1
原田マハ著「リボルバー」でゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは弟のテオがパリで護身用に所持していた銃という設定です。ゴッホのかねてからのお願いでアルルで共同生活を送ることになった画家ゴーギャンにテオがゴッホと何か諍いが起きた時の護身用として(弾は装填せずに)送ったのが、実はゴッホの依頼で弾を一つだけ装填してゴーギャンに郵便で送られたという流れです。そしてゴーギャンはその銃をアルルを去った後タヒチにも持って行きます。 タヒチから一度フランスに戻って来たゴーギャンはゴッホから自殺をほのめかす手紙を受け取り、1890年7月27日ゴッホの終焉の地「オーヴェール・シュル・オワーズ」にゴッホの身を案じその銃を持って訪れます。リボルバーに弾は装填されていないと信じていたゴーギャンがゴッホとの言い争いで自殺を装うように銃を自らのこめかみに・・。そしてゴッホとの揉み合いからゴッホの脇腹に~というのは説得力がありました。 思い出したのが同著の「たゆたえども沈まず」でその中でもやはりリボルバーはテオがゴッホとの諍いがあった時にと所有していた物で、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていました。その鞄をたまたまサン・レミからパリに戻りオーヴェール・シュル・オワーズに向かう朝にテオから借りる事になりゴッホはリボルバーの存在を知る事になります。その後鞄だけはパリでテオに返却するもののリボルバーはそのままゴッホが所持し悲劇へと繋がって行きます。 通説はリボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴ―亭」の経営者が所持した物でそれをゴッホが持ち出し、数年経って農婦によって偶然発見され元々の所有者であるラヴ―亭に返却され店に一時展示されていたという事のようです。 原田マハ氏があくまでもリボルバーはテオの物であったという設定は、特にテオがゴッホの死から半年後に衰弱死する事などからも妙に納得させるものがあります。「ヴァエホの肖像」 小説「リボルバー」ではそのリボルバーとゴーギャンのタヒチでの最後の愛人だった「ヴァエホ」の肖像画がヴァエホの娘「エレナ」にそして孫の「サラ」に受け継がれて行くという展開です。ゴッホの死に直接関係する銃なのか確たる証拠がないなか、サラが出品してお金を得たいと思った理由は・・。 『ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは2019年6月19日、パリの競売会社オークション・アートによって競売にかけられ、約16万ユーロ(約2千万円)で落札された』で小説「リボルバー」は締めくくられています。 リボルバーや自殺か他殺かというのはゴッホに纏わる永遠のミステリーとしてもう解明される事はないのではと思いますが、だからこそ一層ゴッホの絵が永遠に輝き続けるのだと思います。【追記】2024年6月9日死の2か月前からゴッホが滞在していた「ラブー亭」3階の屋根裏部屋(芸術新潮から) 「芸術新潮」4月号の「原田マハのポスト印象派物語 ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ」をやっと読み始めました。ゴッホ最終の地「オーヴェール=シュル=オワーズにゴッホを訪ねる」に「7月初旬のパリでのテオとの口論やその後のガシェ医師との仲たがいが確認されてはいるものの、死の真相はいまだに謎のままである。21世紀に入ってからは他殺説も提唱され、2019年には自殺に使われたという拳銃がパリのオークションで落札された」とあります。個人的には原田マハ著「リボルバー」に描かれたゴッホの死の原因の大胆推理に信憑性がある気がします。
2023.10.16
閲覧総数 1649
2
日本の美術館が所蔵するゴッホの絵で1番有名なのは1987年に53憶円で落札し現在はSOMPO美術館に展示されている「ひまわり」だと思いますが、原田マハ著「たゆたえども沈まず」の最初の章「1962年7月29日(ゴッホの命日) オーヴェール・シュル・オワーズ」の中にゴッホの甥の「フィンセント」と出会ったゴッホ研究家の「シキバ」がフィンセントから「日本の美術館にはゴッホの絵はないのですか?」と聞かれ「国立西洋美術館でゴッホの薔薇(1889年)は見たことがあります」と答える箇所がありますす。「ひまわり」落札の20年以上前になります。 この絵は同氏著「常設展示室」の第4篇「薔薇色の人生 La Vie En Rose」にも取り上げられています。フィクションとして「ゴッホの薔薇」はフランスから持ち帰った祖父の死後は主人公「御手洗由智」の父が譲り受け、それがどんな絵なのか全く知らなかった主人公が父のアルツハイマー症の治療費のため絵を古物商に持ち込んだ事でゴッホの絵だという事を知るという展開です。祖母がフランス人(小説では藤田嗣治のかつての恋人)でフランス語が堪能ながらフランスへは一度も行った事がなくやっとフランスへ旅行できる時間の余裕が出来てパスポートを申請に行った御手洗がパスポート発行のアルバイト職員の多恵子と職場の壁に掛けられた「La Vie En Rose」と書かれた色紙について会話を始めたところから話は始まっています。最後は一体御手洗とはどんな人物なのかという謎を残しながら、御手洗が残した国立西洋美術館のチケットで多恵子がゴッホの薔薇と対面するところで小説は終わっています。 「薔薇」国立西洋美術館・松方コレクション ガシェ家遺族が「オルセー美術館蔵」に寄贈 気になってこの絵の検索を続けていると興味深い記事に出会いました。『(アルルでの耳切り事件の後)サン・レミの精神療養院入院中に描いたとされる作品。オーヴェールでゴッホの最期を看取った医師ガシェ家旧蔵。1922年、パリのローゼンベール画廊で松方幸次郎(国立西洋美術館の松方コレクションの基礎を築く)が購入。1944年(第二次世界大戦終戦の前年)にフランス政府に接収、1959年に寄贈返還により国立西洋美術館所蔵に』 今年3月~6月までシンガポールで開催された「ゴッホ没入型体験展示会」でゴッホの絵で一番高額で売買されたのはもう一枚ある油彩の「医師ガシェの肖像」だと知りました(82,500,000USドル)この絵はゴッホの弟テオの妻ヨーが個人コレクターに300フランで売ったのが始まりのようですが、現在所有者も含めて情報は開示されていないようです。ゴッホの絵は背景を知れば知るほど無尽蔵のように興味が湧いてきます。個人的には国立西洋美術館は2度行きましたが「ゴッホの薔薇」を見た記憶は無く機会があればじっくりと時間をかけて観賞したい絵の一枚です。
2023.07.04
閲覧総数 362
3
19日(水)のPresident Onlineの記事に「水を1日コップ2~4杯飲めば幸せホルモンが増え、うつ病のリスクが低下・・ハーバード大学が実証」がありました。 水分摂取が副交感神経(休息やリラックスする時に働く神経)の働きに影響があるというのは私は初めて知りました。そして「ランチ後に急激に眠くなる」のも食前に水をコップ1~2杯飲むことである程度防げるそうです。理由として水分摂取で腸の働きを活発にさせる事で副交感神経が優位に保たれる事を挙げています。この記事を読む限り腸の働きと副交感神経も関係がありそうです。 副交感神経の働きが優位に保たれずに食事をすると食後に消化のため血液が脳に集中して起こる交感神経から副交感神経への急激な切り替えが起こり、それが急激な眠気を引き起こす原因のようです。ちょっと納得の説明です。 そして眠気を防ぐ2つ目のポイントは「腹7分目の量(食べ過ぎると更に多くの血液が消化に使われるので)をよく噛んで食べる事が大切だそうです。噛む事で徐々に副交感神経が優位になるそうです。これも試してみる価値はありそうです。 ところで質の良い睡眠のために副交感神経の働きをよくする方法として以前にテレビで日没後の室内の照明は出来るだけ暗めの設定にすることを勧めていて、これは実践しています。メインの照明は暗めでフロアライトは「常夜灯」と2つ使用していてリラックス効果はかなりあると思っています。 水の話に戻ると20年前に渡星した時から兎に角「水を飲むように」と周りから言われ、日本にいた時にはあまり意識していなかった水分補給を随分心掛けていましたが、やはり意味があったのかなぁと思います。シンガポールは中華系が8割を占める国で中国の「医食同源」の考えが根強くある国です。個人的にはNHKの「あさイチ」情報の「白湯を飲む」を続けています。ちょっとした心がけで出来れば病院に通ったり薬を飲まない生活を長く続けたいなぁと思っています。
2024.06.22
閲覧総数 19
4
「マリアージュ 神の雫 最終章」26巻目は昨年の12月発行なので、日本より半年ほど遅れて全冊70冊を読み終えました。手元にある「神の雫」の1巻目は2009年の第12冊発行なので、最初の発行から4年後に読み始め約10年間で読み終えたことになります。帰省の時に纏めて買ったり友人や家族にシンガポールまで送ってもらったり、それだけでも思い出があります。 改めてこんな凄いワインの本(教科書以上)をリアルタイムで読むことが出来たことに、原作者の亜樹直さん、作画のオキモト・シュウさん、講談社に感謝します。 神咲雫と遠峰一青との「12使徒対決」を描いた「神の雫(全44冊)」の42巻目から44巻目までを購入し応募した人に「裏使徒12本」について書いた「ライナーノーツ」を差し上げますというのを締め切り後に見つけ、ダメ元で「シンガポールに住んでいるため見るのが遅れて~」と理由を書いて「ライナーノーツ」を実家に送って欲しいとお願いの手紙を講談社に送りました。 諦めかけていたところ実家から届いていると連絡があり、郵便でシンガポールに送ってもらったという思い出もあります。 最終となる26巻目を読み終わった後、どんな気持ちになるだろうと正直ドキドキしながらページをめくっていきました。 一番衝撃だったのはやはり遠峰一青の「死」です。13本目となる「神の雫」をブルゴーニュで見つけ、神咲雫との表現対決で引き分けとなった後、全てを燃やし尽くしてしまったかのように・・・愛するローランが彼の子を宿していたこと、遺骨はブルゴーニュにというメッセージ、遺言として神咲雫に渡された手紙など、決してこれで完結ではなく「新たなワインへの旅」という未来に向けた遠峰一青の熱い熱いワインへの思いが伝わって来て、想像以上の素晴らしいエンディングでした。 しばらくはこの余韻に浸っていたい気持ちです。
2021.07.21
閲覧総数 6899
5
今週日曜の「NHKスペシャル」は「ヒューマンエイジ 人間の時代 戦争 なぜ殺し合うのか」というテーマで人間を戦争に駆り立てる原因や戦争被害を拡大させた発明品等についても取り上げていました。番組冒頭で「歴史上記録に残る戦争や紛争の数は1万回以上、総戦死者数は1憶5千万人にも上り、今も止む事がない戦火に対して人間は何故これほど戦争にとりつかれているのか」と疑問を投げかけています。 オキシトシン構造図 まず一因として以前は女性の出産や育児に必須のホルモンとして捉えられていた「オキシトシン」を取り上げていました。現在の研究で男女共に体内に持つホルモンらしく「愛情」や「絆」のホルモンと呼ばれる反面、仲間を守るために部外者や敵に対して攻撃的な行動を起こす事が分かって来たそうです。 繰り返される戦争に私も「これは人間としての性・宿命?」と漠然と思う事しかなかったのですが、具体的に「一例」を挙げてもらえると「人間」についての理解と歴史上の出来事に対して少し納得がいく気がします。 そして17世紀ドイツで起こった「30年戦争(元々はキリスト教のカソリックとプロテスタントの対立)」で死者数がそれまでの戦争に比べて圧倒的に増えた理由として「活版印刷の発明」を挙げていました。手書きで文章を紙に書いていたものが印刷術によって大量に人の目に触れさせる事で人心を操る所謂「プロパガンダ作戦」でそれが被害を拡大させた原因であったと説明しています。実際にドイツでは人口の20%を含む800万人が犠牲になったようで、今でも最大の宗教戦争と呼ばれているそうです。 そして奇しくも30年戦争が終わった1648年に「国境」を定める「ヴェストファーレン条約」が制定されています。国境が出来たせいで国同士はその領域を守ったり他国の領域を侵すための戦争へ突き進んで行ったとこれも納得の説明です。ジョン・レノンの「イマジン」をやはり思い出します。 「国なんて無いと想像してみて。そんなに難しい事ではないでしょう? 殺す理由も死ぬ理由も無く、ましてや宗教も無い。みんながただ平和に生きているって想像してみて・・」 最後は「飛ばす兵器」の開発です。どんどん速く、遠くへ飛ばす兵器が発明・開発された事によって初期の戦いで目に見える人を殺すよりも姿すら見えない人達を殺戮する事に「人間としての罪悪感や違和感が無くなっていく・・」という人間の本質にも言及しています。 ふと、話題の人口知能「AI」が国のトップや政治家になったら、当然人体が持つホルモンは持っていないと想像すると戦うという意識は発生しないのだろうかとサイエンス・フィクションのような事を考えます。 「英知を持つ人間」の存在を信じて本来人間が持つ遺伝子的性質を「英知や理性の賜物」である「言葉や対話の力」を使って平和な世界の実現をと望むだけです。
2023.06.21
閲覧総数 321
6
2月に知人のAさんから頂いた「サボテン」「宇宙の木」「金のなる木」は少しずつ成長している感じですが、先々週辺りにサボテンの横から葉っぱが出て来て今朝は上の大きな葉はサボテンに寄り添うようになっていました。 サボテンとはちょっと離れた所から出ている葉で調べてみると、土の中に混じっていた種の発芽ではという事でした。一度だけ外に出した時にどこからか種が舞い降りて来たのかもしれません。風の強い日でサボテンの花が咲きそうな蕾が飛んでしまったのでそれから外には出していません。調べてみると緑の葉っぱがサボテンの水分を取ってしまうので、切って捨てた方が良いというアドバイスでした。ただシンガポールにいた時も突然別の種が鉢に舞い降りて面白いコンビネーションを見せてくれた事が何度かあったので切り捨て難い気持ちと、もう少し様子を見てみたいという気もします。 「宇宙の木」も前面に小さな緑が見えたので葉っぱかなと思い良く見ると、これは宇宙の木の新しい芽でした。4ヶ月で初めての新芽です。頂いた時は不思議な名前の観葉植物だと思いましたが「宇宙にいそうな生物と連想できる」とか「葉の形が宇宙人のようである」とかの理由で名付けられたようです。陽当たりの良い窓辺に置いていましたが、これも調べると置き場所は「室内の風通しが良く、直射日光を避けて明るい場所がベスト」とあるので、そろそろ北海道も気温が上がって来たのでもっと新芽が出るようにと窓を開けた所に昨日から置いています。 新たにクレオメの新芽を置いて。 真ん中の背が高いのが「金のなる木」が育ててくれた1本。 そして「金のなる木」の鉢の片隅には2ヵ月ぐらいに「クレオメ」の種が1つ芽吹いて、他の鉢のクレオメよりも順調に大きくなり違う鉢に移しました。移植を嫌う花だそうですがそろそろ地植えしてもいいかなぁと思っています。その代わりにまた金のなる木に育ててもらおうとクレオメの芽を置いてみました。何と言っても初心者で「こんな事やって良いのかなぁ??」と試行錯誤の毎日がまた楽しいです🌵
2024.06.21
閲覧総数 24
7
下記は昨年の8月に書いた日記ですが、昨日(19日)のNHK「チコちゃんに叱られる」で「アラビア数字と角の数の関係」は「俗説」でどうしてこのような数字を使うことになったかは「分からない!」という画期的な結末でした。私自身は十分納得できる説だと思っていたので、ちょっと残念な気持ちがありますが、誰かがこの謎を解明してくるのを待ちます。「チコちゃんに叱られる」の「1ダースは何故12」の回の答えは「争いが起きにくいから」でした。12は2、3,4,6、12で割り切れる数のため人に配る時に他の数字より選択肢が多く争いが起きにくいという納得の答えです。 そして古代エジプト(紀元前3000年~前30年頃)では既に天体観測から1日の時間が12時間x2、またローマ時代には月の満ち欠けから1年が12ヵ月であることは知られていて、現代でもこの「12」という数字が生活の基礎となる場面で多く使われていると説明がありました。 12星座、12干支、キリストの12使徒などもすぐ浮かんできますが、調てみると仏教では苦しみの元となる12縁起、そして音楽の12オクターブ等やはり身の回りに「12」が溢れています。そして「ギリシャ神話・ふしぎな世界の神様たち(集英社未来文庫)」の本を読み始めてオリュンポスの神々が12神であることを知りました。 「ティタン族」のクロノスとレアから生まれた全知全能の神「ゼウス」を初めとして弟の海と地震の神「ポセイドン」、そしてゼウスの子である愛と美の女神の「アフロディーテ」など天上の山「オリュンポス」の頂きに住んでいた最初の神々は「12神」で面白いことに男性6神に女性6神と男女平等です。 ギリシャ神話が成立したのは紀元前1500年(文章化は紀元前500年頃)と言われれいるので、やはり「12神」というのは当時から人々が神秘的な思いも抱いていた数字を使ったのかと想像します。 日本にギリシャ神話が伝わったのは法隆寺の柱にギリシャ様式が使われていることから5世紀ころ中国からというのが有力説のようですが、「古事記」や「日本書紀」がその後の8世紀に書かれたというので何となく納得します。「ユーリディケ」を現世に連れ戻すために「死の国」に向かった「オルフェウス」 ギリシャ神話と古事記に描かれている「死の国に愛する人を取り戻しに~」という話はとても似通っているし、それだけではなく「古代インド叙事詩」の中にも似たような話が存在しています。 単なる偶然とは言い難いところもあって、昔々だけれども想像以上にグローバル化していて文化や情報の交流があったのではという説もあり、これは非常に興味深いです。 紀元後にインドで数字が発明される前に既に数字の概念がしっかりあったことに改めて驚かされました。インドで発明された数字(最初は1~9までで6世紀までにゼロの発明)が何故「アラビア数字」という呼び名に?と調べてみると、インドからアラビアに伝わった数字がヨーロッパに伝わったためだそうです。 更にアラビア数字について検索していくと、数字の形の由来が「角の数」によるものだというのを見つけました。確かに「1」だと赤丸が付いた角が1個で、「9」は9個あります。そう見ると「0」の角のない形が何とも神秘的に見えます。 ふとゼロを2つ組み合わせたようにも見える「無限大(∞)」の記号も思い浮かびましたが、これはローマ数字やギリシャ文字から作られたのではということでした。数字ってなかなか魅力的です。
2021.08.02
閲覧総数 972
8
昨年、今年とイタリアの赤ワイン「Amarone(アマローネ)」繋がりのワインを4本飲んで、昨日本物のアマローネを飲んでやっぱり「ワインの美味しさは値段に比例する」と思った次第です。 左は「Biscardo Neropasso (ビスカルド・ネロパッソ)」でアマローネと同じヴェネト州産で 葡萄品種はコルヴィーナ、メルローとカベルネ・ソーヴィニヨンの3種類のミックスです。値引き価格で26ドルでした。 中央は「Valpolicella(ヴァルポリチェッラ)Ripasso(リパッソ)」でスタッフから「ベイビー・アマローネ」と説明があって購入しました。リパッソの意味が「発酵が終わり搾りかすの残るアマローネの樽に普通のワインをもう一度注ぎ、2~3週間ほど熟成させる製法」であることをその時初めて知りました。葡萄品種はコルヴィーナとロンディネッラです。 右は2回目の「Valpolicella (ヴァルポリチェッラ)Ripasso(リパッソ)」でワイナリー「Tinazzi(ティナッツィ)」産です。 中央と右はどちらも値引き価格で30ドル台でアルコール度数は値段と共に高くなりました。 そして4本目が「Amarone Della Valpolicella La Bastia (アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラ ラ・バスティア)」でマニュライフ主催の一日1万歩を半年歩いて50ドル獲得をお祝いするために値引き価格79ドルで買ったワインです。フルボディでアルコール度数は15度です。早速昨日開けましたが、まず一口目は「何か思ったよりもあっさりしている・・」そして前の3本の時のような「甘味」は全く感じません。そして徐々に空気に触れてその高貴とも言える美味しさが広がってきました。残念ながら「ワインの美味しさは値段に比例する・・。」を実感です。ハンバーグはエシレのバターで焼きました。やはり香が違います。パンは日本のパン屋さん「ドンク」で人気No.2の塩パンでこれにエシレのバターと手作りの鳥レバーパテを付けました。サラダにはイタリア繋がりでハードタイプのチーズ「ペコリーノ(羊乳)」を入れました。 久々に大満足の晩御飯となり、たまには気合を入れた自分へのご褒美は必要だと思いました。飲んだワインをブログに書いても忘れてしまうこともあるので、特に気に入ったワインは国別にでも纏めて、ワインコネクションでワイン探しをする時の資料にしようと思っています。
2022.08.18
閲覧総数 127
9
今朝のネットの記事に11日のエスコンでの日ハム対中日戦で「山崎育三郎」さんがファーストピッチに登場!」があり動画もじっくり見ました。山崎つながりで「山崎福也投手」は背番号18 左投げです。 流石「ミュージカルスター」だけあって投球フォームも様になってるなぁと思いながら背番号「1936って何?」と一瞬考えましたが、ローマ字で苗字のYAMAZAKIの下で「育(19)三郎(36)」とすぐ気付きました。「アイデア賞」を差し上げたいぐらいです。残念ながら投球はワンバウンドでバッター田宮裕涼選手も苦笑い&笑顔で大きな振りでのナイス対応でした。 山崎育三郎さんと野球と言えば何と言ってもNHK朝ドラ「エール」の出演がきっかけで甲子園で2度「栄冠は君に輝く」を熱唱した事が今でも記憶にしっかり残っています。「エール」放送の翌年2021年はコロナ禍のため無観客でアカペラで、そして昨年は大勢の観客の前での熱唱でした。昨年は「栄冠は~」を作曲した「エール」の主人公「古関裕而(1909-1989)」氏が福島市の念願であった「野球殿堂入り」を果たしたお祝いという事で山崎育三郎さんの再登場となりました。6月も中旬になって夏の甲子園大会も近づき、今年も熱唱があるのかそしてどんな熱戦やドラマを見せてくれるのか楽しみです。 ところで交流戦は残り2試合を残すのみで(日ハムと阪神は雨天中止のためあと3試合)交流戦前までは「どうなる今年の楽天」と思うほどソフトバンクに2度も大負けした楽天がまさかの現在首位!今日楽天が勝って、ソフトバンクが残り2勝したとしても同率の首位です。「野球は下駄を履くまで分からない」とは昔の言葉ですが、交流戦後のリーグ戦がまたまた楽しみになってきました🥎
2024.06.15
閲覧総数 42
10
日本に本帰国して野鳥の「シマエナガ」を初めて知りました。先週のNHK「ダーウィンが来た」でも人気ナンバーワンの野鳥として「シマエナガ」を取り上げていました。気になって友人に聞いたところ「2~3年前くらいにシマエナガの写真を投稿した人がいて、それからブームに火がついて・」という事でした。 そしてシマエナガケーキやシマエナガアイス、シマエナガデザインの日用品等など、まだまだはブームは続いています。札幌市内の真駒内公園(1972年の冬季オリンピックで選手村があった所)で良くみかけるという話を聞きますが、昨日のネットの記事に「札幌のオアシス」である「北海道大学構内」で冬限定で見られるという記事を見つけました。北海道大学構内と言えば昨年11月の一時帰国の際に見た「紅葉」の美しさに息をのむものがありました。北海道構内では一年中野鳥がみられるようですが、特にこれからの季節4~5月には「センダイムシクイ」「オオルイ」等など70種類ほどが見られるそうです。肝心のシマエナガはもう遅いかなと思いますが、来年のために構内の「恵迪の森」近辺を下見に行ってみようと思っています。ネットの記事には「シマエナガは体が小さくすばしっこく飛び回るので目線で見つけるのは意外と難しい。だが鳴き声が「ジュリ、ジュリ」と独特なのでそれを頼りにすると見つけやすい」とあります。そして何故北海道だけに生息するエナガの亜種名に「シマ」が付くの?と今更ながらに調べててみると「その昔、本州以南の人々が離れた島である北海道をシマと呼び、そこにいる本州以南とは違う生物種にシマという言葉を付けて区別した」という説明を見つけました。納得です。「シマフクロウ」「シマリス」がすぐ浮かんできます。左下がエゾ狸で右がアイヌ(人間)北海道立近代美術館「AINU ART モレウのうた展」から。 余談ですがもう一つ北海道に生息する動物にに付く「エゾ(蝦夷)」で本帰国後に札幌の中心部「狸小路」にある新しいビル「MOYUK(モユク)」がアイヌ語で「エゾ狸」である事を知った時には妙に感動しました。自然と共存する北海道は見所満載でこれからが増々楽しみです。
2024.04.02
閲覧総数 60
11
今朝のNHK「キャッチ!世界のトップニュース」でオリンピックを控えるパリのルーブル美術館で「ルーブルで走ろう」というスポーツとダンスのコラボイベントの紹介がありました。映像ではまずルーブル美術館の入口から走って館内に入る人達が映し出され、通常は美術館では静かに・・の常識を覆す企画に驚きました。このイベントは一般公開前の午前8時から9時までで5月31日まで16回開催されるそうです。 次の映像はルイ14世の庭園を飾った彫刻「マルリーの中庭」でのヨガセッションで、ヨガ好きとしてこんな体験が出来たら・・と思いましたが、日本の美術館でも何かとのコラボで出来るのではと思ったりしました(昨年のゴッホの没入型展示のように)。 ルーブル美術館の思い出は20006年のフランス旅行の際の2日間だけで、美術館の広さや宗教画の多さに圧倒された事と何と言ってもダヴィンチの「モナリザ」の前に立てた事でした。絵を鑑賞する群衆のせいもあってか絵がとても小さく見えた事と絵の前にガラス板が有り特別な絵である事を印象付けていました。まさかモナリザの前でも何かイベントが?と思いますが、そうであればダヴィンチもさぞ驚く事だろうと思います。 このイベントを企画したスタッフがインタビューに「皆が待ち望むパリ五輪を前に、ルーブルの展示室でダンスとスポーツをし、2つを融合させたかった。私には、2つはとても似ていて、価値を共有しているからだ」 と答えていました。芸術とスポーツ、確かに価値を共有していると思いながらもパリのこの粋な計らいには「あっぱれ!」と思いました。 余談ですが、ブログを始めたのが2020年5月1日で、今日から5年目に入ります。今年シンガポールから本帰国してちょうど4か月が経ち「星の国から ヴァン・ノアール」から「星の国から星の街へ」とニックネームも変えて故郷北海道の魅力もたくさん書いていきたいと思っています。
2024.05.01
閲覧総数 97
12
道立近代美術館での先週の日曜の「ミュージアムトーク」のタイトルは「この1枚を見て欲しい」で北海道出身の画家「山口蓬春(1893-1971)」が描いた「向日葵」にスポットライトを当てていました。1955年に描かれたこの絵とゴッホの「ひまわり」の類似点と相違点について学芸員から解説があり、特に印象深かったのはゴッホのひまわりは花瓶の下部とひまわりの背景の色が違っているという点と、当時日本では花瓶に活けた花を描くのは珍しかったという事(画家の趣味の一つが中国の陶磁器収集だったそうです)と花と鳥などを一緒に描く日本画の伝統が未だ色濃くある時代に花のみを描いた事に斬新さがあるそうです。 北海道立近代美術館増 パネル1:「ゴッホのひまわり」との関係を探る」 ゴッホの影響を受けてこの絵を描いたのでは?という推測のもとこの絵の周りにゴッホについてのパネルが何枚か並び、その1枚が原田マハ著「たゆたえども沈まず」の序章に登場したゴッホ研究家であり精神科医の「シキバ(式場隆三郎)」についてでした。序章では1962年にゴッホの甥フィンセント(72歳)とゴッホ最期の地オーヴェールのラブー食堂で出会い、会話を交わし「日本にはゴッホの絵はないのですか?」と尋ねられ「西洋美術館に薔薇という作品があり、それは見た事があります」と答えます。ゴッホの薔薇は国立西洋美術館の創設者「松方幸次郎」が戦前購入し(最初の所有者はゴッホを看取ったガシェ医師)戦後フランス政府に没収された後1959年にフランス政府から返還されています。右下の写真が1953年の展覧会の様子。 そしてもう1枚のパネルで「薔薇」の返還の8年前の1951年と1953年に式場隆三郎が東京の丸善でゴッホの複製画や資料中心の展覧会を主催していた事を知りました。特にゴッホ生誕100年を記念した1953年の展覧会は大盛況だったようで、学芸員から北海道からも見に行った人がいたそうですと話がありました。 1911年に「白樺」によってゴッホが初めて本格的に日本に紹介され、白樺の同人たちが開催した美術展覧会でゴッホの複製画の展示をしたり、1920年に実業家の山本顧彌太が同人たちが構想した白樺美術のためにゴッホの絵を1枚購入したものの1945年の空襲で焼失した悲劇の流れも通して「ゴッホの絵画への情熱の火に惹きつけられた人達」の思いが熱く伝わってくるようです。 正直、序章の中でだけ登場した「シキバ」がこれほどの人だとは驚きでした。近美の図書コーナーにある「Van Gogh & Japan」の中に式場隆三郎と自らも画家であったガシェ医師との交流が書かれていました。ゴッホのためにオーヴェールに訪れた日本人達の訪問を真心で受け入れてくれていたそうで、これも心温まるエピソードです。【追記】 ガシェ医師と式場隆三郎(1898-1965)の交流についての訂正です。「ゴッホの夢美術館」に【ガシェ医師は1909年に亡くなっているので日本からゴッホ巡礼の旅でオーヴェールを訪れた日本人達をもてなしてくれたのはガシェ医師の息子「ポール・ルイス・ガシェ(1873-1962)】と記載がありました。
2024.05.13
閲覧総数 72
13
小説では乙女心を持つ主人公「美智之輔」君がパリの画塾に留学し、カフェでアルバイトしながら本来の夢であるパリ国立美術学校「エコール・デ・ボザール」の合格を目指すも敢え無く失敗となります。そんな中、ひょんなことから小説家のボディ・ガード的な役割りも兼ねてリトグラフ工房「IDEM PARIS」に住み込み、リトグラフを勉強することになります。 リトグラフ工房は実際にパリにあっても名前は架空と思っていましたが、調べてみると本当に「IDEM PARIS」が存在していて驚きました。 リトグラフは18世紀に確立された版画の技術で、「IDEM PARIS」は1881年にリトグラフのプレス機を設置するために誕生した印刷工房と説明があります。 そして小説の中だけの話ではなく「ピカソ」「マティス」「シャガール」など名だたる芸術家や映画監督の「デイヴィッド・ローンチ」が実際に「IDEM PARIS(70年代からは名称はムルロエ工房)」リトグラフを制作したようです。 マティスのリトグラフ展示会「JAZZ」が「ピエール・ベレンス画廊」で行われるに当たって制作されたポスターだそうです。マティスが切り絵で図案をデザインして文字レイアウトも自身で行い、制作は「ムルロエ工房」と説明があります。「JAZZ」の中の挿絵の一枚「イカロス」 マティスの画集から。 ギリシャ神話に登場するイカロスは蜜蠟で固めた翼で飛翔能力を得たものの、太陽に接近し過ぎて墜落し死を迎えます。「人間の傲慢さ」や「テクノロジーを批判する」神話として有名です。これを読んでから絵を見ると左胸にある赤の持つ意味が際立ちます。 ピカソのリトグラフを代表する「鳩」 確かパリの「ポンピドー美術館」を訪問した際、売店でこれに似た絵葉書を買って鳥好きの友人に送った思い出があります。ピカソが描く鳩の絵をそこで初めて見ました。「ゲルニカ」を描き、平和の象徴である鳩を世界平和の願いを込めて描いたピカソのことに思いを馳せます。 シャガールのリトグラフをネットで探していて、パリを感じさせながらも素朴な感じのこの一枚に目が止まりました。
2021.07.31
閲覧総数 193
14
先日のNHK[あさイチ」でハーバード大学天文学科長を2020年まで務めたアヴィ・ローブ教授(1962-)が中心となって2021年から始動している「ガリレオ・プロジェクト」について紹介があり、私はこのプロジェクトを初めて知りました。 教授の名前も初耳で調べてみると2012年のタイム誌が選ぶ「宇宙で最も影響力のある25人」の1人にも選ばれていました。ガリレオ・プロジェクトは「異星文明の証拠探索」と説明があります。 あさイチの番組の中では教授の「UFOが何であるか確認するのは科学者としての義務です」という言葉がテロップで流れ未確認飛行物体として目撃された情報や映像は改めて調査を進める中、無人飛行機や気球である件数も多いようですが中には地球の常識ではあり得ない映像もあるようです。 「オウムアムア」葉巻型の形状で全長800m(岩石質か金属質) 番組の中での紹介ではなくガリレオ・プロジェクトを検索した記事に掲載されている写真で、天文観測史上初めて太陽系外から飛来した事が確認された「オウムアムア(2017年マウイ島の天体望遠鏡で発見)」で地球外生命体が作った宇宙船なのか?という記述もありました。内容は私にはかなり難解です。 ところで以前にNHK「チコちゃんに叱られる」でどうして宇宙人のイメージは頭が大きくて手足が細いタコのような姿?という質問があって、回答は「翻訳者」の勘違いということでした。最初に火星の表面の細い模様を19世紀に発見したイタリアの天文学者が模様を「Canali(溝)」と彼の著書に表し、それがフランス、アメリカの翻訳者がCanaliをCanal(運河)と勘違いして運河を造るほどの高度な文明が宇宙のどこかに存在していると思い大きな頭(頭脳)のイメージになったという事でした。宇宙人は果たして存在するのか?もし何かの拍子でオウムアムアのように飛来してくれたら・・。 実はあさイチの番組内で一番感動したのは教授の「人類はもっと謙虚になった方が良い」という言葉でした。宇宙に対して謙虚という意味なのかと思いますが、地球という恵まれた美しい惑星に「仮の住まい」のように生かせてもらっている人類は領土や資源などの身勝手な奪い合いのために更に地球環境に害を及ぼす事をやってはいけないなぁとしみじみ思いました。
2023.03.09
閲覧総数 1141
15
アルゼンチンの国土の1/16の小さな国です。 5月9日の「ヴィノスやまざき」でのイタリアワインのテイスティングで店主から最近注目を浴びている産地「ウルグアイ」のワインの紹介もありました。「ウルグアイはどこ?」と思いましたが「アルゼンチンの隣の国ですよ」と言われ、アルゼンチンの隣国であれば美味しいワインを造っているはずとまずは白のソーヴィニヨン・ブランを購入しました。「COLINAS DE URUGUAY] 2022年、アルコール度数は12%です。初日は思ったより酸味が際立っていましたが、翌日には酸味も落ち着いてソーヴィニヨン・ブランらしいほろ苦さもありました。ただ正直に言うとチリやアルゼンチン産の手頃な値段のソーヴィニヨン・ブランで十分かなぁという感じもありました。 そしてもう1本ショップにあったウルグアイの赤も気になって先週行って来ました。葡萄品種は「TANNAT(タナ)」で「ウルグアイの代表的な品種で果実味豊かなタナの味わいをストレートに表現」と説明があります。2021年、アルコール度数13%です。店主から「赤身の肉に合いますよ」とアドバイスを貰い最近嵌っている「鯨ユッケ」を用意しました。開栓して一口飲むと果実味というより深いコクのあるワインで甘みは全くなくそれが鯨肉とも最高のマリアージュでした。後で葡萄品種「タナ」を調べてみるとフランス原産で語源は「TANNIN(タンニン 渋み)」だそうですが、2021年でも渋みは程よく抑えられ円やかさもあり私には「高級ワイン」&「コスパ最高」という感じでした。
2024.05.21
閲覧総数 220
16
「芸術新潮 2024/4」の特集「ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ~ 原田マハのポスト印象派物語」は原田マハ氏がパリのカフェである日突然時空を超えて画家「エミール・ベルナール」と出会い、エミールの画家仲間や尊敬する画家を彼を道案内に一緒に訪ねるという物語です。 「~ポスト印象派物語」で2人が最初に訪れたのはゴッホが1888年にアルルに移り住む前に弟テオと一緒に暮らしていたモンマルトル界隈のルピック通りのアパルトマンです。エミールがドアをノックし開けられたドアから現れた「すでに薄くなっている赤毛を撫でつけ瘦せこけた頬は赤い髭に覆われ、とんよりと曇った眼差しの男(33、34歳くらいのゴッホ)」は何度も見た自画像そのままの年の割には結構な老け顔・・。いかに自画像が自分の内面もとことん知り尽くして描かれた作品であるかにまず感銘を受けます。手を差し出し「あなたの事はよく知っています」と自己紹介と思いきや、時空を超えているためは原田マハ氏の姿はゴッホには全く見えていないのでエミールの背後霊のようにしてゴッホが絵を描いている部屋に入って行き絵具やテレピン油の匂いを嗅ぎながら壁に隙間なく掛けられた絵を眺めます。絵画好きであればこんな体験が出来たら・・と願うシーンです。 次に訪れるのはビジネスマンから後に絵画の革新者となった「ポール=ゴーギャン」が物価高のパリを逃れ移り住んだポン=タヴェンというおとぎ話に出てくるような美しい村です。この小さい村には1860年頃から画家たちがコロニーを形成し始め、ゴーギャンが初めて訪れた1886年には村人1000人に対して画家の数は100人ほどになっていたのには驚きです。ここでゴーギャンが特に気に入っていた「トレマロの礼拝堂」に飾られる「粗野なキリスト像」についての詳細でゴーギャンの代表作「黄色のキリスト像」のモデルになった事を知りました。ゴーギャンと言うとどうしてもゴッホとの関係から少し暗いイメージもありますが、この地でのゴーギャンの溌剌とした画家仲間との交流や制作の様子を知り、また違った視点でゴーギャンの絵が見られそうです。「リンゴとオレンジ」 セザンヌの絵を見てぐっと胸をしめつけられるようになる理由は? 訪問は「ポール・セリェジエ」「オディロン・ルドン」と続き、5人目がポスト印象派でも「古典回帰」を貫いた「ポール・セザンヌ」です。パリから離れプロヴァンスを制作の拠点にしていたため2人はエクスへと最後の旅に出かけます。実は案内役のエミールもセザンヌに会うのが今回が初めてのようで感激で涙目になりながら「先生、僕はあなたにお目にかかったら伺ってみたいことがあったんです」と切り出します。セザンヌの「何だね」の問いに「あなたの絵。気持ちのいい重さと、美しい強さと、抗い難い磁力がある。あなたはどのような技法と思想で誰も見た事のない自分だけの世界を描き出すに至ったのでしょうか?」セザンヌの答えは「~ささやかな事物に向き合う中で、だんだんと自分が見ているそのものの本質が浮かび上がってくるように思えてきたんだ~。そしてそれらすべてのものは突き詰めて整えてみると3つのシンプルかたちー円錐と、球体と、円筒に置き換えられる~」ちょっと難しいですが、キュビズムの原型を生み出したセザンヌのこの「構築的」画法はピカソのキュビズムに引き継がれ、そして物語の最後パリに戻った原田マハ氏の前にまたしても時空を超えて同じカフェに現れたのは「パブロ・ピカソ」でした。続きはいつか発行されるはずの単行本の中でという事でしょうか?
2024.06.16
閲覧総数 44
17
シンガポールの「サイエンス・センター」で開催中の「Da Vinci, The exhibition(ダ・ヴィンチ展覧会)」を昨日見てきました。 フリーペーパーのイベント紹介蘭には「東南アジアで最大となるレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)のコレクションの展示。ルネサンス絵画、物理学、光学、音楽、軍事、飛行、土木工学、水力など10のゾーンがあり、ダ・ヴィンチの人生、研究、芸術を知ることができる」とありました。 会場に入ると有名なダ・ヴィンチによる人体解剖図が壁一面に貼られ、複製画ですがダ・ヴィンチが描いた絵画も数点展示されていました。 絵画よりも興味を惹かれたのは現代でも広く使われているダ・ヴィンチ考案のベアリング等の仕組みを木製の道具で展示してあり、実際にハンドルを回してその仕組みを見ることが出来ることでした。 そして、この自転車の図面は16世紀の後半に発見された物で石墨で描かれているそうです。ダ・ヴィンチが生存していた時代には石墨で描くという技術は無かったけれども、元々はダ・ヴィンチが描いた図面の数枚を基に描いた可能性もあるということが説明に書かれていました。 自転車は19世紀の中頃にフランス人によって発明され、当時はチェーンが無く前輪に直接ペダルが取り付けてあったというのを読んだ記憶がありますが、この16世紀後半の図面を見る限り前輪と後輪が繋がっている感じがします。 ダ・ヴィンチが図面を描いたパラシュートで人形も取り付けた模型が天井から下げられていました。こちらは飛行機のような物で、同じく天井から下げられていました。 想像を超える好奇心や探求心、そして「稀代の天才」としかいいようがないダ・ヴィンチのまずは数点の展示品です。
2021.08.30
閲覧総数 168
18
原田マハ著短編集「<あの絵>のまえで」の第3篇目のタイトルは「檸檬」で登場する絵はポーラ美術館所蔵のセザンヌが1893/94年に描いた「砂糖つぼ 梨とテーブルクロス」です。ネットからの画像 子どもの時から周りと上手に付き合う事が苦手で絵を描く事が唯一の心の拠り所だった主人公(あーちゃん)は高校で美術部に入部します。そこで出会った1年先輩の男子部員からていねいに油彩画との付き合い方を教えて貰い仄かな恋心を抱くようになります。そしてある日2人は美術部顧問の先生にコンクールへの出展を勧められます。先輩と部室で2人きりになる機会が増えるという期待もあって先輩のアドバイス通り静物画を題材に選びます。 ほぼ完成に近づいた絵の前で取った先輩の謎の行動(絵筆を持ったあーちゃんの手を取りカンヴァスの檸檬に×を付ける)に傷ついた彼女はそれ以降絵を描く事をやめてしまいます。そして時が流れ偶然ポーラ美術館にあるセザンヌの檸檬を見た彼女はもう一度絵を描いてみようと思い始めます。 セザンヌと言えば「リンゴ1個でパリを驚かせて見せる」の言葉通りに静物画においても頂点を極めたせいもあり、セザンヌの静物画イコールリンゴのようなイメージがありました。当時困窮生活を送る画家たちにとって安くて腐りにくいリンゴの存在は貴重なものだったのだと思います。 1923年(大正12年) ちょうど先週「北海道立三岸好太郎美術館」で「檸檬持てる少女」の横のパネルに「モダンな果物」として檸檬の説明があって気になっていました。檸檬はヒマラヤ原産で日本には明治初期に静岡県で栽培が始まり近代とともに普及したモダンな果物だったそうです。この絵が描かれた大正時代もやはり檸檬のイメージはそのままだったのだと思います。調べてみるとヨーロッパに檸檬が伝わったのは十字軍遠征の11~13世紀なので印象派の画家たちが活躍した時代にはモダンとか高級というイメージは無かったのだと思います。 それにしてもセザンヌの絵の右端に何となく付け足しのように描かれた檸檬(タイトルにも檸檬はなく)そして短編の中であーちゃんが描いた檸檬のどこがいけなかったのか・・それは小説の中には説明がないので読む側が想像力を膨らませてという事なのだと思いますが余韻を残す短編で檸檬を見たらしはらくは自然にこの短編を思い出す事になると思います。『追記』5月3日巻末にテーマとなる絵画を所蔵する美術館の学芸員による解説があり、特に「檸檬」の解説は面白いと思いました。 「ロココ調の愛らしい砂糖壺を囲む十一の果物たちーリンゴ、梨、マルメロなどが机、机の傾く先への転落に抗いながら絶妙なバランスのなかにとどまっている~黄色い檸檬は独立し、きりりと在る。他方テーブルクロスで形成された山の稜線の陰に、もうひとつの果実が潜む。12番目は地味で慎ましやかなりんご~」輝く檸檬と引っ込み思案なりんご、これが群れることなくひたむきに絵画に身を捧げたセザンヌ自身の姿と重なり合うというのは何とも鮮やかな表現です。
2024.04.24
閲覧総数 60
19
一昨日の「チコちゃんに叱られる」の質問の1つが「何故野球監督は選手と同じユニフォームを着るの?」で答えは「もともと選手が監督をしていたから」でした。 アメリカで1840年に始まった野球の前身「タウンボール」で相手チームとの挨拶の時に代表が必要となり、その代表が選手から選ばれていた事に因るものだそうです。 そして番組の中で「監督兼選手」の試合として残る1974年5月10日「南海ホークス対ロッテ」の試合の映像(一番古い映像だそうです)が流れました。当時南海ホークスの監督兼選手の野村克也氏(1935-2020)が「代打オレ」と自ら宣言して、ロッテの「村田兆治(1949-2022)投手」に挑み豪快なホームラン(だったと思います)を放ったシーンには感動以上のものがありました。 代打オレを検索すると野村克也氏の監督兼選手辞任から29年経った2006年に野村氏を恩師と仰ぐ古田敦也氏がヤクルトの選手兼任監督に就任しています。ただ代打オレでの成績は思った通りにはいかずその難しさもネットの記事に書かれていました。 監督が選手と同じユニフォームを着なければいけないというルールは無いそうで、番組内で現在横浜DeNAの三浦大輔監督に「サッカーのようにスーツ姿はどうですか?」とインタビューをしていて「スーツを着るならやっぱり髪はリーゼントでしょう💦」と笑いを取っていました。それにしても代打オレって恰好良い言葉だなぁと思いました。チームを勝利に導きたいという責任感だけでなくそれが出来るための日々の鍛錬に基づく自信が無ければ出来ない技です。野球だけでなく会社、政界、経済界の多くの場面で使えそうな前向きな良い言葉だなぁと・・。
2023.04.02
閲覧総数 375
20
「一番 センター カウンタック(ランボルギーニ)」の参加も? 今朝のネットの記事に7月29日(土)エスコンフィールド北海道で日ハム対オリックスの試合後の「超 花火大会開催」のお知らせがありました。屋根を開き夏の夜空に向けて約30分間6000発超えの花火の打ち上げ&音楽、映像、各種パフォーマンスのコラボという豪快なイベントのようです。 日ハムの試合の負けが込むと「観客動員数の減少」がすぐ話題になるので、少しでも球場自体も元気の出るニュースがたくさん欲しいところです(ちょうど大泉洋さんの司会で北海道出身のアーテイスト全員集合のような大型コンサートがエスコンで開催されればと思っていました) ところで今年1月末に2023年のセ・パ各球団の総年俸が発表され、予想通り日ハムは12球団中最下位でした。昨年度に比べてアップした球団は7球団(うちヤクルトが前年比120%でトップ)で、残りのダウンした5球団の中で前年比91%の日ハムは前年比率最下位の楽天の86%よりは上ですが、年俸総額は2020年から下降を続け、今年の総額22億9220万円は12球団中断トツ最下位です。 ワインの「味は値段に比例する」のように「チームの強さがお金に因る」とは思いたくないですが、やはり優勝するためには必要なのだと思います。ただ日ハムについては最近は故障者を多く出しながらも期待以上の熱戦が繰り広げられていてファンの嬉し涙を誘っています。 7月29日の「超 花火大会」の時に今年年俸総額12球団中下から3位のオリックス(因みに2位はロッテ)の順位が現在と同じリーグ1位を保持しているのか、日ハムは定位置と呼ばれるようになった最下位から完全脱出をしているのか、「超 花火大会」当日までに大きく上がって花開く花火に見合う結果が出せているか期待しながら熱烈応援を続けます🎆
2023.05.08
閲覧総数 223
21
昨年1年間お世話になったヨガのインストラクターへのクリスマスプレゼントに芦屋本店の「アンリ・シャルパンティエ」のイチゴのショートケーキを買いに行った時に、ショーケースにディスプレイされていた「シンガポール限定販売 Baked Singapore Sling Financier(シンガポール・スリング フィナンシェ) & PadanMadeleine(パダン・マドレーヌ)」です。 箱の上面 箱の側面 3個入りで10.50ドル パッケージも可愛らしくシンガポール発祥のカクテル「シンガポール・スリング」風味のフィナンシェ2個とパンダン(アジアやアフリカの熱帯地方の植物)マデレーヌ1個入りの小箱で、デザインの花模様も鮮やかで可愛らしくすぐに購入!と思ったのですが、その時は既に完売でした。もう一軒の方にも行ってみましたがやはり完売で「次いつ店頭に出るかは未定なんです・・」と言われてしまいました。 それが昨日お店の近くに行く用事があって取り合えずチェックと思ってお店に寄ってみると販売が開始されていてまずは1箱購入して試食です。シンガポール・スリングの赤色とパンダンの緑色を見るだけでも美味しさがアップする感じです。 試食後、ふと気になって果たしてフィナンシェとマドレーヌの違いって何?と検索すると回答がありました(ブログ グルットピからの引用) フィナンシェマドレーヌ由来「金融家」「お金持ち」という意味。金融家が背広を汚さずに急いで食べられるようにと作られた。このお菓子を初めて作った女性の名前が由来。形金塊をイメージしたと言われる、平たい長方形の焼き型(フィナンシェ型)ホタテ貝をイメージした焼き型(マドレーヌ型)、もしくは、カップケーキ型材料薄力粉、砂糖、アーモンドプードル、卵白、焦がしバター薄力粉、砂糖、ベーキングパウダー、卵、溶かしたバター味アーモンドの甘さと焦がしバターの風味が強い。表面がサクサクで中が柔らかい。バターの風味が甘く香る、しっとりとした食感。 フィナンシェの由来が「お金持ち」とは本当にお正月早々「縁起」が良過ぎです。大阪の知人へは毎年旧正月(今年は1月22日~24日)前後にカードと何か旧正月らしい小さなプレゼント(最近は金運を願って金貨の形をしたチョコレート)を送っていますが、今年はこの小箱をカードと一緒に送ろうと思っています。アンリ・シャルパンティエ好きの彼女がシンガポール限定という事も含めて絶対に喜んでくれると思うので、売り切れ!にならないうちに買いに行かねばと・・(因みに昨日購入の賞味期限は2月1日なので通常3週間くらいのようです)
2023.01.08
閲覧総数 613
22
毎年この時期友人が日本から送ってくれる「サプライズプレゼント(お中元)」が昨日郵便で届き、私の好物の食材の中に何と「熱田神宮の勝守 勝紐」が同封されていました。 熱田神宮の名前は知っていても訪れた事がなく、果たしてどこだったかな?と調べて見ると愛知県名古屋市で「織田信長」とも深い縁があり「信長伝説」が残る神社でした。ちょうど先々週の大河「どうする家康」の「本能寺の変」の回で亡くなったばかりで凄いタイミングと思いました。 勝守と勝紐は戦勝の舞「陵王」の舞装束の柄で作られている事、勝紐は左手への巻き方も丁寧に説明があります。同封の「信長伝説」に「織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝を祈り、見事に今川義元を討つ事が出来た事から開運・金運・成就運・勝運・仕事運などと共に男らしさにあやかりたいと願う方々が多く参拝している」と書かれています。 熱田神宮を改めて調べてみると創建は第12代「景行天皇(71-130)」の時代で1900年以上の歴史がある神社でした。学校の日本史の教科書でおなじみの「仁徳天皇」は第16代なので、その4代も前の天皇の時代です。そして景行天皇の皇子が有名な「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」で天皇継承時には必須の「3種の神器」の1つ「草薙剣」で命を救われながらも剣をそのまま現在の名古屋市に置いたま三重県で没した事からこの剣と熱田神宮は深い繋がりがあるそうです。 そして草薙剣と言えば平安時代末期の源平合戦の最終戦「壇ノ浦」で入水した安徳天皇ともに海の底に沈み「八咫鏡(やたのかがみ)」と「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は後に発見されたものの剣だけは見つけられず現在、代用品が使われているという興味深い歴史ミステリーの1つです。朝ドラ「らんまん」の中で高知県の越知町の横倉山が映し出されて「平氏残党と共に安徳天皇は生き延びて余生をこの地で過ごしお墓が残っている・・」というエピソードが紹介され、私は初めて聞く話に驚きましたが、もし剣だけを安徳天皇が持参していたらと想像が膨らんでしまいます。 熱田神宮を調べ日本の悠久の歴史にも触れているうちに「勝守、勝紐」のご利益がありそうな気になって来て、今年残り5ヶ月何か1つでも「勝」が得られればなぁと・・。
2023.08.02
閲覧総数 157
23
北海道立近代美術館の隣の敷地にある知事公館と庭園が一般開放されている事を知って先月、桜の開花宣言が出た日に行って来ました。まずは庭園の一本桜をじっくり鑑賞してから(最後に日本で🌸を見たのはいつなのか思い出せないほどです)知事公館の中に入りました。 ちょうどすぐご夫婦の入館があって受付で「参考のためにどこからいらしたか教えて下さい」と尋ねられご夫婦が「神奈川県です」と答えたのに一瞬私は「札幌観光で知事公館?」と思いましたが、すぐ「知事公館を見学出来るのって全国でも珍しいんですよね」との言葉に「なるほど」と思いました。 スタッフから「1階も2階も自由にご覧下さい。写真撮影もOKです」と私たちの移動に合わせてさりげなく館内の照明器具の材質や置かれた家具等など説明をしてくれました。 木彫りの鳥(鳥は回転出来る優れ物です) 「バチバチそり」北海道らしくそりを引く馬 窓際の置物、隣の近美から借り出している北海道出身の画家(木田金次郎等)の絵や昭和天皇と皇后がご来館の時に使用したテーブルと椅子の展示等など多岐に渡っています。 スタッフの話で一番興味深かったのは「敗戦後占領された知事公館の庭では米軍の人達がダンスを踊っているのを見たと来館者から聞いた事があります」で、知事公館の長い歴史に思いを馳せました。リーフレットの知事公館の説明に敷地の歴史は明治時代に遡り、昭和11年(1936年)に三井別邸新館が建てられ、それが戦後知事公館になったとあります。そして現在も公務で使用されていてそれ以外の日に一般公開しているこの知事公館は正に札幌市の観光スポット!と実感です(しかも無料開放です) スタッフからは札幌市民にも観光の場所として知名度が低いので是非お友達にも紹介してくださいと言われ、社交辞令ではなく「また何度でも来てくだいね」の言葉にはやっぱり「おもてなしの国 日本」に心が温かくなりました。
2024.05.02
閲覧総数 83
24
シンガポールのホテルと言うと最近は最上階が船の形になった庭園とプールがある「ベイ・サンズ」が有名になっていますが、格式、伝統で言えばやはり「ラッフルズホテル」が一番だと思います。 ホテル中庭にある「ラッフルズ卿の胸像」 マーライオンの真正面にベイ・サンズ ラッフルズホテルが設立されたのは1887年でホテル名はシンガポール創始者であるスタンフォード・ラッフルズ卿に因んで名付けられました。当初は10室のバンガローのみでしたが、20年後には素晴らしい外観を持つ本館が建設され、また1989年からは2年半かけて1915年当時の栄光ある外観を復元する改築工事が行われました。 そして2017年から2年ほどかけて再度改修工事が行われ、2019年8月にリニュアルオープンしています。改修工事が少し始まった頃に「ラッフルズホテル内ツアー」が企画され、泊り客でも見ることが出来ないという所にも入りガイドさんの説明が聞けるということで友人と参加しました。 「マイケル・ジャクソン」が宿泊したというスィートルームも見ることが出来ました。部屋以外の回廊のようなところも全て個人用で宿泊費用を聞いただけでも驚き、正直それがいくらだったのかはっきり覚えていないくらいです。 また、イギリス人作家「サマセット・モーム」が「月と6ペンス」を執筆したホテルとしても有名で、1919年に出版された31年後にシンガポールを再訪してラッフルズホテルに滞在しています。写真の下に「Somerset Maugham(サマセット・モーム 写真右側 1950年」76歳の時の写真です。 「月と6ペンス」がサマセット・モームの作品であることは知っていても、内容が画家ゴーギャンをモデルに描いたものであることも知らなかったので、早速紀伊国屋書店で文庫本も購入し後日、最初の1ページを開くためにラッフルズホテルへ向かいました。
2020.10.29
閲覧総数 1439
25
映像を見る限り床に座って観賞できるようです。 日本では「Van Gogh アライブ」というタイトルで開催されている(終了した会場もあります)「ゴッホ没入型体験(The Immersive Experience)が東南アジアでは唯一シンガポールで開催中(3月から6月まで)です。 島全体がリゾート(カジノやユニバーサルスタジオ等など)になっているセントーサ島の「The Forum」というショッピングモールのイベント会場が使われ、文字通りゴッホのアートとVR(ヴァーチャル・リアリティ)が出会う360度で展開する展示会で、やっと今月30日のチケットを購入し今からとても楽しみにしています。 ゴッホと言うと私の一押しは緑と青のコントラストが印象的な「アイリス(1889年 サン・レミの療養所で)」でしたが、アルルでのゴーギャンとの一連の出来事を知るうちに青や黄色で描かれた「星月夜 1888年」やゴーギャンがアルルにやって来るのを待ちわびる心の象徴のような鮮やかな黄色の「ひまわり」にもかなり惹かれるようになりました。 そして「ゴッホの耳切り事件」の後、弟のテオ夫婦に誕生した子供のために描いた心の平安を示すような淡い青色とピンクの「花咲くアーモンドの枝(1890年 サン・レミ療養所からオヴェールに移って)」を見る限り自殺に追い込まれるような心の状況ではなかったのではと思ってしまいます。 「ゴッホの自殺」で思い出す映画は2017年の「Loving Vincent(邦題は最期の手紙)で「ゴッホは殺されたのでは・・」という仮説の基にゴッホの絵が油絵風にアニメーションで大型スクリーンに映し出され(125人の画家によって約6万枚の油絵が描かれたと説明がありますが、実際に映像で流れた絵の数は分かりません)その迫力と共に絵画好きにとっては至福の時を過ごせる映画でした。 そして今回の「没入型」の展示は300以上のアートワークが360度のパノラマで体感できるようです。この展示を見た後に、自分の一押しが変わるような経験が出来ればとも思っています。
2023.04.14
閲覧総数 482
26
に右から3番目が桜井会長(72歳) 昨日、読売新聞のネットの記事で「獺祭の酒造会社、NY郊外に初の海外酒造 23日に完成式典」を読んで、すぐ思い出したのは山里亮太さんがMCを務めていたNHK「逆転人生」に旭酒造(山口県)の「桜井博志会長」がゲスト出演した時の事です。調べてみると2019年7月の放送でした。倒産寸前の酒造会社を他界した父に代わり34歳で継ぎ、当初は何度も自分の死亡保険を計算するほど業績悪化の一途を辿る酒造会社が逆転発想で世界中に知られるようになった日本酒を育て上げたその人生はドラマを見ているような逆転人生そのもで、苦労したせいか語り口も魅力的で清々しい人柄が強く印象に残っています。 2015年の日本出張の際に広島県と山口県を訪問し、たまたま広島の呉市で会食の際に「獺祭」の名前を初めて聞いて、山口県出身の故安倍首相が来日したオバマ大統領やプーチン大統領にプレゼントした事でも「獺祭人気」に火が付いた事を教えてもらいました。入手困難だと言われたもののたまたま山口県の萩市で本数限定で「2割3分」を買う事が出来、シンガポールでその澄み切ったような味わいの大吟醸を飲んだ事が良い思い出です。 ニューヨーク州に新設の酒蔵で米国産「山田錦」と「地元水」を使って作る「Dassai Blue」は獺祭を上回る品質を目指すという意気込みで「Blue」と名付けた理由が「青は藍より出でて藍より青し」の諺から取っているそうです。 因みに「海外で獺祭が飲めるお店」のランクがあって、アメリカ75店舗、フランス(パリ)7店舗、イギリス(ロンドン)5店舗とデータがあり、上位10位の中に人口が5百万人程度のシンガポールが6店舗と健闘していて高い日本酒人気、獺祭人気が窺えます。ドンキ店の日本酒コーナーのほんの一画 レストラン以外でもドンキや明治屋、日本酒を扱う酒店では獺祭メインで日本酒が売られていてちょっと誇らしい気持ちにもなります。
2023.09.25
閲覧総数 71
27
昨日北海道の札幌と函館で桜の開花宣言がありました。ちょうどジムへ向かう途中にある「倉式珈琲店(今年2月末で閉店)」のほぼ敷地内にある樹木に咲き始めた花があまりに可憐で写真に撮りました。 4月18日 3月28日(閉店から1か月後) 北海道では梅と桜が同時期に咲くため見分けるのが難しく検索して調べてみましたが白とピンクの花は多分桜かなと思います。ふと菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひ おこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」が浮かびました。菅原道真が左大臣の圧力によって京の都から大宰府に左遷させらた時(901年)に詠んだ歌で、大河「光る君へ」と同じ平安時代ですが1100年以上の時を経ても花に対する愛情がひしと伝わる名句だなぁと思います。 本帰国して1か月後ぐらいに倉式珈琲店を見た時は何て大きな看板と建物と広い敷地だろうと思っただけですが、その後2月末に閉店と分かり、閉店間際に滑り込みで行って来ました。 運よく窓際の席が空いていて珈琲とお勧めのスイーツを注文してからゆっくりと店内を見渡したり、窓外の樹木や雪景色を眺めました。徐々に外も暗くなって来て全くライトアップされていない外の景色は却って神秘的な感じがしました。珈琲の味わいも店内の落ち着いた雰囲気も申し分なく、このお店が閉店するのは何とももったいないなぁと思いました。 ところで樹木の花はここ数日立ち止まって写真を撮る人達を見かけるようになり、すぐ隣の敷地にあった「ベーカリー レストラン サンマルク」も昨年2月に閉店の張り紙をドアにしたままの寂しい状態になっています。主(お店やお客さん)がいなくなっても春を忘れないでこれから更に花々が咲き乱れるのかなぁと思いますが、この景色に見合うような素敵なカフェがまた誕生して呉れる事を切に願います。
2024.04.19
閲覧総数 194
28
先週の日曜の北海道立近代美術館の学芸員による「ミュージアム・トーク(30分)」のテーマは「ユトリロの描いた街並み」で、日本で過去に開催されたユトリロ展の多さからも日本でも長く愛され続けている画家である事の紹介で始まりました。 「モンルージュの通り(セーヌ)」1910年ごろ 「雪の寺院と教会」ネットからの画像 左は「近美」所蔵の「白の時代」を代表する1点で漆喰の壁の白さをよりリアルに出すために実際に絵具の中に漆喰や卵の殻を入れたりしたそうです。通りに面した家々の窓が全て閉ざされている事からユトリロの人物を排除するような孤独感が伝わってくるとの説明もありました。そしてこの時代よく描いていた「サクレクール寺院」と「サンピエール教会」は「実は外で絵を描いていると随分からかわれたり追いかけられたりして、そんな時にはサンピエール教会はユトリロの逃げ場所だったんですよ」にはちょっとゴッホの人生がオーバーラップしました。 アルコール依存症から絵筆を握ることになったユトリロが何故「人物画」でも「静物画」でもなく「風景画」をテーマに選んだのか?については慣れ親しんだモンマルトルの風景に自分自身の孤独や苦しみを投影させたというような学芸員さんの説明で、なかなか奥深いと思いました 「シセイ・アン・モルヴァン」1914年頃 見ずらいですが右下最後の文字が「V」です。 特に私にとって興味深かったのは学芸員さんの「ユトリロのサインの最後のVの意味が分かりますか?」との問いかけで今までサインを注意してみた事は無かったと気が付きました。そして答えは「母親シュザンヌ・ヴァラドンのVです」と言われ「なるほど」でした。まるで一卵双生児のように重なり合う2人の人生の表れだったのだと・・。 個人的にユトリロ(1883-1955)の絵に惹かれる理由の一つにゴッホと同じように孤独と謎めいた人生にあるのかと思います。ただ謎めいたというのはユトリロより母親の「シュザンヌ・ヴァラドン」」の人生で、貧しい洗濯女の娘として生まれ、曲芸師になるも怪我で挫折し母親の仕事の手伝いで洗濯物を届けているうちに画家達の目に留まり絵のモデルとなった経緯、ちょうどルノワールが彼女をモデルにした「都会のダンス」を描き終えた後に私生児ユトリロを産んだ事、その後ドガに師事して自らも画家の道へと進んだ恋多き女性。彼女がユトリロに与えた多大な影響(アルコール依存症やあくまでも母性を求める姿)はユトリロの風景画の中の人物の描き方にもよく表れています。 ミュージアム・トークが終わって学芸員さんに「個人的には誰がユトリロの父親だと思いますか?」と聞くと気さくに「私は当時の大御所画家かなとか思いますが、自分が父親である事を認知したスペイン人のミゲル・ウトリーリョ・イ・モルリウスはユトリロの晩年の顔と良く似ているそうです。でも・・実のところ恋多きシュザンヌ・ヴァラドンにとって誰が父親なのか分かっていなかったのかも」と謎を残すような素敵な締めくくりでした。
2024.05.04
閲覧総数 73
29
昨日のNHK「あさイチ」でダイソーの観葉植物の上手な育て方を紹介していました。本帰国してダイソーに小さい鉢ながらサボテンや観葉植物のコーナーが充実しているのを見て、以前はダイソーに植物は売っていなかったのでは?と思いラベルをじっくり見てみると「水やり」とか「置き場所」とか大体同じ事が書かれていて「上手な育て方は?」と思っていました。 番組ではまず3つの観葉植物「オーガスタ」「サンセベリア」「アスプレニウム」が紹介され、クイズ形式でそれぞれは「明るい所が好き」「乾燥に強い」「暗いところでも耐えられる」のどれでしょうか?の質問にMCの華丸・大吉さんは2回目で正解となります。乾燥については葉を触ると分かるそうです。ちょうど見栄えのする丈が高くて玄関の近くのあまり陽が当たらない所にぴったりの観葉植物はないかなぁと思っていたので「暗い所でも~」の情報はとても重宝です。ダイソーで何種類の植物が売られているのかは分かりませんが、一冊の本に纏めて欲しいぐらいです。 そしてこれらの植物はほぼ海外で育てた物が日本に輸入されているため植物も「旅疲れ」があるそうです。その旅疲れを癒す方法として購入してすぐにプラスチックの箱にコップ一杯の水を置き2週間くらい鉢を入れた後鉢替えをするのが良いそうです。これもためになる情報です。暗い所と言っても「読書できるぐらいの明るさは必要」という事でした。 最初は小さな植物も成長に従って鉢を替えて育てると物によっては1m以上にもなるという朗報です。花屋さんで丈のある観葉植物を見てみましたが思っていた以上に高額で1万円以上の物もざらにあります。早速ダイソーにアスプレニウムを探しに行くと「1鉢300円」で確かにありました。 シンガポールも「DAISO」は大人気で出店数もかなり多いですが、高層住宅が多く日本のようなガーデンニングは各家庭では難しいので当然DAISOでも園芸グッヅは限られています(ドンキで小さい盆栽が売られていてこれには驚きました。シンガポールで盆栽は結構人気です) 先月、札幌で雪解け宣言が出てお向かいさんの庭に綺麗なチューリップが咲き始めた頃夕方に点灯する庭のランタンを見て「お帰りなさい」と言って貰えてているようで温かい気持ちになりました。ランタンは高そうに見えるしどこで買えるのかな?と思っていたらこれもダイソーにありました。200~300円で酒類も結構あってソーラーなので配線の必要も無く電池を装着するだけとは優れ物です。ガーテンニングを愛する人達の間では既に必須アイテムだと思いますが、私も遅まきながら1個買って陽が落ちてから花と同様に灯りの癒しを貰っています。
2024.05.25
閲覧総数 195
30
6月14日、エスコンでの巨人戦。3号ソロホームラン!(2対7で負けましたが💦) 今朝のテレビのニュースで日ハムの水谷瞬選手(23歳)が満場一致で交流戦のMVP(最優秀選手賞)を受賞した事を知り朝から気分が盛り上がりました。 日ハムファンとしては「良く打ってくれるなぁ」と思っていましたが、18試合中16試合で安打を打ち、打率が史上最高の4割3分8厘、安打数28、出塁率4割7分1厘は12球団で1位という結果の受賞です。 今年3年目の新庄監督の采配についても評判は上々で、特に若手選手の起用への評価が高いのは嬉しい限りで、最近の「躍動するインド」のニュースを見ると「躍動する日ハム」と結び付けてしまいます(どちらも若さがキーポイント!)今年ソフトバンクから日ハムに移籍した水谷瞬選手については野球中継中の解説で「ソフトバンクでプレーした昨季は8月以降は3割越えの打率を残しても1軍に昇格する事はなかった」というのを何度も聞き、自分を磨きアピールする力や監督を始め球団側の判断が想像もしなかった結果をもたらしてくれるのだとちょっとしみじみもします。 そして交流戦はサプライズとも言える「楽天」の優勝で、2005年に始まった交流戦の優勝経験球団は8球団となりました。ソフトバンクが断トツの8回優勝、巨人/オリックス/ロッテ/ヤクルトが2回、日ハム/DeNA/楽天が1回です。優勝経験のない残り4球団が来年の優勝を勝ち取るのか、気が早いですがこれも楽しみになってきました。 「活躍は交流戦だけだったと言われないように、リーグ戦再開からもチームに貢献出来るように全力で頑張ります」と受賞後の水谷瞬選手の言葉に大いに期待し、こちらも気持ちを切り替えて明日からのリーグ戦を熱烈応援です。現在日ハムは勝差ゼロでロッテに次ぎ3位、交流戦優勝で勢いに乗るであろう楽天とは勝差2ゲームです。今季は何とかCSへ進出して欲しいと心底願って🥎
2024.06.20
閲覧総数 31