@寺子屋食神

@寺子屋食神

PR

プロフィール

ハウスワークサービス多摩店

ハウスワークサービス多摩店

フリーページ

九星暦


平成四年度 九星カレンダー


令和4年10月~令和6年1月 九星暦 (暦日大鑑と照合済み)


令和5年神社暦ほか 皇紀2683年 西暦2023年


令和6(西暦2024)年九星暦 (『暦日大鑑』と照合済み)


令和6 (皇紀2684、西暦2024) 年年報文面 甲辰 三碧木星 暦


64卦表


姓名科学ポータル


画数検索


数意解説


人生グラフ検索


人生グラフ No.1 ~ No.80


人生グラフ No.81 ~ No.160


人生グラフ No.161 ~ No.240


人生グラフ No.241 ~ No.320


人生グラフ No.321 ~ No.400


人生グラフ No.401 ~ No.480


人生グラフ No.481 ~ No.560


人生グラフ No.561 ~ No.640


最も効果をあらわす画数一覧 23分野


1 政治家として成功する画数


2 実業家として大成する画数


3 外交官として国際舞台で活躍する画数


4 大学教授や研究者として名を成す画数


5 科学者・技術者として新開発に成功する画数


6 医者に多い画数


7 弁護士に多い画数


8 商売人(小売業)として販路を広げ繁栄を招く画数


9 水商売で成功する画数


10 作家や評論家など文筆業で成功する画数


11 芸術家として名を成す画数


12 デザイナーとして時代を先取りしていく画数


13 スポーツマンとして成功する画数


14 芸能界でスターになれる画数


15 男性顔負けの女傑、才女として活躍する画数


16 良妻賢母として平和な家庭を築く画数


17 チャーミングな美人に多い画数


18 相手に見染められ、玉の輿に乗る画数


19 結婚入籍の改名後、幸福な新生活を送れる画数


20 マスコミの社会で成功する画数


21 アイディアマンに多い画数


22 手芸職人として特殊な才能を発揮する画数


23 経済的に恵まれた一生を送れる画数


結婚姓名占術 数表 目次


結婚姓名占術 数表① 1字名 内面性格と情熱運


結婚姓名占術 数表② 2字名 内面性格と情熱運


3字名(内面性格のタイプと情熱運)or対人性格のタイプと対人運


1字姓(結婚好適期)


2字姓(結婚好適期)


3字姓(結婚好適期)


7つの相性タイプの読み方


相性分析 ブランク表  婚前・婚後


続・日本人が知ってはならない歴史


序章 注1 エージェント(agent)


序章 注2 海軍陸戦隊は五千人余の兵力……


第一章 注1 金日生


第一章 注2 修身齋家治国平天下


第二章 注 つまり伊藤博文は上から撃たれたのです。


第六章 (注)帷蝙(いあく)上奏権


第八章 (注1)一九二八(昭和三)年六月の張作揉の爆殺


第八章 注(2)……中からそして上から知力と権力で 革命はやるのだ………


第八章 資料1 『諸君』平成十六年一月号・二三七頁  一九五一年証言


●UT版日本国紀 目次● 20220820改 小笠原諸島を日本領に


日本国紀 目次 発表順


動画の文字起こし  品質は良くありません


武田邦彦「ホント話」114・20220729「海洋酸性化「パン食は胃腸に良くない


小山内彰先生の四柱推命の活用法より


五行(十干)について


「四柱推命学入門」小山内彰著(希林館) 目次


小山内彰先生の四柱八字計算サイト


シオンの議定書 目次


シオンの議定書の読み方をガイドするパンフレット


高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)目次


100年数秘の本  目次


『「リサイクル」汚染列島』武田邦彦著 青春出版社 インデックス


『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館 目次


『姓名(なまえ)』牧正人史著 青春出版社 目次


64卦


目次 『「気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)


著作権の切れた書籍の書庫 焚書図書館     R050823更新


GHQ焚書図書『皇室と日本精神』


竹田恒泰の幕末・孝明天皇論 再生リストV0.5


教育勅語


便利機能メモ


エクセルデータ入力規則1


パワポの技1


エクセルで棒グラフを作る


エクセルで 様 をつける方法


☑をセルに入れる


ワードで一ページに収めたい


ワードのフォント変更に伴う行間設定の変更


聞いていたい、踊りたい


タップ BeatIt


Clean Bandit - Stronger


コメント新着

ハウスワークサービス多摩店 @ Re[1]:蕎麦打ちにチャレンジ(01/21) akiさんへ 100%同意いたします。安倍さ…
aki@ Re:蕎麦打ちにチャレンジ(01/21) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

サイド自由欄

美味しいお茶を探して、結構彷徨しています。
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【産直商品】静岡祭丼 食べ比べ3種×2食 計6食セット
価格:4800円(税込、送料別) (2022/2/23時点)


2022.06.24
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
工場や事業所でゴミゼロ運動に取り組むのはとてもよいことです。環境問題の基本は使うものやエネルギーを減らし、ゴミを減少することにあるからです。そして、ゴミゼロ運動をしている人の一部は本当にゴミを減らしたいと思っているでしょう。しかし、本当にゴミをゼロにするのはとても難しいことというより、科学的にも絶対に不可能なことなのです。
その理由の第一は、この世の中の物質やエネルギーは熱力学的な原理によって支配されるので、「何か活動して後に残さない」ことができないからです。家庭で生活をしていてもお茶碗を一つ洗うにも水道や洗剤がいります。水道の水は二度は使えませんし、洗剤をもう一度使うことはできません。夜、寝ていても汗をかきます。汗は人間が活動するのに必要な体温を保っためですし、汚れは人間の活動の「カス」のようなものです。
もちろん、製造現場である製品を作ろうと思えば、電力もいりますし、パソコンを動かさなければなりません。普通は原料の他に補助的な材料も使います。
仮にどう見ても何も残さないで、ある活動をしているように思う例の場合には、「物質とエネルギー」を総合して計算するとその内容がわかります。石油という物質を物質として使えば形のあるものになりますが、ガソリンとして使えば人間の目には見えないものですが、結果として「二酸化炭素」という物質が出ます。物質とエネルギーは相互に交換することができますので、見かけ上、物質が少なく見えることもあるのです。
このような物質とエネルギーの交換関係を使って物質量を減らした場合には、物質を消費するよりも全体的な使用量はかえって増大するというのが原則です。また、ゴミを工場の中で焼却したり、人間の目に見えないほど小さい粉末にして大気に放出しても、それをもって「ゴミを減らした」ということはできません。



自動車のタイヤは使用中にタイヤのゴムの平均一五%が粉となって大気に放出されます。新品のタイヤが一〇キロであるとすると、一般に廃棄されるクイヤの重量は八・五キロになっていて、軽くなった一・五キロは道路との問の摩擦で削り取られ、大気に細かい粉末となって飛散します。
「走る」という活動に伴うもので避けることはできません。それが「目に見えない」からといって健康に良いわけではありません。
第二の理由は、現実的に現在のシステムそれ自体がゴミを発生せずに活動することができないようになっています。製造工程では原料に対して製品が一〇〇%できるプロセスはなく、その割合を示す「歩留(ぶど)まり」をどの程度まで高められるかが企業間の競争になっているのです。
工場で使用する溶液、つまり水などの使用はずいぶん改善されました。最近では環境関係の技術が進歩して、かつては使い捨てをしていた水なども、工場内でほとんど完全に回収し再使用しているところもあります。
しかし、工場内で発生する水を完全に回収再使用することはできますが、そのためには回収設備と、その設備を動かすには人手、エネルギー、そして平均的には三%ほどの修繕費用が毎年必要です。工場の中で水を循環するのは環境に良いといってもいいでしょうが、水道局でボンプに使う電力、下水道局で行う集中処理場の環境負荷とどちらが社会全体からみた場合優れているか、という問題に帰着します。もし、「自然の力を借りる方が環境に良い」という論理にしたがえば、工場内で水を循環するより、山に降る雨をできるだけ多く利用するべきということになり、工場内で水を循環することは環境負荷を増大させることを意味します。ここ二〇年ほど、日本の工場は行政の指導や社会からの糾弾を受けるので、工場内の水を循環するようになりました。その結果、工場が使用する電力や設備は増大し、日本全体の環境の大きな負荷になっています。
果たして、私たちが二〇世紀に築いた「大量生産の社会常識」にしたがうことが本当に環境に良いのでしょうか?
つまり、工場内で人手がかかればそれだけ環境に負荷をかけますし、電力は石油をたいて作り、送電し、変電して工場に来ます。また機械の修繕には人手、交換部品、消耗材料が必要です。つまり、工場内の水を回収するということは環境に悪くないのですが、それは「ゴミゼロ」とか「ゼロ・エミッション」とかいう行為やシステムではなく、環境的には単に「消耗品から設備へ」「電力から人手へ」というような「帳簿のつけかえ」に過ぎないということも考える必要があるのです。
リサイクルが現代の日本ほど熱心に行われていない時代には、真面目で効率的な「回収系」が多く採用されました。それは本当に環境に良いものだったのです。しかし最近では、「環境のために無理して行う回収系」も現れてきました。とにかく世間の目が厳しいので、本当は環境の負荷を増やすことがわかっているのに回収系を作る、などの例がこれに当たります。
そこまで追いつめると、「ゴミゼロ運動というのは精神的な活動だ」といわれることもありますし、また、まずは「目に見えるゴミをできるだけなくす」という程度のものだとされることもあります。
あるとき、「ゴミゼロ」とか「 ゼロ・エミッション」というときの「ゼロ」というのはどの程度の幅を持っているのかを聞いたことがあります。それはある放送局が本格的に「ゴミゼロ」の報道をしたので、その放送局に、「どの程度のことをゴミゼロというのですか。そのときの『ゼロ』というのは五〇%程度ですか、それとも一〇〇%ですか」と問い合わせたところ、実際にどの程度ゴミがそこから出ているのか、記者は取材していないということでした。「ゼロ」というのは数字ですから、ひとこと「どのくらいですか?」と聞けば終わりです。
このような運動が本当に善意で行われ、日本の将来のためになるなら、何も目くじらをたてる必要はありません。しかし、ある会社や研究所、あるいは国の機関が「ゴミゼロ」、あるいは「ゼロ・エミッション」ということで、国や自治体の覚えがめでたくなり、その結果、補助金をいただいたり、便宜を図ってもらったりしているとすると、それは問題です。
そして、環境を心配する善意の第三者は、ゴミゼロ計画が「ゴミを本当にゼロにしようと努力している」と思うでしょう。また、国の税金をその活動に交付することを決めた人も「実施者がゴミをゼロにするつもりである」と考えたでしょう。「ゴミゼロ」が「ゴミを増やすことだ」と思っているとは誰も信じないからです。
すでに多くの税金が「ゴミゼロ」または「ゼロ・エミッション 」に費やされています。この事業が、工場の外に「ゴミの帳簿をつけかえた」のではなく、現実的にゴミをゼロにできたのか、そろそろ調べる時期のようにも思います。社会には環境を心配し、リサイクルを一所懸命にやっている人たちがいます。その人たちは本当に社会において大切な人たちです。一方、「環境」や「リサイクル」を別の目的に使っている人たちもいるということは実に残念なことです。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.06.24 00:00:17
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: