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ずいぶんサボっている間に、わしの日記のコメントはエロサイトへの誘いで満ち溢れておるわいな。いやいや、まったく何年も放置しておいて文句も言えんが、なんとなく汚されてしまったようで、もくもくと削除したよ。え~・・・いつかそのうち、と思いつつ、なかなか完成しない旅行記。なんだか遠い昔の話になりつつあるな~・・・。でもまだ夢をあきらめてないんだもんね。いつか世界をふらふらと、ワールドワイド版寅さんのように、はたまた、野田知祐さんのように、自由に漂うのだよ、わし。独り言・・・だな。
August 20, 2009
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何事もなかったかのように旅は続くのである。さて、メテオラから戻ったワシは、アテネのユースホステルに一人たたずんでいた。メテオラ強行日帰りツアーで感じたこと。とりあえず、しばらく日本人旅行者との接触は避けていこう、と。最後は確かに良かったし、不覚にも感動したりもしたのだが、さんざん振り回されて疲れてしまった感はいなめなかったのだ。よ~し、しばらくアテネの町を一人でフラフラしよっと。まだどこも見てないしね。なんて思い、ロビーでガイドブックをパラパラめくっていると、対面のテーブルに一人の日本人がいることに気がついた。「いやいや、接触するまい」と思った。思ったのだが・・・・・・き・・・・気になる。 な、なに??? どうしたの??どうにも気になってしかたなくなったワシは、ついに声をかけてしまった。「あの・・・・どうしたの?すごい顔してっけど」 「あ、コンニチハ。いや・・・・ギリシャ名物ってゆう魚の缶詰買ったんっすけど・・・・・コレ、めちゃくちゃマズイんっすよ。」へ~そうなんだ。チャレンジャーだね。でもそんな顔になっちゃうくらいマズイの?「ちょっと食ってみません?すごいっすから」彼は食べていた缶詰をワシに差し出してきた。わざわざマズイってわかってるものを、なんで食さなならんのか。やめときゃいいのに一口食べてみるワシ。 口に入れたとたん、舌を突き刺すような酸味。鼻腔をぴちぴちと音を立てて泳ぎ抜けていく魚の生臭さ。自然としゃくれてしまう。うん。確かにくそマズイわ!すごいすごい。こりゃーすごいわ。二人で大爆笑。すっかり意気投合。「一緒に神殿見にいきませんか?」「いーよ、行こう行こう!」あれ???
April 30, 2008
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携帯から更新ってのもアリか?テストだ。
April 28, 2008
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パソコン買いました。やっとブログを再開する環境は整ったわけでやんすが・・・・。実は最近、社員が4人も辞めてしまいやがってですなぁ・・・。もう、働きっぱなし。12kgも痩せてしまいましたよ。せっかくパソコンを買ったのに、ブログを更新する暇もなし。誰か社員を紹介しておくれ。あ、当社で働きたい社員も募集中!どしどし応募してくれ!こんな更新しててもなぁ・・・・。
September 25, 2007
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朝、いきなり某テレビ局からの電話で起こされた。時計を確認するともう正午過ぎ。ずいぶん寝たものだが、安らかな眠りを電話の音で遮断されるのは不愉快なものである。電話の内容は番組への出演依頼であった。そうした依頼はすべて秘書を通して欲しいのだが、相手はこちらの都合などおかまいなしだ。非常に不愉快であった。 私は大きな声で言ってやった。 「いいとも~!」
January 24, 2007
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ぶりっ!いやあ、あいかわらずパソコンは壊れたまんまのろっくんです。新車は絶好調!ローンも絶好調!思いのほかきついぜ!うっひょ~♪しかも、住民税?去年、自分の給料を倍増させたツケがまわってきましておいらにとっては目の玉飛び出るくらいの請求が来たぜ!イヤッホー♪ここは一発、大逆転だ!と、株なんぞをちょちょっと始めてみた。なんだか簡単に儲かった。こりゃ楽勝だ、俺、もしかして天才?なんて思ったとたんに大暴落ときたもんだ!ラリホ~♪ちゅうわけで、無いぜ!お金!買えないぜ!パソコン!更新できないぜ!日記!でもまあ、なんとかゴハンは食べていけてるし、社員が3人増えて、わりと仕事は楽になったし、10月から新しい店も始まるし、きっともうじき春が来るわ。来るわよ。うん、来る。来る・・・・よね?
September 11, 2006
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ずんずんず~ん♪あ、ども。ろっくんです。いや~、ずいぶんごぶさたしちゃいましたね。コメントに対するお返事すらしてない、いけないオイラをどうか許してやって欲しい。それにはちゃんと理由があるのだ。一つは、前回書いたとおり、パソコンがぶっ壊れたってこと。これ、ほんとに困ってしまいましてねえ。修理代も、新品を買う金も無い。職場のパソコンから、ヤフーオークションで同じ型のパソコンを落札しようと試みるも、失敗。苦肉の策で、「ハードオフ」でジャンク品のパソコンを一か八か買ってみたところ、そのモニターがなんとか機能しまして、こうしてパソコンを見ることができるまでになった次第。でも、さすがにジャンク品だけに、画面の色がやたらと薄いし、時折一部が七色に輝いちゃったりと、おいらに多大なストレスを感じさせる機能付き。そんなこんなで、すっかり更新する気がうせていた次第なのだ。それからもう一つ。くふふのふ。新車が納車されちゃったの♪いやぁ~、サイコー。喜びのイナバウアを決めて街を走り回っていたおいらなのだよ。目の前に、ジャンク品のチカチカ輝くモニターと、新車が並んでいたら、そりゃ新車に乗ってしまうでしょ?だからしょうがないのだ。しかし、あれだ。カーナビってすげーな。今までどっか行こうってたんびにネットで地図を調べて、それを印刷して、ここ?ここを右か?わあ!次だった!なんて右往左往してたのがアホらしくなるくらい便利。嬉しさのあまり、通いなれた通勤路までナビを使い、高速にブチ乗せられたりしてる今日この頃なわけだよ。さて、ひさびさにぐだぐだと思いつくままに書き綴ったわけだが、ここでお知らせ。今度、ちょっとした長期休暇に突入するのだよ。日記の更新がまた途切れることになるわけだが、まあドンマイ!俺、ってことで。ああ、モニターがまた七色に輝き始めたのでこのへんで。アディオス。
February 25, 2006
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ずんずんず~ん♪あ、ども、ろっくんです。納車が近づいてきて、うきうき気分でいたのがいけなかったのでしょうか。パソコン、壊れました。おまえ元エンジニアだろう、直せよ!そんなアナタの心の声が今聞こえてきましたよ。いや、もう原因も、故障箇所も解明済み。でも、それがわかってても、部品が手に入らない。メーカーは部品を供給してはくれないのだ。で、修理に出したら5~6万はかかる。無理して車を買ったばかりのおいらには、そんな金は残っていないのだ。とりあえずずんずん歌いながら、途方に暮れてみるおいらだ。励ましてみてはどうだ?
February 14, 2006
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メテオラ強行日帰りツアーの翌日。Tさんは「とりあえず北に向かう」と言って去っていった。また一人に戻ったおいらは、一日アテネ市内をぶらぶらと巡った。そして夜、食事をすませてユースホテルに戻ると、受付の女性がこう言ってメモを渡してきた。「ミスターTから電話があり、伝言を預かっています」と。その伝言の内容はこうだ。「グリーンショップに忘れ物をした。回収して日本に送ってもらいたい。」以上。・・・・え?そんだけ?忘れ物って何?何を忘れたの?あと、グリーンショップってどこ?受付の女性が言う。「なんだかいろいろ言ってたけど、私に聞き取れたのはこれだけなの」と。暗号か?それともなぞなぞか?この情報でワシに何をしろと言うのだ。そこでピーンっと来た。前日、メテオラ隊の打ち上げでビールを飲んだレストラン。店の名前なんぞ知りはしないが、そこのテーブルクロスの色が「緑」であった。「なるほどぉっ!」グリーンショップね。了解!わしは記憶を頼りに、その店に向かった。店に着くと、見覚えのある店員がいた。声をかけると、向こうもオイラを覚えていると言う。そりゃ話が早いってんで、さっそく「何か忘れ物がなかった?」と聞いた。すると向こうから、当然な質問が帰ってきた。「忘れ物ってなに?」 ・ ・ ・「いや、それが何かわからないんだけどね・・・・・」困惑する店員さん。すまぬ。そりゃ困るよね。「何も忘れ物などなかったと思いますが・・・」と言われれば、「いや、何もなければケッコー!さんきう」と答えるしかない。店員さんから浴びせられるマシンガンのごとき「?」を全身に被弾し、ヨロヨロと生還。そしてその「?」は大きなひとつの塊となって、おいらの頭上に点灯した。Tさんよ、グリーンショップってあのレストランのことじゃねーの?そして何を忘れたのだ?わざわざ移動先からアテネのユースに連絡するくらいだから、大事なものなんでしょ?なんとかしてあげたいが、あんな伝言じゃワカンネーヨ・・・・。これ以上は考えても無駄。きっとまた電話してくるだろう。そう考えたワシは、一旦捜索を打ち切ることにしたのであった。それから、アテネには同じユースホテルで何日か泊まったのだが、結局Tさんからは何の連絡もなかった。謎のメッセージは「謎」のまま、お蔵入りとなったわけである。それからずっとこのメッセージのことが気になっていた。ずっと考えていた。そうしてある時、「あ!」とわかっちゃったのだ。間違いない。メテオラ行きの直前、Tさんは服を洗濯に出していた。一緒に食事をしに行くついでに寄ったので、その場においらもいたのだ。そう、Tさんはきっと「クリーニングショップ」と言っていたのだ。電話口で、片言の英語で必死に訴えるTさんが目に浮かぶ。「クリーニングショップ!」「グリーン?グリーンショップ?」「イエース!クリーニングショップ」 ・ ・ ・謎は解けた。Tさんはクリーニングに出した服を回収するのを忘れて、次の町へ移動してしまったのだ。ふ・・・・なるほどね。いまさらですが、この場を借りて、Tさんへ報告します。「悪いね、Tさん。 それに気がついた時、すでに遅し。 エーゲ海の島へ渡るフェリーの中だったおいらだよ。 あなたのシャツ、そしてジーンズは、アテネの小さなクリーニング屋に 引き取り手のない預かり物として、ずっとあり続けるでしょう・・・。 フォーエバー。 あ、ちなみにもしアテネで気がついていたとしても、 日本に送ったかどうかはわかりません。 だって、あんなボロボロの衣服より、 日本への輸送料のほうが高いにきまってますから。」 さようなら、Tさん。最後にステキなメッセージをありがとう。
February 12, 2006
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アテネ市内ですっかり迷ってしまった我々メテオラ隊。残り時間は刻々と迫っていた。右じゃねえの?いや左だ。あ、ここって来たことある!いや違った。そんなことをしているうちに、ついに残り15分をきってしまった。「一度車を停めて、誰かに道を聞くしかないよ」とキョーコが言う。確かにそうだが、それをやっていると絶対に間に合わないであろう。夕暮れのアテネの道は、そうやすやすと路肩に停車することも許さないほどに混みあっているのである。車内にあきらめムードが漂う。ここまで来て・・・・間に合わないのか・・・・。オモニア広場にさえ行ければ、そこからすぐなのだ。看板くらい出ててもよさそうなのに。あーあ・・・・。信号待ちの車の列で、わしは半分ふてくされた気分で窓の外に目をやった。すると、じっとこっちを見ている隣の車の男と目があった。日本人が4人も乗った車がめずらしいのだろう。「何やってんの?」とでも言いたげであった。とっさにおいらは、窓をあけて叫んだ。「オモニアーーっ!」そして体で、 隣の車の男は、それに答えて窓を開けた。「オモニア?OK、ペラペーラペラペーラ!」おう!オモニア広場に行きたいことは伝わったようだが、何言ってるかわからん。再び体で答える。 そこで無情にも信号は青。車の列は動き出してしまった。ああ、無念・・・・。そう思った時、隣の男が身振り手振りで、わしにこう伝えるのが見えた。 おお!「テツオっ!あの車を追えっ!」「了解!」それはまるで、闇夜の航海で見つけた灯台の明かりのように、最後の希望の光であった。バラバラだったメテオラ隊4人の心も、ここにきて一つの目標にむかって固まり始める。「行けるかも!間に合うかも!」と。しかし、こう道が混んでいては・・・と思ったが、そこはさすが地元住民の先導である。混みあう道を外れ裏道をくねくねと進む車を、テツオは必死ドライビングで追う。やがて、暗く狭い路地を抜けると、目の前に、見慣れた「オモニア広場」が現れたのだ!うぉおおおおおおっ!車内に歓声があがる。「サンキュー!」4人はそれぞれに、窓から感謝の言葉を叫んだ。先導の男はニヤリと微笑むと、「グットラック」とばかりに窓からピースサインを出してそのまま走り去った。シブイ・・・シブイぜ!あんた最高だよ!さあ、ここまで来たら着いたも同然。あとは時間との戦いである。そうしてついにレンタカー屋の前到着。車を横付けし、店内に飛び込んだ時、時計は19:58であった。やったああああああっ!ギリギリ間に合ったぞ!いやっほう!レンタカー屋のおばちゃんが目を丸くして言う。「あなたたち、ホントにメテオラ行ってきたの?ホントに?イッツ、ミラクル!」そうだろ?そうだろ?まさしくミラコー。やったぜっ!我々メテオラ隊の盛り上がりは最高潮に達した。ああ、なんだろうこの達成感。まるで甲子園出場を決めた高校球児のように、わしら4人は手を取り合って喜んだのであった。実際はそうたいしたことを成し遂げたわけではないのだが。昔の人はよくいったものである。「終わり良ければすべて良し」キョーコの勝手ぶりも、テツオのしったかぶりも、Tさんの能天気も、全部どーでもよくなっているおいらがそこにいた。そして、「すっげえ楽しかった!」って気持ちだけが残った。そしてそのあと、4人で「祝勝会」。余韻と興奮が冷めやらぬまま、おいらは最高にうまいビールを飲んだのであった。
February 9, 2006
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ずんずんず~ん♪走るヨロコビ~♪あ、ども。ろっくんです。いやあ、突然ですけどね、ま、あんまり大きな声では言えないんですけど車、買うぞーーーーっ!!!もう注文しちゃったもんね。くふふふふふ。たかだか車買うくらいで浮かれてんじゃねーよ、って声もあるでしょうが、まあ聞いてやっておくれよ。今、わしが乗っている車は「軽四」である。これ、7年も乗ってるわけである。思い起こせば7年前、どうしても車が必要になった。その時はまだお金に余裕があったので、別にそこそこの車を買うことはできたのだ。が、これから新たな事にチャレンジしようとする矢先、そんな贅沢をしていいのか?いや良くない!とゆー結論に達し、軽四を購入したのであった。新車の車検は3年。その3年以内に成功し、そこでちゃんとした車を買えばいいじゃないか。そして3年後、わしは新車どころか、車検代すらままならない貧困にあえいでいた。検討の余地などない。わしはなんとか生活費をやりくりして車検代を捻出した。くやしいがしかたがない。が、見てろ!2年後の車検時には・・・・!そして2年後、わしは余裕で・・・・車検代は用意できるまでにはなっていた。新車?それは夢の話。が、見てろ!今度の車検時こそは!そうしてその2年後が現在、ってことになる。正直・・・まだそんなに余裕はない。が、もう我慢の限界なのである。ま、車なんて走ればいいわけで、しょせん「自己満足」とか「見得」とかのつまらん要求だと、よーくわかってはいるのである。でもね、大学生のアルバイトとかが乗ってくる車は立派なもんだし、社員は皆、次々に車を買っていくし、そんなピカピカの車をわしのぼろぼろの軽四の横に停められると、なんとも「トホホ」なのである。今にみていろ!と思い続けて早7年。ついに・・・・・・くっ・・(涙)そんなわけで、今は納車をクリスマス前の子供のように待ちわびるおいらだ。付いてるぞ、カーナビ!皮だぞ、シート!「ばふっ」って閉まるぞ、ドア!(軽って「ばい~ん!」って閉まるでしょ?)鍵差し込まなくても開くぞ、ドア!しつこい?ま、無事納車されたあかつきには、さらなる自慢話をたっぷり書く予定なので、そこんとこヨロシク!
February 6, 2006
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オリンピックみたいなタイトルだけど、関係ないわけである。メテオラは素晴らしかった。実になごりおしいところであったが、我々はアテネにとんぼ返りしなくてはならない。タイムリミットは午後8時。この時間を一分でも過ぎたら、レンタカー代は2日分払わなければならない。往路で6時間半かかったところを、復路では5時間半で行かねばならない。1時間短縮しなければならないわけである。途中、トイレ休憩などとってる時間はない。ご飯も食べてるヒマはない。ノンストップで行くことを覚悟する必要があった。「大丈夫。ぶっ飛ばすよ!」国内A級ライセンスを持つとゆーテツオが、ギラギラした目でそう宣言した。了解するわけにはいかない。レンタカー代二日分もイヤだが、死ぬのはもっとイヤだもの。まずはおいらが運転し、出発する。ドイツのアウトバーンでは180km/hが普通であったわけだが、それはあくまで「アウトバーンだから」。他の車もそれくらいかそれ以上のスピードで走っているし、マナーもいいからそれができるのだ。平均して80km/hくらいのギリシャでそれをやったら、天国一直線である。MAX120km/hが限界だとするどく判断したおいらは、それを死守した。事故を起こすくらいなら、遅れるほうがマシ。テツオに運転させたらヤバイ。おいらは、もうアテネまでずっと一人で運転するつもりでいた。が、やがてフッと意識が飛びはじめた。ね・・眠い!そりゃそうである。一睡もしてないわけですから。安全の度合いは以下の公式が成り立つこととなった。わしの安全運転 > テツオのぶっ飛ばし運転 > わしの眠気運転ずっと助手席から「もっと飛ばしてよ!」「運転代わるって!」とありがたいエールを送り続けてくれたテツオにハンドルを譲るのもシャクだが、この眠さには勝てぬ。わしは運転席をテツオに譲り、後部座席へ移動。その直後に深い眠りに落ちた。再び目覚めると、残り時間は2時間。アテネまでの距離を示す標識には「160km」の文字が。いけるかもしれない。わしが寝てる間に、テツオはどんだけ飛ばしたのだろう。寝ててよかった。やがて午後7時半。ついに我々はアテネ市内に入った。残り時間は30分。やった!間に合った!と思ってから、お約束の迷走が始まる。アテネには着いた。確かに着いたのだが、そこがどこだかわからない。目的の「レンタカー屋」までたどり着かなくては意味がないのである。アテネ市内の、混みあう車にもまれながら、4人は途方に暮れてみるわけであった。 つ づ く
February 6, 2006
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神秘の街、メテオラ。その絶景に魅せられて夢心地。それはいいのだが、本当に時のたつのを忘れてしまっていた。気がつけば2時半である。4人もいて、誰もそれに気がついていないのである。それほどにメテオラが魅力的との解釈もできるが、4人が揃いも揃って「バカ」とも言える。さあ、大変。残された時間は5時間半。来るときには6時間半かかっているので、1時間の短縮が必要となるのだ。「ま、しょうがないね。この際、レンタカーは2日分払うことにして、夕方までゆっくりメテオラを堪能することにしねえ?」と、わしは提案した。「ダメ!絶対ダメ!」その提案は、他3人によって、即座に却下されるのであった。こうして何人かの日本人バックパッカーと交流してみて感じたことが一つある。それは、「いかに安く旅をするか」が一番の大事になってる風潮があることだ。たとえば、朝ごはんにサンドイッチを買ってきて食べていると、「それ、いくらでした?」と聞かれる。「200円くらいだけど・・」と答えると、うわ!バカ一匹発見!みたいな顔されて、「マジ?それどこそこの店なら150円で買えるよ!200円だしたの?マジで?うわー」とか言われる。ほっとけ、と言いたい。安宿など、日本人旅行者が集まる場所での会話は、それこそ「○○に行くなら△△が安いよ」「いや、△△より、◇◇が若干安いよ」「いやいやいや、◇◇は最悪だって。それより○△を×○すると結局一番安いよ!」なんて議論が熱く語られているのである。わしはそのへん大雑把な性格であるし、別にビンボー旅行にこだわっているわけでもないので、何を買うにも、どこに行くにもテキトーなので、こうした場所ではいつも「え?まじでそんな値段で買ったんすか?」などと失笑されるのである。ほっとけ、と言いたい。話は大きくそれたわけだが、要するにわしの「レンタカー代は二日分払うもやむなし」案が、まったく考える余地もなく却下されるのにはこうした事情があるのだ。となれば、無理とは思いつつも、全速力でアテネに戻らねばなるまい。 「1時間短縮しないと間に合わない」この事実が、国内A級ライセンスを持つ「テツオ」のドライバースピリッツに火をつけてしまったことを、我々はまだ知る由も無かった。 つ づ く
February 1, 2006
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正直、そんなに期待してなかった。山のてっぺんに修道院?ふ~んそりゃめずらしいね、くらいのもんだった。が、実際に目の前に広がる景観の素晴らしさはどうだ。なんとも幻想的、そして神秘的。この風景を見事に描写して、読む人の心の中にありありと描き出してみせるほどの文才があればいいのだが、無理。苦し紛れに写真を掲載する作戦に出るわけだが、これまた・・・・わし、写真撮るのもあきれるほどヘタ。このころ、デジカメなんか持ってなかったからなぁ・・・。現像するまで出来栄えがわからんのだよ。あの見事な景色が伝わるかどうか。まあ、ごらんあそばせ。 ・・・・伝わったであろうか。来てよかった!!心底そう思った。徹夜の疲れもふっとぶのである。キョーコがどーしたも、テツオがこーしたも、全然関係なくなるのである。むしろ、「メテオラを教えてくれてありがとう!」とさえ思うのである。実際、まったく知らなかったし、そのままギリシャを離れる可能性もあった。ああ・・・シヤワセ・・・。我々4人は時間を忘れて景観に見入り、教会内を見学し、また別のビューポイントに移動しては、再び景観をうっとりと眺めた。 ああ・・・・シヤワセ・・・・。・・・・ん?時間を忘れて・・・?あ!気がつくと、時計は午後2時半を指していた・・・・・。 つ づ く
January 26, 2006
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メテオラは、遠い。真っ暗な国道をひたすら北上する我々4人。ときおりでてくる「国道1号線」を表す標識だけが頼りだ。目をこらし、慎重に運転するおいら。旅のうんちくを語りながらも、ナビゲーションを勤めるテツオ。ニコニコと外を見ているTさん。寝るキョーコ。しばらくしてドライバー交代。初めての外国での運転に緊張ぎみのテツオ。助手席から、「飛ばすなヨ!飛ばすなヨ!」とスピード制限をかけるおいら。ニコニコと外を見続けるTさん。寝続けるキョーコ。やがて夜が明け、視界が広がる。異国の田舎の風景に、目が奪われる。景色に感動し、ちょっと来てよかったと感じはじめるおいら。運転に余裕が出てきて、うんちくにターボがかかりはじめるテツオ。寝始めるTさん。やっぱり寝てるキョーコ。しばらくして、トイレ休憩のためにサービスエリアへ。車が停止したので、キョーコが目をさます。「え?着いたの??」ですと。そうして、まだ時間がかかると知ると、「着いたら起こしてね」とおっしゃってまたお休みになられた。なんかこのヒト、普段以上に寝てるんじゃねえの?そうして走り続けること数時間。やがて標識に「 METEORA ××km 」の表示が出てきた。このまま迷う事なくたどり着ければ、予定よりもだいぶん早く、9時半ころには着けそうだ。がぜんやる気がわいてくる。そうして、黙々と車を走らせることさらに1時間。ついに・・・・・我々は、一度も迷う事無く、到着しちゃったのであった。 つ づ く
January 25, 2006
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レンタカー屋で車を受け取ったキョーコを除く我々メテオラ隊。そのまま、ガソリンスタンド探し、続けて駐車場所探しと、夜のアテネをウロウロ走り回る。やっとユースホテル近くの路上に駐車スペースを見つけ、準備完了となった頃には10時を過ぎていた。出発は深夜3時。あと5時間も無いことになる。そういえば、キョーコにはまだ3時出発ってことを伝えていない。キョーコはどこに?とテツオに聞くと、「俺が言っておくからいいよ。一緒に泊まってるから。」・・・・?ま、深くは追求するまい。わけがわからんが。やがて深夜3時。ユースの部屋は8人部屋。Tさんと共に、他の人を起こさぬよう、そっと荷物を持ち部屋を出る。車を停めた場所で、テツオとキョーコを待っていると、やがて二人もやってきた。さあ、出発だ。そこで3人はやっと気が付いたらしい。「道って誰かわかるの?」とTさん。「あ!何だっけ?確か国道何号線だかで一本道らしいんだけど」とテツオ。「・・・・・・調べておいたよ。」とため息まじりにわしが言うと、すかさずキョーコが言った。「しっかりしてますね!さすがは元サラリーマン!」は?サラリーマン関係ねぇだろっ!「じゃあ、とりあえず運転よろしくっ!」と言われ、ファーストドライバーはわしに決定。真っ暗な街を、メテオラ目指して出発する。アテネの中心部を外れると、道には街灯も少なく真っ暗で、実に走りずらい。それでも、インフォメーションで書いてもらった地図を頼りに、右へ左へとハンドルを切る。緊張のドライブの末、やがてなんとか国道1号線に乗ることができた。あとは「メテオラ」の看板が出てくるまで、ひたすら走るのみである。ふう・・・・・。とりあえず第一関門突破か。テツオもTさんもホッとしたようである。キョーコは?と思いバックミラー越しに後部座席を見ると、なんとこの女、爆睡してやがる!すやすやと寝息をたてて、夢の中。ああ、テツオもTさんも居らず、もし君と僕の二人きりだったら・・・・・。 と、なるんだけどなぁ・・・・・・。 つ づ く
January 18, 2006
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「車を借りりゃメテオラに着くってわけじゃねえぞ!」一人、ぶつぶつ言いながらインフォメーションオフィスへ。そこで、「メテオラまで日帰りで行く」と言うと、笑われた。やめておけ、と。そりゃそうだよね。片道7時間ですもの。東京から7時間走ったらどこまで行けるものなのか。仙台くらいまで行けちゃうのかな?日本に来た外国人観光客が、東京から車で「日帰りで仙台イッテキマース!」なんて言ったら、そりゃ「やめとけアホゥ」って言うわな。「無茶は重々承知の助。が、とにもかくにも行かねばならぬのよ。」と言うと、スタッフは親身になって教えてくれた。国道1号線に乗りさえすれば、メテオラまではほぼ一本道だということ。その国道1号線に乗るまでの道。レンタカーのガソリンは、借りたらすぐに満タンにしておくべきこと。行きは深夜で道は空いているが、真っ暗でとばすと危険。帰りはアテネ近辺で渋滞の恐れがある。よって片道7時間半は見ておいたほうがよい。夜8時までに戻ってくるには、深夜3時出発 → 10時半ころメテオラ着 → 12時頃にはメテオラ出発 → 午後8時アテネ帰還こんなスケジュールになってしまうのであった。現地滞在・・・・1時間半。いちぢかんはん。「どうだ?いかにムチャな計画かわかったろぅ?」インフォメーションのスタッフはいたずらっぽく笑った。おいらはただ、苦笑いするしかなかった。やがて夜8時、レンタカーを受け取るために再び集合。しかし、そこにキョーコの姿はなかった。「あれ?キョーコは?」と聞くと、テツオの口からまたしても信じられない言葉が。「キョーコは’明日に備えて早く寝る’って言って、もう寝てるよ」明日に・・・備えて・・・寝て・・・る?それは完全においらの理解を超えていた。え?だって、明日に備えたいのはみんな一緒でしょ?つーかむしろ、運転するわしらのほうが、明日に備えちゃいたいところでしょ?しかも、改めて言っちゃうけど、キョーコの都合による強行日帰りなんでしょ?「ありえんって!何考えてるんだあの娘!」当然ながらおいらは憤慨してそう言った。他の二人も当然ムカついているはず、と思った。が、「女の子だからね、しょうがないよ。」とテツオ。「そうだね、女の子だしね。」とTさん。女の子だったら、何がどう「しょうがない」んだぁあっ!! つ づ く
January 15, 2006
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さて、どうにも気乗りしないながら、レンタカーによる「メテオラ」日帰りツアーに参加することになってしまったおいら。参加メンバーは上の四人。決行は翌日だと言うので、さっそくながらレンタカーを手配しなくてはならない。時間は限られているのだ。では、レンタカー屋に行きましょう!とゆーことになった時、キョーコの口から信じられない言葉が・・。「私、英語できないから行っても役にたたないよね。私、行かなくてもいいでしょ?もうアテネに居られるのは今日だけだから、行っておきたいところがあるの。レンタカーの手配は3人にまかせるネッ!」唖然。いや・・・・強行日帰り日程は・・・・アンタの都合に合わせて・・でしょ?・・・え?・・そのアンタが・・・・「まかせるネ」?アホかっ!と言おうとした瞬間、「うん♪いいよ!準備は俺たちでやっとくから♪」とテツオ。「りょうか~い!」とTさん。あぁあぁ・・・・笑顔で手を振って送り出しちゃってるよ・・・・。なんだか逆に、わしが理解のない、細かい男のように思えてくる。でも、「ありえん」と思うがなぁ・・。釈然としないまま、男3人でレンタカー屋へ。某大手レンタカー屋のカウンターで、テツオは「俺にまかせろ」って感じでこう切り出した。「レンタカープリーズ!ワンデー!プライスダウン!OK?」OK・・・・じゃねえわな。そりゃ。とても任せてはおけない。Tさんも英語はまったく話せないので、ニコニコ笑って見ているだけである。幸いわしはドイツ時代、出張の度にレンタカーを借りておったので、慣れているのだ。しかたなくわしが交渉にあたる。車種はスモールで、保険はフルで・・と、決めていく。夜8時に車を受け取り、翌日の夜8時までに返すことができれば1日分の料金。が、夜8時を過ぎてしまったら、2日分の料金を支払わなくてはならない、との事。ちなみにメテオラまではどれくらいかかるの?と聞いたら「だいたい7時間くらいよ」との答え。「え?お客さん、メテオラに行ってくるの?一日で?無理よ!無理!」と言われましたが。交渉を終え、店を出る。テツオは「じゃあ、夜8時に車を取りにくるとき集合ね!」と言って去っていった。Tさんも「じゃ、僕も8時までぶらぶらするよ」と去っていった。・・・・・・・おいっ!道はわかるのかよ。メテオラまでの道はよっ!早くも、参加を決めた事を大いに後悔しながら、おいらは一人インフォメーションオフィスへ向ったのであった。 つ づ く
January 13, 2006
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「メテオラ行きません?」突然そう問いかける謎の日本人女性。お前は誰だ。つーか普通、まず挨拶じゃねえの?そんなおいらの困惑などおかまいなしに、女はしゃべり続ける。「メテオラいいですよ~!山のてっぺんに修道院があって、すごい景色なんだって!」いや、だからその前に、お前は誰なんだよ。「絶対に行くべきですって!行かなきゃソンですよ!」いや、あのね・・・・。わしはひとまず女の話をさえぎろうとした。すると謎の女の後ろから、今度は男が顔を出して言った。「絶対行ったほうがいいよ。メテオラ行かなきゃギリシャに来た意味ないよ。」うぬぬぬ?またなんかややこしいのが出てきたぞ。「メテオラってのはさ、歴史が・・・うんたらかんたら・・・・世界的な・・うんたらかんたら・・・」うるせい!ちょっと落ち着け。メテオラがいい所ってのはわかった。で、結局何がいいたいわけ?話をよく聞くと、つまり「メテオラに行きたい。日程の関係で、私(女)は1泊することはできない。 でも列車でもバスでも、日帰りはできない。 だからレンタカーを借りて、それで日帰りで行ってきたい。 4人集まれば、レンタカー代も4分の1で済むから、列車やバスよりも安くなる。 だからアナタ、一緒に行きません?」ってことであった。ふ~ん・・・?え?じゃあ二人ともまだメテオラに行ってないってこと?あんだけ「メテオラ最高」みたいなこと言っといて。男が言う。「運転は俺がするからさ。俺、国内A級ライセンス持ってっからさ」国内A級ライセンスって・・・。レースするわけじゃないんですけど。海外での運転経験は?「海外では初めてだけどさ。でも俺、国内A級ライセンス持ってっからさ」うむ。なるほどね。パスだな。なんか、最初からおしつけがましくて気に入らない。だいたい、日帰りで行く必要は、おいらにはまったく無いわけで。さあ、なんと言って断ろうか。と、そこに、Tさんがやってきた。「どうしたの?何の話?」と話に入ってきたTさんに、メテオラ行きに誘われていることを説明する。新たな獲物の登場に、件の二人は再び「ねえ!一緒に行きません??」と飛びつく。すると、 いいよ。行こうよ!Tさん、即答。・・・・・・。ああ・・・・行くんですか。即答ですか。しかも、流れがまるで”わしがTさんを誘った”風になっており、そのTさんが「行く」と行った手前、わしが「行かない」とは言えない空気が出来上がっていた。そして、Tさんが言ったこの一言がダメ押しとなった。「ろっくんも、ドイツで運転してたから、運転できるよねっ!」さすがに往復を一人で運転するのはキツイと思っていたのであろう。「マジ?そりゃいいね!」と男が食いつく。「ヤッター!これで完璧!」と女が笑う。もう言えない。行かないなんて言えない。こうして、気が乗らない度99%なのに、この4人でのメテオラ行きが決まってしまったのである。 つ づ く
January 12, 2006
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午前11時頃、船はギリシャの港町「パトラ」に到着。わりとあっさりとした入国審査を済ませ、アテネ行きのバスに乗り込む。ここからアテネまでは3時間ほど。それでも1900円程度なので、これまで通過してきたヨーロッパの国々と比べると、どうやら物価は若干安いようだ。バスの隣の席には当然のようにTさんが座る。まあ良いのだが、一つ心配なのはわしが「臭くないか」ということだ。フェリーで一泊したおいら。その前は夜行列車で一泊。必然的に二晩フロに入っていない。トイレでなんとかシャツとパンツは変えたものの、靴下はもう代えがなくて3日目に突入しているのである。うーん・・・バスで3時間。暖房で温められた足から立ち上るであろう、我足の濃厚なかほり。はたしてTさんは耐えられるであろうか。他にも席はいっぱい空いているのだから、離れて座ったほうが彼のために良くはないだろうか。そう思い、わしはTさんに正直に言った。「おいら、靴下3日目なんで、くさいっすよ?」Tさんは「あははははっ!」っと笑うと、あっさりと言った。 「僕は5日目だよっ!」・・・・やっぱ離れて座りましょうよ。おいらの為に。アテネに到着。ユースホテルに泊まるというTさんに、半ば強引に連れていかれるおいら。が、残念ながらユースホテルは満員で、しかたなく近くの安ホテルに一泊することとなった。いやぁ、2日ぶりのシャワーのキモチイイこと!そんで、Tさんが買って来た「ウーゾ」ってゆう透明な、ギリシャの強い酒を二人で飲み交わしたのでした。で、翌日。朝は完全に二日酔い。頭が痛くてしばらく動けず。Tさんは元気に8時ころ出て行ったが、わしは昼まで部屋で死んでいた。やっと二日酔いから開放されたおいらは、ユースホテルへ移動。まだチェックインには早かったので、フロント前のロビーでボーっとしていた。そこに、突然。 メテオラ?なにそれ、それって街の名前?つーか、アンタ誰?挨拶もなしにイキナリこう問いかける謎の日本人女性。いったい誰?そしてメテオラとは?その謎は次回へ! つづく
January 10, 2006
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新年あけましておめでとうございます。遅い、と言う無かれ。やっと!待望のお休みがやってきたおいらにとって、今日が正月。あぁ・・・・長かったなぁ・・・。だって、最後の休みがまだクリスマス前の12月22日。働いて・・・はたらいて・・・。もう一度言おう。あけましておめでとう!俺!こうしてひさびさの休日の朝、ゆっくりとパソコンの前に座り、コーヒーをすする至福のひととき。ああ、のんびりしてていいなぁ・・・・。新年ついでに、ちょっと画面のイメージ変えてみちゃったりして。くふふふふ・・・・。あ、旅行記忘れてた!旅行記はギリシャに入る手前、フェリーで指を挟んだところで止まっておりますなぁ。まぁ、それもまた良し。まぁ、ごく数人のコアな読者の皆様に支えられ、今年もこんなペースでぼちぼち更新していく所存でおりますよ。今年も皆様、よろしくお願いします。
January 9, 2006
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旅行記はまたもざっくりと中断しているわけだが、いつまでも「メリークリスマス」は間抜けでもあるので更新しておこう。つーかね、飲食店ってね、みなさまが休みになると忙しいのですよ。もうね、次の休みはまだ決まってないのですよ。少なくても1月9日以降じゃないと、休めないわけですよ。正月なんて、もう、一人や二人、発狂してもおかしくないくらい忙しいんですよ。だから、きょうもこうして職場のパソコンからぐだぐだお送りしてるわけです。もうすでに一週間以上休み無しで働いておりまふので、約20日間休み無し、ってことになりまふな・・・。ああ、目がかすむ・・・。来年こそは、右手にドンペリ。ひざにはペルシャ猫。でっかいプラズマテレビで紅白を見ながら、年を越したいものである。では、みなさまよいお年を。
December 29, 2005
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あ、早く旅行記書けってか?クリスマスに野暮なこと言うなって、ごんたよ(笑)
December 24, 2005
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バトンである。受け取ると全力疾走。それがワシ流。かつてバトンを「受け取らない。渡さない。作らない。」の非バトン3原則を高々と掲げたおいらだが、やっぱり全力疾走してしまうのである。だって、誰かのブログにワシの名前が載ってると、なんかちょっとウレシーじゃなぁい?(ウフ♪)そんなわけで、N&Nさん、つーかmacnonさんから廻ってきました17歳バトン。さくさくっといっちゃうぞ!【Q1】17歳の時、何をしていた?バイクに夢中。ローンを組んで買った400ccのバイクで、暇さえあれば北海道のあちこちを走りまわってましたなぁ。ただ、バイクのローン月2万は学生の身にはかなり重く、バイトに明け暮れる日々でもありました。勉強?した記憶ナッシング。【Q2】17歳の時、何を考えてた?尾崎豊の名曲「17歳の地図」がちょうど友人たちの間で「イイヨナー」なんて言われてた時期で、なんとなく将来の事とか、夢、とかを考えるべきなんだろうなぁ、と思いつつ、結局「晩御飯なにかな?ウォー!」くらいしか考えてなかった気がしますな。【Q4】17歳でやり残したことは?男子校だったので、女子とお付き合いしたり、デートしたり、チューしたり、アンナコトやコンナコトしたり、ええ!?そんなことまで!?ってことしたり、いやお前それはやりすぎだろう!ってことしたりできなかったデース。【Q5】17歳に戻れたら何をする?やっぱりバイクで走り回りマース。【Q6】17歳に戻っていただきたい5人 ○ ごんた(gontanoneko) ○ kyoro218 さん ○ michi3号 さん ○ べーやんチップス さん ○ chiki cat さんよろしくな、と軽く言ってみる。
December 23, 2005
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ほんでまぁ、あれですよ。みなさんの予想通り、豪華客船のデッキで、寒い寒い寒い夜を過ごしていたおいらでございますよ。たしかモロッコでもこんな感じで、一人寒さと戦う夜を過ごしたなぁ・・なんて思いながら。船内のパーチーなんかも終わり、皆寝静まった深夜。景色なんかなんにも見えないし、期待していた星もまったく見えない。ただただ寒いだけの夜。どうした寝袋キチ!寒さをシャットアウトしやがれってんだ。「精一杯やってるっす!」バカヤロウ!寒いんだよっ!「無理っすよ。冬山もOKったって、普通テントの中っすよ。冬に外ってアンタ・・・」言い訳すんなっ!根性みせろ!「根性みせるのはアンタだろ・・ぷっ」暗闇の中、そんな一人芝居。気はまぎれても、寒さはまぎれない。そんな中、ふと尿意をもよおしたワシは、トイレに向った。デッキクラスのおいらでも、トイレだけは船内が許される。ひと時のぬくもりを感じつつ、放尿。終わればまた外だ。ああ出たくない。このままトイレで寝ちゃおうかしら。でも、それもなんかミジメだのぅ。はぁ・・・・・。意を決し、再び外へ。扉のすぐ後ろが寝台席で、カーテンの向こうのベットからは、スヤスヤと眠る人たちの寝息が聞こえてくる。いいなぁ・・・・・。おいらは彼らを起こさぬよう、そっと扉を閉めようとした。が、外の風に強く押され、扉はわしの意に反し勢い良く閉まりそうになった。イカン!「バーン!」とデカイ音が出てしまう!と、とっさにワシはドアを止めようとした。次の瞬間。 重く固い船の扉に、右手人差し指ががっちり挟まれてしまった。叫びたい!でもうるさくしてはイケナイ。わしはただ、声にならない雄たけびをあげるだけであった。見ると、挟んだ指先からは血がだらだらと流れていた。しびれてしばらくは痛みはなかったが、やがて遠くからどっくん・・どっくんどっくんどっくん!と激痛がやってきた。目を閉じると、まるで右手の指先だけが頭の大きさほどに巨大化したように感じる。わしは寒さの中、寝袋キチの中で、挟んだ指先をチュウチュウ吸い続けるしかなかった。寒いは、痛いはで、結局眠れず。日が昇り、やがて船がギリシャに着いたときには、こんな感じであったよ。 つづく
December 22, 2005
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夜8時出港のフェリーに乗り込む。船は想像していた「連絡船」って感じでは全く無く、プールも付いてりゃカジノやディスコ、オシャレなパティー会場まである「豪華客船」であった。わしの購入したチケットはデッキクラスと呼ばれるもの。デッキっつーのは外のことだね。要するに「外で寝ろ」ってチケットなわけだ。だって一番安かったから。そのデッキにて、買っておいた安ワインをTさんと飲み交わす。このTさん、見た目はいかにも頼りなく、オドオドキョドキョドしてるので、「この人、一人で旅してて大丈夫かいな」と思っていたのだが、話を聞くと、これまで南米から南極を目指していたり、アコンカグラに登頂してたりとやたら経験豊富なのであった。人は見かけによらないものである。すっかり旅の話で盛り上がり、ふと時計を見ると深夜0時過ぎ。じゃあ、そろそろ寝ますか。どの辺で寝ましょうかねぇ・・なんてTさんに問いかけると、「え?デッキクラスにしたんですか?僕は寝台とったんで、ベットで寝ます」ですと。あららら。そうだったのね。デッキクラスと寝台だと、値段かなり違うじゃないですか。「いや、ろっくんさん・・・・・いま冬ですよ?」う~ん・・・おっしゃる通り、確かに冬。でも、おいらにはコレがあるのだっ!!雪山でもOK(なハズ)の寝袋キチなら、へっちゃらさ!「今からでも寝台に変えてもらったらどうです?」なんていうTさんの忠告を無視して、おいらはデッキの片隅に据え付けられているベンチを今夜の寝床と決めた。おやすみ!さあ、星空を眺めながら寝るとしようか。豪華客船だからだろうか。それとも、冬だからであろうか。どうやらデッキクラスで外で寝てるなんて人は、おいらの他にはいないようである。けっこうバックパッカーらしき人も乗っていたのに、みな寝台をとったのだね。窓から見える船内では、ちょっとしたパーティーが開かれているようで、タキシードを着た男性と、ドレスで着飾った女性が楽しそうに集まっている。こんな感じ。コラコラ、そこの二人。「なに?あの物体?」みたいな目で人を見るんじゃない。 つづく
December 19, 2005
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次の話を書く前に、イラストだけでも書いておくかな、と思いましてね、Tさんの顔を書いてみたんですが・・・。全然、似ても似つかないわけですよ。まったく別人になってしまったわけですよ。でも・・・気に入っちゃったわけですよ。だから掲載してみました(笑)
December 16, 2005
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BARIって街はいい所であった。とりあえずフェリー乗り場まで行き、ギリシャへのチケットを購入したおいら。しかし、フェリーの出港は夜なので、時間をつぶすために再び市街地へと戻ることにした。おいらはまたバスに乗ったのだが、どうにも来たときと見える風景が違う気がする。不安になって、前の席のイタリア美人に「このバスって駅にいくよね?」と聞いてみると、「ノー・ノー!このバスは駅には行かないわよ!」と教えてくれた。すると、別の席から「それならワシが教えてやろう。ついてきな!」と初老の男性がおいらをバスから降ろし、反対側のバス停まで連れて行ってくれるではないか。そうして、バスを待つ人達に「ヘイ、彼を6番のバスに乗せてやってくれ。駅に行きたいそうだ」と言ってくれた。やがて6番のバスが来ると、列の人たちは一斉に「これだよ!このバスだよ!乗れ!乗れ!」と指差すのだ。バスに乗り込むと、一緒に乗ってきた男性が運転手に向って、「彼は駅に行きたいそうだ。教えてやってくれ!」とでも言ってくれたのだろう。やがて駅前まで着くと運転手が「ヘイ!そこの兄ちゃん!駅前だよ!」と教えてくれた。いやぁ・・・、実に親切。そしてあったかい。彼らの爪のアカを煎じて、おいらにウソを教えたチケット売り場のお姉さんと、罰金をとったトリノのバス会社の男に飲ませてさしあげたい。しばらくBARIの街中をぶらぶらと歩きまわる。小さいが、落ち着いていていい街である。そして夕方、再び港へ向うため、おいらはバス停に立った。なかなか来ないバスを待っていると、一人の日本人旅行者が後ろから声をかけてきた。「あの・・・・、このバスってユースホテルに行くんですか?」と。「いえ、港に行くバスを待ってるんですが」と答える。「なんだー。バックパック持った人が沢山並んでるから、てっきりユースホテルに行くのかと思いましたよ」と彼。ユースホテルがどこにあるかは知らぬが、残念ながらここから出るバスでは行けまい。さらば!と思っていると、「じゃあ、ボクも港に行こうかな!」なんておっしゃる。「え、ギリシャに渡るんですか?じゃあボクもそうしようかな!」とまでおっしゃる。軽いなぁ~。いいんですけど。聞くとこのTさん、おいらより3つ年上で、公務員。成り行きながら、しばらく同行することとなったのである。 イラストを書く気満々であったが、話の内容がまったくイラストにならないので、今回はオチがない上にイラストもないのである。 わはははは。 つづく
December 16, 2005
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まさに撃沈。中田の試合を見るために、そのためだけに費やした4日間。その間、バスでわけわからん罰金を取られもした。そのあげくが、間違った開催場所を教えられてたとゆー、ありえないオチ。次の試合は1週間後。本当のサッカーバカなら、きっと1週間待ってでも見るであろう。でも、にわかサッカーバカであるところのわしは、もうイヤになっちゃったんである。サッカー?なにそれ。勝手にボール蹴っ飛ばしてなさいよ。もうイタリアなんかおさらばである。ガイドブックによれば、BARIという街から、フェリーでギリシャに渡れるという。そんなわけで、おいらはミラノから夜行列車のヒトとなった。寝台列車なので、一つのコンパートメントに4つのベットがすえつけられていた。そこで一緒になったスイス人の男が、実にイカス男であった。年頃の女性なら、目をハートにしてうっとりみとれる事間違いなしのハンサムボーイである。彼は気軽に話しかけてきた。あまりにフレンドリーな感じなので、わしはつい自嘲気味に、中田の試合が見れなかったグチを彼に話した。すると彼は心から同情した様子で、「元気だせよ!きっとこれからいいことが起きるさ!」なんて励ましてくれちゃうのである。嬉しくなったおいらは、しばらく彼と語り合った。聞くと彼は映画俳優を目指しているのだという。そして言うのだ。「僕は、誰でも必ず夢は叶うと信じているんだ!」熱い。熱いぜ君。そうさ!君はきっと映画俳優になれるさ!二人の熱い語らいは深夜まで続いた。彼はおいらが行くBARIよりもだいぶ手前で降りる予定だという。目が覚めた時には、もう彼は居ないのだ。「おやすみ!いつかスクリーンで君に会えるのを楽しみにしてるよ!」「サンキュー!君もがんばって夢を叶えてくれ!おやすみ!」一期一会。こんな出会いも旅の醍醐味の一つである。いつか本当に映画で活躍する彼を見られたら、こんな嬉しいことは無い。おいらは彼との語らいで、落ち込んだ気分がすっかり晴れ、いい気分で眠りについたのであった。オチは無い。無いのだよ。ふふふふふ。 つづく。
December 15, 2005
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あ、物を投げないで下さい。ちょっとやってみたかったの。ウフ♪
December 9, 2005
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気を取り直して、翌日。いよいよナカタの試合である。(つっても更新がひさびさなので、前回の日記をただちに6回ほど読み返すことを強くオススメするのだ。)オイラは購入しておいたナカタユニフォームを着込み、鼻息も荒くスタジアムへ向った。ペルージャにとってはアウェイ、つまり敵地にこのユニフォームを着て乗り込むってことはヘタをすると地元ファンから敵視される怖れもあるが、な~に、関係ないのだ。さて、前回書いた通り、イタリアのバスには一生乗らないと心に誓ったおいらなので、遅い路面電車を利用する。また、試合のチケットは未入手。よって当日券、もしくはダフ屋から購入する必要がある。そのへんを考慮して、試合開始よりもかなり早めに出発したわけだが、さすがに早すぎた。試合開始時間の4時間も前に着いてしまったわけである。当然ながら、スタジアムの周りは「がら~ん・・・・」としていた。チケット売り場なるものも閉まっているし、もちろんダフ屋なんているはずもない。しかし、とりあえずチケットを入手せねば、どうにも落ち着かぬ。おいらはムダとは思いつつ、スタジアムの周りをうろうろと徘徊していた。しばらくして、敷地内を掃除しているおっちゃん二人を発見。チケット入手方法を聞きだすべく、すばやく接近していくとわしのユニフォームに気づいたおっちゃんは「オ~!ナカ~タ!」と親しげな笑顔を見せるではないか。さすがはナカタ。すでにイタリアではここまで名前が売れておるのか。「オーいえす!ナカータ!」おいらも誇らしげに背中の「NAKATA」の名を見せる。「イエース!ナカータ!グ~ッ!」おっちゃんは親指を立てて言うのだ。おお、わかるかおっちゃん!そうなんだよ。ナカタはグーなのよ。言葉はほとんど通じないながら、にわかサッカーバカと、国民総サッカーバカのイタリア人との異文化コミュニケーションがここに成立したわけである。わしはにこやかに微笑みながら、身振り手振りを交えて言った。「ナカータは日本人の誇りだね。だからわしはこうしてユニフォームを着て、今日の試合を応援に来たってわけだよ。悪いけど、ナカータの活躍で今日の試合は頂きっつーわけだよ。おっちゃん!」「・・・・・・?」急におっちゃんから笑顔が消える。あれ・・・?気に障った?あ、ごめんごめん。ペルージャは弱いもんね。ナカタがいくらすごくても勝てない勝てない。アハハハ・・・。「・・・・・・・?」いや、おっちゃんゴメンって。ユベントスは強いもんね!ユ・・ユベントス最強!ね?「・・・・ヘイ・・ジャパニーズボーイ・・・」は、はい!なんでしょう!怒っちゃヤーヨ?「・・・・・・ナカタの試合はここじゃないぞ?」・・・へ?「今日ここでやるのはユベントス対インテルだよ?ペルージャはミラノだぜ?」 「ま、マジ?おっちゃんそれ本当?」「そうだよ。はっはっは!ナカタはミラノだよ。はっはっはっは!」笑い事ぢゃねえよおっちゃん!「さ、さんきゅーおっちゃん!」次の瞬間おいらは走りだしていた。ミ、ミラノへ!ミラノへ急ぐんだ俺!チキショー!あのチケットオフィスのお姉さんめ!ウソ教えやがったな?ミラノは地図で見る限りそう遠くはない。急行列車なら2時間くらいで着くはずだ。大丈夫。きっと間に合う!おいらは駅までタクシーを使い、うまい具合にミラノ行きの列車に乗ることができた。列車の中でも走っていたいくらいの心境であったが、ミラノに着くまではどうしようもない。ああ、気があせる。ちょっと!この列車遅いよっ!!!! ・ ・ ・ ・ ・ ・やがて列車がミラノに到着。おいらは全速力でタクシー乗り場に走った。そして、タクシーの運転手に「フ・フットボール!ナカータ!すたじあむ!プリーズ!!」と支離滅裂に叫ぶように言った。しかし・・・答えは無情にも・・・「フィニート」(たぶん「終わったよ」って意味)そ・・・・そんな・・・・。信じられず別のタクシーにも聞いてみるが、答えは同じく「サッカー?もう終わったよ」。にわかサッカーバカ、ミラノにて撃沈。
December 7, 2005
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トリノには試合の前々日の夜に着いてしまった。翌日、街をうろついていると、サッカーのユニフォームを売っている店を発見。探すと、ありました!「NAKATA」のネーム入りのペルージャのユニフォームが。もちろん、即購入。これを着てスタジアムに乗り込み、にわかサッカーバカとなって声が枯れるまで中田を応援するのだ!ただ問題はチケットがまだ入手できていないこと。なーに、当日券だってあるだろうし、ダフ屋みたいなもんだっているだろう。多少高くても、もう、何が何でも試合は観てやるんだもんね。前日にしてすでに鼻息の荒いにわかサッカーバカとなっているおいらは、他にすることも思いつかないってのもあって、一度スタジアムまで行ってみよう!と思い立った。スタジアムまでは路面電車かバスで行けるようであった。とりあえず、宿から乗り場が近かった路面電車でスタジアムに向かう。これが遅いのなんのって、40分くらいかかってやっと到着。別に急いでいるわけではないんだけど、「もしかしたら今日チケットとか買えちゃう?」とか考えだしたら気が焦ってしまって、この電車の遅さが実に腹立たしい。で、やっと着いたスタジアムは、シーン・・・・・と静まり返っていた。まぁ、試合が無い日なんだからアタリマエっちゃあアタリマエなんですけどね。すぺてのゲートがクローズされていて、チケットなんて売ってる気配すらない。が、ここが明日には多くのサッカーバカたちによって埋め尽くされるのだ。ここに「NAKATA」ユニフォームを誇らしげに着て突入するのだ。そう思うと「ああ、早く明日になれ!」と、遠足前の小学生のようにワクワクしてしまうのでしたよ。で、悲劇は帰り道に起きたわけだ。路面電車だと40分。ではバスではどうなのだ?そう思って帰りはバスをチョイス。バス停で待っていると、それらしきバスが来たので乗ってみる。乗り込む際、料金を払うところも、整理券なども無かったので、「降りるときに払うのか」と思った。それよりも、このバスがちゃんと宿の近くまで行くバスなのかどうかを心配していた。しばらくして、一人の男が立ち上がり、客一人ひとりの乗車券を確認し始めた。へ?乗車券?なんでみんな持ってんの?乗車券を買わなきゃならなかったの?・・・でも、どこで?まぁ、いいや。今お金を払えば。日本人の感覚だと、JRとか日本のバスとかでも、そんなもんでしょう?で、その男がわしのところに来た。「乗車券を見せなさい」と。「乗車券を買うって知らなかったから持ってないです。今お金払います。いくらですか?」とわしは言った。「乗車券を持ってない?あなたは乗車券を持ってないんですね?」と男が確認してきた。「ええ、持ってないです。知らなかったんで。今ここで買えますか?」とわし。「次の停留場で降りて下さい。それからパスポートを預かります」と男。え?いや、わしはもっと先まで行きたいのだし、お金もちゃんと払う意思があるんですけど。しぶしぶ渡したパスポート。男はなにやら内容を紙に書き写している。そしてその作業が終わっても、返してくれないのである。なにやらめんどくさいことになってきた。しかたなく次の停留所で男と一緒にバスを降りる。男は使い慣れない英語でわしにこう言った。「あなたは乗車券を持たずにバスに乗った。従って罰金を払う必要がある。2日以内にこの紙を持って銀行に行き、この額を支払うように。」ば、罰金!?額を見てびっくり仰天。日本円にして約3万円である。イタリアの通過、リラは桁がでかいので、額面以上に大金に感じる。ば、バカ言うでねえっ!わしは必死で抵抗した。「わたしはツーリストです!イタリアのバスに乗るのに事前に乗車券を買う必要があるなんて知らなかったんです!本当です!お金を払う意思は山盛りあったんです!」が、男は「乗車券持ってなかったら罰金をもらう決まりですから」と言って譲らない。いやいやいやいや。無賃乗車をしようとしてる人、する人を戒めるための「罰金」でしょ?そのルールをしらなかった旅人にも「罰金」を課すのってフェアなの?違うぢゃん!?ねえ!片言の英語同士の議論は白熱。ほとんど怒鳴りあいにちかい様相を呈してきた。でも、納得いかんもん。なんで2週間分の宿泊費に相当する額をとられにゃならんの?しばらくして、身なりのいい老紳士がゆっくりと二人に近づいてきて言った。「どうした?何か問題が?」救世主現る。ああ、この人生の酸いも甘いも知り尽くしてる風の、この人ならわかってくれるだろう。そして男に「それはおかしい」と言ってくれるに違いない。わしは期待を込めて「かくかくしかじかで・・・・」と経緯を説明した。するとその老紳士、深くうなずくとゆっくりと子供を諭すように、わしに向かってこう言いやがった。「バスに乗るのに乗車券が必要だってことは、子供だって知ってることだ。 君がそれを守らなかった以上、罰金は払わなくてはいけないんだよ」うがああああああっ!もうお前ら!バーカバーカッ!払えばいいんだろ払えばっ!おらっ!紙よこせ!パスポートも返せよ!バーカバーカ!おいらはふんだくるように紙とパスポートを男から受け取り、もくもくと歩き出した。「その支払いの紙で、残りの区間のバスに乗ってよし」と後ろから男が言う。誰が乗りますかってんだ!イタリアのバスになんか、もう一生頼まれたって乗ってやらねえよ。バーカバーカ!おいらは悔しいやら腹が立つやらで、もう意地になって宿まで歩いた。・・・・2時間かかった。野田知佑さんの本で昔読んだエピソードを紹介しよう。ニュージーランドのある町で、レンタカーを道路わきに駐車しておいたら、レッカー移動されてしまっていた。そこは駐車禁止場所だったのだ。しかたなく車を取りにいくと、そこの係員は駐車していたのが旅行者だったのを知り、「君はこの国のルールをまだよく知らなかった。そんな人から罰金をとるのはフェアではない」と言って許してくれたのだそうな。「民度の高い国とはこういう国なのだろう」と野田さんは言っている。そうですとも!それが正しい!もう何年も経ってるんですけど、書いててまた腹が立ってきましたよ。こんな罰金、無視してやれ!と思いつつ、出国する際になんかメンドクセーことになるような気がして、結局払ってしまったへタレなおいらがいたことを付け加えておこう。が、悲劇はこれだけでは終わらないのであった・・・・・・。 つ づ く
November 16, 2005
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中田英寿。言わずと知れた、日本を代表するサッカー選手である。彼が初めてイタリアセリエAに移籍した年。それが、おいらがこの旅をしている年である。そして舞台はイタリア。ペルージャにて数試合に先発出場し、すでに得点もあげ、一躍「ナカタ」の名前がサッカー大好き王国イタリアに鳴り響いていた時期である。おいらが日本人とわかると、「ナカータ!グーーー!」と中田の活躍を褒め称える言葉を投げかけられたりもした。同じ日本人として、実に鼻が高い。こう見えても、小、中、高とサッカー部員だったおいらである。となりゃあ、見にいかねばなるまい?中田の雄姿を。イタリアで一人戦う日本人を、声を枯らして応援せねばなるまいて。さて、そうは決めたものの、どこにいきゃあ中田の試合が見れるのかがさっぱりわからない。とりあえず安宿のおばちゃんに聞いてみたら、その息子ってのが出てきて日本でゆーところの「チケットぴあ」みたいな所を紹介してくれたのであった。さっそくチケットを入手すべくそこに乗り込む。「ナカータ!ナカータのシアーイがミターイ」と訴えると、「オー!ナカータ!ペルージャね!」と係の女性はにっこりわらって調べてくれた。で、結果、「今週末のペルージャの試合は”トリノ”よ。」との事。が、なんでもチケットはそこでは買えないのだと言う。まだ当時、日本のようにオンラインでどこからでも買えるようなシステムは無く、トリノで行われる試合のチケットはトリノでないと買えないんだそうな。う~ん・・・、とそこで悩むことになった。なにしろその時の在地は「フィレンツェ」であり、「トリノ」はとっくに通り過ぎた街なのだ。試合を見るためにはかなりの距離を戻らなくてはならない。しかも、チケットを入手できる保障はないのだ。う~ん・・・・・う~ん・・・・。ああ、でもやっぱり見たい!どうせ期限なんて無い旅なんだし、戻るもなにも行き先なんて最初からないんだから。行くぞ!トリノ!待ってろよ中田!今わしが応援に駆けつけるぞ!そうしておいらは、また列車に乗り、トリノを目指して移動した。そこに悲劇が待っていることも知らずに・・・・。 つ づ く
November 16, 2005
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ピサの斜塔は確かに傾いていた。傾いていなければここまで有名になることはなかったであろうが、それはそれで綺麗な塔として、歴史の遺産となったことだろう。つーか、直せよと。あ、直してるのか。なんでも、年々傾きは進んでいて、さすがにこれ以上傾くとマズイってんで、土台の補修をしてるそうだ。え?ポルトガルからしばらく更新してなくて、いきなりなんでピサなんだよって?はしょったよ。ざっくりと。ざっと書きますと、ポルトガルからスペインに移動してふらふらして、で、モナコ公国なんかに行ってまたカジノで一儲けするはずかすっかり散財して、で、イタリアに流れ着いたってことなんですよ。で、このイタリアでおいらは散々な目に遭うことになるんで、そのへんから面白い話になるのではないか?と思うわけですよ。だからざっくりはしょったわけなんですよ。さあ!書くぞ!明日から、ね。
November 14, 2005
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リスボンから、電車、バスを乗り継いでついに到着。ユーラシア大陸最西端の地、「ロカ岬」である。岬の先端に立ち、「とにもかくにも、今ユーラシア大陸にいる数億人の人間の中で、おいらより西に立っているヤツは一人も居ない!」と、鼻息を荒くしてみる。なんだかすげえ!でもよく考えると別にちっともすごくないわけだが。大航海時代、こんなところから日本まで船でやってきた男たちがいたとは・・・・・。そんな事を考えながらぼんやりとたたずむには丁度良いくらいに、そこは閑散としていた。う~ん、いい感じ。このまましばらく海を見ながらたそがれちゃうとしようか。と思ったら、数台の観光バスが到着し、中から人がワラワラと降りてきた。あっとゆー間に岬は人だらけである。あらららら。さっきまでの「最果ての地」的なさびれた雰囲気が、一気に観光地になってまいましたぜ。やっと去っていったと思えばまた次のバス。おいらはたそがれを断念せざるを得なかったのであった。リスボンに戻り、夕食。あんまりお腹も空いてなかったので、小さなレストランで「スパゲッティー」と「ビール」を注文した。そしたら、ビールの他に、「パンの入ったカゴ」と「オリーブの実が盛られた皿」と「チーズ盛り合わせ」が出てきた。ほうほう。こんなの付いてくるんだ!とチーズをぱくり。ビールをぐびぐび。オリーブの実を一つ食べてみる。うーん、まずい。こりゃいらない。やがてスパゲッティーが出てきたので、パンを一つとって一緒に食べた。そして会計。びっくり仰天である。3350エスクード。約2600円ときたぜ!ナンデダ!?スパゲッティーが1000で、ビールが600ダロ?1600ノハズダヨネ!?すると店の人間はアタリマエダロ?って顔して言うのである。「パンが500、チーズが800、オリーブの実が450ですから」と。いや、頼んでないのに出てきたんだもの!テーブルに並べられたんだもの!パンも1個、チーズも一切れ、オリーブの実も一粒だけしか食べてないのに!ぼったくりバーかよ!どうやらこれがポルトガル流。それ以降、怖くてテーブルに勝手に出されるパンやチーズには、怖くて手が出せなくなったおいらであった。バス代をけちってがんばって歩いたり、少しでも安い宿をさがしたり、といった努力がこんなことで無に帰すと、かなり「とほほほほ・・・・」となりますよねぇ・・・。 つづく
October 27, 2005
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今日は旅行記じゃないのだ。リトルモアさんの日記「ストラップ」を見て思い出したのだが、彼女がおみやげに買って来たストラップが上の写真。リアルな鮭!横に出ているヒモを引っ張ると、さらにリアルに口をあけ、身をよじらせてみせるのだ。い・・・・いかさねぇ~・・・。こ、これを付けろとおっしゃるので??「だって、ろっくん鮭好きじゃん!」と彼女は真顔で言う。確かに鮭は大好きだよ・・・・・食べるのがね!こんなリアルな鮭を携帯にぶらさげて歩くほど、鮭Loveな俺ではない。みなさん、どう思います??(ちなみに、もちろん携帯には付けておりませぬ)
October 26, 2005
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前回書いた通り、盛り上がりに欠けるおいらの旅は、だらだらとポルトガルへ流れた。とりあえず、ユーラシア大陸最西端の地「ロカ岬」を訪れようと思ったわけなのだ。寝台列車で爆睡しつつ、リスボンに到着。駅には「RISBOA」と書いてある。りすぼ・・・あ?「ん」でねえの?どうやら「ん」でねえらしい。さっそく宿探しを始めたおいら。ガイドブックによると、安宿の相場は2000~2500エスクード。日本円にして2000円以内に収まる計算になる。が、何軒かホテルを訪ねるも、一番安いところで6000エスクードときたもんだ。インフォメーションに行って、「2000エスクードくらいで泊まれる宿を紹介プリーズ」と言ったら鼻で「フンッ」って笑われた。「最低でも7000ね」だと。うう~む、高い。しかたなく最初に訪ねた一番安かったホテルに再度出向くと、受付のおばちゃんは笑って「じゃ、5000でいいわよ」と言ってくれた。あんがと、おばちゃん。で、やっと決まった宿がここ↓。 シャワー、トイレは共同。これで一泊4000円はきつい。なんでもその頃、リスボンでは大きな博覧会が開かれており、宿泊費が急騰していたのだそうな。その夜、すやすやと眠っていたら、いきなり強力な女性のあえぎ声で目が覚めた。おいおい・・・真夜中にこんな安宿で全力でファッ○してんじゃねえよ!安眠を妨げられ、とってもイライラするおいら。いいかげんに続くようなら、壁をけっとばして「静かにしやがれ!」とでも叫ばねばなるまい。やがて、やっと終わったと思ったら、5分程して2回戦開始。こいつら・・・・いいかげんにして頂きたい。が、しかし・・・・ついに3回戦が始まった頃には、男のがんばりに敬意を抱き、そっと壁のむこうに向って拍手を送ったおいらなのであった。 つづく。
October 24, 2005
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旅はこの旅行記と同様に、なかなか盛り上がらない。おいらは変なプレッシャーを感じていた。ずっと温めてきた計画である。その夢に、やっと踏み出したのだ。そのためにわざわざ仕事も辞めた。絶対に有意義な旅にせねば!そんな決意が、重いプレッシャーとなってのしかかっていた。が、旅を始めて数日。未だ胸ときめくような出会いも、涙ちょちょぎれるような感動も、タマキンがキュキュっと縮むようなスリルも味わってはいなかった。何も起こらないまま、時間だけが過ぎ、お金だけが減っていった。「風の吹くまま」をテーマに、あくまでフラフラと流れて行こう、と思って、街角にアホ面をさらして立ちつくしてみる。しかし、当然ながらそんなに都合よく風は吹かないのである。ぶらぶらと、別に見たくもない観光名所を見てまわる。しかし全然楽しめない。「こんなことをしてる場合じゃないんだ!」自由な旅をするはハズが、おいらは自分が勝手に描いた理想の旅にがんじがらめに縛られていたのである・・・・。 つづく
October 15, 2005
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バトンである。先日、michi3号さんより「酒バトン」が廻ってきていたのだが、「ああ、もう秋だねぇ・・・」などとつぶやきつつ遠くを眺めて気づかぬフリをしていた。すまぬ。michi3号さんよ。実は気がついていたのだよ。そして今日、さきほどリトルモアさんの日記をウキウキウォッチングしに行くと、「はいコレ!」とばかりに「夢バトン」を渡された次第。ここは、「最近残尿感がはげしくてねぇ・・・ホゲホゲ」と老化を理由にバックレようかと。しかーし!パソコンの中のバーチャル空間にポツンと置かれた2本のバトン。気になる気になる気になる!せっかく廻してもらったんなら走っちゃえ!と考えを改めた次第である。つーわけで、バトン2本を両手に握って全力疾走だ!皆の衆!ついて参れ!1本目:「酒バトン」(1)今冷蔵庫に入っているお酒の容量は?日本酒がコップ半分くらいの量だけ。昨日、仕事から帰ってきて、「ビ・・・ビール!ちべたいビール!他には何もいらないそんな俺!」と叫びつつ冷蔵庫開けたらビールが一本も無かった。思わず彼女をにらみつける。「あれ?ビールない?あははははは」だとぅ???そして今日も買って来るの忘れた。ウイスキーも焼酎も切れている。よって、今日は酔えず。必然的に旅行記は更新不可能(笑)(2)好きな銘柄(ビール)キリンラガー。特にこだわりはないが、スーパードライがうまいと言う人には積極的にケンカを売っていきたい。(日本酒)上善如水(酎ハイ)基本的に飲まない。(3)最近最後に飲んだお店はやきとりの大吉(4)よく飲む、もしくは思い入れのある5杯トム・ウェイツを聞きながらスコッチのロックをちびりちびり、と。渋い。渋すぎる・・・・。と自分に浸る。(5)ジョッキを回す人5人 わしはアンカー。そのままゴールじゃ!2本目:「夢バトン」Q1. 小さい頃、何になりたかった? 小学校の作文で「将来なにになりたいか」とのテーマに 「天皇」と書いてえらく叱られた記憶がある。 夢がない先生であった。 Q2. その夢は叶いましたか? 8割方叶ったかな?Q3. 現在の夢は? 世界中を自由に旅しまくる。 ワールドワイド版フーテンの寅さんのように生きる。Q4. 宝くじ3億円当たったら? 家でもおったてる。 Q5. あなたにとっての夢の様な世界とは? 好きなことだけやって生きていける世界。 Q6. 昨晩みた夢は? 覚えてない。 つーか、寝て見る夢は話が違う気がするのだが?(笑) Q7. この人の夢の話をきいてみたいと思う5人は? いや、わしがアンカー。そのままゴールじゃ!ちゅうわけでぶっちぎりの最下位でゴール!やっつけ仕事たぁこのことダナ!ところでMixiなるものに興味深々なおいらなのだが、誰か招待しておくれでないかしら?
October 13, 2005
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突然だが、前々回の日記を今すぐ読み返して欲しい。ライナウ!読んだ?うむ。「寝られるかぁ!」で終わっているね?で、その後どうしたかというと、床で寝たんですよ。実は旅に出発するにあたって、荷物をまとめている時、最後まで迷ったのが「寝袋を持っていくかどうか」であった。旅のイメージの中には、やむなく野宿をする自分の姿がある。が、実際そんな状況になることってあるのか?結局一度も使わなかった、なんてことになるんじゃないの?そう思うと躊躇してしまう。なにしろ限られたバックパックのスペースの中、いくらコンパクトなサイズとはいえ寝袋の占める割合はでかいのである。そうして散々迷った末、おいらは寝袋を持ってきていた。これがさっそく役に立ったってわけなのだ。ベットにかかっていたタオルケットのようなものを床に敷き、その上に寝袋を広げる。羽毛がつまった寝袋は、空気をぎゅぎゅっと逃がしつつ丸めればかなり小さくまとまるが、広げると再び空気を吸い込み、ふっかふかの羽毛布団と化す。これが最高に寝心地よかったのである。ぐっすりと眠り、さわやかに目覚めた朝、おいらはこの寝袋のすばらしさに感動し、感謝と尊敬の念を込めて「ネブクロキチ」と命名した。長期の旅をする方には、この「寝袋」を持っていく事をおすすめしたい。なぜなら、このネブクロキチは旅の間中、大活躍をしたのだ。たとえ野宿をするような機会がなくとも、たとえば安宿の布団がしめっぽいときや、虫がいるようで痒い!なんて時、それから前の宿泊者が「ワキガ」のクラクラするような残り香を、たっぷりと布団に残していっているような場合、寝袋があれば「うむ!」などとうなずきつつ余裕で寝袋出動である。また、枕が汚い!とか臭い!なんてときも、寝袋が枕の役割をしてくれる。長い旅、やはりいい睡眠は大事ですね!さあ、今すぐ寝袋を買うのだ!こうしてひさびさにアフィリエイトなんぞを貼り付けてみたおいらは、パリを後にして、ポルトガルへ向うのであった。
October 11, 2005
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前回さんざんフランスが嫌いだと言っておいてなんだが、「おーしゃんぜりぜ」なのである。あてもなくぶらつくパリは、出張で慌しく歩くパリとは違って見えた。どーにも「美しい」のである。華やかなシャンゼリゼ通り。あちこちにあるオープンカフェで通りを眺めながらエスプレッソを飲む人々。ちょっと古びた、落ち着きのある景観。緑の街路樹が色を添える。そんな街を、セーヌ川がゆったりと流れる。いつしか、おいらの心は「けっ・・・きどりやがって!」から「お~シャンゼリゼ~♪」と変わっていた。なんだよ。パリってホントに美しい街じゃないの。ちょっとしゃくにさわるが、オシャレなのだ。あ、話はまた大きく脱線するのであるが、これは語っておかねばなるまい。出張でヨーロッパ各国を訪問した際、夕食はホテルのルームサービスで済ませることが多かった。だって、一人でレストランって入りにくいじゃない?で、たとえばメニューから「チキングリル」を注文したとしよう。しばらくして、部屋にフタをかぶせられた料理が届く。さあ、どんなかな?と期待を込めてフタをとると、フランスの場合、焼き上げた鶏肉の周りには彩りの野菜などが添えられており、味付けも「手間隙かけてます」って感じだ。合格!なのであるが、イギリスの場合、「ハイ、チキングリルです」って・・・・ほんとに鶏肉焼きました!ってだけである。「ほんとに鶏肉だけかよっ!」とよく一人のけぞったものだ。しかも味付けなどなされておらず、塩とコショウのビンが添えられているだけ。「自分で適当にドーゾ」ってことらしい。なんでもイギリスには「料理に時間をかけるような女房はとっとと捨てちまえ!」なることわざがあるらしい。それくらい料理ってものにこだわりがない。そのぶん、中華料理屋やインド料理屋がいたるところにあるので、イギリスではそれらの店を利用するのが無難である。いろんな分野でライバル関係にあるイギリスとフランスであるが、「食」分野では「フランス」の圧勝であるとおいらが勝手に認定する。ちなみに、朝食も朝から油ぎっとりのソーセージとマッシュルームの炒め物と目玉焼き。味付けは塩胡椒オンリーなイギリスに対し、さっくさくのクロワッサンとカフェオレ、そして果物なフランス。圧勝である。そして、今回の話は脱線したまま終了するのである。あしからず。
October 5, 2005
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イギリスにはもう用はねえ。48時間限定だと?ふっ・・・・24時間で出てってくれるわっ!というわけで、ふてくされ小僧と化したおいらはユーロスターに乗り、さっさとイギリスを出国した。海底トンネルってことで、ついつい水族館のようにお魚たちがひらひら泳ぐ中を突き進む特急列車をイメージしていたが、実際にはただの「長いトンネル」であった。ま、アタリマエですがね。着いた所はおフランス。パリでございます。誤解を恐れずここではっきり言わせてもらうが、おいらはフランスが嫌いである。いや、正確には「フランス的なもの」が嫌いなのだ。あくまで「フランス」というイメージを、上っ面だけ眺めた上での、超個人的な見解であるが故、反論、異論は一切受け付けないのである。だって、なーんか気取ってやがるでしょう?そもそも、おいらはオシャレだのファッションだの、流行だのってものに対しては、常にナナメ45度からじっとりとした視線を投げかけた上で、「けっ・・・!」とつぶやく、そんな生き方を貫いてきたわけで、どうにもその憎むべき「オシャレさん」の総本山とも思えるこの国が好きであろうはずがない。ちなみに、ヨーロッパの中では「おフランス」「イタリア」あたりがオシャレであり、ファッショナブルであるという事になっており、「イギリス」や「ドイツ」はダサイ、センスねえ、ってことで見下されている風潮がある(らしい)。以前ドイツにいた頃、会社の先輩がフランスのブティックで洋服を選んでいると、店員が「うーん、この色はおすすめできないな・・・。ちょっとセンス悪いよね。」と言ってきたのだそうな。が、やがて先輩がドイツに住んでいることがわかると、「あ、ドイツで着るなら、この色でも十分かもね」と言われたのだそうな。失礼しちゃうぜ!立ち上がれ全ドイツ国民よ!「ださくて何が悪い!」と叫びつつ、フランスを蹂躙するのだ!はぁはぁ・・・・。わしゃ、ださくても素朴なドイツのほうがいいもんね。もう一つ、決定的においらがフランスを敵視するようになったエピソードを紹介しよう。ある日、初めていく顧客の会社を探し、パリ郊外をうろついていた時の事。住所を頼りに探し歩くも、なかなか見つからない。迫る約束の時間にあせりつつ、なおもウロウロしていると、パトカーの脇にたたずむ警官3人を発見。やれウレシヤ!と駆け寄り、「ここに行きたいのですが」と住所を見せた。すると警官は、チラリ、と一瞬だけ住所に目を落とすと、心からメンドクサそうに「あっちだ!」と指をさした。「そんな大雑把な道案内があるかよ」と思ったものの、サンキューと答えてそちらに向う。が、・・・・・・。教えてもらった方向にいくら歩こうとも、目的の会社は現れない。それどころか、住所の表記はどんどん離れていくではないか。いくらなんでもおかしいぞ、と引き返したところ、最終的に目的の会社は、警官に教えられた方角の、まったく反対方向にあった。ウソつかれたのである。ダマされたのである。適当にあしらわれたのである。おいらが「フランスぅ?けっ・・・”しれぶぷれ”なんて言いにくいんだよっ!けっ!」と吐き捨てるようになったのも、無理からぬ話であろう。話は大きく脱線した。とりあえずパリで安い宿を探す。それまでパリには仕事以外で来たことがなかった。仕事ではいつも、☆が三つも四つもついてるホテルに宿泊できたわけだが、今回はそうはいかない。安いとこ、安いとこ、と探した末に決めたホテル。そこはパリ中心部からちょっと離れた、裏町のようなところにあるさびれたホテルであった。外観も内装もボロボロであったが、部屋はけっこう広かった。うーん、旅の雰囲気出まくりでいいんじゃない??おいらはその部屋がけっこう気に入った。が、一つだけ問題があった。この、ベット・・・・・どないやねん!寝られるかぁっ!
October 1, 2005
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さて、気を取り直して旅行記は続くのである。48時間というタイムリミット付きで入国を許されたおいら。一瞬「そんなもん、無視してもいいんじゃない?」なんて考えが頭をよぎるが、もし見つかったら「不法入国」とかかなり大げさなことになったりして、強制送還だの、投獄だのといったシャレにならない事態になることもありえると思い、そこは素直に去ることにする。さて、どう去るか。そしてどこに去るか。イギリスは島国であるからして、陸路では出国できない。ドーバー海峡を船で渡るって手もあるが、はたして48時間以内にそれは可能か?考えるのもめんどくさい。ロンドンの安いホテルの部屋であれこれ考えていると、目にとまったのが「ユーロスター」なる列車の情報。このユーロスター、ドーバー海峡を海底トンネルで結んでしまったいわば国際版青函トンネルのようなところを通り、たった3時間でパリまで行ってしまうのだそうな。面白そうなので、そいつでロンドンとおさらばすることに決定。チケットを買いに駅まで行く。聞くと、値段は片道で135ポンドだという。日本円で約2万8千円也。ぐはっ!っとたじろいでいると、愛想のいいイギリス娘のカウンタ係が「往復なら99ポンドよ~ん♪」と教えてくれる。どーゆう料金形態だよ。片道分は捨てる事になるが、そっちのほうが安いならしかたがない。おいらは翌日の朝発のユーロスターのチケットを購入した。その後、大英博物館なんぞをひやかし、旅のアイテムとして、「トーマスクック時刻表」(ヨーロッパを網羅した列車時刻表)と、「世界地図」を購入。ホテルに戻り、世界地図をひろげつつ、買って来たメシを食う。これからどこへ行こうか。なんとなく雰囲気でてきたぞ!って感じであった。
September 30, 2005
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新展開!とかって意気込んで始めたものの、気が付いたら一週間も更新してなかったですね。その一週間前も、「おねしょ」ですからね。だめだめですなぁ・・・。なんか、気分が乗らないんですよね。あ、そうそう、こないだ友人の結婚式でひさびさに東京に行ってきました。いや、だからって何があったわけでもないんですけどね。はぁ・・・。腰が痛い、腰が痛いって思ってまして、こないだついにMRIってので体の輪切り写真を撮ってまいりまして、診断結果は「椎間板ヘルニア」だそうでして・・・・。どうやら椎間板がヘルニアしやがってるってお医者様はおっしゃる。困ったものである。これしきの仕事でへこたれるおいらの軟弱ボディーにも腹が立つが、治療とゆう名の下に、やたらと下半身を引っ張る病院にも腹が立つ。痛いじゃないか。彼女が一度「整体」に行くべきだ!と強く主張するので、「整体」と看板に出ていたところに行ってみたら、施されたのはただの全身マッサージであった。これ、確かに気持ちよかったわけであるが、逐一「背中の張りが尋常じゃないですね・・・」「うわ!肩もひどいですよ!」「う~わ、クビのこりもただごとではないですね!」なんて言われるので、なんとなくその気になってしまって「ああ、わしの体はただごとではないくらい弱っておるのだ!」と縁側で夕日を眺めつつ人生を振り返ったりしてました。縁側ねえけど。アパートだし。え~・・・・・何が言いたいのかって?独り言、独り言。あ、誰か押入れに眠ってるぶらさがり健康器があったら、下さい。テナガザルのようにぶらさがりつつ生活します。どーです!ぐだぐだでしょう!わははははは。たまにはこんなのもいいよね!いいよね!
September 29, 2005
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しばらく旅に出ます。探さないで下さい・・・・・。
September 20, 2005
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飛行機は無事、ロンドンはヒースロー空港に着陸した。さあ、ここから旅が始まるのだ!と本来盛り上がるべきところなのだが、なにしろヒースロー空港である。正直、「ああ・・・また来ちゃった・・」といったところであった。つい先日までドイツから仕事でちょくちょく来ていたわけで、なんとも新鮮味が無いことこの上ない。まぁしかし、飽きるほど来ていたとはいえ、仕事先に行っていただけであるわけで、この際イギリスをぐるりと一周りしてみるのもいいかな?と思っていた。仕事で動き回るのとはまた違ったイギリスが見えるかもしれない。そんな事を考えながら、ヨーロッパの中では比較的うるさいイギリスのパスポートコントロールへ。ま、これも慣れたものである。おいらのパスポートはイギリスのスタンプで真っ黒だよ。さ、さっさと通してくんな。と、おいらは余裕しゃくしゃくでパスポートを差し出したわけだが・・・・。その日はまったく対応が違った。ジロジロとパスポートとおいらの顔を交互に見つめる係員。なに?何なのよ。係:「イギリスに来た目的は?」おいら:「ビジネ・・・いや、今回は観光で~す(エッヘン)」係:「滞在日数は?」おいら:「決めてませ~ん(エッヘン。何しろ旅人だからさ。エヘヘ)」係:「滞在場所は?」おいら:「これから探しま~す(エッヘン。だって自由な旅だもん)」係:「帰りのチケットを見せて下さい」おいら:「持ってませ~ん(エッヘン!そんな野暮なもの持ってないぜ!)」係:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」う~む。改めて書いてみると、明らかにダメダメな応答である。しかも、今まではスーツ姿であったが、今回はよれよれTシャツとジーンズ。これじゃすんなり通してもらえないことはアタリマエですね。しかし、おいらのパスポートにはドイツの就労ビザがババーンと貼られているし、その有効期限もまだまだ残っているし、もう飽きるほど来てるわけだし、全然問題ナッシングであると勝手に思い込んでいたわけだ。なかなかスタンプを押さない係員がじれったい。どうした!何が問題なんだよ!ペタンとスタンプ押せばいいじゃない!さあ、勇気を出して♪そんなおいらの気持ちなどお構いナシに、係員の質問は続く。係:「かなり頻繁にイギリスを訪れているようだが、何故?」係:「ドイツに住んでいるのか?なぜ日本から来た?」だから、かくかくしかじかなんだよ!とおいらの必死の説明が続く。おいらの後ろに並んでいる人たちよすまぬ。運が悪かったと思ってあきらめておくれ。30分くらいたったであろうか。ようやく係員は深いため息と共に「ズバン!」とスタンプを押した。ああ、やっとわかってくれたか!そう思った。すると、係員はそのスタンプの上になにやらボールペンで書きだした。そうしておいらにこう言ったのである。係:「You have to leave this country in 48 hours!」つまり、「とりあえず入っていいけど、48時間以内に出てけよ!」ってことである。・・・・・・。・・・・ああ、そうですか。・・・・・おう!出てってやろうじゃねえかコンチキショウ!イギリス周遊など、こっちから願い下げでぃ!こうしておいらは48時間という時間制限を背負わされ、イギリスに入国したのであった。 つづく
September 19, 2005
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さて、いよいよ旅の始まりである。旅の出発地点として選んだのは「ロンドン」。イギリスだ。ドイツ滞在時、週に一度は行っていた街である。正直、いまさらロンドンでもなかろうに、と思ったのだが・・・。行き先をあれこれ検討してる時、やはり気になるのは費用。なにしろ予算には限りがあり、「お金が無くなる=旅が終わる」なわけなので、飛行機代は安ければ安いほうが良い。そこで思い出すのだが、そういやBA(英国航空)のマイレージってまだ残ってたな、と。で、電話で確認してみる。「成田からロンドンまでのチケット取れますか?」と聞いた所、「あいにく、マイレージによるチケットは”往復”でしか発行できない決まりになっております」との事。う~む・・・そんな決まりがあったとは・・・。・・・・ん??まてよ?「あの、以前ロンドンからニューヨークまでのチケット、片道だけで取ってるんですけど・・?」「え?(カタカタ・・)あ、確かに・・片道で取られてますね・・・。少々お待ち下さい。」 ・ ・「お待たせしました。あの、大丈夫です!ロンドンまでの片道でチケットを発行可能です」「・・・・あ、そですか。(決まりはどーなったのじゃ?)じゃ、お願いします。」といった経緯で、ロンドンまでの片道チケットが無料でゲットできたのである。どんな格安航空券でも「無料」には勝てまい。風の吹くまま、がテーマである。これも一つの「風」と判断し、旅の出発点は「ロンドン」に決まった次第である。そして某月某日、いよいよおいらは出発した。いつ帰るか決まっていない旅だ。そういやそれまで、仕事以外で日本を出国した事が無かった。胸のトキメキがまるで違うのである。しかし・・・・それにしても。エコノミーシートの狭さは半端ではありませんな。それまで何度か欧州と日本を往復する機会はあったが、なにしろ会社負担なもんで全部ビジネスクラスであった。すっかり贅沢に慣れてしまっていたのである。う~ん。この狭いシートで14時間?拷問ですか?そんなおいらの思いが伝わったのであろうか。搭乗後間もなく、チーフパーサーとおぼしき男性がしずしずと近づいて来てこう言った。「ミスターろっくん。あなたは当社のゴールドメンバーズカードをお持ちですね?」ん?もしかして・・・きた?「より快適なシートに空きがございます。そちらに移動されますか?」きたーーーーっ!そうだろ?そうだろ?そうこなくっちゃ!「移動しちゃう!断然移動しちゃうよ!」そう答えたのは言うまでもない。ビジネスクラス?それとも・・・ファーストだったりして!周りの「何?どしたの?」的視線を浴びながら、チーフパーサーに導かれていく。ふ、すまんね皆の衆。僕だけ「より快適なシート」に移動させてもらっちゃって。なにしろゴールドなものですから。ふはははははは。「ここです、サー」・・・・・・。案内された席はただのエコノミーの一席であった。・・・・おい。どのあたりが「より快適」なのだ?「最前列ですから。足が伸ばせます、サー。」・・・・・・そんだけかよっ!! つづく
September 17, 2005
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アメリカ旅行、たっぷり楽しませて頂いた。グランドキャニオンからまたラスベガスに移動して、一晩たっぷり朝までカジノして、ロス経由で帰国するのであるが、そのあたりの話はざっくりと省略するおいらだ。だって、もう大したエピソードもないしね。さて、帰国して即、無職となるおいら。なぜ仕事を辞めたかと言いますと、「旅がしたかったから」でございます。そもそも、英語の勉強を始めたのも、会社で海外赴任を希望し続けてきたのも、すべては「いつか海外を自由気ままに旅したい」との想いからであった。30歳とゆー、実はあんまり意味がないけどなんとなく区切りのいい年齢。海外赴任で貯まった数百万のお金。経験もたっぷりと積んだ。今しかない!と、そう考えたわけですよ。ええ。行き先は未定。期限は「お金が尽きるまで」。コンセプトは「風の吹くまま気の向くまま」。いやぁ、書いていてこの時の胸のトキメキが蘇ってきましたよ。いよいよだ!踏み出すぞ!そんな感じで、一人で熱くなっていた次第でございます。では、さっそくですが行くとしますか。夢の旅へ。つうわけで、次回から新展開。「ぐだぐだバックパッカー編」を書いちゃうよ~ん!
September 15, 2005
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翌朝、おいらはロッジが運行している定期バスに乗って、いよいよキャニちゃんとの対面に向かった。一言でグランドキャニオンといってもやたらと広いわけで、おいらが向かったのはいくつかあるビューポイントのうち「ヤバパイ・ポイント」と呼ばれる所であった。バスを降りても、まだキャニちゃんは見えない。おいらはゆっくりと、50mほどの展望台への道を歩いた。やがて視界が開ける。 で、でたーーーーーっ!こんな景色を、どうやって言葉で表現したらいいのだろう。雄大。ひたすらに雄大。しばし言葉を失うほど、それは雄大な景色であった。うう~ん・・・・すごい。おいらは一日、ここで過ごすことを即座に決意した。日記を書き、景色を眺め、絵葉書を書き、景色を眺め、ぶらぶら歩き、そして景色を眺める。あー・・・・・最高である。キャニちゃんを眺めながら、おいらの頭の中に流れてきたのは大好きなストリートスライダースの「風の街に生まれ」だった。紹介しよう。 この旅はドイツから日本へ帰る際の「帰任休暇」であることは最初に書いた。が、実はおいらはすでに会社に辞表を提出し、受理されていたのだ。つまり、日本に帰国して、1日だけ出社した後、「退職」となる。そう、30歳にして無職となるわけである。ラスベガスでカジノしてる場合でもなかったわけだ。不安が無いわけではなかった。が、今しかない!という思いがあった。キャニちゃんを眺めながら、この先の人生を考える。わし、大丈夫かね?キャニちゃんはおいらにやさしく微笑みかけ、こう言った気がした。「知ったこっちゃないわ」と。ああ、そうですか。 つ づ く
September 9, 2005
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恐怖のフライトの末、おいらはグランドキャニオンの空港に到着した。飛行機を降りると、同乗者たち数名はぞろぞろと外に向かった。おいらもなんとなく一緒に外に向かう。外には一台の送迎バスが我々を待っていた。おお、こんなサービスまで付いていたとは知らなかった。空港から先、どうしようかと思案していたところであった。さすが観光名所グランドキャニン。ナイスサービスである。ニコニコとバスに乗り込む人の列に混じっていると、係の男が「ミスターろっくん、ミスターろっくんはいますか!?」とわしの名を呼び出した。ん?ミスターろっくん?え?わしの事かね?なんて返事をためらっていると、係の男が続けて言った。「ミスターろっくんだけはツアー客じゃないので、バスには乗れません!ミスターろっくんは居ませんね!?」・・・・・・。おいらはなるべく目立たぬよう、そっとバスに乗り込む列からフェードアウトした。なんだよ。どうせ席あまってんだから、おいらも乗せてってくれてもよかろうに。しかたなくおいらはシャトルバスの乗り場へ向かった。グランドキャニオンでの宿泊場所は、サウスリムとゆー、グランドキャニオンをばっちり見渡せる崖っぷちに、密集するように建てられているロッジを予約していた。ここならば、なにしろ窓からの眺めが見渡す限りのグランドキャニオンである。ここでおいらは、1.夕日に紅く染まるキャニちゃん。2.星空に包まれるキャニちゃん。3.登る朝日に照らされ輝くキャニちゃん。をお腹一杯堪能する計画であった。以上3点を満たすには、最低2泊は必要となる。おいらの宿泊予定は、その通り2泊とした。まさに、非のうちどころの無い、完璧な計画と言えよう。しかし・・・・。シャトルバスがおいらの宿泊予定のロッジに到着した。バスから降りるのはおいら一人だ。確かに、目の前にはおいらが予約したロッジがあった。それはいいが・・・。グランドキャニオンなどどこにも見えないのだが??ロッジは茶色い岩肌がむき出しの、殺伐とした風景の中の一本道の脇にぽつんと建っていた。あれれれれ?どーゆうこと?その謎の答えは、フロントの脇に表示してあった地図で明らかになった。遠いぜ!!ああ、なんて事でしょう。おいらがドイツから予約したロッジは、このサウスリムに数件あるロッジの中で、唯一グランドキャニオンから4マイルも離れていたのである。そ、そんなバカな!いつも出張用のチケットを手配してくれている会社に、「グランドキャニオンが見渡せるロッジね!」とお願いして予約したロッジなのに!こ、これではおいらの計画が・・・。が、まだ望みはある。おいらはフロントの女性に頼み、別のロッジに移れないかあたってもらった。結果、この時期、ちょうどイースターの休暇と重なっていたらしくすべてのロッジが満員御礼。・・・・・・・・。・・・・・。しかたなくそのロッジにチェックイン。窓から見えるのはただの道路である。・・・・。部屋でしばし呆然。4マイル。徒歩で往復するには遠すぎる。そこでハッ!と閃く。レンタカーだ!車を確保さえすればいいのだ!さっそくフロントへ行き、「レンタカー借りたいんだけどっ!」と頼む。返ってきた返事は、「イースターなもので・・車もすべて貸し出し中だそうです」・・・・・・。しかたがない。とりあえず今日はシャトルバスでキャニちゃんに挨拶だけでもしてこよう。おいらはロッジ前のバス乗り場に行き、1時間に1本しかないバスを待った。が・・・・、予定時間を過ぎても、いくら待ってもバスが来ない。15分待ってもバスが来ないため、おいらはまたフロントに戻り「シャトルバスが来ないんだけど!」と言った。・・・・その後ろをシャトルバスは走り抜けていったらしい。フロントの女性が、「あ、今来たみたいです・・・よ・・。行っちゃいましたけど・・・・」と半笑いで言った。イライラは限界に達した。もう結構だ!サンキューベリーマッチ!もう、頼まれたって見てやらねえ!こうして、グランドキャニオン初日の夜は、星空に包まれるキャニちゃんを見るどころか、ビールを自棄飲みして不貞寝をかますこととなったのである。
September 5, 2005
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