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今日の母はちょっとだけしんみり「私の人生はとうに終わってる。 何にもする気がねぇ」と言うありゃりゃ、これはやばいパターンかなと思いきやすぐそのあとに「お父さんが死んだから、気が抜けてるだけかもしれんし 元気だからすぐによくなるよ。心配せんでもええよ」と付け足した 良かった、希望は失ってない面倒見の良い母は、お嫁ちゃんの話や私のどうでもよいよた話から、こうしたら?とかアドバイスをしてくれるそんな時は、びっくりするぐらいしっかりしていてしかもそう言う話は忘れていなかったりする誰かの役に立ちたいと思うのは、母も同じ人の世話になっていると思い続けるよりもせめて自分の好きな人たちに何かしたいそれができるのはお金だけと思い込んでいるけれどそのお金さえ自由に動かせないのが母にとって辛いようだった で、母に伝えてみた ゆ「(お嫁ちゃん)が、お母さんが笑ってくれるのが すごい励みになって、嬉しい!と言ってたよ」 母「あ、ほんまぁ(かなり嬉しそう)」 ゆ「うん、だからお金なんか考えないで 元気でいつまでも (お嫁ちゃん)といろいろ話すだけでええと思うよ」 母「あの子はなぁ、ホント気持ちのええ子なんじゃ 一緒にいて楽しいしな 元気だけが自慢だから、大丈夫よ」 お嫁ちゃんとバカ話で笑うこともありだけどお母さんの負担にならない程度の相談事をしてみるのもありかもね!と昨日話してたところだったので、ちょうどよかった認知症を患っているけれど今の母は、ちょっと不自由さが増えただけで私たちにとっては優しいあったかい母のままその不自由さを少しでも解消してあげたい
October 31, 2010
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町内会長さんが、会費を集めに来たらしい現金を持っていない母にはお金の話はタブーなのだけど、町内会費のことまでは気がまわっていなかったでもお嫁ちゃんが会長さんのところに行くと「お母さん、普通でしたよ」と外から見ているとほんとーに普通に見えるのだけど中にいても普通に信じてしまうこともあってトンデモない誤解も生まれるまだ、父が生きていたころの話でお嫁ちゃんと母の間には今の様な絆が生まれていない時母とお嫁ちゃんが何かのきっかけから私のことを話していたらしい 母「あの子はなぁ、2つも3つも×がついとって・・・」 お嫁ちゃん 「!!!」私たち兄弟が今のように毎日話すこともなく何年もあっていなかったので、お互いの話は母を通して知っていただけと言うことで、お嫁ちゃんも弟も私は×2、あるいは×3と、本気で信じていたらしいついつい昨日まで(笑)なかなか面白いぞ、お母さんそんなエネルギーが膨大にいるような結婚&離婚を何度も繰り返しませんがな(笑)それよりも、相手って誰なんすか?私が知りたい
October 30, 2010
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最近、自分がぼけたのでは?と思うことが度々あり昨日もいつも行くパン屋のイートインでめんどくさがりの私はいつものランチを頼むが、いつも軽く焼いたパンは噛まなくても(言い過ぎか)いいほど柔らかいのに昨日のはなんだか硬い気のせいかと思ったが食べても食べてもずっと硬いこれは、もしかして前のオーダーミス分を焼なおしているのでは?とふと思う が、次の瞬間 まって、、、もしかして 今まで軟らかいと思っていたのは夢の中のできごとで これが本当の食感かも。 とか、 いやいや、前回も同じことを感じて お店の人に聞いてみて、納得したのかも とか、 どうも自分の記憶が飛んでいる意識があって 次の行動に踏み出せないそんなことをここのところお嫁ちゃんとよく話すのだけどそう言えばお嫁ちゃんも同じことを何度も言うし「私ら、危ないかも!」とお互いいいあうようになった弟も物忘れが激しくなっているで、お嫁ちゃんは持病で通っている自分の主治医に「私、ぼけた?」と真顔で聞く始末聞くところによると認知症患者の介護をしていると、そう言った感覚になる人は多いらしい患者のことを考えてしまえばしまうほどそう言った感覚になるそうだと言われても、考えるなというほうが無理な話だし(><)でも、明らかにモノ忘れははげしくなってるんだよなぁ。。。お嫁ちゃんに、私やばいかもと言ったら「ぼけたら連れに行くわ、強制連行な(笑)」「でも、(弟)も私もやばいから 誰が一番かわからんなぁ」と母の病気進行防止だけじゃなく自分たちの脳活性化も大いに必要かも
October 29, 2010
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脳の活性化に塗り絵をしたり絵を描いたりなんてのがあります実際、色彩のお仕事をしていた時にその時の感情に任せて自由に色を使ったり描いて感情を表出することができると何か留まっていたしこりが流れたようにすっきりした感じになる人をみてきました母は随分と昔に水墨画や水彩画など本格的に絵を描いていたので脳への刺激によいだろうと思い、何度もすすめてたのだけどその度に「だるい、めんどくさい、ヤル気がない」などと言って、ちっとも興味を示しませんでしたお嫁ちゃんにそんな話をしたところお嫁ちゃんもさして興味を示さなかったのですが昨日になって突然「お母さんに、画用紙と色鉛筆でも渡してこようか」と母の状態を一番間近で見て、これならばと思えたのがいまなのでしょうでも強制されるのが嫌いな母は認知症になってから、さらに強制されることを拒んでますお嫁ちゃんが勧めたところで、母が喜んでするのは難しそう ゆ 「お母さん、すすめられても多分描かんと思うけど (お嫁ちゃん)が目の前で絵を描きながら 笑い話でもしてたら興味持ってくれるかも!」 お嫁ちゃん 「私は、絵がぼっけーへたくそなんじゃ アンパンマンしか、描けんけど(笑)」 ゆ 「それがええと思う! 楽しめるのが一番やわ~」 お嫁ちゃん 「ほんなら、お母さんの前でアンパンマンの絵を描いて 『どうする~?お母さん、私こんなんしか描けんわ』って やってみるわ 」 ゆ 「お母さん、風景画ばかりじゃから アンパンマンの背景をお母さんに描いてもらうんはどう?」 お嫁ちゃん 「アンパンマンの顔しか描けんけどw」 母は攻撃性の認知症だったためにその攻撃性を抑えるための薬を飲み続けていますその副作用が、便秘になったり頭がぼーっとしたり効き過ぎると鬱のようになったりするそうです私もお嫁ちゃんも、たとえ徘徊するようになってもどんなに大変なことになっても鬱だけは避けたいと思ってますなので毎日、母の様子と相談しながら たくさんの喜びとちょっとの刺激がもてるよう 嫌な感情が残らないよう 何ができるかを話し合っていろいろ試してますそんな献身的なお嫁ちゃんがお母さんから「鬱になりそうな嫁でなくて良かった」と言ってくれたと(お母さんが鬱になってる暇がないぐらい楽しいって意味です)それが最高のお母さんからの恩返しをもらった気分と喜んでました^^
October 28, 2010
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母はいつもと変わりなくでも少しづつ穏やかになっている毎日書いてるのに、書き残したいことは次から次へと出てくるでも今日は父のことを書きたいこの世を去って2ヶ月半が経つけど、今も生きている気がする 私生児だった父は 父親違いの妹と二人、祖母(私のひいばあちゃん)の 子どもとして戸籍に入っていた 父が中学生の頃、今まで姉だと思っていた人が 実は実母であることを知らされる その実母は、たくさんの兄弟と体の弱い両親のため 水商売に入り仕送りをしていた そこで知り合った人との間にできたのだろう 小さな集落だったので、誰も話はしなくても 私生児だということはみんな知っていて 相当肩身の狭い思いをした その後高校進学せず丁稚奉公に父が実父に会ったのは一度だけ母と結婚したばかりの頃父の妹が手筈をとっての実現有名な経営者だそう(とっくに他界してるけど)その時に当時のお金で100万渡されたという母は、それを手切れ金と言っていた父は実父の話をしたがらなかったので父が他界して、親戚の話から判明した内容もある生まれた時から死にかけていてその後も大けがや大病を繰り返し決して恵まれた環境でなく苦労ばかりだっただろうに家族には愚痴を言ったことがなく本当に愛情いっぱいに育ててくれた昔、弟も私も母も毎日のように怒られてて、とても怖い存在だったと思うなのに、そんな怖さや嫌な感情は全く残ってなく言葉はヘンだけど父のことが愛おしくてできることなら又一緒の時を過ごしたいと思ってる何年も会っていなくても平気だったくせに、この世にいないと思うからなのかきっと父が私たちにたくさんの愛を残してくれたからだと思う父にもし一目会えるなら、もう一度「ありがとう」を伝えたいな 父の心残りは母のことだけだと思うけど(^^;
October 27, 2010
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少し前に来たお嫁ちゃんからのメール「お母さんに充分なこと、私、してあげれてんのかなぁ? 笑えるだけでいいのかなぁ?って、時々考えるんよ。」もうもう、充分すぎるぐらいに充分で母だけでなく私もかなり感謝しているのですがお嫁ちゃんはどうもそうは感じないみたいお嫁ちゃんは以前自分のおばあさんの介護をしていて亡くなった後に、もっとしてあげればよかったとすごく後悔したそうその後悔をさせたくないから、自分は歳を取ったら施設でも病院でも自分から行くと言っているあれれ、母と同じこと言ってるしお嫁ちゃんと母は血液型もいっしょだしちょっと気が強くて、でも弱い弱く見えて、しんが強いあったかくって優しい ところも似ている血のつながりのない他人同士ではあるけど血のつながりのある私よりずっと縁が深いような気がする母が認知症になってからのことではあるけどこんなに強い絆ができて、それに母は今まで見たこともないような笑顔をたくさん見せるようになったこの笑顔があるから「私も頑張れる」とお嫁ちゃんは言う私は、この二人の笑顔を続けたいからがんばれる繋がってつながってめぐりめぐって循環している人は人のために生きることができると本当に幸せなのだなぁと実感
October 26, 2010
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母の飲んでいる薬は便秘になりやすいらしいその為、下剤が出ているけど、おむつをしているわけでもなくトイレもひとりで行くので、それが効いているのかいやその前に便秘になっているのかさえ分からない母に聞いても、便秘はしてないというし詳しく聞こうと思えば病気を疑われていると思いかねないなので、食事で何とか解消できないものか ・・・と、お嫁ちゃんと相談したけど認知症になってからの母は、もともと偏食だったのにそれに磨きがかかって?気に入らないものは絶対に口にしないばらずしは好きだけど、紅しょうがや山菜はよけて食べる野菜嫌い、魚も肉もほとんど食べないご飯よりもパンが好き総菜パンは食べず、アンパンやチョコパンなど甘いものばかり少し食べる野菜は、歯の悪い母用に作ったポタージュとほうれん草の胡麻和え(--;;)すでに、この食事だけで便秘じゃんさつま芋でも大量に贈ろうかとも思ったけどこれからも延々続くので、毎日続けられる方法を考える必要がある薬のようなサプリは絶対飲まないし母の好みに合わせて食事を作れる人がいないそこで友人が粉末サプリを販売していたので相談して送ってもらったここからがお嫁ちゃんの出番母が立ったすきに飲み物に入れてみるとか「お母さん、これちょっと高級な砂糖手に入れたから 入れてみるな」と言って目の前でどうどうと混ぜてみるとかあらかじめジュースに混ぜて置いたものを差し入れするとか飲み物は、残しても冷蔵庫に入れて最後まで飲んでくれるので一番よい方法ではあるけど、お嫁ちゃんの負担が大きい混ぜようとしていたサプリは、そのまま口に入れると甘いそこで二人で相談した結果母が「なくなるとパニックになる」といっていた砂糖の入れ物の中に、混ぜることにした今日はたまたま砂糖の量が少なくなっていたので「お母さん、砂糖がへっとるけん足しとくな」と言ってお嫁ちゃんが白砂糖半分とサプリを半分入れて混ぜてきてくれたさてさて、明日どうなってるか毎日、母のための対策にお嫁ちゃんと何かしら相談するのだけど私が情報収集&計画お嫁ちゃんは実行&報告で、連携がとれてきて良い感じ母が入院しなくてもいいように気持ちよく自宅で過ごせるように私たちの願いは今のところかなっている、、、かな
October 26, 2010
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母は父の遺影を食卓においたり、自分の寝室においたりしている当初は遺影の裏を開けていてひっくり返してごったがえした部屋の中に置きっぱなしにしていたので何かを探しておいたのかと思っていた母に聞いても、「何か探しとったんじゃと思う」と言っていたしでも、それは違った母は父が息を引き取ってから、葬式までの間何度も父の遺体に向かって「私を置いていかんとって―」「なんで、先に死んでしまうん。順番が違うが(大泣)」 (母のほうが1つ年上です)とすがっていたそうかと思ったら「ようがんばったよな。もういいよな。 いいところ行こうな」 (天国に行ってと言う意味です)と優しく父をなでたりしていた母は父が亡くなったことは理解していて一度も忘れたことはないのに父が亡くなった時のことを全く思いだせない何の話から父の話になったのか今日の母は少し疲れて寂しげに「お父さんが亡くなった時のことを思い出そうとしても、なんぼ考えても思いだせんのよ。私は何をしとったんじゃろか。」と言う母の頭の中は2年まえに父が首の骨を骨折して大変な手術を受けたことと、父の死が直結している首の骨を骨折したことで命を失ったと思っている認知症は、自分の覚えている事実を勝手につなぎ合わせるので全然話が違うものになってくる実際は、自宅で心肺停止、呼吸停止状態の父を母が見ておおごとだと叔父を呼んで救急車を呼んでもらい救急車の中で人工呼吸や心臓マッサージなどで息を吹き返したずっと意識不明の状態ではあったけど人工心肺に変えて、輸血をしたり透析をしたりを加えたたくさんの延命治療をして1日生きながらえたその間もずっと母は父に付添って私たちが寝るように仕向けても、全く寝なかっただれよりも長い時間、父の最期を父と一緒に過ごしていたのに何一つ覚えていないそれは、母にとってあまりにつらいことのようで「代れるものなら私が代ってあげたかった」とか「私は、奥さん失格じゃ」とか「もっとなんかしてあげれたんじゃねぇんじゃろうか なんもしてあげれんかった」など自分を責めることばかり言う「お母さんは、お父さんが生きるか死ぬかの時だったんだから、 パニックになったんだと思うよ 辛いことだから忘れたいのかもしれんね でもね、私はずっとそばにおって お母さんがお父さんに話したこと聞いてたし ずっとさすってあげてたのも見てたよ お母さんがずっとついてたおかげで お父さん、穏やかな顔して逝ったよ それにな、お父さん意識はなかったけど 最後には涙流しとったんョ 看護婦さんは分泌物といってたけど。。。」 と言ったら 母は、安心したように「お父さんの魂はわかっとるけん 涙流しとったんじゃ 私はついてあげとったんじゃな よかった 」と言う父が亡くなった時の話は何度も繰り返される話だけどその度に母は「お父さんはな、怖かったけど本当に優しい人でな、大好きじゃったんじゃお父さんと一緒になって、良かった」と付け足す父は無口な人で、母と一緒にいても一日中言葉を交わさない日もあったぐらいなので、なんだか冷めた夫婦だなと思っていたこともあったそれほど母が父を愛していたことを父が死んでから知り、子供である私はなんだかすごく嬉しい思いがした話は戻って遺影があちこちに移動するのは、大好きな父と一緒にいたい母の行動なのかもしれないなと思う
October 25, 2010
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母が認知症になってからではあるけれどお嫁ちゃんも弟も私も、毎日の生活は母中心になっている弟は特に仕事を押すこともあるけど、暗くなることもなく毎日笑って、どうやって母が気分良くできるだろうかとか母の体の具合を管理することなど相談できるのはお嫁ちゃんの存在があるおかげ母に「いい嫁さんに来てもらえてよかったね」と言ったらすごく感謝していると言っていたこれを何度か言っているうちに、母の頭の中ではお嫁ちゃんに感謝を告げたいと思うようになったのだろうそんな母とお嫁ちゃんとの会話 母 「いつもありがとうね こんなばばあに、そんな気を使わんでええんよ」 お嫁ちゃん 「そんな気ぃつこてないよ お母さんと話しとって、ストレス解消しとんじゃ」 母 「そうなんか いつもな、感謝でいっぱいじゃから (お嫁ちゃんの家)のほうに向いて、手を合わせとんじゃ」 「じゃけどな、なんぼ手を合わせても届かんのんじゃ」 (お嫁ちゃんの家は車で5分ほどのところです) お嫁ちゃん「届いとる、届いとる(大笑)」 母 「いや、届いてねぇ」 (^0^;)感謝が見えるわけでもなし 気持ちが届いているかな?と聞くのじゃなく 届かないといいきる母かなり笑えるんですけど、伝えきれないほど感謝でいっぱいなのでしょね
October 24, 2010
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今朝の母はご機嫌チョイ斜めお嫁ちゃんにも同じようだったみたいけど、お嫁ちゃんの顔をみたらご機嫌まっすぐ伸びまくりそんな母とお嫁ちゃんの今日の会話 母 「洗いもんやこ置いといて、こっち来て 一緒にジュースでも飲んで話しょうな」 (お嫁ちゃん、母の食べ散らかした後片づけをしています) お嫁ちゃん 「わかったわ~」 母 「あんたに買って来てもらったジュースじゃけどな(笑)」 といいつつ、ワイングラスに注ぎます お嫁ちゃん 「お母さん、こんなんで飲んだら、上品じゃし、 セレブな気分じゃわ~♪」 これを少ないと言っていると勘違いしたのか 大きなグラスに注ぎ移したそう 母 「あんたにはなぁ、何でもあげたいんじゃ」 お嫁ちゃん 「あ、ありがとう(汗)」 母 「私ら、嫁姑と言う感じじゃないなぁ♪」 お嫁ちゃん 「ほんまじゃな。友達?」 母 「きゃはははは~ヾ(@^▽^@)ノ」 お嫁ちゃんのこと、そーとー気に入っているようです(^^ おかげで、下剤が増えた分5錠になった薬も すんなり飲んでくれました(^^)ノ
October 23, 2010
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母が認知症になってから認知症に関することばかりに意識が向くようになりましたカフェでお茶をしていると隣から聞こえてくる会話が認知症の家族の介護の話親戚にも実は認知症で困っていた人がいたとか気付けばチラシや雑誌、ネットも認知症に関することに集中認知症の初期と思われる知り合いがいます私自信がそうだったように、その家族はどのように対応していいのかとても不安そうでした今だからこそ、こうやってブログに書いたりもできるけど母が認知症ではないかとうたがいはじめてから本当の意味で受け容れることができるまで分からないことだらけで何も手につかなかったこともあります初期であれば薬を飲めば治ると聞いたことがあり薬をどうやって飲ませようかその前にどうやって病院に行かせようかいやいやその前に、認知症の疑いがあることを告げていいのかなどなど、調べても答えが出ず一人で悶々と考えるしまつ 例えば私ならもし認知症なら早くに教えてほしいし 癌になったとしても教えてほしい でも、それは本当にその時になってみないと そう思えるのかどうかは自分でもわからない母は、父から最近ぼけてきたなと言われて、何度も激怒してたので告知が母にとって望ましいのかが分かりかねることでした癌の告知の問題はよく聞きます告知することで奮起して克服する人もいれば生きる希望を失う人もいる告知そのものだけが問題ではなく告知の仕方にもよったり、後のケアにもよるのでしょう告知もその後の治療も 思いやる気持ち が存在してはじめて答えが出るように思います私たちの場合は、ぐずぐずと告知のことを考える期間が長すぎてそのうち父が亡くなったこと、その際の様々な事象で母の症状が急激に進んでしまいましたもしかしたら早ければ母自身が受け入れることができたのかもしれませんが、症状が進んだ母には認知症を告げて治療をするよりも家族が全員で受け容れてあげるほうがはるかに穏やかで気分よく過ごせるようなので、認知症であることやその症状になると私たち自身がぼけたふりなどをして意識をそらすことに決めました家族はとても大きな存在だと思います今私たちはとっても沢山の役目をいただいてたくさんの勉強をさせていただきながら幸せを感じています先日、ネットショップ仲間であるカーミンさんのHPを拝見して感動しすごく刺激を受けました癌克服した神河照美さんのHP彼女は30年まえに余命3ヶ月と宣告され手術もしない、抗癌剤等の薬も飲まずに癌を克服されましたカーミンさんにとっても、家族の存在はとても大きなものだったみたいです分からないことだらけの私たちではありますが母にとって最高の余生が過ごせるように、私たちといてよかったと思えるようにしていきたいなと思います
October 23, 2010
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母は、とっても愛嬌のある顔で笑うしわくちゃだらけど満面の笑みはこっちまで幸せな気分にさせる身長150センチで細くなってしまったちいちゃな母が何か一生懸命にしていたりすると抱きしめたくなるヘンかな?と、思っていたらお嫁ちゃんも同じようなことを言ってたお嫁ちゃんから来たメール「初めてのことで分からんことだらけだけど、できることは するつもり。これから先オシメをするようになっても。 お母さん、笑顔かわいいしね。 安心して仕事ができるように頑張るし 皆のさみしい顔みたくないから お母さんの負担にならない様に、ゆっくり」母は重度の認知症であっても大切な人に迷惑をかけたくない、心配かけたくないとがんばってますお嫁ちゃんは、お嫁ちゃん自身が毎日病院通いが必要な程体が弱いのに、自分の手足が動く限りは精一杯のことをしてあげたいとがんばってくれてます弟は誰に何を言われようとも母が安心できるように母のやってしまったことのクレーム処理やいろいろな手続きをがんばってますみんな共通なのは、愚痴がないこと愚痴りたいことを我慢しているのではなくて愚痴ることがないお嫁ちゃんと弟、私の3人はとにかく母が少しでも気持ちよく過ごしていられるようにすることもしかして、この先病院に入らないといけないかもしれないそうならないように1分でも1秒でも笑える時間を多くしてあげたいそれだけしかないので、他が気になりません弟と私だけだったら、きっと困り果ててただろうこともお嫁ちゃんの存在のおかげで、光があります認知症の母がいると言うとみんな心配してくれたり同情してくれます今だから言えることだけど、認知症は確かに大変だけどどんな病気でも元気であっても、なんら変わりはないのだと思います病気を不幸だと思ってしまうと光は全く見えなくなります病気になったことで、失うものはいっぱいあるけれどその分得たものもいっぱいありますそれに気づかないと、感謝できないと、それさえも失いかねません元気であっても、元気であることが当たり前でなにも気づけないと、大切なモノを失うかもしれませんこんな風に思えたのは、素敵な家族に恵まれたからだと思います
October 22, 2010
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今回家の中は、想像していたほどは荒れていませんでした毎日ヒートしまくって、手当たり次第に電話をかけ続け悪態をついていたときは、家の中が常にぐちゃぐちゃの状態それが、薬も効いてきて、笑う時間も増えてきて口調や行動も穏やかになると、部屋もおだやか部屋の汚れは心の汚れと言うのは、認知症の母も同じようです良い傾向、、、とは思うものの、認知症がよくなったわけではなくモノ忘れが激しく、多分症状は進行しています昨日は朝から夕方近くまで、ずっと一緒に草むしりをしたりご飯を食べたりで夕方母が出かける時まで、離れる時なく一緒に過ごしていましたなのに、、、夕方から母は近所に掃除のお手伝いに行っているのですが出かけて1時間ほどしてそのお手伝いの場所から家に明かりがついているのを見つけて飛んで帰ってきました「あんたが帰ってきてると思わんかったから、泥棒が入ったのかと思った」と言って・・・(^^;私が帰省していたことをすっかり忘れてます今までの母とのやりとりの経験上、「さっきまで一緒にいた」などと本当のことを言って忘れたことを思い出させようとするのは反って混乱させたり不安にさせてしまうので母の言葉を受け入れてあげます「あぁ、ごめんごめん~、びっくりさせたなぁ~ 今、お母さんの部屋掃除しとったんよ」とこれでホッと安心顔で、掃除のお手伝いに戻りました こっちもホッと安心(^^ずっとこの繰り返しなので、すっかり受け入れていると思ってましたが母にとって否定に聞こえてしまうことを言ってしまったようですそういう時、母は決まってお金のことを口にします言葉はなかなか難しい認知症になった母には、後で謝ればいいと言った甘えは厳禁なので一語一語が大切です言葉の一期一会ひとまず、ヒート前にいったん話をはぐらかしたらすっかり忘れて普通に戻っていたけど嫌な気持ちになると感情だけは蓄積されてしまうのでやっぱり、大切にことばを使っていきたいなと思います
October 21, 2010
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認知症と言う病気は本当にいろんな機能がおかしくなる脳って、こんなに影響を及ぼすんだ と、いまさらながらに思います 暑くもなく寒くもない、この穏やかな季節でも、もう半そでを着ている人は見ないのだけど母は未だに半袖に短パン、靴下なし ちなみに母は、すんごい冷え性なので 以前ならもう靴下を履いていたはずです ゆ 「そろそろ長袖にしたら? 寒いやろ?」 母 「まだ、暑いよ」 ゆ 「そやけど、私の周りにも お母さんの周りにも半袖着てる人、もういないよ」 母 「いや、私のは半袖よりも短けぇヾ(▽⌒*)キャハハハ」 ゆ 「・・・(ノ_-;) それ、ノースリーブじゃ・・・ 風邪引くよ」 母 「ありゃ、私寒がりなのになぁ 燃えとんじゃ(大笑)」 まだ微妙な気温なので良いのですけど、この感覚の 鈍りようは、周りが気をつけておかないとやばそうです に、しても、最近は地雷さえ踏まなければ なにを話てもけらけらけらけら笑ってます ま、いっかぁw ちなみに、耳だけはものすごく感度がよくって ひそひそ話をしようものなら、 『また、私を病人扱いしよんじゃろー』といって疑います(^^;
October 18, 2010
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庭に来ていたミツバチちゃん足にいっぱい花粉をためて、ブンブン飛び回って青ジソの花の蜜を集めていました足の花粉が、なんだか可愛い(^^かなり接近しても全然大丈夫蜜に夢中みたいです♪この写真は1週間ほど前今はすっかり実(種?)になり、早速収穫夏場は葉っぱが大活躍秋には実が良い香りの佃煮にん~自然の恵みはありがたいです♪
October 17, 2010
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今日もご機嫌な母は左右違うものではあるものの、珍しくピアスをしていました 母「ピアスをつけて遊んでた♪」 お嫁ちゃん「お母さん、お洒落じゃな」 母「そうよ~、私はおシャレなんよ♪」 奥から何やら取り出してきて 「これ見てみて、お父さんに内緒で買った黒真珠 私もまだまだ生きとる限りはつけるけど、 あんたにあげるわな(^▽^)」 最近の母は、ますます子供化してるみたいです これが薬のせいなのか認知症が進んでいるのかわからないのですけど 子供のようにだだをこね、いうこと聞かないし理解ができない 嬉しいことがあれば子供のように喜ぶ 感情がストレートで分かりやすいです(ははは。。。私やお嫁ちゃんは、子供のようになった母を見て腹も立つこともなければ哀しくなることもないのだけど弟はどうも違うみたいお嫁ちゃん曰く「男にとって母親は特別な存在」だとそうなんかぁそう言えば、うちのお客さまも旦那さんのお母さんが母と同じ様な攻撃型の認知症で、ずっと介護をしていたけど旦那さんはなかなか自分の母親が認知症だということが受け入れられなかったみたいです時間がかかっても受け入れるしかないよね認知症を嫌っていた母自身が認知症になってしまったけど今の母は、なんだか重い鎧が取れたようなはじけっぷりです小さいころ、中子でちょっぴし卑屈に育ったみたいで今やっと子供のころにできなかった甘えができてるのかもしれません神様が与えてくれた病気なのかな
October 17, 2010
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ひさびさ、地雷を踏んじゃいました今朝の母は、電話に出た瞬間は普通でしたが電話を受話のみにしている理由を何度も聞いてきて、うまく話をはぐらかせれないでいるとだんだんお怒りモードになってきました銀行役所関係に電話を掛けまくる(ストーカー並みに…)、親戚に何度も電話をかける、深夜早朝など時構わず電話をかけて迷惑をかけるなど、制御できない状態だったので受話のみにしたのですがそれは母にとって信じがたい自分の行動なので言うべきではないのに、うそも方便というか他の理由が見つからず、ちらっと言っちゃいました 母「もうええわっ(怒)」ガチャン ゆ (T_T)あああああああ゛電話を切った後、お嫁ちゃんのところにも怒って電話をかけていたみたいです電話では、勝手に怒るだけ怒って切っちゃうためフォローのしようがなく、お嫁ちゃんも私も治まるのを待つしかありませんが、薬を飲ませるのに影響が出るためお嫁ちゃんと作戦会議たまたま甥がいたので「ばあちゃん、元気?久しぶり!」と様子伺いすることにお嫁ちゃん、ドキドキしながら行ったところ今朝のヒートは何やったんやろ???というぐらい普通ニコニコ談笑してて、ご機嫌だったそうですでも、甥の彼女を途中から姪と間違えてたみたい(^^;ころころ変わるのは、子供と同じですねただ、放っておくわけにもいかないそう鬱のように気分の上がり下がりが激しいので、病気の進行が早くなる可能性がありますヒートする原因(大概はお金に関すること)を取り除いてあげてちょっとだけ頼ってみるのが、母には一番よさそうです母は年寄り扱いや病気扱いは、大嫌い元気だけが取り柄と自分でも言っているくらいなので病院通いは不機嫌になり難しいですが、母を頼る話題を入れるとご機嫌がよくなりますお嫁ちゃんが、母の気を紛らわす時に話すネタの一つがひ孫の話母にはひ孫がいます60代で(実際は70才ですけど69と思っている)ひ孫がいるのは自慢みたいです(^^二人目のひ孫が姪のおなかの中にいて、「お母さん、5年後にひ孫にランドセルこうっちゃってな その1年後も、もう一人おるけんね」とお嫁ちゃんがいうと嬉しそうに「(@@)ふ、二人な。わかった、こうちゃる!」と言ってたそうです(^▽^)母には、いつまでも元気でいてもらいたいです
October 16, 2010
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母の様子報告をそれぞれするために弟のお嫁ちゃんと毎日電話をしていますはたから聞けば、けらけら笑いあっている私たちの会話はとても認知症の母のことについて話してるようには見えないかもですただの井戸端会議並みのやっちもなさ(^^;母がご飯を食べるときに 「しいたけ入りのアラ!がいる」と何度も言うのでお嫁ちゃんが探し回ってやっとみつけそのついでに流行りの 食べるラー油を買ったそうですが、すっかり母が甘党だということがトンでます母に 「おかあさん、これ流行りじゃから 食べてみる? 」といって、ちょっと差し出したら すぐに母はなめたそうです がっ、、、 口に入れた瞬間 ひっひっはっはっ と 言葉にならない奇声を発し 吐き出したそうです笑うとこじゃないけど、それを聞いた私は爆笑お嫁ちゃん曰く「犬みたいになっちょった」と。あははついでに母も笑ってたそうです今朝がた、電話した時の母は開口一番に「私は、頭からいっとる」と言ってましたゆ「お母さんがいっとるのは、歯やろ?(笑)」母「歯もいっとるけど、頭もいっとる(笑)」 ぼけを笑い飛ばせるぐらいに落ち着いてます ちょっとしたことが、怒りに変わっちゃうのですけど 今日は突然往診に来た先生にも 「ありゃりゃ、私のパニックはそれほどひどいんかな」と 言って、先生を拒否しなかったらしいのです (母は病院嫌い、医師嫌い、ついでに薬も嫌いで いきなり往診などきたら今までなら激怒してたと思います)くだらない話でも母と話す私たちが笑える状態でいれるのは、母にとってもいいのかも!と思う毎日です
October 15, 2010
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資料を調べたり医師やヘルパーさん介護経験者の話を聞いて、認知症と言う病気を理解していたつもりでも実際に家族にかかると、なかなか理解していた通りにはならないものですどんなことでも、マニュアル通りにはいかないってことと同じですね何故理解してた通りにならないかお嫁ちゃんの対応を見てて、気付きました叔父もいろいろと世話をしてくれてたのですが母にとっては、ものすごくうとい存在になっていてその反対にお嫁ちゃんは、家でも何でもプレゼントしたいぐらい大好きな人になっていますそれは、母の気持ちを考えているかどうか認知症の症状があると今何時かな?と聞かれ答えた1分後にまた時間を聞かれる直前のことを全く覚えていないので、会話が成り立ちませんそれを理解して受け入れてあげないとかなりイライラするみたいで、分からせようとするために「今話したよ」とか、嫌味を言ったりします母は直前のことを忘れていても、嫌味は感じるし「今話したよ」と言われれば、忘れていることに対して情けなさを感じるのです病気は感情まで奪っていないそれどころか複雑な思考をできなくしているので直球の感情が生まれるので、喜怒哀楽が激しくなりますだから、上からモノを言ったり、いい聞かせようとする相手にはすごく嫌悪します叔父はホームに入れたほうがいいと弟夫婦い何度もいいました叔父なりに私たちを心配してくれての言葉だと思いますが、ホームに入れればそれで問題が解決するわけではありません金銭的な問題もありましたが、その問題が解決しても母をホームに入れたときの母の気持ちを考えるとぞっとしてしまいますお嫁ちゃんは、母が動けなくなっても自分の手足が動く限りは、家で面倒を見てあげたいと言ってくれていますそういった母に対しての思いの違いが言葉や行動になってあらわれるのでしょう
October 15, 2010
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ツイッターで認知症の家族を持つ人たちの会話を見つけました介護をしていると自分も認知症なのでは?と思ってしまうと。。。私、介護をしているわけではありませんが月に数回1日中を一緒に過ごす&毎日の電話でそーとー、そんな感覚を味わってますそんなある日の出来事 大掃除をしていると台所でがさごそ何やらしていた母が 私を呼びます 母 「大変なことをしてしもうた」 ゆ 「どしたん?」 母 「入れ歯をなくしてしもうた」 ゆ ・・・ 食事時にはずしたみたいなのですが、あちこち一緒に探しても見当たりません つい2,3時間前も、入歯探し当てたばっかりやのに。。。(>0
October 14, 2010
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母の認知症は父が生きていたころ少しづつ悪くはなっていても今ほど目茶苦茶な状態ではありませんでした母は叔父の所に掃除の仕事に行かせてもらっていましたしたまに同じことを言ったりするぐらいだと思ってました「父のために尽くす」というのが母の人生の信条だったので父の面倒を見ることが母の認知症の進行を遅くし又、父も今までは生活全般を母にどっぷり甘えていたので母のことを見れば動かなかったものも動かそうと言う気になるのじゃないかと、勝手な想像で期待していましたその間に2年ぐらいかけて私は実家近くでの仕事も考えて今後のことも考えていくからと父に話していましたでも実際は、父の体はそれをできるほども私を待つほども余力は残っておらず、たくさんの病気を抱えていたのに最後はそのかかった病気とは関係ない心不全で亡くなってしまいました息を引き取ってからのあわただしさは大変でしたずっと連絡を取り合っていなかった私たち兄弟で葬式から事後処理などもしていかなければならないのですが、私は父が亡くなったことと認知症の症状でボロボロになった母とずっと一緒にいたために、全てほとんどのことを弟が仕切り、私は母の様子をみながら、ほんの少しだけ手伝うと言った感じでしたそれは、お葬式が終わっても延々続きます私は仕事があるので関西に戻りましたが弟は仕事を休んで事後処理にずっとかかっていましたせめて私ができることをやろうと思い仕事の調節をして休みをとって毎週実家に帰りぐちゃぐちゃになった家の中を徹底的に掃除していました(掃除しても次の週に戻った時にはまたもと通りです。。。)もちろん、その間もお嫁ちゃんはいろんな交渉事をしてくれたり母の面倒を見てくれたりしていますこういったことで、私たち3人は今までほとんど連絡を取ったことがないのに(皆電話嫌い?みたい)今は毎日連絡をとっています(多い時には何度も、何時間も)父がなくなったことも母が病気になったことも決して嬉しいことではありませんが今こうやって母の面倒を3人で見れることはとてもありがたいしほとんど話したことのなかったお嫁ちゃんともたくさんの話ができて本当に良かったと思うのです母も素敵なお嫁ちゃんに巡り合えて、喜んでますそれと、父は延命治療のため顔はパンパンに張れてたけどとっても穏やかな顔で旅立ってゆきました後悔も反省もいっぱいありますでも過ぎたことを言っても仕方ない父は亡くなる4日前に訪れた親戚に母のことだけが気になるようなことを言っていたそうですその時にはもう死を悟っているかのようだったと言います父が今生に思い残すことが母のことならば今再び結び付けてくれた家族の縁を大切にして母の笑顔を守っていきます今があることに感謝そして助けてくれた人声をかけてくれた人関わってくれた人たちに、とっても感謝です
October 12, 2010
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認知症になった母のお金への執着はとっても激しいもので攻撃型の症状を抑える薬を飲むまでは、説明してその場は何とか理解しても次の瞬間には爆発していました最初のころ、認知症という病気の もの忘れ というボケ症状ばかりに気を取られて 理解力が弱くなる 認知ができない という重大なことを考えていませんでした 理解力が弱くなったり認知ができないと 今起こっていることさえ分らず しかも以前のことも ところどころ忘れているので そーとー、不安になったのだと思います しかも妄想もあったりして 周りのことが全て信じられなくなって それが「お金」のような確かに見えるものへの 執着となったのじゃないかと思います今、母は症状は少しづつ進行していると思いますが信じられるものができて、執着がかなり和らいでますお嫁ちゃんに全幅の信頼を寄せていてお金のことを話すのもきっとお嫁ちゃんにあげたいからなのでしょう今日の電話で、いきなり脈絡もなく「お嫁ちゃんが、本まようしてくれるんじゃ やさしっくてなぁ、いい子じゃ」と言ってましたそんな今日のお嫁ちゃんと母の会話です 冷蔵庫の前で食糧チェックをしながら 母 「私はなぁ、砂糖がなくなるとパニックになるんじゃ(笑)」 「砂糖がいっぱいあるから、これも持って帰り~」 お嫁ちゃん 「あ、ありがとう(汗)」 お嫁ちゃん 「ほんま、大きい冷蔵庫じゃな~」 母 「大きいじゃろ 私ゃいらんけん、あんたもって帰り」 お嫁ちゃん 「お母さん、そりゃ大きすぎるわ(笑)」 母 一緒に大笑い 「あんたには、何でもあげたいんじゃ 家でもなんでも持って帰れるもん、持って帰り」 お嫁ちゃん 大笑いもう、料理もできなくなった母がきっと喜んでもらいたいためにゼリーを作ってたみたいですが今日お嫁ちゃんが見たら、全部なくなってたらしいです どこに持って行ったんじゃろ??
October 11, 2010
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お嫁ちゃんからの電話今日はすでにお嫁ちゃんと合計2時間ほどもしゃべったし、何やろこんな遅い時間に電話があると、もしかして母に何かあったんじゃ?とふとよぎりますが、違ってました(ホッ)母の様子報告&私に寝る前に笑わしてくれようとしての電話でした(^0^)そんなお嫁ちゃんと母の今日の会話 母 「私はもう棺桶いきじゃ」 お嫁ちゃん「お母さん、まだまだ方足もはいっとりゃせんわ」 母 「いや、私ゃ歯からはいっとる」(母は入歯です(^^;;) お嫁ちゃん ヾ(T∇T)ノ彡「お母さん、そりゃおかしすぎる」 母 _(⌒▽⌒)ノ彡 「最近、あんたと話しとってストレス解消できるわ、はは~」 お嫁ちゃん「そうじゃな、ぼけが2人で話しょうりゃええわな。 私もお母さんと話しとって、ストレス解消じゃわ」 お嫁ちゃんは、母と同じ様にものわすれした(ふりの時もあり)りで 母と一緒になって、「ぼけた!」と笑っています で、今日は久々に台所を片づけてたそうです よっぽど気分が良かったんだろうなぁ重度の認知症というと、大変そうに見えて本当に八方ふさがりのこともあったりしますけど、笑うことだけは絶対忘れちゃいけないデスネ
October 10, 2010
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モノを出す ↓ だしっぱなしか、どこか別のところに置く ↓ 別のことが気になる ↓ 気になったものを探す ↓ 探し出すために、前の探していた出したものの上に 積み重ねていく この探し出す行為が、 ゴミ出しのために置いておいたゴミ袋にまで及ぶので、 部屋の中は多分泥棒が入った?よりもひどい なので、掃除をする人が必要なのですが あまり人に触らせないので、大掃除は私の役目 そして私が帰るまでの間は、トンデモないことになっています(@@ そんな状況の中で 一昨日のお嫁ちゃんと母の会話 母 「お金はどうなっとるンかな?通帳もカードもない まぁ、食べ物もあんたが用意してくれるからええけどな」 (わりと穏やかな口調です) 嫁ちゃん「お母さん、通帳はここにあるんよ」 母 「それがないんじゃ」 嫁ちゃん「又、一緒に捜そうか?」 母 「もう探す気もねぇ。これは、宝探しじゃ 見つけたらあんたにあげるけん、 探してって持って言って(大笑)」 嫁ちゃん 大笑 お金への執着は多少は残っているものの 毎度お金の話をしても、最後には笑い話に持っていく これはお嫁ちゃんの優しさのたまものです 私にはお嫁ちゃんが天使のように見えます きっと母もそう感じていることだと思います
October 10, 2010
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症状が激しかった少し前まで 「通帳も印鑑もない、カードもない、 お金なんか1円もない! こんなんじゃ、生きていかれん 死んだほうがましじゃ 全部返せ 」とかなりヒートしてました 父の死と同時にお金に関する一切合財を取り上げられて 自分で管理もできないのなら、人の世話になるぐらいなら 死んでやる とまでいってました まだ、最初のころは 対応の仕方が分からず、本当の理由もわからず 一つ一つ丁寧に説明するしか方法が思いつかなかったのですが それはさらにヒートさせる原因になりました 1分後には同じ話をします その又1分後には全然違う話をします そして又1分後には同じ話に戻っています こんなことを何度も何度も繰り返しているうちに みえてくるものがありました 母の不安な気持ちをすこ~しだけ取り除くことができて 同時に薬も効いてきたからかもしれないのですが 最近、母は死ぬという言葉を使わなくなりました 今日の母は お嫁ちゃんも弟も私もみんなして心配してくれてと 感動して泣いてました で、「私はまだまだ死なんけん」と言って、笑ってました^^ 最近の口癖は 「私はしぶといけん、後20年は生きるからな。 80にもなったらぼけると思うけど、それまでは誰の世話にもならん(笑 ぼけたら、面倒みてな!」です(^0^)
October 9, 2010
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母の病気は重度ですでも、他人と話していると家族がびっくりするほど、しっかりしています今までのはなんやったんやろ???と思うぐらいにしっかりしています親戚のお兄ちゃんも様子を見てくると言って、母に会って話した後正常な人を病人扱いするとはどういうことだ!とおばに怒っていたぐらい、しっかりしていたそうですずーーっと、このままならよいのだけど母もまた他の認知症の方と同じ症状が出ていました・いまあったことが覚えられない・その為、同じことを何度も言う・何度も時間や日にちを聞く・モノをどこにでもおいて、忘れる→なくす・財布がない、バッグがないという・過去のことは思い出せるけど今日何をしていたか さっきまでのことを忘れている・疑い深くなる、被害妄想がある・感覚が鈍る・理解ができない・腐ったものでも食べる などなどいまあったことが覚えられない、直前の記憶がなくしかも過去の記憶もつぎはぎだらけなので自分の中で話をつなげてしまいますだから、まったく新しい話が出来上がっていたりしてしかも認知症と知らない他人がそれを聞くためにとんでもない誤解が出てきます(しっかり話しているのだから、それが違う話だなんて 思いもしないですもんね)こんな状態なので、いろいろと変えて行かねばなりませんでした母のお金の管理は弟に全て任せています父が亡くなる時まで母が全て管理をしていたのに(通帳や印鑑なくしたり、お金もなくしてて 全く管理できてなかったのですが、、、)通帳や印鑑だけでなく、そのうち現金も渡さないようになり今は全く何も持っていない状態ですもちろん、弟だけの判断ではなく叔父や私も含めて皆で相談して決めたことですこれが母にとっては、人に規制されて生きているという拷問を受けているような気分になるようで、猛烈に怒っていました毎日毎日、「私に死ねと言うんか、泥棒!」と弟や私だけでなく、お嫁ちゃんにも同じように暴言を吐いてました 攻撃型の認知症です この攻撃型は、ひどい人になると庖丁振り回したり するそうです そのうち近所やあちこちで弟の悪口をいい、挙句の果てが弟に殺されるといいまわっていました (これも、認知症の症状で 家族を悪く言ったりするそうです)母のために仕事も休んで、一番心配して一番動き回っていたのが弟です全てをかぶった弟は、ご近所さんにどう思われようと親戚からなんと言われようと、気にしないと言ってました私も人からなんと言われようと気にはなりませんがでも最愛の母から病気とは言えこんな風に言われたらきっと辛かったのではないかと思うのですそれでも母の面倒を見るのは、弟でありお嫁ちゃん私はそれを手助けするだけです父が亡くなった時に、母を引き取ることを考え母も住み慣れた所を離れる承諾してくれていましたもちろん、そんなことはすぐに忘れるでしょうから、何度も私と一緒に暮らすことを話していましたでも、母にはどうしても譲れないことがあったなにを捨てて何を選択するかは母も含め自分たちで決めるしかないことです(あ、お医者さんも)今の選択があっていたのかわかりませんが今は薬も効いてきて お嫁ちゃんの優しさに助けられ今母は毎日、笑っています(^^ この先、どうなるか分かりませんでも、母の病気と引き換えに、たくさんのモノを得ましたなので、母との歩みを残したくて日記に書きました
October 8, 2010
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「捨てる神もあれば拾う神もありますよね」 叔母にいろいろ状況説明と併せて 弟のお嫁ちゃんがとてもよくやってくれてることなど 話した時に、いわれた言葉 あぁ、そう言えば 毎度帰るたびに実家の大掃除をしているけど 大量に 捨てる紙 があり、そうかと思えば ゴミためのような中から 拾った 大切な 紙 があったなと おバカなことを考える 叔母はとても切なそうな顔で心配しながらも何かできないかと 話してくれてたのに、私ってば(; ̄ー ̄A でも、私達は何等捨てられたわけではないと思うのです 思いを断ち切らせてくれたり 今に向き合うために必要な状況にしてくれたのが 捨てさせてくれた神様 一般的には悪者になってる有難い影の功労者 そんな風に思うと、 これも人生 と がんばれるのです(^-^)
October 7, 2010
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母のご機嫌ポイントは 電話の時と一緒にいる時とでは違う一緒にいるときは私は大概家じゅうの大掃除をしていてそれをだまって見ていられない母が手伝ってくれる何かしようとして、あれやこれや作業をしだすが全部やりっぱなしなので、しっちゃかめっちゃかになるなので、簡単な作業をお願いする1つだけお願いしてはまた次をお願いする父の思い出話をしながら、1日中大掃除これが母のご機嫌ポイントのきっかけ母の場合は、誰かの世話になることが嫌で何か役に立ちたいと思っているところが自分では思うように片づけられず散らかった部屋が汚いという判断もできなくなっていると言ってもきれいになった部屋を見て「わぁ、きれいになったね~」と認識はできる続けて「帰ってきても忙しい思いさせて、ごめんね」と言うだから、一緒に掃除をしながら誘導して母がやった事実を作っておく実際、母はとても働きものなので、1つだけのことならちゃんと理解してとことんできるそして、「そんなことないよ、ほとんどお母さんが掃除してたし 水場はここに帰った時の私の持ち場だから」「それにね、お父さんが建てた家を護ってくれててありがとうね!」と 母に言うそうすると、満面の笑みで「ありがとう」と返してくれる毎回同じ繰り返しではあるけど笑顔の時間が増えるのはいいなきれいになった部屋は、1週間もたてば元のごみためのようになるけどね(^^;
October 7, 2010
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昨日の弟嫁ちゃんと母の会話 嫁ちゃん「おかあさん、なに食べる? 煮物食べれる?」 母 「・・・、食べれる」(母は煮物が苦手) 嫁ちゃん「巻きずしは?」 母 「もう、そんな気を使わんでええんじゃ ・・・大好きじゃ」 お嫁ちゃんには、もう気を使わなくなったみたいです(^^)先程の私と母の会話 母 「今、あんたが作ってくれたのをかじっとたよ」 (ポタージュを冷たくても飲めるようにして 冷凍してるのをそのまま食べてるようです (^^;) ゆ 「もうそろそろ寒いから、あっためて飲んだら?」 母 「凍ってるほうがおいしいよ。 もう黄色いのもブロッコリーも人参のもほとんど食べたよ」 ゆ 「それスープやねんけどね」こうして、毎回同じ話が続きます機嫌良い時の会話は、ほんと平和だわ
October 6, 2010
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今日は担当の医師と今後の相談の日 私は西宮でその報告を待つしかない弟夫婦がずっと母の面倒を見てくれていて全ての事務処理も医師との相談もしてくれている私は毎日電話をしたり、月に数回帰るだけ長い長い間ほんと~に長い間、弟とは音信不通だったのに父のこと母のことがあってから毎日、多い時には日に数回連絡を取り合っているこんなに頼りになる弟だったんだそして、私は。。。弟のお嫁ちゃんも、優しくて面倒見のよい素敵な人自分も病気を抱えながら母の毎日の食事の世話と薬の管理をしてくれている大変なはずなのに一度も愚痴を言ったことがないそう言えば、父も母も弟も愚痴らしきものを話しているのを聞いたことがなかったな叔母が「お父さん亡くなって、お母さんまで病気になって普通だったら、なんでこんなに自分ばっかりって考えそうだけど皆全然悲愴感ないね」と言っていた私も弟も、こんな歳にになるまで大した親孝行もせず自由きままに生きてきたから今は何かできることがあるから喜びがある穏やかな状態はほんの少ししかなくても今があることが嬉しい健康だけが自慢で病院大っきらいの母にとって地獄になるであろう入院は薬の調節で様子を見ることになって先送りひとまず安心か、、、ん~ 母にとってどんな治療が一番いいのかが一番難しい
October 5, 2010
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興奮させたり怒らせたりするのは厳禁な病気 病気ではなくても どんな人にも厳禁なことだとは思いますけどね これが、ものすごく難しい(><) 普通にうなずいても、丁寧に伝えても、真剣に聞いても ある瞬間にぶちきれる 病気とは言え、プライドはある つぎはぎの記憶のせいで、母の「自信」がくずれる 思うように事が進まないのがもどかしく 以前よりも疑い深くなってる 最近は、地雷が分かるようになった それとあわせて、母の大切に思っていたことも見えてくる 父と母は会話のない夫婦だったけど、 少なくとも母にとっては、父はずっと「大好きな人」だったみたい 今日は父の2回目の月命日 父が旅立ってから初めて聞いた、嬉しい言葉 病気がなかったら、こんなにたくさん向き合って こんなに真剣に母の話を聞くこともなかったろうな 神様と父がくれた大切な機会 ありがとう
October 5, 2010
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1分後には、まったく違う母がいるでも、今日の母はとっても穏やかだったいつもの面倒見の良い気ぃ使いの優しい母に戻ってるもうとっくに子どもたちの世話になっているぐらいの歳なのに私はまだ働けるし、まだ厄介になる気はないと毎度のごとく言うそんな母が「ごめんな 今パニックになってるから何にもできんけど でもすぐによくなるからね」と話すこの母は、どれだけ頑張ってきたんだろうかこんな記憶もつぎはぎだらけの状態でもまだがんばることを考えている 穏やかな日の母はいつも最後に「ありがとう」とつけ加える 私こそ、ありがとうだよ 治る病気ではないけど、 少しでも穏やかな気持ちでいれる時間が増えるといいな
October 3, 2010
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後悔しない様に なぁんて考えてても 100%満足なんてできないんだよね そんなこと考える前に 今することに集中したほうが良い結果 いまさらながら実感 ありがと...パパリン 合掌
August 21, 2010
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去っていくことが分かって残すことは苦しかったに違いない残ったものはたくさんの思いとあふれんばかりの愛が形を変えたものちゃ~んと受け取るからね!
August 13, 2010
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済南市の馬さん 御歳102子供が9人うち7人は大学卒業そして、このほどめでたく小学1年生になったそうです最近、過去にないぐらいおべんきょしてますが(といってもCD聞き流しがほとんどだけど)物覚えの悪いことったら。。。なぁんて思ってましたけどものすごく勇気がわいてくるニュースですhttp://bit.ly/9eRutL最初の授業での馬さんの言葉が 「先生、皆ありがとう! 一生懸命勉強して、国に貢献したいです」ただただ、頭が下がるばかりもうすでに、それだけでたくさんの勇気を多くの人に与え、多くの貢献をしていると思います私も、馬さんのようにとはいいませんけど誰かの勇気の糧になれればと思いがんばりまっすで、関係ないですけど自然からエネルギーいただきました近くの岩に群生してたヨモギの新芽で草もち風?くずもち風?(片栗粉だけど)にしてみました。黄粉には、スキンミルクを入れて少ないたんぱく補給を(気休め。。。)わらび餅っぽい感じで、美味です♪おためしあれ~
May 1, 2010
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久々にゆったりとした時間Webショップは休みではあるけどそーとー仕事がたまってる ・・・たまった仕事は、明日にしよう こんな日もあるさっってことで、ささっと午前中に急ぎの仕事を済ませ銀行行った帰りにゆっくりと計画を練ろうと、駅前のパン屋さんのカフェにノートを広げ書いては、飲んでそうしていると母ぐらいの年の女性がお隣に足を置くところのない背の高い変わった椅子にどうやって腰掛けていいのかわからずつぶやいている「変わってて分かりにくいですよね?」と声をかけたら照れくさそうに「あなたが楽そうに座っているのに私は太っているからか足が足りないの。。。」とで、会話が終わったと思ってたらしばらくして私の顔を覗き込んで「学生さん? 」・・・あまりにありえな過ぎて、大笑いしてしまった視力が弱くなるというのは、もしかしていいもんだ(笑レーシックを考えていたけど見たくないものが見えなくなるのは案外いいものです閑話休題その女性と話しているうちに、なんだか息子さんとお嫁さんのことの相談になり???私相談に乗れるような生き方してないんですけどね。。。ま、でもだれにも打ち明けれなかったとか話す相手がいないとかだと思うので1時間ぐらいずっと話を聞いていました息子さんの年は、私より1つ上お医者さんで、研究肌の方で最近結婚したばかりのお嫁さんとの時間をとれていないのか、お嫁さんが悩んでいると母ぐらいの年の女性からそんな話を聞ききっと私の母も私のことを心配しているんだろうなぁなぁんて思ったり。逆に私も娘としてかなり心配ではあるんだけど親にとってはいつまでも子は子なんでしょうお嫁さん、もしかしたら自分がいる必要がないって思ってるんじゃないですか?って聞いてみるとそ、そう!そう言われたの と最後には頭まで下げられましたけどいやこちらのほうこそ、ありがとうございます何があっても家族ってほーんと大切な存在ですもうすぐ母の日今年はどうしよっかな
April 30, 2010
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お客さまから「おぜんざい炊いたから」とお餅もあわせていただきましたお正月には、家族で餅つきされて小正月の行事までされてて、すばらしい記念日などギフトの仕事してますけどこういったならわしは、スルーしちゃってた私なんとか今年はおせちは、用意 (といっても、半分はできあいのものだけど(-v-こういった行事ごとって季節の移ろいを感じることもできるのだなぁとしみじみ思うのでした
January 18, 2010
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面倒をかけたくないというのは、一瞬きこえがいいように思うけどおもいあがり どうせかける面倒ならばおもいきっちゃおそれで、自分も面倒をみれる存在になろう 今日の教訓でした しばらくログインしてなかったら、また変わってる 次慣れるころには、またかわるんだろうなぁ。。。
December 25, 2009
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今の仕事を始めた時こんなことできたらいいなぁあんなことやりたい~!とか、ほとんど趣味の域で始めたので趣味の延長のような夢をいっぱい画いてました物事を始めるきっかけって意外にシンプルな願望や欲望だったりすると言われますけど、私も例にもれず(^^;ですところが、仕事としていくうちに得意なことと、できること、やりたいことが見えてきてさらにやりたいけど制限がありすぎる得意だけど仕事とするにはロスが多いなどなどあげだしたらキリがないけど切り捨てなければならない仕事も出てきちゃったのですそんなことを考えてた創業して2年目も終わろうとしてた時諸事情でできないけどやりたい仕事の依頼がきました断ることもできず(断りたくなかったもので^_^)ものすご~くお世話になった同業者の山田さんに相談したら「うちでやってあげるよ!」と今では当たり前のコラボですが、私のそれまでの仕事は無形のものばかりでまだまだ世間もそれほどコラボ色が少なかった時しかも他社とのコラボなんてNGのようなところにいたのであたりまえじゃないと思えた言葉にめちゃくちゃ感動したのを覚えてます以来、お願いできる仕事があれば一番にこの同業者の山田さんにお願いしてますそうやってたら反対にお仕事をいただくようになってやっていることは同じです山田さんにお仕事依頼するときも依頼される時も私がやることはデザイン山田さんは、彫刻&施工私がやれない理由は建築ガラスで大きいことに起因してますで、そんな山田さんからの依頼でコラボした仕事が↓日本家屋の新築の欄間で全部で17枚全て縁起もの(^_^)私、今あんまり縁起ものに興味がなくってこの仕事の依頼を受けて、めちゃ調べましたこうやって引き出しがいっぱいできてくるんですよねお仕事コラボって、ほんといいなと思いました製作ブログの方に一富士二鷹三茄子+鶴亀の一部を掲載してます
September 2, 2009
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今日はじめていったブログでがんばります宣言するということで記事がありましたすごく長く丁寧な説明だったものを簡単にまとめてしまうと意味が違っちゃうかもしれないけれど「がんばります」と誰かに宣言している時点でがんばっているからみててね~、がんばってる姿をほめてね~これだけがんばったんやから結果が出なくてもええやろ~と、結局はできなかったことへのいいわけとそういう状況への依存をしているということだそうななるほど~すごい洞察力ブログって、その人の考え方や視点が書かれているので、ものすごく勉強になるこのがんばるという言葉自分やったらどういう風に使うかって自分を見直すきっかけになったし^^ 今朝、がんばると宣言したばっかでなんだかいっぱいの失敗続きで、思ったほどはかどらなかったもので^^;私は、やっぱりこの言葉使おうと思うだれかに褒められるつもりもなくがんばるぞーって自分に向けて気合入れると仕事はかどる、、、ような気がする少なくとも宣言してたから、次の反省になったってことでいつものおはようMLではやっぱりがんばりまっす!と気合入れようなんやかんやゆってもがんばれへんかったり結果でなかったら結局苦しいのは自分だからね!そういえば、ひと時、かたくなにがんばるって意味合いの強い頑張るは使わない方がいいと言われていた時があった顔晴るとな私からすると、どっちも良い☆ここぞというときは頑張る力が入り過ぎているなって思うときは顔晴るだから特に気にしないで使ってる言葉は面白い^^
August 21, 2009
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遠くの親戚に感謝の一日です身動きとれない私の代わりにいろいろと動いてくれてしかも憎まれ役までかってくれましたそして、ずっと心配していた問題がそのことがきっかけで随分と良い方向で問題解決しました周りの人に聞かれて今の状況をそのまま話してしまうととっつても心配してくれるなるようにしかならない と腹はくくっていてもこの問題がいいきっかけになってくれたらと願わずにはいられないとはいえ、なーんもできず祈るだけだったので、もう、ほんと感謝感謝です
August 15, 2009
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風もなく、差し込む日差しがかなりきつい数日前の昼過ぎのこと校門前の小学生が元気にはしゃぎながら下校している暑さに閉口していた私だけどその元気さにちょっと救われると思ってたら、校門前を通り過ぎる時「はぁ~」と大きなため息が聞こえてきた元気やなぁと思ってた矢先のことだったのであまりにびっくりして、ふっと振り向くと眼鏡をかけた小学生が、校門によりかかって営業で歩き回ってくたびれたおぢさんのようにうつむき加減でノートを見ていたひゃぁ夏休みのはずなのに、このお疲れ感はなに??ちゅうか、家族サービスをしないといけないお父さんより疲れてるんちゃう??学校区のせいか小さな子供が多い地域で近所の子が一日中騒いでいると叫び声で電話が聞こえないことがあったり、その声につかれることがあるけどこんなくたびれた小学生を見ると電話が聞き取れなくてもいいからうるさいぐらい元気でいてほしいと思うそれだけ元気もらってるしねそういえば、同じ校門でずっと前、1人の小学生が門の開け閉めを何度も何度も繰り返していた決して楽しそうでもなく、周りにだれがいるわけでもないんーーー
August 14, 2009
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母が、どんどん頑固になっている病気の特徴らしいのだけどちょっと言葉がまずいととたんに怒ってもうまったく聞く耳持たず車に乗っていて自損事故をしたと私も父も、もう車には乗ってほしくないから乗らない方に話を持っていくそうすると、誰もわかってくれない― と周りから責められる感覚になるみたい大切な親なのに今まであまり言葉を選んでなかったなぁ親だからと…と知らぬうちの甘え誰かから聞いたことがあるけど「言葉を持つということは、言葉の勉強をしていること」ほんま、そうやと思ういちばん身近な人に対して、言葉を大切に使っていきたい って、今ブログ書いてたら、 とある代理店さんから営業電話 何度も同じ電話で、断っているのに 代理店がいっぱいあって重なってしまうんです と もう結構ですので、切りますねと言っても切らない 切りますと言いながら強制切断してしまいまひた。。。 (><)
August 11, 2009
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お中元の時期を過ぎて(関西はまだ送っているところもあるけど)何やら熨斗のついたものが送られてきましたちょっと重いガラスのよう熨斗には「感謝」贈り主は、取引先の社長さんいつもお世話になっている素敵な方はて?こちらが感謝することはあっても感謝されることはないよなぁまちがいか? もしかして、彫刻用のサンプル?開けていいものかどうか分からず電話そうしたら、ここのところその社長さんの会社の新しいWebショップ用のサンプルで何度か原稿を作っていたりしたことで「面倒なことつきあわせて、申し訳なくって」と美味しいジュースを贈ってきてくれたみたいでしたと、言ってくれたのですがほんと通常通りのやり取りに毛が生えた程度最初のサンプルって、形になるまで時間がかかったりしますそれを考えると、大した面倒さじゃないこの社長さん、お父さんから会社を引き継ぎ衰退しかけていた事業をネットの強化で見事に復活させいろんなところで注目されている方です自分がしていることに対して、相手がどう思うか常にこんな気配りされている方だから成功するのもうなずけますものを贈るっていうことじゃなくってそういった視点を常に持っているんだなと思うと本当脱帽ですこの気配りは、贈ってくれたものにも表れてました社長さんのお友達が作られたジュースで私は知らないものでしたこういうきっかけがないと、きっと知らないままだったと思う行動の裏裏は反対ってことじゃなくて隠れた意味ってことこういう素敵な人の行動の裏を見るととっても勉強になります
August 4, 2009
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やりたいこともやるべきこともたくさんあると順番を見誤ってしまうまず、時間短縮を考えてたそれさえも気付いてない時読んだ本のセリフに「悩んで悩んで考えて考えて、 自分のいける道とできる方法を探すだけ」 「自分の責務を果たすだけ」とあった時間短縮を考えるのは間違いじゃないでも、頭から血どころか汗させもでない程度にしか考えず、時間短縮を考えている見失いかけると必ず気づかせてくれるものがあるつくづく、恵まれた環境であることに感謝
July 29, 2009
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ちょっと前のこと2月ぐらいから6月過ぎまで、ず~っといろんなイベント続きで目の前の仕事に追われていて気にはなっていたけど、急ぎではないので落ち着いてから、、、と思っていたことをはじめましたその一つ2月ぐらいに一度お邪魔しますとお話されてた取引先連絡がずっとなかったので、お互いに他イベントだったから同じように忙しいんだと思い込んでいて、やっとこさ連絡まず、メール Undelivered Mail Returned メールが返ってくる電話 つながらない ???いつも、忙しくても必ずかけなおしてくれたりとっても丁寧な方だったから、すごく心配になってHPをみたら、、、、 なんか、とっおぉぉぉぉっても大変なことになってましたわりとはた目から見て優良企業だったようなところなんですけど社長の背任で倒産寸前までいっていたようですうちには全く被害はなかったんだけど一生懸命働いていたスタッフやその家族、取引先 どおおすんだろう改めて、企業の在り方考えさせられました自分の商売で誰かの役に立つことをして適正な利益を儲けるま、当たり前のことですが、その利益は会社を続けて、より多くの人に喜びの提供をしていくために絶対絶対必要なんですよねもっと儲けて、税金払えば社会に還元できるなのに、前述の会社というより一部のトップ?は、その利益をとることよりも、利益が出たように見せかけて銀行から多額に借り入れをし、あろうことかそのお金を仕事以外で使いまくり、さらに会社を存続させることなんか全く考えず借りれるだけ借りて懐にしまい込み計画倒産をさせようとしたみたいですそんな腐った金では、だれも幸せにならないどころか自分も腐りきってしまうのにそれにしても、取引先の動向もわかっていなかった私って。。。いろいろ考えること、気づくこといっぱいで被害もなしにこうやっていられること感謝です
July 25, 2009
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って、私じゃないですよモノづくりの仕事に携わってモノづくりの面白さと難しさを一気に味わってそしてこの仕事が一番今までで好きな仕事になってますモノづくりって、奥深い魅力があります大阪のものづくりでよくニュースなどで取り上げられていますねみんな熱く、本気ですそんな大阪のものづくりに携わっている知人のかっちゃんが本気で願っていること橋下知事に工場見学に来てもらいたいかっちゃん社長率いる共伸技研さんは「大阪のものづくり看板企業193社」に選ばれたそうで >おめでとうございます!!さまざまな縁がつながり直接、橋下知事に会って、早朝工場見学会にきて下さい!と伝えることが出来たようです素晴らしい行動力です超多忙な橋下知事に工場見学に来てもらうにはまだまだ道のりは遠いかもしれないけれどこうやって、一歩でも前に向かって進んでいればある時にはする~っと到達しているかもしれませんねモノづくり仲間としてこうやって一つ一つ夢に向かって進んでいる姿はとても励みになり、そしてとても応援したい存在です
June 21, 2009
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ありがたい父の日たくさんのオーダーをいただき、まだ終わりません(TvT)間に合うのだろうか。。。という一抹の不安がよぎりってか絶対間に合わせなければ何日も前からオーダーいただいているお父さん思いのたくさんの方に迷惑かけちゃうわということで、臭いのなんか気にしなぁい にんにく酢をてんこもりかけたお食事でエネルギー補給しました そんな私は 自分の父用に考案しかけていたのを そのままにしている、準備に間に合わなかった人で―す(^^;;; みんなが終わったら、ゆっくり感謝しよっとニュースでは父の日の関心は薄いと言っていたけどお父さんを思って、大切にしている人はいっぱいいる無関心さをニュースで伝えるより大切にしている人たちをもっと取り上げて欲しいなと思うのでしたほんとにたくさんの感動いっぱいのドラマがあるんだから
June 19, 2009
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今日は一日、ずぅぅぅぅぅっとPCと電話がお友達父の日のオーダーで、ありがたいことです元気だけど、もっと元気つけようと思って1か月ほど前につけたにんにく酢のにんにくをかじりましたそして、今口の中が大変なことになってます (>_<)ほんのちょろっとなのに。。。小さな小さなものがとってもすごい影響を与えるにんにくのような強さのようなリーダーシップバリバリの人にすごいなぁと羨望のまなざしですが遠目で見ておきたいと思ってしまうのは疲れているのでしょか私ってば
June 11, 2009
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神様は弱いところを突いてくるそれは決して意地悪じゃないけれど時につらく苦しい時にどうにもならないと思うぐらいに出口が見つからないこともあるでも、これはもっと心豊かな日々を送ることのできる前兆風が強すぎると逃げたくなることもあるけどたまには寄り道して風除けしたりでもちょっとづつ前に進もうと思うと、今日は悲しい電話でふと思いました
June 7, 2009
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