそのものは撮影できないのだから、暗闇のなかの光というよりは 暗闇の周りの光 が正鵠を射ているのではないかしらん、と素人考え。ブラックホールの桁外れな質量の周囲で光は曲げられ、あるものはその中へ落ち込み、ある距離にあるものは赤方偏移してエネルギーを失うが、周囲で起きている光の途方もないダンス?が繰り広げられている。著者はそれを撮影するために地球大の望遠鏡を設置させるプロジェクトを立ち上げ、成功する。国家や政治の領域を超えた宇宙敵プロジェクトはどのように成功したか、という読み方もできる。古代文明、占星術、ケプラーの惑星運動法則、アインシュタイン相対性理論から、観測技術の躍進によっていよいよ明確になりつつある壮大な科学の歴史。ときに軽妙にときに神妙に、おそらく二人の著者のキャラクターの持ち味が交差する。
2023.01.15
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2023/01/11/水曜日/どんより寒い朝〈DATA〉 講談社/ 石牟礼道子2004年7月15日 第1冊発行 2020年8月28日 第39冊発行〈私的読書メーター〉〈重い事実を取り上げながら、水俣の海の描写がたまらなく美しい。いっそ懐かしい。自分のDNAに浸透する潮の甘さをさえ感得する。石牟礼道子の紡ぐ言葉はそのように私に響く。著者自身が「白状すればこの作品は誰よりも自分自身に語り聞かせる浄瑠璃のようなもの」と記すように水俣病患者のルポルタージュではない一方で市民活動の記録も併記されている。『チェルノブイリの祈り』スヴェトラーナとは異なる方法ながら、厄災に見舞われた同胞へのコンパッションが大地から内海から押し寄せ祈りを形成する様。著者の、草花小動物への共感も愛しい。〉石牟礼道子さんの最大の理解者、編集者の、あーお名前が出てこない。その方も昨年鬼籍に入られた。東海の小島列島の、風土だけが育んだ個性ある日本の人びとが失われてゆく。グローバルな世界人?それもまた世の流れかな「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」
2023.01.11
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2022/12/〈DATA〉慶應義塾大学出版会 / 著者 河野龍太郎2022年7月15日 初版第1冊発行〈私的読書メーター〉〈ぱらぱらと斜め読み。元より妾め、経済学外小市民なんです。が、そんな私も手に取れる配慮が感じられる本書。しかし読めば読むほど日本の現状が克明でいたたまれない。更に、これでもかと他国比グラフで見せつけられる。そんな現状認識を持たずに一体何処へ向かうというのか、防衛費予算倍増コール。税金総負担は北欧並みにして国民教育、スキルアップ支援はノルウェーの3分の1。5G特許国別グラフには顔も出せない。唯一の右肩上がりは国債発行積上げ。樽の一片が低くなれば低くきに合わせ中身が溢れ、不運が拍車をかける。新しい樽HOW?〉第1章第三次グローバリゼーションの光と影 1)ホワイトカラーのオフショアリング 2)権威主義的資本主義vsリベラル能力資本主義 3)ICT革命と際限のない人類の欲望の行方第2章分配の歪みがもたらす低成長と低金利 1)債務頼みの景気回復が招く自然利子率の低下 2)常態化する「資本収益率〉成長率〉市場金利」の帰結 3)経済成長と社会包摂の両立 4)テクノロジー封建主義の打破第3章日本の長期停滞の真因 1)「失われたX年」はいつまで続くのか 2)過度な海外経済依存が招く内需停滞 3)日本型雇用システムの隘路 4)日本人は2010年代に豊かになったのか第4章イノベーションと生産性のジレンマ 1)景気回復の長期化と生産性上昇の相剋 2)日本企業のイノベーションが乏しいのはなぜか 3)消費者余剰と生産性の相剋 4)グリーンイノベーションの桎梏 補論 外国人労働と経済安全保障第5章超低金利政策・再考 1)「デフレ均衡」崩壊までの距離 2)漂流する日銀の金融政策 3)公的債務管理に組み込まれる中央銀行 4)円高回避の光と影第6章公的債務の政治経済学 1)財政政策の復活と進行するMMTな二つの実験 2)超長期財政健全化プランの構想 3)人類の進化と共感第7章「一強基軸通貨」ドル体制のゆらぎ 1)金融イノベーションの帰結 2)ドル一強とその臨界 3)「トゥキディデスの罠」を避けられるのか終章よりよき社会をめざして1 豊かだが貧しい社会2 成長の臨界3 コミュニティ再生のためのヒント4 多面的にアプローチする視点を持つ以上章立てをメモ。第1章の2)に関して読メのどこかで、社会学者大澤氏が米国もすでに権威主義的資本主義に擬態し始めている、みたいな一文に触れた。いやいや、日本に対しては米国はサンフランシスコ平和条約以来ずっとその態度であり、日本国民気質もあって70年以上、それはすこぶる機能しているではないか。2025年=昭和100年問題は、コンピュータプログラミングのかつての日本優位のオマケ?どうせならボン!を仕込んどけばよかったかもーなんてねそんなこんなで分散自立なネットワークの普及が望まれる側面もあるのだろうか。さて、私としては6章の特に後半あたりをじっくり読み直したいところが返却期限となってしまった。さて、親のお金=人のお金、で学ぶより自腹を切って学ぶ方がはるかに真剣に取り組める、というのは身をもって知悉している。税金はよく理解されないまま、うやむやに取られ?る感覚だ。この主体性の無さは、地方政治への無関心にもつながっている。この二つにしっかりマナコ開いて対応していこう。と思う。経済を知ることは日々の暮らしを点検する行為だ。家計こそ国の根本。
2022.12.23
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2022/12/18/日曜日/編み物が楽しくてなかなか読書が捗らない。公共図書館で借りると返却期限があるのでこんなシチュエーションは私にはありがたい。これもだいぶ待ちましたー〈DATA〉 現代書館 / 著者 森達也2022年3月20日 第1版第1刷発行 NDC913〈私的読書メーター〉〈えー⁈こんな内容なの?森さんはファンタジーも書けるのね、才能豊かだなぁ。という感想では勿論終わらない。山本太郎園遊会、その一年後にご夫妻私的旅で田中正造直訴文を見るという応答。幾つも点在する事実を一意に繋いで見れば、平成天皇ご夫妻の穏やかさ謙虚さ聡明さ勇気ユーモアが作者にはこんな風に垣間見えたよ、と。憲法では天皇は国民の合意と共感による象徴、廃止も存続も私たちの総意であるのに何でもタブー化する日本的情緒の煙幕は、J党とD社利権を太らせ、今や目も開けられないくらい腐臭を放つ、とな。ピュリファイ祈る昨今。〉個人的に天皇についてどう思うか、みたいな問いはあまり持ち得ない庶民サイドです、はい。かつて仕事関係で、「菊のカーテン」←そういえば最近これは聞かない← をするするくぐる知合いがいるとする方がいた。大学の教師でありながら皇室うわさが好きなんだなぁ、なんだかなぁ、という記憶。それよりもリアルなのは亡父の兄に当たる近衛兵の叔父さん、という存在私の生まれるずっと前に悲しい死を遂げた。「宮城というのは、ヨシキ(父の名)、森ぞ!」と幼い父に語ってくれたという。当時は皇居と言わず、宮城と呼んだとのこと九条、窮状。またこの夏、岸惠子さんの本を読んで横浜の講演まで出かけたのだけど、その文中、プライベートで美智子妃に招かれた一文がある。大女優はスポーツカー?を自ら運転し、住居部分の御門に付ける。車の中は抱えきれない野草草花妃殿下には縁のないだろうこんな花々を見せたい、という心意気ところが美智子さんはその名称を悉く彼女に教えたという。何となれば、そこは森、なのだから。沢山自生しているに違いない。ところで美智子さんが会いたいと思えば、面識が無くともそのように算段できる、というのはびっくりだ。網野善彦は『日本の歴史をよみなおす』で、はっきりと天皇という制度は何れ無くなるだろう、というように述べている。長い将来の先にはそんなことになるのだろうと私も思うのだけど。でもねえ、ラビリンスがあるからねえ。啓蒙も科学も遂に切り込めず、それならばいっそ消えて無くなる、そんな国であってもいいとするラビリンスが平成天皇退位の肉言、スピーチがこの本後半に丸々載っている。今更ながら読み直し、やはり私の問いとしてハラに落とさなくていけないんだろうと、ぼんやり考える。
2022.12.18
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2022/12/07/水曜日/大雪の候〈DATA〉講談社 / 著者 野村泰紀2022年4月20日 第1冊発行2022年6月14日 第4刷発行ブルーバックス B~2199NDC440〈私的読書メーター〉〈⁈の専門用語と妙に惹かれる言葉、例えば「宇宙の晴れ上がり」とか「人間原理」などが章毎にさざめく読書。本書で初めて知る「ペンローズ図」の時空図は、光速を超える伝搬速度は無い理論を実にすっきり描像、数式や理論より私的に晴れやか。しかしこの展開はどこまでも一様な宇宙を示し私たち以外の宇宙は存在しない事を意味した5章から、マルチバース6章へとビッグバン。真空のエネルギー密度の観測値を説明する無数の異なる宇宙の存在は超弦理論と量子トンネルを介し無数の泡宇宙へ。その泡宇宙内ではペンローズ図が再起、時間の概念へ滔々と〉科学者の文章は平易で読み易い。が、その内容は私のキャパシティを超えている。しかも読後の高揚感から随分時間が経ち、返却済みで手元に資料がない、ときた。さて随分時間が過ぎてしまった後もわずかに残る印象量子力学のトンネル効果多宇宙を内包するマルチバースとトンネル効果と死後の世界みたいなことを妄想した、なぁ。そういえば死ねば火葬され灰になることは見れば分かるとおりしかし物質は粒子であると同時に波でもある粒子である灰があるということは波も存在するその波はマルチバースのトンネル効果で、地上に生きる人の観念するあの世とやらへくぐり抜けていく、と。えー、粒子なき波⁈反物質的エネルギー?分からん。肉体は持ち運べないが意識はそれぞれにトンネル抜けた先の宇宙で実相する。かもしれない。そのとき、個体の意識があるのかどうかは分からない。むろん自我は消失しているだろう、肉体が無いのだから自我無しの意識、完璧だ。意識が観相する世界は地上での過去生をなぞらえた像をコピーしているのだろうか意識が意識して?地球のような生命溢れる星へとトンネルをすり抜ける時、どこかの宇宙に葬り去った粒子を星雲のように吸着し、それらは猛烈なスピードで安全な場所で進化を果たし、どこかの世界へと産まれ落ちる。ヒトは死ナナイトンネルがあるんだもん。なんかそんな感想に至るアタシ。メタバースってマルチバースの戯画、ちうこと?
2022.12.08
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2022/11/19/土曜日/日中は暑いくらい〈DATA〉集英社インターナショナル / 著者 高野秀行2022年9月10日 第1冊発行2022年9月20日 第2刷発行集英社インターナショナルnote 2020年10月〜2021年7月連載の大幅加筆、修正〈私的読書メーター〉〈目的が明確でないとちっとも頑張れない氏は、付属校持ち上がりで早稲田大生となるも学業に身も入らず。入部した探検部でも殆ど外様状態。ところがインド一人旅を経て今までの人生が吹っ切れるほどのめくるめく体験をする。どん底から生還した交渉力は英語力というよりは生き物の本能に近い。本能目覚めの刺激を求め?アフリカへ、ラテンアメリカへ、アヘンのゴールデントライアングルへ。泣き笑い呆れ驚き満載の青春放浪。学んだ言語25以上。そのユニークな語学習得を「ブリコラージュ学習法」と名づける辺り、仏文卒論断トツの背景が伺える。〉初読みの方だけど、相方は彼の本は殆ど読んだらしい。好きな人は滅法好き、の世界。初めてのしかも一人旅がインド。あーあ、取り込まれるか拒絶するか、しかないような選択場所ではないか。そして何事も、初めて体験はその後のその人の嗜好や傾向を方向付ける、ように思う。そのインドで、英語もままならないまま、安宿で同宿になったカナダかどこかの女性のガードマンでき役回りで、彼女の訪ねる教会へ小さなおばあさんと対面した彼女の感激たるや。あなたは一緒に写真とらないのかと、尋ねられるも関心のない、高野青年。後からそのおばあさんがマザー・テレサと知る。インドで聖人と会ったその後には、かっぱらい的詐欺師にパスポートも航空券も現金も一切盗まれてしまう。まあ、こんなものだ。そこから青年高野の真の学びが始まった。丸裸に懲りない。見上げた青年だ。彼の旅の全ての始まりがインドに凝縮しているではないか。聖なる祝祭→どん底の足掻き→生還そして昔満州帝国があったハルピンで実に優れた語学教師に出会い、ついについにディープなアジアアヘンへと潜入。高野さんと行く越境ツアー、とか企画しないかしらんねえ。
2022.11.19
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〈DATA〉みすず書院 / 著者 ノーマ・フィールド大島かおり 訳2006年3月10日 印刷2006年3月20日 発行〈私的読書メーター〉〈日米両親の元東京で生まれる。親の離婚や母の結核静養中、幼い彼女を文字通り真綿で包み育てたのは母方の祖母だった。祖母と深く結びついた家と庭の四季の移ろい、明治生まれの祖母が持ち得たごく普通の節度や価値観は著者の根幹ともいえる。一方、父の国では日本研究で教鞭をとる。祖母介護に尽くす母の支援、学問研究の二国間の長の往来からの日本への眼差しは冷徹で鋭い。「日本は個人なき個人主義と物言う人間を攻撃する、連帯とは無縁の集団意識の時代に陥り、戦後民主主義の夢を最終的に手放してしまう瀬戸際」の警鐘が予言となりつつある今〉ノーマ・フィールドはおばあちゃんがどうしようもないくらい好きなのだ。その、好きという気持ちは祖母からアジアの高齢の女性へと敷衍していく。戦後間も無く、東京の中流の、日本の家屋とそこに住む人。ところが、自分は茶色い巻き毛で、明らかに風貌も違う。そのことで辛い思いをした記憶はここには書き留められていない。長じて、半ば認知症を患う祖母に、あまり期待せずに病院に連れて行かれた幼い日の事を問うた「へんな子を病院に連れて行くのはいやじゃなかった?」長い沈黙の後、「へんな子じゃないもん、自慢の子だもん」と言った祖母当時でいう「あいのこ」である、寄る辺ない彼女をおしいただくように大切に育てたおばあちゃま。その事がどれだけ彼女の中に自己肯定感を育んだだろうか。おばあちゃまこそ、3人の娘と彼女の宝物だった。エッセイ最後におばあちゃまの嫁いだ頃の肖像写真がある。それはそれは美しい。かつての日本にはこんな美しい、聡明な、人間の真を浮かべる顔というものが存在したのだなあ。文頭の詩、度々登場する石垣りんの言葉これらもまた、一般の日本の女性がどう感じ生きて来たか、そんなふうに著者が広げてくれている。彼女らを慈しむように。金言p202「とはいっても首相という公職は、ふつうの市民に要求される以上の義務をともなっている。そしてそういう特殊な義務は、首相たるもの、自己の判断で引き受けた義務ではないか。でも、自民党にだって、英雄たれと求めるわけにはいかない。首相の生命は、ふつうの市民の生命よりも警護でしっかり守ることができるじゃないか。しかし民主主義は英雄を当てにしてはいけない。民主主義が必要としているのは、政治を真剣に考える市民なのだ。」
2022.11.12
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2022/10/30/日曜日/霜月始まりの薄い日差し〈DATA〉中央公論社/ 著者 井筒俊彦1989年1月10日 初版発行2022年7月25日 改版発行中公文庫〈私的読書メーター〉〈一読、らしからぬ熱さに驚く。本書には2度の復刊に際して氏の二つの後書が掲載されている。若き井筒氏の哲学的希求=「根源的に人間的なもの」が19世紀ロシア文学の発展の中に異常なまでに先鋭化されている事を見出した氏は、プーシキンから諄々と文豪たちの作品命題と作家の人生を解題しロシア的人間を哲学的人間学に構築した稀有な本だ。タタールのくびきから逃れても常に検閲下にあったロシアで文学が引き受けた民族的凄みが重くのしかかる。敗戦後間も無くの執筆であれば、米国のくびきの日本的人間への鏡としての意識も切実に働いたか?〉留めておきたい言葉や詩がいくつもいくつもある本は、壁をくり抜いて作った特別な書架へおく。そして心がすっーと何かに惹かれ、求めるように身体が動くとき、その小さな書架に手を伸ばす。この本はそこに置かれる。例えばレールモントフ17歳の、こんな詩「天使が夜半の大空を翔けながら 静かな歌を唄っていた。 月も、星々も、群れなす雲も 浄らかな歌に聴き入っていた。 …… 天使は、いま生まれようとする魂をいだいて、 悲しみと涙の国へ運んで行くところだった。 歌の言葉こそ忘れたが、幼い魂は その調べをまざまざと憶えていた。 不思議な憧れに胸ふたがれて 彼はこの世に、永く悩み悶えた。 地上のくだらぬ歌や詩は かの天上の歌声の代わりにはならなかった。」など。井筒氏は、トルストイとドストイェフスキーについて〈19世紀ロシア文学はこの両者に至り、峰の絶頂に達し、プーシキンに始まるロシアの人間探求も究極の高みに到達〉し、〈ロシア精神の深奥の秘密を世界の全面に暴き出した告白であり、人間宇宙の謎に関しロシアが吐きえた最高の、そしておそらくは最後の言葉〉であると。トルストイという無数の矛盾の巨魁のような人間の秘密を自我中心主義の問題で捉えるとき西ヨーロッパの作家の中でトルストイに近い人として、氏はゲーテをあげる。かつ両者の決定的な違いを力強い意識のありようにみる。自我と芸術の乖離を生じさせず、内的葛藤なく自我深層の探求をゲーテにおいて遂行せしめた、と。キリスト教的世界の只中にぽっかり咲き出した異教精神の二つの花、ゲーテとトルストイゲーテにおける異教がギリシャローマに対し、トルストイはもっと根源的、原始的な、大地的生命である、と氏は指摘する。そうであるならば、一個の近代人がそれだけの深奥にまで存在の根源を求める恐ろしさは想像もつかぬ。「自然性と意識性、トルストイの内面に相剋するこれらのニ性質を、それぞれの方向にどこまでも辿っていくとき、その極限に至って我々は全く別人のようなトルストイに逢う…」この章の中で、私にとり重要な点は、トゥルゲーネフが『アンナ・カレーニナ』のレーヴィンを評して「レーヴィンという男が誰かを愛するということができると考えられるだろうか。いや、絶対にそんなことは思ってもみられはしない。一体、愛というものは我々の自我を滅する情熱の一つだ。ところがレーヴィンは、自分が他人に愛され、しかもそれで幸福を味わいながら、そのくせ自分自身の自我に執着して離れない男なのだ。…彼は骨の髄までエゴイストた。」という件。しかもレーヴィンは誰がどう見てもトルストイに他ならないのだという。毎週のレッスンで音楽を受入れ表現する、私の芸術的時間において、先生に言われる「自分から出ていく」。さて、この感覚を「自我を滅する」情熱と理解するなら、それは音楽への愛、なのだろうか。しかし出ていく、というのは滅するとは違う。消し去るのではなく、自我を離れる、が近いのではないか。また音楽への愛というと、何やらそれは愛でる対象物になり変わる。それはまた違う。音楽、歌と連帯して歌そのものとなる。人間はそんなふうに存在できるものかは。さて、ドストイェフスキーの章に入り、プーシキンが開拓した「自然と愛の喪失、不能が近代的人間の最大の悲劇」主題をトルストイも続行し、自然性探求の道を窮める流れを見た上でドストイェフスキーの認識は「自然喪失と愛の不能は派生的現象であり、それらの底には根源的な神の喪失」であり、彼にとって失われた神の探究が最大課題となる、とする。「旧い人が罪に死んで、新しい人となって甦る瞬間に人間と共に死に、かつ甦る新しい自然だ。ドストイェフスキー的世界においては、人が自然の美に対してどの程度の感受性を示すか、自然の美にどの程度まで共感できるかということは、その人間がどの程度まで宗教的に進んでいるかのパロメーターである。」これなどはヒロシマナガサキチェルノブイリフクシマを経て更に地球温暖化、気象異変の只中、新しい人の新しい宗教?信仰となりうる未来的思索ではなかったか。そして19世紀ロシアは最後にチェホフを据える。氏は、「透明な叡智の結晶体のようなプーシキン的芸術に始まり、一世紀のあいだ荒れに荒れ、乱れに乱れた揚句、また始めと同じ冷たい硬い叡智の静けさにもどってしまう。」と記す。19時のロシアの作家たちはやがて来る無神論的革命の匂いを嗅ぎ分けた。チェホフはドストイェフスキーのようにそれを拒否せず、医師でもあるリアリストの目を通し、「人間が本当に人間であるために」労働し始めると予見した。新生活によって実現した人間の幸福なるロシア世界は、チェホフから12、30年を経て、井筒氏の執筆から約70年を経て、今私たちが目にするのはドストイェフスキー的黙示録なのかもしれない。全ての兵士が大地を抱擁するならば。
2022.10.26
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2022/10/12/水曜日/肌寒い曇り〈DATA〉うぶすな書院 / 著者 三木成夫1992年8月31日 第1刷発行1999年7月10日 第6刷発行〈私的読書メーター〉〈すごく昔からの再読。一億年に及ぶ上陸と降海の脊椎動物の逡巡が読み解かれる解剖学及び発生学の見知。著者ならではの詩的イマジネーションはゲーテの自然観察、元植物?形態学へ。更にイタリア紀行へ、理性と心の南北の位相は内臓と外壁の開放系へ閉じられ系へ。さりなから解剖学から見れば美人の面も所詮は大なる脱肛⁉︎顔面を動かす声を出す筋肉は鰓の筋肉を借りた為、呼吸の為の筋肉は運動系と連動するしかなく、走れば動悸の辛気臭いオカ暮らしのテイ。心臓奇形は海を懐かしむ古代のメモワールだ。永遠に女性的なるもの海のリズムの呼吸〉 蟷螂の尋常に死ぬ枯野かな 其角の俳句が本文197頁文頭にある。交尾の最中、メスカマキリはオスの三角アタマを齧りとる。かじり取られたオスの胴体が枯野を行く其角の目に止まったのだろうか。植物も昆虫も渾然一体に枯れて、至極当たり前の風景だ、と。果たしてレオの死はどうだったろう。5月の血液検査では15歳とは思えぬ、若い値と獣医に褒められたが、夏に視力を徐々に失い、背中の毛だけ芝を刈ったように長方形の形で伸びず、リンパが腫れ元気が無い。胸騒ぎがしてかかりつけ医に見てもらう。血液検査だの生体検査だのして、ようやく10日後にはっきりリンパ腫であることの結果を知る。その間にもステロイドに加え輸液や針治療、ミネラル、漢方薬まで投与した。ステロイドの副作用で食欲が戻りお水をよく飲み、食べた分元気な様子だった。これなら1月のお誕生日までいけるのでは、と淡い期待を持つ。ところが月曜朝ご飯を残し、夕飯も食べない。火曜日朝になるとお水も飲まないまま、外のデッキに何度も出たがり、家の中でも焦燥に駆られたような勢いで家具の下や隅、あちこちをぐるぐる駆けるようにして、夕方には後ろ足が伴わなくなってしまった。レオは〈行かなくちゃいけない!行かなくちゃいけない!〉と猛烈に感じているようだった。その日夜遠く、遠くで暮らす娘も帰省した。ひたすら家族でレオを抱く。何度か叫び声を出す。夜は川の字で寝るが、横たわったレオは何度も駆けっこするように前足と後ろ足を動かす。翌朝も家族でレオをかき抱く。呼吸は大きく胴体を動かし、その度に肋骨が盛り上がる、あるいは小さくなる。それから呼吸が変わり、口元がハフハフと細波を打つようになる。数分とたたぬ内にのけぞるように背中をぐっーと二度伸ばし、呼吸が止まった。レオ!と声をかけると呼吸は無いままに私を振り向く。視力はない。私の顔は目に映らなかったろう。こうして私の腕の中で死んでいった。考えてみればレオは〈尋常な死〉を成し遂げられなかった。死に場所を求める本能に則してやれなかった。人間に飼われている宿痾で。人間の感情が優先されて。それでも野生の、自然の威厳に満ちた死であったと感じる。立派だった、と。レオは肉体からジャンプして魂のエーテルの海に飛び込んだ。ように思う。肺呼吸から鰓呼吸に変化させて。この本を読みながらそんな事をずっと思っていた。エーテルの海をくぐり抜けた先では明るいお花畑があって、お母さんのシャルが待ってくれていただろう。親子で存分に駆けているだろう。そんなに遠くない先に、レオよ、また会おう。水曜日に逝ったレオ土曜の朝、いつもレオのいた場所から、寝言で言うようなワン、の優しい声が聞こえた。その時確かにレオは遠くへ行った。
2022.10.12
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2022/10/06/木曜日/急に寒い、霜月のような〈DATA〉幻冬社/ 著者 宮内悠介副題 明治耽美派推理帖2022年1月25日 第一刷発行〈私的読書メーター〉〈全六編からなる「明治耽美派推理帖」。ベルリンの芸術運動〈牧神の会〉に因み、木下杢太郎や白秋、吉井勇、石井柏亭らの若き詩人画家らが立ち上げた「パンの会」。彼らの会合場所はセーヌに見立てた隅田川両国橋袂「第一やまと」という洋食屋。定例の度に時局に見合った謎めいた事件を解き明かす仮説を立てるのだが、恐らく白秋、啄木、杢太郎、柏木亭、勇らのパーソナリティ再現度が高いと感じられる。しかし核心の種明しは和魂洋才な洋食を給仕するうら若き女性あやの。彼女は一体何者⁉︎は、最終章で明らかに。杢太郎という人間に興味湧く。〉6編の最終回「未来からの鳥」が気になる終わり方だ。回の表紙にはヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」から引用された言葉が記されている。ラール プール ラール芸術のための芸術ベンヤミンの謂は、人類は自分自身の全滅を第一級の美的享楽として体験するほどになり、これをファシズムによる政治の耽美主義化、それに対しコムュニズムは芸術の政治化をもって答えている、と。この言葉の引用が去来させるものとして市ヶ谷の自衛隊員に決起を呼びかける三島由紀夫の姿が浮かぶ。少し遅れて映画「愛の嵐」更に遅れて、プーチンの宮殿が想起された。この章ではおそらく自殺したと思われる陸軍士官学校校長の死と、戦時中にまで東京市にあった細民街の少女の突然死の、およそ縁の遠い接点が暴かれる。そこに絡むのが森鴎外であり、芸術家と医学の間で揺れる木下杢太郎であり、三島由紀夫なのだ。トポスのもつパトス、というべきか、集団が見た同じ夢の怪異今現在私が歩き、目にする風景に、幾層にも折り畳まれた歴史が、見えるものには見えて語りかけてくるように未来からの切実な訴えが、聞けるものの耳には届くのに違いない、という著述なのかなここには宮内氏の、邦夫とは何か、日本は果たして独立国なのか。敗戦後77年、一見国体裁を保ち、法律の元三権分立を果たし国民は投票権を有しているけれど、果たして過半数の人びとが願う国となっているのか?これは私も大いに疑問を持つ。敗戦後、日米協定と、成文化すらされない日米間会議の議事内容だけで陸海空の自治権は骨抜きにされる、そんな国を果たして独立国と呼べるのだろうか。コミュニズムがどうしても肌に合わない三島なら、美に殉じるにはあのような形式を取り、死に果てるしかないだろうし、一定の割合でこのような考えを持つ芸術家もあるだろう。さて、宮内氏。物心ついてから13年ほどアメリカ東海岸で成長した背景があることの意味をつらつらと考えるのだ。
2022.10.09
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2022/09/〈DATA〉道出版株式会社 / 著者 石井紘基訳者 寺村誠一ほか2001年11月25日 初版1刷〈私的読書メーター〉すごいタイトル。分かりやすいデータ満載だし、沢山の人に届く配慮が編集に欲しかった。石井さんは財政規律を研究し健全な国の予算を追求されている民主党議員だったと記憶。白昼の暗殺事件は大変な衝撃で結局真相は闇に葬られたまま。間も無く国葬に付されるA氏との政治家対比をしみじみ考える。宗教法人は公益法人に該当し課税を免れているが、かの旧統一教会が公益であるかは万人の目に明らか。20年以上前の本書データの現在比が知りたい所だが、本文の公益を考えない公益法人の一文は喫緊の今日的問題。法哲学博士であった石井氏を悼む。〉2017年は明治150年となる年だった。この頃から意識して江戸から明治に至る時、日本人の意識全体がどのように変化したのか真実のところを知りたいと焦燥した。学校て習ったものとは随分隔たる歴史は、古代史からして大きく刷新していることにも目が開かされた。それから5年敗戦から77年の2022年経済も政治も学問も言わずもがな、人心の荒廃極まって、市民の暮らしを一番念頭に置かねばならない代理人の議員たちが「今だけ金だけ自分だけ」←こんなキーワードをツィッターで見かけた←の行き着く果ての反社会集団カルト教摂理が指導する日本国の今日の姿ではないだろうか。海の向こうで核の危機が高まり、防衛予算のGDP比率が賑やかでも「身捨つるほどの祖国はありや」?それがなくちゃ、そこに暮らす私たちの中にその灯火が輝いてなくては武器だけあっても、闘うことなどムリ筋。だから愛国教育って、歪んだ歴史観を今更科学の上に糊塗するかのようなご老人たちは、末期の目に平和の世の呪言を映すことなどなかろうものを。この人たちは間違っている。間違いなく間違っている。あれ?このテーゼは成立しない?そうだった。反自然的生き物、人間は間違う。自然はその埒の外にあって間違った人間世を何度も洗い流して、地球はちょっと身震いしたら、また無邪気に自転しながら公転を繰り返すのだろう。
2022.10.04
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5022/09/19/日曜日/山では時に木漏れ日〈DATA〉中央公論新社 / 著者 会田雄二1962年11月15日初版発行2016年6月10日92版発行2018年1月25日改版発行〈私的読書メーター〉〈『日本軍が銃をおいた日』に合田さんの引用があり手に取る。中2の時『日本人の意識構造』を読んだ記憶も懐かしく。これは敗戦から引き上げ船に乗るまでのビルマ英軍収容所での氏の1年9ヶ月の記録だ。文章は平易で何というか若々しく読みやすい。敗戦後現地の劣悪な施設でろくな食事も与えられずきつい肉体労働に従事された、だけではなかった収容所暮らし。『破獄』の脱獄者さながら英軍との知恵比べの泥棒家業、盗品に絡むインド兵ビルマ人のお国気質。有色人種が欧州人を打ち負かしたアジアの溜飲、その余りに器用な手先の大義なき消費の悲哀。20代で歩兵として応召され辿り着いたのはビルママラリアに侵され、ノミシラミに悩まされ、周囲は赤痢で死んでいく。戦で死ぬのではないのが更なる悲劇。死んだ兵士を埋葬することさえ叶わず、まして遺骨を遺族に持ち帰ることは不可能。日本兵の器用さが知られて英軍が当地の民営工場に捕虜らを働かせ金を取るようになった。日本兵がさぼっているとビルマ人監督は運と給料が高いのだから、マスターたちはもっと働けという。この監督は英軍の『日本捕虜使用について』というパンフレットを持っていた。曰く日本兵は仕事をやれと強制すると反抗してかえって働かなくなる。自信が強いからなるべく煽てて使うとうまくいく時間制だとさぼるから、請負制にしろ。ただしよく手を抜くから監督に注意しろ日本兵の能力はインド人やビルマ人労働者の7.8倍であり、技術も素晴らしいから、とビルマ人の何倍かに当たる日当額を記してあったとのこと更にそれで捕虜の衣食住を賄うとあったが、あの内容ではよほど中間搾取があったと合田氏は想像している。続けてインド兵はこのような日本兵に尊敬の念を持ったのだろう。その点はたしかに私もたちはえらい、と記す。そしてしかしわたしたちの精神的な気概、例えばイギリス兵に対する態度や民族的自覚などは残念ながら情けない限りであった。個人としてはよくても、群衆となると手に負えぬ馬鹿なことをする。この点、戦前も捕虜中も現在もちょっとも変わりがなさそうだ。と続く。私たち日本人はただ権力者への迎合と物真似と衆愚的行動と器用さだけで生きてゆく運命を持っているのだろうか。という独白に接して、この本を今読む今日的課題が見えるのは、いささか鼻じらむなぁ。当に脱獄囚が、お気に入りの刑事さんに捕まえてほしくてほら、俺ならこんなに器用にいくらでも脱獄できちゃう、といった体でニマニマ出頭する『破獄』の、あの緒形拳。あれぞ日本人の真姿か。プリンシパルなんか知らんねえぇ。ちょっと映像的なシーン渡辺一夫『魚の歌』とのカイゴウ思い出した百人一首おほけなく浮世のたみにおほふかな わがたつそまに墨染の袖
2022.09.27
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2022/09/24/土曜日/肌寒い雨混じり〈DATA〉白水社 / 白水社編集部編鴨志田聡子 ヘブライ語星泉 チベット語丹羽京子 ベンガル語吉田栄人 マヤ語青木順子 ノルウェー語金子奈美 バスク語福富渉 タイ語木下眞穂 ポルトガル語阿部賢一 チェコ語2022年2月28日 第一刷発行2022年5月20日 第四刷発行〈私的読書メーター〉〈外国語が自由に使えたらどんなにか自分の小さな世界が広がるだろう。が、こんなに翻訳文学が賑わっている日本の状況ではその中のほんの少しを追いかけるだけで人生のかなりの時間を費やす。ここに登場する9人の翻訳者のみなさまには感謝しかない。自分の好奇心と好きだ!の情熱で突き進み周囲の支援やセレンディピティを取り込んでいよいよ充実した作品を結んでいく有様は、何も翻訳業に限らず。仕事と生きがいの楽しき生涯の指南書でもある。出産や夫の海外赴任と柔軟に伴走しつつ、その間『白い闇』を熟読の時間とした木下さん、ステキだなぁ。〉バスクの段に惹かれて『アコーディオン弾きの息子』借りてきた。3センチ越えの厚さなので通勤電車持ち込みはきつい。かつてスペインひとり度したので、バスクに関する観光者程度の知識はあった。むしろ当時スペインで驚いたのがカナリー人の存在。カナリー諸島の人びとのことで、風貌もスペインの一般的な人とはどこかしら違う。そしてアトランティス陣の末裔と伺ったが、はて?オリジナル言語はあるのだろうか?また、3年前のチェコ旅行では現地に住む日本の方のガイドを半日お願いした。その方は学生時代のフランス一年留学で仏語が不自由なく使えるようになり、自分は語学の才能高いのではと思ったという。チェコ語が難しいと聞き、何するものぞ!と飛び込んだらこれが途方もなく困難であった、甘かったと仰る。当地に暮らして7年だったか、ようやく悪態つけるくらいに使えるようになった、とのこと。いやはや語学、その弛まぬ日々の努力、頭が下がります。ところでチェコの若い女性が書いた、二つの時代の川越と渋谷を舞台にした『シブヤで目覚めて』本誌登場の阿部賢一さん監修訳がほんと素晴らしい作品。
2022.09.24
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2022-09/11/日曜日/暑さもちうぐらい〈DATA〉早川書房 / 著者 エルヴェ・ル・テリエ訳者 寺村誠一ほか2022年2月15日初版発行2022年3月25日再版発行〈私的読書メーター〉〈FOXかANXのドラマ風、でもそこは流石にデカルトの国の作家による極上の問いの仕上り。執筆2019、刊行2020、本中年代2021、邦訳2022年の時系列とコロナの潮目を意図したかのよう。NYに向かったエールフランス006は悪天候による墜落の危機を脱した刹那、地上では3ヶ月の時が過ぎていた。しかも同機は3ヶ月前定刻通りNYに到着。米国政府と研究者の侃侃諤諤、自分を抹殺した殺し屋、遺作『異常』の作者の蘇り、ある妊娠など3ヶ月のタイムラグに生じる二重存在者夫々の悲哀と展開がリアル。FBIってこんなに親切なの?〉ところで殺し屋ブレイクがオープンしたベジタリアンレストランはrue Bucci にある。 まあ懐かしい、大昔パリで最初の3週間ばかり、この辻にあるホテルに滞在した。当時、朝夕立つ市場には色んな種類のオリーブ樽、形も値段も異なる沢山の牡蠣、フロマージュ、耳を縛られぶら下がるウサギたちを眺めたもんだった。牡蠣を剥いてもらっては友人と部屋で毎晩2ダースは平らげたなあ。スー メドック 薬漬けスー オー=メドック 酒(ワイン)浸りなるなる。ミゼルのボルドーワイン言葉アソビは更にラテン語へ。『L‘Anomalie(異常)』のアナグラム Amo Ileana L イレナ・Lを愛してる因みにBucciの辻があるのはカルチェラタン(かつてラテン語が話されていた地区=大学や研究機関地区)もちろんこれ以外にもフランス母語者とか、ごく限定的な仲間内の、フランスあるあるアソビてんこ盛りなんだろうな。こういうのをエスプリ、ていうのだろう。クッツェー『恥辱』ダヴィデの子である伝道者、コヘレトの言葉伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。川はみな、海に流れ入る。しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。さきにあったことは、また後にもある。先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。スリムボーイがユアソングで涙を流し、スリムメンとなって完璧な統合、これが 著者のひねった ユアブック となるじゃない?でも、フランス語母語話者でないと訳者が介在するでしょ、ルイって男の子が謎々の、とても賢く魅力的な答えを持っているなぁ!
2022.09.11
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2022/09/01/木曜日/蒸し暑く雷鳴あり〈DATA〉早川書房 / 著者 ルイ・アレン訳者 寺村誠一ほか1976年初版発行〈私的読書メーター〉〈本日のA紙耕論は「あの戦争の名は」の呼称問題。大東亜戦争は帝国日本の閣議決定!ゆえに敗戦後占領国から公式使用が禁止されたとか。戦争名が一般に認識され固定されない現実はこの戦争全体を未だ捉えられない証左でもあろうか。本書は戦時中に語学将校を務め、降伏交渉に当たった英国人日本語学習者による。中国、満州、朝鮮、ビルマ、タイ、インドネシア、ヴェトナム、インドの植民地と彼らの独立希求、日本軍侵攻がもたらしたものの個々の状況と変遷を資料と照合し俯瞰させる。アジアの独立が真実か偽装か、統率者の人間性、政権政党、要因複雑〉2022/09/09/金曜日あらー読メの感想後に再考するための文章が溶けていた!長々駄文を連ねたというか、記憶に残った事象をメモとしてここに残していたものが!みんな!消えたまあ、こんなものだろう。「空の空、空の空、空の空なる空」である。色即是空、いやいや、空即是色まあ、いいか。とりあえず記す。辻という人物。欧州捕虜の人肉鍋をつついたまことしやかな記述。どこまでが本気だったのかビルマで僧侶となり、ビルマ独立の暗躍?その一群には仏教に目覚めビルマの土となった若い日本の兵士たちも。児童書の『ビルマの竪琴』のような美談と言うか、そんな甘い世界の話とは異なる。実に複雑な、無慈悲な、そして人間という不可思議な要因がてんこ盛りの、大東亜圏の日本人の姿が英国人の手で活写されている。言えるのは2022年、こんな日本人はもはや何処にも見出せないけれど、この本の著者の、こんな英国人は存在するだろう、ということ。日本の非道はあった。しかし、あの時代にアジア諸国の独立を勝ち取るために尽くしたのもやはりその日本であったという事実まで消し去ることはできない。日本の悲劇について、タイかインドネシアかのリーダーが述べていた事もこの著者は開陳する。どちらかと言えば、日本への同情がこぼれ落ちる。捕虜となった会田雄二が感受したもの。つまり日本人が欧州捕虜に対したあり様と欧州人が日本人捕虜に対したあり様の質的な差異なども非常に意味深い。様々な視点から大東亜戦争を見なければ、見逃すことが多いのだということも理解する。例えば毛沢東率いる人民軍は満州に残した帝国陸軍の膨大な武器を略奪する事で蒋介石の国民軍を打ち破る弾みとなったこと。シージンピンは多少の恩を帝国陸軍に負っていることの自覚なんぞはまるで無いだろうけれど、少なくとも毛沢東にはそんなものが底にあったかもしれない。毛沢東は日本の無条件降伏は原爆ではなくソ連の参戦にある、との自論を展開したという。
2022.09.09
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2022/09/03/土曜日/穀物すなわち稔侯読了2022/08/21/日曜日/曇天〈DATA〉早川書房 / 著者 ジョージ・オーウェル訳者 高橋和久2009年7月25日 発行2020年1月15日 42刷〈私的読書メーター〉〈恐ろしい小説だ。欧米に比して日本はまあ長閑な国だった明治までは、が私の認識なのだけど。敗戦、原爆投下、原発事故を経て自民独裁の元、密かに進行していたのが歴史や公文書、統計の改竄であり、税金の歪な他国供与でありカルト一体化の洗脳教育であったのだから、この小説は今現在痛い程心身に刺さるではないか。党に魂は売らないウィンストン第一部、ジュリアとの逢瀬の短い夏のような第二部。二重思考体現者オブライエンに蝕まれる第三部構成。戦争は平和、自由は隷従、無知は力。己の属する団体なり組織が隠し味に用いてないか点検要する。〉主人公ウィンストンが生きている1984年は1940年代から眺められた現在のパラレルワールドかもしれない。出発された当初はマッカーシズムの赤狩り吹き荒れるアメリカで反共のパンフレットのような扱いだったという。驚くなかれ。かの赤狩りの亡霊と自民党超保守派、安倍祖父、岸の亡霊がデュエルで勝共連合→旧統一教会と一体化の発展という現代史の裏面がヒット中朝鮮戦争勃発から2022年の今、実は右も左もなく、権力はただ権力の生き残る闘争を日夜執行しているのだ。その姿を鮮やかに描く『1984』は恐ろしい。オブライエンが熱情込めて指導し、慈しむかのように射殺するウィンストンについて。彼の幼児期の記憶、それに対し彼が未だに持ち続ける感情、何が悲しくて何が悲惨で、そして何が美しいと感じるのか。イングソックを遂行する為に人工的に造語されているニュースピークなる言語で思考形成される子どもたち。公開処刑を娯楽にしている彼ら。一切合切書き換えられる歴史。それにあがらうように記憶を留めようと日記に記すウィンストン。2足す2は4である。世界を敵に回し、たった一人それは真実だ、という狂気。それに耐えられるのか。地動説の元に処刑になることとどこか似ている。付録。オールドスピーク「言葉」が強く生き残り、狂気の世界を終わらせるか修正させるのか、そんな暗示が仄めかされる。言葉で書かれたものは幾らでも上書きされる。ただ、モノは確かに確実に姿を留める事ができる。破壊されない限りにおいては。私もウィンストンのように古いものが好きだ。人の手の働きの気配のあるものが。さて、現在日本。統一教会教祖の祭りごとには金正恩もトランプも社交辞令を欠かさない。権力行使資金が湯水のように日本から吸い上げられる、そんな装置を作り出した教祖への敬意だろうか。自分の周囲がみな雪崩を打ってこの教祖とやらに平伏す中で、ウィンストンのように自由意志を貫いている家族を社会や既存の宗教がどれだけ支援できるのか、そんな事まで考えてしまう。
2022.09.03
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2022/08/16/火曜日/暑いけれども立秋〈DATA〉新泉社 / 著者 坂 靖2020年2月15日 第1版第1刷発行2020年5月25日 第1版第2刷発行〈私的読書メーター〉〈自分とは何者か。いや、あの両親の元に生まれたよねーみたいな卑近なハテナではなく。日本人として、民族的な問いをつくづく噛み締める今日この頃。政界巻き込むスキャンダルはひょっとしたら幕末からこっち規模の動乱となりうるかも。そのカルト教団教理、エバ国日本とアダム国、はあ。倭の五王の武は未だ統一されていない「おおやまと」を中国皇帝の徳の及ぶ冊封制の下、その七光でほぼ畿内覇権を果たした。と、考古学的に検証される、と。幕末まで即位式の天皇装束は中国風であった由。えっアダム国って中国かも?で令和に生きる私は何者?〉文献資料がどれだけアテにならないか。子ども時代の教育はどれほどその人のその後の人生の思考の基盤となるか。日本古代史を考古学から見直す思潮の半世紀日本古代史を大陸・半島の資料、歴史、史跡と比較研究の半世紀それらの図書をこの数年つらつら読んで、私の日本史のアップデートが進む。言葉と違ってモノ、現物というのは保存状態が良ければ非常に雄弁である。言葉とは、或いはそれを繰る人間、ことに権力におもねりそこから利益を吸い上げようと汲々として生きるしかない、そんな人間の姿が垣間見える『日本書紀』から1300年。人間そのものはアップデートされないのだなぁ。著者は卑弥呼の邪馬台国は纏向遺跡では無いことを古墳から出土した遺物によって論考する。纏向遺跡から発掘されていた動物の骨が大型犬のモノで、大陸由来と考えられる記事を今朝、新聞で読んだ。そういう犬は例えば武王なんぞには相応しい。自分のライバルを撃ちてし止まぬ人物だったろう。そのオウを継ぐ者なく、コシから「おおやまと」に招来されるのがヲホド王である。記紀には何一つ情報が残されていない地方の古墳から、大陸由来の重要な遺物が発見されてもいる。ヲホド王のコシはそれらのクニの一つでは無かったか。
2022.08.21
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2022/08/09/火曜日/この時期を凌げば〈DATA〉 日本放送出版協会/ 著者 望月信成 佐和隆研 梅原猛 /昭和40年4月20日 第1刷発行 昭和49年2月10日 第49刷発行NHKブックス20〈私的読書メーター〉〈仏像鑑賞法、即ち和辻哲郎の美学的方便と実証的様式論の二つと為し、梅原らは後者の態度をとる。仏像の形を通して時代に現れた〈日本の仏教〉の「客観化された精神」「表現された生命」を探ろうとする。仏教が日本に招来されどのように受容変化したか見ることで日本人の心を西洋的思弁の文脈で読み解く試み。如来は悟りを開いた存在なので一切の装飾を排した筈が大日如来の例外の捉え方、菩薩はこれから如来となる存在に非ず、の思考法の慧眼。さらば我ら庶民の地べたに降りて下さったお地蔵さまの有り難さ。は、結局熱帯びて歌い上げ筆致となりぬ。〉二度盗まれて遂に姿を隠した 新薬師寺の香薬師立像画像があり、盗難の件には触れられていない。出版、昭和40年滋賀、渡岸寺の十一面観音と大日如来像これは何としても観にかつて三度訪れながら、若い自分には見えてなかった百済観音を法隆寺に訪ねたいもの奈良に行くなら、十輪院の石がん地蔵菩薩像も是非に巻頭から「…仏教は長い間日本人の霊の糧となってきた。しかし明治以降、われわれはそういう魂の糧を捨てつつある。しかし、もしもわれわれの文化的使命が、単にヨーロッパ文化を移入することに終わるべきではなく、新しい文化を創造することであるならば、われわれはおのれの文化遺産の中から、未来の文化創造の原理を、探り出さねばならないであろう。仏像を通じての己の魂の吟味を、ここにわれわれは試みるのである。」登場する仏像、図絵は釈迦、薬師、阿弥陀、大日の四如来観音、地蔵の二菩薩本書参加者は著者の他に塚本善隆、原随園、笠原一男、中村直勝、深浦正文司馬遼太郎、中野義照、上山春平、星野元豊、森竜吉五来重、多田道太郎の各氏
2022.08.18
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2022/08/11/木曜日/馬追のヒゲのそよろの秋の早朝〈DATA〉岩波書店 / フィリッパ・ピアス作訳者 高杉一郎1986年年7月16日 第一刷発行2002年10月22日 第六刷発行〈私的読書メーター〉〈母方祖母の家で暮らすケートは祖母の部屋のドアから覗く二つの目に帰宅の度緊張する。この導入が既に普通ではない。偶然見つけた父の墓石が忽然と消えたのは祖母に切手のない手紙が届いた後の事。 内省的で引込み思案だけれど物事の本質を的確に捉える賢さ、父の真実を知りたい故の勇気が遂にケートにそれを持たらす。10歳の少女にはあの人は絶対いやとしか言いえない重い事実を父方祖母は長男の死と共に長く包摂したのだと知るケート。小さな平凡な祖母を巌だ!あの人は巌だと直感する場面。そして愛するものをその人に委ね手放すことをも知る。〉話変わるけど現在読みかけ、『1984』に出てきたなあ巌。の、ビッグブラザーが。そうか動じない人物を評して 巌であると。地方の小さな海辺の杣屋に暮らす老婆を指して、少女が看破した巌帝国強権絶対主義に君臨するビッグブラザーのマインドコントロールに転ぶ(思索する)男が感じる巌この違いはとてつもなく大きい。男は分かりやすいものを分かりやすく表現しただけ。方や少女は分かりにくい、見えにくいものに真実の評価を与え、新しい世界観を世界に付け加えたのだから。
2022.08.11
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2022/07/24/日曜日〈DATA〉株式会社KADOKAWA / 著者 田中史生平成31年2月22日 初版発行角川選書 614〈私的読書メーター〉〈渡来と帰化。歴史教科書では70年頃に表記が変わった。が、それは言葉の入れ換えに過ぎず古代日本への移住・定住者の捉え方に変化はないと著者は言う。今一度渡来者を「移動者」と再定義したらどのような古代日本が見えるのか、それは現在にどうつながるかというのが主題。律令制導入で、中華「日本」の明王に擬した天皇が化外の蕃族を徳化、帰化させる図式の固執が招く、後代の宋の貿易商人受容の律令的苦作に失笑。しかしその思潮は尊王攘夷へと伸張、御一新後の皇国史観が太平洋戦争没入を招いて国土灰塵とは笑えぬ。歴史を学ぶ、之にしかず。〉文字を持たなかった島国では、大陸の大国からまともな国扱いを受けるためにも国史編纂が待たれた。半島に置かれた中国の王国支所、楽浪郡のどん詰まりの海から船に乗って、幸運ならたどり着ける島国なのだ。東西漢氏の元、文字を学ばせるに際しても楽浪郡で生まれ育った漢人の二世、三世が多数を占めた。厩戸皇子の時代、遣隋使として渡った若者も小野妹子以外は大陸半島出身者がほぼ占めていたという。社交辞令に通じ、読み書きできなければ文化文明の国に辿り着いても果ば得られぬ道理。『日本書紀』国史編纂は史、フヒトと呼ばれる技能集団者によってまとめ上げられていくが、そこで能力を発揮し、大王の覚えを得たのが不比等フヒトだ。なぜ覚えめでたかったのか。倭の五王時代の改ざん、潤色で大王=持統を褒め称え古代を作り上げ、世襲、万世一系の端緒としたからなんだろうなあ、というのが本書からも窺える。故に『日本書紀』は歴史資料にはならないが『続日本書紀』はある程度信頼できるらしい。ところで不比等は後年その働きに対し藤原姓を賜る。深大寺白鳳仏に関わる複信もショウナ王→高麗王→高倉と出世に応じ姓が変化した。律令制が整う前の天武朝の世、12回の渡来人移配があり、この頃多くが武蔵七国にそれぞれ集落を得た。現地人はその進んだ文化を神々しいものとして受け止めたと想像される。
2022.08.06
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2022/07/23/土曜日/何だか夏らしい〈DATA〉文藝春秋/著者 スチュアート・タートン訳者 三角和代2022年2月25日 第一刷〈私的読書メーター〉〈17世紀、世界の富が偏在したオランダ東インド会社。バタヴィアの総督ヤンは統括機関17人会入会の為アムステルダムを目指す。乗船時、不吉な事件が起きる。帆に現れた「尻尾の着いた目」は、捕物士サミーの相棒、元傭兵アレントの手首の傷痕と同じものだった。世間を震撼させた悪魔、トム翁事件。スーパーナチュラル絡み、閉ざされた空間、帆船内の身分階層と船室の階層。蠢く欲望は乗船者に取り憑き、トム翁を召喚したかのように凄惨な事件が続く。総督の妻サラとアレントは時代の価値観を超え協力して思考と勇気で事件の深層に近づく。〉今日から私は夏休み♪その始まりに相応しい本書ではないか。海である、船乗りである、亡霊悪魔である、冒険である。友情あり、恋情あり、裏切りあり、信仰あり、新しい技術あり、新しい世代あり。装丁がまたよろしい。この海の底を思わせる深いブルー。見開きは打って変わって木造色、帆船内構造断面。階級上下構造が具にそんな醜い時代を乗り越えた筈の革命も民主主義も巡り巡って、今。貧困格差にあえぐ。21世紀、まともに三食食べられない時代が来るなんて。またやり直すのかパンと薔薇! pans aod roses! without gunsトム翁と呼ばれるメフィストフェレス様の悪魔が人間の欲望と引き換えにその魂を貰い受ける。巷間賑わう統一教会と議員の密接な関わりは、まさにトム翁が蠢く世界。自ら政権を放り投げ、下野した自民党の奥深くそれは根を張った。中曽根康弘は田んぼで土下座パフォーマンスしたけれど、おぼっちゃま安倍氏はそれはムリ無報酬で選挙応援、組織投票のこんな美味い話に乗らぬ手は無かったろう、政権奪回に何でも有り、だった。そこに紳士はいない。正義はない、民主主義などない、国の利益も窮乏国民も無い。勝てば官軍、長州閥150年の法則。二世三世議員はその法則以外に生き延びる方策無い様子
2022.07.23
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2022/07/16/土曜日/梅雨舞い戻る〈DATA〉早川書房/編者 日本SF作家クラブ2021年4月25日 発行〈私的読書メーター〉〈読了に時間が掛かった。勤務先移転や巷間の驚くべき事件があった事も大きいが、本の内容が私的には熱量不足だった。一番よかったのが後書きで、ポストコロナのNFノンフィクションと命名したい。コロナ禍の始まりとその後の、SF大賞選考会のつぶさな記録は貴重で重要だ。様々な場でコロナ禍に伴う記録を保存し、後日検証するのがサイエンス。故にアンソロジー最後にTwitter風記録「不要不急の断片」を挟んだのは編集のウィットが効いている。「カタル、ハナル、キユ」は作者の世界観に共鳴したが唐突な結び。もっと長い物語で読みたい。〉なんだろうなぁ、コロナパンデミック。こんな事が世界で起きて、世界を席巻して個人の暮らしを根底から覆えし。娘もJICA渡航が中止になり、人生航路が大きく変化した。留学生たちもまた一人ひとり見直しを余儀なくされただろうし、足踏みしながらでも叶えた知人もいる。地球規模で起きている喫緊の課題は地球温暖化と人口爆発かと思いきや、それらを後回しにして各国がエネルギー確保に汲々の騒動の中心にロシアウクライナのどんぱち。見えてくるのは貧富の極端な差。ロシアに見られる2世紀位昔の帝国、王室の戯画は極端な例。こんな現在はどんな未来に続くの?私たちってより良い世界を目指しているの?まあ、ポストコロナのSFがあんまり明るくないのは致し方ないのかもね。アメリカでは最高裁で人口中絶が違法とされ、日本の保守殿堂では同性婚なんか1ミリも認められないという100年ほど過去のファンダメンタルがそそり立っている。
2022.07.22
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2022/06/26/日曜日/朝から真夏〈DATA〉新潮社/山之口洋1998年12月20日 発行〈私的読書メーター〉〈コロナの2年半に覚えた遊びはとにかく身辺を歩くこと。自宅と職場の2点で円を描き及ぶ限りの彷徨は美術館博物館記念館寺社仏閣へ。あら、沿線が違うと足を運び損ねていたわ深大寺。ここには数年前に国宝に返り咲いた白鳳仏がある。白鳳は文化様式の時代区分で時期としては飛鳥。その初期の飛鳥大仏の謹厳な容貌に比して後期の白鳳仏の幼顔の長閑さよ、そして何か清新の風を感じる。思いがけずこの本を発見。そもそも何故白鳳仏が由来も分からぬ昔から辺鄙な武蔵野に伝えられたか。著者の推理は高麗人、橘夫人、諸兄、光明皇后を立体的に浮かばせる〉著者は産経新聞記者としてキャリアをスタートさせた地方局で、型からコピーされた石膏の仏像らを笠間市民族資料室で認める。この時に、3度盗まれ遂に行方不明のままとなっている新薬師寺の香薬師蔵と出会い、これが奇縁となって香薬師像の右手発見へと至ったという。その経過は記者としての職能が活かされつつも各界の助言支援など巻き込む著者の人間性も大きいと感じる。さて、深大寺が命名するところの釈迦如来イ像。奈良時代白鳳期の名作が、当時ヒナの武蔵野にどのようにもたらされたか。これだけの像を造らせるときの権力者と昵懇になれた有力者は誰なのか。深大寺縁起の恋物語、福満という若者の昔語りがふくまんではなくふくみつ、とも読める事に気づく辺りから、なるほどこのように結びつけば矛盾なくスッキリ収まると思わされる。福満は娘恋しさに娘が監禁されてしまった島に通いたいと願っている内に亀が何処からか現れ想いを果たし、これを奇瑞とみた周囲が二人の結婚を認める。深大寺を訪れれば分かるのだが、深大寺は水の上に浮かんだような寺である。昔から蕎麦が有名で、あたしぁあなたのそばがいい〜の都々逸も捻りたくなる恋物語。さて二人には息子が生まれ、立派なお坊さんになって深大寺を創建、と続く。これが聖武天皇時代の留学僧の史実と結びつくのだが、それが高倉福信の異母兄、満巧上人であり彼らの父親である福満=福光である、と。福光の父福徳は唐と新羅の連合軍に滅ばされた高句麗から亡命した一族で、広開土王に連なる王家という。その前後日本は大陸の覇権が変わるたび敗者を受け入れ進んだ文化をもたらしてくれるものとして大切に受け入れたのだろう。寒川神社の由緒などもそのように見受けられ、当時の武蔵相模はそのような土地柄だったと思われる。大陸の亡命者受け入れ機関が任那日本府であってもおかしくない。本書ではその事を調べて何れ発表予定らしい、元航空宇宙工学教授の津田慎一という方も出てくるので何れは読んでみたい。
2022.06.26
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2022/06/08/水曜日/寒い、雨降らず〈DATA〉ランダムハウス講談社/ケイト・ジェイコブス 著中根佳穂 訳2008年10月29日初版第1刷発行〈私的読書メーター〉〈父親無しでお腹の子を育てる事に絶望していたジョージア。偶々、彼女の編みかけのベビー毛布を見た老婦人アニタの助言と支援でマンハッタンに毛糸屋さんを開店、オーナー兼デザイナー兼ニッターとして何とか店と育児をやりくりしている。店は少しずつお客も増え、やがて金曜の閉店後に個性的な面々が集まり←the gathering 、cast on 。其々NYらしい事情を編み重ね表目裏目もある中に、えっ!何故こうなるかな一粒の麦は地にこぼれ。でもねそれは特別な特別な麦なので沢山の愛と糧を彼女彼らにもたらす。アダム以外のね。〉先日表参道のジルサンダーショップのディスプレイでそれはそれは美しい手編みのワンピースを見た。ハイメゾンがこぞって手編みの作品を紹介してるって、なんか響く。人工知能で何でも快適にコントロールされるこの時代に手間暇掛けて世界に一つだけの手編みの服を作るって喩えようもなく贅沢で人間らしい行為だし、編む時の瞑想に近い時間も捨てがたい。ところで本作ではチャプターの間に間に編み物の手順が挿入されていて、それが物語進行と共鳴している。編み物は本当にマジックだ。どんな複雑な造形だって解いてみれば一本の糸。引っ掛けたり捻ったり掛けたり飛ばしたり様々な技法があるけれど。こんな複雑なもの、考えられない、私にはムリというケースもあるけれど。解いてみれば…人生だって案外そうしたものかもしれない。私は編み物教室に参加しているけれど、こんな感じの自由なニットクラブカフェに参加したいなあ。ジョージアが言う、「ここに来たらみんな編み物をしないとだめよ。でも必ずしも毛糸を使う必要はないのよ」こんなウイットに飛んだ、大らかな集まりってほんとステキだ。
2022.06.11
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〈DATA〉新潮社/山之口洋1998年12月20日 発行〈私的読書メーター〉〈『ファウスト』2部のホムンクルス登場の気持ち悪さがひたひたと押し寄せる。ある意味ゲルマン的表象を見せつける著者の技量の凄みに触れる、というべきだろうか。世界屈指のオルガニストでバッハ研究者の盲目の教授が、全人生を傾け自分のものとした音楽を注ぎ込む器である弟子ヨーゼフ。彼と音大の寄宿舎で同室となったバイオリン奏者のテオは雨の中、まるで魔王にハンドルを取られたような交通事故を起こす。再起不能のヨーゼフが行方不明となって数年の後、南米で彗星の如く現れたオルガニストは…神の領域と悪について音楽を通し考察するSF〉この本は青柳いづみこさんの紹介本で知った。その中で強く印象に残ったのが、「しかし覚えておいた方がよい。芸術の道で己を高めたいという真摯な気持ちにこそ、悪魔がつけいるということを。」という会話。これが本文124ページに出てきた時の既視感。それはヴァインガルテン修道院教会に附設されたヨーゼフ!・ガープラー作製大オルガンのVox humanaができた経緯について教授が語る文脈で出て来る。気高い音色をもつ楽器を作り神に奉仕したいという彼の悩みに耳を貸した悪魔は彼の魂と引き換えに不思議な金属を渡し、彼はそれをオルゲルメタルに混ぜて作ったVox humanaは彼の望む至上の声で歌い楽器は完成した。1750年、バッハの死の年であったという。更に教授が演奏するニュルンベルク郊外の聖ミカエル教会の、「悪魔を探すにはどうするか知ってるかい」につながる。彼は自問自答するように「神に似た者を探すのだ。神の似姿として完璧に近く、しかも神でないもの、それこそが悪魔なんだ」と呟く。私はこれを子どもの頃に父から聞いた話が重なり想起された。要約するならば、人間が神の技とも思えるような完璧な芸術作品、或いは玉を拵えたなら、それは禍々しいものとして敢えて傷を施す、というような話であった。続けて父は神の領域に人間が入ってはいけない、神に委ねなければならない、というような話をしてくれた。熱心に法華経研究をしている父であったが、晩年はマリア像を身近に置いていたことなども思いだされる。義しきバッハ研究者であった教授が盲目であったという瑕疵、これが巧まずして作者の叡智であろうか。二人のヨーゼフの陥った悪魔の声は黒い森にエコーしていた。神に似た者を、絶対間違わない永遠に死なないと定義すれば、それは生化学と機械工学が協働の果てにやってくる、圧倒的演算処理装置を備えたプログラミングのオルガニズムかもしれない。さすればこのタイトルは二重の意味をもつ。再起不能のヨーゼフを稀代のオルガニストに復活させる技術を駆使したのは軍事研究の博士だが、ソ連崩壊後彼の知見に莫大な投資をしたのはドイツの巨大な重工業メーカー、というのが現実味帯びて空恐ろしい。創造者は人間に死を与えた。この瑕疵こそ神の叡智ではなかろうか。人類の叡智は人類が創る神に近いモノにどのような瑕疵を与えるか、ということに行き着くのではないだろうか。バッハが強くタナトスに惹かれた背景には彼の音楽的感情への畏れがあったのではなかろうか。
2022.06.08
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2022/06/01/水曜日/風は涼やか〈DATA〉講談社/砂原浩太朗2022年1月11日 第一刷発行〈私的読書メーター〉〈久しぶり、エンタテイメントとカタルシスの読書を味わう。書くべき筋を予め省いて後の物語展開中に意外性と盖念性のモアレ感が現れツイツイその先へとページをめくらせる。神山藩の重鎮をなす黛家。知勇に優れた兄二人の下でいかにも幼い末っ子新三郎の少年期。乱世ならその能力を存分に発揮しただろう小兄を目付役の立場から断罪せざるを得ない謀略に見舞われる壮年期。物語はその二部からなる。「人の死なない」政に思いが至るまで新三郎を育てたのは優れた身内だけではない。慟哭、斬鬼をもたらした老獪な大敵でさえ自らの養いとした彼の器こそ。〉黛家は長男栄之氶、次男壮十郎、三男新三郎の男ばかり三人の息子がいた。母は新三郎が幼いときに亡くなりどうやら父は後添えを纏ってない様子。父は神山藩筆頭家老の家柄だ。何となく藤沢周平が彷彿とされるけれど、武士中間管理職悲哀よりも行政トップの権力闘争の模様。藩の経済行政、民の安全幸福をどのようにマネジメントしていくか。武士が官吏と政治家と警察権と立法権の全てを兼ねておりその責任はいやが上にも重い。そこへお家の大事も絡み、藩主の後継を身内が生そうものならこの世の春さながら。主君というのは据えられた人形の如きものなんだなぁ。にしても17歳の新三郎はいざ知らず、30歳を過ぎた辺りの新三郎、いやさ黒沢の婿養子となった織部正、人間が出来過ぎではないか。全てを飲み込んでこんな雑草と生きられるものかは。当時と今では寿命が違うと言い状、四十にしても惑い続けた幼稚な自分と友垣は所詮武士でなく町民の子なんですかねー壮十郎の「こうとしかならぬ」はよい。かくすればかくなるものと知りながら、こうとしかならぬ一徹振りは理解できる。女性の描き方があんまり上手ではない故、共感の湧く或いはとことん鏡を見るようなおんな相が一筋も無い。故の儒教の武士の世を描くに向く作家ということかしらん。
2022.06.03
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〈DATA〉インターブックス/リ・ジュアン 河崎みゆき訳2021年9月27日初版第一刷発行2022年1月11日二版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈中国西北部のカザフ人の土地に、どんな経緯か本書は伝えないが母と著者が遠く四川からやって来て小さな雑貨屋兼洋裁店を営んだのは20世紀末。純朴で約束を決して反故にしない遊牧民と強かで抜け目なく機知と人情に富む漢民族母。その両者の間にある芒洋と広がる草原、寒さの冬暑さの夏、吹き渡る風雨雪、生き物、子どもたち。著者は静かな目で日常の一コマを詩に謳いあげる。遊牧民も親子も暮らしは貧しいが、しかしそれは不幸ではない。それどころか見る心感じる心さえあれば、えも言われぬ天上の美、地上の温もりをその者に繰り広げてくれる。〉この牧歌的な風景から23年。中国はとてつもなく繁栄し強大な国家となった一方で、その影の部分がようやく認知され始めている。新疆ウイグル自治区は昨年末英国議会でジェノサイド認定がなされ、つい先日ウィグル人に対する暴虐の警察ファイルが明るみになった。もたもとはウィグル、チュルク=トルコ系の遊牧民が古代と変わらない暮らしを送る土地だったことが本には敬愛を持って描かれている。当時は漢民族といえばこの親子くらいだったものが、このエッセイの後ろの方ではポツポツと増えてきた様子見える。現在をググればウィグル族と漢民族がほぼ45%で拮抗している。僅か20年で二軒に一軒が漢民族の土地となった。遊牧民カザフ人は本で見る限り四六時中酒を飲んでいる。著者一家の叔父さんが後ろの方に突然登場するが彼は働き者だ。なんか切ない。政治も経済も実のところさっぱり理解できない私は、土地の上に武力で線引きして所有権を言い立てるのは、その価値観の者たち同士でうーんと小さなもう一つの地球でやってほしいと思ってしまう。イスラム教で青い目で、できれば馬に乗って土地に束縛されない生き方への憧れを生来もつ部族が中国語で物事を考えるのは東海の小島の住人から見ても無理な印象を持つ。彼らにしてみたら、自由な大地が区画され定住を余儀なくされ言葉も思想も奪った集団が大挙して、先祖代々の場所に居着いてしまった、ということになる。カザフ人の女の子との友情の居心地悪さも素直に、真剣に悩んだ著者のように、或いは凍てつくバスの中で著者を両脇から温めてくれた老夫婦のような、あらゆる思惑を度外視して純然たる人と人が出会える世界にならなくては、そんな解放区を強く願う。
2022.06.03
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2022/05/24/火曜日/蒸し暑さの後ひんやり〈DATA〉理論社/今江祥智1995年6月 第一刷〈私的読書メーター〉〈日米開戦前、大阪のプラネタリウムを兄と訪れた洋は遠い未来、北斗七星は変形し不動の北極星もかつてのように織女星と入れ替わると知り驚く。小3の男児がこの世の絶対が崩れることを科学を通して出会う導入は物語の顛末を仄めかす。それは父の突然な死であり、子煩悩な父の愛人の存在であり、軍人が授業に立ち学生は学べず勤労動員、空襲で焼け出され昨日までの暮らしを失うという…そんな洋一家の日々を抱擁した任侠人佐脇さんの漢振りには惚れる。洋の優しさと大阪弁が見事に溶け合う。ラスト自身の背中を見つめる洋の視点の跳躍は印象的〉この本を読みながら何となく『君たちはどう生きるか』の東京シティボーイ、コペルくんを連想した。コペルくんも確かお父さんはいなかった?か。彼を成長させるおじさんは、深い人間理解と洞察をコペルくん自ら得られるよう導くチューターであり、何というか登場者はみな官立風に立派なのである。方やぼんぼんは大阪船場のシティボーイで、商人風な彩りの酸い甘いの大人事情を子どもがうっすら感じ取るないまぜの自由と人情がある。ぼんぼんの父亡き後、叔父の手配で用心棒の居候として家にやって来た佐脇60男の色気はどうしたことか。特段筆が変わる訳でもないのに、あくまで小学生洋の目を通したものなのに、実に不思議。大阪弁マジックやろか?陸軍が特別な軍事訓練で中学プールを占拠して何やら隠密に行動しているのを探りに、佐脇が海軍少尉に扮して黒塗り車で乗り込む段、庶民の骨頂、溜飲下げること甚だしい。佐脇の最期の痛々しさは、それでも尚軍人のとは全く異なる、これも一つの花の散り様。大阪生まれ文楽の見せ場のようであって、文藝の血脈さえ感じられる。大阪も堺も大空襲で沢山の犠牲が出たが、目と鼻の先の京都ではそれが免れた。洋が淡い恋心を抱いた二人の女の子はたまたま住んだ所の違いで全く異なる状況に置かれる。京都の女の子エッちゃんの声を背中に聞きながら、薄汚れたツギの当たった自分の学生服を強く意識して振り返ることが出来なかった洋。初めて他者と自分の境目を覚えたその時、もう子どもに戻れない自分を知ったのではなかろうか。
2022.05.27
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2022/05/15/日曜日/曇り〈DATA〉筑摩書房/義江明子2021年3月10日第一刷発行ちくま新書1555〈私的読書メーター〉〈古代日本、部族の王たちの合議により倭王は選任され「み印」奉呈の後即位したという。双系社会であった為、男女問わず人物、能力本位の選出であり非万世一系だった。双系と言っても7世紀頃までは母系のくくりが強かった事が『古事記』娶生系譜の敏達の例で示される。敏達キサキの額田部後の推古が蘇我馬子と協働し王権を担った背景には彼女の母が蘇我の出で、その宮で幼い頃から気心が通じていたなど耳新しい。皇極世の乙巳の変と史上初の弟への生前譲位によって古代様式は後退し王権を拡大させたが律令国家へ向かうにつれ父系が本流となるのだ。〉かつて読んだ本の中で、万葉集と漢詩の違いに関する記述が思い出された。万葉集は大王から名もなき人まで、思い寄せる人への恋しさがメインのような詩歌集だが、漢詩にはそのような歌は殆ど無いそうだ。いわんや読み人知らずは?民族の言葉の幸い「うた」における有り様がそこに暮らす人びとの風土風景と不可分である事を察するに、環境の差異が言語芸術宗教にもたらす影響の程が偲ばれる。もののあはれが美学の真髄にあるこの国では、女々しさこそ文化の本質の一つかも。ところでヤマト社会では夫婦の絆より兄弟姉妹の結びつき、とりわけ同母の兄弟姉妹は生涯を通じて共に育ち、互いに助け合い支え合ったという。吾が妹とは文字通り、父系母系を通じて濃厚な近親婚の血脈の上に築かれた情緒なのだろう。それにつけても、その世界観の中にありながら、本書にみる皇極はかなり荒ぶる女帝の様相だ。36年に渡り内政外交をマネジメントしてきた蘇我系王統の推古が今際の床で後継候補の田村と山背を呼ぶ。推古の言を群臣たちが解釈評議して田村=舒明が立ったがそれも間も無く薨るとキサキ宝が皇極として立つ。山背が排除の対象となるや皇極の弟軽と、蘇我系を次期王位に据える腹づもりの入鹿を引き込み山背の上宮家は滅び果てる。しかしその2年後の乙巳の変では皇極長子の中大兄王主導で蘇我親子が暗殺される。皇極にとって二つの目障りを取り除くのは、彼女の弟と長子というきな臭さを覚えずにいられない。論功行賞であったか、皇極は事件の2日後には弟に譲位している。当時まで王の王たる大王は、「み印」を群臣長なりその役の王から封じられる立場であって、それらは大王となった者に預けられるのであり所有物ではない。ところが皇極はそれを我が物の如く弟軽に譲渡することで軽を大王と成した。これは群臣の評定を蔑ろにしたものであったろう。弟と共立した皇極だが、難波京が開かれると間も無く袂を分かち、子どもら係累と古巣の飛鳥京に戻る。群臣らはこぞって元々の居館のあった当地へ集合。難波京の弟帝、孝徳は失意の内に病死。すると皇極は斉明を重祚し、飛鳥京の儀礼空間構想を推し進めていく。全てこの女帝を中心に物事は展開され、それがやがて大宝律令によって豪族らを骨抜きにし、絶対王権が形作られていく。大敗する白村江の戦いに一族引き連れ九州に赴き先陣に立つ。その道中ヒメら二人が出産するなどはひょっとして神功物語に比定されるのかも。不比等と共に記紀を完成させた持統は恐らくこの祖母を崇敬していたのではないだろうか。皇極に俄然関心の湧く一冊だ。
2022.05.19
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2022/05/08/日曜日/〈DATA〉中央公論新社/中島京子2021年8月25日初版発行「読売新聞」2020年5月7日〜2021年4月17日夕刊連載。単行本化にあたり加筆の断りあり〈私的読書メーター〉〈1.2%の確率で成功と聞けばそれは奇跡に近い出来事だろう。退去強制令が出た外国人が裁判で勝訴するのは腕の良い弁護士でその程度という。現実に比べればかなりスイートに思われる物語の収束。だが99%の否をこれでもかと叩きつけられたスリランカ人のクマさんとマヤのお母さんミユキさんの、お互いを思いやる愛の重力が様々な助けを引き付けたことは理解できるし、何よりも市井の片隅に暮らす3人家族の幸福を願わない読書はできない。折しもウクライナ難民を特別な計いで受容している今、収容施設や入管の実態を物語を通し学べる一冊だ。〉古事記、日本神話の宇宙開闢。日本人の源というか民族ルーツの神代の昔の物語。まあそんな風に牧歌的に捉えられた一昔前の自分。が、最近の知見に基づく本を読んでいる内に自分の中で日本を含む東アジア史が更新されている現在、記紀成立の前に統一国家と呼べるものは見出しにくい。東海の小島にはユーラシアの政変政争戦争に敗れ、流れ着いた部族民族が有史以来折り重なり生きて来た。身に帯びた先祖伝来の宝物は分捕り合戦や外交の種々になり、やがて正倉院にまとめられた、と勝手に妄想する。流れ着いた者たちも領地を広げ生き延びるべく腕力にモノ言わせ今に続く一族もあれば、落ち延びて海山の果てに水漬く屍となり累々苔むした一族の数知れず、だろう。元来の日本人の判官贔屓やモノの哀れ好き傾向は、敗れた者の吹き溜まり列島の上にこそ生じた情緒ではなかろうか。日本に流れ着いた、様々な背景を持つ難民の人びとをマレビトとして迎え、和を持って尊しと暮らす。そのための法整備を急げと言いたい。
2022.05.13
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2022/05/04/水曜日/風光る日〈DATA〉岩波書店/青柳いづみこ2009年2月24日第1刷印刷〈私的読書メーター〉〈随筆『骨董』中にご実家の阿佐ヶ谷文士サロンが登場し、いづみこさんがチラリ触れられていたと思う。初読みにして再会のような。音楽家は言葉表現は元来不得手と想像されるが、著者の生育環境を思えば二つの才能は幸福に結び付くのも道理。本書はミステリーと音楽の格好の案内本だ。書物案内に入る前段のマクラ文は日々音楽に身を投じている方ならでは。この部分頗る面白い。Bachの音の並び遊び?に思わずインターバルを感じたり「ベートーヴェンの仕事部屋のくず箱には八分音符一つ残らない」というベートーヴェン評にうなったりの登録本増加。〉〈〈6節『血染めの部屋』後書きが先ず紹介される。マジックリアリズムなる形容は元々は1920年代に起きたドイツ芸術運動「ノイエ・ザハリヒカイト」に与えられたと知った青柳氏は仰天する。ピアノの世界で「ノイエ・ザッハリヒカイト」はテキストに忠実に私情を挟まず理性に働きかける演奏態度を指すと青柳氏はいう。そしてザッハリヒは戦後日本のピアノ教室を席巻し結果、丁寧によく弾くが個性に乏しいと評されるピアニストを80年代まで量産したと。8節ラスト2行。『ピアニスト』は、霊感に恵まれなかった子供が、本人の意に染まない、人工的な教育を継続して受けたときにどんなゆがんだ反応を示すものかということについての絶好の臨床報告書、と論じる。幼児音楽教育に何度か言及しつつも音楽という至高芸術への瑞々しい感受性よ。本当になぜ人間ごときが音楽をもてたのかと思わされる。))やれやれ私なんか早いうちにピアノ教室をトンズラして正解だったかも。いや、潮目がまたザッハリヒに戻る事もあり得るかも⁈エブッリッシングフロウが世の中だ。巻末に書名索引が付されていて便利。読みたい本など一意に見られる。しかも引用箇所の頁も記し、何やら学術的。『悪魔に食われろ青尾蠅』←このタイトル凄い、これだけで読みたくなる。いや、ならない人の方が多そうではあるが。『いざ言問はむ都鳥』←から一冊のみの著者『オルガニスト』山之口洋「覚えておいた方がよい。芸術の道で己を高めたいという真摯な気持ちにこそ、悪魔がつけいるということを。悪魔の道は神の道のすぐ隣を通っているんだ」。この言葉を覚えていた方が本当に良い。そして善意の道が全体主義のすぐ隣を通っているとか、科学は破壊のすぐ隣りとか、権力は破滅の、とか。戦争と平和はどうなんだろう。『死の泉』←皆川博子、この作家も長年気になりながらの未読が続いている。『ジャン・クリストフ』←これがクラシック音楽に絡む物語とは知らなんだ。『鳥類学者のファンタジア』←奥泉さんはデビュー前後知人のお宅を借家してた縁もあり、どんな縁?何冊か読んでいるけど、これ未読。「指」の方ではないわけね。『羊たちの沈黙』←言わずと知れた!音楽にフォーカスするとこうなるのか。『マエストロ』篠田節子、ジョン・ガードナーのそれぞれなども気になる。ところで小学3年生当時の次男が私の聴いていたバッハに耳を澄ませて感に耐えなように、「世界にこんな美しいものがあるなんて」と呟き、それを聞いた私が驚いたことなど懐かしいーー主よ、人の望みの願いよ♪
2022.05.07
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2022/04/27/水曜日/蒸し暑い一日〈DATA〉岩波書店/関川夏央2021年10月28日第1刷印刷〈私的読書メーター〉〈著者が山田風太郎の「忍法帖」シリーズと初めて出会ったのが中一、授業中の出来事というから文化度高い?この本のタイトルは『人間臨終図巻』に因んでいると想像され、風太郎の章は親愛の情が滲む。戦中・列外の山田氏が1994年辺り、スーパー食料品売り場を好んで眺めては今が日本史上の頂点と見做す慧眼。風太郎2ヶ月後、9.11実行犯であるアタの巻。その翌月は張学良、リットン調査団なる歴史用語が浮かび上がるが、この死の並列には時間が歪むような感覚。印象に強いのが安原顕、編集者のアクの強さ。矢川澄子を語る森まゆみさんの言。〉この本の中に村上春樹が2度登場している。安原顕の巻と岡田正泰の巻。前者は一時期スーパーエディターと持て囃されたらしく、フランス系冊子マリークレールの吉本ばなな連載でブレークアウトさせた。出始めの村上春樹も彼にお世話になっている。しかし編集者は自身物書きにならない限り、所詮黒子ではなかろうか。古本屋での村上春樹生原稿流出スキャンダルは余りにお粗末、万が一意識してこのような事を招いたなら編集人としてプロ失格だろう。割り引くなら村上春樹も脇が甘い、ということになる。大江健三郎とのやりとりでは、何だか大江健三郎が小粒に感じられたけど、作品と作家は別物ということを再認識。後者の岡田さんは知る人ぞ知るヤクルトおじさん。私は野球中継を見ないのでご本人の画像より、いしいひさしのマンガで記憶あり。ヤクルトが負けた時の惚けたような顔面が目に浮かぶ。いつも負けるから繰り返しあの顔が。負ける者、弱き者を応援し続ける日本の庶民的判官贔屓が沁みる。ひたすら応援し、歴史の一コマに連なった稀有な凡人。今もビニール傘の応援は続く。村上春樹は『羊をめぐる冒険』を書き上げる前に『ヤクルト・スワロウズ詩集』を自費出版していると著者はいう。平凡なフライを落球する。地面に落ちたことんという音をビールを飲みながら聞く。なんでこんなチームを応援しているのか自問するけど地球レベルの謎、みたいなハルキ節。古今亭志ん朝の死に遭遇して中野翠の追悼文を引き合いに出してくるところが著者の世代らしい。中野翠が落語好きとはこの章で初めて知ったけれど、志ん朝の死を「ある教養の死」と捉えている事は何となく分かる。それはいかにも江戸前らしい教養の一つの型であるのだろうけれど。江戸から東京へ、震災から復興へ、戦災から東京五輪へ風景は目まぐるしく変転を繰り返し、何がふるさとであるのか取っ掛かりの無い東京人に、「何を恥ずかしいと思い何を美しいと思い、何をたいせつと考えるか。」そういうことの総体が個人に現れたのが志ん朝であると。恥ずかしいことも美しいことも大切なこともきっちりと心と所作に行き渡り行動するのが当たり前、そんな世の中が少しずつ薄れていく。日本人晩年図巻だなぁ。
2022.04.28
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2022/04/24/日曜日/過ごしやすい曇天〈DATA〉偕成社/エヴァ・イボットソン訳者 三辺律子2008年6月初版第1刷スマーティーズ金賞、ガーディアン、カーネギー賞ノミネート原題 Journey to the Lever Sea〈私的読書メーター〉〈14年前の再読。小公女やピーターパン、メアリーポピンズ、ツバメ号、ハヤ号らの栄養を吸収しアマゾン河で繰り広げられる、ビクトリア英国時代の冒険譚にして進路に悩むジュブナイルを応援する著者のナラティブ「思う存分泣かせてくれる犬というのはその体重と同じ金にも等しい価値がある」「あなたはどうなんです?あなたも冒険に対する憧れをお持ちなのでは?」「そうでない人なんていませんでしょう?」「ただ、ああどうして大人はわかってくれないんだろう。ぼくたちだって大人と同じように、何が自分にとって大切なのかわかってるのに」〉読書会定例本。学校図書館購入後に楽しく読んだ記憶がある。本好きな中学女子に好まれた。主人公マイアは研究者である父と音楽家の母をエジプトで亡くし、未成年ゆえに遠い親戚、しかも遠地アマゾン奥地のゴムプランテーションを経営する家族に引き取られる。これが『小公女』の逆バージョンさながら。植民地から英国→英国から植民地。#小公女じゃなかった。『秘密の花園』ですねー、あの時代の少女主人公で凡そ可愛らしさの無い、という。両親家令全て伝染病で失い天涯孤独となる‥同行の家庭教師ミントン先生が雇われ、お互い〈本好き〉であることの共通項をもつ。この二人はやがて愛情と信頼で結ばれる。『メリーポピンズ』。渡航の船旅で劇団の少年と仲良くなる。ジャングルに忽然と現れるヨーロッパの都市のような町マナウスで、『小公子』を演じるのだというが、これが大きな伏線。これまたひねり、ツイストを予感させる逆転劇となる。孤児『オリバーツイスト』→実は貴族ならぬ、孤児の子役→貴族後継者なりすまし、実は血の繋がりがあるかも、と妄想させる逸話も。辿り着いた、現地の言葉です休息の家、と呼ばれる後見人の家は、実はマイアの生活費をアテにしていた。歳の近い双子は意地悪で高慢、一家は万事英国流を持ち込みアマゾンに馴染まず破産寸前。マイアはしかし持ち前の性格の良さでどんどん現地に馴染んでいく。英国ウエストウッドお屋敷のタバナー後継者である、現地インディオとのハーフ、フィンと出会い、遂にアマゾンの美しい支流や風景に出会い、こここそ自分の場所だと確信する。『ハックルベリー・フィンの冒険』?探偵の派遣とフィンの夢、英国に帰りたい子役、火事で九死に一生などの事件がたたみかける物語構成なのだが、行間随所に著者のナラティブが登場人物を通して感じられる。むしろそれらの言葉ゆえに物語が生まれたようにさえ。なりすましをどう取り扱うのか、その子役の良心はどうなっているかとお冠のメンバーもいたけれど、モテモテマイアちゃん、こんな子現実いるのかと話し落ちして、ああ夢の彼方のロマンスと納得のおばさんたち。コルセットフリー万歳、ミルトン先生、結婚には向かない女の件が妙に元気をもたらす。
2022.04.24
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2022/04/18/月曜日/まだひどく寒い朝〈DATA〉暁印書館/稲葉博昭和63年4月30日初版発行昭和63年7月15日再販発行〈私的読書メーター〉〈こんな本に出会えるのが地元公共図書館の強味。著者は昭和2年生まれ東大史学科を出られ小田原城内高校に奉職、本書は昭和63年刊行。県下の古刹とそれに纏わる歴史、縁起や日本霊異記ばりの伝説なども混じえ飽く事がない。実証的でありつつ同時に民衆が支持してきた物語を包摂する大らかさが好ましい。例えば本書表紙、神体画像の富岡八幡宮。もと頼朝がエビス神を勧請、後八幡を祭神に据えたがやがて衰朽。これを再造営し更に慶珊寺建立を為した領主、名門豊島家の江戸城内刀傷事件の凄まじさ、後日次々降り掛かる呪いを導く筆先のミステリー驚嘆〉取り上げられた寺社①富岡八幡宮、慶珊寺城内刃傷沙汰②最宝寺の地蔵略縁起千鶴丸母子と頼朝③茅ヶ崎満福寺蘇生譚④三島信仰の源流伊豆七島と白浜神社/三宅島薬師縁起⑤座間の竜源院、円教寺最後の大名、箱根戦争、小田原藩の窮状。源義経と牛王姫⑥厚木の金毘羅堂、戒善寺金毘羅のルーツから天狗憑きの話⑦中央線相模湖側の古刹、善勝寺嵯峨野大覚寺と繋がりをもつ内陣の菊の御紋。深大寺より伝承のケイ。元々は中国で作られた楽器で仏具として発展。そもそも深大寺というのは深沙大将の意で、創建当時のご本尊だったという。⑧藤野小渕の三柱神社秦徐福渡来伝承推理⑨上大井の三島神社頼朝縁、八牧兼隆の物語は伊豆香林寺へ⑩南足柄の長円寺大森彦七、大蛇退治ともう一人の大森彦七。吉備津彦神社の、百済の王子温羅(ウラ)伝説などなど。最近神奈川で私が面白く感じているのが小田原、厚木、座間辺り。散歩先いよいよ増える。
2022.04.19
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2022/04/16/土曜日/朝は暖房必要〈DATA〉河出書房新社/古川日出男装画 松本大洋2017年5月20日初版印刷2017年5月30日初版発行〈私的読書メーター〉〈時の大権力者室町殿に庇護された能演者は観世親子ばかりではなかった。主人公の犬王は実在の花形能役者、作家として前者以上に贔屓されたという。著者は、異能異形の犬王を召喚。やがて琵琶法師となる壇ノ浦の漁師の少年友魚を創出させ、この二人の結びつきを通して犬王を、琵琶法師を、また平家物語そのものを鎮魂した。ように思う。平家物語は語り聞く中で自然派生したバージョンが多くあったという。失われた多くの平家物語異聞の浮かばれぬ霊魂、切り捨てられた過去、平家物語現代語訳で知り得たものを須く成仏の76南無ビートの疾走。〉平家物語付いている。先だって平家ブラザーズの琵琶でリモート堪能した。コロナで2年越えで海を越えられない島暮らし。勢い今までうっちゃりのアレコレが大波のように私に寄せくる、民族ルーツの古典や古刹の形で。民族ルーツといってもこの列島が国の形を為したのはたかだか1300余年。隣の大国やインド中東、地中海沿岸には非すべくもなし。その前の昔は杳として知れない。世界史登場をいつと見るかは諸説あるようだが、国家としての体裁が整ったのが天武帝の7..8世紀頃とするならばいかにもの新参者なのだなあ。かつて纏められたらしい国史は失われ、古事記日本書紀は客観性に乏しく矛盾も目立つという。なんだデータ改竄の歴史は長いというか整合性のある国史を持っているのだろうか。そこで重要なのが和歌や日記や物語、詞章、手紙、訴状など書かれたもの、記録されたもの。お能は敗者の物語なのだ。そもそも、作家とはモノが語る依代なのだろう。古川日出男は平家物語の現代語訳に取り組むことで、敗残者、声なき声の琵琶法師となろうと決意したに違いない。『ゼロエフ』も本書も通底する三絃の響きあり。アニメ公開が来月。キャラクターデザインは松本大洋氏とのことだけれど、この本の表紙画、犬王は氏のデザイン。本として世に出た5年前既にアニメ化が想定されていたかどうかは私には分からない。偶然なの?
2022.04.17
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2022/04/09/土曜日/日差しは初夏〈DATA〉講談社/古川日出男訳者 木原善彦2021年3月3日第一刷発行2021年8月2日第二刷発行初出「群像」2020年4月号 福島のちいさな森 「群像」2020年11月号 4号線と6号線と 「群像」2021年3・4月号 国家・ゼロエフ・浄土 長い後書き 書き下ろし〈私的読書メーター〉〈復興五輪。その違和感故に著者は福島を歩く。コロナ延期なし、開催予定日通り著者は開始する。福島の南北県境、国道4号、国道6号を歩き、見、思考する旅。それは自分の来し方行く末を見つめ、問い、体力の限界や、偶然出会った人との会話に目を開かされる具体的な道行だ。イチエフ、ニエフがあるならゼロエフもあるだろう。浅はかな己をそれに刻印させて同行する。ゼロエフは概念的でありつつ同行者としての像を結ぶ。平家物語、銀河鉄道、老人と海、川で溺死していた、それどころか生まれえなかった自分、見送った母フク、ゼロになったFへの愛。〉東北に行かなくては。歩いてみなくては。あのときの話を聞きに行かねば。もし話してくれる人のいるならば。それなら未だ足を運んでいない広島原爆ドームに先ず行くべきではないか。そんな思いが3.11後、日毎大きくなった。まして当地に暮らしている方やご出身の方はどんな思いをされただろうか。心も言葉も及ばない。なので折に触れ、関わる本を読むことを科している。著者は郡山のシイタケ生産業が実家という。地震で家が倒壊しただけでなく、原発水素爆発事故で山が汚染される。放射性物質の流れた後をトレースした。もちろん目には見えない。見えないということが恐ろしい。人が消えた山里に獣たち鳥たち花草果実薮は戻りオラが春をうたう。少しずつ禍々しいものが消失し、道も橋も鉄道も復旧され、やがて人も戻り暮らしが始まる。幸せになりたい祈りを重ねて。あれから何度か足を運んだが、一番始めに訪ねた宮沢賢治記念館。賢治の直筆だったか「ながれたり、げにながれたり」に津波が重なり震撼した。仙台市アーケードの花は咲くのBGMに涙をながし、塩釜から松島へ渡った直後の土砂降りと、直後の30分も消えなかった虹の二重アーチにノアと神の約束を思った。大川小の学校裏のこんもりとした小山は、大きな子が小さな子を引っ張り乗り上げることができたものをと地団駄を踏みたかった。どうして為す術なく海に持っていかれたか。その敷地の銀河鉄道の、児童卒業制作に胸がちぎられる。さまざまな思いと風景が重なりながら読んだ。そして小国と丸森町を今度は行けるだろうか、と考えた。
2022.04.13
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2022/03/31/木曜日/暑いんだか寒いんだか〈DATA〉新潮社/アリ・スミス訳者 木原善彦2020年3月25日発行2017年、ブッカー賞最終候補作〈私的読書メーター〉〈ポトフォリオから、あららスケッチ画がこぼれ落ち風に遊ばれバラけて集めた、ような独特な作品スタイル。時空でゆらめく絵画。偶に時代のアイコン登場。本作のエンジンとなったらしいブレグジット国民投票。結果EUから英国は離脱。著者出生地スコットランド独立運動の気運上昇、分断、更に壁。一世紀を生きたダニエルの夢か現か我も彼も難民。『冬』では高等遊民的不思議人ダニエルの背景がかなり見える。大人を生きられなかった「秋の妹」。でも今確かに、ダニエルとエリサベスは出会ったのだ。隣人になるってどんな気持ち?ステキな問いだ。〉エリサベスは母と二人暮らし。隣に越して来たダニエルは既に十分おじいちゃんだったけど、利発で言葉にこだわるアートが好きなエリサベスと年齢も、だから持っている経験も全て超えて何というか魂がかいごうする←変換できないわiPhone。初めての会話らしい会話でダニエルは、やっと会えた、という。やっとって何?と聞くエリサベスに「生涯の友」と答えるダニエル。エリサベスが咄嗟に嘘をついた架空の妹にも、その真実を知りながら会えてよかったよ、という夏のお兄ちゃんダニエル、切ない。本を読まなくちゃいけない。いつでも読まなくちゃ。政治や社会もよく読むんだ、今は何を読んでるの?こんな会話のできる隣人がほしい。今は大学講師となり実家を離れ6年に一度しか帰省しなかったエリサベスが、ダニエルが老人ホームに入居と聞いて足繁く帰省するようになる。ただ眠り続けるダニエルの元で本を読む。声に出さずに。ある日の居眠りでダニエルと夢を交歓したような感覚を持ちダニエルは初めて目を開ける。やあ、やっぱりきみだ。また会えて嬉しいよ、何を読んでいるのかな?(エリサベスが読もうとしていたのは『二都物語』)この選択こそダニエルへの深い共感と愛以外の何者でもないことを示す。再びのカイゴウはとても静かで歳月の降り積りを漂わせるが、見よ、窓外の灌木の中に一輪の薔薇が晩秋に艶やかに
2022.04.04
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2022/03/29/火曜日/寒の戻りの寒さ〈DATA〉岩波書店/ジョージ・マクドナルド作モーリス・センダック絵/脇明子訳2020年11月10日第1刷発行〈私的読書メーター〉〈定例会本。オリジナルは1872年頃。日の本には丁髷落とせない御仁もいた時代に、少年少女の恋に落ちる物語を昔話を題材にナンセンスと人間心理の発達の妙を取り混ぜて世に送る、大英帝国の成熟度。悪い魔女の叔母に呪いをかけられたお姫さまは少しの弾みでふわふわと宙に浮く。箸が転ばなくてもけらけら笑い続け心ここに在らず、地に足がつかない姫が湖水の中では唯一自分の重さを知り、泳ぎ興じる。そこに出会した王子は一目で恋に落ちるが姫は共に水に落ちるのが面白い。姫の命にも等しい水が日毎消え始め、さあどうする王子さまは⁈〉もちろん、自分の生命を捧げる。水が底の岩へ落ちていくのを自分の身体で防ごうと決意する。自分に大した関心も示さない姫のために。〉けー、ありえん。この王子さま。人間界に登場間もない方がこれをそのまま受け止めてそんな王子さまの登場を待ち侘びたら100年以上の眠りに着くこと必至。自分の欲望のためなら人さまがどうあろうと関心ない、っていうモンスターが跋扈して全てをフェイクに裏返している現在の幻世。って、まあそう鼻白んでいては物語にはならないわけだけど。娘さんや、よく聞くが良い。男ちうもの女の内面なんぞ関心なく、見た目10割ですぞ。そういう意味では姫より王子の方が頭も心も軽いやもしれぬ。___どうせならシンガーの「間抜けな夫婦」の幸福をもてるほうがよい、と私は思う。—まだティーンエイジャーの王子がそそくさと生命を捨てる決意をするのも、王子の両親であるだろう王と王妃を少しでも思い浮かべる心があればもっと重いものになったろうに。生命さえ軽いなあ、王子。_あ、軽い生命ではないがそれに拘泥しない、リンドグレーンの『はるかな国の兄弟』の「ナンギヤラで会おう」。これは特別。—王子が身を賭するのは愛というよりは名誉のはず、円卓の騎士はその狭間で悶々とするのに、そこがまた軽い。最終的に人のために号泣したかるいお姫さまはすっかり身体が重くなり、立って歩くこともままならない。その描写は何だか地上に帰還した宇宙飛行士のようで思わずマクドナルドは未来を見たかと?あと一つ、マクドナルドの好ましく美しい所。王子は森の中でお供とはぐれひとりサバイバルせざるを得ないけれど、これを良しとし、お姫さまたちがほんのちょっと楽しむ間もなく嫁に出されることを思えば王子さまは恵まれていると。お姫さまたちだってときには森で迷子になれたらどんなによいだろうかと呟く所。これこれ。近代以降お姫さまたちは大いに森を彷徨い堪能したから、フランソワーズアルディは「もう森へなんか行かない」って歌えるわけね。それは「もうそんな年じゃない」ってことなのかもね。すると女の子全体年老いてきたみたい。軽い王子さまもいないって分かったし。自由とか博愛みたいな若い森的泉的なものも年老いて涸れてしまうのだろうか。
2022.03.30
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2022/03/23/水曜日/桜開き始め〈DATA〉新潮社/アリ・スミス訳者 木原善彦2018年9月25日発行ゴールドスミス賞、コスタ賞、ベイリーズ賞受賞〈私的読書メーター〉〈いやはや。これは面白い本であるのかないのか。イエスかノーか。一本の棒の右端をイエス、左端をノーとする。棒を半分に折る。イエスとノーは存在する。限りなく折り続ける。イエスとノーは重なる。或いは棒をツイストする。ツイストし続けデュアルコイルになったら。時間は何処に行く?何処にある?フレスコ画の下と上は?ナショナルギャラリーのフランチェスコの描いた肖像画の、額から飛び出した手の、魔法の特異点。そんなこんなをぶっ飛ばす『お気に召すまま』のロザリンドみたいにとびきり魅力的なジョージとHの二人。映画化してほしい。〉ルネサンス期だって現在だって、子どもがまともに自分の人生、紛い物でない、人のもので無いそれを歩もうとする原初には、聡明で好奇心を失わず愛情をもって肝心な時に相談に乗ってくれるチューターが必要だ。ここでは母と娘と友人の関係だけど。二つの時代を挟み二つの物語が重なる。それらは一部、二部ではなく、二つとも一部という体裁。本によっては現在一部が最初に置かれている構成もあるとか。卵が先か鶏が先か。フレスコ画の全く別物の下絵が現れた時、一体どちらが先か。娘は下絵というくらいだし時系列で考えてもした後が先と答える。母親の考え方はツイストが効いている。ずっと長く認識された上のフレスコ画を先と見て、下絵はより新しいものと捉える。この事は、ターナーが霧を描くまでロンドンに霧は無かった。という小咄を想起させる。もちろんターナー以前からロンドンに霧はあった。一つの認識により発見された、新しい視点、世界観によって昨日までの了解ががらりと変じる。下絵の発見は実は了解を上書きしていく故に新しい、そんな風に考えられるのではないだろうか。巻頭のハンナ・アーレントの言葉の引用。これは死後、或いは生前、の魂の居場所の中間的領域を思わせる。それにインスパイアされたかのように著者が描く、ルネサンス画家の、現在に存在している何某、魂?が、ただ目として見つめている様子。画家が自然科学者のように徹頭徹尾目に徹して世界を眺める。そこに魂を込める。その行為は画家の死後にも、何かしら視る動力を失わず、世界は見られる事で存続する。そんな感じ。あまり考えすぎずにジュブナイル小説として楽しむこともできるし。そして本が面白いと感じたら、著者の出身地インヴァネスのことを調べてみるとか。そこから渡れる島々とか、外套の由来とか。小説を書くのに何故オクスフォードでなくケンブリッジなのか、とか。ああ、だから世界を手に入れる黄金の指輪の唯一手に入れられない愛について、何故両方手に入れられないの?と娘に言わせるのか。トールキン学徒じゃないからね著者は。そんなのイヤ、月も取ってくれろと驕りの春の子どもらに。うざいおばさんだった母がかけがえないものと一瞬感じられれば僥倖。
2022.03.26
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〈DATA〉株式会社新潮社/アリ・スミス 訳者木原善彦2021年10月30日発行WINTER by Ali SmithCopyright©️2017, Ali Smith〈私的読書メーター〉今まで読んだことがない味わいなのにどこか懐かしく感じる。ブレグジットが決定し世界は分断が進行し移民難民の潮流は勢いを増す。そんな政治的主題と英国の周縁コーンウォールの屋敷で繰り広げられるそれぞれの小さくて偉大なモチーフ。人と人の魂的な出会い、許し、愛し、行為すること、想像することの兆しが非母語話者ラックスを通し雲間の光のように輝く。クリスマスを軸に時間は過去に遡り、未来も少し。彫刻家ヘップワースの磁場?浮かぶ頭、石の穴、柊のリースの穴、ピアスの穴「人生ってこんなもの。時間もこんなもの」のリフレイン。〉〈〈この本をどのように記憶するかとても難しい。これは果たして政治的な主題を持つのだろうか?それよりももっと豊かで切実なものが横たわっているのでは無いだろうか。会話に「」が付かなくてするするストーリーが流れていくけれど、ちゃんと追える。「」が付かないだけで詩的イマジネーションが湧く。そこは訳者の手腕もあるかも。老姉妹が過ごしたコーンウォールは妖精譚や神話の故郷のような土地なのに、環境、平和、差別、自由な価値のために過激な活動をする姉をなじる時に実業界で成功した妹は、「それは神話よ!」となじる。巻頭にいくつか言葉が並んでいるのだが、これが案外この物語のハブのようなものかもしれない。その一つ、ブレグジットに踏み切った前の英国首相テリーザ・メイの「自分が世界市民だと信じる人は、実はどこの市民でもありません。」がある。世界市民を自認するドンキホーテ気質の姉に向かいそれは神話よ!と叫んでいる金儲けの上手い妹がメイ首相にだぶる。メイの姉はサッチャーだったかも、だけど。ところで老姉妹が育ち、やがて妹が手に入れたマナハウス風お屋敷はチェイブレスCHEI BRESと名付けられていた。妹が唯一愛した男との再会でその意味が明かされる。それはコーンウォール語で精神の家、頭の家、魂の家、という意味だった。この時の会話で『ふくろう模様の皿』が出てくるのが好ましい。ヘップワースに先してウェールズの穴の開いた石について知らされる物語なのだから。そしてこの魂の家は『愛と精霊の家』をも思い出させる。女性によって紡がれる家族の物語は第一、第二、アフガニスタン、イラク、それからその先に起こりそうな戦争も含みつつ。更にクリスマスについて。そうだった。これはクリスマスの複層物語なのだ。トランプがメリークリスマスと堂々と言えるアメリカ、の訳者のホワイトの暗喩。私自身は何でもありの日本的な信仰の淡い持ち主なので、政治的に正しくハッピーホリデーでしたか?なんかバカげてると思う。言葉と気持ちがぴたりとしないとおめでとうなんて言えない。そういえば随分前にクリスマスおめでとうございます!と年配の女性に挨拶したら変な言い回しと言われたけど、そうかな?私の幼稚園時代はそう言ってたと思う。〉〉
2022.03.12
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