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書名剣持麗子のワンナイト推理 [ 新川 帆立 ]作者新川帆立(シンカワホタテ)1991年生まれ。アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち。東京大学法学部卒業後、弁護士として勤務。第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、2021年に『元彼の遺言状』(宝島社)でデビュー目次・あらすじ法律相談に運動会(?)に、剣持麗子は今日も眠れない!ドラマ化ヒロイン再登場!連作ミステリー短編集。亡くなった町弁のクライアントを引き継ぐことになってしまった剣持麗子。都内の大手法律事務所で忙しく働くかたわら、業務の合間(主に深夜)に一般民事の相談にも乗る羽目になり…。次々に舞い込む難題を、麗子は朝までに解決できるのか!?家守の理由/手練手管を使う者は/何を思うか胸のうち/お月様のいるところ/ピースのつなげかた引用心境の変化がなかったといえば嘘になる。だがそんなこと、人に絶対言いたくない。経験を積めば、気づくことが増えるのは当然だ。考え続けていれば、考えは変わるものだ。それを変化だとか成長だとか、きれいな言葉でまとめる奴らは、何にも分かっていやしない。(中略)他人に私の何が分かるというのだ。私自身も分かっていないことを外側からちょっと見ただけの人が分かるわけがない。正直なところ、私の大部分は何も変わっていないのだ。プリズムのように、見る角度によって見え方が異なるだけだ。片側だけを見てアレコレ言って、別の側面を見たら「人が変わった」と騒ぐなんて、見るほうの底が浅すぎる。感想2023年075冊目★★★『元彼の遺言状』『倒産続きの彼女』に続くシリーズ3作目。2作目の『倒産続きの彼女』が剣持麗子視点ではなかったから、また戻った感じ。麗子が相変わらずのワーカホリック。やべえよ弁護士。みんなこんななの???本業の弁護士事務所の仕事をこなしながら、みんなの困りごとを引き受けていた町の弁護士の遺志を継ぎ、その仕事まで個人請負しはじめた麗子。本業を深夜までこなしてから個人業務を明け方までやる…みたいな毎日。彼氏と別れていなかったのがびっくりだ。いつ会うんだこの日常で。個人請負では、勾留中の依頼人の猫の世話など、弁護士業務以外の雑用も多い。さすがに手一杯になってきたところ、ある事件をきっかけに被疑者として知り合ったホストの青年・「黒丑」の小回りの良さにバイトを任せるように。しかしその後も、次々と事件が起こり、そこには常に黒丑の影があって――ー。ついにワトソン役が現れたのかと思いきや、いやはや。黒丑との関係は、次巻以降も続いていく感じ。1巻で金の亡者みたいになっていた麗子が、すっかり「いい人」になっている…と思いきや、端々に「そうじゃない」という地の文があるのが良かった。無償で働くやさしい人にはなりたくない、と彼女は言う。それは弱者の脅迫だ、と。この人、引用部にあるように、幼少期からとにかく一本気で、曲がったことが大嫌いなんだろうね。黒丑の件も、発端は権力を持つ者が自己の権力行使力を疑わぬことへの反抗心から。上にも下にも、厳しい。法律事務所をあげての運動会は、閑話でちょっとコメディ回なのかと思ったら、ちょっとしんみり。しかし「今この瞬間、体育館にどんな法的問題が降りかかってきても対応できる最強の布陣」ってすごいよね。いや体育館にどんな法的問題が降りかかってくるんよって話ですが。審判への異議申し立てが「ルールブック第○条第○項の類推適用を〜」みたいな感じで、いやもうめんどいな?!笑1日15時間以上(!)をデスクワークで過ごす彼らの運動会は、面白い。そして運動不足すぎて危険。海外ドラマとかだと弁護士とかよく事務所の中にランニングマシン置いてあるよね。会議机の下がサイクリングペダルになっているやつとか。よほど運動が足りないのだろうなあ。だからこそスタンディングデスクが流行るのか。津々井先生の、「部下を信用するのは上司の仕事だが、上司を信用させるのは部下の仕事だ。自分の仕事をしなさい。そして、部下が仕事をしていないなら、仕事をさせなさい」という禅問答のような話。これ、私はいまいちわからなかったんだよね…。部下を信用するのは上司の仕事。これは分かる。でも、「上司を信用するのは部下の仕事」じゃなくて、「上司を信用させるのは」部下の仕事、というところが引っかかって。でも、「自分の仕事をしなさい」というのは、今の私に染みる。右も左もわからず、何をしていいかも、そのやり方もわからず、途方にくれているなう。そんな中、自分の仕事を見つけ、出来るようになり、「自分の仕事をする」ということ。誰かが与えてくれるのを、教えてくれるのを、待っている年齢でも、役職でもない。甘えたな自分を叱咤して。(でも教えてもらわんと何もわからんねんけどな。無知の知やねんけどな)新しい職場ではしゅんとして、すっかり借りてきた猫状態の私。「あれ、前評判じゃそんなことなかったのに」って思われてるだろうなあ…と勝手に私の心の声が言う。でもそれもさ、私の一面。人見知りだから、人間嫌いだからこそ、それを覆い隠すように振る舞う。これまで、その場面場面の「振る舞い方」を、他の人を見て徹底的に真似してきた。子供の頃の切実な私の願いは、「生きていくためのマニュアルがほしい」。そうしたら私はそれを読み込んで覚えて、間違えないように振る舞うのに。首を傾げられないように。眉を顰められないように。自分の中の何が間違っているのか、わからないまま。だから関係性が育まれていない場面、振る舞い方がわからない場面が苦手。お使いのバージョンには対応していません。アップデート。インストール。少しずつ、少しずつ、ね。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.04.11
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題名ジャクソンひとり [ 安堂 ホセ ]作者安堂ホセ(アンドウホセ)1994年、東京都生まれ。2022年、『ジャクソンひとり』で第59回文藝賞受賞目次・あらすじアフリカのどこかと日本のハーフで、昔モデルやってて、ゲイらしいースポーツブランドのスタッフ専用ジムで整体師をするジャクソンについての噂。ある日、彼のTシャツから偶然QRコードが読み取られ、そこにはブラックミックスの男が裸で磔にされた姿が映されていた。誰もが一目で男をジャクソンだと判断し、本人が否定しても信じない。仕方なく独自の調査を始めたジャクソンは、動画の男は自分だと主張する3人の男に出会いー。研ぎ澄まされた視線と痛快な知恵で生き抜く若者たちの、鮮烈なる逆襲劇を描いたデビュー小説!第59回文藝賞受賞作。引用「踊っているふりをしているだけなんだ」感想2023年072冊目★★うーん。うううううううううん。と、読了後に唸ってしまう。なんだろうなあ。なんていえばいいんだろうなあ。芥川賞候補作に挙がっていたので読んでみた本。いやほんま、芥川賞って「これかー」という本多いよな。だからこそ本屋大賞が生まれたわけだけど。「黒人とのミックス」であること。ゲイであること。アイデンティティの異なる4人が、投稿されたポルノ動画で本人と間違われたことから、他人に「入れ替わる」ことを思いつく話。新海誠「君の名は。」の金曜ロードショーをみんなで見ていて、「そもそも同じ顔じゃん」と言う。白線に黒い線、で肌は白という世界を批判する。「メシと夕焼けを緻密に描き込むより先に、もっとやることあんだろうがよ」痛烈。これが普通だよね。当たり前だよね。みんなこうだよね。声に出されていない、大きな声。明文化はされてない、共通認識。それは、そこからはみ出している人にとっては、いつも「〇〇以外お断り」とされているのと同じなんだろう。入れ替わりが可能なこと。まわりから判別ができないこと。それは私は、「見えないこと」、だと思った。インビジブル・パーソン。そこにいるのに、いないもの。人種に限らないだろう。職業だってそうだと思うことがある。けれどそれは、見慣れているかどうかということでもある。前に読んだ本で、幼少期から育った環境で、同じような顔の見分けがつくかどうか、が決まるとあった。それはその子の生育環境によるもので、人種的なものではない。日本人が、欧米でほかのアジア人と見分けがつかないと言われるのも同じで。途中まで「ポルノ描写はえげつないな」と思いながら読んでいて、この4人どうなるんやろうなあと思っていたら、ラストで急に「え?」ってなって、「え?」ってなったまま終わった。え?なんやったん?お前だれなん。は?この本、結局何がしたかったん?呆気に取られすぎて、残業して0時近い電車に乗っていたのに一駅乗り過ごしてしまって、上りの電車の終電終わってたから、次の下りの終電に間に合うように一駅必死で走ったわ。笑けどこの本を読んでいて、私だってそうなんだろうなと思った。十把一絡げに、かたまりとして、集団として、そういうカテゴリーとして、見ている。個ではなく。ジャクソンひとり。冠詞をつけるなら、それは「A Jackson」だ。Theじゃないほう。置換可能で、代替可能で、ではそれは誰なんだろう?その存在を定義しているものは、何なんだろう?たとえばそれは人種だったり。性別のカテゴリだったり。職業だったり。なんだってそうで、だからこそ、よく見なくては。目を凝らして。そこにあるもの、そこにいるひと。あなたは誰なの?ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.04.06
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本のタイトル・作者赤ずきん、ピノキオ拾って死体と出会う。 [ 青柳碧人 ]本の目次・あらすじ第一章 目撃者は木偶の坊第二章 女たちの毒リンゴ第三章 ハーメルンの最終審判幕間 ティモシーまちかど人形劇第四章 なかよし子豚の三つの密室引用まったくどこの世界でも、お母さんなんて思いつきばかりで、具体案など何もないのです。感想2023年067冊目★★★おとぎ話×殺人ミステリーを書いてらっしゃる方。私はこのシリーズ、これから読んだけど、前作『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』があった。知らなくても読めました。ファンタジー要素を取り込むと、ミステリーで描ける範囲がぐっと広がる。最近のゾンビが出てきたりするのもしかり。でもファンタジーだと、「どこまでがセーフか」という荒唐無稽にならない、現実味のあるラインという線引が難しい。そこを「昔話」や「おとぎ話」として、みんなが知っている共通知をベースに、ミステリの可動域を広げている。伏線もそれがそう生きてくるのね、となって面白い。今回は、赤ずきんがピノキオの人形を拾ったところから物語が始まる。ばらばらになったピノキオをもとに戻すため、サーカスの旅の一座、白雪姫、ハーメルンの笛吹、そして三匹の子豚へとたどり着く。私は、白雪姫の義母となったヒルデヒルデが好きだなあ。白雪姫、あの後どうなったんだろう…。前作で赤ずきんは探偵デビューしたのかな。読んでみたい。これまでの関連レビュー・むかしむかしあるところに、死体がありました。 [ 青柳碧人 ]・むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。 [ 青柳碧人 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.03.31
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本のタイトル・作者その本は (一般書 395) [ 又吉 直樹 ]本の目次・あらすじ本の好きな王様は、二人の男に世界中をまわって、めずらしい本についての話を集めてくるように命じた。一年後、起き上がることもできなくなった王様に、二人は一晩ずつ話して聞かせた。本の、話を。引用どんな人も、自分自身を救うことはできない。できるのは、自分以外の誰かを救うことだけなのだ。だからこそ、誰かを救う努力をしなければいけないのだ。他の誰かに、自分を救ってもらうために。感想2023年061冊目★★★テレビ番組「世界一受けたい授業」にヨシタケシンスケさんが出演していらっしゃった時、この本を紹介していたので読んでみたかった本。読むまで時間がかかって、もう文庫本化もされてんじゃん…。笑想定が凝っていて、重厚な雰囲気。中のデザインもかなり趣向を凝らしてある。又吉さんとヨシタケさんが交互に、文章とイラスト(絵本ぽい)で語るさまざまな本を巡るお話。「その本は〜日本です」とか、「ソの本は、ファとラの間にある」とかいうお巫山戯の面白いものもあり、ホラーちっくなものもあり、じんわり来るものもあり、「本って一言で言っても、そのジャンルって様々だよなあ」と改めて思う。本が好き、といっても、それって「スポーツが好き」「映画が好き」くらいの広さであって、その「好き」の細分化されたジャンルが合うかどうかって別。けどどちらかというと、スポーツの広さ(「野球が好き」と「アイススケートが好き」)の差異ほど、本が好き、のときの本のジャンルは広く捉えられていないと言うか、もっと狭いところに見られている気がする。本好き、というと十把一絡げにされるみたいに。又吉さんの話では、少女と少年の交換日記の話が一番良かった。ああでも、まだ生まれてもいない娘の結婚式のために、トランペットを習い始めた話も素敵だったな。ヨシタケさんの話の中では、自分のために書かれた本の話。173ページの絵(山程の自分に届かなかった本が後に、波が引いたあとのように堆積していて、自分はただ1冊の本を手に取っている)がこの本のなかで一番好き。本を書くことをボトルにいれて手紙を流すようと表現しているのも、私が今までずっと感じてきたこと同じで、「そうそう」と思った。本って不思議。それは紙という繊維の集合体の上に、インクという染みをつけただけのもの。それが何十年も何百年も、千年も先まで残る。違う国の別の時代の人の言葉が、まるで今ここに生きる自分のために書かれたような、個人的な手紙を受け取ったように感じる。「どうして私のことが分かるんですか?」「なぜそんなにも私のことを知っているんですか?」そう聞きたくなることが、幾度もあった。本を閉じると終わってしまう世界。ともに旅した仲間たちとの別れを、残りのページ数を見て悲しんだ。彼らは世界中で、いったい何人の個人的な友人になっただろう?私は本に救われてきた。文字が読めるようなったその時からずっと、ずっと本を読んできた。文字を食べるように言葉を貪った。「ノマちゃんの関西弁は変だ」とよく言われる。それは私が、現実で会話するよりも、活字の世界で生きてきたからだ。彼らが私を育てた。きっとこれからも、私は本を読んで生きていく。誰かの言葉を支えに、誰かの言葉に救われて。王様は、最期に言う。「やはり本は面白い」これまでの関連レビュー・人間 [ 又吉直樹 ]・思わず考えちゃう [ ヨシタケシンスケ ]
2023.03.24
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本のタイトル・作者いつもの木曜日 [ 青山 美智子 ]本の目次・あらすじ早朝マーブル・カフェーマスターのひとりごとワタル(カフェ店員)朝美(広告代理店勤務)えな(幼稚園教諭・勤続1年半)泰子(幼稚園教諭・勤続15年)理沙(婚約中)美佐子(金婚旅行前日)優(ワーホリ中)ラルフ(サンドイッチ屋)シンディ(アロマセラピスト)アツコ(翻訳家)メアリー(渡航中)マコ(英会話スクール講師)引用「楽しいこと」より「楽しみなこと」がたくさんあるほうが、人生は幸せなんじゃないかと思う。だってそうだろ、「楽しみ」には「楽しい」も含まれていてお得だし、自分で用意することもできる。そしてここがわりとかんじんなところなんだけど、まだ起きていないことを「楽しみだなあ」って思える想像力が、未来を創っていくものだと思う。感想2023年060冊目★★★『木曜日にはココアを』スピンオフ12編&特別掌編。・木曜日にはココアを [ 青山美智子 ]・月曜日の抹茶カフェ [ 青山美智子 ]絵本みたいなサイズで、横開き。イラストがとても素敵で、紙面のデザインも凝っていて、「これ誰の絵なのかなあ」と思って最後を見たらブックデザインは「bookwall」という装丁屋さんで、イラストレーション素材は「Adobe Stock」とあった。え、じゃあこれ素材集からの加工なんだ?!素敵な水彩画風のイラスト。名前が出ないのが残念だなあ。誰なんだろう。私は青山さんの作品の「きれいに落ちる感じ」(落語や漫才の「オチ」の落ちる)があんまり好きじゃない。綺麗すぎる気がして。物語的な物語というか予定調和が過ぎるというか。今回は短編だったので、よりそれが顕著だった。マイナス→プラスへの転換を少ない文字数で表現するとどうしてもそうなるかもしれない。なんかあるじゃないですか、独り言なんだか詩なんだかわかんない文面が、きれいな写真とかとあわさって詩集みたいにして売ってる本。ちょっとああいう感じがした。そういうのも大事なんだけどね。もうこれ以上汚いもの、キツイもの、しんどいものを見たくない時。心に負担になるものを受け付けない時。そういう時に読む本だ。前向きで、明るくて、雨上がりみたいで。でも私は、傘の内側の世界を愛する。世界から隔たれて、その雨に打たれながら。だからキラキラした虹を「あなたと見る虹は、これまで見たどの虹よりもきれい」みたいな言葉に「ケッ!」と思っちゃうわけ。性根がひん曲がってるから。笑勇気をもらいました、暖かい気持ちになりました、涙がこぼれました。そんな感想に「ケッ!」と思っちゃう。ああなんてお安い感性ですこと。自分の感受性くらい自分で守れ、馬鹿者め。(この作品がそうというわけではないよ!)ラルフさんのマーマレードジャム、美味しそうだなあ。マーマレードジャムサンドが食べたくなったよ。子供の頃、くまのパディントンを読んでからずうっと、マーマレードサンドは憧れの食べ物。マーマレードジャムもまた特別な食べ物だ。ラルフさんは言う。思いもよらない事態に立ち止まるとき、必要なのは柔軟であること、そして冷静であること。そうそう、と膝を打った。何かトラブルが発生した時。自分ではどうしようもないことにぶち当たった時。迷った時。悩んだ時。身体が固くなってる。車の前に飛び出した猫みたいに。だから伸びをして。深く息を吸って。やわらかく、しんとして。幼稚園教諭のえなも、戦闘態勢の自分をお風呂でほぐしていた。カチカチの自分に気付いたら、ちょっと一呼吸。私、昔『カードキャプターさくら』のこの台詞が大嫌いだったのに、今はお呪いみたいに唱えてる自分に気づく。だいじょうぶ。ぜったい、だいじょうぶだよ。しなやかな猫のように、伸びをして。止むまで雨宿りをしていてもいいしーーー雨が降っていても、猫は傘をささない。身を翻して走っていこう。これまでの関連レビュー・お探し物は図書室まで [ 青山美智子 ]・ただいま神様当番 [ 青山美智子 ]・木曜日にはココアを [ 青山美智子 ]・鎌倉うずまき案内所 [ 青山美智子 ]・猫のお告げは樹の下で [ 青山美智子 ]・赤と青とエスキース [ 青山美智子 ]・月曜日の抹茶カフェ [ 青山美智子 ]・マイ・プレゼント [ 青山美智子 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.03.23
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本のタイトル・作者この世の喜びよ [ 井戸川 射子 ]本の目次・あらすじこの世の喜びよマイホームキャンプ引用そうかな、と彼女は言い、そうかもしれない、と荒川を正面から見つめて笑うようにした、別にここで分かってもらう必要もないんだった、私がどんなに、昔一人でいられたかを、好きな場所に物を置けた。自覚していなかったけれどそれは確かに自由だったことを、荒川はメモに一応、一人、と書き込み下線を引いている。「マイホーム」感想2023年057冊目★★★第168回芥川賞受賞作。「この世の喜びよ」は、単身赴任の夫、年頃の2人の娘がいる中年の女性が主人公。大型のショッピングモールに入る喪服店で働く彼女は、いつもフードコートにいる少女や、向かいのゲームセンターのアルバイト、そしてそこの常連といった人々と少しだけ接する。「マイホーム」は、夫の実家が持つ土地に家を建てることになった女性。双子の子供を夫に見てもらい、ハウスメーカーの家に1人で体験宿泊することになった話。「キャンプ」は、母と二人暮らしの少年が、おじが大学時代の友人たちと子連れキャンプに行く際に、子供がいないからと連れて行かれる話。(人の名前を覚えられない少年に、私も!と激しく共感。)どれもすごく大きな出来事が起こるというわけではない。けれど日常の中にある小さな起伏が、その人を変えてしまう。傍から見たら何も変わらないようなその流れの中で。井戸川射子(イドガワイコ)1987年生まれ。関西学院大学社会学部卒業。2018年、第一詩集『する、されるユートピア』を私家版にて発行。2019年、同詩集にて第24回中原中也賞受賞。2021年、小説集『ここはとても速い川』で第43回野間文芸新人賞受賞はじめ「え?」となったのは、表題作「この世の喜びよ」が二人称小説だったから。つまり、「私は〜する」の主人公の一人称でもなく、「穂賀は〜する」という三人称(神目線)でもなく、「あなたは〜する」という二人称なの。すごく奇妙な距離感。でもこれ、ある意味でこの方が主人公への没入感がある。私は、笑った。だと、「それは私じゃないこの主人公」と自分が知っていて、その人が内面の動きを外部へ放出して表明していると受け取る。ノマは、笑った。だと、描写としてドラマや映画のように映像として、それを外側から見ている。内側はわからないから、「悲しそうに笑った」や「はにかんで笑った」という推測や臆測が付く。で、だ。あなたは、笑った。と書かれたときの、自分の感情の置きどころがわからないのだ。無理やりその「役」の枠に当て嵌められていくような、ぎゅうぎゅうと押し込められていくような、そんな気持ち。だって私は笑っていないのに。「あなたは」笑った。その「あなた」は主人公であり、外側から見ているのに、その誰かは「あなた」の内側も知っている。「あなたは悲しくて笑った。」そうか、私は悲しくて笑ったのか。ああ違う、その私は私ではないのだ。書いている人は、きっとちいさなことに躓いて、些細なことに傷ついて来た人なんだろうなと思った。その、きれいなガラスについた掠り傷みたいなものを、じっと見てきた人なんだろうな。とりとめのない、流れていく感情。鈍化して、摩耗して、忘却していく日常。多くの人が過ぎ去るそれらを覚えていて、こうして書いているだろう。私がアルバイトをしていた頃、休憩室に注意書きだかの張り紙があって、その張り紙の言葉にすら傷つく自分が嫌だった。そういったことを受け入れて、痛くないふりをしないと生きていけないのだと思った。世界はそういう場所だから。でも今は、思う。私はその世界をかなしいと思い続けていいんだ、と。いやだ、やめてほしい、と願っていていいんだ。それがこの世界なのだとしても。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.03.20
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本のタイトル・作者夏日狂想 [ 窪 美澄 ]本の目次・あらすじ広島の裕福な家庭に生まれた礼子。父親に溺愛され、人力車でキリスト教の女学校に通うお嬢様だったが、父の急死で人生が一変する。幼い頃からの夢である舞台女優になろうと、彼女は放浪の詩人と東京へ向かうがーーー。引用私はその詩を読んで、はらはらと涙を零した。彼が子どもの頃に見たサーカスと、私が子どもの頃に見たサーカスは同じものではなかったはずだ。けれど、私があのときに感じたもの悲しさ、もののあわれがその詩には凝縮されていた。彫刻を彫るように、彼は大きな石のかたまりのなかから、言葉を彫り出し、取り出して並べ、気にいらないといっては、その言葉に執着することなく、捨てた。捨てた言葉たちのほうが多かったはずだ。まるで命を懸けるような推敲の、思考の果ての、絞り出された言葉を見るたび、生きている詩人に出会えた、という喜びが私の心を満たしていった。感想2023年053冊目★★★途中まで完全なフィクションだと思っていて読んでいた。いちばんはじめに、中原中也の詩「春日狂想」が引用されていて、それがタイトルと類似していることから、実在の人物をモデルにしていることに気付くべきだったな。実在の人物をモデルにした物語だった。どうしてもその史実の出来事をなぞっていくから、飛び飛びで散らばった印象。私は前半の華やかな女学校時代と、最後の物書きとして彼女がこれまでの人生のすべての集大成を発揮していくところが好きだな。間の男性遍歴のところは「おい…おまえ…」となった。主人公である令嬢・礼子は、長谷川泰子という方がモデル。ウィキペディアで調べてみたら、この方の戦前の芸名が「陸礼子」。「中原中也、小林秀雄 (批評家)との三角関係で知られる。」。私は小説中に登場する批評家がいったい誰をモデルにしているんだろう?と思っていたのだけど、小林秀雄だったのかあ…。小説にあった回顧録も、実際に『ゆきてかへらぬ—中原中也との愛』として出版されている。恋多き女、魔性の女。というか、自分が欲しいものが分かっていて、それにまっすぐな人。その引力がまわりを引き付ける。瑞々しい感性をもった少女は、徐々にそれを失っていく。そうしてかわりに、別のものを得るのだ。礼子は、「何者かになりたかった人」なんだろうな。器量よしとして皆にちやほやされ、父親には溢れんばかりの愛を注がれて育った。文才にも恵まれ、書いたものは雑誌に掲載される。何者かになれるのだと信じていた少女。自分の中にある力を証明したくて、けれどそれを出来なくて。まわりにいる男たちの中から、「何者かである人(と自分には分かる人)」を自分の代わりに世に押し出していくような。礼子は彼らを応援し、支えている。でもそれは、自分を応援して、支えているのと同じなんだよね。小説の中でも、いろんな人と付き合ったり別れたり同棲したり結婚したり…で、「お前もうそろそろ腰を落ち着けろよ」と思った。あいつもこいつもええ奴やんけ…もうそいつでええやんか…。でもそうはいかないんだよね。戦時中をともに乗り越えた相手ですら、最後には別れてしまう。結局彼女は、中原中也がいちばんだったのかなあ。私には、どうしても最初の「姉と弟」のようなイメージが離れない。魂の双生児。存在のかたわれ。他の人と結ばれてもなお、わかちがたい繋がり。本の中に、礼子と、先輩である寿美子が広島の陳列館(原爆ドーム)で、ドイツのバームクーヘンを食べる場面がある。これ、史実だったのね。最近読んだ「怪盗フラヌールの巡回 [ 西尾維新 ]」の中に、広島から盗まれたものとして初代バームクーヘンというのが出てきたんだけど、法螺だと思っていた。美味しいですよね、バームクーヘン。本国ではそんなに有名なお菓子じゃないというのも本当なのかな。これまでの関連レビュー・夜に星を放つ [ 窪美澄 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.03.16
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本のタイトル・作者短編宝箱 (集英社文庫(日本)) [ 朝井 リョウ ]本の目次・あらすじ小さな兵隊(伊坂幸太郎)正雄の秋(奥田英朗)ロックオンロッカー(米澤穂信)それぞれの仮面(東野圭吾)星を見ていた(桜木紫乃)きえない花の声(道尾秀介)足跡(島本理生)閨仏(西條奈加)遠くから来た手紙(荻原浩)無言歌(浅田次郎)エンドロールが始まる(朝井リョウ)引用「あっと言う間。仕事だけが人生じゃないって」「そう簡単に気持ちが切り替わらない。ずっと仕事が中心だったしな」酒が入って、少し気持ちがほぐれた。考えてみれば妻と差し向かいで飲んだのは何十年ぶりか。「船を乗り換えればいいのよ。もう少し小さくて、ゆっくり進む船」正雄の秋(奥田英朗)感想2023年051冊目★★★「小説すばる」創刊35周年を記念して集英社文庫編集部が編んだ短編アンソロジー。『残り全部バケーション』収録の「小さな兵隊(伊坂幸太郎)」、『本と鍵の季節』収録の「ロックオンロッカー(米澤穂信)」、『心淋し川』収録の「閨仏(西條奈加)」の三作は読んだことがあった。どれも素敵な作品。「きえない花の声(道尾秀介)」は、最後のトリック(?)というか、種明かしがいまいち分からなくて、もう一回最初から読んだんだけどやっぱり「うん?」となった。息子は、お父さんのために川に橋をかけてあげようとして、ロープを渡したんだよね。お父さんは、勤め先へ行こうと夜に家を出て、そのロープに引っかかったの?それで川に落ちちゃって海に流されたとか????ロープは先生が回収したの…?そして「息子がお父さんの命を間接的に奪った」と言えないまま、弔いのために彼岸花を植えた?ロープに引っかかるところがうまく想像できなかった。対岸に向けて掛けたのであれば、引っかかる要素なくない???個人的には「正雄の秋(奥田英朗)」が好き。出世競争に破れた男の鬱々とした気持ちを描いているんだけど、ライバルだった同期が、お父さんが危篤で故郷に帰ったという連絡を受けた時、「今日死んでくれれば旅行中の自分は駆けつけなくて済むのにな」と思う。思っちゃう。そんでそれを描写しちゃう。そこが良かった。なんていうか、人間ってそういうところ、ある。というか、私にはそういうところ、ある。でもそれは、その人が悪人だからそう思うんだっていったらそれはちょっと違って、日常のなかにそう思う瞬間もあるんだという話で。それを小説に描く人、好きです。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.03.13
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本のタイトル・作者小説 映画 さかなのこ [ 有沢 ゆう希 ]本の目次・あらすじお魚が大好きなミー坊。明けても暮れても来る日も来る日も大好きなお魚のことばかり。ミー坊はある日、魚の帽子を被った不思議なおじさんに出会う。引用「成績がいい子もいれば、悪い子もいて、それでいいじゃないですか。みんな勉強ができて同じだったら、優等生だらけでロボットみたいだわ」「お母さん、言いたいことはわかりますけどね、あとで困るのは、本人ですから」「いいじゃないですか」ミチコが、きっぱりと言う。「この子は、お魚が好きで、お魚の絵を描いて、それでいいんです」感想2023年048冊目★★NHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」の「さかなクン 好きなことを続けてきた先に」の回で、さかなクン著『さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~』が紹介されていた。ラジオを聞いていると、何よりとにかくさかなクンのお母さんがすごい。というわけで一冊本を読んでみたいな、と映画のノベライズを読んでみた。そしたらさ、これさかなクンの自伝を映画にした物語だと思ったら違ったの!笑ミー坊という名前の子供が(これは非常にさかなクンみたいな子なのだけど、別人という設定)さかなクンに会ってた。ところで私は映画を見ずに本を読んでいて、合間合間に映画のシーンの写真が挟まれているのだけれど、けっこう最後までミー坊が女の子だと思って読んでいた…。ちっちゃい女の子のこと、〇〇坊って言うやん?何より一番最初に、男か女かなんてどうでもいい、というような一文があったので、すっかりこの物語は「もしさかなクンが女の子だったら」というif設定で幼少期から大人になるまでを描いた作品なのだと思ってた。違った。相変わらず思い込み激しいな私。後半、幼馴染のモモコとその子供と、ミー坊は海に行く。そこで周りに仲睦まじい家族のお出かけだと思われる。ここで「あ、ミー坊って男の子なんだ?!」と思って、読み返してみたら小学生のときにも「お前モモコのこと好きなんだろ?」とかいう描写がありました。私、ここ「女の子同士でラブ、いいね!」と思ってた。(映画の主演をみたら、これ「のん」さんなのね!だから勘違いしてたのか、私)ラジオを聞いたとき、さかなクンのお母さんが、子供が魚が好きだと分かったら毎日水族館へ連れていき、毎日魚料理を出し、魚を家で飼育し…と、「この子の好きなこと」をとことんサポートしていることに慄いた。私、ぜったい、そこまで出来ない。私の娘(小学一年生)はお絵描きが好きで、ずーっと何かを描いている。これは私の子供の頃も同じだったから、よく分かる。私は娘にいろんな漫画やアニメを読ませて見せるようにしているし、本人が読みたがったものを制限しないようにしている。(ただ、「私はこの作品は、これこれこういう理由で好きじゃない」とは伝えている)保育園年中の息子は、今、魚とバイクに夢中。さかなクンの番組「ギョギョッとさかなスター」を食い入るように見て、魚の図鑑をずっと見ている。でも私、そこで終わり。それ以上のことをしてやれない。この本みたいに、毎晩毎晩違うタコ料理作ってやれない。笑たとえば子供が何かに夢中になって他のことが目に入らなくなっていたら、「それじゃ駄目でしょう」と、私は中道を目指すように言うだろう。好きもほどほどに。熱中するのもそこそこで。普通が一番。それって「好きなこと」にストッパーをかけて、制限してしまうことなのかな。私は、「好きなこと」というと、いつも樽の箍(たが)を想像する。縛られても、それを内側から跳ね除けて、バラバラにしてしまうくらいの力。その人の内側に生まれ持った、「好き」の種。本の中で、「ありがとう」とミー坊は言われる。ずっと好きなことを好きなままでいてくれて。たぶん一番難しいのは、それなんだろう。おとなになるほどに、好きなことをただ好きでいることは難しくなる。自分より上がいることがわかる。もっとすごい人がいることがわかる。でもそもそも、「好き」ってそういうものなのだっけ?上下を、優劣をはかるものなのだっけ?今、私はおとなになって。好きな本を読んで、好きな言葉を学ぶ。役に立つわけじゃない。使うあてもない。そうして好きな絵を描いて、好きな物語を書く。プロになるわけじゃない。とびきり上手いわけじゃない。それでも私は、とっても幸せ。「好き」はずっと、たぶん死ぬまでずっと「好き」だ。好きなことを、好きなままに。私は、子供がそれを持ったままでいられるようには、してあげたいな。あなたのその「好き」を忘れないで。その火が消えそうになる時も、大事に守って。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.03.07
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本のタイトル・作者まっとうな人生 [ 絲山 秋子 ]本の目次・あらすじ生まれ育った福岡を離れ、今は富山県に住んでいる三十七歳の「あたし」。農機具の会社で販売をしている十歳上のアキオちゃんとは、九州の工場に出張していた時にバイトしていた居酒屋で出会った。やがて結婚し、十歳の娘・佳音もいる。双極性障害を抱え、再発と寛解を繰り返し、自分のエンジンをうまくふかせないまま、「たびのひと」として、ここにいる。引用あたしは、いつまでまっとうに生きることができるのか。それとも、こんなのはごくごく短い時間で、たちまち大事なひとたちを裏切って、狂気の海に沈んでしまうのか。少しはあらがうかもしれないけれど、正直なところ、どんな楽しい思い出よりも狂気のほうが強いことをあたしは知っている。その網にひっかかるか、ひっかからないかというだけだ。この先、健康でいられる時間のことを思う。死にたいとは思わないでいられる時間のことを。そんなことを思わなくて済むひとのことも、思う。感想2023年044冊目★★★「子供の一日は長い。あたしの一日は短い。」からはじまる書き出しの冒頭がとても良くて、「ああ、わかる、この人の書くものがすきだ」と思いながら何ページも読んじゃう、そんな感じの文章を書くひとだ。冒頭には手書きでゆるい感じの富山の地図が描いてあって、「『まっとうな人生』の舞台」とある。富山なんてもう全然土地勘もないしわからないの極みなのだけれど、この話を読んでいると空気が澄んでいるのだろうな、という漠然とした感想を持った。冬の朝のような、張り詰めたつめたい空気。主人公は、九州で精神病院に入院していた頃の知人「なごやん」に再会する。ここらへんからはいまいち描写や話の流れも好きな感じじゃなく、流されるようにさーっと読んだ。(今調べたら、これ『逃亡くそたわけ』という、なごやんと主人公の前段作があるのね!?)それでもやっぱり、著者の細部の描き方が好きだなと思った。このひとが書くものが、この人が世界を見るそのカメラが好きだな。たとえば、おもに文意をとって引用すると、子供はいろんなことを忘れ、大人は忘れることを恐れる。子供にはブレーキのかけ方ばかりを教え、アクセルの踏み方を教えない。大人は子供のように「あ、そっか」と明るくやり直すことが出来ない。子供は視野が制限されていない。大人は見えている範囲が生きる場所と決めつける。人生が東京から博多に帰る新幹線なら、あたしの人生はもう広島を過ぎている。スマートにはなれなくても、大人だからなんとか生きていくしかない。何がしたくて、どこに行きたいのか、いい年をして何を考えているのか。出口のないトンネルはブラックホール、明けない夜は宇宙。「母は一人しかいない。一度しか地球に接近しない彗星のようにたった一人なのだ。」とか、ちょっと意味わかんないんだけど(彗星…)、わかる、のだ。主人公が、自分が結婚して子供がいて生まれ育った街じゃないところで暮らしていることを、驚くべきことだ、と思う。私にはこれ、すごくよく分かる。幼い頃の私が恐れていたことは、「おとなになるまで自分が生きられないだろう」ということだった。私はきっと、この世界に耐えきれないだろう。おとなになるまでにきっと、死を選んでしまうだろう。それは確信に近いもので、幼い私はずっとその「くらやみ」を見つめていた。私は死を恐れていたのではなく、自らの死が周囲に齎す影響を恐れていた。いくつになれば、許されるのだろう。どんな方法なら、許されるのだろう。どこまで行けば、許されるのだろう。ずっとずっとそれを考えて、おとなになること、しかないのだと思った。ここから出られるようになったら。自分の力で、ここを離れられるようになったら。どこか遠くへ行こう。仕事について、ひっそりと辞めて、いなくなろう。死期を悟った猫が姿を消すように。おとなになるまで生きているために、信仰を持とうと思った。近くの教会へひとりで通い始めた。けれど救われることなく、自分だけの神様を求めてさまよう。それは私が、一桁の子供だったときの話。あの頃の私が、今の私を見たら、きっと「これは私じゃない」と首を振るのじゃないかしら。おとなになって、凡庸に、平然と生きる私に。高校生の時、進路を選ぶ段階で、クラスメイトが結婚や子供を将来の想定に入れているのを、ただ私は呆然と、愕然と、聞いていた。この子達は、生きていくつもりなのだ。このままおとなになって、おとなになってもなお。終わりではなく、その先を。苦しみのエンドロールの後を。けれど私はやがて摩耗して鈍化して、忘却する。延々と流れるエンドロールを見限って、客席を立つ。死ににくなるから、と大学を卒業して就職しなかったことを棚に上げて、働く。結婚する。子供を生む。私は今、思ってもいなかった未来にいる。それでも時折、「くらやみ」と目が合う。動けなくなるあの「くらやみ」。神様の光を持っても照らせなかったそれ。私は懐かしく足を止める。そしてその泥濘にいて思う。きっとこの世にいるまっとうな人は、死にたいなんて思わずに生きているんだろうなと。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.03.03
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本のタイトル・作者たとえば、葡萄 [ 大島 真寿美 ]本の目次・あらすじ「もうこんな会社にいたくない」三十を前に、勤めていた大手化粧品会社を自主退職した美月。自分の人生を立て直すための無職、のはずが、コロナであれよあれよという間にハローワークは失業者で溢れた。生活費を節約するため、母の旧友である市子の家に転がり込んだ美月。そしてまた、山梨にいる母の友人たちを訪ね、美月は葡萄の香る地に魅せられていくーーー。引用「うちら、もうじき三十じゃん。三十だよ?三十。いいんかね、こんなことしてて。間に合うんかね」「間に合う?なにに?」「なんだろ、人生に?」感想2023年042冊目★★★だいたいが、東京でウダウダと駄弁っている「停滞」のお話。コロナってこんなだったなーっていうその時の状況や閉塞感を思い出しながら読む感じ。主人公の美月の、母の友人である「市子ちゃん」がアベノマスクのくだりで、首相を「美意識がおかしい」というのにハッとした。あの時感じていた「おかしさ」って、何が、とうまく言えなかったのだよね。お金かけて作って、配って、でもほとんどの人が使わなかったあれ。市子ちゃんの言葉に、美月は頷く。うわべだけじゃなく芯まで美しくあることを見極めていかないと、いろんなことがでたらめになってしまう、と。余談だけれど、先日たまたまつけたNHKで「こころの時代〜宗教・人生〜」をやっていて、その回が2021年3月28日初回放送の、ウスビ・サコさんが登場する「なんでやねんと ええやんか」だった。ウスビ・サコさんは、2018年に京都精華大学で、日本の大学で初のアフリカ(マリ)出身の学長になった方。番組の中で、京都精華大学の大学展をサコさんが回る。巨大なテキスタイル作品を作った学生が、サコさんに解説する。アベノマスクがここで、トイレットペーパーがここで、と巨大な織物を指す。サコさんはあれな、と苦笑する。その作品は、学長賞を獲った。やり手の経営者である辻房恵という人物に対しても、「出すべきところに出す、不必要には出さない、いんちきしない。それでいいんだよ」と、市子ちゃんは評する。これも、根底は同じことだと思った。後半の展開は、主人公の美月が「山梨に移住して古民家改造しつつ、葡萄畑で働いて葡萄ジュース作る」と言い出して、「いやいやお前、人生設計甘すぎへんか?」と思うのだけど、美月の高校時代の友人である香織が、独立しようと二の足を踏んでいたところに勢いに任せてひとり工務店が始まってしまって、走りながら考えて動いているのを見ると、それで良かったのかもなとも思う。美月は美月で、自分が大手化粧品会社で当たり前のように出来るようになった「資料作成」というスキルが、他の人からしたら「仕事」として発注する価値のあることなのだと、香織の手伝いをしているうちに知ったし。しかし何より、「ここでなんとかなる」「なんとか生きていける」「やってみてだめならまた考えれば良い」っていうマインドが芽生えたのが大きいんだろう。それは、はじめコストやら無駄やらだめな理由をあげつらっていた美月が大きく変わったということだ。この本は、主人公の美月が周りの血縁関係のない大人に恵まれていて(みんな自分というものを大切に生きてきた芯の通った一癖も二癖もある大人たち)、この「自分が子供の頃から知っているお母さんの友人たち」のキャラが濃いなあと思って読んでいた。そうしたら、読み終わったあとに「この本には前編があります」と広告が載っていて、なんと十五年ほど前に書かれた『虹色天気雨』『ビターシュガー』という二作があるというではありませんか!なにそれなにそれ。どうりで脇役のキャラ設定が濃いはずだよ。そんな友人のひとり、カメラマンの土方さんが「ぐらぐらしていた時期にやっていたことが後から意味を持ち、だんだん統合されていくのが面白いのだ」ということを言っていて、これ・人生後半、上手にくだる [ 一田憲子 ]でも同じことを仰っていたなと思い出した。確かほかのものでも読んだ気がする。私も今、わりとぐらぐらしているんだけど、それも後から全て統合されていくのだろうか。すべてのものに意味はあるのだと、思えるんだろうか。これまでの関連レビュー・渦 妹背山婦女庭訓 魂結び [ 大島真寿美 ]・結 妹背山婦女庭訓 波模様 [ 大島真寿美 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.03.01
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本のタイトル・作者俺ではない炎上 [ 浅倉秋成 ]本の目次・あらすじある日、インターネット上のあるアカウントが炎上する。「たいすけ@taisuke0701」というアカウントが投稿した、殺人とおぼしき写真。Twitterの特定班は、容易にそのアカウントの持ち主を割り出す。大手ハウスメーカー・大帝ハウス大善支社の営業部長である、山縣泰介。家の倉庫から二人目の遺体が見つかり―――無実の彼は、逃亡を始める。引用「みんな、『自分は悪くない』ってことしか呟いてなかったんだよ」えばたんの言葉は、夏実の頭の片隅に小さなビー玉のように、ころりとした異物感を残した。「自分は悪くない。自分の価値観だけが正しい。ねえそうでしょーーーって。そういう呟きしか存在してなかったんだよ。だから、そういう人間になっちゃ駄目だなって、すごく思ったんだ。みんな、ものすごくみっともなかった。僕はああならないように、きっと気をつけなくちゃ」感想2023年039冊目★★★★・六人の嘘つきな大学生 [ 浅倉秋成 ]と同じ作家さんの作品。六人〜がどんでん返しミステリで、めちゃくちゃ読んでる途中は人間の本性が暴かれていって胸糞悪いんだけど、最後は「でも本当はそうじゃなかったんだ」が分かって謎の爽快感があって、期待して読んだ。面白かった!あ〜もう見事に騙された〜!!やられた〜!!無実の人が犯人に仕立て上げられて逃げ回る話。というわけで、はじめ伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』みたいだなあと思ってたの。それすら先入観だった。最後の最後までミスリードにミスリードされてミスってリードされてたよー!くやしい!というわけでネタバレ注意。はじめ、違和感を感じたのが158ページの「山縣泰介に小学生の娘がいるって本人の年齡考えたらありえないような気がする」というSNS。確かに、遅くに出来た子どもなんだな、と思って読み飛ばしていた。それがああなってこうなってそうなるのね!本編の真犯人に触れないところで言うと、『翡翠の雷霆』のピンバッジをつけて、スターポートで煙が上がるのを待っていた学園大の学生。流体力学を研究していたという彼こそが、「理系の端っこの学部」にいた三十歳の六浦さんだったんだろう。はじめから一貫して真実を明らかにしようと、その道を探ることを諦めようとしなかった六浦さんが、最後に肩を揉まれて「どうしようもなかっただろ」「俺達は悪くなかっただろ」に同調する悲しさ。そして、最後の「言ってほしい言葉」と「あれを持つ資格」が何のことだったか分からなかったのだけど、これも「俺は俺の信念を貫く」という『翡翠の雷霆』の主人公の決め台詞と、「君は正義の人間だから、どんなことがあっても俺が君を肯定する」という正義の味方の資格だったのか。正直、真犯人に至るまでの道のりが面白くて、真犯人の動機が陳腐で「おいお前」ってなった。山縣さんはスペックがすごくて(めっちゃ走る)、でも後輩の家を訪れた時に今までの自信が木っ端微塵になっちゃって、信じてきたものがすべて瓦解して、ここらへん一時職場で完全に人間不信に陥っていた私は「わかる!!」となった。「小さい子供がいて仕事も忙しいアピールしてるくせにいつもばっちりメイクしてて、さばさば気取ってる割にフェミニンで派手なオシャレしてるのが気に入らない」って前に人づてに言われて、「いや百均のメイクやし仕事行くの嫌やから気合い入れるためにやってるだけやし、服なんて10枚くらいしか持ってないしユニクロとしまむらのセール品やし、派手な柄って十年前のお土産の民族衣装と、大学生の時に通販で買ったストールやしこれ」ってなった。ちょっと待てよ、ディスられているようで、ほんまはすごい褒められてるんか…?なんていうかさ、嫌なら嫌って、直接言ってほしいんよ。そして私に弁明の機会を与えてほしい。私は正直な人間なので(というか感じたことがすべて態度に出てしまうし、思ったことをすべて口にしてしまう幼児脳なので)、ニコニコ笑ってる裏でそんなこと思ってるんや、人間難しすぎるとびびった。みんな腹の中で本当はそういうこと考えてるんだ…と人が怖くなった。それと思ったのが、誰かのことを「嫌い」って言っている人は、自分にも同じ刃が向くことを想定していないよね。山縣泰介の奥さんもそうだ。あいつが悪い。私は悪くない。私は可哀想。だからしかたないの。この小説で、SNSを批判する言葉も同じ。俺は悪くない。そう言葉を変えてみんな言っているだけ。くだんの人間不信の件、でも私としては色々学びがあって、それは「相手はどうしてそう考えたか」を、視点を変えて向こう側から見られるようになった。ものすごく癪だし、理解できるかは別の問題なんだけど、一定そこには「わかる」ことが、ある。その結果、私自身の来し方と行く末を見直さないといけないことも、ある。痛みを伴うから、できれば見たくなかったところ。知りたくなかった己の暗部。私が、悪かったのかもしれない。悪いのかもしれない。じゃあ、これからどうする?それでぐるぐる考えた結果、「私らしく、毎日楽しく明るく生きる」ことにした。それって相手側からのことを考えてないやんという話なんだけど、ある意味吹っ切れた。「私」は「相手」を変えられない。私は「私」しか変えられない。そしてその私を変えるべきなのか?と考えた時、変えるべきところとやっぱり変えるべきではない、と判断するところがある。それは私の核となる部分。私が私であること。私を私にしているもの。それは、譲れない。相手はきっと、その私を見るのが最高にムカつくのかもしれないのだが、私が相手を変えられないように、相手も私を変えられない。その上で、私としてやっていくしかないのだ。前を向いて。顔を上げて。口角を引いて。いやあ、人生はすべて学びだなあ。山縣泰介もまた、自分の信じてきたものがズタボロになり、無実が証明されて社会復帰をした折に、これまでとは「違う自分」のほうを選ぶ。彼は、偉い。これ、なかなか出来ることじゃない。妻が、泰介のことを「他人に敬意を払える人」と言っていた。自分に厳しい分、他人にも厳しいのだと。彼は、自分の核を守ったのだ。この小説、読み始めは「ネット怖ぇぇぇ」「SNSやべぇぇぇ」ってなるんですが、最後の最後まで読んで、なぜこのアカウントが作られたのかという真の目的が明らかになり、「そうだよな、インターネットって、使いようによって出会うことが出来ない仲間と出会うことが出来る、ものすごく素敵なものだよな」とも思った。かくいう私は最近、2年ほど続けていたTwitterをやめました。1,300人くらいいたフォロワーの皆さんに、「アディオス、アミーゴ」と別れを告げ、アカウントを削除。どこかに「自分に向けられた言葉」が漂っているんじゃないかという、あのぼんやりとした「ここではないどこかに呼ばれているザワザワ感」がなくなりました。でも同時に、もうこいつ死んでいなくなるんじゃないかっていう勢いで別れの言葉を応酬して、「ああ、インターネットでの一期一会の出会いは、アカウントの消滅=存在の死、なのだな」とも再認識した。みんなー!私、元気に生きてるよー!笑インターネットとの付き合い方、いまだ何が適切な距離感なのかわからない。怖さに尻込みするのも違う。夢中になりすぎるのも違う。出来なかったことが出来るようになり、出会えなかった人と出会い。未来と希望のために、使うべきもの。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.02.26
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本のタイトル・作者財布は踊る [ 原田 ひ香 ]本の目次・あらすじ幼い子供のいる専業主婦である葉月みづほは、倹約を重ねていた。夢は、海外旅行。ハワイ。そしてブランドの財布を買うのだ。節約生活の結果、夢を叶えたみづほだったが、大盤振る舞いだった夫の旅行の請求がおかしいことに気付く。―――月々三万円の、リボ払い。知らない間に数百万円の借金を作っていた夫の返済のため、彼女は手に入れたばかりのイニシャル入りのブランド財布を売りに出す。引用もうたくさんだ、と思った。自分はもう、この男に人生を左右されたりしない。いや、この男に限らず、誰かに人生を左右されたりしない。いや、この男に限らず、誰かに人生を左右されたりしない。雄太のことが嫌いになったりしたわけじゃない。そういうことではないのだ。ただ、誰かに自分の人生を動かされたくないのだ。この男のせいで、貧乏になったりしたくない。ただ、それだけだった。感想2023年032冊目★★★ひとつの財布が、次々にお金で問題をかかえる人々の間を渡り歩いていく短編集。すべてのお話が繋がっていて、「どーしようもないなコイツ」と思っていた奴が最後にはちゃんと生活できるようになっていて良かったと思う一方、「あんなに頑張ってたのに…なんで!」という子がいたり、「てめーまじでゆるさん」という最初から最後まで浮かばれない奴がいたり…。リボ払い、奨学金、不動産投資、仮想通貨…。コロナ融資などの時事ネタも入って、「はー」となる金銭エンタメ小説。こういうことって、学校では習わないものね。家庭教育なのだろうけど、家庭で経済が崩壊している場合は、誰からも教わらないまま大きくなる。この本の登場人物では、奨学金を返すのが苦しくて、節約しているOL2人の話が一番好きかな。自分はマックでシェイクを飲むことさえ躊躇するのに、同僚たちはランチも含め華やかな暮らしをしているように見える、というくだり。わかる!!ってなった。周りがさ、裕福に見えるんだよね。余裕あるように。学生時代、アルバイトもしないでいい、サークル活動に明け暮れている環境の子を見て、「甘やかされてるなあ」と思っていた。ただ、親元から出てきて私立大学って時点で奨学金の返済額やばいことになるの、明らかよな…。私は大学受験のときに親が失業していて、「家から通える国公立大学」に絞って受験。なんとか合格はしたので、奨学金で大学に通った。うちは失業云々関係なく、どのみち親が「高校卒業後は子どもにお金を出さない」という教育方針だったので、家にお金を入れる必要こそないものの、通学費から教科書代、医療費から何から、すべて自分で稼がないといけない。授業とバイトで終わった4年間。学費がもったいないので、1授業あたりの費用対効果がよくなるよう、なるべく多くの授業を受講した。(私の大学での取得単位は253。通常の卒業必要単位124なので、4年間で2回卒業できるくらい授業を取った。)ちなみに失業していても前年度の収入で見られるから無利子は借りられなくて有利子でした。卒業してから返済が始まって、利子だけで何十万になると気付いてなるべく早く返済しようとしていたけど、私は大学卒業のあと貯めていたお金で専門学校にも行ったので、しばらくは最低額(1万数千円)の返済金額を毎月返していた。この本で、奨学金の返済猶予について、放送大学に入ったら学生猶予がきくというの、本当なのかな?私は専門学校の授業内容が「学生」と認められなくて猶予してもらえなかったんだけど…。今はもう全額返済したけど、あれがまだ続いていたらと思う。決まった仕事がなかったら、何十年も続く奨学金の返済が生活を圧迫していただろう。国公立大学だと学費が安く、免除になるケースも多い。天涯孤独で自分一人で大学に通っている子とか、社会人を経てお金を貯めて通っている子とか、働きながら通っている子とか、いろんな環境の子がいた。そんな子たちから見たら、私もまた親元でお金のかからない暮らしをしている、「甘やかされている」学生だったんだろう。私は、自分の子どもには大学卒業まで学費を出そうと思ってる。大学院までであっても、出そうと思ってる。そのためにお金を貯めて、投資もしてる。だって、その時の「時間」はお金では買えないものだから。社会人入学してきた人は、「お金がないから海外になんて行けない」と言う私に言った。親に借金してでもやったほうがいいよ。お金があるときには時間がない。時間があるときにはお金がない。お金の工面ができるなら、時間のある「今」それをやったほうがいい。このときは、もう二度と戻らないから。お金があるということは、余裕があること。それは、選択が出来るということ。選択の幅が広がるということだ。お金の使い所として、それは正しいことだと思う。そうしてお金があれば、「選べるようになれば」、はじめて自分で「選ぶ」ことが出来る。主人公のみづほは、ヴィトンの財布をハワイで買う。ずっと欲しかった憧れの財布。それを手放し、彼女は数年後には不動産投資の女社長として有名になる。最後に彼女はまた、財布と巡り合う。でもその時、彼女はその財布がどうしても欲しくなり、けれどふと我に返り自分にはもう必要ないのだと気付くのだ。ブランドにはその価値もあるけれど、一方で「名前」だけを、それを身に着けた自分のイメージだけを得ようとしているのであれば、意味がない。内実伴ってこそ、はじめて価値があるんだろう。そしてそのラッピングが自分に必要かも、お金があれば考えることが出来る。私もずーっとブランドものになんて縁がなくて、正社員で就職して初めてボーナスが出て、「ブランド物の財布とかバッグとかを買ったほうが良いんじゃないか?」と思った。雑誌でクロエのバッグを眺める日々。けどある程度して、「私らしくないな」と思ってやめた。買えるけど、別に欲しくない。それは私っぽくないから。私の財布は、2012年に買ったBECKERの極小三つ折り財布。2018.08.03「三つ折り極小財布」今でも、「私らしいなあ、好きだなあ」と思いながら毎日使っている。お金に振り回していた主人公たちは、お金に向き合い、学び、コントロールが出来るようになることで、自分の足で歩き始める。みづほが言う。お金により、誰かに自分の人生を左右されたくないのだと。お金は、選択肢。歩きたい方へ、歩いていける力。人生を制御し、進んでいける力。これまでの関連レビュー・三千円の使いかた [ 原田ひ香 ]・古本食堂 [ 原田ひ香 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.02.17
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本のタイトル・作者特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来 [ 南原 詠 ]本の目次・あらすじ特許権の侵害を申し立てることで賠償金を荒稼ぎする「パテント・トロール」をしていた大鳳未来。敵の手法を知り尽くした彼女が、今度は弁理士として特許専門の法律事務所を立ち上げた。彼女のもとへ緊迫した連絡を寄越してきたのは、VTuber事務所のエーテル・ライブ。唯一無二の稼ぎ手である天ノ川トリィの使うモーション映像技術が、特許権侵害を警告されたのだ。活動休止を宣告されたも同然の彼女を、大鳳は救うことが出来るのか!引用「私にプレイヤーとしての才は何一つありません。私が魅力的なパフォーマンスをしたり、使いやすい薄型テレビを自力で開発したり、特許を取得したり侵害したりすることは永遠にないでしょう」怪訝な表情をしているトリィを無視し、未来は続けた。「でも私には守る力がある」未来はトリィに向き直った。「特許で才能を守ることも、失うには惜しい才能を特許から守ることも、どちらも弁理士の仕事です」感想2023年029冊目★★★第20回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。私、てっきり『元彼の遺言状』(第19回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作)と同じ人が書いた本だと思っていたよ。違った。ということに、本の巻末の選考員評を読んで気付いた。遅い。二年連続で似たような作品を選んだんだなあ…。・元彼の遺言状 [ 新川帆立 ]・倒産続きの彼女 [ 新川帆立 ]↑は「新川帆立」さん。この作品は「南原詠」さん。南原詠(ナンバラエイ)1980年生まれ、東京都目黒区出身。東京工業大学大学院修士課程修了。元エンジニア。現在は企業内弁理士として勤務。第20回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』でデビュー著者も弁理士。というわけでリアリティは折り紙付きなのだろう。選考員は「法律用語が専門的で難しすぎる」というようなことを言っていたけど、私はそうは思わなかった。しかしまあ、私はまず弁理士っていう仕事があることを知らなかったよ。字面から「やけに口が立つ人なんかな、権利者の代弁者とかそういうイメージ?弁護士と何が違うの?」と思って、日本弁理士会のホームページを見てみたら、「弁理士は、産業財産権に関わるすべての手続を代理することができる国家資格保有者です。 」とのこと。弁護士が法律全般を扱う仕事であることに対し、知的財産に特化したのが弁理士。弁護士資格を持っていれば研修のみで弁理士登録が出来る。なるほど。となると、主人公の大鳳は弁護士資格は持っていなくて、弁理士資格だけなのかな?法律事務所の共同経営者は、弁護士なんだよね。内容は、売れっ子VTuberが、デビュー前にオークションで買ったモーション取得機器(これが土地調査のときに使用する機器として使われているものだった)の権利侵害を警告された、という今どきな内容。私はYoutubeをまず見ないので(エクササイズ動画はお気に入り登録したものだけをひたすら再生してる)、そこからさらにVtuberとかなってくるともう何がなんだかなんだけど、メタバースもどんどんこれから一般的になってくるだろうし、新しいアイドルはそんなふうになってくるのかな。二次元のアイドルであれば、私生活のスキャンダルはない。かりそめの存在、架空の誰か。それを生身の人間がキャラクターとして演じたらどうか。過去を持たない「その人」。きっとそれは商品として売りやすいだろうな。演者もプライベートが切り分けられて私生活が侵食されなくて良いだろう。なので、この作品に出てくる天ノ川トリィが、ほぼ生身の自分をそのままVTuberにしていることが私は不思議だった。面倒なことを避けるため、というようなことを言っていたけれど、いやもろに現実に存在している本人だから余計に面倒なのでは…?知的財産を巡る丁々発止のやりとり、駆け引き。(法的対応だったら「ごねる、潰す、仲良くする、諦める」の4つ。しかしそれ以外の手段なら無限にあるのだそうだ。)ドラマや映画にすると見栄えしそうな内容。本編の前に、薄型テレビのエピソードがあるのだけど、これもまた続きがありそうだなと思っていたら、続編が出ているのね。『ストロベリー戦争 弁理士・大鳳未来』。しかし今度はいちごの名前を巡る戦いのよう。続きも読んでみたい。以下蛇足。私はハードカバーの初版を読んだのだけど、170ページの「中途半端」が「中途半『場』」になっていて、そういう単語があるのか、そういう表記もあるのか調べてしまった。単純な著者の覚え間違いっぽいな…。受賞作品を書籍化するときに気づかんかったんか…。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.02.14
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本のタイトル・作者君といた日の続き [ 辻堂 ゆめ ]本の目次・あらすじ9ヶ月前に娘を病気で亡くし、妻と離婚した譲。ある日買いものに出た譲は、道端でうずくまる少女を助ける。彼女は、「ちぃ子」という名前以外、自分に関することを何一つ覚えていなかった。話をするうち、譲は彼女が過去から来たのだと気付く。昭和59年の小学四年生。娘が死んだのと同じ、十歳。そこから、かりそめの父と娘の夏休みが始まった。引用もっと一緒にいたかった、ともに未来を歩みたかった、と。きっとそれが、生きている者の役目であり、特権なのだ。この世を去った大切な人を想い、過去の記憶という再会の場を守り続ける。感想2023年027冊目★★★前に読んだ『二重らせんのスイッチ』が面白かったので、新しいのも読んでみた。うーん、私としては二重らせんのほうが好み。これは冒頭で「あ、これ『いま、会いにゆきます』じゃないかな」と勘づいてしまった。最後まで「その日、譲がしようとしていたこと」は分からなかったんだけど。いやあ、マスク常時つけていたから気づかなかったってのは無理があるのでは?飲食するときはずらしているわけだし、気付くだろうよ。1974年生まれで1984年に小学4年の子が、今(2020年)にやってくる。通行人はみなマスクをつけて、スマートフォンを持っている。ほかにも、当時と今を比べてちぃ子が驚くことがたくさん出てきて、この年代の人は「そうそう」と思えて楽しいんじゃないかな。マクドナルドのチキンナゲット発売、エアコンをちょっとした外出時にはつけっぱなしにすることへの驚き、服にはアップリケをするのでなく、安くで売っているものを買うこと。私はさらに10年くらいあとの世代なので記憶はあんまり重ならなかった。大きく変わっていないようでいて、私達の生活ってこの数十年で本当に変わったんだなあ。ちぃ子の目を通して見ると、私達は本当に何百年も先の未来みたいな生活をしている。インターネットで何でも調べられて、スマートフォンで何でも出来て。そして、ちぃ子が知らない大きな震災が何度かあって。コロナが全世界で流行って。近未来SFだって、こんなふうになるとは予想できなかっただろう。そして、未来を知ることが出来たならどうなるか。それが、「娘は病気で10歳で死んでしまう」と、生まれた時から知っていた妻・紗友里。ここらへん、CLAMPの漫画『CLOVER』に出てくる織葉を思い出した。自分が死ぬ日を知っている。それだけの特殊能力(魔法)。もし終わりがくることがわかっていたら、どうする?それでも大切な人をつくり、愛することが出来るだろうか?失うことがわかっているのに。その強さが、あるだろうか?彼女は娘が死ぬことを誰にも言わず、ただ娘の10年を精一杯に愛し抜こうと決意する。やってあげたいことをすべて、連れていってやりたいところすべて。そうして10年が経ち、娘は旅立つ。私なら、泣いてしまうだろうなと思った。毎日毎日、「ああ、この子は死んでしまうんだな」って可哀想で、そばにいるのも姿を目にするのも辛くて。自分ひとりがそんな大きな秘密を抱えていることだって耐えられない。夫に不審に思われても、相手にされなくても、告げてしまいそうな気がする。終りが見えていたのなら。自分に、相手に、たとえば死ぬ日までの残りが見えたら、どうだろう。もっと優しくすればよかった、もっと愛してあげればよかった、と悔やむのかな。これが最後だと知っていたのなら。譲は、娘・美玖(みく)の将来のためにと倹約した金を、すべて使ってやればよかったと悔やむ。好きな服を買ってやればよかった。あちこち連れ回すだけじゃなく、家でのんびりまったりする時間を作ってやればよかった。子どもが大きくなるにつれ、こういう後悔を私も抱えていくんだろうな。小さかったあの頃に、もっと抱っこしてあげればよかった―――。今、目の前にいて、「だっこしてだっこして」と泣き喚く子どもたちに。うんざりしていたことさえ、懐かしく、思うんだろう。これまでの関連レビュー・二重らせんのスイッチ [ 辻堂ゆめ ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.02.11
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本のタイトル・作者モノガタリは終わらない [ モノガタリプロジェクト ]本の目次・あらすじいい人の手に渡れ!(伊坂幸太郎)人間の友(三浦しをん)吉凶の行方(朝井リョウ)RPGノート(藤崎彩織)0.8(吉田修一)一人で二つ(絲山秋子)ボタンと使者(角田光代)珊瑚のリング(吉本ばなな)花魁櫛(筒井康隆)初恋の(川上未映子)消しゴム(岩井俊二)封印箪笥(綿矢りさ)バタクランを越えて(金原ひとみ)ブルース・フォー・ポーギー(西川美和)バイバイ(尾崎世界観)天井裏の時計(平野啓一郎)彼女の武装(江國香織)がらくた(太田光)誰がために、鈴は鳴る(水野良樹(清志まれ))内緒(恩田陸)ジョーンズさんのスカート(山田詠美)引用金曜の夜から実家の母親に子どもたちを預けて、そのあいだにいくつか仕事を片づけて、ひょっとしたら海外ドラマの一本でも観る時間がとれるかも。そんな期待はいつもどおり裏切られる。あっという間に時間はすぎる。名前のないものだけで埋められる。一日は、本当になぎ倒されるように、たったの一息で終わっていく。わたしは駅前で鯛焼きをお土産に何個か買って、子どもたちを迎えにいく。初恋の(川上未映子)感想2023年025冊目★★★21名の作家によるアンソロジー。三浦しをん、角田光代、伊坂幸太郎、江國香織、岩井俊二…と私が大好きな方がたくさんで嬉しい。朝井リョウさんは、前に『発注いただきました! 』を読んでから、「今回はどういう発注で、どういう感じで書いたのかな〜」と裏側を想像してしまう。豪華な執筆陣で、このコロナとウクライナの状況であっても、「物語の力」とか「文学の持つ影響力」「紙の本」は終わらない、という話を集めたのかと思ったら違った。やたらめったらネットオークションだとかネットフリマが出てくるなあと思っていたら、これお題が「捨てない」で、メルカリ公式Twitterにて2020年4月〜2022年5月で配信されたもの。あ、そっちの「モノ」ね…っていう。メルカリっぽいものがダイレクトに登場する話から、古いものを大事に使い続けている話、古いものが見つかってその来歴が明らかにされる話…と、「モノ」もさまざま。伊坂さんは相変わらず自分の得意なところへ引き込んでるなあ。私がいいなと思ったのは、0.8(吉田修一)のずっと1.2倍速度で生きてきたのを、0.8のペースで生きることに変えた。いろんな景色をもっとはっきり見るんだっていうのと、一人で二つ(絲山秋子)の「備えが充実すればするほど、人生が停滞していく気がする」というのがよかった。一昔前、ほんの十数年前までは、「中古品」っていうと抵抗があるというか、受け手(購入側)もなくて、新品ではない、誰かが使ったモノの流通って今ほど盛んじゃなかった。それが変わったのは、やっぱりメルカリの影響が大きいのかな?昔、ノルウェーの子が「服はまずセカンドハンドショップで探す」と言っていて驚いたけど、日本もそうなりつつあるような気がする。それは、スマートフォンの普及と、シェアリング・エコノミーとも無関係ではないよね。匿名発送なども日本の秘匿意識をよく汲んだサービスだと思う。かくいう私も、本やバッグ、靴、おもちゃ、文房具など色々メルカリで購入した。(出品は面倒なので、近所のリサイクルショップに二束三文で売ってしまう)誰かの不要が、捨てずに誰かの必要を満たすなら、これほど良いことはない。大量生産大量消費の時代の終焉が近い。ハンドメイドやオーダーメイド品も人気だ。中古もそうで、それは人が「モノ」を介した人とのつながりを求めているように感じる。物語性のあるモノ。「これはね、」と語れるモノが、これからは必要とされる。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.02.09
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本のタイトル・作者月の王 [ 馳 星周 ]本の目次・あらすじ皇室の血を引く一条侯爵。その令嬢が、留学していたパリで出会ったフランス男と駆け落ちした。相手のフランス人は、特務機関員。彼は金を工面するため、機関員の名簿を持ち出していた。名簿を手に入れるため、ドイツ、中国国民党、英米が待ち受ける。船の行き先は、上海。上海で特務をしている伊那は、天皇から直々に送り込まれてきた謎の男・大神と組むように言われるが―――。引用「わかるか?何百年もの間、おれはひとりでお前を待ち続けた。永劫にも思える時間だ。やっと見つけた。やっと出会えたんだ」感想2023年023冊目★★おもんなかったー。454ページもあるのにー。「いつかどこかでぐぐっと面白くなるのではないか?」と期待して読んだけど最後まで面白くならなかった。内容が陳腐。味方が強化されて敵になったり、元の敵が味方になるあたりとか、いやちょっと展開破綻してないか。ストーリー展開は、「中華系アクションムービー×日本古代ファンタジー」みたいな感じ。残虐シーン、暴力シーンもりだくさん。ハードボイルド。美人を取り揃えて、無敵の主人公に、同じく最強の敵…。よくあるB級アクション映画って感じ。辛辣でごめん。思わずネットレビュー確認しに行ってしまったよ。評価良かった。なんで。転生もの、私は大好物なんですよ?!『僕の地球を守って』やん?!でもこの本は萌えなかったなあ…。ヒロインが「お前人格あるんか」というか、流されてばかりでつまんない。養女の子のほうがよっぽどいいわ。ヒロインはただの記号と言うかお飾りの女というか、生まれ変わりってだけで「唯一の人」認定されるのどうかと思う。で、途中から「このヒロイン李麗雪が男だったらめっちゃ萌えるねんけどな」と脳内変換して読んでた。強気で強引な狼男×弱気儚げ転生者(前世は女)「雪子は、俺とまた添い遂げると誓った」「いや、俺、男だし…」「だからどうした?俺は、お前がお前であればいい」みたいな。いいね!!そんで吸血シーンもあるとなおいい!!いっそオメガバース要素入れていこうか!古代ファンタジー要素は、たつみや章『月神の統べる森で』を思い出しながら読んだ。たつみやさんの児童書、すごく良かった。『ぼくの・稲荷山戦記』大好きだった。また読みたい。で、私この作者さん初めて読んだのだけど、ほかの作品も読むか迷う。おんなじような話のテイストだったら、ちょっと無理だなあ。直木賞をとった『少年と犬』も読もうと思ってるんだけども…。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.02.07
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本のタイトル・作者あの子とQ [ 万城目 学 ]本の目次・あらすじ第1章 おとずれ第2章 あやまち第3章 おもわく第5章 とこやみ終章引用「きっと私、ものすごく緊張して、宮藤くんの前で、何も言えないと思う。だから、私が言いたいことをYou Tubeに動画でアップして、そのURLを宮藤くんに伝えるの」いや、ヨッちゃん、それは――。親友がいきなり何を言いだすのかと混乱していると、「大丈夫、限定公開モードだから。ちゃんと字幕もつけて、おもしろくしたから」感想2023年010冊目★★★嵐野弓子は、17歳の誕生日を前に、「Q」と出会う。という、お話。私はてっきりこれを万城目さんのエッセイだと思って読んで(なんで)、「え?小説?」ってなって、しかもそれが吸血鬼ものだったので驚いた。よく見たら、表紙が牙生えてるし、吸血鬼のマント着てた。そして「Q」だもんね。吸血鬼のQだよね。人の血を吸わなくても吸血鬼が生きていけるようになった現代。ただし、この先もずっと人間と共存していくために、吸血鬼は17歳の誕生日を迎える前の10日間、「Q」と呼ばれる存在に血の誘惑に打ち勝てるかを監視されることになる。吸血鬼ものとしては、私は『化物語』シリーズでもう最高のを読んだなと思っていたので、この本も面白かったんだけど、軍配は『化物語』にあがるかな。万城目さんの話って、型が決まっていて意外性がないってのもある。起承転結の話の進み方が決まってる。伊坂幸太郎式に「決まりました―!」という感じともまた違うんだよね。面白いんだけど。大好きなんだけど、万城目さん。Qの解放のところとか、うーんと唸っちゃった。まどマギみある…。この本で一番の魅力は、吸血鬼どうこうより、親友のヨッちゃん。いやもう最高よヨッちゃん。だって片思いの相手・宮藤くんに、You Tubeに限定モードでアップした動画で告白しようとするのよ。はじめに渡すのがお手紙じゃなくてQRコード!笑そして「OKなら高評価お願いします!」あるいは「チャンネル登録お願いします!」。ヨッちゃん…!こんな親友いたら最高だなあ。ヨッちゃん、緊張したときに手のひらに齋藤の「齋」書くのね。で、それも書きすぎて効き目が薄れてきたから今度は「顰蹙」って書いてるの。ヨッちゃん…!すき…!万城目さんは、『鹿男あをによし』『プリンセス・トヨトミ』がやっぱり好きだなあ。『鴨川ホルモー』『偉大なるしゅららぼん』よりはそっち系が好き。ほかにまだ読んでない作品もまだまだある。分厚いんだよね、『悟浄出立』とか…。また読もう。これまでの関連レビュー・ヒトコブラクダ層ぜっと(上) [ 万城目学 ]・ヒトコブラクダ層ぜっと(下) [ 万城目学 ]・万感のおもい [ 万城目学 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.01.23
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本のタイトル・作者春のこわいもの [ 川上 未映子 ]本の目次・あらすじ青かける青あなたの鼻がもう少し高ければ花瓶淋しくなったら電話をかけてブルー・インク娘について引用わたし自身から、少しまえまでわたしにあった、なんとかまっとうに生きていくための筋力が少しずつなくなっていっているような感じがします。でもそれは、誰かに奪われたとか、もともと与えられていなかったとかそういうんじゃなくて、ぜんぶ自分でやっていることのような気がするんです。病気になったのはわたしのせいじゃないんだけどね。でも、自分が自分に、なんだか毎日、取り返しのつかないことをしているような、そんな気持ちがします。感想2023年002冊目★★★タイトルから、怪談っぽいお話だと思っていたら違った。コロナとSNS(インターネット)を題材にした短編集。その人がその人であること、の輪郭をなぞるような物語たち。ある人が見ているその人の像は、きっとその人が見たい角度からの像なのだろうな。月の裏側にあるものを見ないまま。自分の中にあるちょっとした意地悪な気持ち。とてつもなく邪悪なわけではない。ただ、すこし、幸せになってほしくなかっただけ。それに力を貸したくなかっただけ。気づかないふりをして、見過ごした体で。あるいはときに積極的に足を引っ掛けるように。「娘について」で、昔の友人から電話がかかってきて、主人公はドキリとする。過去からの亡霊に、自分の中にある醜さを見せつけられるのではないかと。けれどこれも、自分の鏡を見ているだけ。相手を見ているわけではない。私も、娘にいつか同じように思うことがあるのかなあ。母もまた、私に思うことがあったのかな。この子は恵まれている。私が持てなかったものをたくさん与えられて。幸せになってほしい一方で、自分より幸せにならないことを願うような。後ろ暗い、仄暗い感情がないとは、言えないだろう。それが友であっても、同じで。化け物が暗闇から染み出してくるような、それ。こわいもの。一番怖いのは、自分の中にあるそれを直視することだと思う。自分が、とてもではないけれど、まっとうではないと認めること。外向きにいつも見せているほど、きれいな人間ではないこと。もちろん、まったくもって聖人君主ではないこと。いつもは隠して、蓋をしている感情。暗がり淵を覗き込んで。鏡のような黒い水面に映るものと、目があったら。それでもその先に、まだ透明の光を見られるかな。自分を、信じられるだろうか。これまでの関連レビュー・夏物語 [ 川上未映子 ] ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.01.05
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本のタイトル・作者宙ごはん [ 町田 そのこ ]本の目次・あらすじ宙(そら)には、おかあさんが二人いる。生みの母のカノさんと、育ての母のママだ。ママたちがシンガポールへ引っ越すことになり、宙はカノさんと暮らすことを選んだ。しかし画家のカノさんは、子育てにまったく不向きな女性で……。引用『野放図に枝葉広げて気持ちよく咲くのは楽に見えるかもしれないけどさ、大きくなってくるとなかなか大変なんだよ。枝が重くて折れちゃうこともあるし、栄養が足りなくなって枯れちゃうかもしれない。自分を守るために自分自身を剪定しなきゃいけないときって、あんのよ。でもそれは自分の芯、幹を守るためだから、幹は絶対失われないのよ。だから、大丈夫よ』感想2023年001冊目★★★面白かった。美味しいごはんが出てきて、傷ついた人が癒えて治っていく話が好きなので、好みの感じだった。でもなんか、ちょっときれいでよくでき過ぎた物語だなあという感じ。花野さんの成長も著しく、宙はいい子だし、作品としてドラマや映画にしやすそうだなと思っちゃった。・そして、バトンは渡された [ 瀬尾まいこ ]・掬えば手には [ 瀬尾まいこ ]が好きな人は好きな感じだと思う。でも私、読んでいて思ったんだよね。「おいしい」って、ある種の「正義」なんだろうなと。可愛いが正義であるように。その弱さが守られるべきと庇護を求めるように。ごはんを作る。食べさせる。それは、どうしようもなく一義的で一方的な暴力なんだろう。この本では、「おいしいものを食べさせること」が正義。最後の章では(やっさぁぁぁぁぁぁぁん!!)、それが引き継がれていく。でもそれ、問答無用で頬をひっぱたくくらいの力があると思うんだ。差し出された手は、取られて。美味しいものは、誰かを救う。それはおとぎ話に過ぎないんだろう。そこらへんを暴いたのが、先月読んだ・おいしいごはんが食べられますように [ 高瀬隼子 ]・川のほとりに立つ者は [ 寺地はるな ]の2つの物語。だからこそ、この本たちのあとだから、『宙ごはん』が嘘くさく見えたのかな。だって、どうしようもない人のことは、助けない。助けられないと見限っている。そのうえで、恢復しそうなひとだけが救われる物語。おいしいごはんを、「あなたのため」と作ってもらう。それを受け取る。癒やされて、救われる。そうあるように求められている。その文脈に乗るように。拒否したらどうなるのかな。私は、摂食障害のことを考える。それは愛情の拒絶だと、むかし読んだ。私は、あなたの作った料理を食べない。一方的な「あなたのため」を受け取らない。治ってやらない。食事は、双方向のコミュニケーションでもある。作る人と、食べる人。意思疎通の断絶。最終章で、加害者が被害者に謝罪をすることは「赦されること」の強要だとあった。この本のテーマも、同じなんじゃないかな。食べさせることは、「生きさせること」の強要ではないのかな。それでも私が「食べること」の物語が好きなのは、生きることと食べることが分かちがたく繋がっているから。食え。生きろ。戦え。目を背けるな。食え。食って、生きてくれ。力をつけて、生き延びてくれ。願うように作る。祈るように食わせる。それが暴力でも、一方的でも。それが相手の血肉になり、力となる。それを信じる。「アンパンマン」の正義は、食べ物を分け与えること。空腹であることは、悪である。映画「サマーウォーズ」で、おばあちゃんは言う。「一番いけないのは、おなかが空いていることと、1人でいることだから」誰かが自分のために、作ってくれる。あなたのために祈る。元気が出ますように。すこやかであるように。生きていけますように。料理が作れるというのは、その力を身につけるということなんだろう。宙は、ごはんを作ってもらう。そうして料理を習い、作ってあげるようになる。その力は、誰かを生かす。これまでの関連レビュー・夜空に泳ぐチョコレートグラミー [ 町田そのこ ]・ぎょらん [ 町田そのこ ]・うつくしが丘の不幸の家 [ 町田そのこ ]・コンビニ兄弟 テンダネス門司港こがね村店 [ 町田そのこ ]・星を掬う [ 町田そのこ ]・コンビニ兄弟2 テンダネス門司港こがね村店 [ 町田そのこ ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.01.04
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本のタイトル・作者川のほとりに立つ者は [ 寺地はるな ]本の目次・あらすじ原田清瀬は、カフェの雇われ店長をしている。新型コロナの対応でてんてこ舞いの日々。使えない店員。恋人の松木とは、些細なことをきっかけにほぼ連絡をとっていない。そんなある日、清瀬の携帯が鳴る。松木が、幼馴染と揉み合って階段から落下し、2人は意識不明であるという。優しい松木。字が綺麗な松木。そんな彼を、連絡をした母親は乱暴な子だと電話を切った。松木の部屋には、ホワイトボードと手紙の下書き。拙い字で書かれたそれらは、「菅井天音」という人物にあてられたものだった。清瀬は、松木のことを何も知らなかったのかもしれないと思う。眠り続ける松木のことを。引用勇気を出して差し伸べた手を振り払われた瞬間の痛いほどの恥ずかしさ、いたたまれなさ。天音さんに出会って、清瀬は嫌というほどそれを思い知った。でも実際のところ誰の手を選ぶかも手を取るタイミングも、その人自身が決めることなのだ。「せっかく助けてやっているのに」と相手の態度を非難することは、最初から手を差し出さないことよりも、ずっと卑しい。天音さんは清瀬の伸べた手を振り払った。今はその事実のまま抱えていようと決めた。事実の重さに両腕が軋み、激しい痛みに襲われても、今はそのまま。清瀬はせめて願う。天音さんがこれから迎える明日が、よい日であり続けますように。あなたがわたしを嫌いでもいい。それでもわたしはあなたの明日がよい日でありますようにと願っている。感想2022年327冊目★★★寺地さんが書きたいことは、誰かが見落として、見ないようにしていることなのだろうな。それをテーマを変えて何度も描いていらっしゃる。今回はちょっとミステリ仕立てなのが新しかった。しかし、タイトルの『川のほとりに立つ者は』っていうのが、作中作の『夜の底の川』ともシンクロしているのだけど、傍から見ている人は川底に沈む石の色形を知らない、という意味。読み終わっても「このタイトルっていうのはしっくり来ないなあ、『明日がよい日でありますように』のほうがいいなあ」と思っていたんだけど、「小説推理」に掲載されていた時はまさに「明日がよい日でありますように」というタイトルだったんですね。前の方が良かった。清瀬は、強い女性。強いからこそ、彼女は気づかない。自分の正しさから外れたものが見えていない。清瀬の彼氏・松木は、それが見える。零れたものを。溢れたものを。合わないものを。松木の幼馴染・いっちゃんは、それを行動に移せる。助けるために手を伸ばす。でもその優しさを利用する人もいる。いっちゃんの恋人?である「まお」。実家を出て、男のもとを転々としてきたまお。彼女は、松木がいっちゃんを殴って突き落としたのだと言う。人は見たいものしか見ず、また見ることが出来ない。松木の母が、自分の息子を乱暴者だと断定したように。いっちゃんのお母さんが、自分の息子を勉強が出来ないと決めつけたように。清瀬の母は、かつて清瀬に「しんどい時は泣きなさい。でも泣いたぶんごはんを食べなさい」と言った。だから清瀬は食べる。松木の意識が戻らなくても、食べて力をつける。まおは、それを信じられないと眉を顰める。これも同じだろう。自分の中の基準から外れたものを、受け容れない。強くあろうとする清瀬。強くあれる清瀬。それを、まおは「ただ運が良かっただけ」だと言う。本当に、そう思う。ただの巡り合わせ。ただの運。それを正邪や善悪にすると、自己責任だと押しつけると、どうなるか。読書家の清瀬は、これまでたくさんの物語を読んで来た。分かりあえない者たちが最後には分かりあう物語。救う者と、救われる者の物語。そうあるべきとされる「正しい」お話。強者は、正しさの剣を振りかざす。鎖に繋がれ這いつくばるその喉元に突き付けて。清瀬が、まおと「友達になれたのではないか」「友達になりたい」と思ったのを、私は素直に気持ち悪いと感じた。だってそれ、ものすんごい暴力じゃないか。膝を折れ。跪け。お前に手を差し伸べてやる。この手を取れ。可哀想なお前。この慈悲を感涙むせび泣いて受け取れ。平身低頭して感謝しろ。まおは、それを拒絶するのだ。そして清瀬は初めて、自らの罪に気付く。清瀬が本当に強いのは、その時にまおを憎まずに、ただ離れたところから願うことだ。それでもあなたの明日がよい日であるように。これから先のあなたの明日が、よい日であり続けるように。私ならめちゃくちゃ相手が不幸であることを願っちゃうよ(笑)―――人は、ひとりで勝手に助かるだけだよ。私は折に触れて、西尾維新の『化物語』で忍野メメが言った言葉を思い出す。それでも、それでもだ。どこかで誰かが、明日の幸せを祈ってくれていたならば、何かが変わるのじゃないかと思う。関係ないのだと切り捨てることもなく、見たいものを見るだけで断ずるのでもなく、その先にあるものに思いを馳せることが出来るだろうか。そのうえで、その人の幸せを祈ることなんて、とても難しいけど。そういう自分になりたい、そういう自分でありたい、と清瀬は言う。これまでの関連レビュー・水を縫う [ 寺地はるな ]・タイムマシンに乗れないぼくたち [ 寺地はるな ]・カレーの時間 [ 寺地はるな ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.12.18
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本のタイトル・作者おいしいごはんが食べられますように [ 高瀬 隼子 ]本の目次・あらすじ二谷は、食事にこだわりがない。うまいものを食べるためにわざわざ遠くまで出かけるなんて馬鹿みたいだし、身体のためにと残業して22時から夕食を作るなんて頭がおかしいと思っている。カップ麺でいいのだ。1日1粒で完全に栄養とカロリーが摂取できるなら、それで済ませるだろう。そうしたら、食事はただの嗜好品になるはずだ。二谷が付き合っている職場の同僚・芦川さんは、いつも誰かに守られている。出来ないことで。それを見せつけることで。彼女は残業をすると体調を崩して仕事を休む。そして彼女は、お詫びにと手作りのケーキを持参する。二谷の家にやってきて、1口コンロで器用に食事を作る。1時間もかけて、15分で食べるものを。ある日、二谷の後輩の押尾は言う。「わたし芦川さんのこと苦手なんですよね」――― 二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか。引用「できない人がいて、でも誰かがしなきゃ会社はまわらないし。そしたらできる人がするし、できる人ばっかりがする。そういう人は出世するだろうけど、別に仕事ができるからって出世したいとも限らないんだよなあ。できるからしてるだけっていうか。おれの同期がさ、もう二人とも休職経験してて。それで復職したら案の定、総合事務部所属だろ」と、社内で一番残業が少なく、心身に不調をきたした人の異動先になりやすい部署の名前を挙げる。「毎日定時で帰れて、でも、おれらと同じ額のボーナスはもらえる。出世はないけど、あのままのらりくらり定年まで働けるなら、それって一番いい。一番、最強じゃん。」最強の働き方。わたしはつぶやく。感想2022年325冊目★★★第167回芥川賞受賞作。タイトルから、それぞれ色んな事情や日々の鬱憤やあれやこれやを抱えた人たちが、夜中に一人でミルクパンでココア作ったりして、自分のためにフレンチトースト焼いたりして、「よし、明日からまた、頑張ろう」ってちょっと前向きになれる話だと思ってたんですよ。違ったー!!なんかね、大人って道端で転んでも、泣かないじゃないですか。アスファルトのところで派手にスッ転んで、膝擦りむいて血がダラダラ流れてて、それでも起き上がって「だいじょうぶだいじょうぶ」って言うじゃないですか。ちっさいアスファルトの欠片とか膝に刺さってるのを抜きながら。みんなたぶんそうして生きてて、そうやって「なんでもないふり」をして、やり過ごして、こなしている。でもこの小説は、その傷に指突っ込んで生傷をグリグリするみたいな感じだった。私は、その昔、ひどく意地悪な気分になる時、職場のごたごたした内面のドロドロを吐き出して傷を抉るような話を読みたいとき、津村記久子さんをよく読んでいたのだけど、この本もそういう系統。芦川さんみたいな人って、たぶん、どこにでもいる。自分が女であること、弱い者であることで、ゆるしてもらおうとする人。できないことを武器にする人。みんなそれを指摘できない。それをわかっていて、知っていて、振りかざす暴力。芦川さんはよく頭痛で早退したり休んだりする。それが、後輩の押尾は納得いかない。体調が悪いのは分かる。でも私だって片頭痛持ちで、薬を飲みながら働いている。私はこれ、生理休暇のことを思った。生理は辛い。分かる。生理の重さは人それぞれだけど、「辛い」と休む人がいるのは仕方ないだろうと思うし、さぞ大変だろうと理解も出来る。でもなんというか、会社で生理休暇を取得している人って、だいたい「年度内の有給休暇を完全に使いきる人たち」なのだ。辛いから。しんどいから。権利だから。反論できないけれど、モヤモヤは残る。私だってしんどい。腰とお腹を温めて、重ね着して、痛み止めを飲んで、それでも顔面蒼白でフラフラになりながら出勤している時。何だかなあ、と思うのだ。子の看護休暇もそうで、年度内の看護休暇と有休をきっちり完全消化している人を見ると、「なんだかなあ」と思ってしまう。それって、そういう趣旨の制度じゃないと思うのだけど…。コロナのワクチン接種も、毎回ワクチン接種の後に熱を出して休む人がいるのだけれど、うちの会社は「ワクチン接種当日~接種後の発熱で2日」までが特別休暇なので、有休が減らない。だからなのか、毎回水曜日に打ちに行く人がいる。なんでやねん、お前、木金も休む気まんまんやんけ…。って思っちゃう。でも、うん。傍から見ていて、分からないだけってのもあるんだと思う。その人にはその人の事情があるのかもしれない。でもそれって、その人が話してくれないと分からない。あるいは本当に、故意なのかもしれない。ほら、そういう穿った見方をするようになっちゃう。この小説は、二谷さんと押尾さんの視点から語られるけど、芦川さんから見た世界はない。芦川さん、ちょっと辻村深月『傲慢と善良』の人みたいでもあるなと思った。彼女から見ている世界は、それはそれでたぶん理由と整合性があるんだろう。昔、仕事の出来る先輩が、体調不良で遅刻や急な欠勤を繰り返していた。それを見ていた別の先輩が、「あの子は期待されたくないんだろうね」と言ったのをよく覚えている。期待されて、出来ると思われて仕事を任されるのが嫌だから。自分への期待値を下げるために、ああいうことを繰り返しているんだろうね。ほら、みんなが思ってくれる。「あの子には大事な仕事を任せられない」って。だって急に休むから。当時新入社員だった私はそれがとてもショックだった。いったい何が彼女をそうさせてしまったんだろうと、思った。ずるい人。できない人。年数を経て、組織には一定、そういう人がいることが分かって来て。でもたいていの人は、極端にそちらに振り切れずに、自分の役割を果たしている。そのパーセンテージを、どこに置くか何だろう。真面目に働いている人がほとんどだと思うもん。ゆるく、低く、力を入れず。それが「最強の働き方」なのか?私にはとても、そうは思えない。―――おいしいごはんが食べられますように。この小説を読み終わった後でこのタイトルを見ると、それはまるで何かの呪いみたいに思えた。それかとてつもない皮肉のように。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.12.16
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本のタイトル・作者吼えろ道真 大宰府の詩 (集英社文庫(日本) 泣くな道真 大宰府の詩) [ 澤田 瞳子 ]本の目次・あらすじ先の右大臣として栄達を極めた菅原道真が大宰府に送られ、はや五ヶ月。失意に沈んでいるかに思われた太宰権師は、菅三道と身分を偽り、唐物の目利きとして博多津の唐物商店で何やかんやこの状況を楽しんでいる様子。そんな折、朝廷から齎された延喜改元の詔。そこに書かれていた「鯨鯢(げいげい)恩徳に叛(そむ)きて政を喰らわんと欲し」の文言に道真はブチギレ。詔をビリビリに破いてしまった!さらに朝廷に献上される唐物の質が悪いと、都から内偵がやってきて―――。引用「人はな、畢竟、他者を救うことも助けることもできはせぬ。人を救うのはただ一つ、己自身のみじゃ。もしかしたらおぬしはこれまで、自分は葛絃に助けられ、守られてきたと考えているのかもしれん。されどそんな時も真実、自らを支えてきたのは実はおぬし自身だったはずじゃ」感想2022年324冊目★★★・星落ちて、なお [ 澤田瞳子 ]・恋ふらむ鳥は [ 澤田瞳子 ]の澤田さんの文庫新刊~!と思って読んだら、続編でした。『泣くな道真』が前作。でも、作中で丁寧にこれまでのあらすじを追ってくれるので、概略はつかめるし、特に気にせずに続きからでも読めました。道真を第三者視点(28歳の政所長官、大宰少弐である小野葛根)で読む。この人が大宰大弐である叔父・葛絃第一!の無骨馬鹿で、でも根は正直で、その心の揺れや成長も楽しめた。菅原道真、もっとお堅いイメージを持っていたから、この小説のある意味「外れた」洒脱な存在として描かれている(図抜けた頭脳と才能と、人好きだけど偏屈なオッサン)ところが素敵でした。一気に道真好きになっちゃった。シャーロック・ホームズみたいな感じ。道真は、流されてきた大宰府で目利きとして嬉々として唐物の鑑定をする。彼は言う。「知識や学んだことは、たとえどんな境涯にあったとて、誰にも奪われぬ自分だけのものじゃ」。これ、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の虚無さんが言っていた「そなたが鍛錬し培い、身につけたものはそなたのもの。一生の宝となるもの。されどその宝は、分かち与えるほどに、輝きが増すものと心得よ」を思い出した。しかしまあ、この小説、とにかく語彙が難しかった。文庫本で軽いテイストの歴史小説なのに、しれっと出てくるあれやこれやが知らない言葉ばかり。自らの不明を恥じる。以下はコトバンクより。櫛比(しっぴ)…くしの歯のように、すきまなく並ぶこと。股肱の臣(ここうのしん)…手足となって働く部下。補佐役として、最も頼りになる家来や部下のこと。淋漓(りんり)…勢いなどが表面にあふれ出るさま。「墨痕淋漓」繧繝(うんげん)…同じ色を濃から淡へ、淡から濃へと層をなすように繰り返す彩色法。浮線綾(ふせんりょう)…文様を浮き織りにした綾織物。蕪雑(ぶざつ)…物事が雑然としていて整っていないこと。衆庶(しゅうしょ)…大勢の、一般の人々。庶民。大衆。瑕瑾(かきん)…きず。特に、全体としてすぐれている中にあって惜しむべき小さな傷。また、短所。欠点。鳩首(きゅうしゅ)…人々が集まって額を付け合うようにして、相談をすること。多く「鳩首密議」「鳩首協議」などのように下に語を伴って用いられる。蔬菜(そさい)…あおもの。野菜。挙措(きょそ)…たちいふるまい。謫所(たくしょ)…流罪になって流されている所。配流されている所。配所。指呼(しこ)…呼べば声が届いて答えられるほどの近い距離。指顧。官衙(かんが)…役所。官庁。官廨(かんかい)。倉廩(そうりん)… (「倉」は穀ぐら、「廩」は米ぐらの意) 米や穀物類を納めておく倉。こめぐら。くら。檻輿(かんよ)※weblio辞書…罪人護送用の輿このほか、コトバンクにはなかったが「天下無双、興味優遠の詩文をよくする才人」という使い方も「興味優遠」は見たことがない字面だなあと眺めた。漢字の組み合わせだと、読めなくても、意味をしらなくても、大意は伝わる。和語と漢語の違い。これ、英語だと接頭語や接尾語などと同じなんだろう。なんというか、単純にすごいことだよなと思う。その言葉の広がりに。そして思う。私が日常使っている言葉は、本当に限られている。よく「英語は何語で喋れます!」という惹句を帯にいただく書籍があるけれど、それはそういうことなんだろう。けれどそこから外れたら、もっと広い、深い世界が広がっている。だから、「何語で喋れる」の狭く小さな世界は、寂しいなと思うのだ。私はその先を、向こうを見たいのだ。見て、噛んで、小石のようなその違和感を飲み込んで。自分の血肉になれば良いのになあ、といつも思う。私がこの言葉を内側からつかえればよいのに、と。見たことがない言葉を、字面を目にするたび。ああ、この言葉が、自分の言葉となればよいのに。私の辞書にある語彙になればいいのに。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.12.15
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本のタイトル・作者新! 店長がバカすぎて [ 早見 和真 ]本の目次・あらすじ新型コロナの影響を受け、武蔵野書店吉祥寺本店は巣ごもり需要でかえって忙しさを増していた。そんな折、店員たちのストレスが爆発。張り詰めていた糸が切れたように、小柳店長は結婚を機に職を辞することになった。そして、三年ぶりに山本店長が戻って来た!引用「私はそのどっちもの手を引き上げる方法はあると思っているし、両方を放す選択肢だってあると思っている。肝心なのは、何をどう選択したところで、あんたのその後の人生は続いていくっていうことだよ。そこで何も終わらないし、意外と何も始まらない。何を選び取ろうが、取るまいが、苦しさは少し姿を変えるだけで三十五歳のあんたにきちんと降りかかってくる。結局、何も閉じたりしない」感想2022年322冊目★★★へいへいみんな!あの名物店長が帰って来たよ!というわけで、・店長がバカすぎて [ 早見和真 ](2021年5月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)の続編です。前作で「えっもしかして店長って実は…?」と思った皆さん!安心してください!安定のイラッと感は健在です!でも本当はこの人、どうなんだろう?というのが最後まで続編でも分からなかった。(というか謎が増えた)新キャラの不思議キャラなアルバイト・山本さん、社長のジュニア・専務(あだなは「六本木」)も登場。今回は、働き方や女性であること、結婚について主人公が悩んでいて、ここらへん・わたし、定時で帰ります。 [ 朱野帰子 ]・わたし、定時で帰ります。 ハイパー [ 朱野帰子 ]を思い出した。本のつくりが、作中作『ステイフーリッシュ・ビッグパイン』と同じ(第五話で転換する)という構成も面白かった。そもそも『店長がバカすぎて』が作中作という設定だから、マス視点が交差して時々混乱する。これ、連続ドラマにしてほしいなあ。主人公の谷原に「本を『商品』ではなく『作品』と呼ぶ書店員でいよう」と言っていた憧れの小柳さんが、忙殺されるなかで、本を商品と呼んだこと。売り物という目でしか、本を見ることが出来なくなっていく。第五章で、作家は年に1、2冊しか書けない、編集者であれば年に10冊20冊と世の中に送り出せると言っていた。そして書店員は、最後の読者と作者の架け橋となる。コロナは、物語を凌駕した。私たちは想像もしなかったSFの世界へ突如として放り込まれた。そのなかで多くの作家は、物語を模索した。物語を超えた日常で、それでも物語は必要とされるのか。何を語ればいいのかと。暇が出来て、人は本を求めた。一方で、すべて絵空事だと、本を読めなくなった人もいた。震災が起こったあともそうだ。物語ることの無力さ。それでもなお、物語ること。作中で登場する作家の石野さんは、やるべきことをやるのだという。無力でも、正解じゃなくても、目の前のことをやる。今だからこそ必要な希望の物語を、がむしゃらに、書く。新海誠監督が、「すずめの戸締まり」のインタビューで、物語の必要性について語っていた。(2022年12月12日(月) “物語”にできることを探して 新海誠監督と東日本大震災)人知を超える大災害が起きて、エンターテイメントなんて何の役に立つんだと謗られて。でもだから、「エンターテイメントに出来ること」をやるんだ、と。その経験をした人と、しなかった人。それを、よい物語を描けば、「経験をした人」を経験することが出来るんじゃないか。そこに物語の力を見るのだと。経験の追体験。共感。他者の靴を履く。それがまるで、自分のことのように感じられる。それは、物語にしかない力。どんな本も、読まれなければ意味がない。書くだけでは、届かない。―――インターネットの海にのまれた物語たち。作家と読者の間に無数の中継者を経て、ようやくそれは手元に届く。本なんて誰が買うんですか?本屋なんて、これからなくなっていくばかりですよ。アルバイトの面接で、谷本はある応募者からそう言われる。そんな時、応募してきた山本さんは言うのだ。私は、本屋さんのある街に住みたい。世界が幾つもある、逃げ場所がある。毎日行ける本屋さんがそばにある環境。うん。私もそう思う。正しく力を持つそれを、正しく届けられる場所が必要だ。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.12.13
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本のタイトル・作者小説 すずめの戸締まり (角川文庫) [ 新海 誠 ]本の目次・あらすじシングルマザーだった母を4歳で亡くし、九州の叔母に引き取られ、港町に暮らす17歳のすずめ(鈴芽)。ある朝、すずめは学校に向かう途中で、廃墟を探す美青年に道を尋ねられる。扉を探しているという彼を探し、廃墟へ足を踏み入れるすずめ。そこにあった扉を開き、すずめは「要石」を解放してしまう。扉から溢れるミミズ―――暴れる大地。緊急地震速報が鳴り響く。扉を閉じる「閉じ師」の青年・草太は、要石に呪いをかけられ、すずめの子供椅子に宿る。猫のかたちをとった要石を追い、すずめと椅子は四国へ、神戸へ、東北へ―――。引用そうなんだ、と私は思った。食べていけない。生活をしていけない。言われてみればそうかもしれない。戸締まりをしたって、誰かがお金をくれるわけじゃない。でも、と私は思った。「…でも、大事な仕事なのに」「大事な仕事は、人から見えない方がいいんだ」感想2022年319冊目★★★新海誠監督の最新作映画。劇場に見に行くか迷っていて、先に小説を読んでみた。というわけで、ネタバレ注意。「あとがき」でご本人も書かれているけれど、この作品のテーマは東日本大震災。日本という土地が抱える震災を「土地の記憶」として、それを抑えるのもまた「人の思い」だとする。新海さんがずーっと抱えていて、それをどう表現すればいいのか、自分の中にあの時からずっと凝っているものをかたちにした感じがした。最後に、「おかえり」って言うんですよ。すずめが、青年に。おかえり。あの日みんなが言えなかった言葉を。ここ、涙が出た。ああそうだ。たくさんの「いってきます」と「いってらっしゃい」があった。けど、たくさん言えなかった「おかえり」があったんだ。消えてしまった言葉。もう戻らない言葉。すずめと青年は、その土地に溢れていた言葉を想像する。残されて、失われた言葉を語り継ぐ者。そうして扉に鍵をさす。固定し、治め、閉じる。新海誠監督の作品は、「ほしのこえ」から見ている。「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」を見て、「星を追う子ども」と「言の葉の庭」はちょっと好みと違うなと思って見てない。「君の名は。」「天気の子」は見た。(RADWIMPSも高校生の頃から大好きなバンドなので、「もうこれラッドのMVやん…」と圧倒的映像美とシンクロした歌に劇場で酔いしれた)で、今回も話の感じは、「君の名は。」と「天気の子」みたいな定型がベースで、×東日本大震災というテーマという印象。いろいろ登場人物が都合よい「キャラクター」化しているなあとも思う。震災=ミミズについては、私は万城目学の『偉大なる、しゅららぼん』を思い出した。SNSの使い方(そんなすぐにハッシュタグで拡散するもんやねんなー)、グーグルマップで自分の移動距離を見たり、着の身着のままで飛び出してきて電子マネーで支払いしたり、その履歴から行動場所がばれたり、LINEの既読スルーとかスタンプとか、いかにも今時の物語という感じ。これ、あと十年、いや数年たったら「うわあ、懐かしい」と思うテクノロジーなのかもな。ご本人も書いてらっしゃるけど、「ぐるぐると同じようなことを考えながら、あまり代わり映えのしない話を(代わり映えさせようと努力はしているんですが)今度こそもうすこし上手く語ろうと」作り続けているのだそうだ。ワン・イシューでもいいよね。これがきっと、その人の核で、逃れようとしても逃れられない主題なんだろうな。あちらがわと、こちらがわ。その境界線を超えていく。ふたつの世界は溶けあう。以前の作品は、ふたつの世界は一度は交わるけれど、どうしても混ざり合うことはなく、永遠に平行線で終わるものが多かった。「すずめの戸締まり」でも「君の名は。」でも二人は再会するし、「天気の子。」では世界より彼女を選んだ。監督のなかでも、何かが変わっているんだろうな。(まあそのほうが、世の中的に受け入れられやすいとのもあるんだろうが。人はハッピーエンドが好きだ)すずめが、新神戸から東京へ向かう新幹線の車窓から、そこで営まれている生活のなかに自分はいないのだ、と気付くシーンがある。ちっぽけな自分が関わることの出来る世界の小ささと、それとは無関係に進んでいく世界。その驚きと寂しさ。さらっと書いてあるこのシーンが、私は好き。自分の認知できる、関知できる世界の狭さ。自分もまたその風景の一部にしか過ぎないのだという気づき。世界と時間が、圧倒的な大きさと広さを持って感じられる。でも同時に、それに安堵する。胸を掻きむしりたくなるような悲しさと愛しさ。世界は続いていく。私がいても、いなくても。目に見えるかたちのもの。目に見えないかたちのもの。うしなわれたもの。そこなわれたもの。もどらないもの。うみだされたもの。つくられたもの。そだつもの。抗えないその力のなかで、生まれ、生きる。―――「すずめはこの先、ちゃんと大きくなるの」。尾崎かおりの漫画『メテオ・メトセラ』で、孤児たちを育てていたシャレムは、自分たちを崇拝し敬慕する彼らに、死の間際「みんな、生きて、大人になること。」を約束させる。残酷なその言葉が、彼らを世界に繋ぎ止める。たくさんの言えなかった言葉を抱えて、いつかその言葉を返すために。これまでの関連レビュー・小説 天気の子 [ 新海誠 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.12.10
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本のタイトル・作者N/A [ 年森 瑛 ]本の目次・あらすじ13歳の時、低体重が月経を止めるのだと知った。その日から、松井まどかは炭水化物を抜き、食事制限をするようになった。生理が来ないように。高校2年生になったまどかは、女子高の王子様的存在だ。今は、教育実習に来ていた女子大生の「うみちゃん」と付き合っている。小学6年生で付き合った男の子は、かけがえのない他人同士にはなれなかった。うみちゃんもまた、なれないだろう。記号に当てはめられ、わたしの身体は、わたしのものから離れていく。共通の型にはまった言葉は、空疎に消費されるだけ。引用ホットケーキを食べたりおてがみを送ったりするような普遍的なことをしていても世界がきらめいて見えるような、他の人では代替不可能な関係のことを、かけがえのない他人同士と名付けていた。ぐりとぐら、がまくんとかえるくんのような二人組に憧れていた。子どもじみた言い方をすると『最強の友だち』だったが、それは友だちの延長線上にあるようで、ないような気もした。感想2022年315冊目★★★★第127回文學界新人賞受賞作。タイトルは、「エヌエー」と読む。著者は、1994年生まれの「年森瑛(としもり あきら)」さん。選考会では、異例の満場一致だったそうな。瑞々しい、というか、いまどきの、というか、そういう空気感。・推し、燃ゆ [ 宇佐見りん ]が好みな人はこれも好きだと思う。特に女子高生の会話がリアルで、SNSなんかもそう。まどかは、自分の身体性を取り戻すために拒食し、生理を止める。女であるという記号で見られることを拒否する。誰かを何かの枠にあてはめると、安心する。そこに言葉があるから。これまでなかった言葉が現れ、それを付与され。そして?この間、私は仕事の時に「ノマさんって男気溢れる性格で中身はオッサンですよね」と年上の男性から言われたんですよ。で、「そうですか~?」と笑って流していたんですが、その後に「外見は女の人で可愛い感じなのに、性的自認は男の人なんですか?性的嗜好は女の人ですか?」って訊かれたんですよね。びっくりしたわ。いやもうどこから突っ込んでいいか分からんかった。その人ね、私が結婚して子供いること知ってるんですよ。つまり社会的にはヘテロセクシャルであることを知って、言ってるわけ。相手の人はその後LGBTがどうこう言ってたんですが、この人はそれ(性的自認や性的嗜好)を訊くこと自体が「自分は理解がある」ということだと思ってるんですよ。たぶん。うへえ。…うへえ!!!新しい言葉を与えたら、途端にそれを手に振りかざしてくる奴がいるんだ。理解できなかったものに「理解できる」枠を与えてもらったから、そこにぎゅうぎゅうに押し込めてこようとするんだ。これは…さぞ、生きにくかろうな。まあ、私は性的嗜好が異性のみかというと、「同性は好きになったことが今のところないので、わからない」でしかないんですが。でもみんなそうじゃないのか?「好き」って人間と人間の間に芽生える感情であって、性別と性別の間に芽生えるものではないのでは?というかそもそも全人類が恋愛して結婚するというのが幻想だしな。この作品は、この「同じ言葉を話しているのに永遠に伝わらない、どうしようもないかんじ」の堂々巡りの閉塞感、諦めるしかないやるせない空気感を、重苦しい皮膚感覚として描いている。それは単純にすごいなと思えるのだけど、自分としては「それでもやっぱり、なんかしっくりこない」という感じ。これが年を取ったと言うことなのだろうか?分からない「もやもや」に形を与えたい自分がいる。それを名付けたい私が。だから、最後に血が流れて、着地して収束する物語に安堵した。表紙のピンク色の風船みたいなのは、子宮であり血液。人型をした「かけがえのない他人」。まどかはこれから、どうするんだろう。タイトルの「N/A」というのは、英略語でNot Applicable(該当なし)Not Available(利用不可)のことなのだそうだ。たぶんこれは、この物語としてはどちらの意味でもあるのだろうな。その存在に該当する言葉はなく、その感情を表現する言葉はなく。新しく与えられた言葉は遥かに乖離して、無意識に使われる言葉は彼女を閉じ込めようとする。どんな言葉も、利用不可なのだろう。だとしたら、そこに残された言葉は「沈黙」しかない。オジロと翼沙とのLINEグループで、独白にただ既読をつけて意思表示をしたように。最後に、まどかは世間に受け入れられている言葉を述べる。その便利な定型句。彼女はそれでも大丈夫だと思えたのかな。お仕着せの言葉を使っても、自分は損なわれないのだと。あるいは彼女は世界の一定を、諦念を持って受け入れたのだろうか。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.12.05
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本のタイトル・作者コンクールシェフ! [ 五十嵐 貴久 ]本の目次・あらすじ2022年11月3日に開催される、第10回「ヤング・ブラッド・グランプリ」、通称YBG。ジャンルを問わず、料理人経験十年未満の若手が、その栄光ある頂点を目指す。決勝戦に残ったのは、6人。大会のテーマ「十年ぶりに会う友人との夕食、そのひと皿」を、各自45分で仕上げなければならない。1.川縁令奈(フレンチ)有名フレンチシェフを父に持ち、親の七光りと呼ばれてきた令奈。優れたルックスを生かしたモデルの経験もある彼女は、だが誰よりも努力家だった。女性料理人の地位向上のため、また自身の力を世間に認めさせるため、自分には優勝しか許されないと意気込む。2.邸浩然(中華)己の腕以外は、誰も信じない。中華の料理人だった父のDVから逃れ、中学卒業後は8大中華の店をひとり渡り歩いた浩然。いずれの名店も、他人と協調性もなく、貪欲な浩然は喧嘩別れで終わってしまう。今回、はじめて「アシスタントを付けない」料理人として一人で勝負に挑もうとするが…。3.里中海(ポルトガル料理)親の都合で幼少期は各地を転々とし、ポルトガル人の祖母の店を母と手伝っていた海。現在は、帰国した母が長崎に開いたポルトガル料理の店を手伝っている。郷土料理のひとつに過ぎないと周囲から侮られているが、彼には不思議な魅力がある。美味しいものを作りたい、それを食べさせたいという純粋な気持ち。あらかじめ作るものを決めていないという彼は、決勝で何を作るのか。4.和田拓実(フレンチ)抜群の社交性とルックスの良さ、そして飽くなき向上心と探求心。若くしてミシュラン二つ星レストランのスターシェフを勤める拓実は、今回のコンクールの最有力候補と目されていた。しかし慢心しない彼は、決勝戦の調理中にある仕掛けを試みる。5.山科一人(和食)大会史上初の40代。元は家電量販店で働いていたが、販売にAIが進出してきたことに危機感を覚え、昔からやりたかった料理の道へ進むことを決意する。反対していた妻と子供を説得し、3か月も持たないと言われる厳しい料亭に押しかけ弟子として入った一人。自信がなく、若手ではない自分は大会にそぐわないと、辞退しようとするが―――。6.浅倉薫(イタリアン)口下手であがり症、ひとつのことをとことん突き詰めてしまうので、学校の成績はいつもビリ。けれどその「塩一粒」の違いを見極めようとする天賦の才は、何者をも凌駕する。幼馴染の薫の凄さを知っているアシスタントは、彼女を励まし、サポートする。薫がこの大会へ申し込んだのは、そのテーマに惹かれたからだ。―――10年前。あの津波で失われた友人たちへ。引用「みっともない姿を晒したくない。四十代の男が自分より年下の連中に打ちのめされるんだぞ?もう二度と板場に立てなくなるかも……」最初から諦めるのは違う、と芳美が言った。「その方がどれだけみっともないか、わからないの?」「だが……」約束して、と芳美が声を大きくした。「全力で戦うって。悔いを残さないようにするって。それなら、負けても恥ずかしくない。今から家を出て、着替えをホテルのフロントに預けておく。明日、あなたが堂々と胸を張って、あたしと琴葉の前に立つのを待ってる」(略)四十代半ばの男が負ければ、二度と立ち上がれない。それなら、戦わずに逃げた方がいい。決勝に残ったという結果だけあれば、それで十分だ。だが、長い目で見れば致命的な傷となる。逃げてばかりの人生を送ることになるだろう。感想2022年309冊目★★★面白かった。これは映画化か、特番で2時間ドラマにしてほしい!映像で美味しいご飯を手際よく作っていく様子が見たい!!そうそう、本の帯のコメントが料理コラムニストの山本ゆりさんでした。コンクールものって、いいよね。このお話は料理のコンクールの話で、そういう意味では前に読んだ、高校生の参加する料理コンクールを題材にした物語・オルタネート [ 加藤シゲアキ ]が近いのだけど、今回の彼らは若手のプロで、そういう意味では物語の雰囲気は「のだめカンタービレ」のヨーロッパ編の千秋さまの指揮者コンクールとかの感じに近かった。同じく音楽で、コンクールが舞台の名作と言えば・蜜蜂と遠雷 [ 恩田陸 ]・祝祭と予感 [ 恩田陸 ]ですよね。コンクールが題材になっていると、そのコンクール本番が通しで物語の舞台になって、時間経過もその通りになることが多い。そこに各挑戦者のプロフィールや過去が紹介されて行く。ここらへんが、たまらないんですよね。そこに来るまでに費やした努力。時間。それぞれの人生と物語。今回は、冒頭は主人公(薫)視点がメインで、各決勝でそれぞれが調理をする章は各自のチャレンジャー目線。過去は過不足なく描かれているのだけれど、キャラクターがそれぞれ魅力的で、もっと深く知りたい!と思った。私は特に山科一人(中年で料理人になろうと超厳しい料亭の門戸を叩いた人)さんの過去エピソードをもっと読みたかった。ここらへん、番外編やスピンオフという形で別冊続編出してほしい…。物語の後も、今回参加した料理人たちの交流は続きそうなのだけど、その話も読みたい。海くんのポルトガル料理店に薫が食べに行く話、読みたいです。その逆に海くんが薫の店に来る話も!二世お嬢様の苦悩も、イケメンシェフの焦燥も、一匹狼の孤独も。戦いを通じて、彼らは一気に成長する。大会の各自の持ち分は、たった45分なんですよ。でもそれが、人生を変える経験になる。誰も信じない邸浩然が、最後に憑きものが落ちたようになっているの、良かったな。アシスタントの人がまた、すごく良かったんだけど。最後の最後で、信じられなかった自分のミスだ。これが言えるのって、すごい。彼はこれからうんと良い料理人になるんだろうなあ。文字だけで書かれると、否が応でも料理への期待値が膨らむ。ポルトガル料理は食べたことがなくて、今回興味がわいた。いろんな料理の要素がミックスされている。スパイスも使う。どんな味がするんだろう?(ネットで調べると、専門店はかなり少ない。)主人公の薫の最後のアクシデントは、物語の冒頭にある「掴み」だったので、どうなることかとハラハラした。結果…うーん、これは、奇跡なの?いや、実力もあったのだと思うけど、リカバリできる範囲ってものがあるから。運も実力のうちということだろうか。彼女は「子ども食堂を開きたい」んですよね。将来の夢が、幼い頃の体験(震災で2日間飲まず食わずだった)に基づいているにしても、なぜ子ども食堂なんだろうとも思う。自分が子どもだったから、子ども特化なのかなあ。広くとると「食べられない人に美味しいご飯を食べさせてあげたい」ということなのかしら。物語全体が「コンクール」という枠組みのなかにきっかり収まっていて、勢いがあってピシリと締まる感じがする小説。コンクールものって、その大会の途中が一番楽しい。結果が出ていないから。全員の出場が終わったその後はもう、添え物という感じもしないでもない。結果発表は大事なのだけれど、それは本当に「結果」。私は子どもの頃コンクールやら大会やらが大の苦手で、また大嫌いだった。公衆の面前で順位を付けられるなんて、プライドが高いわりに出来ることがへなちょこな私には耐えられなかったのだ。ピアノを習っていたけれど、わざわざ発表会がないところを選んだくらい。でもこういうお話を読むと、コンクールって意義があるんだなと思う。日夜鍛錬したすべて。切磋琢磨した相手。そしてそれが大きな学びとなり、また成長の糧となる。私は逃げていたんだろうな。だめな自分を眼前に突き付けられることに。衆目に曝されることに。逃げるは恥だが役に立つ。けれど逃げ時を間違えれば、逃げ続ける人生になるんだろう。目を逸らして、自分に嘘をつき続けることになる。「その方がどれだけみっともないか、わからないの?」ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.11.29
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本のタイトル・作者掬えば手には [ 瀬尾 まいこ ]本の目次・あらすじ梨木匠には、特別なちからがある。人の心が読めるのだ。中学3年生のとき、不登校の女子学生に「その力」を使ってから、匠はずっとその力を使ってきた。その人の考えを読んで、その人が求める言葉を口にして。能力を駆使することで人に感謝され、好意を抱かれてきた匠。大学生になった匠は家を出てアルバイトを始めたが、そこでまったく心が読めない看護学生の「常盤さん」に出会う。コミュニケーションの取り付く島もない彼女からは、何故か匠だけに聞こえる声がして―――。引用相手の気持ちを読む力。そんなものが本当に存在しているかどうかはわからない。だいたい誰だって、完璧には遠くても人の気持ちぐらいなんとなくわかるものだ。ぼくに特別な力はないのかもしれない。だけど、ぼくは動ける。的外れでおせっかいかもしれないけど、動くことができる。それは確かだ。感想2022年308冊目★★★ファンタジー味強めの、心がほっこりする話。はじめ、私は匠は本当にそういう「心を読める」能力があるのだと思っていて、でも読み進めていくと分かるのだけど、「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」のですよ。匠は、人のことをよく見ている。そして、その人のために動く。手を差し伸べて、助ける。それが出来る人は、実はそういない。芸術家一家に生まれた匠。普通でないこと、を期待されていた彼。けれど何をしても真ん中で、取り立てて特別なところなんて何もない自分。平凡であることの苦悩。ここらへんの葛藤は、昔読んだ『ファミリー・コンプレックス』(つだみきよ著)を思い出した。自分には人の心を読む力があるのでは?匠はその考えに依存する。力を使えば、周りからは「人たらし」だとか「エスパー」とか言われる。―――ぼくだって、特別な存在になれるのではないか?調子に乗って、世の中をイージーモードに見てしまっていた匠。けれど彼の自信は、心を読めない常盤さんの登場で揺らぐ。特別な力。それがなければ、アイデンティティの拠り所がなくなってしまう。けれど果たしてそれが、「超能力」であっても、なくても。匠のおかげで一歩を踏み出して教室に入ることが出来た河野さんが繰り返し言うように、匠が誰かの「困っていること」を見て、「そのために何とかしてあげなくちゃ」って思って行動に移せること、それ自体が稀有なことで、特別な力なんだ。匠は周りをよく見ていて、誰も気付かないことに気付く。そしてそれを放っておけない。力になりたい、助けてあげたいと思う。それって、すごいことだ。だってそれが、本当の超能力みたいに、誰かを救うから。「常盤さん」は、下の名前が常盤なのだと思っていて、双子のかたわれを自分が原因の事故か何かで亡くしたのだと思っていた。だから「その日」と「自分の誕生日」を喜べないのだと。違ったね!!常盤さんの過去については、さらっと流されている感があってちょっとモヤっとした。特に当時の彼氏が普通に生活しているあたりとか…。でも、瀬尾さんの本を読むのは4作目だけど、そのどれもが決まりきった名前のついた関係性に終始しなくて、そこがとても良いなあと思う。男女がいれば恋人にならなければならないのか、同性ならば友人にならなければならないのか。そうじゃない「つながり」がある。そういう意味で、常盤さんと匠、河野さんと匠が安易にカップルにならないの、良いな。そして何より、匠のアルバイト先のオムライス店の大竹店長!!!この人がもう口悪いし態度悪いし、だからアルバイトが全然続かないけど最早態度を改める気もないという最悪なオーナーシェフなのだけど、匠が河野さんを引き留めるために「店長の誕生日パーティーをしましょう!」と言ったことをきっかけに、徐々に匠との距離が縮まっていく。初回限定の封入「掬えば手にはアフターデイ」は必読!店長視点のアフターストーリー。これを読むと店長がもうツンデレにしか見えない。物語が進むごとにデレの要素が増えてくるのが良。「アフターデイ」では、匠の大学卒業を前に、新しいアルバイトを募集することになった店長。そして匠は一カ月、タイで日本語教師補助のバイトに出ることに。彼はどうして日本語教師に…?ここらへんが謎だった。知り合いって…??「特別な力」をある意味笠に着て、相手の表層ばかりを見て、相手の問題を解決することで自分の存在価値を証明しようとした匠。みんなが考えていることが手に取るようにわかると、相手を軽視していた。何の取り柄もない自分を蔑み、人から距離を置き、怯えていた。そんな彼が頭を打って、存在意義を木っ端みじんにされて、それでもなお、残ったもの。はじめからそこにあったもの。心が読めるのだと対話を避けていた彼は、言葉を発する。相手のことを深く知ろうとする。そして、自分のことを話し始める。匠は、ひとりで箱の中に入っていたんだと思った。それは、マジックミラーで出来たような。内側からは、外の世界が見える。だから彼は、まるで外の世界を知っているかのように話す。外側から内側が見えないことに安堵して。でも、彼は箱から出たんだね。鏡を粉々に打ち砕いて。箱の外には、彼が出てくるのを待っていた人たちがいた。直に顔を見て話す彼らは、箱の内側から見るのとは違っていた。掬えば手には、鏡の破片。それはきっとキラキラ光って、綺麗だろう。これまでの関連レビュー・そして、バトンは渡された [ 瀬尾まいこ ]・その扉をたたく音 [ 瀬尾まいこ ]・夏の体温 [ 瀬尾まいこ ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.11.28
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本のタイトル・作者invert II 覗き窓の死角 [ 相沢 沙呼 ]本の目次・あらすじスピリチュアル・カウンセラーを名乗る「ゆるふわ系」美人・城塚翡翠。彼女は「視る」ことで事件を解決するのだと言う―――。嵐の山荘で起こった事件。殺人を犯したばかりの少年のもとに、雨宿りに訪れた探偵。あるいはミステリ好きとして翡翠と友人になったカメラマン。彼女の殺人容疑を否定するのは、翡翠とのアリバイだが―――。引用「そうですね」うーん、と首を傾げて、翡翠さんが言う。「探偵というのは、誰も信じません。他者を信じず、自分を信じることもなく、ただ論理だけを信じる。それは難しい生き方かもしれません」けれど、と翡翠さんはやんわり笑う。「だからせめて、感受性を豊かにして、誰かの助けを求める声に、いつも耳を欹てていられる人であってください。そして誰か、この人だけは信じても後悔しないと……、そう思える人を見つけるのです」感想2022年302冊目★★★倒叙ミステリのシリーズ3作目。霊媒探偵(あらため「スピリチュアル・カウンセラー」?)の城塚翡翠(ノイシュヴァンシュタイン城の城に宝塚歌劇団の塚です)の物語。今回は彼女の過去にすこし触れていて、弟の謎とか、それが彼女を探偵にさせたのか?警察との関係は?と続きが気になる深まりかた。ここらへん、西尾維新の掟上今日子シリーズともちょっと似てるなと思った。「生者の言伝」は、15歳の少年が綺麗なお姉さんふたりにオタオタしている様子が微笑ましかった。コメディチックな展開だけに、少年が何とか助かって欲しいと思ってしまった。この子が可哀想だし良い子なんだよ…。犯人目線で物語が進む倒叙トリックにおいて、「犯人が自らを犯人と誤認している場合」って確かに新しいなと思った。探偵は如何にして彼を救うのか?はじめ、彼が犯人だと思っていたので、犯行を見破った後に翡翠が彼を見逃すのかどうか?という視点で読んでいた。完全犯罪を逆に仕立て上げそう…と思ったけど、この後の「覗き窓の死角」を読むとそれはあり得ないと分かる。wi-fiのパスワードが分からないから、この家の子じゃありませんね?っていうのはすごい今時の推理。しかし私が読み飛ばしていただけかもしれないんだけど、少年の本当の目的って何だったの?練炭自殺の道具は、真犯人が用意したものだったんだよね??そしてお父さんは何者?この少年、のちのち再登場しそうだな~と期待。「覗き窓の死角」は、かなしいお話。丸いもの、は最後まで気付かなかった!そういわれてみればさらっと書いてあったよ!!ミステリを読んでいて、よく後から「そういえば」と思うのだけれど、その時は気付かない。で、探偵が行く先々で事件が起こるのはおかしい、に対して翡翠が多くの人はそれを見逃しているだけ、と言っていたことがまさにこの作品の中でも表現されているよな、と思った。裁かれなかった罪びとに、その手で裁くのは罪か。翡翠はあくまでもそれを司法の手に委ねる。ひとりの人間が下す判断ではなく、多くの人間が、人の社会の仕組みの中で裁くことを望む。これ、難しい問題だ。真実と事実は違うのかもしれない。この前半の「生者の言伝」だって、少年は自分が犯人だと信じていた。真相が明らかにならないまま逮捕されていれば、彼はどうなっていただろう。そして少年である彼は、どんな罪を問われていただろう。たとえばその時、彼の友人は、殺された母の復讐を誓ったかもしれない。だから探偵が必要なのだ、と翡翠は言う。おそらくは彼女の過去の、苦く悲しい経験をもとに。二度とそんなことを起こさないために。しかし、「覗き窓の死角」は最後のトリックが…。いくら何でも中座して殺人はな~。そんで真ちゃんが写真撮ってて気づかんってのもな~。真ちゃんが別ルートで依頼受けてたのも都合よすぎる。私はいつも探偵役よりその助手役の人が好きになるので、このシリーズも真ちゃんが大好きなんですが、ラストの彼女の強さ(マンガやアニメみたいに強い)はかっこよかったけど、にしてもアホすぎるやろ。分かるようにメモを残して来た…ってそこまで書くならストレートに書いたらええやん…。ともかく、今後の翡翠の過去と、何より真ちゃんがどういう経緯で翡翠の助手におさまっているのかが気になる。続きが楽しみ。これまでの関連レビュー・medium 霊媒探偵 城塚翡翠 [ 相沢沙呼 ]・invert 城塚翡翠倒叙集 [ 相沢沙呼 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.11.22
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本のタイトル・作者マイ・プレゼント [ 青山 美智子 ]本の目次・あらすじ遠くて近い未来のあなたへ紡ぐ言葉調和への試み雨の日に引用暗闇の中でも飛べるようになったのは、金の鎧を手に入れたから。もう二度と、誰かに気に入られようとして疲れたりしない。感想2022年296冊目★★★私の今。私の贈り物。全編フルカラー。絵と、詩が48篇。見開きでセットになっている。きれいな絵だなあ、と思っていたら、『赤と青とエスキース』の表紙の方か!水彩画家・U-ku(「うーく」じゃなく「ゆーく」と読む)さん。青が基調で、黄色や緑の寒色が多め。ところどころに赤や金色。詩集、ひさしぶりに読んだけどいいなあ。私は「だって、私が一番すごいって知ってる」と言った女の子の詩、すき。ハッとしたあの瞬間を思い出す短い物語。ちいさなことば。先日見たNHKの「理想的本箱 君だけのブックガイド」で、「人にやさしくなりたい時に読む本」として紹介されていた笹井宏之さんの「えーえんとくちから」(永遠に解く力をください)。これを見ていて、「ああ、詩が読みたいなあ」と思っていたところだった。私は中学生から大学生くらいまでずっと詩を書いていたので、こういう短いスケッチみたいなもの、切り取った写真の風景みたいな言葉に心を揺さぶられる。その時思っていたこと。感じていたこと。考えていたこと。それがすべて詩のカプセルに詰まっていて、取り出せばいつでも復元可能なのだ。言葉って、詩歌って、すごい。日本では「俳句」だと渋いし、感情より景色や風景?という印象。みんなもっと詩を詠めばいいのになあ、と個人的に思っている。特に若者、思春期の疾風怒濤の時代にいる若人には、これは解毒剤になるのでおススメしたい。最近、久々に私がつくった詩(?)。「死にたい」と「空がきれい」の塀の上この間読んだ「年寄りは本気だ はみ出し日本論 [ 養老孟司×池田清彦 ]」で、門外漢の人がある事象について書くことを「塀の上を歩く」と言っていたのだけど、そのとき片足立ちでふらふらと、平均台の上を行くように立っている女の子が目に浮かんだ。で、思ったのだ。日常には、「ああもういやだ、死んでしまいたい」という瞬間があって。(他の人は知らないけど、私はわりとデフォルトで日々思っている。)でもその反対にあるものは、「生きていたい」かというと、私にはそう思えない。その六文字を言い換えるものは何だろう。「月がきれい」「空がきれい」「これ美味しい」「あれ食べたい」「また読みたい」「また会いたい」…。その人の、六文字がそれぞれにあるんだと思う。塀の上をふらふらしながらも、「あちら側」に落ちずにいられるもの。両手で、バランスを取りながら。時にバランスを崩しながら。目の前が暗闇で塗り潰されても、私は世界の美しさを信じてる。そらがきれい。顔を上げて、その美しさに目を瞠る。何度でも何度でも、幼子がはじめて世界を目にするように。私はその、塀の上。これまでの関連レビュー・お探し物は図書室まで [ 青山美智子 ]・ただいま神様当番 [ 青山美智子 ]・木曜日にはココアを [ 青山美智子 ]・鎌倉うずまき案内所 [ 青山美智子 ]・猫のお告げは樹の下で [ 青山美智子 ]・赤と青とエスキース [ 青山美智子 ]・月曜日の抹茶カフェ [ 青山美智子 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.11.16
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本のタイトル・作者倒産続きの彼女 [ 新川 帆立 ]本の目次・あらすじ祖母と二人暮らしの美馬玉子は、風邪を引いた同期の代理として、先輩・剣持麗子と組んで倒産間近なゴーラム商会の内部通報を調査することになった。曰く、経理部の近藤まりあは、転職前の会社がすべて倒産しているという。彼女が暗躍し、ゴーラム商会を倒産に導いているのか―――?引用「死んだって意味がないのよ。あなたは死ぬよりも、生きているほうが、よっぽど価値があるんだから」叫びながら、涙と鼻水がこぼれてきた。「逃げるな!生きて働け!」感想2022年289冊目★★★・元彼の遺言状 [ 新川帆立 ]の続編。と思って読み始めたら、主人公が麗子じゃなくて「あれ?」となった。主人公は、麗子の1年後輩の女性弁護士・玉子。辛い過去を持ち、苦労して地方から東京の大学へ進学。祖母と二人で東京へ出てきて、奨学金で大学へ通いながら勉強。弁護士になり、大手事務所に入って暮らしは楽になったが、ハードワークに加え、祖母の面倒も見ないといけないので生活は楽になっていない。麗子とは真逆のような玉子(しかし彼女もまた優秀)。自分は化粧しないと可愛くない、こういう格好をしないといけない、男受けを狙って…。と、卑屈でジェンダーに縛られていた彼女が、麗子の影響を受けて変わっていく様子は応援したくなった。物語のストーリー仕立ては「ふうん」という感じで、特に首切りのあたりは「いやそれは」と思った(そんなこと可能なの?)。あといくら復讐のためとはいえ、制度そのものの転覆を狙う割にやってることがズレているというか、そのために毎月30万円をどうやって工面していたんだろう…。前作「元彼~」で麗子ファンになった私としては、第三者視点で麗子を見られて面白かった。そうだよね。自分自身の内面の葛藤って目に見えないし、悩みの大きさって人それぞれ。麗子は、玉子からしたら恵まれすぎるほど恵まれ、すべてを手にしているように見える。一方で麗子は、玉子が持っているものを欲しがって、得られなくてもがいていた。(くだんの指輪の彼氏とは、よりを戻してお弁当を差し入れしてくれる仲に復縁していた)経営者の保険が自殺でも出るのって、「最後の最後に死んで清算する」という道を残しているような気がしてぞっとした。自己破産してもいいんだぜ。生きていれば何とかなる。迷惑をかけるから、死んでお詫びする?そんなこと、ない。絶対にない。生きていれば大丈夫だ。死んでどうにかしようと思えるなら何でもできる。恥をかいて生きていくことだって、罵倒されて生きていくことだってできるはずだ。と、その間際の両親の暗い顔をずっと見てきた、商売をしていた家の娘の私は、おもうよ。自分だけ身軽にならないで。楽になって、赦されようと思わないで。逃げるな。生きて働け。生きていてほしい。それだけが望みだ。これまでの関連レビュー・元彼の遺言状 [ 新川帆立 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.11.09
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本のタイトル・作者元彼の遺言状 [ 新川 帆立 ]本の目次・あらすじ容姿端麗、頭脳明晰。性格は、よく言えば天衣無縫にして豪放磊落。稼ぐことに並々ならぬ情熱を燃やす辣腕弁護士・剣持麗子は、ボーナス額が低かった(250万円)ため、所属する弁護士事務所を飛び出す。暇を持て余した彼女は、大学時代の友人からの奇妙な依頼を引き受ける。共通の友人であり、麗子の大学時代の元カレ・森川栄治が残した遺言―――「僕の全財産は、僕を殺した犯人に譲る」。大手製薬会社の御曹司だった栄治が残した数百億円の遺産。犯人候補の代理人として、麗子は犯人選考会へ出掛けるが…?引用自分が本当に欲しいものが何なのか分からないから、いたずらにお金を集めてしまうということは、流石の私も分かっている。ただ自分では、自分に何が必要なのか分からないのだ。とても惨めな気持ちになった。だが、私は頭のどこかで考えていた。たとえ一生遊んで暮らせるだけのお金があったとしても、私は仕事をしているだろう。自分なりに考えたことを実行に移して上手くいった時は嬉しいし、何もしないのでは人生があまりにつまらない。だから私は働く。そのあたりのどこかに、自分が求めるものがあるような気がしている。しかし、それ以上のことがよく分からない。感想2022年288冊目★★★妹が「ドラマが面白かった」と言っていたのを聞いて原作を読んでみた。(ちなみに私はドラマを見ていないのだが、どうも大泉さんが出ているらしい。…何の役で? ドラマのHP見てみたら、原作から改変されているのね。)第19回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。ちなみに、この作品がデビュー作となった「新川帆立」は「あらかわほたて」ではなく「シンカワホタテ」と読む。1991年生まれ、アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち。東京大学法学部卒業後、弁護士。うわお。この人自体が麗子じゃん…。物語はテンポよく進む。トリックとかそういうのに拘らないエンタメ系のミステリ。深く考えずに、最後まで楽しく読んだ。「依頼人を犯人(=遺産相続人)にするための探偵役」って新しい。登場人物がどの人も憎めない感じで、特に読み進めるにつれ「なんじゃこいつ」と思っていた麗子のことが可愛く思えてきてしまう。ちょっとそこのところが出来過ぎな感じもあって(特に後だし的に付け加えられた麗子と兄の兄妹愛というか麗子が弁護士を目指したり理由のあたり)、「徹頭徹尾イヤな奴」という描き方でも面白かったかもしれないんだけど。その後シリーズ化しているので、そこはやはり好感度の高いキャラクターである必要があるんだろうな。この作品は、ラストの犯人開示は雑やな、という印象。特に子どもをモノというかトリックの道具のひとつみたいに扱うのがちょっとなあ。これ、めちゃくちゃ酷い結末やん?その子にとったら。でも麗子に魅了されてしまったので、また次のシリーズ作品も読むんだけど。笑弁護士事務所に復帰した麗子がどうなったのか見たいんだ~。学者の彼氏にも最後に連絡とっていたけど、普通あんな断り方(結婚を申し込まれた指輪が安すぎると断った)されたら別れるよね?ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです にほんブログ村
2022.11.08
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本のタイトル・作者マイクロスパイ・アンサンブル [ 伊坂 幸太郎 ]本の目次・あらすじ猪苗代町の天神浜。失恋したばかりの大学生・松嶋は、湖畔でグライダーのおもちゃを拾う。一方、父親と仲間の暴力から逃げていた少年は、基地に任務で侵入していた男に出会う。作戦ではセスナ機で脱出するはずだったが、そこにあったのはグラインダーだった。グラインダーは、牽引してもらわないと、飛べない。しかしその時、グライダーが浮き上がり―――。引用「エンジンなしで、目的地があるのかないのか、とにかく優雅に旋回しているグライダーみたいに生きたい」教師は馬鹿にするでもなく、「それはいい」とうなずいた。「だが、グライダーで生きていくほうがよっぽど難しい。人間ってのは、指示されたことをやってるほうがよっぽど楽だ。『いいことをしたら幸せになれます』と曖昧なことを言われるのと、『壺を売ったら階級が上がります』と言われるのとどっちがわかりやすい?」「壺って何ですか」「たとえだよ。とにかく、エンジン積んで、タイムスケジュール通りに飛んでるジェット機の方が実は楽かもしれない。グライダーは難易度が高い。しかも」「しかも?」「まわりからは、のんきなもんだな、と言われる」教師は笑った。「グライダーの大変さや心細さも分からない奴らに」感想2022年278冊目★★★「昔話をする女」「一年目」「二年目」「三年目」「四年目」「五年目」「六年目」「七年目」「おまけ 七年目から半年後」から成る短編集。私は違う世界、作中作のような世界が現実世界と交差し、世界が侵食されるお話が大好物なので、たいへん楽しく読みました。もともと新作が出たとタイトルを聞いたときから『マイクロバイ・アンサンブル』だと思っていて、「マイクロバイ…マイクロバスを題材にした作品?マイクロバスに乗っていく先々で事件が起こるんだろうか…」と思っていた。ザ・勘違い。(この類ほんとうに多い粗忽者)マイクロ・スパイ・アンサンブルでした。小さなスパイが登場するお話。「ちいさなひとたち」の世界って、どうしてあんなに心が躍るのだろう。ジブリの「借りぐらしのアリエッティ」も萌えた。子どもの頃好きだったのは、『リトルベアー ちいさなインディアンの秘密』。漫画『花冠の竜の国』も周囲の花や何かが大きいんですよね。ときめく。自然の影響力差とか、そういう圧倒的な「人間のちっぽけさ」が物理的にも明白になることに、どうも私は非常に心惹かれるようだ。そうして思うのだ。もしかしたら私たちが気付いていないだけで、その世界はそこにあるのでは?木々の根元に、葉っぱの陰に、彼らの世界が広がっているのでは―――?それは何とも楽しい御伽話。挿入される歌の歌詞が不思議で、でも妙にリアルだなあ、と思っていたら、実在する曲だということを「あとがき」で知る。もともとは、2015年福島県猪苗代湖を会場とした、音楽とアートのイベント「オハラ☆ブレイク」のために書き下された短編だったそう。毎年開催にあわせ、大学生とスパイが活躍し(失敗し)成長?していく物語…という企画になったそうで、「ナニソレ楽しそう」と思った。挿入歌は、TheピーズとTOMOVSKYという方のものだそう。作中出ずっぱりの猪苗代湖。行ったことがないので、周囲の風景や様子がうまいことイメージできず。私の脳内変換は「琵琶湖」でした。たぶんちょっと違う気がするなあ…と読み進めるごとに修正を加えようと試みたのですが、修正で加わるのが修学旅行で行った北海道の摩周湖…。それもまたちがうきがする…。伊坂作品には東北を舞台にしたものが多い。読んでいると、いつか行ってみたいな、といつも思う。伊坂作品は登場人物もみんな魅力的。今回はスパイの「エージェント・ハルト」がカッコよかった。そして彼に助けられた少年。こういう関係性に弱い。現実世界にあらわれた彼らがゲームの実況者になるというのも今時。現実世界では、門倉課長がすごい。いつも謝ってばかりの課長が実は…?笑最後は伊坂作品お得意の伏線回収。すべてがまるっと収まって、世界は続いていく。グライダー、いいよなあ。自由に見える。子どもの頃、「風の谷のナウシカ」のメーヴェに憧れた。けどあれはまあ、動力が付いていたね。ジェット機の大変さと、楽さ。グライダーの大変さと、楽さ。私はやっぱり、グライダーがいいな。これまでの関連レビュー・シーソーモンスター [ 伊坂幸太郎 ]・クジラアタマの王様 [ 伊坂幸太郎 ]・逆ソクラテス [ 伊坂幸太郎 ]・ペッパーズ・ゴースト [ 伊坂幸太郎 ]・小説の惑星 オーシャンラズベリー篇 [ 伊坂幸太郎 ]・小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇 [ 伊坂幸太郎 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.10.28
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本のタイトル・作者朱色の化身 [ 塩田 武士 ]本の目次・あらすじがんを患う父から、祖母が興信所に調査を依頼していた女性・辻静代について知りたいと依頼された元・新聞記者の亨。旅館の元中居だった彼女、その娘の咲子、孫娘の珠緒―――。かつて亨が記事を書いたことのあるゲームクリエイターの珠緒は、行方知れずになっている。彼女の過去の糸を手繰るうちに、亨はその一生に魅せられていく。引用突き詰めていけば、きっと正義はあるのだろう。その正義を口にしたり書いたりするのは容易いことだ。しかし、被害者の悲哀と加害者の後悔は、当事者にしか分からない重みがある。感想2022年268冊目★★★物語の冒頭、序章「湯の街炎上」は、昭和31年4月22日の芦原温泉の火事から始まる。このシーンがいったい「誰が」「何のために」書かれたものなのか、最後に分かって「ああ」となる。物語の第一部「事実」は、珠緒を巡る亨の取材。語る相手ごとに深まる彼女の謎。ひとりの人間が見ている誰かの一面は、月面のようにあるところだけを向けている。石膏を皆で囲むデッサンのようだ。さまざまな方向から描かれた絵は、全てが揃ってその像を浮かび上がらせる。なおその内側は計り知れないが。珠緒の人生が壮絶。ジェンダー、テクノロジー。構造的なもの、社会的なもの。不幸に不幸を重ねて不幸をトッピングして、それでもまだ足らないくらいに不幸を重ね掛けしたような。インタビューの内容を読みながら、読者は思う。それでいったい、それぞれのパーツを繋ぎ合わせると、彼女の物語はどう描かれるのか?そしてこの「聞き手」は物語にどう関係するのか?その目的は、何なのか?第二部は「真実」。取材をしていた亨の側から見た物語。パズルのようにピースを合わせていき、珠緒という女性の過去をひとつの絵にした亨。子ども時代を送った芦原温泉。暴力団員の実父による誘拐。進学を阻む継父。それに付け込む教師。京都大学への入学。銀行就職と女性的役割。教育環境と親の地位の影響。結婚。家の圧力。アルコール依存症。自分の過去を移植したゲームでの承認。クリエイターとしての成功。そしてそれが青少年に与えたゲーム障害。そして終章「朱色の化身」で、ついに亨は珠緒に会い、自身の祖母が珠緒の祖母を探していた理由を知る。ここは、これまでの謎解き的な展開や、人生の重厚さに比べると拍子抜けするあっさり具合だった。後出しの後付け感すごいな?!とか、この後会ってどうすんの?!とか、色々思う。最後が残念。誰かが不幸であるときに、その不幸はその人のせいなのだろうか。ということを、思う。けれどその元をたどっていっても、誰にもその責任を転嫁できない。過去は、珠緒の足首についた鎖みたいなものだった。何度断ち切ろうとしても絡みついてくる。その重さから逃れられない。彼女は最後に、鎖を切れたのか―――切れはしなかったのか。少なくとも珠緒はこれまで隠し、ひとりで抱えてきた過去を亨に吐露したことで、楽になったはずだ。亨は彼女の物語を描き、亨という読み手はそれを彼女に示した。自らの物語の読者がいるということは、大きな慰めになっただろう。救われはしなくても。物語る、ということの意味。これまでの関連レビュー・罪の声 [ 塩田武士 ](8月に読んだ本①)・デルタの羊 [ 塩田武士 ](2021年6月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)・騙し絵の牙 [ 塩田武士 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.10.18
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本のタイトル・作者カレーの時間 [ 寺地 はるな ]本の目次・あらすじ自分を広げたくない。ささやかに自分の人生を守って生きていきたい。カルチャー教室などを運営する会社で働く桐矢(きりや)は、緊急事態宣言下に25歳の誕生日を迎えた。その日は、誕生日を祝う為と称し、家に家族と親族―――母たち三姉妹と従姉たち―――が家に集まっていた。五歳年上になる姉のあずきに、美容師の母・俊子。父は全国を単身赴任中だ。母の長姉・誠子おばさんは、府税事務所に勤めていて、何年か前に離婚した。白いフリフリをこよなく愛す娘のミクルちゃんは、看護師をしている。母の次姉・美海子(みみこ)おばさんは、洋服店に勤めながら、娘の七海ちゃんをひとりで産み育てた。着物を着ていることが多い七海ちゃんは、コロコロ職を変えるが、今はコールセンターで働いている。幼い頃から囲まれてきた「女ばかり」のかしましい集まりに、83歳になった一人暮らしの祖父が、自分が働いていた会社のレトルトカレーを手に押しかけてきた。老人ホームに入ったらと提案する娘たちを突っぱね、祖父は「桐矢となら住んでもいい」と答える。そうして桐矢と祖父の共同生活が始まった。第一章 ピースカレーゴールデン(甘口)第二章 夏野菜の素揚げカレー第三章 ドライカレー 目玉焼き乗せ第四章 キーマカレーのサンドイッチ終章 ピースカレーゴールデン(中辛)引用「ぼくは、変わらなければならないんでしょうか」思わず、口に出していた。北野丸さんがふしぎそうにぼくを見る。「なぜ既存の男らしさとやらを踏襲しなければならないんでしょうか」「誰かに、変わりなさいと言われたの?」(略)「変えてやる、と言われたんです」正確には「たたきなおしてやる」だったが。北野丸さんが頬に手を当て、長いこと黙り込んだのちに「そうね」と呟いた。「変えるべきだわ」「……そうですか」「そう。佐野さんではなく、そんなことを言う人と、そんな理不尽な発言を許す世界を変えるべきよ。革命よ、革命」感想2022年266冊目★★★寺地さん、相変わらず細部が好き。お姉ちゃんのTシャツが「冷奴(クール・ガイ)」だったり、猫の写真を送って来る友人ペリーの「猫は存在するだけで人間に「かわいい!生きる!」と思わせる生き物」というところだったり。主人公は、サラリとした今時の青年・桐矢くん。この子がなんだか、森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』の男の子のようで、せつなく好きになる。ちょっと「三十の反撃 [ ソン・ウォンピョン ]」の感じも思い出した。時代の認識の差、についての物語。ジェンダーに対する意識とか、そういうものって年代で大きく変わっていて、昔の人は「昔はこれくらい良かったのに、なぜ今はダメなんだ」って思ってるよね。桐矢のおじいちゃんは、まさにその典型。時代的にアウトな言動を繰り返し、娘や孫たちからは煙たがられ、嫌がられている。無神経な発言に無意識の態度。それを咎められると、「窮屈な時代になった」と言う人たち。でもね。きっと、アウトであることは変わらなかったんだと思うんだよ。嫌じゃなかったわけじゃない。それを誰かが我慢していただけで。声を上げてはいけないと、抑圧されていただけで。「そういう時代だった」んだ。だから彼らは、その力を行使していることを、気付かなかっただけだ。足を踏んだことに気付かない。踏まれた方はその痛みを忘れなくても。桐矢の母たち三姉妹や、従姉たちは、消えない傷を、今でも痛む傷を抱える。桐矢の教室に通う年配女性の北野丸さんも、ストーカー被害にあっている。でももう、我慢しない。そういうものだと、諦めない。痛い!と声を上げる。あなたに、私を踏みつけにする権利はない。桐矢の勤め先の館長(セクハラで飛ばされた)は、時代によってちょっと前までよかったことが駄目になり、そしてそれを誰も教えてくれないのだ、とぼやく。それにあわせて自分も変わらなければならないのか―――。きっとそれは、とても難しくて、しんどいことなんだろう。形成された価値観は、自分たちの上の世代から引き継いだものだ。自分の土台になっているそれを否定し、覆すことになる。アップデート。更新。変わり続けること。桐矢は、変わることが出来ない祖父を見て言う。リードに繋がれた犬がその場をぐるぐる回って、自分のリードでぐるぐる巻きになっている犬みたいだ、と。桐矢は女性に囲まれて育ち、新しいジェンダー感の中に身を置いている。桐矢の職場の先輩男性・新谷さんも、子どもの保育園送迎のために定時帰宅が当たり前。彼が次の館長に選ばれたときは、「見る目あるじゃん」と思った。私もあと50年経って、80代になっていたとして、時代の基準に適合できるんだろうか。どうしても自分の過ごして来た子供時代や、人格形成の時期に「あたりまえ」だとされていたものが残って、受け容れることが出来ないことが増えていくんじゃないだろうか。時代の流れはかつてないほど速くなった。新しい「あたりまえ」が、「ふつう」が、次々に変わっていく。その流れの速さに付いて行くのがしんどい人も、だからこそ今いる場所に固執する人も、いるだろう。そういう人たちと、どう戦っていけばいいのか。織り込み済みにして、ともに生きていけるのか。この物語は、「年を取っても変わるもの」の可能性と、「でもどうしても変えられないもの」を描いている。そして同時に、これは「時代で変わるもの」と「変わらないもの」の物語でもある。断ち切るものと、語り継ぐもの。仕事として「形が残るもの」と「残らないもの」がある。桐矢は後に残る仕事に憧れながら、クリエイディブな才能がないために、カルチャー教室の運営側に勤める。桐矢の祖父もかつて、発売間もないレトルトカレーの営業をしていた。彼は、開発部門の同僚に嫉妬を覚えながら、自分にできることは何かと考える。祖父は、桐矢に言う。お前の仕事は橋なのだ、あちらとこちらを繋ぐ。それは自身が同僚からかけられた言葉でもあった。教室の新館長になった、桐矢の先輩・新谷さんは言う。仕事にお金を稼ぐ以上のやりがいを求めなくてもいい。過ぎ去った人々の「昔はよかった」は遠くにあるから美しい。だから嫌いだ、と。これから自分たちが行けるのは未来だけなんだから。変わっていくこと。変わらないもの。終わらせること、引き継ぐこと。そしてこれから先に、自分が残すもの。小さく穏やかな世界を守ることに腐心していた桐矢は、最後に言う。自分に、革命はできなくても。すこしずつ変わっていく世界で、逃げ出しもせず投げやりにもならず、今ここでやっていくのだ、と。世界は変わっていく。目まぐるしい速さで。きっといつか、私も「昔はよかった」と言うだろう。遠い物語を美しく語り出すんだろう。細部は省かれ、恥部は忘却され、汚点は隠される。閉じた物語の檻の中で暮らしたい気持ちは分かる。だってそうしなければ、気づかなかった叫びが、糾弾が、今に追い駆けてくる。その時に、背を向けず。目を開いて、耳を澄ませて、―――心を開いて。今ここを、未来を、生きることが出来るかな。50年の先に、私は。これまでの関連レビュー・水を縫う [ 寺地はるな ]・タイムマシンに乗れないぼくたち [ 寺地はるな ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.10.16
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本のタイトル・作者チーム・オベリベリ (下) (講談社文庫) [ 乃南 アサ ]本の目次・あらすじ明治十九年、開拓4年目を迎えるオベリベリ(帯広)。相変わらず霜が降りては野菜は全滅し、豚は出荷先がない。海に近いオイカマナイ(生花苗)の土地で始めた牧畜でも牛は育たず、田圃も駄目だった。借金ばかりが膨らむ晩成社は、さらに開拓者を減らし―――。引用「ここの土地は、そう簡単には私たちを受け入れてはくれない。太古の昔から、アイヌの人たちが守り続けてきた土地は、よそ者の私たちを、まだ受け入れようとしてはいないんです。ここを去っていった人たちも、文三郎さんも、結局は、この土地に負けたんです」「そんで、どうしろって言うんだっ」視界の片隅で、ウプニがせんを抱き寄せたまま、恐怖に引きつったような顔をしているのが見えた。それでもカネは、もう一度大きく息を吸い込んで、勝から目をそらさなかった。「勝つしかないでしょう」勝が目の下をぴくりと震わせている。「たとえ私たちの代では無理だとしても」感想2022年264冊目★★★・チーム・オベリベリ(上) [ 乃南アサ ]の後編。前編が新天地への恐れと希望に溢れていたのに比べ、後編はどうしようもない閉塞感があって、最後は「え、そこで終わり?!」というところで終わる。そして本編が終わって「補遺」で晩成社が史実なのだと知る。(カネの娘、せんちゃんが小説中に6/9生まれとあって、「私とおんなじ!」と嬉しくなった。)補遺を読んで、依田が最後まで依田(不器用すぎて人の気持ちが分からず傲岸不遜なおぼっちゃま)だったことに「依田ァ…」(怒りと悲しみ)となり。明治政府は、北海道土地払下規則で「個人または会社で最大十年以内に最大十万坪の土地を開墾して認められれば、千坪一円で払い下げられ、十年間は土地を免除する」というのを発布していたのね。ものすごい破格の待遇。この後、大挙して北海道に開拓民が押し寄せたんだろうか。作中、ラクカン堂と名付けられたハム工場が、「臘乾(らかん)」と「楽観」をかけたものだ、というくだりが分からなかったんだけど、「臘乾」が「豚の腿の肉を塩漬にした後、燻製にしたもの。 ハムの類。」(コトバンク)なのね。知らなかった。カネが、行商に来てくれる人からではなく、大津へ出掛けて行って、縫い針一本でも糸の一把でもいいから自分で選んで自分でお金を払って買いたいというの、すごく分かる。いやもうアマゾンある時代に共感できるんかい、次元が違うやろと思うんだけど。私にとっては、一人目の赤ん坊を産んだ後がまさにそれだった。閉じ込められてどこにも行けない感じ。終末に夫とショッピングモールに出かけたら、夫がいなくなった隙にそこらへんの店でたい焼き買って、抱っこ紐の娘を避けながらマッハで食べていた。帯広に監獄が出来るという話に、道が出来て人がやって来ると、オベリベリのカネたちは浮足立つ。一方でカネは、オベリベリの広大な平野を前に、「ここは監獄だ」と言っているんだよね。男たちはまだ、外へ出ていける(それも水呑百姓たちには出来ないのだが)。女たちは、子どもを育て、男がいない間の田畑や家畜の面倒を見る。朝から晩まで休む間もなく働き、どこへも行けない。カネが結局、大津へ行けたのはいつのことだったんだろう。買い物って、「自分に選択肢がある」ということ、「自分がそれを手に入れられる(財力がある)」ということなんだよね…。場所と時間と、権力の決定権と行使。そして、カネは話す人もおらず、ひたすら心の内で天主さまに語り掛ける。これも同じく。産休中、話す相手がなかったので、もう頭の中で話し過ぎて頭おかしくなりそうだったので、ブログを始めたんですよ私。それで精神的に救われた部分めっちゃある。カネも、カネの兄・父・夫も、みなキリスト教徒。キリスト教のような一神教は、厳しい土地で生きる人々には心の支えになりやすいのだろうか。ではアイヌの人々が多神教というか、すべてのものに神を見出すのはどういうことなのだろう。信仰を持つことで、カネたちは何度も救われる。寄る辺となるものがあることで。けれどそれは同じく、それに縋るしかないということでもある…。不都合を、不合理を、理不尽を、天主さまのお導きだと信じてただ前を向いて進む。必要であることは理解できても、どうしても私はそこを没頭できないんだよなあ。カネは、明治維新後にオールイングリッシュの学校に通い、直に西洋人から高等教育を受けた超インテリ女性。その彼女が、自分で決断したこととは言え、父や兄に従い、北海道へ渡り開拓民となり、あばら家で夫と暮らしていく。真っ白なテーブルクロスにナイフとフォークの暮らしから一転。彼女が得たものは、何だったんだろう。夜、疲れ切った身体でもなお、子どもたちに読み書きを教えながら。最後の最後に、英語を話す外国人の旅人がカネの前に現れ、カネは英語で彼を案内する。カネも、認められたいと思っている。自分はこんなもんじゃないのだと、対外的に示したいと思ってる。夫はまだ、対外的にそれを示すことが出来る機会がある。役職に就くことも出来る。けれど女は?家に男たちが集まって話し合いをする時も、カネは黙るしかない。何か口を出せば怒られる。上巻で、自身の学問と知識を、皆の「目と耳」にするようワッデル師から言われたカネ。でも彼女のそれは、無に帰したのではないか。カネが教えた開拓民のひとりが、札幌農学校へ進学する。カネの撒いた種。彼は農学校で、北海道でも育つ品種を学ぶ。負けないためには、戦い続けるしかない。そうしていつか、勝つしかない。たとえ私たちの代では無理だとしても。カネたちの後に、私たちの暮らしがある。生活がある。本を読んでいて蒸し芋が食べたくなり、北海道のじゃがいもを洗いながら思う。当たり前に手にしているもの。享受している便利な日々。それは、先人たちの勝利の結果だ。誰かが、そこで歯を食いしばり、耐え忍び、小さな勝利を積み重ねた。数え切れない敗北を乗り越えて。巻末の解説で、近代の北海道を舞台にした物語が多く書かれているのは、史実の面白さがエンターテイメントの宝の山だからだと書いてあった。紹介されていた浮穴みみ『鳳凰の船』、葉間中顕『凍てつく太陽』、岩井圭也『竜血の山』、乃南さんもほかに『地のはてから』『ニサッタ、ニサッタ』という北海道を舞台にした作品を書いてらっしゃるそう。これらも読んでみたいな。これまでの関連レビュー・熱源 [ 川越宗一 ]・六つの村を越えて髭をなびかせる者 [ 西條奈加 ]・絞め殺しの樹 [ 河崎秋子 ]・戦争は女の顔をしていない [ スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ ]・同志少女よ、敵を撃て [ 逢坂冬馬 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.10.13
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本のタイトル・作者チーム・オベリベリ (上) (講談社文庫) [ 乃南 アサ ]本の目次・あらすじ時は明治、文明開化の音を聞く横浜。没落士族の娘・カネは、キリスト教に入信した父と兄の縁で、宣教師が開いた女学校で学んでいた。信仰の自由がもたらされても、なお奇異な目で見られる耶蘇教。授業はすべて英語、白人の教師たちとの暮らしはすべてが西洋式だ。そんなある日、牧師だった兄が、友人たちと北海道に開拓に渡るという。見渡す限りの大平原、オベリベリ。カネは兄の友人に嫁ぎ、ともに土地の開拓に加わるが……。引用ワッデル師は身体の前でゆったりと両手を組み、おそらく開拓団の農民たちは文字の読み書きもさほど出来ないはずだと言った。「みんな貧しい人たちでしょう。学校も行っていないと思います。アイヌはもっと、日本語の読み書きなど分からないでしょう。カネさんは立派に学問して知識もある人です。だから必要なときはみんなの目や耳になって助けてあげるといい。代わりにカネさんは、畑のことは農民たちから教わり、その土地のことはアイヌから教わることが出来るでしょう」感想2022年263冊目★★★★面白かった。元は2020年7月発刊のハードカバー。私が読んだのは上下分冊の文庫版。てっきり弱小スポーツチームの起死回生一発逆転物語だと思っていたら(チームって付いてるし)、まさかの明治時代の北海道開拓の物語でした。英語で学んだ主人公のカネは、北海道に根を下ろそうとする自分たちを、英語では「チーム」(仲間)だと言うのだと考える。オベリベリ、は帯広のこと。帯広の名の由来は、アイヌ語のオペレペレケプ(河口がいくつにも分かれている川)がなまってオベリベリ、そして帯広(おびひろ)になったと考えられています。(「帯広の名の由来」帯広市ホームページ)最近北海道を舞台にした物語に縁があるなあ。引き寄せの法則だろうか。それとも注目され題材になることが増え、刊行数じたいが増えているのか。どうしてこんなに北海道の物語に惹かれるんだろう、と考えていたら、子供の頃に読んだ『大きな森のちいさな家』を思い出した。シリーズが大好きで、ずーっと読んでいたなあ。あれを思い出すからかしらん。便利な暮らしをしていて、でもこういう本を読むと思う。誰かが拓いたからこそ、今その土地は人が住める土地になっているのだ。北海道だって、誰かが入植して耕したからこそ、豊かな「日本の食糧庫」になっている。物語の冒頭、開拓民たちが辿り着いたオベリベリ。極寒の地に、伊豆からやってきた農民たちは帰りたいと零す。夏でも寒いところにやっと実った農作物を、バッタの大群が押し寄せ食い尽くしてしまう。冬は耕作も出来ず、鮭を釣り狩りをし、家の造作に充てる。昔の暮らしすごい。ヒートテックもないのに(笑)すごい。いやほんと、根性座ってる。素封家と没落士族、士族と農民、アイヌと和人…いろいろな軋轢もあり、けれどうまくやっていかないとならず…。(何度「依田ァ…」と思ったか!)基本的に「西洋が一番優れている」という価値観のもとにあるから、日本人も文明開化の途上にあり、その最先端を行っていた才女・カネや、牧師をしていた兄、教師をしていた夫はみな「農民たちに天主さまの教えを説く」「アイヌが生き残れるように啓蒙してやらなくては」という考え方。畑を耕すことがないアイヌを雇い入れ、飢えることがないようにと農耕を教える。純粋に、ほんとうにそれは善意なんだ。でも色々なものが失われた今となって、それについて読むと「うーん」と思う。カネたちは、アイヌがいなければ、オベリベリの冬は超えられなかっただろう。土着の、文字にされなかった数多の知恵が、彼らを救う。けれどそれは、終わりの始まりでもあって。開拓農民の妻の一人は、考えてはいけないのだと言う。寝て起きて働いて、また寝れば明日が来る。そうやって毎日をやり過ごしていくだけ。それもまた一つの知恵なのだ。摩耗させ鈍化させる。それでも学問をすること(していること)が何なのか。ワッデル師の言葉を、カネは胸に刻みつけて思い返す。みんなの耳と目になること。同じものを目にしても、耳にしても、それによって受け取るものが違う。それは知識や経験の差だ。学問を修めたものにしか出来ないことがあるとすれば、そこなのだろう。惨憺たる結果だった1年目、2年目の農作が終わり、3年目に突入。じゃがいもや豆ならばよく育つことが分かり、馬を使って耕すことも決まった。じゃがいもは加工して澱粉として売れば、日持ちもするし値段も上がる。豚と山羊の飼育も始まった。さてここからどうなるのか!という上巻の終わり。続きを読むのが楽しみ。これまでの関連レビュー・熱源 [ 川越宗一 ]・六つの村を越えて髭をなびかせる者 [ 西條奈加 ]・絞め殺しの樹 [ 河崎秋子 ]・戦争は女の顔をしていない [ スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ ]・同志少女よ、敵を撃て [ 逢坂冬馬 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.10.12
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本のタイトル・作者恋ふらむ鳥は [ 澤田 瞳子 ]本の目次・あらすじ時は、飛鳥時代。額田王(ぬかたのおおきみ)は、大海人王子(おおあまのみこ)との間に娘・十市王女(とおちのひめみこ)を成すも、夫の無理解に別れ、実家へ戻る。酒浸りの父・鏡王(かがみのおおきみ)と家にいるのも気詰まりで、額田は宝女王(斉明天皇)へ仕える宮人(くにん)となる。百済に新羅、唐。外患に倭の存在が脅かされていた時代。白村江の戦い、壬申の乱。宝女王、葛城王子(中大兄王子)、伊賀王子(大友王子)。三代の王に仕えた女性の一代記。引用長い歳月が過ぎ、額田自身の肉体が朽ち果てても、額田が詠んだ歌を無に帰すことは誰も出来ない。ならば歌は、空を吹き過ぎる風だ。遍く地を潤す雨だ。永劫に天に輝く、日月だ。鎌足がなぜ額田を歌詠みにと言ったのか、やっと分かった。国は滅び、政は忘却されても、人の口から口へと歌い継がれる歌はか細く弱いがゆえに、決して朽ちない。儚い政のただなかに没頭していればこそ、鎌足は何者にも壊せぬ歌を恋うたのだ。感想2022年256冊目★★★★面白かった!分厚い(五章で565頁)し、読み初めに「えっこれ飛鳥時代?」と取っつきにくさを感じたんだけど、違和感なくぐいぐい読めたし、私が歴史に詳しくないので「どうなるの!!!」と結末にやきもきしながら読んだ。もとは毎日新聞の連載小説(2020.5.16~2021.6.30)。飛鳥時代の女性、額田王の物語。日本書紀の「鏡王の娘で大海人皇子(天武天皇)に嫁し十市皇女を生む」という記載と、万葉集の長歌3首、短歌10首のみをもとにここまで描けるんだ…と作家の力量に圧倒された。巻末の参考文献の量がすごい。で、まあ歴史に疎い人からしたら「ええええ~飛鳥時代~??」ってなるじゃないですか。特に最初のとこ、白村江の戦いのあたりから始まってて、「ナニソレ」だし。でもこれね、あれなの。ばりっばりのキャリアウーマンの物語なの。この小説では、額田は生まれつき色盲であるという設定。そしてそれを隠して生きている。結婚して子供が生まれるんだけど、その子ももしかしたら色が判ぜられないかも知れない。思い余ってようやく夫にそれを打ち明けるんだけど、夫(大海人王子)は「あ、そうなん?だからなんなん?なんか困るん?」みたいな感じなんですよ。で、額田はもう愕然とするわけ。こいつは、私のこれまでの葛藤とか絶望とかにまったく寄り添う気がなく、私の見てきたもの、見ているものを理解しようとする気がまったくないのだ、と悟る。あかん。無理。というわけで離婚だ!笑幼い娘を連れて実家に帰るけど、実家は良い家柄だけど父親はアル中で怒鳴り散らすし、もう外に働きに出よう!と、宮城(きゅうじょう。みやぎじゃないよ)に勤め始める。時の天皇であった宝女王は、実直に働く額田を重用するが、それはあくまでも女性の働き手として。身のまわりの事や細々とした些事が多かった。彼女が亡くなり、嫡男の葛城が後を継ぐ。葛城(中大兄皇子)はあれですよ!645年に中臣鎌足らと蘇我氏(蘇我入鹿・蘇我蝦夷)を討った人!これくらいなら私も知ってる!笑能力に応じ身分に関係なく位階を授けるなど、大化の改新を行った葛城。葛城と鎌足は、どちらも先進的なものの見方をしている。二人により宮城の空気も変わる。なんというかここらへん、額田がだんだんとステップアップ?していく様子が、「男女雇用機会均等法が施行された直後」の雰囲気みたいなの。額田は馬も乗り回すし(地理的な距離感がバグるくらいみんな奈良と滋賀を頻繁に行き来する…)、自分では上り詰めようとしている気がないと認識してるけどバリキャリ。中臣鎌足は、そんな額田の隠れた、本人も気付いていなかった欲望(娘でも妻でも母でもない、私として認められたい)を見抜き、この国一の歌詠みにプロデュースしてやろう、と言う。(のわりに、額田そんな歌詠んでへんやんと思ったんだけど)でも額田の娘は馬に乗れなくて、それを額田は「私が勤めに出ていて教えてくれる人がいなかったから」と悔やんだり…。仕事だからと育児や介護を人に押し付けてる、と悩むこともある。キャラクターが誰もかれも魅力的で、中臣鎌足とかもうめっちゃファンになってしまった。主のために身命をなげうつ腹黒策士たまらん。この人の権謀術数ほんますごい。はるか遠く、はるか先を見ている。自らの亡き後にも発動する用に、あまたの伏線を、罠を張り巡らせて。鎌足の「誰かと向き合う時には、その相手が周囲にどう振る舞っているかをなぞるのです」という言葉は、なるほどと思った。臆病な相手には気を使い、高慢な相手には一歩も引かない。相手への振る舞い方は、相手に求めている振る舞い方なのか。物語を読み進めるごとに、漢(あやの)王子の鳥のような自由さも、大海人王子の情けなさも、すべて愛おしくなる。讃良(さらら)王女が、次の王を狙っているのでは?とか、女がトップを目指してるのも良い。万葉集をよむと、不思議だ。それが千年も前の人の詠んだ歌であるのに、何もかもすっかり変わってしまっているのに、それでもそこには変わらないものがある。そこに思いを寄せて、理解できる「おなじきもち」がある。もうその時の内容とは違った解釈をされて、「わかる」ということが勘違いなのかもしれない。けどその歌の「骨」のようなものが―――何かを伝える。今の私たちの千年後、何の言葉が残るだろう。誰がそれに思いを重ねるだろう。歌は、歌であるからこそ。その削ぎ落とされた形式の中にあるからこそ、器だけが残り。注がれる感情が変わっても受け止められるのかもしれない。古しへに 恋ふらむ鳥は 杜鵑(ほととぎす)けだしや鳴きし 我が念(おも)へるごとこれまでの関連レビュー・星落ちて、なお [ 澤田瞳子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.10.04
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本のタイトル・作者ノレノレかるた 二人でつくる卒塾制作 [ こまつ あやこ ]本の目次・あらすじ母と祖母が通った中学を受験するため、週に3回「ノーレイン・ノーレインボー進学教室」(ノレノレ)に通う小春。少人数の塾で、中学受験コースの小学六年生は九人。成績順で長机の座席が決まる方式だ。ある日、仕事をまた辞めた父から、古い名刺を貰った小春。何気なくした落書きに同じ塾の英(はな)が文字を書き…「これってかるたみたい?」二人はノレノレの思い出を描く、卒業制作ならぬ「卒塾制作」を始める。引用「まあな。なかなかうまくはいかないよなあ。でもな、一生安泰な人生なんて、ハチマキなしのスイカ割りみたいにつまんないだろっ?」感想2022年254冊目★★★こまつあやこさん(1985年生まれ、現役司書)、デビュー作の『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』が中学受験の問題にめちゃくちゃ取り上げられたそうだ。そういう関係もあっての、中学受験を題材にした物語を書かれたのかなあ。この本、元のタイトルは「2×46」で、毎日小学生新聞に連載(2020.12.2~2021.3.12)されていたもの。作中にムスリムの子がよく登場するのは、こまつさん何か思い入れがあるんだろうか。ヒジャブ(女性が美しい部分=頭髪を隠すために覆う布)をつける女の子についてのところ、日本にもムスリムはいるし、それを奇異の目で見ないためにも、子どもたちに教えてあげたいと思うのだけど、唐突なエピソード挿入のようにも思えた。私も前はムスリムの女性が身体を覆わなくてはいけないことを「男性による抑圧」だと思っていたんだけど、これって元々は「女性を守るため」に考えてくれたんだろうなと思う。当時の男が。時代は下って、現代では感覚的に服の一部みたいな感じのよう。いろんな柄と巻き方があって、ほんとにオシャレ。そこに「やらされてる」感がない限り、部外者がどうこう言うもんじゃないよな、と感じた。けれど一方に最近起きた「適切ではない被り方」による痛ましい事件のように、それはどうしても「男性側の原理の押しつけ」と「そこから逸脱した女への制裁」を免れないわけで…そこにモヤモヤが残ってしまう。市井君がジェンダーにとらわれない選択をするあたりも、英の家がステップファミリーなのも、この短い話の中にあれこれ詰め込んだ結果、どれも中途半端というか…。「こういうネタいれたいの全部入れておきました、世の中的にもこういうの求められてるし」みたいになっちゃって残念。同じ場所につどう子どもたちにも色々な事情があり、背景がある。それを描くのは賛成だけど、英と小春の話を掘り下げてもよかったんじゃないかな。しかし小春の家は、お父さんが転職を繰り返しているわりに、お母さん週3のパートだし、家計に余裕がありそうなんですよね…すごいな。我が家は「大学(院)までオール国公立」派なのですが、まわりには小学校受験、中学受験する人が増えてる。うちも子どもが1人だと私立に入れたかなあ。入れたかもしれない。子どもには社会にいろんな人がいるように、いろんな人がいる環境を知って育って欲しいのだけど、同時にその中で育つ難しさもあって。私立は一定選られた人のみの世界。ゲッタード・コミュニティ。階級の再生産になるのは分かっていても、それを教育環境として肯定する自分もいる。それが自分の子であれば、「そうはいっても」となってしまう。良い環境を。学習塾を舞台にした物語では、・みかづき [ 森絵都 ]・金の角持つ子どもたち [ 藤岡陽子 ]の2冊がおすすめ。どちらも「教育とは何か」を考えさせられました。これまでの関連レビュー・リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ [ こまつあやこ ]・ポーチとノート [ こまつあやこ ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.10.02
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本のタイトル・作者絞め殺しの樹 [ 河崎 秋子 ]本の目次・あらすじ父はなく、生後間もなく母と死に別れ、祖母に育てられたミサエ。その祖母も亡くし、新潟の親戚の家に引き取られていた彼女を、祖母と縁が深いという吉岡家が引き取ると言う。昭和10年、ミサエは10歳で根室の地を踏んだ。牛飼いの吉岡家で使用人として苛烈な扱いを受け続けたミサエは、遊里に売られそうになったところを出入りの薬屋に救われ、札幌の薬問屋で働き始め、やがて保健婦となる。そんな彼女に、恩人は根室へ戻ってきてほしいと懇願し―――。引用ミサエは将来に何かの希望がある訳ではなかった。このまま自分はずっと吉岡の家で働かされ、新潟に戻ることも、嫁に行くこともないまま、擦り切れて死ぬのかもしれない。そう思っていたが、楽しいと思える勉強だけは、どれだけ疲れていたとしても睡眠時間を削って続けた。その先に光がなくとも、何かをしていること自体が楽しい。そう思えることが救いだった。感想2022年252冊目★★★第167回直木賞候補作。著者は、1979年北海道別海町生まれ。『絞め殺しの樹』というおどろおどろしいタイトルから、富士の樹海的なところを舞台にした殺人事件のミステリーだと思っていたら違った。読み始めて「『おしん』やん…!」となった(おしん詳しく知らんけど)。特にはじめのミサエの子ども時代は、・女たちのテロル [ ブレイディみかこ ]・両手にトカレフ [ ブレイディみかこ ]の金子文子の子ども時代と重なった。特に、ミサエが新潟の親族の家で幼い子の世話をし、それで与えられなかった温もりを自分より弱い者・幼い者へ求めるというところ。ミサエの子ども時代はハラハラしながら、そしてこの子はこれからどうなってしまうのだろうと読んだ。これだけ分厚いのだもの、きっと一発逆転のシンデレラストーリーが待っているはずだ…!と信じて。続くミサエが保健婦になってからの時代編は、なんというかやり切れない。小学生の娘がいっしょうけんめいに話しかけてくるのを、仕事終わりに疲れ切っていて聴く疎ましさも、分かる。その余裕のなさが。「働く母」の先駆けだった彼女。今よりも外で仕事をする女性に理解のなかった時代、何もしない夫に、実家からの援助もなく。一人で何もかもを抱え、幼い頃の自分と比べて全てにおいて恵まれた我が子を叱咤し続ける。その声を聞くことなく。そして事件が起こる。最後の章はミサエの死後の話。視点が変わって「えっ」となった。ミサエよ…!この語り手が幸いにめちゃくちゃ良い子なのが救い。悲惨な家庭環境で、よう歪まんと育ってくれた。これがほんまどーしようもない子だったら、ミサエが報われんわ。これは、厳しい北の大地に生きた女の物語。タイトルの「絞め殺しの樹」は、菩提樹のこと。絡みついた木の栄養を奪い、元の木を殺してしまう「シメゴロシノキ」。この木の話で思い出したのが、タイで見た「ワット・マハタート」。木の根に埋まった仏頭。これも、菩提樹らしい。絡みつかれて、締め付けられて。でもそれは包まれているようにも、支えているようにも見える。ひとりで生き、死んだミサエ。彼女が離れられなかった、土地のしがらみ。最後に残された者は、根室で生きる覚悟を決める。受け容れて、流されず、自ら立ち、その地で生きていこうと。私は読みながらずっと「はやく逃げて!」と思っていたので、この決断は意外だった。人が生まれて繋がる縁、また死んで解ける鎖。生まれた場所。育った土地。そこの人々。絡みついて逃れられないそれに、けれど自らの拠り所も見る。彼は、自分が絞め殺される木だったのではなく、また絞め殺しの木だったと気付いたのだろう。そして、中の空洞を抱きながら生きていこうと決めた。若い彼が人生の虚(うろ)を探し求め、いつかそこが満たされると良い。諦念めいた穏やかな微笑を浮かべる仏頭のような、何かが。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.30
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本のタイトル・作者くるまの娘 [ 宇佐見 りん ]本の目次・あらすじにい、かんこ、ぽん。三人の子どもたちを母が呼んだ声はもう、遠い。兄は家を出て、弟も家を離れた。脳卒中で倒れた母は、直近の記憶を失い、泣き喚いては死にたいと叫ぶ。両親に顧みられることなく育った支配的な父は、意に添わないことがあれば暴力をふるう。優等生だった17歳のかんこは、高校へ行けなくなった。祖母の葬儀へ向かうため、父母とかんこは、かつて一家で車中泊をし旅した車で出かける。引用父は、擬音に正しく言葉をあてはめることをしなかった。話が深刻であればあるほど、そうなった。擬音は空欄だった。穴だった。父は穴にあてはまる正しい言葉を避けた。選び取ることができないのかもしれなかった。空欄に適切な言葉をあてはめるには、もとの時間に戻って再体験しなければならない。再現された景色のなかに身を投じ、傷をあじわいなおさなければ、痛みを伴う言葉は出てこない。感想2022年251冊目★★★レビュー忘れ。正しくは248冊目で、247.「読む」だけで終わりにしない読書術 [ 本要約チャンネル ]と248.プリズム [ ソン・ウォンピョン ]の間に読んでいたもの。宇佐美さんの作品を読むのは3作目。なんというか、なんだろうなあ。「同じテーマを、手を変え品を変え書く」は、私は別にいいと思っている。ワン・イシューの作家でも、それが本当に伝えたい事なのだから。けれど伝え方は変えないといけない。宇佐美さんの「母と娘」はすべて同じベース過ぎて、正直もう三作目でお腹いっぱいというか、同じテーマであってもほかの書き方をしないなら読まなくて良いかな…と思った。有名人をドラマに起用して、その人物のキャラクター像はそのままにドラマの設定だけが変わると、「○○のもしもシリーズ」と揶揄される。あるいはデコレーションケーキのベースはすべて同じで、上の飾りだけが変わっているみたいな…。一作目のテーマが、宇佐美さんが本当に何度も設定を変えて書きたい事なんだろうか。それとも、売れたから書かなくちゃいけなくて書いているだけなんだろうか。この本で、子供は親の親でもある、というようなことが書いてあるのだけど、理解できるけど私はそれには反対だ。大人は、大人なんだ。どんな傷を抱えていても、それを子供が親代わりになって癒してやる必要はない。大人の中にその人のちいさな子どもを見ることは、別にいいんだ。尾崎かおりの漫画『ピアノの上の天使』という作品に、「みんな、はじめはちいさな子どもだったんだ。そのことを思い出せばいい」という台詞がある。その子どもの面影を見ること。消えない傷跡に触れ、その傷を見止めること。けれどそれと、「その子ども」を「子どもとして扱う」ことは違う。子どもは大人の親になる必要はない。なってはいけない。この小説は、親子が車で祖母の葬儀に向かう途中、思い出の道を辿る。その状況に、私の記憶の底にあった記憶が蘇った。小学生の頃、曾祖父が亡くなった。父の運転する車で、葬儀へ向かう。いつもはお盆に帰省する田舎。冬に訪れるのは初めてだ。雪が積もっている。間もなく日も暮れる頃。検問がある。警察が車を止める。雪道は危険なのでチェーンをつけるようにと言う。父は、車にはチェーンが積んであるので、装着すると答える。警察は車を通す。私は知っている。チェーンはない。車は、頼りないライトを灯し雪の降り積もる夜道を走る。山道のカーブを曲がるたび、私は祈る。死なないように。明日の朝刊の見出しが頭をよぎる―――雪山で車が墜落し一家死亡。車はなんとか連なる山を越える。父の腕の緊張が解ける。父は笑う。ほら、大丈夫だっただろう。私はぎこちなく微笑み返す。曖昧な同意に見えるように。私は胸に刻みつける。父は手間と金銭を惜しんだのだ。私たちの命より。私は今でも、車に乗ると身体が強張る。王国に君臨する「彼ら」と、そこに傅く「私たち」。己の気分次第で、気儘に振る舞うことを許されていると思っている「彼ら」。「彼ら」の機嫌を損ねないように、諦めて肩を落とし目くばせをする「私たち」。口を出せばもっと酷いことになる。だから黙っていなさい。従順に。異を唱えずに。生殺与奪の権を他人に握らせるな。「鬼滅の刃」で、冨岡義勇は言う。誰かの支配下に置かれるということは、相手に生殺与奪の権利を握らせることだ。相手に決定権を与え、口を噤むことだ。子どもだった私はずっと考えていた。なぜ大きな力のもとに置かれなくてはいけないのだろう。自分で稼いでいないからか。なら私は、一生自分で自分を食わせる。誰にも自分を支配させない。私は、私のものだ。物語の「くるまの娘」、かんこは17歳。まだ、運転ができない。免許をとりなよ、と「母」は言う。それがこの物語の象徴のように思った。自分で望んだ場所に、行けること。―――けれどまた、その場所に行くために置いていくことが出来ないものもあること。これまでの関連レビュー・推し、燃ゆ [ 宇佐見りん ]・かか [ 宇佐見りん ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.29
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本のタイトル・作者夏の体温 [ 瀬尾まいこ ]本の目次・あらすじ血小板が少ないことが分かり、薬で様子を見ながら1か月以上入院している小学三年生の高倉瑛介。小児病棟の東棟は、県内唯一の内分泌系小児専門医がいて、低身長の検査入院にやってくる子どもたちばかりだ。年下ばかりでつまらない―――そんな時。同い年の田波壮太がやって来た!2泊3日の検査入院。短すぎる夏のともだち。「夏の体温」ちいさな頃から文章を書くのが好きで、妄想の世界に浸っていた私・大原早智。大学一年生で県の主宰する文学賞を最年少受賞、受賞作を出版。二年生のときに二作目を出した。けれど編集者から、登場人物が「みんないい人」でリアリティがないと言われ…。私は、同じ大学で「ストブラ(ストマック・ブラック)」とあだ名される腹黒の悪人・倉橋ゆずるに取材を申しこむが…。「魅惑の極悪人ファイル」転勤の多い父親のせいで、転校を繰り返して来た明生(あきお)。今度は祖母の家に同居することになり、中学1年生で通い始めた新しい学校にまだ友達はひとりもいない。「花曇りの向こう」引用空想の中で私はいろんなものを見ていろんな思いをして、涙を流し興奮し笑った。それで十分楽しかったし、それで心が癒されていた。けれど、それとは明らかに違うものがあることを知った。物語は私を救ってくれる。しんどい現実から、優しい世界へと連れだしてくれる。だけど、こんなふうに頭の中以外を動かしてくれることはなかった。現実は、私の意志のもと、私の体をどこにだって運んでくれる。感想2022年250冊目★★★瀬尾さんで読むのは三作目。これは、短編3本が収録されたもの。特に一番最後の「花曇りの向こう」はとても短い。これは、中学1年生の国語の教科書(2016年発行、光村図書出版株式会社「国語1」)に掲載されたものだそう。「夏の体温」は夏休みの読書感想文にちょうどよい題材と長さ。私は小学生のころ、一ヶ月ほど入院していたことがあって、そのときのことを思い出しながら読んだ。毎日毎日、同じ日々の繰り返し。私は本をたくさん読めるので幸せだった。母が差し入れてくれる図書館の本の山。担任の先生がプレゼントしてくれた『しろばんば』。お絵かきと読書とテレビ。隔絶されたモラトリアム期間。退院のまえには、家に帰りたくない、日常に戻りたくないと隠れて泣いたくらいだ。でも闊達な男子小学生には、そんな日々は苦痛でしかないのだろうな。まして同い年の子供いないのであれば尚更。経過観察で入院中の主人公の瑛介。そして、5回目の低身長の検査入院に訪れた壮太。私はもう、どうしてもこういう物語を、子供の目ではなく母の目を通して読んでしまう。ふたりの付き添いのお母さんーーー病院の付き添いも、概してお母さんしかいない世界だーーーは、どんな思いでいるだろう。原因不明の痣が出来たことから、あれよあれよと長期入院生活を送ることになった息子。瑛介の母は毎日、病院の付き添いをして泊まる。その日々。9歳だけど幼稚園くらいの身長しかない息子を持ち、幾度も検査入院を繰り返す壮太の母。治療をすれば、普通に背が伸びるのではないか。そんな一縷の望みを捨てきれない。どうして。せめて。なんとか。たくさんの言葉を飲み込んで。子どもは勿論だけど、そのケアをする人にも息を吐ける場所が必要だよなあ…。「魅惑の極悪人ファイル」は、著者である瀬尾さん自身のことも含まれているのかなと思った。「いい人だけの世界」の物語から出て行く、という方法が、こういうやり方であってもいいじゃないか、という。伊坂幸太郎作品を読んでいると、もう純度百パーセントの悪じゃん、という存在が出てくるんだけど、たいていの物語は「でもこの人がこういうのには理由があって」「そうじゃない部分もあるんだよね」と描かれる。人間はその時々によって見せる面が違って、その濃度というか、「その瞬間」の黒と白の攪拌によって、善にも悪にも見えるのだ。たいていはその沈殿と上澄みの間にいる。その時に、人間の本質はどちらと見るか。著者の瀬尾さんは、「たいていの人間は「よいほう」を志向する生き物だ」と考えてらっしゃるのだろう。そうありたい。そう信じたい。だから私は物語を書くのだ、と。だから引用部は、著者からのメッセージのようにも思えた。物語の世界はやさしい。私が見せる世界は、よいものを見せようとしている。でも、若い君は現実を肌で感じなきゃだめだよ。心の柔らかいうちに、外へ出て行くんだ。触れるものすべてが、それが痛みであっても、心を動かす。自分だけで完結していた世界が、思ってもみなかった方へ、終わりなく繋がって広がる。それが楽しいんだよ。面白いんだよ。物語の世界はいつでもここにある。君を待っている。だから安心して出かけておいで。外の世界へ。現実の君の場所へ。さあ扉を開けて―――いつでもここへ戻ってきていいから。そっと背中を押すような、厳しくも優しい声を聞く。この人が書きたいのはきっと、そういうことなんだろうなと思った。それは、日常には絶えず戦いが待っていて、現実が辛くて仕方なくて逃げたくて、現実にないセーフティゾーンを本の中に求める人間には、酷であろうとも。これまでの関連レビュー・そして、バトンは渡された [ 瀬尾まいこ ]・その扉をたたく音 [ 瀬尾まいこ ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.28
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本のタイトル・作者タイムマシンに乗れないぼくたち [ 寺地 はるな ]本の目次・あらすじコードネームは保留タイムマシンに乗れないぼくたち口笛夢の女深く息を吸って、灯台対岸の叔父引用「処世術ってことですよね。僕も仕事に行く気がしない時とかによく『会社員の役を演じてるつもり』で出勤するんです。それと同じですよね」働きに行くんではない、今日いちにち会社員の役を演じるだけだ、と思うとけっこう楽しく働けて、ミスをしてもあんまり落ち込まずにいられるのだそうだ。感想2022年237冊目★★★あー、私この人の目線とか物事の見方とか、やっぱ好きだなー、と思った短編集。あと自然な関西弁ね。自分の内側にある言葉を、本質で表せるのはやっぱり方言なのだ。標準語はその一段階上のレベルで書いている「よそゆき」の言葉だから。「コードネームは保留」は、自分は「殺し屋」という設定で日常を送る事務員の話。引用部のように、「会社員」という設定でいるのもいい。そうすれば、自分のほんとうのところは傷つかない。これは仮のすがた。かりそめの私。「タイムマシンに乗れないぼくたち」は、友人が出来ず博物館に通い詰める少年と、そこで出会った奇妙なおじさんの話。タイトルの『タイムマシンに乗れないぼくたち』というのは、タイムマシンに乗る資格がない(能力がない)という意味だと思っていた。でも違った。タイムマシンに乗っていったら、いなくなった人たちが悲しむだろう。だからタイムマシンがあっても、ぼくたちはそれに乗れないね、という話だった。この世界に引き留めるものがあること。愛しくてかなしい、そのしがらみ。兄の娘を保育園に迎えに行く役目を負うことになった叔母の物語、「口笛」。絵にかいたような幸せな暮らしの中で、義理の姉はどうして病んでしまったのか。急逝した夫のパソコンに残されていた自作の小説の登場人物サエリ。架空の彼女と共同生活を送ることになった妻の物語「夢の女」。夫の小説に自分と娘が存在しない理由、が「いいな」と思った。ちいさな町で、抑圧されながら生きる少女。目立たぬように、息を殺しながら日々を送る彼女が出会った映画の登場人物。君はどこかへいけるのだ、というエールのような物語「深く息を吸って、」。高校の同級生だった人気カップル。ひょんなことからその仲裁役になってしまった私の話「灯台」。妻の父の弟。変わり者のマレオさん。縛られて生きていく日常のなかで、そこから自由になること。「対岸の叔父」ふとした描写に「ああ、すき」となる。トースターが元気に手を挙げる小学生のように鳴る、とか、どんな比喩よそれ!ってなるんだけどすき。寺地さんの過去作品、もっと読みたいな。これまでの関連レビュー・水を縫う [ 寺地はるな ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.15
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本のタイトル・作者夜に星を放つ [ 窪 美澄 ]本の目次・あらすじ真夜中のアボカド銀紙色のアンタレス真珠星スピカ湿りの海星の随に引用仕事をしているデスクの目に入るところにアボカドの種の入ったグラスを置いた。なんとなくアボカドに監視されているみたいだな、と思いながら。けれど、その頃の私にはそういうものが必要だったのだ。目に見えて育っていくかもしれない命の元みたいな存在が。感想2022年234冊目★★★第167回直木三十五賞受賞作。はじめて読む作家さん。まったくの思い込みで「柳美里」さんと同一視していて(美しかあってないやん)、手にとることがなかった。損してた。結構好みでした。ずば抜けて良い!!というわけではなかったので、なんでこれが直木賞とったのかは分からんかったけど。星(星座)をテーマにした短編集。一卵性双生児の妹・弓ちゃんを亡くした32歳の綾。コロナで在宅勤務が続く中、婚活アプリで出会った麻生さんとゆるい交際が続く。弓ちゃんの恋人だった村瀬君と、命日に居酒屋で飲み…。という「真夜中のアボカド」。植物が育って行く、というの、なんであんなに「うわあ」ってなるんだろう。生命の力強さが芽吹く、というか。今年、娘が小学1年生で、朝顔の種を持ち帰って来た。家でも植えてください、ということで、鉢を用意した。私は「いやだな」と思っていた。虫が出るかもしれないし、モノが増えたし、管理できる自信がない。けれど芽が出て、蔓が伸びて、蕾が出来て、花が開いて。そのたびに心が沸き立つ。視界に入ると「いいな」と思う。ウキウキする。ワクワクする。これって、植物にしかない力だ。夏の終わりでも、まだ朝顔は花を咲かせている。そのことに、勝手に感傷的になってしんみりしながら、種をとる。きっと私は、来年もまたこの種を植えるだろう。「銀紙色のアンタレス」は、海のそばの祖母の家を訪れた男子高校生の話。年老いて行く祖母、自分を追い駆けてきた幼馴染。けれど彼の頭を占めるのは、赤ん坊を連れた「たえさん」。灼熱の砂の感じ。あちちっと言いながら走って海まで駆けるような。ぽっかり浮いて白い太陽を眺める。水音に頭を預けて。「真珠星スピカ」は、母親を事故で亡くした不登校女子中学生の物語。母の幽霊が見えるようになった彼女。スピカって、和名で「真珠星」っていうのね。知らなかった。きれいな名前。自分が急に死んで化けて出られるとしたら、その姿を子どもにだけ見せられるとしたら(言葉は通じないのだけど)、どうするかな。がんばれー、と見守ることしかできないんだもんな。妻が幼い娘を連れ、アメリカのアリゾナへ行ってしまった。娘は新しいダディと暮らしている。ひとり残された沢渡は、隣室に越して来たシングルマザー母子と親しくなるが…という「湿りの海」。これはね…うん。私はたぶん、沢渡の側の人間。自分が一番たいせつで、ほかの人の事なんてどうでもいい。それが家族であっても。妻が沢渡に放った言葉は、私にも刺さる。自分のことが嫌いということは―――自分のことを憎み抜くということは、翻って自己愛の塊ということだからね。自分の事しか見ていない。それだけで精一杯だから。それは自分のことが一番大切で大好きということと、どう違うのだろう。父の再婚で新しい母・渚さんと弟・海くんが出来た小学生の想。けれど赤ん坊の世話で渚さんは、僕が帰って来る時間にドアのカギをかけたままにしてしまう。同じマンションのおばあさんがそんな僕を部屋に入れてくれ―――。「星の随に」このお母さん、悪い人じゃないんだよね。ただ眠りたいだけ。泥のように。そこに夫の連れ子が帰って来る。おやつを用意しなくちゃ。塾のお弁当も。やっと寝たその子に触らないで―――!悲鳴のような、ぎりぎりの叫び。罪悪感とともに確保する睡眠時間。鍵をかけて、彼女は眠った。わざとじゃない。気付かなかっただけ。疲れ切っていて、気付かなかっただけ。この本には「子育てに疲弊して追い詰められた母親」がたくさん出てくるので、胸が苦しくなった。彼女たちはげっそりと窶れ、倒れそうになりながら踏ん張っている。でもほんのわずかな衝撃の一つで、膝から崩れ落ちてしまうのだ。彼女たちは、光る星なんて見えない暗闇の中にいる。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.12
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本のタイトル・作者香君 下 遥かな道 [ 上橋 菜穂子 ]本の目次・あらすじギラム島でひそかに改良された「奇跡の稲」が見つかり、オオヨマにたかられても大丈夫なオアレ稲が全土に広がった。けれど、アイシャは不安を払拭できない。オオヨマにつかれたオアレ稲はずっと叫びを上げ続けている。来て!来て!来て!―――いったい何を呼んでいるの?そんな時、行方不明になっていたマシュウの父が発見される。時を同じくして、バッタの群れが帝国の辺境に襲来する。それは空を覆い尽くし、オアレ稲についていたオオヨマを貪った。ならば朗報と思った矢先―――孵化した幼虫は、オアレ稲をも食べ始めた。のみならず、その変容したバッタは、周囲の草木も食い尽くす。オアレ稲の耕作地に、ほかの植物は生えない。家畜たちは、オアレ稲の藁を飼料にしている。他国への貿易は、オアレ稲が担っている。このままでは民は飢え―――国が、滅びる。引用「この国が若かった頃、人々が凍った大地を耕し、ようやく生きていた頃、この句の人々は生き残るために身を寄せ合い、国が豊かになれば、自らと家族だけでなく、共に生きる仲間たちも幸せになると思ったでしょう。その頃は、きっと、自らが支えている国の姿が、ひとりひとりに見えていたはずです」(中略)「陛下」と、マシュウは言った。「大きくなり、豊かになったこの国の中で、自らがどのような国を、どのように支えているのかを思う者は、どれくらいいるでしょう。藩王国を含め、多くの他者の痛みが、自らの痛みでもあるのだと思える者が、どのくらいいるでしょう」感想2022年233冊目★★★オオヨマとずっと戦っていた上巻だったけど、一転、下巻はバッタとの戦いになった。蝗害(こうがい)といえば、私は『大きな森の小さな家』シリーズを思い出す。空を埋め尽くすバッタの群れ。黒い雲が渡っていく。すべて喰い尽くされる。なすすべもなく。幼心に恐怖したあのシーン。だから今回も、「ああ!どうか止まって!」と祈るような気持ちで読み進めた。帝国全土のオアレ稲を焼く。それしか、方法はない。けれど政治はそれを赦さない。香君(私はどうしても「香宮」と書いてしまう)であるオリエは、強い。飾り物である自分を、有効に使おうとする。はじめて、自らの意志で。アイシャがオリエの傍らから立ち上がった時は、「おお」と思った。我こそは香君である―――いやそんな急に言われても、と思うけどね。騙されたいのだ、という言葉があった。自分より大きな存在に、神に、権力に、信じて、託して、頭を預けてしまいたいのだ。思考の放棄。そうすることで救われたいのだ。誰かの、何かのせいにして。オリエが出来なかったことを、アイシャは引き継ぐ。人としての香君。知識をつけさせ、自分たちで考え、判断できるように。上巻で推せ推せだったマシュウ×オリエ。私ひそかに、オリエとは結ばれず、マシュウとアイシャが結ばれてしまうのでは…と危惧していたのですが、そんなことはなく。ハピエンでした!ヒャッホー!よかったねマシュウ!!!最後の「旦那様と」ってアイシャがオリエに言って、オリエが照れるとこ、めちゃくちゃ良かった。マシュウはものすごく大事にするんだろうな、オリエのこと。偽りの神を下りて、はじめて生きていられた香君。異郷の扉が開かれるところは、どういう仕組みなのかよくわからず。山を越えたところをそう呼んでいる…というわけではなさそう。あまりにも世界の仕組みが違いすぎる。ということは、ほんとうに異世界なの?扉ってどんなん?開くってどういうこと?なんで記憶曖昧になるの?女の子たちはなぜ預けられたの?(種が芽吹くように、で最後は連れてこなかったのは、ほかの方法が見つかったからなのか、もう滅びたからなのか…)あとがきで、著者がこの物語が生まれた経緯について語っていらして、「よい語り部はよく聞く人でもある」ということを思った。「何かを書きたいけど、どうすればよいですか」とか、「アイディアはどんなときに思いつきますか」と作者の人がきかれて、よく「たくさん本を読んで、映画を観てください」と答えている。それってこういうこと。アイシャが匂いを嗅ぐように、あらゆる世界に物語の声を聞く。そこにあるものが作者のなかに蓄えられ、醸されて、物語が生まれる。これまでの関連レビュー・香君(上)西から来た少女 [ 上橋菜穂子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.11
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本のタイトル・作者?香君 上 西から来た少女 [ 上橋 菜穂子 ]本の目次・あらすじオアレ稲。香りで万象を知る「香君」とともに、神郷オアレマヅラからもたらされた奇跡の稲。それは実り多く、かつてない数の民を養った。象徴としての香君と、実権を握る皇帝。ウマール帝国は、オアレ稲の種籾と肥料を管理することで、領土を拡大し、国を支配した。そして時は下り―――。国を追われた西カンタル藩王の孫・アイシャ。かすかな匂いも感じ取ることのできる鋭い嗅覚を持つ少女は、藩王国の視察官・マシュウ=カシュガに命を助けられる。オアレ稲を植えた土には、他の作物は生えない。ではもし、オアレ稲に致命的なことがあれば?今や帝国の民の命を支えるオアレ稲に、危機が迫っていた。引用「不思議ね。――この世は無情で、動けぬ気は、樹皮が剥げれば立ち枯れていく。でも、こうして周りが手を差し伸べてくれて、守られることもある」オリエは細い声で言った。「ここに来るたびに、思うの。多くの他者が互いに手を差し伸べあっていることの意味を。弱いものを見放さず、手を差し伸べることが、何を守るのかを」そして、陽当たりのよい草地に目をやった。「お日さまの光を独り占めして立つ木は、幸福そうに見えても、周りと繋がりを絶たれて、吹きさらしの中で、ひとり生きていかねばならない。本当は寂しいのかもしれないわね」感想2022年231冊目★★★きれいな表紙。上下巻ならべるともっと素敵。金色のところは箔押し。余白が多く、漢字にもけっこう振り仮名がふってある。扱いは児童書になるのだろうか。先日、図書館の予約カウンターでこの上下巻を年配のご婦人が受け取ってらっしゃり、その顔が「うふふふ」ともう喜色満面だったので、「ああ、いいなあ」と思った。物語の世界に、年齢は関係ないよね。上橋さん、ちゃんと読んだことがなく、アニメ「精霊の守り人」をプロダクション I.Gが作っていたので見て、原作1巻だけ読んだのだったかな。この人すごいな、風俗風土をほんとにあるみたいに書くのだな、と思ったことを覚えている。(ちなみに私はシュガ様×チャグム推し。)これも設定が凝っていて、ファンタジーものには必須の地図と登場人物紹介も冒頭にある。上巻は「オアレ稲、香君の秘密」がメイン。そして帝国に迫る危機。物語が途中、けっこうパッと数年経つので、章の読み初め「おうっ?」となった。上巻の最後は「何を、何を見たの…!!!!」と一刻もはやく下巻が読みたくなる終わり方。オアレ稲という、「連作できる」「ほかの作物が育たなくなる」「土の性質も変えてしまう」「帝国から下賜される種でなければ芽吹かない」特殊な稲。それにオオヨマという虫がついてしまう。アイシャたちは、オアレ稲と他の生物の共生の方法、オオヨマを生じさせない道を探るが――という上巻。匂いに敏感なアイシャの世界は、どんなものなのだろう。彼女には、「匂いが煩い」のだ。『鬼滅の刃』の炭治郎もおんなじなのかな。登場人物がみんな魅力的なのだけど、私は特にマシュウ×オリエ推しです!!!新カシュガ家の前当主の弟を父と、辺境の地の母を持つマシュウ。小貴族の娘だったが、「香君の生まれ変わり」として見いだされ、帝国の飾り灯篭として生きることになったオリエ。香君は、恋をしてはいけない。誰かを愛せば、殺されてしまう。なんとかオリエを守ろうと緻密に、冷徹に計画を巡らせるマシュウ。美しく優しいだけではない、芯の強いオリエ。山奥で秘密の愛をはぐくむ二人。ぐはああぁあっ!ああああああ!!!笑鳩便で、ふたりにしかわからない言葉で手紙のやりとりするの、良すぎるんですけど!!!子供の頃からマシュウが「好きになられたら困る」と言ってたの、良すぎるんですが!!!オアレ稲の衰退は、香君への崇拝の力を弱める。香君は「生まれ変わり」。弱まれば、いくらでも「替え」を用意されるのだ。民の飢えを防ぐ。それと同じだけの切実さで、真摯さで、マシュウはオリエを守ろうと算段している。幾重にも罠を張って、幾筋も計画を練って。ああ、愛が重い。そこが良い。ハッピーエンドで!と思うのだけど、どうなるかハラハラ。香君制度がある限り、オリエはマシュウとは結ばれないよね…。マシュウよ、またヒリン(量によって仮死状態を作れる)つかう?↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.08
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本のタイトル・作者おれたちの歌をうたえ [ 呉 勝浩 ]本の目次・あらすじ序 昭和四十七年第一章 さよならの今日に 令和元年第二章 すべての若き野郎ども 昭和五十一年第三章 追憶のハイウェイ 令和元年第四章 強く儚い者たち 平成十一年第五章 巨人 令和元年第六章 誰ぞこの子に愛の手を 令和二年引用この世界には大きなさだめがあって、自分ではそう思っていないうちにそうなってしまうんだ。意志の力や努力ではどうにもならない、そうでしかあり得ない仕組みの、おれたちは小さな部品にすぎない。どれだけ背伸びをしても、部品が全体を見わたすことは不可能だ。自分はなんの部品なのか、何に必要な部品なのか、いつそれは出来上がるのか、出来上がらずに終わるのか、何もわからないままに暮らすんだ。隣人を愛し、苦労を惜しまず、世の中の役に立つよい部品を目指した結果、組み上がった製品が機関銃だったりするのさ。自分が兵器になっていること自体、部品にはわからない。弾が発射され、誰かが血を拭き、それでようやく気づくんだ。『ああ、こうなったのか』感想2022年230冊目★★★第165回直木賞候補作。ハードボイルドな表紙絵と冒頭の表記から、てっきりシベリア抑留の話だと思っていたら違った(先入観で判断し過ぎ)。それでなかなか手が伸びなかったのだけど、読み始めたら続きが気になって一気読み。はじめに大きな謎がある「今」の話と、回想として「過去」の話を挟み、謎を解いていく。デリヘルのドライバーをする河辺久則。元警視庁捜査一課の肩書きもむなしく、今は腐った貧乏暮らしだ。そんなある日、久則の携帯が鳴る。幼馴染・五味佐登志の訃報だった。殺された佐登志の世話係だったというチンピラ・茂田は、佐登志が金塊の暗号を残したと嘯く。それは、かつて「栄光の五人組」と呼ばれた昔なじみにしか解けない「謎」だった。彼らが「栄光の五人組」と呼ばれるようになった事件。五人が散り散りになるきっかけとなった惨殺事件。そしてすべてのピースが埋まる時、現在と過去は繋がり、すべての謎は明かされる。久則がハードボイルドでひたすらカッコよかった。佐登志のお茶目な感じも魅力的なんだけど、私は久則派。いやあもう、いいよね久則。熱いんだけど冷静で、諦めているんだけどしぶとくて。佐登志の遺した暗号、かなり念入りに作られていて、佐登志ってそこまで文学少年じゃなかったから、最初は「ほんまに自分で考えたんかな」と思った。でも、彼はコツコツと読んでいた。ずっと。セイさんが、新たに学んでいたように。私なら自分が「栄光の五人組」だとしても、気付けないかも。笑本の内容を使った暗号、しびれますよね。大好き。誰かに見せ続けなければならない幻。永遠に虚ろな人生を続けていく苦さ。そして「夢」を守るために犯す、罪。許せないこと、は人によって違う。何が致命的な傷になるかも。誰かを殺してまで、守りたいもの。その人を、なんとか立たせているもの。だからその一線を越えてきたら、もう戻れない。ゴダイゴの「イエロー・センターライン」を読み終わった後に聴いてみた。ああ、なんだかこの本、『アヒルと鴨のコインロッカー』をちょっと思い出すな。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.07
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本のタイトル・作者砂嵐に星屑 [ 一穂 ミチ ]本の目次・あらすじ妻帯者と不倫し、東京に飛ばされた43歳のアナウンサー・三木。相手が病気で亡くなり、大阪に戻って来た。しかし資料室に彼の幽霊が出ると聞き…。「春 資料室の幽霊」大阪北部地震の日。52歳のデスク・中島は、自宅から徒歩で職場に向かうことになる。30人以上いた同期は、20人残っているかどうか。同期の市岡は報道局次長だ。自分は何をなしたのか、何ができるのか―――。歩きながら考える。一人娘とは、このところ、ろくろく口もきいていない。熊本地震から1カ月現場に詰め、戻ったところにTwitterで得た情報でマスコミを非難され、「お前に何が分かる」と怒鳴りつけてしまってから。「夏 泥舟のモラトリアム」佐々結花は、眼の中にほくろがある。それを、木南由朗は「月と金星」と言った。テレビ局のタイムキーパーをする佐々は、気象情報会社から派遣されている木南とルームシェアをすることになる。こんなにも好きなのに、由朗は決して結花を好きにならない。由朗は、ゲイだから。「秋 嵐のランデブー」ADをする晴一は、彼女に振られたばかり。仕事も不安定だ。何よりADという職業に向いていない。そんな時、穴埋めに「アラサー」という番組の1回を任せられる。病院を回って子供たちを笑わせるピエロ、「クリニクラウン」。腹話術の人形「ゆうたくん」を操る並木広道を取材することになった晴一だが…。「冬 眠れぬ夜のあなた」引用やらかして、腐って、いじけるばかりだった日々を、評価してくれる人がいる。こんな自分でも頼ってくれる後輩がいる。邑子は「大丈夫」と言った。「大丈夫、頑張れ、ちゃんと見ててあげるから」それは自分にかけた言葉でもある。わたしはこれからも漂い続ける。ちょっとした波で浮き沈みを繰り返し、頼りなく漂流するだろう。でもそのうち、与えられた地図にはない、新しい海を見つけることだってあるかもしれない。生きている限りはそれを楽しみにしていい。感想2022年225冊目★★★★大阪の放送局を舞台にした群像劇。阪神大震災、梅田の発展、大阪北部地震…。関西、特に大阪に住んでいる人には、それぞれの時の記憶や光景が蘇ると思う。私も先日、尼崎を「ああ、ここを中島さんが歩いてたんやなあ」と思いながら通り過ぎた。ちょっとした光景や何気ない風景に、ふと目を留める。通り過ぎてしまうそれを、言葉にして、意識にのぼらせる。そういう書き方の物語だった。月みたいに、と思う。ある人が見せている面は、その一面でしかない。その影を、見ることはない。当たり前のように生きて、日々を送って。いろんなことがあって、でもそんなに大したことはなくて。表面上は穏やかに、過ぎていく毎日。日常が押し流していく。ちょっとした違和感を、やるせない葛藤を、立ち止まりつかみ取る間もなく。いつか澱のように溜まったそれら。時折砂嵐のように渦巻いて、心の中をかき乱す。そんな時、ふと光を見せてくれたら。消えてしまいそうな星屑の明かりが。月の反対側が、見えたなら。生きていける、と思う。流れ星をポケットに入れて、その光が消えないように。雨の日にも、星が見えるように。これまでの関連レビュー・スモールワールズ [ 一穂ミチ ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.02
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本のタイトル・作者夜が明ける [ 西 加奈子 ]本の目次・あらすじ15歳で出会った「俺」と、「アキ」。母親に虐待されながら貧困の中で育った「アキ」こと深沢暁は、巨躯に吃音で皆から浮いていた。「俺」は、彼がフィンランドの映画『男たちの朝』に登場するアキ・マケライネンに酷似していることに気付き、彼にそのテープを貸す。そして暁は「アキ」として、マケライネンを模倣して生きていく。引用最初はそうだったんだ。私よりもっと辛い人がいる。だから恨んじゃいけないって。でも、いつからかな、恨むことが負けだと思うようになった。恨んでたら、恨んでる側が弱いんだって。強い人は恨まないんでしょう?弱いから、弱さの中にいるから恨むんでしょう?誰かの、世界の優しさを信じられないのは、その人が弱いからなんでしょう?(中略)恨んだら負けなんだ。世界を恨んだら負け。負けるのは悔しい。もともと不公平なのに、その上に負け確定なんて、やってられない。どうしていつも、優しさをもらう側でないといけないの?(中略)でも、私は、もう、とにかく、踏ん張ってそうしたの。全力でそうしたの。私は優しいんじゃない。私は誰も恨まない。ずっと笑ってる。負けたくないから。(中略)これが私の戦い方なんだよ。感想2022年217冊目★★★映画を徹底的に真似る高校生男子。ここらへんのところは楽しく読めた。でもどんどん雲行きが怪しくなってきて。ホラー映画の「その扉を開けちゃダメ」と祈るように、読み進めた。重なり合っていた物語はふたつに分かれ、そしてもう二度と出会わない。冒頭からそのことは述べられているのだけど、途中どこかで一度くらい会ってくれないかと思っていたので、悲しかった。ノートの部分はミスリードなんだけど、これ結局アキはどうやってフィンランドに行ったんだろう…。パスポート取れたんだろうか…。非合法な方法で取得する方法を教えてもらったんだろうか。映画のロケ地なんかも知りようがなかっただろうし、いったいどうやって。主人公の「俺」は、人生の坂を転げ落ちる。甘やかされた男子高校生は、父を亡くし、就職した先のブラックさに心身ともにボロボロになる。それでも、声を上げてはいけないのか。最後の「助けてと言うこと」については、急に森が来てめちゃくちゃ喋ってすべてを浚っていくので、「いやあ、それはちょっと…」という展開だったのだけど(森は遠峯と似ているし、偶像化され過ぎているというか、私はこの2人より田沢のほうが好き)、それでようやく主人公は声を上げるんですよね。そして最後に撮ることに戻って来る。対照的に、アキの声はずっと小さかった。誰にも聞きとってもらえなかった声。そして声をなくしてしまう。はじめからつらつら読んでいて思ったのが、「私はもう、誰かが痛い思いをしたり、ひもじい思いをしたり、辛い思いをする物語は、読むのがしんどい」のだということ。年のせいだろうか。それが架空の人々であることが分かっていたとしても、だからこそ、「なぜこの人をここに置かなくてはいけなかったのか」を考えると、暗澹とした気持ちになる。わかりやすい、ふわふわした物語だけを咀嚼して生きていきたい気持ち。楽だろうな。楽しいだろうな。切り取られた美しく綺麗な世界。でも、それでいいのかな。ブレイディみかこさんの本に、イギリスでは生活保護制度の利用は当たり前で、恥ではないということがあった。この命は神が与えたもの。生きているだけで自分は神から存在意義を与えられている。だからその生命を維持するために必要な制度を利用することは、当然の権利だ。それゆえ問題になっていることも山ほどあるのだろうけれど、「自分が生きることを求めること」、「助けて」と口に出して言えないこの世の中はいったいどうなっているんだろうね。能力がないからだと言い、やる気がないからだと言い。存在価値を認めない。生きていることを認めない。努力が足りないのだと言い、自己責任だと言い。許さないことで、助けないことで、罰を下す。自分が懸命にしがみついている社会の規範から逸脱した者に。でも本当は、優しくないこの世界に、自ら復讐しているんじゃないのか。どうして、私が生きていることを、そのままに許してくれないの。生きているだけで価値があるのだと、そう認めてくれないの。―――どうしてわたしを、たすけてくれなかったの?これまでの関連レビュー・漁港の肉子ちゃん [ 西加奈子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.08.25
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本のタイトル・作者スタッフロール [ 深緑 野分 ]本の目次・あらすじPart of Matilda第1章 映画に夢を見るな第2章 ヴェンゴスとリーヴ第3章 CG第4章 あの死の真相は第5章 怪物“X”Part of Vivienne第1章 名もなき創作者たち第2章 『レジェンド・オブ・ストレンジャー』第3章 屋根裏にて第4章 伝説の造形師第5章 マッド・サイエンティスト第6章 モーリーンという人第7章 スタッフロール引用デッサンと解剖学の勉強をさぼらず続けていたあの日、ふいに、自分の目が変わったと実感した。これまで曖昧に捉えていた物体の回り込みや陰影の境界が、はっきり識別できるようになったのだ。そして指先や手のひらで感じたもの、柔らかな肌や滑らかな布、固い鱗といった感触を、物質として現実世界に変換できるようになった。それからは飛躍的に技術が伸び、一九六九年現在、生来の手先の器用さとモンスターへの愛情の深さも手伝って、一人前に成長した。はじめはひとつだけ回転していた歯車に、少しずつ歯車が増え、噛み合い、大きくなって、全体がぶんぶんと小気味よく動いている状態だった。感想2022年215冊目★★★深緑野分さん、舞台をパタパタ作っていくみたいに場面を構成して、そのセットの中で映画を撮っていくような物語を書く人だなあと思っていた。そしたら今回、まさに映画のお話でした。はじめ、2つの世代の女優の卵の話だと思っていたら、違った。かたや、戦後のハリウッドに女性職人がほとんどいなかった頃、特殊造形師として一度もスタッフロールに名前が載ることなく映画業界を去ったマチルダ・セジウィック。かたや、現代のロンドンでCGに動きをつけるアニメーターとして働くヴィヴィアン・メリル。手作りの温かみを信じ、自らが幼い頃に見た影絵から黒い犬を作り続けてきたマチルダ。彼女はようやく自身がオリジナルの造形をデザインする機会に恵まれた映画『レジェンド・オブ・ストレンジャー』で黒い犬を作り上げる。けれど彼女はCGの台頭を感じ、表舞台を去る―――。第二次世界大戦後のアメリカの空気、CGやアニメーションの歴史も知ることが出来、面白かった。たくさん映画が登場するので、映画好きにはたまらんのじゃないかな。しかし、CGの技術って日進月歩だ。今ちょうど、攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(S.A.C.)を見ているんだけれど、オープニングのCGが古くて驚く。当時―――2002年。20年前は最先端の技術であっただろうそれ。フルCGのオープニングは、視聴者を驚かせたのだろう。けれど今見ると、「専門学校の卒業制作みたい」と思ってしまう。世界初のフルCGアニメーション「トイ・ストーリー」も、いくらリマスターしても第一作目を見ると「カクカクしてる!古い!」と感じるもの。この公開が1995年。CGがすごい勢いで進歩をとげていくなかで、人は何を失ったのだろうね。この作品の中でも、「人がつくるもの」の限界と可能性について2人は悩み続ける。自然の壮大な景色を見て、「CGみたい」と思う。うつくしい作品のようなそれは、作り物めいているのだろう。この本の中ではスターウォーズで「死者をCGで生き返らせた」ことへの批判があったけど(私は見ていないので分からなかったんだけど)、紅白歌合戦にAI美空ひばりが出た時の、強烈な違和感と嫌悪感を思い出した。権利者のために死者が利用される、というか。それはその人がつくりあげてきたものへの冒涜ではないのか、という思い。初音ミクはマスターの歌を歌ったけれど、曲を作るのは人間だった。今、時代はその次へ。曲を作るのも、小説を書くのも、絵を描くのも、AIが出来るようになってきている。これまでの膨大なデータをディープラーニングで習得したAIが、つくる。囲碁もチェスも駄目かもしれない。けれど創作は人間にしか出来ない。という自負は、傲慢だったのか。「俵万智×AI短歌 歌人と拓く言葉:朝日新聞デジタル」を見ていると、まだまだAIが拙く、てんで的外れなことを言っている。そうしてそれを見ると安心するのだ。それはCGが台頭してきたときに感じた恐怖と同じなんだろうか。その後の世界を見れば―――本物と偽物の境目がなくなった世界で、もはや偽物と言う言葉さえ適切ではない「現実世界ではないところにある本物」が存在する世界に、私たちは生きている。AIがなにかを作る。過去の蓄積の模倣。それは今の「ひと」がしていることと、同じだろう。創作は模倣から始まる。ではその膨大な学習の先にあるものの前で、ひとは何をすべきだろう?ただそれを消費するだけ?何かを「つくる」ための「AIをつくる」ことになるんだろうか。遊びをせむとや生まれけむ、戯れせむとや生まれけむ。生まれながらに求める音、絵、物語。人を、人たらしめるもの。幼子は自然と歌を口にし、絵を描き、物語を求めるだろう。己の内から湧いて出るそれらを、抑えることはできない。ならばなくなりはしないのか。どれほど機械がそれを量産しようとも。プロセスは省かれても―――「つくりたい」という思いは残る。そうでなければ。これまでの関連レビュー・ベルリンは晴れているか [ 深緑野分 ]・この本を盗む者は [ 深緑野分 ]・カミサマはそういない [ 深緑野分 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.08.23
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