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2月10日 昨日はベンチに座ったままだったので、あまり眠れずさすがに疲れた。 9時10分に下船し、イミグレーションに並ぶ。200人以上、客が居るのに開いている窓口はたったの2ヶ所だ。外に出るのに1時間半かかった。 カズィマウサの旧市街に行くと、ララ・ムスタファパシャ・ジャミィが目に入る。これは凄い建物だ。14世紀に建てられた、このゴシック建築の建物は、キプロス王位の戴冠式も行われたそうだ。 *ララ・ムスタファパシャ・ジャミィ* 他にも古い建物があったが、荷物を担いでいるのであまり見て回れないので、あきらめてバス停を探す。 少し歩いたところからレフコーシャ行きのバスが出ていたので、それに乗った。1時間ほどでレフコーシャに着いた。 一軒目の宿は少し高かったので、パス。二軒目は部屋の窓が割れていて、寒そうだったが、12YTL(約940円)と安かったので、ここに決めた。「Antalya Pansion(ドミ)」。荷物を置いて外に出る。 セリミエ・ジャミィやハイダルパシャ・ジャミィ、ビュユック・ハンなどを見学。 食事をしようとロカンタを探したが、あまり安い店がない。トルコに比べて全体的に物価が高いようだ。 裏通りで安そうな店を見つけ、肉の煮込みの様なものを頼むと、なんとビーフカレーだった。しかも辛い。 宿の近くを歩いていると、身なりのしっかりしたキプロス人に声を掛けられ、「日本人か?日本人ならちょっと教えて欲しいことがある」と言われ、車に乗るように言われた。 最初、これは怪しいと思い、当然、乗らなかったが、どうも、カーオーディオの設定の仕方が解らないらしい。 車はホンダCR-Vでオーディオの表示も日本語だ。車の乗り込み、色々触ってみたが、僕も解らなかった・・・。 その人は近くの銀行の支店長で、銀行に案内してくれ、コーヒーまでご馳走してくれた。 「オーディオのマニュアルが手に入ったら、送ってくれ」と言われたが、まだまだ旅行は続くので、いつ送れるか判らない。
2009.10.02
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2月9日 朝8時半に宿をチェックアウト。荷物を預けてツーリストインフォメーションに行く。しかし、昨日の夜は寒かった。あの部屋にはヒーターが無かったので、寒くなるとは思ったが、寒すぎて夜明け前に目が覚めてしまった。 インフォメーションでキプロス行きのフェリーを調べると、乗ろうと思っていた、メルスィン→ギルネの便がなくなったらしい・・・。念のためにチケットオフィスにも行って聞いてみたが、やはりなくなったようだ。 今は、メルスィン→カズィマウサの夜の便だけのようだ。タシュジュまで行って明日の朝の便に乗るか、今晩ここから乗るか、もしくはキプロスはパスしてアダナに向かうかだ。 夜までは長いが、いろいろ考えた末、ここから乗ることにした。 ロカンタでムサカ(2.5YTL)を食べてから。フェリーターミナルに行き、キプロス行きのチケット(41YTL=約3200円)を買った。この料金に出国税も含まれているらしい。 海沿いのアタテュルク公園にある「オスマン帝国海軍遭難慰霊碑」を見学。この慰霊碑は明治時代に、トルコの軍艦が和歌山県沖で遭難した時の、581名の犠牲者の為に建てられたそうだ。 その時、地元の住民たちが遭難者を救助し、生き残ったトルコ人たちに非常に親切にしたと言うことを、今もトルコで語り継がれているらしい。 その和歌山の串本にも同様の碑があるらしい。 夕方5時半にフェリーターミナルに行くと、結構多くの人が待っている。カスタムが6時にならないと開かないようだ。すると、3人のトルコ人が近寄ってきた。何だろうと思っていると、トルコ観光局の人で、アンケートを取りたいと言ってきた。各国の言葉で書かれた用紙を持っていて、日本語の用紙を出してくれたので、それに今まで訪問した街やホテルのランク、予算などを書き込んだ。 6時にカスタムが開いたので中に入る。40分歩ほどでパスポートチェックも終わり、フェリーに乗り込む。船室は人だらけだったが、どうにか室内で座る場所を見つけた。しかし、かたいベンチにぎゅうぎゅう詰めだ。明日の朝までこの状態かと思うと、ぞっとする。
2009.09.25
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2月8日 お昼前に宿をチェックアウトし、駅に向かう。昨日の夜、雪が降ったようで、薄っすらと雪が積もっていて、かなり、寒い。 30分くらいで駅に着き、メルスィン行きの切符(7.5YTL)を買う。12時30分発の列車だが、なかなか来ない。雪のための遅れているのだろう。 3~4日前からトルコに大寒波が来ているらしく、TVで連日、大雪のニュースが流れていて、イスタンブールでもひどい事になっているらしい。地中海沿岸以外はどこも最高気温がマイナスになっている。 列車は2時間30分遅れの、午後3時に来て、3時10分発車。午後9時10分にイエニチェという駅に着き、乗り換え。10時10分にやっと、メルスィンに着いた。 歩いて宿を探していると、親切なトルコ人が一緒に探してくれ、無事、「Otel Emek(ドミ、7YTL)」にチェックイン出来た。 急いで何か食べに出る。近くの店がまだ開いていたので、そこでメルスィン・タントゥニを食べた。結構美味しかった。
2009.09.18
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2月7日 街をぶらぶら歩き、お腹が減ってきたのでピデ屋に入り、メヴラーナ・ピデを食べる。 ピデとはトルコのピザのことで、コンヤ名物のメヴラーナ・ピデは薄く、細長い生地の上にチーズや羊のひき肉を載せて焼き、香草を添えてある。 長さはなんと、1メートル以上ある。でも、生地を薄く延ばしてあるので、一人で食べられる量だ。 次はメヴラーナ広場に行き、メヴラーナ博物館に入った。この街では「メヴラーナ」という名前が多く出てくるが、ここはイスラム神秘主義の一派、メヴェレヴィ教団発祥に地で、その創始者がメヴラーナさんだ。だからその名前だらけなのだ。 この博物館は元々メヴラーナさんたちの霊廟だったが、1927年以降、博物館として一般公開されたらしい。 中には多くの棺やコーラン、ムハンマドのあごひげを入れた箱などが展示されていた。
2009.09.12
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2月6日 朝9時にチェックアウト。昨日、バスのチケットを買った店に行く。ここの親父は気のよい人で、行くたびにチャイやお菓子を出してくれる。 チャイを飲んでからドルムシュ(市バス)が停まるところまで連れて行ってくれた。ドルムシュでデニズリのオトガル(バスターミナル)まで行き、10時30分発のコンヤ行きのバスに乗る(20YTL=約1600円)。 午後2時頃、エイルディルの待ちに入った。ここにも寄ろうかと迷ったのだが、何も無さそうなのでパスしたが、青い湖に突き出たところに町があり、すごく綺麗な所だ。やっぱり1~2泊していけば良かった。かなり後悔する・・・。 午後5時10分、コンヤ着。ドルムシュでメブラーナ通りまで行って、宿を探し、「Otel Mevlana(ダブル、2泊で28YTL)」にチェックイン。 近くの食堂で、「タンドール・ケバブ」を食べた。パンの上に釜で焼いた油こってりの羊肉がのっていて、すごく美味しかった。
2009.09.04
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2月5日 昨日の夜は寒かった。宿代を値切る為、「暖房は要らない」と言ったのを後悔した。寒すぎてよく眠れなかった。 朝9時に朝食。宿に一階がレストランになっていて、そこで食べる。チャイとパン、目玉焼き、パックのジャム、バター、トマト。3YTLはちょっと高い。 10時過ぎにパムッカレ観光に出る。雨は止んでいるが、かなり厚い雲に覆われている。 入り口で入場料を払い(5YTL)石灰棚に入る。遠くから眺めると、真っ白で凄く綺麗だが、近くで見ると結構汚れている。だから、景観保護のため、今は靴を履いたまま、石灰棚に入れなくなったようだ。 石灰棚を登りきると、そこにはヒエラポリスと呼ばれるローマ遺跡がある。ここは紀元前190年頃からの都市遺跡だそうだ。 おなじみの円形劇場や博物館、ネクロポリス(使者の街、墓地)などがあり、かなり広い。 温水プールがあるので見に行くと、水の中に、倒れた柱などのローマ時代の遺跡がごろごろしている。この寒い中、2~3人の外人さんが泳いでいた。
2009.08.22
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2月4日 朝、四泊分の支払いを済ませ、おばあちゃんにチャイをご馳走になってから、出発。 駅でデニズリまでの切符(3.75YTL)を買い、10時45分発の列車に乗った。かなり混んでいたが、うまい具合に席が空いていて、座ることが出来た。 午後3時15分、デニズリに到着。駅でコンヤ(次の目的地)までの行き方と列車の時間を調べてから、バスでパムッカレに向かった。 30分ほどでパムッカレに着いた。小さな町だ。目星を付けていた宿に行き、交渉すると、9YTLから7YTLまで下がったのでチェックイン。今日の宿は「Hotel Mustafa(ツイン、ホットシャワー、トイレ)」。別料金で朝、夕食が付けられるので(朝3、夕6YTL)それも頼んだ。
2009.08.16
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2月1日 今日は天気が良いので、宿で朝食を食べてから、エフェス遺跡(エフェソス)に行くことにした。 宿から3Kmほど歩くと、入り口に着いた。入場料(15YTL=約1200円)を払い、中に入る。 大劇場やケルスス図書館、オデオンなどかなり見ごたえのある遺跡だ。敷地もかなり広く、他にもたっぷりと見るところがある。あんまり楽しいので二往復してしまった。*大劇場**ケルスス図書館* ここエフェス遺跡は、保存状態も良く、今まで見てきたトルコの遺跡の中でも、一番見ごたえがある所だ。
2009.08.12
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1月31日 朝10時に近くの銀行に両替に行く。1時間くらい待ち、やっと順番が回ってきて窓口に行くと、「T.C.の両替は出来ない」と言われ、歩いて15分くらいの所にある支店に行くように言われた。 まあ、仕方ないと思い、一旦宿に戻って荷物を片付けてからその支店に行った。 11時45分に着き番号札を取って待つ。しかし、なかなか順番が来ない。客の数に対して窓口の数が少なすぎる。お腹も減ってきたが、両替は出来る時にしておかないと後で困る。 列車の時間が近づき(午後3時15分発)、イライラしていると、やっと順番が回ってきた。ここに来てから3時間後の、午後2時45分だ。 窓口の人に急いで欲しいと言い、US$300両替(→398.5YTL)。今、2時55分、あと20分しかない。しかも雨まで降っている・・・。 傘をさし宿まで走り、荷物を取ってまた駅まで走る。セルチュクまでの切符を買い、列車に乗ると同時に発車した。ギリギリだ。その上、列車は満員で席がなく、連結のところに荷物を背負ったまま2時間、立ちっぱなしだった。 クタクタで列車を降り、宿に向かったが道に迷う。 地元の人に道を尋ねたら、車で宿の近くまで連れて行ってくれた。トルコ人は親切だ。 今日の宿「Vardar Pension(ツイン、$4)」にチェックイン。宿のおばあちゃんにエルマチャイをご馳走になってから、夕食に行く。今日は朝、ビスケットを少し食べただけなので、お腹ペコペコなのだ。 近くのロカンタでチョプ・シシを食べる。小さいケバブ(羊)、ピラウ、トマト、シシトウなど。かなり美味しかった。
2009.08.07
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1月30日 オトガルから朝9時30分発のバス(7YTL=約550円)に乗り、11時20分、イズミルのオトガルに到着。そこから市バスで市内まで向かう。鉄道駅の近くの「TAN Otel(ダブル、10YTL、ホットシャワー)」のチェックイン。 まず、駅でセルチュク行きの時間を調べ、街に出る。 ここはエーゲ海の面した大都会だ。遺跡などもあまり残っていなくて、冬場はあまり見るところはないようだ。 ここの名物の「マニサ・ケバブ」を食べたいので、少し遠いがクブルス・シェヒットレル通りに行ってみる。この通りは綺麗な店や、レストランなどが建ち並んで、歩行者天国のようになっていて、ちょっとヨーロッパの匂いがする。 マニサ・ケバブ(5.5YTL)はパンの上にケバブを載せ、ヨーグルトソースとトマトソースがかかっていてムチャクチャ美味しかった。
2009.07.31
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1月29日 ずっと降っていた雨が、10時頃止んだので山の上にある「アクロポリス」に行く。 ちょうど1時間歩いて入り口の到着。アゴラやトラヤヌス神殿、円形劇場などを見学していたら、トロイで会ったカップルも来ていた。彼らは別の宿に泊まっているそうだ。*円形劇場**トラヤヌス神殿* すべて大理石で造られたトラヤヌス神殿は、ローマ皇帝ハドリアヌスが先帝トラヤヌスに捧げたものらしい。 帰りは別の道でデルメル神殿などを見ながら山を下ったら、途中で道がなくなり、山の斜面をこけそうになりながら歩いた。
2009.07.25
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1月28日 バスターミナルでひき肉とトマトのサンドイッチを食べ、午前11時20分のベルガマ行きのバスに乗る。 途中、何ヶ所もバス停に停まりながら走っていたくせに、ベルガマではオトガル(ターミナル)の1Kmくらい手前で降ろされた。何でや!! 歩いて町の中心まで行き、宿を探す。今日の宿は「Acroteria Pension(ダブル、10YTL、トイレ、シャワー)」。宿の親父は、なかなか良さそうな人だが、シャワーがソーラーシステムなので、今日は出ないらしい(一日曇りだった)。 部屋に荷物を置き、近くのロカンタ(食堂)でベルガマ名物の「キミレット・キョフテ」を食べた。味はまあまあだった。
2009.07.24
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1月26日 朝8時半に宿を出発。昨日、チケットを買ったバス会社からセルビス(送迎バス)でバスターミナルまで行き、チャナッカレ行きのバスに乗る。 バスは10時すぎに発車。4時間ほど走って、フェリーでダーダネルス海峡を渡り、午後3時、「トロイ遺跡」で有名な、チャナッカレの港に到着。 港に居た客引きに連れられ、今日の宿「Anzac House(ドミ、9YTL)」にチェック・イン。荷物を置き、少し町に出る。 チメンリッキ城塞公園に行くと、古い大砲や舟などが置かれてあった。 海沿いの道を散歩していたらデカイ木馬があった。「トロイの木馬」のレプリカだが、勿論、想像で造られたものだ。 帰りに屋台でチャナッカレ名物の、ボンバサンド(目玉焼きに肉や野菜を入れたサンドイッチ)を食べ、宿に戻った。
2009.07.19
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1月24日 朝8時37分の列車でエディルネに向かう。同じコンパートメントのトルコ人の家族連れが、コーラやスィミット(トルコのパン)を分けてくれた。 エディルネまで5時間と聞いていたが、6時間20分かかって到着。バスで町まで行き、宿を探し、「Otel Anil (シングル、10TL)」にチェックイン。 バス会社で次の目的地、チャナッカレまでのバスを調べると、夜の便しか無いと言われた。ケシャン行きなら多数あるようなので、ケシャンで乗り換えようか。 町を見て回ろうかと思っていたが、雨が降ってきたので、今日はご飯を食べてから宿に戻る。1月25日 朝起きると雨が降っている。仕方ないので、ロビーでTVを見ていたら雨が止んだようなので町に出る。 一本だけねじれたミナレットを持つユチュ・シェレフェリ・ジャミィや、ミマール・スィナン(トルコの建築家)の最高傑作と言われているセリミエ・ジャミィを見学。*ユチュ・シェレフェリ・ジャミィ**ミマール・スィナンの像とセリミエ・ジャミィ* セリミエ・ジャミィの一階は市場になっていて、中の階段を昇っていくとモスクに出る。かなり大きなモスクで、ドームの大きさはイスタンブールのアヤソフィア寺院より大きいらしい。 最後にエスキ・ジャミィに行く。エスキとは「古い」という意味で、本当にこの町で一番古いモスクらしい。 これらのモスクは全部近くにあるので、見て回るのも楽チンだった。町を歩いていると、何軒かバス会社があったので入ってみると、チャナッカレ行きの朝の便があったので、チケットを買った。
2009.07.17
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1月21日 今日も天気が良いので、宿で聞いた難破船をちょっと見に行く。ブルー・モスクの南側ということしか判らないので、ノンビリ海のほうに歩いて行く。 突然現れた船にびっくりする。こんな大きな船だとは思っていなかった。 当然、ガイドブックには載っていない、裏の観光名所だ。
2009.07.05
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1月20日 今日は天気が良い。ガラタ橋の方に歩いていくと、今日は祭日なので、サバサンドの船が出ていた。以前はいつも出ていたのだが、今は休日しか出してはいけないらしい。 サバサンドとは、パンに日本で食べるのと同じ焼きさばと野菜を挟んで、レモンを絞って食べるのだ。そして、美味しい。*サバサンドの船* イズニック・タイルに貼られた美しいモスクや、イェニ・ジャミィなどを見学してから、トプカプ宮殿に行く。 入場料は高いが(宮殿と宝物館で約1700円)、さすがに見ごたえのある所だ。宝物館もすばらしく、有名な「トプカプダガー」や86カラットもある「スプーン屋のダイアモンド」、「世界最大のエメラルド」など、凄いものが見られた。*トプカプダガー*
2009.07.04
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1月19日 今日はアヤ・ソフィア(15YTL)に入ってみる。さすがに凄い建築物だが、内部の修復作業の為、ちょうどドームの下に、大きな足場が組まれていて、かなり残念だった。しかし、モザイク画など、見るものも多く、満足した。 次はスルタン・アフメット・ジャミィ(ブルー・モスク)に行き、中でゆっくり見学。ここも内外装共に凄く綺麗だ。そして、モスクは中でゴロゴロ出来るので暇な時や、休憩したい時にもってこいなのだ。 夜にもう一度ブルー・モスクを見に行く。ライトアップされたモスクは一段と綺麗だった。
2009.06.28
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1月18日 空はかなり厚い雲に覆われているが、雨は降ってないので、今日は観光に出よう。 ぶらぶら街を歩き、シェフザーデ・ジャミィやヴァレンス水道橋を見てから、スュレイマニエ・ジャミィに向かった。このモスクは取るこの建築家、ミマール・スィナンの最高傑作と言われており、凄く綺麗なモスクだった。 前回、行けなかった地下宮殿(10YTL)に入る。カクテルライトに照らされた列柱が並び、結構綺麗だ。逆さにされているメドゥーサは思っていたより大きかった。
2009.06.26
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1月14日 今日はシリアビザを取るための準備をする。まず、バスで新市街に向かい、メトロに乗り換え、レヴェント駅まで行く。 そこで日本総領事館を探し、入り口でセキュリティ・チェックを受け、中に入った。 この国でシリアビザを取るためには、日本大使館の推薦状のような書類を提出しなくてはならない。なので、まずシリアビザ用のレター(推薦状の様な物)を申請する。 受け取りは今日の午後2時だと言われた。まだ時間はたっぷりあるので、ヨルダンのビザも取っておこうかと、ヨルダン領事館を探しに行く。 ヨルダンは国境でビザが取れると聞いているが、先にとっておくに越したことはない。しかも、この近くに領事館があるらしい。 地図を見ながら、てこてこ歩く。住宅街の様なところにあったヨルダン領事館でビザを申請。すると、その場で発給してくれた(無料)。 午後2時まで、お昼を食べたり、ショッピングセンターで時間を潰したりして、レターを受け取りに行った。 宿に帰ると、パキスタンで会ったKさん達が来ていたので、皆で食事に行った。1月17日 今日はシリアビザを取りに行くので、8時に起き、新市街のタクスィム広場に向かう。 雨と強い風のなか、30分ほど迷ってシリア領事館に着き、ビザを申請する。先日の日本大使館のレターと写真、パスポートを預け、手数料38YTL(約3000円)を払う。受け取りは今日の午後3だと言われた。 3時にシリア領事館に戻り、無事、ビザを取得。さあ、明日からは観光しよう。
2009.06.14
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1月13日 朝、洗濯物が乾いていたので、出発することにした。7時40分に宿を出て、オトガルに行くとちょうどイスタンブール行きのバスが出るところだった。あわててバスに乗り込む(10YTL)。このバスは飲み物(コーヒーかチャイ)とパンが付いていた。 11時10分にイスタンブールのハレム・ガラジ(アジア側)に着いた。すぐ目の前のフェリー乗り場からエニノニュ行きに乗り(1YTL)、20分で到着。久しぶりのイスタンブールだ。 今日の宿、「Tree of Life(ドミ、$5 or 7.5YTL)」に行きチェックイン。二段ベッドが5台のドミが2部屋と、一番上の階にリビングとキッチン、それとPCがある。なんか、快適そうな宿だ。*グラン・バザール* 少し街を歩き、モスクや有名なグラン・バザールなどを見学。グラン・バザールは広過ぎて、全部歩けなかった。 夕食はアダナ・ケバブを食べる(3YTL)。これは美味しかった。
2009.06.13
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1月12日 バスで1時間半、イズニックに到着。ガイドブックに載っている宿に行ってみたが閉まっていたので、ここに来る途中に見た宿に行く。 「Hotel Babachn(ツイン、YTL10、洗面台)」。しかし、この寒いのにホットシャワーが無い(客が少ないのでボイラーをつけていない?)らしい。まぁええか。 荷物を置いて町に出る。緑色のタイルを貼ったミナーレを持つ、イシェル・ジャミィを見学。内部は割りとシンプルだった。 イズニック湖の畔で少し休憩してから、近くに遺跡があるらしいので行ってみる。 ローマ劇場跡だったが、規模も小さな、ぼろぼろだった。 今日は暖かいので水シャワーでもいけるかと思い、宿に戻ってシャワールームに行ってみる。でも裸になるとやっぱり無茶苦茶寒い。ムリだ。 部屋に洗面台が付いているので髪だけは洗ったが、水があたっている部分が痛い。シャワーを浴びなくて良かった・・・。
2009.06.12
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1月11日 朝8時50分に宿をチェックアウトして、オトガル(バスターミナル)に向かう。9時30分発のバスに乗り、12時丁度にブルサに到着。 宿を決めてから、街に出る。ここブルサは1326年、オスマン朝最初の首都とされた古都で、古い建物も多く、面白そうな街だ。 まず、ウル・ジャミィを見学。中に噴水付の大きな泉がある、立派なモスクだ。*ウル・ジャミィの内部* オルハン・ガーズィ・ジャミィやイェシル・ジャミィ、少し離れたところにある、エミール・スルタン・ジャミィなどを順番に見て回った。 ジャミィとはモスクのことで、イスラム建築好きの(特にモスク好き)僕にとっては、トルコはすごく楽しい。モスクだらけだ。 夕方、この町の名物の「イスケンデル・ケバブ」を食べる。これは、ヨーグルトソースをかけたケバブで、すごく美味しかった。
2009.06.05
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1月10日 今日は日帰りでキュタフヤに行くので、朝9時に宿を出た。オトガル(バスターミナル)までは少し遠いが、歩き出す。 しばらく歩いていると、人気のない住宅街に入ってしまった。方向があっているか、念のために人に聞こうと思い、車のガラスの霜取りをしていた人に尋ねると、どうやら間違ってないようなので、また歩き出した。 すこしすると、車のクラクションが聞こえたので振り向くと、さっきの人が車のドアを開けて何か言っている。近づいてみると、車に乗るように言っている。どうも、「オトガルに連れて行ってあげる」と言っているようだ。後の座席には、奥さんと子供も乗っているので、大丈夫だろうと思い、乗せてもらった。 車では5分くらいの距離だったが、すごく嬉しかった。トルコは本当に親切な人が多い。 10時のバスに乗り、11時20分、キュタフヤに到着。まず、ベレディエ広場のツーリストインフォメーションを探したが、見つからない。近くに居た人に尋ねると、「少し離れたところにある」と言って、そこまで連れて行ってくれた。 インフォメーションでこの町の見所や、帰りの鉄道の時間などを調べてから、歩き出す。 まず、「チニリ・ジャミィ」を見たかったが、今日は霧が出ているので後にしよう。時間が経てば、霧が晴れるかもしれない。 先に「ウル・ジャミィ」に行き、見学。綺麗なモスクだ。中も幻想的で美しかった。*ウル・ジャミィの内部* 霧が晴れてきたのでチニリ・ジャミィに向かう。歩いて4~50分、小高い岡の上に建つチニリ・ジャミィは、ブルーのタイルで覆われた、非常に美しいモスクだ。*青いタイルが美しいチニリ・ジャミィ* しかし、残念なことに鍵が掛かっていて、なかに入れない。是非、中も見てみたいので、誰か来ないかと、暫くベンチに座って待っていたが、誰も来なかった・・・。 広場に戻り、お昼を食べてからキュタフヤ城に行き見学。まあまあ、それなりだった。 午後3時前に鉄道駅に行き、エスキシェヒルに戻る切符を買う。窓口はかなり混んでいたが、今までの国と違い、ここでは一列に並んでいた。
2009.05.30
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1月9日 朝7時過ぎに宿を出て、駅に向い、午前8時発のエスキシェヒル行きに乗り込む。 車内はガラガラだ。しばらく走ると、街はなくなり、周りは山や草原に変わった。まさにトルコの大地の中を突き進んでいく感じだ。 11時40分、エスキシェヒルに到着。町の中心に向かい、宿を探す。2~3軒見て、「Otel DIVAN(シングル、10YTL)」に決めた。*これがこの部屋のすべてです・・・* でも、部屋がすごく狭い。カオサン(バンコクの安宿街)の100バーツクラスのシングルより狭いかもしれない。 しかし、共同のトイレやシャワーも清潔で、お湯も出る。その上、石鹸とバスタオルまで出してくれた。結構、良い宿かもしれない。
2009.05.29
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1月6日 朝9時25分、アンカラに到着。目星を付けていた宿は、一泊、20YTL(約1600円)とちょっと高かったので他を探す。 何軒か見てから、「Otel Yenisehir(シングル、13YTL、TV、洗面台)」に決めた。この部屋にはシャワーが無く、しかも共同シャワーも無いが、「シャワーを使いたい時は、空いている部屋のシャワーを使っても良い」と言われた。 早速、他の部屋のシャワーを使わせてもらい、洗濯もしてさっぱりする。 近くでお昼を食べてから、街を歩く。「ユリアヌスの柱」や「アウグストゥス神殿」を見てから、鉄道駅に行き、次の目的地までの列車を調べておく。 次は「アタテュルク廟」を見学。入り口で簡単なセキュリティ・チェックを受け、中に入った。 かなり広い敷地に立つ、霊廟の下は博物館になっていた。 そこから3~4Km離れたコジャテペ・ジャミィに向かったが、途中、(多分)街の中心地を通った。ここはすごい大都会だ。大きなビルやたくさんの人達。クアラ・ルンプールを、裏道まで綺麗にした感じだ。
2009.05.22
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1月5日 朝7時、やっと明るくなってきたので歩いて町に向かう。昨日の夕方6時にスィワス行きのバスに乗り、今朝の3時半に着いてしまい、真っ暗な上、辺り一面、雪で真っ白なので、オトガル(バスターミナル)で明るくなるのを待っていたのだ。 少し迷いながら、町中に着き、今日の宿、「Otel EVIN(シングル、8YTL)」にチェックイン。かなり寒い。 2時間ほど寝てから、町に出る。ウル・ジャミィやギョク神学校を見学してから昼食を摂り、次は鉄道駅に行く。 カイセリまでの列車を調べると、22:44発、03:00着と、時間が悪い。少し悩んで、アンカラに行くことにし、今晩の切符を買った。 さっきチェックインした宿代は勿体ないけど、この街は寒いし、早く行くことにする。*チフテ・ミナーレ 帰りに、チフテ・ミナーレやシファーイエ神学校を見てから宿に戻った。 夜9時まで寝て、出発。宿の人がバス亭の場所を教えてくれたが、暗くてよく判らなかったので、歩いて駅に向かう。 10時47分、発車。ベンチシートの粗末な列車かと思っていたが、横3列で、リクライニングまでする、すごくゆったりしたシートの立派な列車だった。ドアは全部自動だし、トルコはレベルが高い。
2009.05.15
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1月2日 朝、スュメラ僧院へ行こうと、外に出ようとしたら、ロビーで宿の人に呼び止められた。何だろうと思っていたら、「一緒に朝食を食べたら?」と言われ、従業員の人たち(家族?)とパン、チーズ、フルーツとチャイをご馳走になった。 10時にロシアン・バザール横のバス停に行くと、グルジアから一緒のMさんが先に来ていて、バスを調べていてくれた。 この時期(真冬)はツアーが無いらしいので、まず、マチカという町までバスで行き、そこからはタクシーで行くことにした。 マチカまで30分(1YTL=約78.4円)で着いた。バスを降りようとしたら、運転手が「スュメラ僧院まで往復10YTLでどうだ?」と言ってきた。その金額ならまあまあかと思い、OKしたら、そのまま旅行代理店に連れて行かれた。 そのバスで行くのかと思っていたが、ドライバーが旅行社からコミッションを貰うだけのようだ。 11時半に出発。ミニバスには僕らの他に、トルコ人が8人乗っている。この時期でもツアーがあったのだ。 12時に登り口に着き、そこからは歩きだ。20分ほどでスュメラ僧院に着いた。かなり寒いし、濃い霧が出ている。 入場料(2YTL)を払い、ヘルメットを被って中に入る。下に流れている川から300mも上にある岩肌に、張り付くように建てられた僧院は、「アッ」と驚く眺めだった。壁のフレスコ画も素晴らしかったが、落書きの多さにもおどろいた。 2時にバスでトラブゾンに戻ると、Mさんは慌ただしくサフランボル行きの長距離バスに乗って出発した。 宿に戻ると、ウズベキスタンで会ったTさんが来ていたので、一緒に夕食に行き、近くのロカンタでナスのドルマとパン(3YTL)を食べる。これもまた、すごく美味しかった。
2009.05.08
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1YTL=約78.4円2005年1月1日 朝6時45分、バトゥミに到着。駅前からミニバスに乗り、バスターミナルに向かったのだが、運転手が「サルピ(国境)まで行くから$10払え」と、勝手にサルピに向かって走り出したので、怒ってバスを降りる。 「ここまでの運賃を払え」と言ってきたが、バスターミナルとは違う所に勝手に連れてこられたので、当然、払わなかった。ウットウシイ!!まだ朝の7時過ぎなので、ほとんど人が歩いていないが、空は明るい。 やっと、歩いている人を見つけて、国境までのバスを聞き、そのバスが通るところでバスを待つ。が、いくら待っても来ない。 とりあえず、バスターミナルを探しながら歩き出す。20分くらいでターミナルに着き、国境に行くバスを調べたら「無い」と言われた・・・。 別の乗り場を教えてもらい、そっちに向かう。しかし、そこでもなかなかバスは来ない。もう諦めかけた11時過ぎに、やっとさっき聞いたNo.142のバスが来て、乗ることが出来た(1.5Lr=約89円)。 30分でサルピ国境に到着。グルジア側でお金(賄賂)を取られることなく、無事、出国。トルコ側はもちろん、問題なく入国。 グルジア側では、役人(アーミー)が睨み付けるような感じだったが、トルコ側ではいきなり「ウエルカム!」と、笑顔で迎えてくれ、あぁ、やっとと安心できた。 国境でミニバスに乗り($10)トラブゾンに向かう。2時間でリゼという街に着き、しばらく停まっていたので、窓から見えた両替所の行き、急いで両替(US$20→26.3YTL)。 走り出したと思ったら、別のバスに乗り換えになり、そこから1時間半でトラブゾンに着いた。 歩いて、今日の宿「エルズルム ホテル (シングル、8YTL、共同ホットシャワー)」にチェックイン。 一緒に来たMさんと、夕食に行く。かなり物価は上がったが、無茶苦茶美味しかった。トルコ料理は本当に美味しい。
2009.05.02
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12月31日 昼過ぎまで宿でゆっくりしていたら、Mさんがバクーから戻ってきた。彼とは、ウズベキスタンとトルクメニスタンで会っていて、結構、話も合う楽しい人だ。彼も今晩の夜行列車でバトゥミに向かうらしい。 宿では、新年用のご馳走を色々作っている。もう2~3泊したほうが良かったか?? 夕方、宿のお父さんが「自由広場にニューイヤー・ツリーが飾ってあるので、見に行こう」と、誘ってくれた。僕が暇そうにしていたので、気を使ってくれたみたいだ。 お父さんと二人で街を散歩する。でっかいツリーだ。 夜8時20分に宿を出て駅に行くと、もう列車が来ていたので、乗り込んだ。定刻通りの9時に発車。
2009.04.28
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12月30日 朝7時に起き、ロビーでコーヒーを飲んで、出発。ホテルから歩いて3分くらいでバス停に着いた。 しかし、なかなかバスは来ない。寒い中、じっと、待つ。9時10分にやっと来たバスに乗り込み、キロヴァカンという所まで約30分。そこで違うバスに乗り換えるつもりだったが、国境に行くバスもミニバスも無く、あきらめてタクシーに乗った。 1時間ほどで、国境に着いた($10)。ここの国境は、地元の人用と、外国人用が別だと聞いていたので、タクシーのドライバーの何度も言ったのに(言葉が通じていなかったようだ・・・)、結局、地元用の国境まで行ってしまい、別のタクシーで外国人用のところに戻る羽目になってしまった・・・。 今度はちゃんとビザも取れ、ようやくグルジアに再入国出来た。しかし、そこにはバスもタクシーも無く、一本道をえんえん1時間、歩く羽目になった(もちろん荷物を背負って)。 町に入り、バス停を探し、そこに居た人に、トビリシ行きのバスを尋ねるが、ちゃんと教えてくれない。グルジア人は親切な人も多いが、イヤなヤツも多いと思う。 しばらく待って、トビリシ方面に行くと思われるバスが来たので、それに乗ると、さっきのヤツも乗ってきた。 どこに行くのか不安だったが、30分程で次の街のターミナルに着いた。ここまで乗ってきたバスのドライバーが、「次はあのバスに乗ったらいい」と指をさして、教えてくれた。 そのバスに乗り、約1時間で見覚えのある、トビリシの街に着いた。これでやっと安心できた。 前回泊まっていた「ネリダリの家」にチェックインして、すぐ鉄道駅に行く。昨日の分のチケットがパーになったので、また新しくチケットを買わなくてはいけないのだ。 またまた人だらけの窓口に並び、ようやく明日の夜行の切符を買うことが出来た。
2009.04.25
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12月29日 朝6時45分に宿を出て、バスターミナルに向かうが、まだミニバスが走っていないので真っ暗な中、約1時間、歩く。 8時前にターミナルに着き、グルジア行きのチケット(3500Dr)を買うと、10時のバスだと言われ、ガックリくる。8時のバスに乗るつもりで、早く出てきたのに・・・。 10時すぎに発車したが、何回も停まるし、トロいのでイライラする。というのも、今晩の9時にバトゥミ(トルコとの国境の町)行きの切符を持っていて、その鉄道に乗るつもりなのだ。 午後3時頃、走行中のバスの中で、何かのガスが噴き出した!!みんなが騒ぎ出し、やっと運転手が気づき、バスが停まったので、慌てて外に逃げ出す。もし可燃性のガスなら大変なことになるので、かなり、あせった。 30分ほどして、また乗客がぞろぞろ乗り込みだした。言葉が判らないので、何だったかよく判らないが、クーラーのガスか何かだったのかもしれない。あ~、怖かった。 国境に午後4時40分に着いた。アルメニア側で出国手続きを済まし、グルジア側でビザと取ろうとしたら、なんと、この国境では取れないと言われた・・・。 同じバスに乗っていた、英語の出来るおばちゃんも一緒に来てくれ、かなり頼んでくれたが、それでも無理だった。 グルジアは全ての国境でビザが取れると聞いていたが、ここの役人(軍人?)に「サダフロでしか発給していない」と言われた。そして、賄賂を要求している風でもない。 ガックリきたが、取れないものはしかたがない。僕一人だけバスを降り、アルメニアに戻らなくてはならない。アルメニア側の事務所に戻って、もう一度ビザ(US$30)を取り直すことになった。 しかし、もう暗くなり始めていて、ここを通るバスはもう無く、タクシーも居ない。アルメニアの役人がみかんをくれたので、一緒に食べながら相談すると、ここの職員が近くの町まで送って行ってくれることになった。でも有料(US$25)。 車で30分ほど走り、ステファナバンという町の小さなホテルまで連れて行ってくれた。この町には「$5位の宿がある」と言っていたが、このホテルは一番安い部屋で$15だった。でも仕方がない。外は真っ暗、僕もクタクタだ。 「Hotel LOSE(シングル、共同ホットシャワー、US$15)」。このホテルの食堂で何かのパーティーをしているようで、「食事は?」と聞かれ、「何も食べていない」と言うと、結構豪華な食べ物やワインなどを、そこから持ってきてくれた。やさしい人たちだ。 そういえば、さっきグルジア国境で追い返され、アルメニア側に戻ろうとした時、イミグレにいた下っ端の役人が僕を追いかけてきたので、何かと思ったら、片言の英語で「カメラをくれ」と言ってきた。無視した・・・。
2009.04.17
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12月28日 今日は早く起きて、ホルヴィラップ修道院に行くつもりだったが、寒すぎてベッドから出られない。 結局、9時過ぎまでダラダラしてしまった。ホルヴィラップ行きのバスは本数が少ないらしいので、近くのエレブニ遺跡に行くことにした。 No.2のトロリーバスでエレブニ博物館に行き、裏の丘の上にある遺跡を見学。 街に戻り、念のためにグルジア大使館を探す。国境でビザが取れると聞いているが、やっぱり取れるときに取っておいたほうが安心だ。しかし、見つけられなかった。まぁ、ええか。
2009.03.19
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12月27日 朝9時に起き、早速、引越し。大通りまで出て、ミニバスで「Hotel Nairi(ツイン、一人2500Dr=約550円、ホットシャワー、トイレ、TV,タオル)」に行き、チェックイン。うわさ通り一部屋、5000Drだったので、2人で来た甲斐があった。 ここはゲストハウスや民泊ではなく、ちゃんとしたホテルだ。久しぶりに、バスタオルのある部屋に泊まるような気がする。 共和国広場に行き、近くのインフォメーションでトビリシまでのバス情報や、イェレバンの見所などを教えてもらった。 まずバスで、アルメニア正教の総本山である、エチミアジン大聖堂に向かう。*エチミアジン大聖堂 素晴らしい建築物だったが、今日は中にある博物館が休みで、「キリストを刺した槍」や「ノアの箱舟な破片」などを見ることが出来なかった。 どうしても見たかったので、事務所に行き「遠い日本から槍を見に来たので、中に入れてもらえないか」と頼んでみたが、無理だった・・・。まあ、仕方がない。 その後、1.5kmほど東にあるリプシマ教会を見学して、街に戻った。
2009.02.27
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1AMD(ドラム)=約0.22円12月26日 朝7時半に朝食と食べ、出発。この宿に泊まっている、S君と一緒にバスターミナルに向かう。 8時15分にターミナルに着き、アルメニア行きのバスを探すとミニバス(25Lr)と大型バス(15Lr=約900円)があり、時間がかかりそうだが、安い大型バスに乗ることにした。 バスはぎゅうぎゅう詰めで、9時45分に発車。 午後1時半に国境に着き、バスに乗り込んできた係員がパスポートを集め、しばらくして出国スタンプの押されたパスポートを返してくれた。 次のアルメニアはビザが必要なので、バスを降りて小さな小屋のような建物に行き、書類を書いて、ビザ代US$40を支払い、無事、取得。隣の小屋で入国スタンプを押してもらい、バスに戻った。 ゲートの所で、荷物検査があり、地元の人達はみんな調べられていたが、僕たち日本人はノーチェックだった。 夕方になるとかなり冷え込んできて、バスの窓の内側が凍りつきだした。 現地時間(時差+1h)の午後9時15分にイェレバンのバスターミナルに到着。ミニバスで共和国広場まで行き、両替屋を探すとまだ開いていたので$20両替(→9600Dr)。 屋台でケバブサンドを食べてから、宿に向かった。今日の宿「セルゲイの家(ドミ、1500Dr=約330円)」に入ったが、部屋も布団もなにか臭いし、僕らの他はみんな地元の人のようだ。あまり感じが良くない。 本当は違うホテルに行くつもりだったが、時間が遅かったので、ここに来たのだが、明日、引っ越そう。
2009.02.21
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12月25日 昨日の晩、ウズベクで会った人が、僕の泊まっている宿に来た。彼と話をしていて、アルメニア、グルジア共に国境でビザが取れるということを聞き、急にアルメニアに行きたくなってきた。 まず、昨日買ったバトゥミまでの切符をどうしようかと思い、宿のお父さんに、日時の変更が出来るか聞くと、駅まで一緒に行ってくれると言う。 駅の窓口は昨日よりもさらに混んでいたが、お父さんは人の間にグイグイ入って行き、30分程で29日の列車に変更してくれた。本当に助かった。 昼から、ハマム(お風呂)に行こうと、駅前からバスに乗ると、後から乗ってきたヤツが、腰のあたりを押してくるので、「あっ!」と思い、その手を掴むと僕のポケットの3Lr分の札を握っていた。 「何しとんじゃ、ボケッ!!」と日本語で叫び、そいつの腕をひねり上げようとしたら、それは、そいつの手の親指だった。大げさではなく、本当にでかい手だ。 体格が違いすぎ、喧嘩しても勝てるわけないし、ここは外国だ。むちゃくちゃ悔しいが、それ以上何も出来なかった。 それを見ていたバスの乗客も運転手も何も言わない。2人組のスリは、サッとバスを降りていった・・・。 ハマムで悔しい気持ちも洗い流し、サッパリして宿に戻った。
2009.02.11
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12月24日 朝10時に宿を出発し、地下鉄に乗った。この国の地下鉄はすごく深い。ビックリするくらい長いエスカレーターで下に降りる。 3つ先の駅で降り、ミニバスに乗り換えムツヘタに向かう。 ベヴリスツィヘ要塞やサムダブロ教会、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂などを見学。*スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂 静かな町だったが、ここも若いヤツ(高校生くらいか)の質が悪い。テラヴィでもそうだったが、我々外国人を(特に東洋人にかもしれない)汚い言葉でからかってきて、かんしゃく玉を投げつけてきたりするのだ。むちゃくちゃ腹が立つが、無視するしかない。 トビリシに帰り、バトゥミ(トルコとの国境近くの町)までの切符を買おうと、鉄道駅の切符売り場に行く。この国の人々も並ぶことを知らない。人間でごった返している。
2009.01.31
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12月23日 朝起きたら、空は曇っていて寒そうだ。今日はムツヘタに行くつもりだったが、出るのが面倒になり、午前中、宿でノンビリする。 昼からネット屋に行こうと、外に出るとそれ程寒くなかったので、そのまま旧市街まで行くことにした。 川沿いにあるメテヒ教会やナリカラ要塞跡、シオニ大聖堂など見学しながら散歩。*メテヒ教会 少し暗くなってきたので、急いで宿に戻る。昼間の大通りは良いが、裏通りの雰囲気は悪い。情報ノートに何件も書かれてあったが、この辺りで、強盗事件がよく起こっているらしい・・・。
2009.01.18
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12月22日 朝、近くの売店にパンとジュースを買いに行き、宿の部屋で食べかけた時、ここの主人が「台所でチャイでも飲め」と言ってくれ、下に降りると朝食の準備もしてくれあったので、ありがたく頂く。 10時前に宿をチェックアウトしようとした時、カメラがないことに気がついた。もう一度捜したが見つからない。 昨日のダンス学校に忘れてきたかと思い、捜しに行こうと宿で騒いでいたら、ここの主人がついてきてくれた。と、思ったら、外に出た途端、ポケットから僕のカメラを出した。 しばらく、どういうことか解らなかったが、どうも、このおっさん(宿の主人)が、さっきの朝食の間に僕らの部屋に行き、盗ったようだ。すごく感じの良い人たちだったので、ショックだった・・・。 でもまぁ、カメラと大事な写真のデータが戻ってきたので、良しとしておこう。 気を取り直して、観光に行く。バトニスツイヘ要塞や、イカルト修道院など、どこも綺麗なところだったが、この街は山が特に綺麗だった。
2009.01.16
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12月21日 午前中、「シラゼの家」をチェックアウトし、昨日見に行った「ネリ・ダリの家(ドミ、朝夕食付き、12Lv=約710円)」に引っ越す。 この街は食堂が見当たらないので(後で聞くと、駅周辺には何軒かあったらしい)、食事付きはありがたい。 宿に着くと、日本人の旅行者が居て、話をしていると、これからテラヴィへいくと言うので、僕も一緒に行くことにした。 宿に荷物を預け、午前10時に出発。ミニバスで中央バスターミナルまで行き、テラヴィ行きに乗り換える。 2時間半で到着。そのままアラヴェルディ行きのバスに乗り、アラヴェルディ大聖堂に行き、見学。この大聖堂は11世紀に建てられ、現存するグルジアの教会の中でもっとも高いらしい。 テラヴィの町に戻り、情報ノートに書かれてあった宿に行ってみたが、満室で泊まれなかった。そこのおばちゃんに別の宿を紹介してもらい、そこに行くと、感じの良い家族が迎えてくれ、料金もLv10(約600円)とまあまあだったので、泊まることにした。 近くに、チーズカツレツの美味しい店があると聞いたので、行ってみたが閉まっている・・・。どうしようかと思っていたら、身なりの良い、スターリン似の親父たちが歩いて来て、僕らに「ついておいで」と言い、建物の中に入っていった。 中に食堂があるのかと思い、一緒に入っていくと、そこは劇場で、その親父がなにやら説明(ロシア語かグルジア語?)を始め、次の部屋にも案内してくれた。 その部屋は、ダンスかバレエの練習場で、僕らはそこのイスに座らされ、なぜか、子供たちのダンスの練習を見学することになった。 一区切りがついたので、席を立ち、お礼を言って帰ろうとすると、親父がまた別の連れて行ってくれ、そこにワインと食事の用意がしてあり、僕らにもご馳走してくれた。 どうも、このスターリン親父は、ここの校長かオーナーのようで、外国人観光客がめずらしかったのか、すごく親切にしてくれた。 お腹いっぱいになり、宿に戻った。
2009.01.12
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12月20日 1Lv(ラリ)=約59.3円 朝7時すぎにアゼルバイジャン側の国境に着き、役人がパスポートを集め、室内の検査をしていた。しばらくして、出国スタンプの押されたパスポートが返ってきて、8時20分に発車。 30分くらいでグルジア側に着き、役人がパスポートチェックに来て、その場でスタンプを押してくれた。 ここも1時間くらいで発車。おばちゃんたちは次の駅ですごい量の荷物(多分、アゼルバイジャンに買出しに行ってきたのだろう)を担いで降りていった。 午前10時35分にトビリシ駅に到着。少し感じの悪い駅前(治安が悪そう)を歩き、今日の宿、「シラゼの家(7Lv=約420円)」に入った。しかし、ここはシャワーが使えないようだ・・・。他に良い宿があれば、明日引っ越そう。 昼ごはんを食べようと、外に出たが、この街はパン屋ばっかりで食堂が見当たらない。仕方なく、パンとジュースで昼食にする。
2009.01.04
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12月19日 今日でバクーも6日目なので、ぼちぼち出発することにした。 夕方、宿を出て、いつもの立ち食いの店でチキンとポテトの煮込み、パンとサラダ(3000AM=約60円)を食べてから、駅に向かった。 ホームに行くと、すでにトビリシ行きの夜行列車が入ってきていたので、乗り込む。 午後8時35分、発車。4人コンパートメントで、グルジア人のおばちゃん3人と同室だった。 はじめは少し嫌な感じかなぁ、と思っていたが、全然そんな事はなく、おばちゃんたちの食事が始まったら、僕にも同じように、パンやハム、オイルサーディンなどを分けてくれた。
2008.12.28
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1AM(アゼルバイジャン・マナト)=約0.02円12月14日 朝9時、やっと下船準備が始まり、他の客たちも部屋から出てきた。 10時に船を降りる。40時間ぶりの陸だ。予定では18時間だったが・・・。 入国審査に少し時間がかかったが、無事、入国。グルジアの宿にあった情報ノートに書いてあった、$1の宿が見つからなかったので、別の宿を探す。 1時間くらい歩いて、やっと「OTEL ARZU(ドミ、30000AM=約600円)」を見つけて、チェックイン。 まず、シャワーを浴び、洗濯を済ます。それから駅まで行き、両替($50→245700AM)。 お昼に売店でケバブサンドを食べ、イチェル・シャハル(旧市街)に行こうと思い、地元の人にバスを番号を聞くと、「同じ方向に行くので」と、一緒にバスに乗ってくれ、料金まで払ってくれた。 旧市街でグズ・ガラスゥ(乙女の塔)などを見学。次にシルヴァン・シャー・サラユ(シルヴァン・シャーの宮殿)に行き、中に入ると、地元の女性にいきなり日本語で話しかけられた!! その女性はここの職員で、日本の文化を学ぶために、日本に留学していたそうだ。日本語で案内してもらえて、すごく判りやすかった。 その彼女に「この街で一番綺麗なモスクはどこ?」と聞き、教えてもらったモスクに向かう。 丘の上にあるので、結構しんどかったが、トルコ風の素晴らしいモスクだった。
2008.12.07
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12月13日 朝8時に目が覚め、顔を洗い部屋を出ると、船は岸からは離れていたが、全然揺れていない。 まだ出発したばかりか、到着間近なのか判らない。トルクメンバシュからバクーまでは、約18時間なので、順調なら昼前に着くはずだ。 とりあえず、荷物を持ってロビーに行き、ソファーで本を読んでいたら、また別のスタッフが来て、「キャビンを使ったらいい」と、また別の部屋を開けてくれた。 バクーの到着時間を聞くと、夜の9時だと言われた。やっぱり、さっき出発したばかりだった・・・。 夜8時半頃、外を見ると、街の灯が見えてきた。やっと到着だと思い、荷物をまとめてキャビンを出てロビーで待っていると、またスタッフが「キャビン」と言っている。?? よく聞くと、もう税関が閉まっていて、明日の朝まで下船出来ないらしい。 またまたキャビンに戻ることになった・・・。
2008.12.05
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12月12日 朝、列車の中でパンを食べていたら、近くに座っていた人がチャイをわけてくれた。皆、親切だ。 10時少し前にトルクメンバシュに到着。そのまま歩いてフェリーターミナルに行き、アゼルバイジャンのバクー行きの船を調べる。 チケットは午後2時から売り始めると言われたので、今日の便がありそうだが、安心するのはまだ早いだろう。ここのフェリーは定期便のようで、定期便ではないらしい。いつ発着するかよく判らないそうだ・・・。 とりあえず、鉄道駅まで戻り、食堂を探し、お昼ご飯を食べ、売店でパンやタバコ、水などを買い込み、フェリーターミナルに行く。 2時半にチケット売り場が開き、無事、今日のチケット($45)を買うことが出来た!!そして、夕方の5時半に船に乗り込んだ。 一緒に乗った地元の人達は、みんな別料金を払い、キャビン(個室)に入って行き、ロビーには僕一人になった。ソファーに座っていたら、アゼルバイジャン人のおばあちゃん2人が、「キャビンは4人部屋やから、一緒においで」と言ってくれたので、付いていく。 おばあちゃん達と部屋にいると、シーツを持ってきた係員に「お前は別料金を払わなくてはいけない」と言われてしまった。おばあちゃん達にお礼を言い、またソファーに戻った・・・。 寒いのでソファーの上で寝袋に入り、本を読んでいると、何人かいるスタッフのうちの一人が、「ここのソファーで寝てはいけない」と言ってきた。嫌がらせか??このフェリーの乗客は10数人で、このソファーの近くには誰もいないのだ。 夜8時頃、別のスタッフが寒いロビーのソファーで寝ている僕を見かねてか、「こっちのキャビンで寝たらいい」と、開いている部屋(ほとんど開いている)をタダで使わせてくれた。 シーツはないので、寝袋に入り、9時に寝る。まだ船は動いていない。
2008.11.28
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12月11日 朝、宿でゴロゴロしていたら、朝食(インスタントラーメン?、チキン、パン、チャイ)を出してくれた。昨日の朝も食べたので、一食、余分に出してくれた。 今日も天気がよくないが、外に出て街を歩く。まず市バスで街の南にある巨大な公園に行ってみた。バスには車掌が乗っていなくて、降りるときに乗客が、運転席の横にある袋に料金を入れていた。料金が判らなくて、お金を入れていた人に聞くと、その人が僕の分も払ってくれた。はっきり判らなかったが、どうも500マナト(2円)だったようだ。 しかしこの公園は凄い。すごく広い敷地に、巨大なモニュメントや、いくつあるか判らない程の噴水、ミュージアムに池と、これだけお金をかけてどうすんねん、という感じだった。 街に戻り、お昼を食べ、休憩。しかし、この街は外でタバコが吸えないらしい。近くにあったシェラトン・ホテルに行き、ロビーでタバコを吸って、ゆっくりする。 夕方、宿に戻り、預けてあった荷物を受け取り、駅に向かう。飛行機なら、もう一泊出来たが、鉄道にしたので今日、出発することにした。
2008.11.14
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12月10日 朝6時30分、トルクメニスタンの首都、アシュガバードに到着。まだ真っ暗なので、駅で夜が明けるのを待つ。 8時頃、やっと明るくなってきたが、少し雨が降っている。小降りになるのを待って、宿を探しに出た。大通りを渡ろうとしたら警官に「信号のあると所で渡れ」と怒られた・・・。 宿の場所を描いた地図が簡単すぎて、なかなか見つけられず、結局1時間半ほど探し回って、やっと見つけた。今日の宿は民泊(個人の家で部屋を貸している)で、5ドルで朝夕食付だ。 荷物を置いて、まず、トルクメ航空のオフィスを捜しに行く。この国は航空運賃も非常に安く、鉄道で一晩以上かかる距離を、なんと、1ドル20セントで飛行機に乗れるらしい。多分、世界一安い飛行機だろう。 これは為替の公定レートと、闇レートの差が5倍ほどあり、普通、闇レートで両替をしているからだ。 トルクメ航空のオフィスを見つけ、中でトルクメンバシュまでも航空運賃を聞くと、32200マナト(約1.2ドル、闇レート)と言われ、喜んでパスポートを出したら、「外国人はUS$12を銀行で(公定レート)両替し、そのバンクレシートを持ってきてくれ」と言われた。しかも、料金も56000マナトらしい。 10倍と思うとバカらしくなり、飛行機はあきらめ、鉄道で行くことにしたが、良く考えると、12ドルでもむちゃくちゃ安かった。 鉄道駅に行き、切符売り場に並ぶ。二等寝台(21000TM=約0.8ドル)の切符が買えた。とりあえず、一安心だ。 街の中心にある、トルクメンバシュ・タワーに昇る。なかなかの景色で、新しく近代的なビルが建ち並んでいる。 タワーから綺麗なモスクが見えたので、近くにいた人にモスクの名前を聞き、タクシーで行ってみた。 ここも新しい建物だが、すごく綺麗なモスクだった。
2008.10.31
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1TM (トルクメニスタン・マナト)=0.005円12月9日 朝8時に宿を出て、大バザール近くのミニバス乗り場に向かう。ミニバス(約60円)に乗って、1時間でカラコルという所に着いた。そこでアラート行き(約30円)に乗り換え、約30分で到着。 ここから国境までは、タクシーしかないらしく、ヤツらは強気だ。たった20Kmなのに3ドルまでしか値切れなかった。あきらめて、3ドルでタクシーに乗った。もちろん、乗り合いだ。 11時に国境に着いた。国境はレートが悪いが、現地のお金がなかったら困るので、先に両替(US$10→20万マナト)。最初、1ドル→1万マナトと言ってきた。無茶苦茶や。 1ドル→2万マナトで両替をしたが、後でイミグレのオフィサーが「今は1ドル→2万6000だ」と教えてくれた・・・。 ウズベク側でレギストや税関申告書を調べられたが、ちゃんとしておいたので問題なく出国出来た。 緩衝地帯を2Kmほど歩き、トルクメ側へ。ここでレギストカード代に10ドル払い、入国。 国境から乗り合いタクシー(3万マナト=約150円)で、トルクメナバットという所まで行く。そこからミニバス(225円)でバイラムアリという小さな町まで行った。 ここでタクシーをチャーター(8万マナト=約400円)し、メルヴ遺跡に向かった。 メルヴ遺跡はトルクメのなかで一番来たかった所で、その昔、シルクロードの交易の拠点として栄えた都市だったらしい。 この遺跡もすごい。クズ・ガラやスルタン・サンジャール廟など数箇所を見学。広すぎて全部は回れなかった。 もうクタクタなので、この町で一泊したかったが、5日間のトランジットビザなのでゆっくりしていられない。そのままタクシーで鉄道のマルウ駅まで連れて行ってもらい、アシュガバード行きの切符を買う。 トルクメ人は並ぶことを知らない。インド人よりひどいかもしれない・・・。なんとか、寝台(125円!むちゃくちゃ安い!)が買えた。 待合室で座っていると、地元の子供グループが話しかけてきた。全く言葉が通じないので、身振り手振りで会話を楽しんだ。 夜9時に列車が来たので乗り込み、9時40分発車。駅舎は綺麗だったが、列車はかなりくたびれていた。
2008.10.24
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12月8日 朝7時半に下の食堂に降りる。昨日、言っておいたので、すぐに朝食の用意をしてくれた。 どうやってトルクメニスタンに行こうか考え、結局、ブハラまで戻って、そこから国境に向かうことにした。 9時に宿を出て、バスターミナルに向かい、宿で一緒だった、フランス人のセバスチャンと二人でバスを捜す。 ブハラ行きのバスが見つかり、乗り込んだがなかなか発車しない。セバスチャンが聞きに行くと、「このバスは11時発だ」と言われたらしい。まだ1時間半もあるが、待つことにした。 が、11時になっても出発しない。しびれを切らして、他の車を捜しに行き、「乗り合いタクシーで行こうか」と相談している時に、やっと出発すると言ってきたので、また最初のバスに乗り込んだ。結局、11時40分に発車。 お昼に一度、休憩をして、夕方5時40分にブハラのカルバン・バザールに着いた。 そこからミニバスでアルクまで行き、前回、泊まった「2番地の家」に向かった。しかし、満室だと断られ、どうしようかと考えていたら、別のひと(多分、家族)が僕のことを覚えていてくれて、寝るところを作ってくれた。もう時間も遅いし、助かった。 晩御飯は、近くのケーキ屋でエクレアとチョコケーキ。
2008.10.19
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12月7日 朝8時に起き、ゆっくり朝食を摂り、9時過ぎに町に出る。雲ひとつない快晴だ。 「イチャン・カラ」と言われる旧市街を歩く。巨大な「カルタ・ミナール」や「タシュ・ハウリ宮殿のハラム」を見学。 「カルタ・ミナ―ル」は当初、中央アジアで一番高いミナレットを目指して造られたが、高さ26mで中止されたらしい。でも、26mでも高いし、色付きタイルがふんだんに使われていて、すごく綺麗だった。 さすがに「博物館都市」と呼ばれているだけあって、この小さな旧市街の中に、巨大なマドラサやモスク等が密集している景色は圧巻だ。 夕方、宿の屋上から夕日を眺める。サマルカンドやブハラも良かったが、ここも本当に素晴らしい所だ。
2008.10.17
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12月6日 朝7時半に朝食を頼んであったが、食堂(宿の家族の居間)に行くとまだ用意が出来てなく、これから作るようだ。 8時に部屋まで運んでくれた。朝食を食べてから、出発。 バスターミナルでウルゲンチ行きのバスを捜す。しかし、バスが見つからず、タクシーばかりだ。最初10ドルと言われたが、7ドルまで下がったので、そのタクシーに乗り込み、9時30分出発。 車はティコ(日本の軽自動車)で、乗り心地は悪かったが、定員の4人しか乗っていなかったので、楽チンだった。 車は100~120Km/hで快調に走る。ウルゲンチの50Kmほど手前で停まり、別のタクシーに乗り換えさせられた。直接、ウルゲンチまで行くものと思っていたので、ちょっと戸惑ったが、まあええかと次の車(ふるいメルセデス)に乗り込んだ。 そこから1時間近く走り、午後3時40分にようやくウルゲンチに着いた。先にトルクメニスタン行きの切符を確保しておこうと思い、鉄道駅で降ろしてもらった。 窓口で行き先と日にちを書いたメモを見せると、「ニエット(無い)」と言われた。えっと思い、違う駅名を言っても「ニエット」だった。英語が通じないのではっきり判らないが、どうもトルクメ行きの列車が運休しているようだ。ブハラからも無いらしい・・・。 えらいこっちゃ!!入国日まであと3日しかない。今日はここ、ウルゲンチに泊まるつもりだったが、とりあえずヒヴァまで行って宿の人(英語が出来るだろう)に事情を聞いてみよう。 ヒヴァ行きのミニバスに乗ったのに、なぜかその車は元の場所に帰っていてしまった。ヒヴァまで行く客が僕の他にいなかったからなのか、信じられないことをされてしまった。 一旦払ったお金を返してもらい、トロリーバスに乗り換える。もうすぐ暗くなるのに、40分も無駄にしてしまった。 6時少し前にヒヴァ北門に着いた。もうかなり暗かったが、真っ暗ではなかった。急いで宿を探す。 今日の宿は、「B&B Meros(シングル、$10、ホットシャワー、朝夕食付き)」。 ここの息子が英語が出来たので、鉄道のことを聞くと、どうもトルクメへ行く列車はなくなったらしい・・・。他のトルクメへの行き方を聞いたら、今の時期はバスは無く、タクシーしか無いらしい。ブハラからならバスがあるかもしれないので、ブハラに戻ろうか迷う。
2008.10.13
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