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私の愛用していた『日経キーワード 重要500』の最新が出たので紹介します。今更と思う方もいらっしゃると思いますが、法令がある程度仕上がっていれば、この本のどこが重要論点になるか分かると思います。暗記しようとせず、軽い読み物を読む感覚で1年間の出来事をザッと確認するだけでも良いと思います。テキスト学習が終わっていない方にまでお勧めしませんが、時事に不安のある方は一度検討してみると良いと思います。HPも更新しました。一般知識対策についても書いていますので、よろしければ参考にしてください。http://www16.ocn.ne.jp/~u2lau2la/06_gyosho_1.htm
Oct 2, 2009
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4月24日に、帝王切開で出産してきました。今回も痛い目にあいました。それでも、技術の進歩のお陰で前回より大分良い事がありました。つくづく7年ってすごい年月だと思いました。まず、傷が目立たない!前回の傷も目立たないようにと気遣って縫合して下さったようです。点滴が少なくなっていた。憂鬱なことの1つなので、これが減ったのはありがたいです。抜糸がない。今時は、皮膚に馴染む糸を使うので、縫合してシールを貼って治癒を待つだけなんですね。シャワーの許可が早くおりた。理由は上記にあるとおり。鎮痛剤や下剤などを処方してもらえる。前回は、手術当日以外は鎮痛剤を使わせていただけませんでしたし、下剤も服用させていただけませんでした。退院が早かった。先生にごり押しして、予定より2日早く退院してしまいました。上の子が気になるし、個室と言えど、病院は落ち着かないので、早く出たかったのです。逆に悪い事もありました。病院が値上がりしていた!!!近年、事故が問題になっているせいか、どこも医療スタッフの人数に合わせて入院制限をしているらしく、その分、患者に負担がきてしまったのではないでしょうか。バラマキ政策では、何の解決にもならんのですよ。実際、悪化しているじゃないか、と言いたくなります。少子化推進対策ですか?って感じです。年の分だけ、前回より回復の悪い所があった。他の偏り早く回復していたようですが、前回と比べると、回復できずに苦しんだ部分もありました。*******************************************何はともあれ、母子ともに健康でいられて良かったです。これから暫く大変ですが、適当に休みながら頑張ります。勉強は、あまり出来ないかもしれませんね。焦っても仕方ないので、できる範囲でこちらも頑張ります。
May 4, 2009
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『ズバ予想宅建塾 分野別編 』の2009年版の発売に伴い、リンク先を更新しました。個人的には、まずは過去問を完成させる事が大事なので、分野別の様相問題集にまで手を出す必要はないと思いますが、2度目以降の受験だったり過去問が仕上がってしまって、過去問以外の問題を解きたいというニーズがある方には、この問題集をお勧めします。****************************************************宅建合格体験記http://www16.ocn.ne.jp/~u2lau2la/07_takuken_1.htm****************************************************
Apr 8, 2009
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■宅建のページ http://www16.ocn.ne.jp/~u2lau2la/07_takuken_1.htm平成21年度から、出題構成が変更される旨を追加しました。従来16問だった宅建業法の問題が、20問に増えます。最も得点しやすいところなので、是非全問正解を目指して頑張りたいところです。次の試験、合格点がちょっとだけ上がるかもしれませんね。■行書のページ http://www16.ocn.ne.jp/~u2lau2la/06_gyosho_1.htm『行政書士過去問マスターDX〈2〉業務法令 上/一般知識』の2009年版が出たようなので、リンク先を最新のものに更新しました。今日の時点で、Amazonでは予約受付中の状態ですが、数日中に販売開始されると思います。
Mar 25, 2009
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まさか落ちるはずもない思っていましたが、無事受かっていました。落ちていたら格好悪いと思っていたので、ちょっとほっとしました。テキスト読みもせず、過去問しかやっていませんでしたが、9割をちょっと欠ける程度の点数はとれました。弁当をこさえていたら、集合時間に遅刻してしまい、テストも午前午後共に30分程度で切り上げてしまうという雑な受験だったのですが、合格できたので良かったです。自分の経歴を考えて間違えてはいけない所で2失点していたのがお恥ずかしいところですが、これに懲りて、勉強を積み重ねようと思いました。合格率を見ても、受ければほぼ受かるような試験ではありますが、次のステップに進む為にとっておきたかったので、受けてよかったです。出産が済んで、ちょっと落ち着いたら、2級も受けてみようと思います。仕事の目処がたたないので、まだAFPをつるかは決めていませんが、2級だったら維持費がかからないので、取っておいた方が得という気がします。
Mar 9, 2009
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『『行政書士過去問マスターDX〈1〉業務法令 上』と『過去問宅建塾〈3〉法令上の制限・その他の分野』の最新版の発売に伴い、HPの更新をしました。行政書士合格体験記http://www16.ocn.ne.jp/~u2lau2la/06_gyosho_1.htm宅建合格体験記http://www16.ocn.ne.jp/~u2lau2la/07_takuken_1.htm以上、ご報告まで。
Feb 27, 2009
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去る2月22日は、私の37回目の誕生日でした。誕生日だからといって何かある年でもないので、いつもどおり、掃除したり洗濯して時が流れていきました。さすがに、主人が悪いと思ったのか、夕食をご馳走してくれ、なぜか任天堂DSとゲームソフトを2枚買ってくれました。感謝。でも、結局、子供が「いいなぁ~、水色。本当は水色がほしかったんだけど、あのとき、白と黒しかなかったから白にしたんだよねぇ~」と、ブツブツうるさいので、娘の古いDSと交換してあげました。ソフトも、既に娘の私有物と化しています。本当に私へのプレゼントだったのだろうか。。。?私自身は、特に欲しいものもなかったから良いんですけれどね。DSなんかで遊んでいる暇があるなら、勉強しろ!って話ですから、ちょうど良かったかもしれません。出産で今年いっぱい試験が受けられないせいか、イマイチ勉強に身が入りません。民法を集中的につぶしておこう!と決めた割に全然進んでいないし。。。亀のような歩みです。司書はそこまで甘くないってわかっているんですけれどねぇ~。モチベーションを保てない今の私。
Feb 24, 2009
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先日、行政書士試験の合格体験記のHP(http://www16.ocn.ne.jp/~u2lau2la/06_gyosho_1.htm)を紹介いたしましたが、ここの兄弟ページとして宅建の合格体験記も作りました。http://www16.ocn.ne.jp/~u2lau2la/07_takuken_1.htm取得から日がたちすぎていて、忘れてしまっている事も多く、制度が変わっている部分もあるので、余り役に立たないかもしれませんが、自分の歩いてきた軌跡を少しでも残したくて作成しました。中途半端な感じではありますが、よろしければご覧ください。追伸)これまで、ネスケ系での私のHPの表示がおかしくなっていたようです。本日、修正致しました。まったく気がつかないまま放置していたんですね。我ながら、情けないです。大変失礼致しました。
Feb 15, 2009
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久しぶりにHPを更新しました。陳腐化して酷い状態だったのですが、折角、宅建と行政書士をとりましたので、体験記を残しておく事にしました。家庭に入ってから、あるいは、傷病休暇中に資格を取得するという話はしばしばききますので、少しでもそういう方の参考になれば良いな、と思っています。以下がHPのアドレスです。http://www16.ocn.ne.jp/~u2lau2la/06_gyosho_1.htm宅建の記事は、これから書きます。とりあえず、行書の記事のみアップしました。内容に異論等のある方もいらっしゃると思いますが、あくまで個人的な見解と経験を書いただけなので、どうかお手柔らかに扱ってくださいますよう、お願い致します。
Feb 8, 2009
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既に死んでいるブログのようですが、一応報告だけしますね。本日、合格発表でした。さすがに、今回は受かりました。安堵。今回ダメなら諦めるつもりだったので、安心しました。やっと、先に進める感じで嬉しいです。次は、第二子出産に向けて頑張ります。
Jan 26, 2009
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かなり久しぶりのアップです。すっかり死んでいましたね、このブログ。今更、誰も読まないんじゃないのか、と思いますが、一応近況報告の為にアップします。休んでいた間に色々とあったので、これまでの事を簡単に。。。実は今、お腹に第二子がおります。4ヶ月です。多少つわりが残っていますが、元気に過ごしております。一人目は、無事近所の品川の小学校へ入学し、それなりに楽しくやっているようです。私自身は、日曜日に行政書士試験を受験してきました。3度目の受験になります。前回、合格に8点及ばず、まさかの不合格でしたが、今回は大分手ごたえがあります。以前と比べると劇的に難しくなっている行政書士試験ですが、今年の択一はかなり難しかったと言う意見が多い様です。その分、記述が楽だったので、そこで埋め合わせできるようになっているのでしょう。私は、択一の総合点が164点(突破塾の解答速報による)で、アシキリにもひっかかっていないので、記述の点数を足して180点以上になれば合格できます。つわりで直近2ヶ月、殆ど勉強しておらず、当日も頭痛と胃のむかつきで今ひとつのコンディションでしたが、受験できただけでもありがたかったです。今更仕方のない事とはいえ、1月の発表まで落ち着きません。司書受験も続けていますが、2度落とされました。出産があるので、暫く受験できませんが、再来年、できれば受験したいと思っています。多少、時間ができると思うので、1月の発表を待って、HPの更新をしようかと考えています。簡単にではありますが、ご報告でした。
Nov 12, 2008
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ちょうど一週間前、娘が幼稚園を卒園しました。良い卒園式でした。保育園では色々あり、子供の受けた心の傷のことを考えると、当時は、胸が痛んで仕方ありませんでした。色々と手を尽くしたつもりですが、私自身が責められるような事も幾度かありました。。保育園で起きている色々な事件を他の親御さんやパートの保育士などから耳にするにつけ、尋常ではないと思われ、また、言葉や経験の未熟な幼児の発言ゆえに、証明するのが難しい事もあって、直接相手の親や園長に言っても言い逃れされて終わるか、悪くすると騒いだこちらが悪者に仕立て上げられてしまうおそれがあった事から、区へ連絡し、議員に第三者機関の設置を請願する方法をとりましたが、親子の対話が足りないのではないか、とか、直接親に言えば良い事を騒ぎ立てて馬鹿ではないか、というような対応をされることもありました。子供の問題はなるべく子ども自身で解決する事を学んで欲しいと思い、心を痛める事があっても極力口を挟まないできたつもりですし、だからこそ、この事件が起こるまでは保育士に舐められていたんだと思います。それだけに、こいう言われ方には反発を覚え、傷つきました。でも、今はあれだけやってよかったと思います。まず、次の区議選でぜったに入れたくない人と入れたい人の区別をしっかりとつけられました。近所の目黒の皆さんには、こちらをしばらく不愉快にさせるような大柄でとんでもない議員がいた事や、逆に親身になって一所懸命動いてくださる議員がいらした事を語れます。もう、誰に入れてよいかわからない、なんて事はありません。地域社会でのこういう活動は、日本ではあまりない事ですが(だから政治貧乏と言われてしまう)、地域で要求を伝えられないようでは民主主義は成り立っていないと思います。選挙権を持つ一社会人として、権利主張の方法論すら持たないのはあまりに未熟ですし、自分の事なら無駄だからやらないで割り切るという事ができても、子供にそれを強いるのは酷です。正攻法での戦い方を子供に教える意味でも意味がありましたし、相手のある問題では、やるべきことをやっても駄目な場合があることを認識させる良い機会にはなったと思います。自分の欲望のために他人にどんな仕打ちでもしてしまうような者はどこにでもいますから、そういうのがいる事を認識して、上手に生きる事は大事です。それに対して「許せ」とは、私は言えません。でも、乗り越えなければいけないとは思いますし、子供にもそれは言ってきかせました。逆に、幼稚園での6ヶ月は悪意のない夢のような世界でした。それもまた貴重な環境です。結果的に、悪意に満ちた世界と、善意に満ちた世界の両極端な二つの社会を経験したわけですが、子供にとっては非常に良い社会勉強になったのではないかと思います。悪いものばかりでもなければ、良いものばかりではない、それがわかったのは収穫でした。卒園の日は、主人も会社を休んで出席し、園長先生に直々にお礼を述べていました。この園長はものすごい人格者で、ここに通うことのできた子供も親もとても恵まれていると心底思います。卒園式や謝恩会で親も子供も涙している姿が見られました。子供の卒園の言葉では、私も涙ぐんでしまいました。みんな本当に大きくなったんですね。最後の最後で、卒園アルバムに落丁があって、それでクレームを付けに行くという親御さんもいらっしゃいましたが、私はそれには参加しません。うちの子のクラスのページでないという事もありますが、たとえうちの子のクラスのページだったとしても、クレームをつける事はないでしょう。アルバムを回収して対応するとおっしゃっていますし、クレームをつけたところで何か変わるものでもないと思うので、それならお互い必要以上にいやな思いをすることはないと思うのです。失敗は誰にでもあるものですし、この幼稚園の保育に対する信頼を考えると、アルバムの落丁など微々たる問題です。写真より余程尊いものを頂きましたから、文句などつけられるはずありません。恵まれた環境にいるとついついそれが普通になってしまうようですが、私は最悪を見ましたので、それが普通でなく尊いと思えるのです。さて、今の子供の様子ですが、卒園したにもかかわらず、お預かりで通っていますが、明日でそれも終了です。来週からは、まだ入学していないというのに、小学校のスマイルスクールに通います。言い忘れていましたが、無事に近所の品川の学校に入れることになりました。歩いて5分かからない距離なので、とても気が楽です。品川区は教育に力を注いでいるので、目黒区の学校より優れた面が沢山あります。指定のあった目黒の学校だと、片道30分ほどかけなければいけませんし(日本の学区割の仕方って信じられない!)、保育園で問題を起こした子達と一緒になる上、目黒区内でも非常に評判の悪い学校ですので、行かずに済んで安心しました。ちなみに、裏のお宅(保育園で一緒でしたが、ここの子もずいぶん痛い目にあわされて幼稚園に移りました)はあまりにも子供が心配だった事もあり、品川に入れなかったときの事を思うとやりきれなかったようで、引っ越してしまいました。戸建を買って7年くらいで引越しということになったんですね。それだけの理由ではないのですが、理由のひとつであることは間違えありません。それくらい酷かったって事です。目黒区は、教育に対してもっとしっかり考えたほうが良いんじゃないかと思います。万が一を考えて、第三者機関を設置していただきましたが、それで片付く問題ではありません。地域ぐるみで、子供の教育を考えていれば、子供に教えるべきことは自然にはっきりしてきますし、子供自身の考え方もしっかりしてくるものです。品川にできて、目黒でできないってことはないでしょう。こういう公に対する要求を、声を大きくして言えるような環境の国になってくれれば良いのだけれど。。。それもまた教育なんですよね。脱線しつつ、長々と書いてしまいましたが、保育園の問題をアップしたまま放置していたので、近況報告も兼ねてその後の経緯を書かせていただきました。
Mar 26, 2008
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最後のひと踏ん張り。明日、議員に話しをするので、書面を作成しています。きらりんさんのコメントを元に、横浜市の取り組みを拝見しました。びっくりです。ちゃんとやっているところはやっているんだなぁ、と思いました。目黒区は、親の意見を反映させる仕組みが全くないというのは、あまりにもお粗末だと思いました。今回の家の担任や園長のように、普段の仕事をやっていないようなのにあたってしまっても、区に直接言ったのではたいした効果はありません。保育士に顔を傷つけられた子のお母さんだって、区に訴えているのに何もしてくれていません。区に言わなくても、保育園に不信感を募らせている保護者が他にいる事を知り、それを訴えて効果的な対処してくれる場がないのは大問題だと思いました。おそらくこの保育士、点呼もおざなりだと思います。出欠の記録がいい加減なら、点呼だってあやしいものです。先日、点呼をしなかったために車に置き去りにされたお子さんが亡くなりましたが、この保育園もかなり危ない仕事をしていると思います。今後、通わせなければならない人は、子供のことを考えると区に苦情を出すのだってためらわれます。普段から、保育園に対して感じている事を言えないようでは困るのです。何かあってからでは遅いのです。横浜市は、第三者評価機関が保護者にアンケートをとっていました。これは絶対に必要だと思います。何かあったら、ここに苦情を言えばよいとわかっていれば、保育園への圧力にもなるし、親も安心です。逆に苦情に理がなければ、そう伝えればよいだけの話です。そういう仕組みがないのは、目黒区の不備だと思います。という事で、先日の三者面談の議事と、その後得た情報等を書面にまとめて区議に提出し、保護者が意見できるような第三者評価機関(横浜市の取り組みを参考にしてもらう)の設置と保護者への公示をお願いする事にしました。この作業に時間をとられるので、今日は勉強できないでしょう。ここでやっと終わるのですから、勉強は諦めて、こっちの作業をきっちりやってしまおうと思います。ながかったぁ~。お陰で今日は朝から頭痛がします。でも、ここで終わるのですから、頑張ります。
Sep 5, 2007
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区議員と話してきました。とても感じの良い方でした。次の選挙は是非この方に投票します。周囲にもそう宣伝しようと思いました。以前電話でお話した方には絶対に投票しません。やる気が全然違います。腰は低いし、子供にも良くしてくださいました。本会議中ということで十分に時間をとるわけにはいかなかったのですが、こちらの意向は伝わったと思います。はじめ、時間がないので、おおまかな話だけ直接して、詳細は所管に話すように支持されたのですが、書面を作成していたので、所管に話をする手間が省けました。細々した問題はあるけれど、ここで請願したい事は一つ。第三者評価機関の導入です。それも横浜市が実践しているようなもの。具体例があるので話が早いです。またしても保育課の係長が呼び出され、話しつくしているのに、又話さなければならないのは辛かったです。先方もそう感じていたと思います。でも、その後得たクラスメートのお母さんの話やパートの保育士の話を伝えられたのは良かったかもしれません。園長の評判がすこぶる悪い事は十分に伝わったと思います。保育士による保育園の民営化反対運動が迷惑だとか、園長人事の仕組みを詳しくきけたのは収穫でした。区営の保育園の園長が降格させられる事はないらしいけれど、民営化されればそんな事は言っていられない訳です。是非民営化していただきたいところです。今回お話した区議員は、積極的に取り組む姿勢を見せてくださいましたので、結果が楽しみです。本会議も傍聴してみようかと思いました。トラブルになるといけないので、紹介をうける以前、他の区議に話をした事は伝えておきましたが、なぜ、この話をつっぱねたのか不思議がっていました。はっきり言って、正確と偏見によるものだと私は思っています。直接関わる事で、選挙にも積極的に投票に行こうという気持ちが生まれました。嫌な事件でしたが、多少なりとも区政に関われたのは収穫でした。講演会にも言ってみようかと思います。折角できたご縁ですし、こんなに良い対応をしてくださるなら、是非応援しようという気になります。やはり、まずは地域の政治ですよね。こうして関わってみると、本当に政治って面白いですよね。早く仕事に復帰したいなぁ、と少し思ってしまいました。これでひと段落ついたので、明日からはしっかり勉強に集中します。長い夏でした。
Sep 5, 2007
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幼稚園のお迎えの帰り、家の子供の通っていた保育園でパートをしている方に偶然お会いしました。彼女は、家が保育園をやめた事を知りませんでした。一ヶ月くらいいないから気になっていた、と言うのです。パートだからあまり踏み入って聞けないと思っていらしたようです。事の経緯と転園した旨をお話したら、「そうなんだぁ。でも、幼稚園がみつかってよかったわねぇ。本当は言っちゃいけないんだけれど、あのクラスはおかしかったのよねぇ」とおっしゃりました。やっぱり働いていてもそう思うのか、と思いました。彼女が言うには、年少の頃から子のクラスの子供はどうにもならなくて、当時担当だった保育士は放棄してしまったと言うのです。これには驚きました。確かに年中で担当をはずれ、新任の保育士(現担任)が引き継いだのでした。これまでずっと年長クラスを受け持っていた先生が担当しなかったのも、もしかするとそういう経緯と関係があるのかもしれない、と思いました。家の子供のクラスは、5年以上いっしょに過ごしているのに、いまだに人間関係が築けていないようで、他のクラスの子供はみんなそれなりに自分にあった仲良しをみつけて一緒にいる傾向があるのに、家の子のクラスだけ、自由行動をさせると皆一人になってバラバラに行動する、とパート保育士さんはおっしゃっていました。そりゃあ、あんなに荒れていたら子供だって他人を避けるようになるでしょう。三者面談の時に家の子が一人で遊んでいる、なんて欠点のように指摘されたけれど、クラスのムードがそんなじゃ仕方がないでしょう。つくづく、あの担任には問題があると思いました。さらに、女の子が本当に暴力的でひどい、とおっしゃっていました。確かにそうです。2,3人、非常に暴力的なのがいます。パート保育士は言いませんでしたが、私から見ると、 男の子はとても陰湿です。影でコソコソ人をいたぶる傾向にあって、ぞっとします。園長がひどい、という話も出ました。パート保育士さんがおっしゃるには、保育士の間でも「最低」といわれているそうです。長く勤めていらっしゃる保育士さんですら、今度の園長は最低だとおっしゃっているそうです。親から見てもそうだけれど、中で働いている方々もそう思っていたんですねぇ。保育士と園長がコミュニケーションをとっている姿を殆ど目にしないと思っていたけれど、やっぱりうまくいっていなかったのね。一体こんなのがなぜ園長をやっているのか。。。目黒区はきちんと人事をしているのか!と言いたいですよ。前の園長先生がすばらしかった、と言うのも保護者とパート保育士さんの意見が一致した点です。誰が見ても、思う事は同じって事ですね。担任についても、親がどこかのえらい園長なようだ、と話してくださりました。なるほど、保育士同士のコミュニケーションを見かけない割りに、園長には受けが良いのはそういうことなのね。誰かを攻め立てるときにやたらと勢いづいて楽しそうな癖に、自分の非はなかなか認めないところに、何様なのだろうかという思いはあったけれど、そういう背景があるなら納得です。親が「えらい」と言うのは、人格が優れているのではなくて、長く勤めて上り詰めただけ、といった印象です。あるお子さんの顔に傷をつくった話もでたのですが、パート保育士さん曰く「多分暴れたんだと思う」とおっしゃっていました。その子の親も、子供が一時期おかしくて、暴力的になっていた、と言っていたので、担任の言うとおり暴れたというのは本当だろうと思いました。それにしても、担任が謝るより前にそれをなじるのはおかしいでしょう。爪をきってさえいれば、顔に傷がつくなんて事はないですから、担任の落ち度である事には変わりはありません。まず謝罪してから事の経緯を説明すれば、まるくおさまったと思います。三者面談の際もそうでしたが、謝罪しても、相手の欠点をあら捜ししている姿勢で謝っても、相手に伝わるわけはありません。なんでも自分が正しい、みたいな態度では話がこじれるだけです。前の園長の時は、こんな事がありませんでした。園長の指導不足です。おそらく、前の園長だったら、担任を呼びつけて一緒に親に謝罪したと思います。調査を入れても、保育士同士がかばいあっちゃっうからなかなか問題が明るみに出ない、という話もしてくださいました。病院と同じで、皆自分の保身に走るばかりだ、とおっしゃっていました。あんな仕事をしていれば当然ですが、それで子供が危ない状態になっているんじゃどうしようもないです。はっきり言って、目黒区の責任です。こんな状況で認可するな!ってことですから。そんな訳で、パート保育士さんも「幼稚園にうつれて良かったわねぇ。お母さんもよく決心した!」と力強くおっしゃって下さったので、私も少し気持ちが楽になりました。
Sep 4, 2007
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保育園の1件も、あとは残す所区議との話し合いのみ。これまで頭の中が混乱して、何を要望したものか良い案が生まれなかったが、ここにきてやっと少し落ち着いて考えられるようになってきた。区議に言えるのは行政の問題を解決するための提案のみ。だとすると、保育園の危険な現況を説明し、それを解消する為のシステム、たとえば第三者機関のようなものがないので、保護者や子供の意見を汲み取って、正当な調査の上に検討していただけるようにしていただけるようなシステムが欲しいという点を軸に話を進めようと思う。区の調査は、保育士に見える限定された部分を元に園になるべく良いように説明されたものをなぞるだけのものだった。区の係員の検分も所詮は4,5日ちょっと見に子供を見るだけなので、状況を判断するには不十分だと思われた。私が今回の話し合いでもっとも欲しかったのは、家の子供の一件に対して、具体的にどのような対策をし、どうのような結果が出たかと言う報告だったのだが、何もなかった。言葉の上だけの謝罪と「これから気をつけます。対話や報告を大事にします。」といった抽象的で、今後どのように対応するか予測ができない答えではない。当事者である子供の意見を何もきいていないのでは、話にならない。対話を大事にすると言いながら、加害者側の親にはノートに記述しておしまいにしているあたり、ずれているように思える。実は、話し合いの翌日、保育園に通う別の子のお母さんにでくわして、話をした。彼女も保育園をやめようかずっと考えているらしい。過程の事情にまで首をつっこんで、園長に説教された事があり、ものすごく不快に感じているらしい。彼女は持病持ちで、その上に遺贈が重なって、多忙に過ごしていたらしい。その為、子供の通園時刻がまちまちになり、遅れていくときは事前に事情を説明して連絡しているのに、勝手に寝坊などの母親の怠慢で子供の生活が乱れていると決め付けてとやかく言われたらしい。それが本当だとしたら、というか、あの園長ならやりかねないと思うのだが、区の人事はどうかしていると思うし、そういう事態を報告する場がない目黒区っておかしいのではないかと思った。さらに、担任に対しても私と同じような思いで見ていたらしい。自分の言う事をきかない子にはヒステリックに当り散らす割りに、子供同士の暴力などには無頓着で何もしない、というのはやはり気になったらしい。彼女の子供も、他の子に「台の上に立て」と半ば強制的に台上に上げさせられて、空手の練習の的だと言って、キックの的にされたらしい。なんじゃそりゃ!案の定保育士は何も言わないらしい。あの担任は、相手を見てから、ヒステリックにやつ当たったり、知らん顔をしている、というのは、私と同意見だった。保護者にも問題がある、というのも同じ意見だった。父母会の名目で会費を集めて、それで飲み会をやるのは問題だと言う話も出た。子供づれでそんな事をしたくないのは、常識的な親なら当然の意見だと思う。保育園への圧力団体という本来の目的を無視して何をしているのやら。。。。一度、まさか飲み会とは思わずに参加してしまった時に、暴力的な子供達の中の一人のの親が「外にある洗濯機に子供を入れて怒ってたら、近所に幼児虐待で通報されちゃったぁ~。その後は、家の中でやるようにしていたんだけれど、最近子供が大きくなっちゃって入らないのよねぇ」と言っていたというのは、さすがの私も絶句してしまった。周囲も笑って聞いているというのは、一体どう言う神経なのか。。。所詮こういう親達の子供なのよね。こんな親どもに、ノートで出来事を伝えようとしたって無駄なわけよね。呼び出してもずれた本能をしそうだけれど、呼び出されるのは嫌だから、多少は子供に何か言うんじゃないかと思う。それすらしないのであれば、この子供達はろくな成長はしないだろう。今後二度とお目にかからないことだけを切に願う。「今年は外れ年だったね」と彼女も言っていたが、それでも対応によってはもっとましな結果が出たと思う。「家もやめさせて幼稚園に移そうかなぁ」と見た感じ本気で言っていたので、「時間が大丈夫なら幼稚園の方が良い、と私は思うよ。そうしろ!とは言えないけれど、でも、私はそう思う」と答えてしまった。そこのうちの子も保育園には友達が一人もいないし(って、あんな子供達とつき合わせたくないよ!)、小学校はちょっと離れた所になりそうだから、そちらの子供が多く通うところに移すのも良いと考えているらしい。家の一件があった矢先なので、保育課に相談して、移してもらえるようにお願いすれば取り計らってくれるんじゃないか、と言ってみた。私一人が騒いでいるだけでは、ただの厄介なクレーマーだけれど、数人の意見が重なればもはや無視はできないでしょう。やるやらないは本人の自由だけれど、少なくとも、他のお母さんが同じ事を言ってくれたので、私の意識が突出して非常識というのでも、大げさというのでもない、とわかって少し安心した。
Sep 1, 2007
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三者面談、やってきました。やっぱり話しても無駄だな、と思いました。悪くなる事はあっても、良くなる事はない、と確信しました。はさみを向けられた件も、子供曰く、わざと刃先を子供に向けた(実演させてみた)ということだが、担任は、はさみの持ち方が悪くてたまたま刃先が子供の方向に向いた、などと言っていた。泣きながら訴える子供が嘘を言っているようにも思えないし、相手には話を小さくするだけのメリットがあるから、この事件については私は子供の言う事を信じている。もっとも、自分で見ていないので証明できないんだけれど。いじめも、園の方ではたまにそういうやりとりがあり、見かけたときは仲介に入った、と言っていたがだが、子供は頻繁にやられたと言う認識だ。これについては、子供の主観が重要、要するに心に傷を負ったという事が重要な点なので、やはりこんな保育園の説明に。「はい、そうですか」とは言えません。おまけに、区側の人間が、うちの子供の食事のスピードが遅いだの、一人で遊ぶ事が多いだの、何が論点なのかわからない話まで出してくるので、思わず「論点がわかりません。なぜ、その話が出たのですか?」と言ってしまいました。相手はちょっとムッとしていたようです。どうやら、保育園は社会勉強の場で、家の子もまだそこで学ぶ事が多い(つまり、出来ていない事が多い)と言いたいようでした。そんな事は我々親だって分かっているし、一方的に誰かが悪いと攻撃しているわけではありません。保育園の対応の悪さ故に、さまざまな事象が大事になってしまっていると言う事を言っているのです。保育園がしっかりしていれば、内内でしっかり話し合って完結した事ばかりです。大体、喧嘩しているでもない状態で、日常的に首を絞めたり、心臓を攻撃する社会はどこにもありません。就学直前期になってもそんなことをしているのは、異常です。これらが危ない事だと言う認識は、さすがにあって良い年頃です。それを伝えられない、園や親が疑問です。ちなみに、相手の親を呼び出すなどの処置は今後もやらない方針なのだそうです。通信欄に出来事を書いておしまいなのだそうです。子供同士できちんと話し合う事もどうやらしていない様子でした。担任はやっていると言っていましたが
Aug 30, 2007
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今日から子供が幼稚園に通い始めた。まだなんだかよく分からない様子。ブロック遊びをしてプールに入ったら終わってしまったらしい。一緒に遊んでくれるお友達はいたようなので一安心。先生方も朝から待っていて下さって、親切に対応してくださった。ありがたい事だ。やっぱり転園させて良かった。私のほうは、子供が幼稚園に行っている間に、主人の会社の組合がおしている参議院議員から紹介されて目黒区議に連絡をしてみた。以前電話した方とは打って変わって、話をさえぎらず、きちんと話を聞いてくださった。紹介があるという事もあるけれど、話すらまともにさせてくれない人に比べると非常に好意的で良かった。これは、次の投票の参考にさせていただくことにする。話が多岐にわたりそうだとわかると、会って話を聞いてくださるとおっしゃって頂けた。請願が通るかはわからないが、現状を伝えるチャンスができて嬉しい。次の子供を生むか否かは、安心して預けられる場所があるか否かにもかかっているので、頑張らなくては!今回私がお願いしようと考えている事は、以下のとおり:1. 園長人事の方法の検討 区営保育園の運営の多くが保育園(園長)の裁量にかかっているのならば、園長人事によって保育園の中身が大きく変わる。場合によっては、今回のように危機管理能力が殆ど無いような状態にもなる。公務員として年数勤めた保育士をテストして園長にするのではなく、外部からの広く人材を求める形にすることも含めて、管理能力の高い人材をあてる仕組みになるように検討していただきたい。ちなみに、今回のいじめの一件をとっても、私立の幼稚園の園長は、どのように対応すべきか的確に即答できた。時代に即した対応ができる人材は外にも沢山いるのだから、園長を公務員に限る必要はない。さらに、問題のある園長をそのまま放置するのも問題なので、教育制度を確立して、それでもダメなら園長を続けるのは控えていただくようにしていただきたい。公務員削減が必須の今、有能な人間の登用の機会を減らすより、問題の園長をそのままにせず、入れ替える仕組みがあっても良い。2.保育園の監視体制の強化 故意か事故かはわからないにせよ、保育士の爪が子供の顔に刺さるような、聞いただけでも怪しい自体が発生し、保護者が区に訴えても消極的な対応しかしていただけず、問題解決にならないのが現状。今回のように、こういう怪しげな事件がおこるようなところには、他にも安全面などで大きな問題があると思われる。区が保護者の意見を聞いたり、カリキュラムのチェックや、ぬきうちで監査するなどして、保育園が問題を隠蔽しづらい状態をつくって検査する事も必要。今回は、私が区に申し出たから問題が明るみに出たが、言わなければ知らぬ顔をされて終わってしまった。区が責任を持って運営している以上、区が保育園が安全か否か確認するのは義務だと思う。3.休園、転園制度等、救済措置の確立 今回のうちの子供にあったように、安心して保育園に預けられなくなった場合、転園や休園などの措置がないと、子供の行き場がなくなってしまう。保育園を休ませても、保育料が発生してしまうと、続けようとは思えないし、次の行き場も無いのに退園する事になるのでは非常に困る。4.障害児童の受け入れに基準の再検討 障害児の施設がある中で、どうしても一般クラスに入れたいという要望があるのはわかるが、障害の程度によっては、一般クラスで生活させるのに無理がある場合がある。受け入れる側の健常者の子供の負担も考える、ともっと慎重にやっていただきたい。そして、受け入れを決めたのなら、対応もきちんとしていただかないと困る。具体的な対応もおぼつかない状態で受け入れられては、受け入れ側の子供にも悪い影響がある。少なくとも、今回、うちの子供にあった被害が必要以上に大きくなったのは、障害児童が絡んだ事にもある。障害児童の受け入れ基準と、受け入れた場合の対応について再検討していただきたい。と、こんな所かな。9月の第一水曜日に話す予定だから、それまでじっくり考えよう。
Aug 27, 2007
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昨日幼稚園を見学し、今日入園手続きを済ませました。保育園の生活に慣れた私には信じられないくらい、良心的で思いやりの深い幼稚園でした。期間が短いので、制服は出来る限り貸与で済ましてくださる手配をしてくださり、8月の慣らし保育は、なんとお金をとりませんでした。びっくりです。できれば、保育園には払わずにこちらに払ってあげたいところです。園長と私が話している間に、子供は担任になる先生と話をし、さらに、体操教室にまで参加させていただきました。それだけでもありがたいのに、なんと、教室のお子さんと一緒にアイスクリームまでご馳走になっていました。一緒に体操をしたお子さん方ともすんなりなじめたようで、安心しました。園長には、保育園で何があったかお話しました。これまで、区などでは「子供のいじめなんてくだらない」といった反応しかなく、暴力を振るわれる以上に辛いという事実が認識されない事に悔しい思いをしていたのですが、ここで初めて「子供の生活する場、特に食事を気持ちよく取れないなどという事はあってはならない。そういう時は、当事者の話をきいて、クラス全員で話し合って解決すべきだ。うちの幼稚園ではそうしている。」と、私にとっては納得いく返答をいただけたのはありがたい事でした。この保育園を選んでよかった、と心から思いました。ところで、今になって主人の会社のツテを頼ってお願いしていた、区議の紹介がありました。直接電話で思うように話もできなかったので、次は現状に合うようにストーリーを作り変えて、もう一度きちんと話すことにします。紹介があるから、今回は無碍にはされないでしょう。こんな状態では、次の子供を安心して生めませんから。働きながら子育てするには、安全重視の保育所が必要です。幼児期の教育だって、本来なら保育園でもすべきです。厚生労働省の管轄だからか、教育に関するガイドラインが全くないのは驚きです。そういう意味では、安全面や衛生面は強くても良さそうなものなのに、それも出来ていないとは。。。この面で厚生労働省が文部科学省に負けてどうする。。。。それにしても、本当に日本は政治が機能していないですね。これでは、何のための一票かよく分かりません。そうそう、忙しすぎたせいで、投資面でもちょっとミスってしまいました。数日前米ドルしか買わなかったけれど、やはり、ニュージーランドドルも購入して定期に入れておくべきでした。悩んだんですよねぇ~。でも、もう一度波が来るような気がしたし、疲れて面倒くさくなってしまったのでやめたんです。次の波はきっとあると今でも思っているのですが、ここで一回買っておいても損はなかったなぁ、と今更ちょっと後悔。そうすれば、金利も稼げわけですしね。判断を誤ってしまいました。利幅はニュージーランドドルの方が大きいわけだから、機を逸するとものすごく損した機がするのです。過ぎた事にとらわれるのは次の失敗を呼ぶ原因になるので、あまり後悔はすべきではないのですが、でもやっぱりちょっと後悔してしまいます。いけませんね。先を見て生きていかなくては!子供の件も、あとは保育園との話し合いを残すのみです。保育園では、グループがえをしたり、保護者会を計画したりしているそうですが、実体は何も変わっていないようです。友人のお母さんから聞いたところによると、相変わらず、首を絞めるなど危ない行動をほったらかしているようです。考えられません。今はなんともなくても、力が出てくれば危険な行為になるのですから、早いうちにいけない事だという認識を持たせなければいけないはずです。子供はどこまでやれるか計っているのですから、箍の外れた行動をとった時は、すぐに叱るべきです。そうすれば、ここまではやってはいけないと知る事ができるのです。要するにこの保育園は、仕事をしていないんですね。さらに驚いた事には、その友達の子供は、担任に顔をひっかかれた事があるそうなのです。そのときも、10分ほど延々、その子供が悪さをしたという話をきかされ、最後にやっと、子供同士のトラブルの仲裁に入った際に爪があたってしまった、と言ったと言うのですから、呆れてあいた口がふさがりません。大体、相当爪が伸びていなければ、帰宅後も未だ血がにじんだ状態というほどの引っかき傷は作れないですし、仲裁に入ってうっかりと言う割に傷が深いのが怪しいように感じられます。以前、うちの子供が先生の話をきいていなかった為に、スポーツに参加させなかった、というメモをその先生から頂いた事があるけれど、はさみを向けたり、暴力を振るう子供をきちんとしかれない人がなぜ、そういう行動をとるのか疑問です。子供の安全は大して気にしていなくても、自分の言う事を聞かないのは許せない、といったところでしょうか。うちの子にも非があったので、何も言いませんでしたが、「私の言う事をきかないから、やってやった」みたいな印象を受けてしまいます。メモを見たときも、実はそんな感じがしたのですが、友人の子供がひっかかれた件を聞いて、私の印象が正しかったのだという確信を持ってしまいました。こんな環境に子供を置いていたのかと思うと、本当にぞっとします。区の認可って一体どうなっているのでしょう。明日、区議にはきちんとお話しますけれどね。園長次第で安全性がここまで損なわれるようじゃ、認可の意味なんてありません。区民をだましているようなものです。今月いっぱいは、子供の事で手一杯ですが、こればかりは仕方がないですから、やれるだけがんばります。勉強も、出来るだけ頑張らなくてはいけませんし。こうなると体力勝負ですから、健康に注意してやっていこうと思います。
Aug 21, 2007
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区と保育園と家で行う三者面談は、29日に決まった。話を聞いて、はい、そうですか。では、退園します。で、おしまい。相手の親に言う、言わないの問題はあるけれど、やっぱり障害者が混じっているのは厄介だと思う。これがなければ、子供だって4ヶ月も我慢しなかっただろうしね、私もここまで大事にしない方法でまるく収める方向で考えたかもしれない。が、障害者の存在があって、しかも、いじめ側が障害者を参加させてしまっていたから、保育園にちょっと言ったくらいじゃどうにもならないな、と判断したのよね。これまでの、園長や担任の行動パターンから察するにそうだろうと思った。さらに、やり方を間違えると、こちらが悪者に仕立て上げられてしまう。だから、当事者に直接接触せずに、区を仲介にしたのだ。それでも、結局は、障害者は通い続けるし、他の子だって自分が何をしたかわからないまま終わってしまうだろう。だから、こちらがさっさとやめるのが一番という結論になったのだ。但し、黙ってやめるんじゃ悔しいから、言うだけ言ってやるという話になっただけだ。公の場ではいえないけれど、子供を連れて年がら年中飲み歩いている親や、何人も産むだけ産んで親に押し付けてほっぽらかしているような親に何をいう気にもなれないのだ。他人の家庭の事をとやかく言う気はないが、私だったら子供に悪影響があるからやるまい、と思うような行動パターンである。こんな親に、「5歳の子の言っている事なんて、本当はどうかわからない」なんて言われたら悔しいし、かといってこちらの言い分が正しいと証明するのも実は難しい。だから、やっぱり保育園が言い逃れしづらい状況を作って、報告させるしかないのだ。子供はすっかり幼稚園が気に入ったらしい。「保育園じゃお勉強ないからつまんなーい。幼稚園はあるんでしょ?」なんて言っていた。いつまでそんな風に思っていられるのかは知らないが、自分に非がないのに追い出される、という理不尽な気持ちはなくなったようなのでよかった。過ぎた事は仕方ないものね。正直、腸の煮えくり返るような思いで、ギャフンと言わせないと気がすまないくらいの気持ちだったけれど、あまり怒りや恨みが募ると頭痛がして何もできなくなるから、これからは、保育園のことをなるべく忘れて、先の事だけ考えて過ごそう。子供も「保育園はいじめられてさびしかった。幼稚園ではいっぱい友達つくるんだ」(母としては涙が出る発言)と言っていたしね。これから良い友達を沢山作ってね。私も、少しずつでも勉強をすすめる体制を整えるよ。大丈夫かしら。結局、8月の半ばだと言うのに全然勉強がはかどっていないよ。実は、試験の申し込みもしていない。ああ~。
Aug 14, 2007
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今となっては、子供も幼稚園に行く気満々。保育園に未練はないらしい。そりゃそうでしょう。毎日、食事時に、「こっちを見ないで」とか「話しかけないで」なんて言われながら過ごすなんて冗談じゃないですもん。保育園で「いじめるからやめるんだ!」と大声で言ってやったお陰ですっきりしたっていうのもあるんだろうな。今日は「ひとりでがんばったんだ」なんて言うから、「がんばなくていいんだよ。そういう時は、皆に聞こえるように、そんなこと言わないで!!!って言っていいんだよ」と言っておいた。私の子供の頃なら「こっち見るな」なんて言われたら、「お前は息するな」って言い返しちゃうよ、きっと。意地悪されたときに、やりかえしてやるくらいの事を教えておけば良かったよ、まったく。自分が当たり前に強すぎちゃったから、子供にそんな事を教えなきゃならないという認識がまったくなかった。男の癖に、陰湿に口でいじめるようなヘタレなんか、数発殴ってやれ!!!って思ってしまう。私の子供の頃なら。。。やっちゃったかもねぇ。なんていったって、私はこういう男が子供と言えど大嫌いだから。ほーんと、ヤダヤダ。男の子でも、優しい子ならよいんだけれど、そういうのとは違うからね。男の陰湿は性質が悪い。結局、8月の前半はまったく勉強ができなかった。こんな事でくじけず、頑張らなくちゃね。どttんな環境下だろうと、受からない言い訳にはならないもの。そうえば、折角保育園にも行かずに過ごしているので、水泳とそろばんとピアノはしっかりやらせよう、と思っていたが、結構成果が出てきた。ピアノは発表会でちょっと無理して頑張ったのが良かったみたいだ。水泳も、今日はいきなり20メートル泳ぎきった。幼児でこれだけ泳げればばっちりでしょう。泳いできた時間もダントツだとは思うけれど、4日だけでも小学生に混じって、プロにしっかり習った事で、かなり効率よくコツをつかめたらしい。特に、呼吸法の練習は良かった。これは欠かせない練習だけれど、独りでやるのは退屈でやっていられないから、習いに行ってみんなでやるに限る。呼吸が楽にできるようになると、距離はのびるからねぇ。7メートルくらいしか泳げなかったのに、20メートルまで距離を伸ばしたのはすごかった。水泳も習いに行く気満々なようだ。幼稚園のカリキュラムがわかって、少し慣れてから申し込みをしようと思う。いきなりなんでもかんでもは辛いだろう。私立に行って、安全と教育を金で買うのは悪くない。区立だって、収入がある人は結構払わされるけれど、サービスは払っていない人と同じで、要求もできないんだもの。しかも、危険度が高い。お金の使い方を間違ったな、と心底後悔。うちの子をいじめてくれた輩に奉仕するのはばかばかしいから、とっととやめる。払える人が減っていけば、保育士も低所得層も困るだろうに。区は、保育園を切り捨てる方向なんだから。どこから資金調達する気なのかね。自分の首をしめているようなものだ。自分本位な行動って、結局、自分にかえってくるんだね。他人事ではないな。自分も気をつけなくてはいけないね。私もがんばらなくちゃ。民法で足踏みになっちゃっているけれど、来週は会社法まで全部終わらせて、2巡目に入りつつ、条文読みをがんがんやろう。過去問と条文とテキスト以外は出来ない気がしてきた。でも、それでいいと思う。余計な事に手を出すより、基本的なことは完璧にすべきでしょう。
Aug 12, 2007
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いきなり電話しちゃったので、はじめ怪訝な反応をされた。取るに足らないくだらない相談(区レベルじゃ、そういう内容の連続だと思うんだけれどね)で、議員に電話してくるなんてあんたおかしいんじゃないの!?くらいの勢いだった。紹介がなければこうなる事はわかっていたけれど、だめもとでチャレンジしたんだよ。でも、「なぜ何人もいる議員の中から自分に電話したのか、あいうえお順で上のほうにいるから?」ときかれた際に「経歴を拝見したところ、教育関係に詳しそうで、所属政党も支持している所だったから」と答えたら、大勢の中から自分を敢えて選んでいて、しかも実績をかって電話している事に気をよくしたのか、いきなり態度が変わった。「じゃあ、前回の選挙も私に入れてくれたのね?」と聞かれたので「もちろんですよぉ~!!!」と大げさに答えたら、完全に気をよくしてしまったらしい。その上、色々話しているうちに、主人が高校の後輩にあたることがわかり、「あそこの学校は入るの大変なのよぉ~。ご主人優秀なのねぇ。そういっておいて頂戴よ。私も、中学じゃ成績一番だったんだけれど、高校に行ったら下から数えた方が早くなっちゃって。あそこは本当に優秀なのよ」なんて、さらに気をよくして関係ない話(というか殆ど自分の自慢話なんだけれど)を長くされてしまった。威圧的な物言いなので、私はうまく言葉が出てこなくなっちゃうし、相手は年のせいかちょっと耳が遠いらしく、こちらが電話したのに、あちらの話ばかりきくことになってしまっ(しかも自慢話。。。)。そんな話を展開しているうちに、知能障害者が普通学級で健常者と同じ教育システムでやっていて、今回は、いじめられる側ではなく、いじめる側と行動を共にしている事や、保育園の管理体制がなっていない事などを伝える事ができたのは収穫だった。その議員は、知能障害者が健常者とまったく同じカリキュラムで生活している事を知らなかったらしい(おいおい)。障害者については、大人が過剰反応するから、子供もそれを察していじめる事はないが、逆に健常者の子供のほうに不都合が生じる事がある事は話しておいた。障害者側にしてみれば、一般クラスでやらせてたいという要求があるから、入れるなとは言えないけれど、それによって健常者側の利益が失われるのも問題で、なかなかデリケートな問題という見解は議員も一緒だった。はさみの一件も伝えたら、「万が一障害者に怪我をさせられたら、結局やられた側がやられ損だから、ばかばかしいわよ。後残り6ヶ月なら私立の幼稚園に移したら?私立ならお金を払った分、要望もききいれてくれるからいいんじゃない?区が相手じゃ、そういうのは通らないわよ」と言われた。そりゃそうだよね。そうすれば、家は経済的には困窮していないから、幼稚園でもっと安全に良い教育が受けられて、それなりに意見も聞き入れてもらえるし、逆に、議員にしてみれば、家がいなくなったところに低所得者層の子供を紹介していれてあげられるもんね。ものすごく丸く収まる。こうやって、保育園には、経済的に或る程度恵まれた人っていうのはいなくなっていくんだなぁ、と思った。実際、周りを見ても、徐々に皆幼稚園に移していって、家が最後の方に残っていた感じだもんね。お金があるなら、私立の幼稚園で安全にしっかり教育が良いって事なのね。この件について、結論を言うと、三者面談は個人でうけて(もちろん議員の名前は出さないよ。さすがにまずいよね)、議事録をしっかりとって、埒が明かなければもう一度電話してくれても良い、という話になった。肝心の話は殆どできなかった感じだけれど、それなりの収穫はあったのかな?ちなみに、区の認可保育園といえど、幼児クラスになると質はいっきに悪くなる。なぜなら、公務員を減らせという民意が大きく、その影響で、区(行政、議会)の方針は保育士を減らし、給与もなるべく低くおさえるようにしよううとしているらしいからだ。そりゃ、目も行き届かずに酔っ払いに絡まれるなんて事も生じるわけだ、と思った。広い場所で子供を遊ばせるには、絶対に目が足りないので、預ける側としては人員を増やしてほしいところだが、一人でそれを訴えても「あなた一人の為に一人保育士を増やすわけにはいかない。一人雇うと1千万くらい(年間の話だよね、きっと。そんなにかかっているって一体。。。給料いくらだよ)かかっちゃうから」って言われてしまうのだ。父母会がきちんと機能していれば、組織票を使ってどうにかできるかもしれないけれど、機能していないから、結局、保育園の子供の権利とか安全ってあまり守られないらしい。さすがに乳児となるとそうはいかないから、かなり気を使っているが、幼児クラスになると、安全に暮らしたいなら私立の幼稚園があるんだから金を払ってそっちに行けって話しになる。認可保育園だからと安心していたら、現状はこんなだった。今回、区や区議の話でよくわかった。さらに、区立保育園は減らす方向で、行政も議会も一致しているらしい。経済的に困窮している家庭の為に区立を残し、共働きでも富裕層には少々お金を出してもらって私立にしてしまう、という発想なわけだ。区立においても、貧困層が無料で、富裕層は結構高い月謝を支払っている事を考えれば、富裕層にとっては意見しやすい私立の方が良いのかもしれない。「区の認可=安全」と錯覚していた頃はそう思わなかったが、現実を見るとそういう事だ。こういう状況下で、結局少子化は止められないと思った。だって、区の認可保育園ですらこの状況なんだもの。保育園を増やして、って言ったって保育士は減らしているわけだしね。高給取りでバリバリ働く女性が子供を持とうと思っても、安心して預けられる保育園は少ないわけだから、産まないって選択になる。私立の質が良くなれば、こういう人は私立に行かせるだろうが、そういうシステムにはなかなかならない。結局、共働きしないと苦しい家庭が共働きして、男に収入があるなら女は家庭におさまっていろ、というシステムはそうそう変わらないわけだね。今回の1件でこういうことも思い知らされた。やるだけはやったから、もういいや、と思った。あとは幼稚園を見学して、転園手続きしたらおしまいだ。幼稚園に移せる見込みがあってよかった。
Aug 11, 2007
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昨日、保育園に荷物の引き上げをしにいきました。ちょうど区から連絡が入った日だったのでしょう。そりゃあもー大騒ぎでしたよ。いつも無愛想な先生が、無理な会話を求めてくるし、園長は自分の不安を一刻も早く解消したくて仕方ないらしく、しきりに話し合おうとするし、子供たちは教室から飛び出してきて「やめちゃうのー!?」と大騒ぎだし、一体どうなっているんだこの保育園は。。。以前はこんなにひどくなかったと思うんだけれどなぁ。やっぱり園長しだいって事なのかしら?ちなみに担任は夏休みだった。子供にまでばれているってあたり、園長の器量に疑問を感じる。何があっても、関係ない子供に影響しないように、普通に過ごすべきなんじゃないのかしらね。関係ない保育士は、知らん顔していたから、急に愛想が良くなったり、顔色を変えている連中は、後ろ暗い事が何かあるんだな。っていうか、うちの子がいじめられているのを知ってて知らん振りしていたんだな。こんな事であんなに派手に動揺するとは、いかにヌクヌク暮らしてきたかってことよね。普通のサラリーマンがこんなだったら、仕事にならないと思うよ。大体、いじめって大人の目がない、休み時間とか放課後に起こるものだと思っていたんだけれど、家の場合は、教師に管理されている時間であるグループ活動のときに集中して行われていたのっていうのが、こちらにしてみれば気味の悪い事だ。毎日やってて、全ての保育士が気がつかないわけないだろう。担任が休めば、かわりに他の保育士が入るんだから、気がつかないってのは不自然だ。しらばっくれたって、普通誰も信じないよ。子供の様子も面白かった。今まで大人をうまくだましていると思って、なめていたんだろうねぇ。後ろ暗いと、大人も子供も行動は一緒ね。いじめに参加していたような、していないような子供、つまり、たまにちょっと参加しちゃっていたような子は、取り繕えば何とかなると思っているらしく、一番に飛び出してきて、「いなくなっちゃうの~?」と大げさにさびしいようなリアクションをしていた。そりゃ、演技だってばれるよ。関係ない子の行動パターンは2種類。一つは、みんなが集まっているからとりあえず集まって、ポカンと見ている。もう一つは、全く興味がないらしく、「ポケモンの映画を見た」などと関係ない話をしきりにしてくる。グループの連中は、隣の部屋に隠れていた。一人、どうしても不安で耐えられなかったらしく、はじめは2つの部屋の境目でこっそり見ていたけれど、徐々によってきて、様子を知ろうとしていた。いつもは、仲の良いふうに見えるように演技していたのに、このときばかりは余裕がなかったらしく、こっちをにらみつけていた。自分のしてきた事がバレて逆切れしている感じだった。それにしても一番面白かったのはうちの子供。「xxちゃんと、xxちゃんと、xxちゃんがいじめるから、保育園やめて幼稚園に行くんだ~!!!」と大きな声で言っていた。もう、言ってやりたくて仕方なかったんだと思う。本当に4ヶ月もよく我慢したよ。しっかりしていると思ったのは、障害児の名前は出さない所よね。でも、これって、どの子もそうだと思う。障害者には触れちゃいけない、と思っている。だから、絶対にいじめられない。大人が過敏に反応するから、具体的にどうだかは分からなくても、怖くて手出しできないようだ。ここ数日、なぜ4ヶ月もいじめられている事を言わなかったか何度か尋ねたが、なかなか口を割らなかった子供が、退園を決めてから、「xxちゃん(障害者)のこと言うの、怖い」と言った。確かに障害者の事ってデリケートな問題だから、誰も口にしようとしないけれど、その影で、一般の子供がストレスを感じたり、ゆがんだ行動をとって被害が出ている現状は見逃せないと思った。今回は、園の大人たちが障害者ばかりを保護した為にわが子が犠牲になったような形だ。障害児を受け入れる場合は、周りの子供にも注意を払わないといけないのだとつくづく思った。でも、やらないだろうな。一般の子供がいじめられても「よくあること」で済まされてしまうから、問題にならず、身の保全を図る必要もない。でも、障害者に何かあったら、自分たちの立場が危ういから、区も保育園も必死よね。本当に今回は運が悪かった。園長も担任もグループも派手に外れちゃっただけだと思う。どうやら、早く話し合いをしたいようなので、都合がつかないと言って出来るだけ先延ばしにする事にした。3人相手に私1人じゃ不利だから、主人にも入ってもらう事にしているが、さらにもう一人、第三者を手配したい所なので、それ相応の時間が必要だ。その事をふまえても、できるだけ先延ばしにした方が良いと思う。議員の手配はまだついていない。コネがあったのが参議院議員だったので、国会の方に案を出す事は必ずしてくれると言っているが、肝心の目黒区の議員に直接の知り合いがいないらしく、ツテ探しがすぐにできなかったようだ。来週は夏休みだそうだから、それ以降にならないと手配が出来ない。よって、再来週にならないと、動きが取れないわけだ。幼稚園の慣らし保育も8月の最終週だけれど、保育園の問題を片付けるのもこの週かな、と思う。「早く終わらせたいわ、この問題」とぼやいたら、子供が「ほんとよねぇ~」と答えるので笑ってしまった。子供も幼稚園に移る事を徐々に納得してきたようだ。時間ができたので、そろばん教室に通わせる事にした。幼児からは月謝をとらない事にしている、とおっしゃる先生だったのには驚いた。おととい見学して、今日申し込んだら、早速「授業うけてく?」と声をかけてくださったので、一人で一時間頑張らせる事にした。はじめは、私が帰ってしまうことに戸惑って「え~。。。」と言っていたが、結局楽しかったらしい。お迎えに行ったら、リュックサックと筆記用具とキーホルダーと教材を下さったことが分かった。びっくり。入学料3千円は支払ったが、それでも相当好意的で驚いた。退園しなければ、こんな事もできなかったと思うと、退園するのも悪くないな、と親子ともども思ってしまった。今日は、そろばんのほかにもプール教室にも言った。4日集中コースの最終日、家の子は微妙に泳げるので、小学生の一番下のクラスだ。幼児らしき子があと二人いたけれど、その二人は3日目に挫折してしまった。やはり、幼児にはちょっと苦しいらしい。うちの子は良く頑張った。というより、内心「自分がこの中では一番泳げる」と思っているらしく(おいおい)、苦しいけれど、得意な気分も味わっていたらしい。昨日は、苦しいからちょっといやだ、見たいな事を言っていたが、今日は苦しいと思わなかったらしい。幼稚園に慣れたら、水泳も習ってみよう、と子供と二人で算段している。こんな状況なので、勉強はちっとも進んでいない。疲れてできない、といったほうが正しいかも。唯一、地方自治法だけは、条文読みする気になった。ものすごく身近な問題って思えた。私も徐々に勉強のペースをもどさなくては。子供の事で今回の受験はちょっと辛くなってきたけれど、諦めずに頑張ろうと思う。
Aug 10, 2007
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目黒区の保育課に行って来ました。保育園が決めた活動グループ内で、5ヶ月にわたり毎日いじめられ続けていた事。いじめる側の中に障害者がいて、下手にこちらが対応しようとすると、逆にこちらが障害者をいじめているかのようになるから、ひたすら我慢するしかなかった事。安全管理能力が保育園にない事。こちらが納得いくような具体的な対応を決めていただかない限り、保育園を休ませる意向である事。これらを伝えたが、区は、安全対策については深刻にうけとめているが、いじめの対策に対しては消極的だ。いじめる側に報告をする気もないらしい。休園というシステムがないので、行かないとしても保育料を支払わなければならない事もわかった。いじめの件は、子供が親の気をひきたくて大袈裟に言っているのではないか、とか、お母さんと一緒にいたいから保育園に行きたくないといっているのではないか、とか、5歳くらいの子供のいじめはよくあることだから休ませずに社会勉強させていく事も必要だ、などと言っていた。グループ変えの提案も受けられないかもしれない、といわれた。この問題に無関係のお子さんとの兼ね合いだそうだ。つまり、こちらにしてみれば、いじめられるとわかっているグループに強制的に参加させるために、登園させろ、という事になるので、その場合は登園できないし、退園するしかない旨を伝えておいた。障害者がいじめられていないか、私に尋ねてきたのには驚いた。いじめられているのは、家の子である。障害者をいじめた場合、自分達に災難があることを子供は知っている。だから、障害者はターゲットにならないのだ。家の子は社会勉強にいじめられろとばかりの言いようなのに、障害者だけは守ろうとする姿勢に、自らの保身しか考えていない事が読み取れて不快だった。障害者の受け入れをするなとは言わないが、その裏で一般の子が犠牲になっている問題が無視されるのは、甚だ遺憾である。私としては過保護にしているつもりはない。5ヶ月も毎日ネチネチいじめられたのだから充分だと思う。ここまで何もしてやれなかった自分が情けないと思っている。家の子はよく頑張った。私は子供にそう言ってあげた。近いうちに区と保育園と私の3者面談があるが、いじめはやまないと判断した。どういう答えにしても、退園して、幼稚園に移し変えるか、今年いっぱい私が子供を面倒見ることにした。先生がいじめに気がつかなかったとしたら、「担任の無能」故に子供が5ヶ月もいじめられた事になるので、人事をした園長と無能な担任の責任だ。先生がいじめに気がついていながら無視していたのだとしたら、「担任の怠慢」故に子供が5ヶ月もいじめられた事になるから、やっぱり人事をした園長と怠慢な担任の責任だ。どちらにしても信用ならないので退園と言う結論だ。3者面談の時には、このまま問題を放置するなら、区議に訴えかける意向である旨を伝えようと思う。区より威力があるからね。ついでに、幼稚園に入れるのが難しかった場合は、区の責任で行き場を失った事を理由にそちらの斡旋も頼めるかたずねてみようと思う。伊達に会社勤めしていないんだよね。組織票をバックに持っているというのは大きいよ。園の担任は私は舐め腐っていたのだと思う。いじめ側の親は厄介だけれど、私ならそんなに口うるさくないから大丈夫、と高をくくっていたんでしょうね。相手を間違えたね。退園を決めた今、子供を人質にとられる心配はないから、。やれる事はみんなやってあげよう。ちなみに、安全対策についてはかなり問題視されたから、区に申し出たのは無駄でもなかった。区でも問題視している公園に子供を連れて行った挙句、酔っ払いに絡まれたと言うのは、かなりまずい事件だったようだ。区の意識をこちらにむけるために用意したネタだったのだけれど、効果抜群だった。これで園長もただでは済まされないだろう。もっとも「今は行っていない」で済んでしまうかもしれないけれどね。。。これ以上戦うのは無意味だと判断。やれる事はやったのだからこれでよしとして、保育園のことはここで終わらせ、幼稚園探しをしよう。子供には負担だろうが、人見知りや物怖じはしない子なので、なんとかなると信じて頑張ってもらおう。子供の事で頭がいっぱいで、試験の申し込みを忘れていた。あしたやらなくちゃ。勉強もまったくやっていない。もしかすると、このまま勉強できずにおわって、今年は危ういかも。試験がどうなるかはともかく、今は子供を優先させて過ごす事にする。だから、お母さんになって勉強するって大変なのよ。単なる暇人と思ったらおお間違えなのさ。
Aug 9, 2007
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目黒区の保育課に行って来ました。保育園が決めた活動グループ内で、5ヶ月にわたり毎日いじめられ続けていた事。いじめる側の中に障害者がいて、下手にこちらが対応しようとすると、逆にこちらが障害者をいじめているかのようになるから、ひたすら我慢するしかなかった事。安全管理能力が保育園にない事。こちらが納得いくような具体的な対応を決めていただかない限り、保育園を休ませる意向である事。これらを伝えたが、区は、安全対策については深刻にうけとめているが、いじめの対策に対しては消極的だ。いじめる側に報告をする気もないらしい。休園というシステムがないので、行かないとしても保育料を支払わなければならない事もわかった。いじめの件は、子供が親の気をひきたくて大袈裟に言っているのではないか、とか、お母さんと一緒にいたいから保育園に行きたくないといっているのではないか、とか、5歳くらいの子供のいじめはよくあることだから休ませずに社会勉強させていく事も必要だ、などと言っていた。グループ変えの提案も受けられないかもしれない、といわれた。この問題に無関係のお子さんとの兼ね合いだそうだ。つまり、こちらにしてみれば、いじめられるとわかっているグループに強制的に参加させるために、登園させろ、という事になるので、その場合は登園できないし、退園するしかない旨を伝えておいた。障害者がいじめられていないか、私に尋ねてきたのには驚いた。いじめられているのは、家の子である。障害者をいじめた場合、自分達に災難があることを子供は知っている。だから、障害者はターゲットにならないのだ。家の子は社会勉強にいじめられろとばかりの言いようなのに、障害者だけは守ろうとする姿勢に、自らの保身しか考えていない事が読み取れて不快だった。障害者の受け入れをするなとは言わないが、その裏で一般の子が犠牲になっている問題が無視されるのは、甚だ遺憾である。私としては過保護にしているつもりはない。5ヶ月も毎日ネチネチいじめられたのだから充分だと思う。ここまで何もしてやれなかった自分が情けないと思っている。家の子はよく頑張った。私は子供にそう言ってあげた。近いうちに区と保育園と私の3者面談があるが、いじめはやまないと判断した。どういう答えにしても、退園して、幼稚園に移し変えるか、今年いっぱい私が子供を面倒見ることにした。先生がいじめに気がつかなかったとしたら、「担任の無能」故に子供が5ヶ月もいじめられた事になるので、人事をした園長と無能な担任の責任だ。先生がいじめに気がついていながら無視していたのだとしたら、「担任の怠慢」故に子供が5ヶ月もいじめられた事になるから、やっぱり人事をした園長と怠慢な担任の責任だ。どちらにしても信用ならないので退園と言う結論だ。3者面談の時には、このまま問題を放置するなら、区議に訴えかける意向である旨を伝えようと思う。区より威力があるからね。ついでに、幼稚園に入れるのが難しかった場合は、区の責任で行き場を失った事を理由にそちらの斡旋も頼めるかたずねてみようと思う。伊達に会社勤めしていないんだよね。組織票をバックに持っているというのは大きいよ。園の担任は私は舐め腐っていたのだと思う。いじめ側の親は厄介だけれど、私ならそんなに口うるさくないから大丈夫、と高をくくっていたんでしょうね。相手を間違えたね。退園を決めた今、子供を人質にとられる心配はないから、。やれる事はみんなやってあげよう。ちなみに、安全対策についてはかなり問題視されたから、区に申し出たのは無駄でもなかった。区でも問題視している公園に子供を連れて行った挙句、酔っ払いに絡まれたと言うのは、かなりまずい事件だったようだ。区の意識をこちらにむけるために用意したネタだったのだけれど、効果抜群だった。これで園長もただでは済まされないだろう。もっとも「今は行っていない」で済んでしまうかもしれないけれどね。。。これ以上戦うのは無意味だと判断。やれる事はやったのだからこれでよしとして、保育園のことはここで終わらせ、幼稚園探しをしよう。子供には負担だろうが、人見知りや物怖じはしない子なので、なんとかなると信じて頑張ってもらおう。子供の事で頭がいっぱいで、試験の申し込みを忘れていた。あしたやらなくちゃ。勉強もまったくやっていない。もしかすると、このまま勉強できずにおわって、今年は危ういかも。試験がどうなるかはともかく、今は子供を優先させて過ごす事にする。だから、お母さんになって勉強するって大変なのよ。単なる暇人と思ったらおお間違えなのさ。
Aug 8, 2007
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朝一番で区役所に電話を入れた。事情を話すと係長に出ていただけた。・うちの子がいじめにあっていること。・はさみを向けるなど、かなり危険で悪質な事も起きているのに、保育園から何の報告もない事。・昨年の2月に酔っ払いがいるのにも関わらずそこで遊ばせて、挙句、酔っ払いに絡まれる羽目に陥ったのに、それに気付きもせず、報告してもすぐに説明も謝罪しなかった事。園長に至っては出ても来なかった事。担任も園長も今と同じなのに、相変わらず安全に注意して管理できていないのは問題である事。・普段行動を共にするグループ内で、大人の前では仲の良いふりをして、子供だけになると陰湿で危険ないじめがある状態で、保育園の安全管理ができていないのでは、危なっかしくて通わせられない事。・保育園に訴えても、事実を隠そうとする傾向にあるので埒が明かない。区のほうできちんと調査をお願いするために、まずは保育園ぬきで区の担当者と話し合いの場を設けてもらいたい旨。いじめられている、の一言では鈍い反応だったが、はさみの件や酔っ払いの件を引き合いに出したら、さすがにまずいと思ったらしく、対応が変わった。くだらないと思えるようなクレームも多いからだろうが、安全面で問題があるとなるとさすがに対応しないわけにはいかないと思ったようだ。早速、明日話し合いをするために、14時半にアポをとった。どうなるかは明日の話し合いしだいだろう。今回は、いじめた側の親にもきちんと報告するように提案しようと思っている。放っておくと、いつもみたいに担任が謝れば済む、という対応をするに違いないからだ。謝っても済まされない事は保育園に念押ししておくつもりだ。まずは調査して、きちんと今後の対応を考えて報告してもらい、その後どうするかを決めようと思っている。兄弟や親を見ていて覚えたのかは知らないが、5歳とは思えない陰湿さには末恐ろしさを感じる。ほかの学校でもあることなのかは知らないが、現にうちの保育園で起こったという事は、他でもあると思ったほうがよさそうだな。5歳でこんな状態で、小学校や中学校にあがったらどうなるのかと思うとぞっとする。
Aug 7, 2007
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驚いた事に、本当にいじめられていたようだ。グループ内で完璧にいじめられているらしい。「xxちゃん(うちの子)つていやだよねぇ」とか「xxちゃんに話しかけないで」と周囲をまきこんでやっているらしい。しかも、大人の前では仲の良いふりをしている。恐ろしい事に、はさみまでむけられたらしい。保育士が止めたそうだが、私はそんな報告を受けていない。これはもうさすがに黙っていられない。プールもはじまっているし、危なくて仕方ない。どうやら、主犯格がいて、障害者の子を楯にとってまでいじめているらしい。他にも公園で酔っ払いに絡まれても、気がつかないなど、この保育園は問題が多かった。今度の園長はそういう事にきちんと対応できないようで、謝罪も説明もしたことがない。この状況を踏まえると、暫く保育園には行かないほうが良いようだ。かといって、あと数ヶ月で卒園なのに、幼稚園にきりかえるのも子供に負担がかかる。そこで、休園することにした。こうなった以上、保育園に話すより、先に目黒区の担当部署にクレームをつけて、今後の対策をするならどうするのか、しないならしないという決断をしてもらい、今後の進退はそれから決めようと思う。話の持っていき方については、既に下書きを作ったので、明日一日推敲して、水曜日に区役所に持っていく。もちろん、録音も忘れない。保育園で仲良くしてもらっているお母さんが協力してくれると言うので、子供を見てもらっている間に、保育園から荷物を撤去して、園長と先生に区役所に報告した事と休園する旨を伝える。いじめ問題にはまだ早いとおもっていたけれど、幼児にもあったのね。こんな状況を放置しているのって、保育園の安全配慮義務違反だと思うんだけれど、どうなのかしらね?これまでにも危ない出来事はあったので、それも例に出しながら、管理体制がなっていない事、安全配慮義務違反であることを主張してみようと思う。せっかくなので、保育園に行かない間は、勉強させようと思う。保育園に支払う金額を教育に持っていけばおつりが来るくらいだ。幼稚園組に差をつけられているのもちょっと気になっていたから、良い機会だろう。そこで、新しい友達が出来れば尚嬉しいしね。住所は目黒だけれど、通学の関係から小学校は品川に入れたいと考えているので、品川で友達ができれば良いな、と思う。何事も悪い事ばかりではないって事で、前向きに捉えよう。子供は保育園に行かなくてよいとわかって安心したらしい。こう言っちゃ何だが、親の問題が子供にそのまま影響している感じがするのがなんだかねぇ、と思う。*********************************最近、学習日記ををほかのブログでつけていたんだけれど、こういう問題がおきてしまったので、経過の記録や、ちょっとでも意見を募るために、この件に関してはこちらにも同じ内容のものを掲載する事にした。
Aug 7, 2007
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微妙に疲れる事件でしたが、なんとか丸くおさまったようだ。ゴミ集積所のお宅の私に対する心情がどうなったかは知らないが、土曜日は裏がきちんと掃除してくれて、前のゴミの日を留守にしていた事を伝えて謝罪していたようなので、平穏な日常が戻ってくるに違いない。やれやれだ。
Jul 8, 2007
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近所のゴミトラブル(ミニトラブルだけれど)で、またしても「周りに翻弄されずに、しっかり自分を持って立っていなければならない」という事を痛感した。会社で色々と言われたり、不本意な評価をされて鬱にまでなった当時の私を振り返って思うのは、「(私から見た)真実をわかってもらいたい」とか「きっとどこかで誰かが見ていてくれる」と言った願望が心の奥底にあった為に、わかってもらえない現実に苛立ったり、失望(絶望と言った方が良いかな?)したりして、しまいには我を見失ってしまったのではないか、と言う事だ。そもそも、人と言うのは自分の思い込みや感情に左右されながら物事を見て判断するものだ。それが、他人にとっては真実でなかったとしても、見ている側では、その受け取り方が全てののである。時として、そこに思いもかけぬ悪意が紛れ込む事も当然ある。又、表現者に悪意はなくても、受け取る側が悪意と認識してしまう事もある。うまくやっていくためには、誤解を解くために骨を折る必要がある場合もある。それにしたって、うまくいかないで終わってしまうかもしれない。こういう時、いかに翻弄されずに、自分の精神を平静に保てるかが人間の品位なのかもしれない。そんな風に思った。齢を重ねても、人間とは未熟な生き物なんだと私は思う。子供より私の方が人としての品位が高いかと問われると、自信が持てない。そんな人間社会では、トラブルなんて日常茶飯事だ。むしろ、うまくいかないことのほうが多いだろう。その中で、いかに自分の気持ちを対処し、うまく行動できるか、常に試されているのかもしれない。私は他人の感情に敏感に反応してしまい、そういう時にどうしても体を強張らせてしまう。これは、他人を意識しすぎる為におこる事だと思う。他人がどう思おうと、いちいち気にし過ぎないように心がけないといけないな、と思った。自分が良いと思う事をして、思いがけず誤解さえれたり、悪意をもたれても、受け流せるようにならないといけないんじゃないか、そんな風に感じている。結局の所、他人の感じ方までコントロールする事などできないのだし、そんな権利もないのだから、事実を事実として受け止めるにとどめれば良いのだろう。自分のできる範囲内で自分のできる事をするしかない。それだけを肝に銘じてやっていくように心がけよう。人生日々勉強、ですね。
Jul 6, 2007
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昨日は、裏のお宅は京都に行っていたらしい。前もってわかっていれば対処出来たんだけれどなぁ。。。ゴミ当番くらいどうと言う問題ではないと思っていたんだろう。ここが世界の全てとまではいかずとも、専業主婦にとって近所が世界の殆ど。些細な事でも、思った以上の結果になる事がある。しかも、ゴミ集積所になってしまったお宅にしてみれば、それこそ「何で家ばかり」と思っているかも知れないし、当たり前のようにゴミを出しっぱなしにしている近所の人を不快に思っても仕方ないと思うのよね。裏のお宅ってずっとマンション住まいだったのかしら?マンション住まいの人には無い感覚かもしれないな。ゴミ集積所になっているお宅のおばあさまと出くわして挨拶をしたけれど、不機嫌な対応をとられてしまった。完全に怒りの矛先が私に向いている。やれやれ。それにしても、裏の奥さん、今日も掃除をしていない。。。しかも今日は資源ごみの日。マズイ。。。どういう訳か、裏の奥さんより私に非難がきやすいので、水流しだけはやっておいた。不潔になって臭ったりしなければ、そんなには文句はないだろう。かごは。。。悪いがご自分で片付けて頂く事にする。駐車場に車がないから、多分幼稚園の行事か何かだろうと思ったが、その通りだった。近所に話を聞かれるのも嫌なので、電話で話してみた。昨日、掃除しなかった事で少々気まずい雰囲気である事を伝えた。会ったときにでも留守にしていた旨を話しておいた方が良さそうな事と、土曜日(生ゴミの日)の掃除をやれば、おそらく丸く収まるのではないかと言ってみた。勿論、私がとばっちりを受けたとは言わない。角がたつのは嫌だものね。「私も気がまわせればよかったんだけれど、ごめんねぇ」と付け加えておいた。私の口から言い訳するより、裏の奥さんが直接「すみません、留守にしていました」と言ってくれた方が、私への疑いも含めて万事まるく収まりそうなもんだから、おせっかいのようだが電話してしまったのだった。八方塞になるよりは、裏の奥さんと協力体制をとった方が良い気もするしね。助け合いの姿勢をみせるのも大事でしょう。後はほとぼりが冷めるのを待つばかり。人間って面倒くさい生き物だ。結局、気分や思い込みに支配されちゃうのよね。私も、嫌な事があると、暫く頭の中を支配されてしまうから、注意注意。
Jul 5, 2007
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お久しぶりです。勉強もひと段落。次の試験に向けてまだまだ学習すべき事は沢山あるけれど、束の間の休憩をってことで、書き込みをしています。しかし、ただ気晴らしだけにここに書き込みをしにきたわけではありません。今日、ちょっとした出来事があり、それをきっかけに、長年やってみようと思っていた事を実行に移す気持ちが起きたので、是非書き留めておこうと思ったのです。まず、出来事から・・・私の住む区域では、ごみ当番なるものがあります。引越ししてきた当初、資源ごみの収集日に「缶」と「瓶」を収集する箱の出し入れするというものだと伺っていました。ところが、最近、私と裏の奥様が仕事を辞め、専業主婦になっている事が近所にわかり、それなら掃除当番もやってもらうべきだという意見が出ました。言いだしっぺは多分前のお宅の奥様です。立ち話しているのを犬の散歩の時に耳にしました。その話しっぷりは文句のようでしたから、不満に思っていたのでしょう。ゴミの集積所になっているお宅の事を考えると、申し訳ない気持ちもありましたし、引っ越してきた当初は私も掃除すべきと思って、掃除用具を持って出て行ったりしていたのですが、「仕事をしているんじゃ仕方ないからいいわよ」という言葉に甘えて今に至ってしまっていたのです。結局、集積所のお宅のおばあさまから掃除当番もするように言われたので、承諾してやることにしました。裏の奥様にもそう伝えてくれと言われていたので、家の前で出くわした時に話しておきました。ところが、今週、裏の家の当番なのですが、掃除をしていません。雨だったから良いと思ったのか、忘れているのか、それとも資源ごみの日だけやればよいと思っているのか、はたまた留守なのか、理由はわかりませんが、掃除をしていないという事実だけがそこにありました。子供を保育園に送った帰り、集積所のお宅のおばあさまとでくわした際「言ってくれた?」と強い語気で言われたので「言いましたけれど。。。」と答え、「掃除の意味が分かっていないのかな。。。」と聞こえない程度の小声で言ったところ、「あなた、言ってくれてないんじゃないの?」とこれまた結構強い語気で言われました。さすがにちょっとムッときましたが、お年のせいで耳が遠いのかもしれないし、私がもごもご独り言を言っているのがやっていない言い訳のようにうけとれたのかもしれないと思い、「言いましたよ」と少し大きめの声で言うと「あらそう。じゃあ、留守なのかしらね」と、とりあえずは引き下がっていただけました。本心までは知る由もありませんが、あまり快く思っている風ではありませんでした。実は、このゴミ当番については私も思う所がいくつかあります。そもそも、掃除当番と言っても、全てのゴミの日にほうきで掃けばよいのか、それとも、資源ごみの時だけやればよいのか、生ゴミの日は水をまけばよいのか、など習慣の問題はきちんと伝えてもらえないとわかりません。だから、「言っておいて」と新参者の私に言われても困るのです。今までちょっと見た感じでは、水まきをしているようだったので、紙ごみ以外の日は水まきと掃き掃除をしておきました。しかし、裏の奥様がどう捕らえたかは私にはわかりません。よく分からない私には、指図もできません。更に、引越しの挨拶の際に、前のお宅の奥様に「ゴミはどうなっていますか?」と尋ねたら、「あそこ(集積所)に貼ってあるでしょ!?」と迷惑そうに答えられた経緯もあるので、それで文句を言うのはちょっとひどいな、と思っていました。前のお宅の奥様は、裏のお宅の事は好きみたいですが、家の事はあまり好きではない事が態度から伺えます。こればかりは仕方がないし、別に喧嘩しているわけではないからよいか位に割り切っていましたが、何かの際には嫌われている方が損をすることになります。今日の集積所のおばあさまの言い方にも疑問がありました。「言ってないんじゃないの!?」という言い方には、「こいつ絶対言ってないぞ」という強い疑いと非難の気持ちが込められている、と感じました。気が進まないながらもきちんと伝えた私には不快なことでした。本心でどう思っていようとも、「言ってくれたわよね?」とやわらかい口調で言われれば、「言いました」と普通に答えて終わりだったと思います。裏の奥様と私を比べると、なぜか私ばかりが色々と言われやすいように感じます。ゴミの収集箱の片付けも、裏は忘れて夜になっても片付けない事があり、かわりに家が片付けてあげた事もありました。ひきかえ、私は数十分、それも犬の散歩の間に収集車が来たから片づけが遅れただけなのに、ベランダで洗濯物を干していたら、下から、近所に響き渡るような大声で「あなたがすぐに片付けないから隣が間違えて片付けちゃったわよ!今度からすぐやって!」と怒鳴られました。その後、ほかのお宅がどうしているか見たところ、そこまですぐには片付けていない事の方が多いようです。大体、集積所から離れいる家の場合、集積所のお宅と違って音などから集積車がきたかどうかなどわからないのです。時間を見計らっていくしかないわけです。すぐに片付けろのすぐとはどのくらいなのかもよくわかりません。お陰で今回のゴミ当番は、用もないのにベランダで集積車の音を気にするなどしなければならず、ものすごく気疲れしました。以前、近所に犬の糞があったときも、私は水を流して片付けた事がありますが、裏のお宅がそういうことをしているのを見たことがありません。やたらと人当たりを良くするように心がけて、近所の目も気にしているようですが、行動はあまり伴っていないのではないかと感じる事があります。義務ではないので何も言いませんが、今日のような事があるとついつい調子が良いだけのように感じてしまいます。しかも、あのお宅が駐車場に作り変えてい使用ているのは、私道、つまりこの道に接している家の共有物なのです。共有者の一人が使用するのは禁じられていませんが、それについて一言もないのは無神経だな、と思っていました。多分、近所も当の裏のお宅もそこが私道で共有物であるという認識をしていないのだと思いますが、登記上はそうなっていますし、そこの持分にはみんな税金をかけられています。こうしてみると、裏が得して私が損しているように感じられ、これまで多少の親切心でやった事が全て仇になっているような気持ちがしてしまいました。もちろん、私にだって至らない所はあります。でも、不快を抱かずにいられませんでした。しかし、その後、ふと思ったのです。「物は考えよう」だと。これまでの人生、私の役回りは、こういう損なことがとても多かったように思います。授業中おしゃべりしていなくても、なぜか名指しで叱られたり、そんな事はしょっちゅうです。仕事をしても「していない」と言われたり、どうして私ばかりと思っていました。確かに、集団生活の中で、例えばサラリーマンのような生き方をしていると物凄く損な役回りです。が、こういう嫌な経験もしていないとわからないものです。だからでしょうか。ふと、嫌な経験を生かせる生き方もあるんじゃないのか、そんな事を思いつきました。一見、ありそうないのですが、あるのです。例えば、創作に携わる人たちの場合は、嫌な経験もネタなのです。言い方を変えると、幸せな思いばかりしていては、成立しない世界なのです。損な役回りが多いというのにも、何かしらの意味があるのかもしれない、そんな風に思えました。「小説家になったら?」と薦められた事も何度かありました。自分自身も文章を書く仕事をしたい、と子供の頃から漠然と考えていました。それで食べていけるかは疑問ですが、素人でも創作活動をして良いと思うのです。もちろん生きていくための職業は別に持っていないとやっていけないかもしれませんが、何もしないより、何かした方がよいのではないか、そんな風に思えました。趣味でも良いから書いてみる。不満をそのまま書いていたら、それはただの愚痴ですが、きちんと芸術にまで昇華できれば意味の有る事になるのですから不思議です。そう思った時、嫌な目にあったり、怒ったり、悲しんだり、マイナスの感情や出来事も価値があるように思えてきたのです。勉強もあるので、すぐに物書きに専念はできません。でも、やるべきだと思いました。法律との出会いも又、私にとって人生の肥やしです。暫くは受験勉強の方に重点を置くことになります。今の私が、生活の為にサラリーマンをするのははちょっと辛いと考えています。私の仕事の仕方だと、プロとしてやれる仕事でないと成立しないと思っています。だから勉強はやめられません。後はなるようになるでしょう。臨機応援に考えるしかありません。とりあえず、かける事を少しずつ書いてみるとか、文章講座を受けてみる事を検討しようかと思います。書くきっかけを求めてみようという訳です。HPの整理もしようと思いました。一度はやめようと考えていたものですが、今でもたまに「励まされた」というメッセージが入るので、あれをもっと進化させたほうが良いと思いました。自分の為に書いたHPでしたが、思いがけず人様のお役にたてたことがわかると嬉しいものです。勉強もありますからすぐにとはいきませんが、或る程度自分に自信が持てた時点で、整理しようと思います。一見不快な出来事だったり不運な事にも何かしらの意味があり、生きるヒントなのかな。そんな風に感じるのでした。
Jul 4, 2007
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昨日区役所に行ったついでに年金の支払状況を確認してきた。20歳から隙間なく払われているという記録だった。ただし、厚生年金分の直近3ヶ月はわからない。晴れて扶養に入ったのでこちらの確認もしたかったのだけれど、駄目だった。社保庁に問い合わせるという手もあるが、今すぐでない方が良いようだ。なぜなら、3号保険者(扶養の人)の記録は一番後に回されるようだからだ。直接支払いをする人じゃないからなんだろうけれど、なんだかな、って思ってしまった。こんな杜撰な状況下では、自分で定期的にチェックするしかないのよね。どういう訳か年金手帳には、基礎年金番号以外何の記録もされなくなってしまったし、領収書もなるべくとってあるけれど、紛失の危険がある。厚生年金についても、派遣の頃に支払った分は、証書が送付されない仕組みなので何一つ記録が残っていない。ひどい有様だと思うけれど、どうにもならないので兎に角定期的に確認するしかない。働いていたら、それすら難しい。本当にひどい。それにしても、区役所の対応って。。。できれば、きちんと知識と常識のある人を窓口において頂きたい。前回の女性は気も回ってすばらしかったけれど、今回のおじさんはてんで駄目だった。自分が覚えた決まった台詞を言っているだけ、と言う印象。単純作業だけとは限らないのだから、もう少し人選をしてもらいたい。年金手帳だけでは経緯がわからないから、私の年金の経緯の出力が欲しいと言っているのに、これが中々伝わらなくて参った。しかも、私がおかしな事を言っているから伝わらないと思っている様子なのがびっくりだ。以前国民年金から厚生年金に移行した際に手帳が二冊になってしまい、データも一元化されていなかったことがあった。およそ一年前に一元化して頂いた件も、事実を伝えているだけなのに、「そんな事はない。基礎年金番号になってからはこの番号で全てやっている」と訳の分からない反論するし、年金手帳に記録がないから出力をとって確認したい旨を伝えると「基礎年金番号になってからは手帳には一切記録しない事になっていますから」と、求めていない答えを連発するし、噛み合わない話を続けてようやく通じた所で、「つまり、これまでの記録を打ち出せばよいんですね(だったら早くそう言え)!」と、こちらからすれば「最初からそう言っているだろう!!!」といってやりたい様なひどい態度をとるので驚いた。しかも、裏紙に出力してきたから更に驚いた!しかも、色は黄色!私の年金記録を証明する大事な書類なはずなのに、失礼にも程がある。自分の方が知っているつもりでいるんだろうが、全てにおいて間違っているし、私の方がまだ常識も知識もあるのではなかろうか、と思わずにいられなかった。とりあえず、確認はできたので、念のため日記に記録を残す事にした。3ヶ月くらいしたら、又確認しよう。国が国民を守ってくれると思ったらおお間違い!権力は常に国民をだますものだというのは、世界の歴史が物語っていると思う。年配の方は、私のこういう意見にものすごく反発するけれど(だから口に出さないけれど)、私は信用せずに用心した方が良いと思っている。だから、確認作業はしなくちゃね。
May 29, 2007
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久しぶりに自分のHPを読み返して見ました。まるで、他人のページを見ているような気分でした。あんなにツライ思いをしても、時間の経過とともに消化されていくものなんですね。間違っても懐かしいなんて気分にはなれませんし、完全に忘れ去ることはできません。実は昨日も夢に嘗て私を鬱を追い込んだ上司が出てきました。幸い、相当なチョイ役で、通りすがりに私に何か文句を言っているというくらいのものでした。そんな程度の存在なんですよね、実際。私の人生にとって、何にもならない存在なんです。離れてしまえばそれまでってことです。いやだと思った他人に対する感情は大分薄れてしまいましたが、経験としては非常に大きなものでした。自分も含めてですが、人間がいかに気まぐれな生き物かという事も実感しましたし、それで一々感情を激しく動かす必要もない事を知りました。多少ではありますが、自分の感情に対する戒めの気持ちをもてるようにもなりました。進歩の程度は大したことありませんが。。。今は病院にも通っていませんし、薬も服用していませんが、元気に暮らしています。先週子供に脱臼させられた足が痛いくらいです。鬱で、随分自信を失って、回復したと思われる頃、ちょっと派遣で働いて自分のコミュニケーション能力を判断してみましたが、鬱の原因になった会社で浴びせかけられたさまざまな中傷にあてはまるような事はありませんでした。いたって普通に過ごせました。残念な事に契約と現実の職務内容のミスマッチから短期間で去ることにはなりましたが、人としてなんとかやっていけることはわかりましたし、自分のキャリアスタイルについて具体的に考えることができました。つまるところ、私は事務仕事を続けたいのです。しかし、事務員というのはいまや正社員では採用されない悲しい存在です。事務仕事なんてピンからキリまで。世の中でこれほど抽象的で具体的な職務内容のわからない職種もないでしょう。事務って言葉が多義すぎるのです。だから、結局良くわからないものとして、軽んじられる羽目に陥るのです。その割りに大変だったり、重要だったりする事があるから困るんですがね。しかし、この状況下でも打開策はあるはずです。先に書いたとおり、職務内容がピンキリということは、ピンの部分を見ればよいわけです。事務仕事でもっとも軽んじられづらいのは、おそらく法律家でしょう。一般には法律家と事務って結びつきづらいかもしれませんが、あれはまさしく事務仕事だと思います。国家資格がないとできない仕事につけば、それなりに独占業務ができる可能性がありますし、何某会といって集団に属す事で、ひどい扱いを受けづらくもなります。職務内容が、企業の利害とずれなければ、おかしな対応もされづらいでしょう。立場を守るために、そろえなければならない条件ってあるもんなんですね。一番良いのは、腕一本で生きられる事なんですが、そこまでは力がないので、せこくても、地道に条件を整えて、自分のしたい仕事を続けられるようにしてみようかと思います。資格が取れないなんてこともありえますが、やれるだけやってみます。文句ばかり言っていても仕方ありません。仕事をするからには、あまりにも自分の理想やモラルからかけ離れたことはしたくありません。そうなると、会社に飲み込まれて生活できるわけがないのです。仕方ないですね。鬱がなければ、このような選択はなかったでしょう。鬱にならなければ、法律に目を向けることはなかったかもしれませんし、文句を言いながら不本意にサラリーマンをやっていたのではないかと思います。それよりも、今のあり方のほうが余程自分らしいと思うのです。うまく自分の仕事ができるようになったら、鬱から復活、新しい人生への第一歩として、またHPにまとめてみようかと考えています。それまでは、とりあえず勉強ですね。1年で終われれば良いのだけれど、ちょっと厳しそうだな。
Feb 8, 2007
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先日久しぶりにベートーベンをかけてみました。ベートベンの「悲愴」って、こんなに素晴らしかったのか。。。興奮のあまり眠れませんでした。昔から知っている曲なのに、何故今更感動してしまったのか。鬱の後、中々感動を味わえるような精神状態にまで回復できず、悲しくて、どうにかしたくて、随分音楽をかけたりしたものですが、普通に生活できるようになっても、精神の受けたダメージはそう簡単に治らないものでした。随分苦しみましたが、それを経たお陰で、子供の頃のように大袈裟に感動できるようになってしまったのでしょうか。あの曲調で、何故「悲愴」というタイトルなのか。でも、それが余計に感動させるんですね。人生を思わせられるというか。。。20代の後半で、なぜあの曲が書けたのでしょうね。ベートーベンはどんな気持ちでこの曲を書いたのかなぁ、なんてちょっと思ってネットで見てみたら、「難聴になりはじめて、隣人の挨拶などに気付かず無視したりして、隣人関係が上手く行かなくなり、人間嫌いになっていた頃の作品」みたいな記述をみつけてしまいました。絶句。。。だから共感してしまったのか。。。。?私も、鬱になるほど会社でうちのめされて、一時極度の人間不信になり、その傷跡は未だ消えません。普通に人と話くらいはするのですが、心のどこかで他人に不信感を抱いているのも事実です。以前のように無邪気に人と話す事はなくなりました。警戒心が異常に強くなったと自分でも感じていましたが、その影響だったのでしょうか。。。どういう事情であれ、音楽に感動できたという事実は喜びでした。長く暗いトンネルをやっと超えたといったところでしょうか。ピアノとも長い事お付き合いがありませんでしたが、また少し弾いてみる気になり、最近又お付き合いを始めました。当然昔のようには弾けません。それどころか、習い始めの頃よりひどいかもしれません。指も頭も鈍ってどうにもなりませんでした。寂しい気もしましたが、それでも、又お付き合いが始まって嬉しいのです。子供にも習わせていますが、私もちょっと練習したくなりました。今は勉強が忙しくてそれどころではないのですが、音楽とはもっとお付き合いしても良い気がします。自分の本来のあり方が少しずつ戻ってきているんだなぁ、と実感できて、それもまた感動でした。
Dec 22, 2006
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思い立ったら吉日の私。余裕を持って勉強しようという趣旨で、再来年の夏の受験を目指すコースを申し込んだものの、やってみたら、とっても中だるみしそうなカリキュラム。。。試験勉強って、短期集中の方が効率が良いのは間違えない、と私は思っている。変に時間をかけると、ダラダラして、一巡した後最初の辺りを見ると、すっかり忘れてしまっている、なんてことになるのでいただけない。しかし、次の夏の試験だと、間に合うのか?という疑問があったので、再来年の夏をめざすことにしたのだった。こうして、学習を始めて1週間がたった訳だけれど、意外といけそうな感じがしてきたのだ。宅建と行政書士の勉強で勉強した事で、多少のベースがあるせいか、全く見たことがない、というものが少ないのだ。確かに、知識や理解の精度もかなり要求されるし、書式試験も不安だが、せっかく夏に一度試験が行われるなら、ダメ元で受けても良いのではなかろうか?そんな気分になってきた。本試験がどんなものか見ておくのも悪くない、そう思ったわけだ。そして、どうせやるなら、できるだけの準備はしたい。(たとえ無理があったとしてもだ!)そんな訳で、本日早速専門学校へ出向いて行き、相談してみた。こういう融通が利く学校らしい事はネットで調べて知っていたので、とりあえず来年の夏向けにカリキュラムを組みなおしたい旨を話してみた。案の定、いきなりダメだとはいわれなかったが、一度払い込んだ金のこともあるので、短期コースへの移るのはお互い気乗りしない。そんな訳で、向うの提案は、私が現在受講しているコースの昨年度パックに置き換えてはどうか、というものだった。確かに、短期コースより答練や模試の回数も多いし、内容も充実している。現時点で3回分の答練は終了してしまっているが、問題と解説はいただけるのだから問題ない。ちょっと辛くなるけれど、これで行くのが妥当と思われたので、年度がえで手を打った。こうなると、答練にあわせて過去問をといておかないとさすがに辛いという訳で、スケジュールのたてなおしをしなくてはならなくなった。理想としては、1月からテストに慣れていくというカリキュラムが良かったのだが、こればかりは仕方ない。12月分までは、講義が間に合わないし、過去問も解ききれなさそうなので、問題をいただくことにし、1月から教室で受ける形にしてみようかと思う。他の学校の答練も受けておきたいけれど、通信コースにしてテストだけゲットして自宅で時間を計って解くようにしてみようかと思う。我ながら、なんという計画をたててしまったのか。。。と思うが、絶対無理というほど酷く無理な事でもない(実際6,7ヶ月でこなしている人もいるしね)ので、全力を尽くしてみようと思う。という訳で、日記はまた暫くおあずけですかね。。。。
Nov 28, 2006
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今朝、ちょっと気にかかることがあり、どうしても心にとげが刺さったような状態ですっきりしません。そんな訳で、ちょっとここに書いて少し頭をスッキリさせてみようかと思いました。家の娘は、「たらこ、たらこ、たらこ」というキューピーのたらこスパゲティの素のCMに使用された曲が大好きで、CDを購入し、PCで映像を楽しんだり、曲を聴きながら踊ったりしています。保育園のお友達にも「たらこ仲間」がいて、よく一緒に踊っているようです。家にCDがあることを他の子から聞きつけたそのお友達は、自分もそのCDを観たい、と私に訴えていました。そんな訳で、今日はCDを用意して保育園に出向きました。運良く、たまたまその子のお母さんと教室の入り口で出くわしたので、事情を説明して直接手渡す事ができました。お友達もとても喜んでくれていたようです。と、ここまでは万事スムーズに事が運んだのですが、事件はその後に起こりました。そのお友達のことが好きな男の子がいるのですが、私たちが登園したとき、ちょうどその男の子が「たらこ仲間」の女の子にちょっかいを出していました。その男の子にとってはとっても楽しい時間だったのでしょう。それが、家の娘との間でCDのやりとりがあり、その後、「たらこ仲間」が一緒に遊び始める様相をみせはじめたものだから、その男の子が怒り出しました。こう言う事は子供には良くあることですが、この男の子のやり口が非常に不快なものでした。「xxちゃん(娘の名)、人の嫌がることはやめて!」と、その男の子は大声で言ったのです。私は「また!」と思いました。これは、この男の子のいつものやり口です。家の娘は「人」の嫌がることをした訳でも、又しようとしたわけでもなく、ただ仲良しの子といつものように、遊んでいただけです。それがたまたま、その男の子の思いと逆行した結果になってしまった訳で、家の娘の出現で、たまたま「その男の子にとって嫌な事」に成ってしまったというだけの事です。それを敢えて「人」と言うところが、私にとってはとても不快でした。「人の嫌がることをしてはいけない」という、道徳的ルールはあり、言葉自体は正論とも思えます。だから、事情を知らずにこの言葉だけを聞いたら、まるで家の子が酷い事をしているようです。私からすると、そのようなやり口で娘を追いやるその男の子の方がよほど酷いのですが、世の中皆そう物分りはよくありません。娘も、子の状況説明が上手くできず(4歳児にそんな複雑な説明できるわけない!)、ただ、謂れの無い罪をかぶせられたような状態になったことへの不快とショックと怒りで、複雑な表情をしていました。「これはマズイ」と思った私は、朝の支度を口実にすぐに娘をその場から引き剥がしましたが、私もとても嫌な気分でした。娘には「悪気はなかったのよね。たまたまそうなっちゃっただけだから、仕方ないよ。ママはわかっているから。こういうときは、言い返さないでちょっと離れちゃいなさい。」と言っておきました。同じような事が運動会でもありました。この男の子は、自分の思い通りにするために邪魔な子がいると、すぐに「人の嫌がることをしないでよ!」と大声で言うのです。その男の子の周りにいる子も似たようなもので、他の場面で「ちゃんとしなよ」などと言いながら家の子つきとばしたりする子も一緒につるんでいます。家の子に問題がある事も確かにありますが、だからといって突き飛ばして良い理由にはなりません。どういう訳か、先生も親も注意しません。彼らを見ていると、4歳の子にしては知恵が回ると言いたいところですが、かなり歪んでいるように私には見えました。親も何一つ注意する様子もありません。そういう家庭なのでしょう。あまり近づくと危険なのではないか、そんな風におもえてなりませんでした。敢えて、喧嘩することもありませんが、不必要に悪者に仕立て上げられるのはまっぴらですから、極力近づかないのが一番、そんな感じでした。思い出すとどうしても不快で、ともすると、相手方の親子に対して悪い感情を抱いてしまいます。「いかんいかん」と思いつつも、やはり不快でたまりません。「イヤだ」と思う気持ちは仕方ないとしても、それが悪意に発展するのは自分でも怖ろしいのです。「適当に距離をおいておけばいいや」なんて、大人はできますが、子供の関係では大変です。親としては子供が心配ですが、そう言う事を自分で切り抜ける力も生きていくのは必要です。危険を回避したり、あるいは自分の正当性についてきちんと主張すべき時にはきちんとできるように育って欲しい、そう思うので、こういうときは見守るしかありません。昨今「いじめ」なんて問題もクローズアップされていますが、人間という生き物は、他人を非難したり傷つけることに喜びを感じてしまう事があるんじゃないかと思います。だからこそ、歯止めがいるのです。学校は「学問を修める場所」なのです。友達づくりを重視する事は悪いことではありませんが、そちらを学校の趣旨だと考えるのはおかしいと私は思っています。学業やスポーツなど、自分の好きな事があって、そこにある程度集中して打ち込んでいる時に、誰かをいじめようとはそうそう考えません。そもそも、そんな事に意識など行きません。要するに、何をして良いかわからず、暇だというのも問題の一つだと思います。個性や能力差がある中で、うまく調整すべき所が全く考えられておらず、子供を一律に扱いすぎているのではないか、というのは私自身の子供の頃からの疑問点です。子供がいたい思いをするのは、親にとっては自分自身が痛めつけられるより辛い事です。こういう事を乗り越えるのも親の務めなのかもしれません。
Nov 24, 2006
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行ってきました、失業保険の認定してもらいに!折角渋谷に出たので、本屋へ行きました。登記六法などちょっと欲しいものがあったんですが、お目当てはありませんでした。昨日も探したのですが、ありませんでした。お目当てがないのだからとっとと帰れば良いのに、ついついウロウロとしてしまいました。掃除をして運を良くしよう!見たいな本が沢山平積みになっていました。もうすぐ、大掃除のきせつですもんね。トイレ掃除の事に触れた本もありました。実は私、さぼっています。一時期は毎日ピカピカにしよう!なんて思いましたが、余裕をなくすと、自分が使うときに適当に拭いて終わりにしてしまう杜撰さ。。。良い機会なので、今日はきちんとトイレ掃除しよう、と思うのでした。捨てなければならないものも沢山あります。確かに無駄なものを持っていると運が下がるような木はしますね。。。マイナス要因である事は間違えない。勉強しようと思って買ったけれど、途中で放り出した教材とか、読もうと思って買ったけれど、読んでない本とか、2人目が生む事があるかもと思ってとってある子供用品とか。。。要するに、自分の心の中で決別できないダメな部分がそのまま不要な物と化して家に転がっている、といった感じです。本棚を見るたび、これって私のコンプレックスの表れみたい。。。って思います。不出来な事や苦手な事をどうにかしようとか、見え張る為に興味もないのに買ったあまたの品々。我ながらうんざり。。。これらも思い切って捨ててみるかな。年末だしね。子供のものだけは、どうにも踏ん切りがつかないけれど、2人目が生まれたら、又買えば良い事だし、整理だけはした方が良いのは間違えないのよね。とりあえず、今日は洗濯物を干して、保険料や保育料等の支払いをすませてしまおう。勿論、トイレも掃除しますよ!勉強はそれからだな。では、やるぞー!!!
Nov 22, 2006
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子供を保育園に送り届けた後、犬の散歩をし、すぐに講義を聴きました。昨日から講義DVDを見始めました。1日2講義ずつなんて思っていましたが、3時間もあるので、早送りしても結構しんどい。。。CDなら3倍速でもいけるんですが、DVDの早送りではそこまでやれない。これはちょっと考えないといけません。講義の後、さすがに六法は購入せねばいかんと思い、有斐閣の「判例六法」を購入しました。さっき夕食の後でチラッと読んでみましたが結構面白い!たった3ヶ月とはいえ、基本だけは勉強したお陰で六法が読めるようになったらしい(低レベルな私)講義を聴きながら、条文読みの仕方が間違っていた事にもきがつきました。「なるほど、こう読むのか!」と目から鱗がおちました。民法とは宅建の時からのお付き合いだけれど、理解の仕方に問題があったことが発覚しました。条文を読まずに、試験対策用に書かれた条文のまとめみたいなものや問題集ばかりを相手にしていたものだから、こういう歪みが生じるんですね。いつまでもこんな状態ではいけませんから、これからは心を入れ替えて必要な条文も読みこむようにすることにしました。教材には金はかかったが、なかなか良い講義で満足です。明日は失業保険の認定日なので渋谷へ行かねばなりません。そう、書いていませんでしたが、今失業保険を頂いています。派遣の時の分はいただけないので、正社員で働いていた時の書類を使って失業保険の申請をしました。中途半端に派遣で働いた為に、もういただけないと半ば諦めていたのですが、突然正社員の頃のものがまだ使える事に気付き、慌てて申請しました。あと2週間早く気が付いていれば満額いただけましたが、残念ながら気付くのが遅くて、14日分は期限切れでいただけません。いただけただけでも良かったと思うことにしましたが、それでもちょっと残念です。以前、会社が「自己都合」を主張したのに対し、公の場できちんと異議を申し出たことによると衣あります。泣き寝入りしていたら、待機期間にひっかかって一銭もいただけませんでした。さらに、金額も会社都合の方が有利ですから、14日分削られたとしても、びっくりするほど損した感じはしませんでした。12月23日までは失業保険で食いつなぎ、その後の事は後で考える事にします。働く事についても、今までとは違った視点で考えられるようになり、その為に勉強する気にもなれたので、自分なりに復活してきているな、と思います。これまでファイリングしていた心療内科や会社から持ち帰った私への嫌がらせ(!?)の証拠資料も捨てようかと思っています。通院も、そろそろ極端に減らすか、暫くやめてみる提案をしてみようかと思っています。薬はもう1年以上服用していませんが、何事も無く生活できています。ちょっとだけ社会復帰もしましたが、色々とトラブルはあったものの、鬱がぶり返すような事はありませんでした。大丈夫かな?なんて思っています。がんばらなくちゃいけませんね。
Nov 21, 2006
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「世界は広い」なんてよく言いますが、「世界」ってどんなものなのでしょう?前回『xxx HOLiC』の話が出たので、今日もここからのネタを書いてみます。自分にとっての「世界」は、実は「自分の目に見える世界」なんですね。とても小さな世界だったりするわけです。自分の過去の経験や、今見えている世界だけだとすると、そんなに広い世界ではないのです。まずは、広くない自分の「世界」が基本としてあるとします。では、広い「世界」って何なのでしょう?科学の発達した現代においては、地球は丸く、その上に多くのを国が存在している事を大抵の人は知っているし、機会があれば外国にも行く事ができます。もしかすると、将来は宇宙旅行もできてしまうかもしれません。「物理的な世界」を考えただけでもかなり「世界」は広いと考える事ができます。しかし、本当はもっと限りなく「世界」は広いものなのではないか、と私は思うのです。それこそ、無限に広がっているものではないか、そんな風に思うのです。時空だとか、異次元だとかSFファンタジーのような事を言っているのではありません。もちろん、そういう「世界」を否定しませんが、今私がここで書く無限に広い「世界」はそういう意味ではありません。私がここで言いたいのは、「内心の世界」です。例えば、同じ環境で育った双子がいたとします。彼らの捉える「世界」は同じでしょうか?おそらく違うでしょう。もちろん、他人よりは近い「世界」の捉え方をしている可能性はありますが、でも違うはずです。双子と言えど嗜好も性格も違う別人格を持つ二人が、全く同じ見方をする事は考えづらいところです。つまり、同じものを見ても、違う「世界」がそこにはあるわけです。3人いれば3つの「世界」、4人いれば4つの「世界」があるわけです。それでは、人数分しか「世界」はないじゃないか、と言われそうですが、頭の中に広がる世界には限りがありません。上のように考えると、他人と接する時、私達はそれだけ「世界」を広げる可能性を秘めているはずなのですが、実際には返って自分の「世界」を狭めてしまっている事も多いようです。「世界」を狭めるとはどういう事かというと、自分とかけはなれたもの、ひいては自分以外のものを否定してしまう事です。この時点で、自分だけの「世界」から脱する事ができなくなります。さらに悪い事には、目に見えているものの中から、否定したものを除外してしまうわけですから、元あったものより、もっと狭い不十分な「世界」しかなくなってしまう事になります。確かに、未知のものには危険もありますから、警戒して当然です。否定してしまったほうが確かに安心です。でも、そんな「世界」はやっぱり不十分だと私は思うのです。「世界」を広げるという事は、即ち、「自分の世界」以外にも「世界」があるという事を知って、その事実を受け入れる覚悟をする事なのではないか。そんな風に私は思います。実は「世界は広い」と知ったその時に、初めて「世界」が広くなる訳です。私自身も随分色々と否定して生きてきましたが、結果的に自分の「世界」をどんどん狭くして、窮屈に生きる事しかできないようにしてしまっていたように思います。鬱になるほど否定されて、初めてそんな事を考えるようになりました。自分を否定したものに自分の存在を認めさせようと無理して鬱になったようなものです。今考えると無駄な事なのです。彼らの「世界」に私は存在していないのですから。というより、存在されては嫌なのですから、仕方ありません。そう考えると、無視されるのも、攻撃されるのも理のような気がして、ものすごく納得できました。そして、当時の私は、否定された事に憤って、ひたすら彼らを否定してしまっていたのですから、その時点で私もとても狭い「世界」に自分を閉じ込めてしまっていました。とりあえず、今の私は「世界は広い」という事を自覚したのですから、やっと「世界」が広がっていくのではないかと思います。「世界」の持ち方によって、価値観も変わります。私を受け入れてくれない「世界」もあるでしょうし、逆に私が嫌悪してしまう「世界」もあるでしょう。でも、その事実を否定してしまっては窮屈です。そんな「世界」もあるという現実だけは、否定せずに受け入れないと、自分がおかしくなってしまいます。まずは、ここからスタートという事で、これから少しずつでも広い「世界」を見つけられればな、と思います。
Nov 20, 2006
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昨日、「xxx HOLiC1 10巻」「ツバサクロニクル 17巻」を購入しました。我々の周りで起こる全ての事柄は必然であり、偶然など一つも無い、という事がしばしば語られるのですが、今回は随分考えさせられました。起こることの全てに意味があっても、気付ける人は希だし、毎日起こる数多のの事に一々意味を見出していくのはいかにも大変だ。でも、これには意味があるのではないかと気付く事に意味があるのではないか。「何故?」と考える事にこそ意味がある。というような事が書かれているのですが、今の私にとってはまさにドンピシャの内容でした。成功にも失敗にも必ず何かしらの原因があるわけです。成功の時にはあまり、何故とは考えませんが、失敗の時には色々と考えるものです。失敗は誰でも嫌なものです。恥ずかしいともおもいますし、くじけそうにもなります。私などは失敗ばかりが多くて、穴に会ったら入りたいような感じですが、そもそも恥ずかしいと思ったり、見栄を張ろうとしていた今までの人生に何かゆがみがあるように思えます。そもそも、それが自分にあっているか否か、あるいは、本当に自分はそれを望んでいるのかと言う根本的な問題から始まるのですが、失敗が続くときは、必ず自分の本心が他にあるように思えます。あるいは、自分の中に、奢りなどのゆがんだ感情があるような気がします。要するにまっすぐさに欠けるのです。失敗すると、他人の信用を失ったりもします。そういう時は、腹が立つやら、悲しいやら、とにかくいたたまれない心境になります。でも、そういう時こそ、周りに気を使うべきなのではないかと最近思うようになりました。会社でも、これでもかというくらいにいやな目にあい、何一つうまくいかず、病気になって、その後なんとか復活して仕事を再開してもどうも上手く行かない。ここ数年のこういう出来事にも何か理由があるのかもしれません。先日書いたように、試験も今ひとつ芳しくない出来で、再び主人の信用を失ったような感じです。大金をはたいて、さらに上級試験の講座まで申し込んでしまって、確かにばかげているようにも見えます。価格を聞いて、明らかに主人は良い顔をしませんでした。金銭面で主人の援助を受けているわけでは有りませんが、同居している以上、勉強する事で家族に迷惑をかけている部分もあります。それで、結果を出せないというのは、間違えなく私の至らなさです。でも、結果は結果ですのでどうにもなりません。一瞬、傷つきましたし、不快な感情がこみあげました。子供もそういう私の感情の推移に敏感に反応して、別に悪い事をしたわけでもないのに、「まだ歯磨きしてないね。葉を磨こうか?」と言ったら「ごめんなさい。」と言うのです。これには、参りました。瞬間的なこととはいえ、嫌なムードになった事を察知したのでしょう。これは私が反省するしか有りません。子育てって、本当に自分の成長のためにあるんだな、と思わされます。今後も家族には迷惑を欠ける事になりそうなので、家族のために気を使わなくてはいけないな、と思いました。そんなわけでとりあえず、主人の分のお茶を入れて、背中のマッサージをしてみました。だからなんだと言うわけではないのですが、一つ嫌だと思ったら、一つ周りのために何かしてみると、多少は自分の気も治まるような感じがしました。些細な事しかできません。でも、そういう観念が私に最も欠けている事だったような気がするのです。自分の出来る事なんて、限られています。あれもこれもできるようになるなんて無茶です。だから、自分の出来る事をすれば良いのだと、今日はつくづく思いました。仕事でも同じです。お給料がよくても、自分にふさわしくない仕事は続きませんし、必ず何かしらの歪みが生じるものです。私に起こった様々なトラブルは、そこに原因があったのではないか、そんな風に思います。まずは、今やって見たいことをしてみようと思います。そして、それをさせてくれる環境に感謝してみようかと思います。今日の日記は自分への戒めの言葉です。ついつい、後ろ向きで攻撃的な事ばかり考えてしまうので、言葉にして自分を戒めてみました。何がどう転ぶか分かりません。又失敗するかもしれません。もし、自分にそぐわない事なら、視点を変える必要があるでしょうし、努力が足りないだけなら努力すべきです。そのあたりを肝に銘じて、明日も頑張りましょう。
Nov 18, 2006
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熱は下がったものの、まだ心配なので今日も保育園を休ませました。朝から、一緒にピアノの練習をしたり、通信教育のお試し教材(2ヶ月に1回くらいの頻度で送られてくる)をやったりしました。7月からピアノを習わせていますが、それなりに楽しいようです。体操もそろそろはじめようかと検討しています。習い事って子供も大変だけれど、親も大変です。育児って、食事させたり、風呂に入れたりなんて日常の世話だけではないんですよね。ある時は先生になったり、又ある時は友達になったり、母親って母親役だけでは済まないという事が、このごろわかってきました。私も、次の試験に向けて、少しずつ勉強しています。子供が自分の教材で勉強するようになってから、率先して取り組んでいるので、「お勉強好きなの?」と聞いてみたら、「パパとママと仲間になりたいの」と言っていました。主人や私がパソコンや書籍に向かっているのは、必ずしも勉強しているわけではないのですが、子供にとっては全て勉強なのでしょう。人生勉強と言う意味では子供の感じるとおりなのですが、何であれ、思わぬところでうまく影響してくれたと思いました。私自身は、じっくり教材に取り組んでみたら、色々と粗が出てきて大変です。短期間で仕上げようとして、かなり雑な勉強をしていたんだなぁ、と思いました。今度は時間があるので、暫くはじっくり勉強してみるというスタイルでやってみようかと思います。勉強をしていてつくづくわかるのは、私ってものすごく凡庸だという事です。ものすごく出来ないわけでもないのですが、ものすごく出来る訳でもない、って感じです。凡人は凡人なりの努力をすればよいのよね、と思うととっても気が楽になりました。そういえば、心療内科には随分行っていません。本当は今日が診療日だったのですが、子供の体調不良でキャンセルし、来週に延期しました。そろそろ、薬をやめて、通院も徐々に減らしていく方向で先生に相談しようと考えています。実のところ、薬は既に必要ないようですし、通院も、年中は必要ないと思っています。(というか、もう良いのではないかと思います)こちらから言い出さないと、いつまでも通院しなくてはならないようなので、きちんとお話しようと思っています。鬱って治ったんだか、治ってないんだか良く分からないところが困りもんです。そもそも、鬱と健康の境目も私にはよくわかりません。さすがに、何も出来なくなっているときは鬱だと思うのですが、普通に生活できる程度の落ち込みの場合、それを鬱というのかが疑問です。長く続けば鬱ってことでしょうか。。。一度鬱になったお陰で、無慢したり、失敗の後処理や、他人に対する感情や他人の目についての意識も随分変わりました。いけない方向性というのがなんとなくわかるようになったようで、感情が高ぶった瞬間なんかに「いかん」と思うようになりました。ここで、出来事をざっとおさらいして、整理し、自分は嫌だと思っているけれど、そう感じたというだけのことで、怒ったり、押し付けがましい考えを持ったり、落ち込んだりするのを防ぐ心がけはするようになりました。他人との接触でも、今後の改善の余地について検討したり、諦めるべき事を諦めたりする潔さをもてるようになってきました。今考えると、以前は随分と無駄に怒ったり悩んだりしていたもんだと思います。今、子供は昼寝中です。この間に少しまとめられるものをまとめて、目を覚ましたら、夕飯の買い物にでも行こうと思います。
Nov 17, 2006
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娘が風邪です。腹に来るタイプが流行中とは知っていましたが、感染したようです。今日、明日は休ませてしっかり治療する予定です。可愛そうに、今日は何も口にしようとはしません。麦茶をつくって常に枕元において飲めるようにはし、脱水にだけは注意しなくてはなりません。熱もあります。ちょっと上がってきたようです。試験後だったお陰で、心置きなく看病できます。正直なところ、子育て期間中は子育てに専念できるのが一番だとは思うのです。仕事も、出来る事なら暫く辞めて、小学生くらいになったら再就職できるというのが理想です。しかし、現状はそんなに甘くありません。核家族化が進んで、子供の面倒の殆どが母親だけにかかってくる中で、自分の事も同時にやっていかなければならないとなると、かなり大変です。時に、やりきれなくて自分を責めてしまう事もあると思います。少子化対策なんて言っていますが、実効性のある政策は何も認められないのではないか、と私は思っています。金銭面や保育施設をちょっと増やせばよいというものではありません。リサーチ不足ではないかと思う事があります。女性が悩んでいることに共通するのは「自己実現と家庭の両立」というテーマではないかと私は思うのです。自己実現の姿と言うのは、人それぞれに違うものです。仕事を続けたかったり、家事に専念したかったり、学問を続けたかったり、他にも色々な活動があるでしょう。そのあたりの視点が欠けているのではないでしょうか。ちなみに、子供が病気になっても、小児科不足の昨今、診察までにも非常に大変な思いをします。辛そうにしている子供が、老人等のあまりにも長い診療の影響を受けてずっと待っている光景は、見ているこちらが痛々しくてたまりません。以前、うちの子もトイレで何度も嘔吐しながら、ずっと自分の番を待たされたのですが、一体どうなっているのかと思いました。首の据わらない赤ちゃんが泣きながら1時間以上も待合室で泣いているのも可愛そうでした。正直、楽しそうに団欒しながら待っている老人は後でも良いのではないかと思いました。こんな所でも、子供より老人なんですね。驚いてしまいます。世間がこんなもんだから、子供に乱暴な対応の老人も結構多くてびっくりします。自分が通りたいからといって、無言で子供やベビーカーをおしのけたり、椅子を横取りしたり、どうなっているのかと思います。おかげさまでうちの子は、老人が好きではないようです。もちろん、素晴らしい人格の方もいらっしゃるのですが、悲しい事に悪い事のほうが印象に残ってしまものなのです。道路だってかなり変です。車の事ばかり考えて、歩道が確保されていない道路なんてザラです。子供とちょっと外出するだけでもヒヤヒヤします。少子化対策なんて名目だけ叫んでいないで、きちんと町の実情に目を向けないとどうにもならないのではないか、そんな風に感じます。目安箱か何か欲しいもんだとつくづく思います。経済関連の圧力団体があっても、一般人の利益の為の圧力団体が乏しい日本では難しいですかね。父母会なんて、結局、一部の主婦の団欒会と化しているし、もうちょっと建設的な活動をすべきなのではないかといつも思うのですが、どうやら、私のように考えるのは少数派です。思いつくままに、主婦のグチをいっぱい吐き出しちゃいましたね。失礼しました。
Nov 16, 2006
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試験が終わった途端に、どうして良いかわからずオロオロする私。読書しても、数日前のペースのようにはなるはずもなく、今ひとつ充実しない。私はどうやら、ちょっと無謀な事でも自分をかりたてるのが好きみたいです。理性とはかけはなれた性格ってことですね。堅実に行かなくては成らない時は、こんなんじゃいけませんから、しっかり考えなくてはいけないんですがね。。。そういえば、ブログ断ちをしていた為に何ヶ月も気が付かなかったのですが、ある方が私のHPをご覧になってリンクしてくださったという報告をうけていました。あれも随分陳腐化してしまっているので、どうにかしなくてはと思いつつ、今日に至っているのですが、それでもまだ誰かの役に立てた部分があったというのは喜びでした。自分の意図しないところで、以外にも誰かの役に立てたのは、役に立とうとしてやった時より素朴に嬉しいものです。仕事の成果が認められなかった事に対する釈然とした気持ちから作成してみたものでしたが、思わぬところで誰かがご覧になって役に立てて下さったという事が嬉しくて、素直に「ありがとう」と思えました。そんな訳でご本人には、お礼のメールをお出ししておきました。やっている時はその成果がどんなものかわからずモヤモヤしていましたが、忘れた頃に嬉しい報告を受け取れました。報われる時ってこういうものなんですね。この件をきっかけに漠然と思ったのは、ただ生きている、それだけで役に立っていることもあるんだという事です。率先してボランティアまでしなくても、役に立つ事はあるようです。私などは、子供がただそこに存在するだけで、救われたり、教わったり、反省させられたりするのですが、そんな時、子供は意図的に私に何かしようとしているわけではないのです。そんな時、一々子供ってありがたいものだと思います。逆に、自分のあさましさが恥ずかしくなる事もあります。子育てって、学ぶことなんだなぁ、と思います。ダメ母の私は、ついつい声を荒げたりしてしまうのですが、そういう自分のダメさも子供がいなければ気が付いて反省しようとはしなかったかもしれません。子供には気の毒な部分もありますが、お陰で私も得るものがあるようです。暫くは勉強に専念し、仕事はもう少し落ち着いてからしようと思っていますが、どうせやるなら、日常的にした仕事が、どこかの誰かに役だてていただけるような仕事をしたいな、と漠然と思いました。そんな日常が私に訪れたら嬉しいな、と思うのです。対価を頂いてやる以上、どうしても評価が気になってしまうところですが、それとは別の視点で充実できる事も大切です。私が以前働いていた会社で、常にモヤモヤした気持ちだったのは、そういう充実感が全く無かったからだと思います。その上、悪い事を随分言われてしまったものだから、愚かにもこたえてしまったのでしょう。誰に何を言われても、自分の日常に自分なりの価値を見出していたら、あそこまでは気にならなかったかもしれません。その辺りの反省をふまえて、勉強も仕事も続けなくちゃいけませんね。自分の考え方はこう。相手の考え方はこう。でも、社会一般ではこのあたりで線引きされているから、言ってはいけないし、言われる筋合いもない。言ってしまいそうになったら、「いきすぎだな」と自分を嗜め、言われる事が続いたら、それを言われる筋合いでは無い事を、法律などを根拠に主張すれば大概は黙ってくれるようです。そういう働き方をしようと思って始めた勉強でしたが、こういう知識は万人が持ち合わせている訳ではなく、被害にあってしまっている方も多くいらっしゃるるようですから、多少なりともお役にたてればな、なんて図々しくも思ってしまいます。その為にも、結果を出せるように勉強しなくてはいけませんね。
Nov 15, 2006
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試験の結果が芳しくなく、微妙な所で落とされそうな気がするので、勉強を続けなくてはなりません。3ヶ月とはいえ、足キリを免れ、なんとかボーダーまで持ってきたのですから、ここで知識をふいにするのは勿体無いと言うものです。昨年宅建に合格した後、脱力してしまい、その後放っておいた民法で今年は苦戦する破目に陥ってしまったので、次はこのようなことのないように、勉強を続けておかなくてはならないと思いました。とりあえず、司法書士試験と重なる部分で、改正の無い所という事で「憲法」の一問一答(「S式1問1答法律用語問題集改訂第6版」)とテキスト読みをしました。暇つぶしにと昔購入した書籍ですが、当時は難しくて読み続けられませんでした。今は、なんとか読めるようになりました。「電車で行政法」も、以前は手も足も出なかったのですが、なんとか読めるようになりました。こういう本を読む時間は今しかありません。得点に直結する勉強だけに的を絞ったら、こんな贅沢な時間の使い方などできるわけがありません。折角ですから、この機会に、こういう書籍を読んで過ごそうかと思います。テキストと条文も勿論読み続けなくてはなりません。特に条文読みは不足していたと思います。3ヶ月という短期間では、テキストと問題集でいっぱいっぱいでした。条文はコツコツ読まないといけませんね。さて、そろそそ、保育園にお迎えに行かなくては。試験が終わったので、寝る前に絵本を読んであげられるのが嬉しいです。今は、↑これを読んでいます。人気のシリーズの4冊目です。うちの子供も毎晩とっても楽しみにしています。
Nov 14, 2006
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昨日の試験の結果はともかく、足踏みしていても仕方が無いと思い、次の勉強の為の教材や講座を調べてみました。やはり、法律と不動産に関する勉強を続けたいと思いました。会計も勉強したいのですが、どちらが好きかっていえば、やっぱり前者!そんな訳で、申し込んじゃいました、司法書士講座(ふふ)今までの勉強とは比べ物にならないくらい、量も質も、そしてお金も高かった。でも、良いのです。無駄遣いだなんて思いません。楽しくてためになるんですから、良いのです。海外旅行に行けば、これより高いお金が出るんだから、これくらいは仕方ないでしょう。評判も良いし、ムードも良さそうだったし、何ぜといってもカリキュラムが気に入った!行政書士受験とうまく兼ね合いを取った講座があったのも嬉しかった。なんとか合格して、元をとってやろう!って思って頑張ります。なぜか、ウキウキしている私。さて、本日のテーマは久々に鬱です。「去年は回復したんだから、鬱は卒業して、きちんと社会でやっていける事を確認しよう」なんて感じで、派遣で銀行事務をやりましたが、今は又違う段階にいます。去年の私はあくまで主観(内心)のみの鬱からの脱却、というか、自分の考え方をコントロールして処理しただけでした。しかし、今年は、一歩進んで、客観的な目で、自分に起きた会社での不幸な出来事(!?)を対処する方法にたどり着きました。*********************鬱になった経緯*********************2年半前、私は某会計事務所で働いていました。私自身は社内SE(+一般事務職)として働いていたつもりでした。社内システムの構築プロジェクトに参加した事をきっかけに「今後もデータベース構築などの仕事をしたい」という希望を出して異動が決まりました。そして、出産をまたいで異動することになりました。ところが、異動先で、何でも屋のように働かされる破目に陥りました。上司に事の次第を話しましたが、そんな仕事(データベースの構築等SEの仕事)はここには無い、と断言されました。その上、この上司とソリが合わず、不毛なぶつかり合いが2年続きました。上司は女性で、子宮摘出を受けた事のある方でした。業務知識も、上司としてきちんと私の仕事の中身を理解できる所には達しているようには思えませんでした。運良く、ホームページの作成という、希望していた職種と近い仕事が来た事もありましたが、HTMLもJAVA Scriptも知りません。ただ、「グループ会社内の資料に目を通した」と、それがあたかも能力習得につながる努力のようにアピールしていましたが、その社内の資料を読んでも業務知識がつかない事は、基本的なことが分かる人ならすぐに理解できる事です。しかし、運悪く、その当時、私の周りに私の仕事の内容を理解してくださる方はいらっしゃいませんでした。さらに、上司としての役務を果たしていたかも疑問です。社員サービスで書籍を購入する事があったのですが、この処理、つまり、希望者を募り、書籍を購入し、集金し、配布するまで全部強制されました。これは、前もって何の相談もなく、全社員宛のメールで私宛に申し込みをするように書いて送付しただけです。私の業務では無い事を訴えましたが、全く聞く耳を持っていただけませんでした。何の解決もないまま、希望者がお金を持ってやって来るので、やらざるを得ない状態になりました。さらに、総務や経理も協力してくださらなかった為、集金した金銭の管理について困り果て、上司にも、総務や経理にも相談しましたが、何もして下さいませんでした。こんな事が2度あり、ストレスに耐えられなくなった為、強く訴えた所、3度目以降はありませんでした。新しい仕事があっても何の話もせず、全社に公示されるときに初めて知る始末。さらに、問題がおきても知らぬ顔の上司です。他にも似たようなことがありましたが、いつも、何もしません。請求書の処理ですら、基本的な会計知識(事務員なら知っていて当然な程度)も無い為、知らぬ顔をして私に「やってください」の一言で押し付ける始末です。「連絡がない」とか「相談がない」とか「勝手に仕事をすすめている」などと随分責められましたが、連絡や相談をしても何もしていただけないし、それどころか内容を理解していただく事すらままならないような状態で、どう接して良いかわかりませんでした。しかし、そんな私の言い分も、訴える相手がいなければどうしようもないのです。上司は私を「評価」と言う形でいくらでも責められますが、私は主張の場がありません。結局、一方的に言われっぱなしでした。しかも、悪い評価はされても、税理士や会計士以外の評価基準が定められていない為、成果物を挙げても何もないという状態です。これだけでもかなりストレスな状態なのですが、困った事に、指導の名の下にパワハラらしき言動もありました。初めてお会いした時も「貴方は評判が悪くて」と言われましたし、「皆、貴方が仕事をしないって言っています。他のマネージャーなんかも皆貴方を問題だと言っています」などという言われ方を何度かされました。さらに、これらが原因で鬱になり、診断書をもらって1週間休んだ時も、自宅に電話をかけてきました。ホームページの構築が全くわからないから、突然の私の不在に対応できなかったのです。出社すると、部屋に呼び出され、二人きりで延々と文句を言われました。「鬱って言うけれど、どう言う事?今日出てこられたのはどういう訳?」と、診断書も頂いているのに疑いすらかけられました(少なくとも私はそう感じました)。ホームページが心配だったので、辛いけれど出社して仕事をしようとした事を説明すると「あれはもういいわ。私ができるから」と、まるで私など必要ないかのような言われ方もしました。電話までしてきて、どうしてそのような事をいえるのか不思議でした。休みの間、上司が私に電話をしても、私が連絡をよこさない事について、主人にも責任があるという言い分には、行き過ぎにも程があると思いました。「このように2人で話をする状態には耐えられない精神状態である」と、震える手を見せながら何度も訴えましたが、なかなか解放してくださいませんでした。このとき、既に、不眠に陥り、食欲はおろか味覚もわからなくなり、耳鳴りがひどく、ときどき平衡感覚を失って倒れたりもしていました。育児への影響も心配だったし、私自身の体調に危険を感じたので、その後すぐに傷病休暇をとりました。人事へは、上司と職種が原因で鬱になったので、2度と連絡をさせないで欲しい旨を話し、その後、会社との接点は傷病手当金の月々の申請のみとなりました。その後、傷病手当金受け取りの法廷の期間を満了した時、人事部長から電話があり、復帰が不可能なら退職になる旨を知らされ、退職する事になりました。その際、会社が原因で鬱を発症し、働けなくなった事による退職なので、会社都合にして欲しい旨を申し出ましたが、却下されました。仕方が無いので、労働基準監督署に提出する書類に本人の異議として、その旨を記入した所、やっと会社側も自己都合の文字を訂正して下さいました。************************************************全て、私の目で見た一方的な見解といえばそれまでですが、今も上司のしたことは明らかにパワーハラスメントだと確信していますし、会社にあった不当な差別意識や対応に対して、感情的に許しがたいものがあります。子供にとっても0歳から2歳という大事な時に、母親が鬱になってしまった事は不幸だったと思え、我ながら良心が痛みます。物の分からぬ赤ちゃん同然の子供に「ママ、ダイジョブ?」なんていわせてしまった事は、今も私の心の傷になって残っています。せめて、子供の記憶に残らないように早く退社して治療する決心が出来た事だけが救いでした。しかし、その代わり、正社員の地位は失いました。この出来事を、個人の倫理の枠で語っていると全く埒が明きません。私は上司の言動に納得がいきませんし、上司の方でも私が問題だと考えているのでしょうから、どこまでも平行線をたどるしかないのです。しかも、個人の倫理というのは、他人の踏み込めない世界なのです。この事件では、会社での上下関係の為に、私が一方的に踏み込まれる破目に陥りましたが、こうして会社を離れてしまうと、結論が出ないのです。これで私は随分苦しみました。鬱で自己破綻したお陰で、自分の判断基準を失っていました。自分がそんなに酷い人間なのか、でも、私の本心ではどうしても上司の言動が間違っているように思える。答えの無い迷宮を暫くさまよって、結局、人それぞれ違うのだから仕方ない、というありきたりな結論に終始しました。それでも、私は心のどこかで第三者からの答えが欲しかったのです。それで、派遣会社に登録し、銀行で働いたりもしました。そして、上司に言われたように私が怠けてばかりのしようも無い人間では無い事を、他者の反応から理解する事ができました。さらに、法律の勉強も始めました。法学部出身でもないし、これまで法律に関わった事もありませんから、1からのスタートでした。でも、ここで何かの答えが見つけられそうな、そんな予感がしていました。そして、それは的中しました。上に書いた出来事を客観的に見る視点を持つ事ができたのです。つまり、上司個人の人間性やパワハラについて主張するのは得策ではないのです。答えがなかったり、証明が難しい事を他者に主張しても、芳しい答えはいただけません。個人的には、なぜ、私をここまで追い込んで平然と肩書きも失わずに生活しているのかと思うところですが、そんな事は、第三者に主張しても仕方の無い事なのです。うっかり何か言ってしまえば、相手は私の欠点を探しては挙げ連ねて、お互いの人格を攻撃しあうという事態になりかねません。上司と部下という立場上、あまりにも私が不利です。私が訴えるべき相手がいるとしたら、それは会社です。訴える内容も、職務内容や評価基準に関する不作為ではありません。雇用契約に伴う安全配慮義務違反を突くのです。心身が侵される程の劣悪な労働環境の中にあって、その訴え先となる機関もなく、管理者や経営者も何も成さなかった事実と、それによって私が鬱を発症した事を主張すれば良いわけです。原因が会社である事は、会社を休んだ途端にみるみる改善した診療結果と医師の診断によって証明できます。一方会社は、給料支払い機関としての人事はあっても、労働環境について話し合う機関としての人事を設けず、経営者も何もしていません。出産直後の社員を、子宮を摘出した上司の下につける行為もいただけません。契約内容も書面等で明確にしていない責任もあります。さらに、異動後のケアが何もないというのも怠慢です。この事実だけで充分です。会社はすべき努力を一切しなかった訳ですから、言い逃れはできません。私の仕事の方法などに問題があったのなら、それをきちんと話し合うべきでしたし、上司の言動についても、私は沢山主張したい事がありましたが、誰も聞く耳を持ってくださいませんでした。上司がどのような処置になるかは、この際会社との関係の事ですから、勝手にしていただけば良いことです。正義だとか、倫理だとか、道徳なんて、至極個人的なことで、問題解決の基準にはならないのです。正解などない世界なのです。良いとか悪いという判断は、人間の勝手な思い込みで、本来存在していないものです。自分の価値基準は自分だけが大事にできればそれで良いのです。目に見える明らかな事実を法律といった一般的な基準に当てはめる事しか、社会では判断しようがないんです。たったそれだけの事がわかっただけで、私は随分救われました。やっと、自分が悪かったのかなどという愚問から解き放たれたのですから。実際に裁判するのは難しいでしょうし、裁判しても私の言い分が通るとも限らない訳ですが、勉強や経験を通して少しずつでも自分が納得できる答えが見つかれば、ここまで満足が得られるものなのかと思いました。
Nov 13, 2006
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お久し振りです。本当に随分ご無沙汰でした。例によって、受験勉強のためにブログ断ちをしていました。実は、本日行政書士試験を受験してまいりました。今年から試験内容に変更があった為、得体が知れない感じでしたが、終わってみてもやはり不思議な感じでした。別にものすごく難しいって訳じゃないんですが、微妙な問題がチョコチョコあって、後味が悪かった。。。各社から出ている解答速報を見ても、解答が割れている問題が6問もあるし、記述(今年から40字の記述が加わった)や多岐選択(これも今まで見た事がない感じ)の配点がどうなっているのかさっぱり分かりません。私の正答数がかなり微妙で、落ち着きを失って記述で凡ミスをやってしまったのが響いてアウトってな事もありそうです。やれやれ。一般知識も法令も足切りは免れているようですが、全体点が基準に達しているかが不安です。あとは、配点次第ってところでしょうか。受かっていると良いな。来年も同じ事をするのはちょっとブルーですよ。昨年の合格率なんて2.6パーセントくらいだったような気がする。一体どうなっているのかしら?それにしても、3ヶ月仕事を辞めて勉強しましたが、結構大変でした。主人に言わせると、楽しそうだったらしいのですが、時間が足りなかったのは事実です。ここ数年で妙に難しくなって、過去問だけでは対応が難しい状況になっています。巷では「代書屋」なんて馬鹿にした対応をとられてしまうのですが、最近は昔のような過去問の焼き直しなんて出ません。法解釈なんかも出たりして、簡単とはいわれていても、法律の試験なんだなぁ、とちょっと思わされたりします。私の場合は、時間ギリギリまで使わないと解けなくて、見直している時間なんてありませんでした。3時間って本当にあっという間なのね。。。しつこいけれど、記述の凡ミスが悔やまれる、くそ~。知っているのに、うっかり間違えるなんて、しかも大きい問題でやってしまったのが悔しい!!!専門学校や市販のテキストも今年は苦労したようで、結構はずれも多かったようです。「学校の授業でやった事、全然でないじゃん」「あれって、無意味だったって事。。。!?」なんて会話をしていた若い子達もいました。可哀想に、はずしてしまったんですね。私は、教材には恵まれたんですが、量が多くてたまりませんでした。間際になっても資料が送られてきて、正直閉口しました。とにかく結果発表まではなんともいえない状況なので、気晴らしに他の試験でも受けてみようかと思います。会社法の改正で、FSが作成できるかが心配です。簿記を勉強しなおすか、FPをやってみようかなんて考えています。本当は、司法書士をやろうかと思っていたのですが、こちらは行政書士の結果を見てから考えようかと思います。去年は良かったですよ、合格確実でしたもんね。宅建ってやっぱり楽だったんですね。これから、保育園の更新の問題もあるんだけれど、仕事する気になれない今日この頃。労働環境ボロボロなんですもん。今は勉強に打ち込んだ方が良いような気がします。試験結果が微妙でモヤモヤした気持ちを、支離滅裂に吐き出してしまいました。試験勉強をしながら、色々な事を考え、一度日記で整理してみたいと思っていたのですが、それは明日以降にゆっくり書いてみようかと思います。
Nov 12, 2006
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やっとこの日がやってきました。今日で仕事が終わりました。なんだか実感が沸きません。月末の月曜日と言う事もあって、最終日だというのに残業までしました。サクッと挨拶して、バタバタしている間に帰ってきたという感じです。***********************解放されて気持ちよく過ごしていると、実家から電話がありました。どうやら詐欺の電話です。私と早く連絡をとらないと警察沙汰になると言って、女の声でしつこく電話がかかってきたようです。留守電に残っているメッセージも、演技じみていて非常に怪しいものでした。具体的な内容が何も語られないのに、こちらの名前を知っているので妙に不安感をさそうのです。こういう手口なのでしょう。ご丁寧に電話番号まで残しています。どうせ、数日後には捨てられる運命の携帯電話の番号でしょう。事件性があるなら具体的な内容が語られるはずですし、「佐藤」なんてありふれた名前を使っているのも怪しいです。母が初めに電話に出たときに「どちらの佐藤様でしょうか」と言ったら、いきなりガチャっとやられたそうです。明らかに堅気ではありません。その後しつこく電話をかけて煽っている辺りも、普通ではありません。本当に大変な事が起こったときに、しつこく大騒ぎするような電話をかけ続けるとも思えません。そんな事をしても何にもなりませんから。そう考えると明らかにこちらの不安を煽ルためにやっているのです。恐らく、ひっかかりそうな相手を探して、相手の出方をみながらストーリーを展開させるタイプの詐欺なのでしょう。非常に不快です。このまま放置しておくのも気持ち悪いので、警察に届けるべきだと母に伝えると、自分にかかってきた電話だから自分で届けるという事でした。情報の出所がどこなのかも気になって気持ち悪いですから、ここはきちんと届出をした方が良いと思いました。無視していればすみそうな気もしますが、事件性のあるものを放置するのにも抵抗がありますし、このまま何もないとも限りませんから、警察に届けた方が無難な気がします。もっとも、きちんと動いてくれるかはわかりませんが(苦笑)まあ、何もしないよりはマシでしょう。いつまでもモヤモヤした気分でいても仕方ありません。気持ちを切り替えて、明日の朝は、保険の手続きをしに行こうかと思います。本当に、世の中病んでいるなぁ、と思わされる一件でした。
Jul 31, 2006
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いよいよ残す所あと1日!長かった~。やっと気持ちが楽になってきました。これで、少しは腰痛と鼻の調子が良くなるかも知れません。7月は、仕事の終了日のことばかりが頭にあって、何も出来なかった感じです。我ながらだらしがない。もうすぐ終わりだと言うのに、よくもこんなに真面目に働いているものだと我ながら感心してしまいました。心のどこかで「もういいやぁ~」みたいな気持ちがあるので、何があってもストレスになる前に「まあいいや」と思えるので楽です。以前、私がミスをひきおこした環境は今も健在で、残される人々はそこをどう変えようかと話し合っていました。自分ごとになるとやはり危ないと思うようです。そりゃ、ミスが出て当然のような環境で誰も働きたくないですもんね。物理的に無理なものは無理なんです!前は私1人が悪いみたいな形になってしまったけれど、この動向を見て、やっぱり自分ごとになると皆マズイと思うような環境だった訳です。辞めて正解。私ばかりが馬鹿を見る必要はありませんもんね。今は来月殻の事で頭がいっぱいです。仕事は暫くしないでしょう。そんな気もおこりません。それなりに仕事が出来る事はわかったし、ちょっと気が済みました。仕事で挫折したことの傷も多少癒えました。私を鬱に追いやった会社で受けた仕打ちや評価はどこでもされずに済み、気が楽になりました。色々とトラブルはありましたが、確認したかったのはその事なので、すっきりしました。今後の事はおいおいゆっくり考えようと思います。あと1日。引き際を綺麗にできれば良いな、と思っています。
Jul 28, 2006
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今日を終えればあと一週間だ、がんばろう!と思って会社に行って、とにかく仕事をこなそうと頑張ったけれど、どういうわけかこういう時に限って事件が起こるんです。・今週は、私がお客様に出すレターのチェックの係です。不思議な事に、一覧とレターの付けあわせを一切行わず、ただ数を数えるだけでチェックした事にしてしまうこの銀行。。。以前から怖いなぁ~、と思っていたので、以前は時間のある時はなるべく一覧とレターを付け合せていたのですが、それを行員に見つかって、勢い良くクレームをつけられました。そんな事をする必要はないといわれました。ボケッとするくらいなら、レターの確認でもしようかと思っただけなのですが、ボケッとしていた方が良かったようです。そして今日、しすてむの不具合があったり、レターの数があわなくなったりして大騒ぎになりました。既に投函されたものは今更確認のしようもない。数を合わせているだけだと、こっちにレターが回ってくる順序とリストの順序が必ずしも一緒でないので、実は何が投函されて、何が投函されていないかはわからないのです。あとでまとめて全部ちぇっくしてから投函しようと思ったこともありましたが、それはそれで、さっさとやれとばかりに文句を言われるし、どうにもなりません。これで何かあると作業者がいけないようになってしまうのですから、やっていられません。私にクレームをつける行員は悪い人ではありませんが、私とは価値観に差があり、どうしても相いれません。むこうも私が苦手なようで、言葉の端々に微妙に私自身を否定したくて仕方ないようなニュアンスを醸し出しています。恐らく、以前、エクセルのつかいかたのマニュアルの件でもめたのが尾を引いているのだと思います。それだけで、人の全てを否定してかかるようなそぶりをみせるあたりに、物の見方に温度差を感じます。今日も、最後にマメにチェックリストを出力しすぎるからわからなくなるのだと、意味不明なことを言っていました。とにかく、私のやっている事を否定したいのでしょう。そんな事を言っても問題は解決しないのに、訳がわかりません。私から言わせれば、数だけしかチェックしないのが問題なのですが、そこには全く疑問を抱いていないようです。非常に気分の悪い一日でしたが、どうせあと一週間の事ですし、今日の事は私の責任とは思えないので、何か言われたら、派遣元を通して、ここに書いたとおりの事を説明しようかと思います。ここにいると、私の株が下がるばかりで、持ち味も生かせないし、結局仕事の密度が濃い分損する感じです。他の派遣の女性などは、ずっとおしゃべりして仕事をしていませんでしたが、どういうわけか、私のほうが分が悪い感じです。辞める事が決まっている事がせめてもの救いです。私は、仕事をきっちりしていれば安泰と言う会社が好きなので、ここにはあわないとつくづく思いました。
Jul 24, 2006
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あともうちょっとがツライっていうのはよくある話です。マラソンも、ゴールまであとちょっとがつらいし、食事なんかもあと一口が食べられない(ってこれはちょっと違うか。。。)テストもそうですね。ラストスパートをかけるあたりが非常につらいです。仕事もそうです。あと1週間ちょっとで終わりなのに、これがシンドイ。。。おとといは、顔の右側が神経痛みたいになるし、アレルギーが出て鼻がおかしくなったり、喉が変になったり、疲れてだるくなったり、とにかくツライ!こういう時、私はいつも西遊記を思い出します。お釈迦様の手の平からみえる天竺はすぐそこという気がするのに、実際はものすごく遠いんです。今、まさにそんな気分。あともうちょっとでたどり着けると思っていたのに、やけに長い道のりなんですね。ここを耐えてこそ、ゴールに意味があるんでしょうが、今はそんな風には思えません。会社で何があるって訳ではないんです。でも、イヤなのです。一度嫌気がさすと、どうにも止まらない性格のせいか、日常すら受け入れがたく感じられちゃうんですね。困ったもんです。明日1日頑張れば、引継ぎの相手がやってくるから、ちょっとは気が紛れそうなもんですが、どんな相手かわからないだけに、微妙な気分です。楽しい一日はあっという間に過ぎるのに、イヤな日は長いですねぇ。皆と仲が悪い訳でもないし、仕事もどうってことないのに、何故でしょうね。やはり、モチベーションの問題でしょうか。気分を変える良い方法はないでしょうかねぇ。こういうときって、良い案が浮かびません。楽しい事を考えようとしても、なんか今ひとつ気が乗らないし。。。とにかく、ひたすら時のたつのを待つしかないかな。そんなわけで、漫画の山が部屋にできてしまいました(溜息)。
Jul 20, 2006
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