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最も効果をあらわす画数一覧 23分野


1 政治家として成功する画数


2 実業家として大成する画数


3 外交官として国際舞台で活躍する画数


4 大学教授や研究者として名を成す画数


5 科学者・技術者として新開発に成功する画数


6 医者に多い画数


7 弁護士に多い画数


8 商売人(小売業)として販路を広げ繁栄を招く画数


9 水商売で成功する画数


10 作家や評論家など文筆業で成功する画数


11 芸術家として名を成す画数


12 デザイナーとして時代を先取りしていく画数


13 スポーツマンとして成功する画数


14 芸能界でスターになれる画数


15 男性顔負けの女傑、才女として活躍する画数


16 良妻賢母として平和な家庭を築く画数


17 チャーミングな美人に多い画数


18 相手に見染められ、玉の輿に乗る画数


19 結婚入籍の改名後、幸福な新生活を送れる画数


20 マスコミの社会で成功する画数


21 アイディアマンに多い画数


22 手芸職人として特殊な才能を発揮する画数


23 経済的に恵まれた一生を送れる画数


結婚姓名占術 数表 目次


結婚姓名占術 数表① 1字名 内面性格と情熱運


結婚姓名占術 数表② 2字名 内面性格と情熱運


3字名(内面性格のタイプと情熱運)or対人性格のタイプと対人運


1字姓(結婚好適期)


2字姓(結婚好適期)


3字姓(結婚好適期)


7つの相性タイプの読み方


相性分析 ブランク表  婚前・婚後


続・日本人が知ってはならない歴史


序章 注1 エージェント(agent)


序章 注2 海軍陸戦隊は五千人余の兵力……


第一章 注1 金日生


第一章 注2 修身齋家治国平天下


第二章 注 つまり伊藤博文は上から撃たれたのです。


第六章 (注)帷蝙(いあく)上奏権


第八章 (注1)一九二八(昭和三)年六月の張作揉の爆殺


第八章 注(2)……中からそして上から知力と権力で 革命はやるのだ………


第八章 資料1 『諸君』平成十六年一月号・二三七頁  一九五一年証言


●UT版日本国紀 目次● 20220820改 小笠原諸島を日本領に


日本国紀 目次 発表順


動画の文字起こし  品質は良くありません


武田邦彦「ホント話」114・20220729「海洋酸性化「パン食は胃腸に良くない


小山内彰先生の四柱推命の活用法より


五行(十干)について


「四柱推命学入門」小山内彰著(希林館) 目次


小山内彰先生の四柱八字計算サイト


シオンの議定書 目次


シオンの議定書の読み方をガイドするパンフレット


高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)目次


100年数秘の本  目次


『「リサイクル」汚染列島』武田邦彦著 青春出版社 インデックス


『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館 目次


『姓名(なまえ)』牧正人史著 青春出版社 目次


64卦


目次 『「気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)


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2020.07.08
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次に「究竟涅槃(くきょうねはん)す」ということですが、これを昔から、一般に「究竟を涅槃す」」とよませています。しかし梵語の原典から見ましても、「顚倒を超越して究竟の涅槃(さとり)に入る」という意味になっていますから、これはやっばり「究竟涅槃す」とよんだ方がよいと思います。ところで究竟ということは、つまり「究極」とか「終極」とか「最後」などという意味で、最終の最上なる涅槃が、すなわち「究竟涅槃」です。ところでこの「湮槃」ということですが、これは、世間でいろいろ誤解されているのです。しかし、このまえにもちょっと申し上げたごとく、これは、仏教におけるさとりの世界をいったものです。すなわち涅槃の梵語は、ニイルヴァーナで、ものを「吹き消す」という意味です。で、普通にこれを翻訳して「寂滅」「円滅」「寂静」などといっていますが、要するに、私どもの迷いの心、「妄想」「煩悩」を吹き消した「大安楽の境地」を いうのです。「寂滅を以て楽となす」すなわち寂滅為楽などというといかにも静かに死んでゆくこと、すなわち「往生する」ことのように思っている人もありますが、これは決して、死んでしまうという意味ではないのです。いったい世間で「往生する」ということを、死ぬことと混同して考えていますが、往生は決して死ぬことではないのです。古聖は、

「往生とは往き生まれることだ。仏法は死ぬことを教えるのじゃない。死なぬ法を教えるのだ。浄土へ往き生まれることをへ教えるのが仏法じゃ」

といっていますが、ほんとうにその通りです。「往生」ということも、「涅槃に入る」ということも、決して死ぬのじゃなくて、永遠なる「不死の生命」を得ることなのです。したがって、「往生」することが、成仏すなわち仏になることです。仏となることは、つまり無限の生命を得ることなのです。ある仏教信者のお老爺さんに、「あなたのお歳は?」と尋ねたところ、老人は「阿弥陀さまと同じ歳です」と答えたので、さらに「では、阿弥陀さまのお歳は?」と問うたところ、老人は即座に「私とおなじ歳だ」といったという話がありますが、非常に面白いと思います。無限の生命(無量寿)、不死の生命をもった方が、阿弥陀さまです

だから阿弥陀さまと一つになれば、無限の生命を得たことになるのです。したがって、「立往生」とか、とうとう降参して「往生」したなどというのは、要するに、往生に対する認識不足といわねばなりません。ところで「心経」に書いてある

「究竟涅槃」とは、どんな意味かというと、それは「無住処涅槃」という涅槃(さとり)です。「無住処」とは、住処すなわち住する処なき涅槃という意味で、他の語でいえば「生死に住せず涅槃に住せず」という意味がこの「究竟涅槃」です。

「菩薩は智慧を以ての故に、生死(しょうじ)に住せず、慈悲を以ての故に、涅槃に住せず」といっておりますが、これはたしかに味わうべき語です。

「勝れた智慧をもっている菩薩(ひと)は、乃(いま)し生死をつくすに至るまで、恆(つね)に衆生の利益をなして、しかも涅槃に趣(おもむ)かず」

と「理趣経(りしゅきょう)」というお経に書かれていますが、それが菩薩の認瓢です。なるほど仏教の理想は、さとりの世界へ行くことです。仏となり、浄土へ生まれ、極楽へ行くことが目的でしょう。しかし自分独りだけが仏になり、わが身独りが、極楽へ行けば、万事 OK だ、というのでは断じてありません。人も我れも、我れも人も、いっしょに浄土へ行こうというのが、真の目的なのです。いや、たといわが身は行かずとも、せめて人を仏としたい、浄土へ送りたいというのが、菩薩のほんとうの念願です。理想です。

愚かなる我は仏にならずとも衆生(しゅじょう)を渡す僧の身たらん

と、古人もいっておりますが、たとい、自分は仏にならずとも、せめて一切の人々を、のこらず彼岸の世界へ渡したいというのが、大乗菩薩の理想です。だから極楽に生まれ、浄土へ行っても、自分独りが蓮華(はす)の台(うてな)に安座(あんざ)して、迦陵頻伽(かりょうびんが)の妙なる声をききつつ、百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき)に舌鼓を打って遊んでいるのでは決してありません。菊池寛氏の「極楽」という小説の中にこんな話があります。あるお婆さんが、望み通りに極楽へ往生した。はじめのうちこそ、悦んでおったものの、しまいには、いささか退屈を感じ出したのです。そして苦しい娑婆(しゃば)(忍土)の方が、かえって恋しくなったというようなことを、巧みな筆で面白く書いていましたが、それはつまり多くの人たちが、顚倒夢想している極楽の観念を、諷刺したものです。真の極楽はそんなものでない事を暗にいったものです。親鸞上人は「煩悩(ぼんのう)の林に遊(いで)て神通を現ずる」(遊煩悩林現神通)といっておられます。「煩悩の林」とは、苦しみに満ちているこの迷いの世界です。で、つまり極楽へ往生して仏になることは、呑気に気楽に浄土で暮らすことではない、再び娑婆へ還(かえ)る事です。しかもこの往還の二種の回向を離れては、少なくとも他力教はないのです。いや、単に浄土教のみではありません。一切の仏教は、ことごとくこの往相(おうそう)と還相(げんそう)との二つの世界を離れてはないのです。因より果に至る(従レ因至レ果)向上門と、果より因に向かう(従レ果向レ因)向下門、そこに仏教の世界があるのです。「因」とは迷える凡夫です。「果」とは悟れる仏陀です。迷いより悟りへ、悟りより迷いへ、凡夫より仏陀へ、仏陀より凡夫への道こそ、仏教の道です。菩薩の道です。しかも登る道こそ下る道です。下る道こそ上る道です。「上山の道は即ちこれ下山の道」です。

高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)






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最終更新日  2020.07.08 00:00:19
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