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本のタイトル・作者ひとりの双子 [ ブリット・ベネット ]"THE VANISHING HALF"by Brit Bennett本の目次・あらすじマラード。地図にも載らない小さな町。1848年に彼の所有者でもあった父親からその土地を相続したアルフォンスは、そこに「白人と認められることは絶対にないが、黒人として扱われることを拒む者たち」のための町を作った。色の薄い者たちが交わり、代々、色は薄くなっていくだろう―――。そしてある朝、彼の子孫である16歳の双子の姉妹が町から消えた。二人は離れ離れになり、ひとりは、漆黒のように黒い男と子どもをもうけた。そしてもうひとりは―――白人として生きた。第1部 消えた双子(1968年)第2部 地図(1978年)第3部 感情線(1968年)第4部 楽屋口(1982年)第5部 パシフィック・コーヴ(1985年/1988年)第6部 それぞれの場所(1986年)引用「まだ小さいころ」と彼女は言った。「四、五歳のころだけど、この地図は、私たちがいる側の世界だけを描いているんだと思ってた。世界にはもうひとつの側面があって、べつの地図が存在するような気がしてた。パパには馬鹿げてるって言われたけど」(略)彼女はいまなお、心のどこかで、父親が間違っていることを願っていた。この世にはほかにもまだ、発見されるのを待っている世界があるはずだと思いたかった。感想2022年142冊目★★★★人種内差別(カラー・ストラック)。白人なりすまし(パッシング)。白人として生きる(パス・ブラン)。「白人として通用する」ほど白い黒人の双子は、ひとりは黒人として、ひとりは白人として生きる。漆黒のような黒人の男と結婚したデジレーは、青く見えるほど黒い(ブルー・ブラック)娘ジュードを産む。ジュードは町の誰からも「ミルクに浮いた蠅」のように扱われ、陸上で奨学金を得て大学に進学することになり町を出る。そこで彼女はトランスジェンダーの恋人が出来る。双子の片割れのステラは、秘書をしていた裕福な白人男性と結婚し、紫に見えるほど青い瞳の娘ケネディを産む。嘘に塗れた彼女は、どこから見ても完璧な白人に見える娘ケネディを、そのままに愛せない。ケネディは女優を目指し家を出る。その人を、「その人」と定義づけるものは何なんだろう?ということを、「色」だけでなく、「性別」からも問うた一冊。かなり重厚な内容で、読んでいてページを繰る手が止まらなくなる。物語を進めていくドラァグクイーンもミュージカルも、かりそめの世界ということでは同じ。人は誰を演じて、そして誰を演じられないんだろう?割り当てられた役割は、いったい誰に押し付けられたものなのだろう?そこから逸脱したら、どうなるんだろうか。アメリカの強烈な人種差別について、これがまだほんの百年ちょっとの間のことなのだと驚く。公営プールから人種差別が撤廃され、黒人とは同じプールで泳げないと、庭にプールを作るステラの夫。けれど彼は「みんな仲良く」することが良いという信念の持ち主なのだ。これ、今の状況でも言えることだと思った。建前と本音。見せかけと本性。体裁と悪意。違う。あいつらは、自分とは、自分たちとは、違う。だから混ざらないように、分けておかなくては。その「自分」は、確固たるものなのだろうか。それはそんなにも優位で価値のあるものなんだろうか。それを疑ったことはないのだろうか。疑うことは、アイデンティティの崩壊を意味するのか。私の中にも、その「線引き」がある。あなたと私。あちらとこちら。口では偉そうなことを言っておきながら、実態はどうだろう。そこに高低を、優劣を、つけてはいないか。お前はそんなに偉いのか?ただそこに生まれたというだけで?一方で時と場所が変われば、「私」が侮蔑の対象になるということを忘れながら。この物語のように、「あちら」と「こちら」のどちらにでも渡れる時。その境界線にいて、どちらを選ぶだろう?どちらにでもなれる時。一方の世界では特権階級であり、一方の世界では奴隷階級である。その時に。優位なほうを選ぶのであればそれは、今の仕組みを肯定し再生産するということだ。蔑み罵られ一方的に殺される可能性のある「私」を。線の内側にいると安寧しているなら、それは間違いだ。それはいつでも変わり得るし、どんなふうにでも引けるのだから。これまでの関連レビュー・世界と僕のあいだに [ タナハシ・コーツ ]・ブルースだってただの唄 黒人女性の仕事と生活 [藤本和子]・14歳から考えたいレイシズム [ アリ・ラッタンシ ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.06.09
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本のタイトル・作者日本移民日記 [ MOMENT JOON ]本の目次・あらすじまえがき1 「いない」と言われても僕はここに「いる」2 日本語上手ですね3 引退します。ホープマシーン。4 井口堂から、次のホームへ5 「チョン」と「Nワード」、そしてラップ(前編)6 「チョン」と「Nワード」、そしてラップ(後編)7 僕が在日になる日8 シリアス金髪9 バッドエンドへようこそ10 私の愛の住所は付録 僕らの孤独の住所は日本引用それは、私にとって言語は「縛り」であるからです。(略)実際、英語と日本語を学ぶことで、韓国語によって構築されていた自分の思考と世界の限界が分かったからです。しかし、一つの言語によって限られていた思考の可能性は、いろんな言語を学ぶことでむしろ広くなりました。感想2022年074冊目★★★MOMENT JOON。キム・ボムジュン。韓国生まれの韓国育ち。2010年に19歳で大阪大学に入学し、留学生となる。在学中、大阪大学をテーマにした「阪大生あるある」を歌った「I LOVE HANDAI」という曲を発表。その後「外人ラッパー」という曲をネットに上げ知名度を上げる。2012年から2年間、韓国の軍隊に従事。2014年に日本のヒップホップを挑発する「Fight Club」を発表。歌をやめたいと思っていた頃―――彼は、孤独を歌い始める。「普通の日本人」に入らない人のための歌。この方を存じ上げず、タイトルと表紙の絵(ああ、これ日の丸なのか)に惹かれて読んでみた。もとは岩波書店ウェブマガジン「たねをまく」に連載された「日本移民日記」(2020年11月~2021年9月)。付録「僕らの孤独の住所は日本」は『図書』2020年1月号掲載のもの。何と言えばいいのだろう。私が思い出したのは、結婚することを告げた時、ある人が私に言ったこと。「その人のこと、ちゃんと調べた?」私は一瞬、意味が分からなかった。国籍、出身地、ルーツ、親族に働いていない人がいないか、障害を持った人がいないか。「私は結婚する前にちゃんと調べたよ」いったい何時の時代の話だ?私は驚いて、とても驚いて、そして酷く気分を害した。だって、それは、私の妹のことだったから。きっと、この人は自分の世界がベースなんだろう。それが正しくて、当たり前で。みんなが同じ輪の中に入っていると思っている。それが共通認識で揺らぐことない地盤だと信じている。あなたもそうよね?私たちの仲間じゃないものを、入れちゃだめよ。まったく何の悪気もなく善意から口にしているからこそ、とてつもない悪意に満ちている。けれど自分を翻って思う。私だって、同じじゃないか。ここは、日本は、「普通の人の、普通の世界」。それから少しでも違うものを、異なるものを、目ざとく見つけて、ことさらにその差異を騒ぎ立てる。声を潜めて視線を交わす。ほら、やっぱり違うよね。―――だから「私たち」は、一緒だよね。日本語と日本人。それは合致するの?何を持って日本人だと言うの?安定した揺るがないものが、そこにあるというの?同じ色に見える世界を、見せられている。そう見えるように。子供の頃、海外の児童文学ばかり読んでいた。日本を舞台にした物語は、あまりにも私には辛かった。何故彼らと私は、こんなにも違うのだろう?それぞれが違いながら存在できる世界は、ここではない場所にあるのだろうか?のっぺりとした一色に塗りつぶされた世界。でも目を凝らせば、それはたくさんの違う色を持つドット。それでもまだ、この世界は単色だと言えるんだろうか?嵌め殺しのトイレの窓から、切り取られた青い空を見ていた。この先にあるものは何なのだろう。幼い私は、どこかへ帰りたかった。そこがどこかも分からないまま。大人になって、たくさんの偏見を身に着けて、居心地の良い高い壁のなかで仲良く暮らしている。見えるものを見えないふりをして、聞こえるものを聞こえないふりをして。―――みんな、同じだよね。共通する暗黙の文化コード。排他的な言語コミュニティ。同質性のぬるま湯で揺蕩う。それでも時折、私はふと顔を上げて気付く。目を灼く光。抜けるような青い空。高い壁に囲われて、どこへも行けない自分。感じてはいけないと封じ込めた、途方もない違和感。どこかへ帰りたかったのだ。ここではないどこかへ、いつだって、気が狂うほど。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.03.26
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