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革人形の夢工房さんCategory
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ヘンな時間に爆睡してしまった天罰で、朝から『もやいへの道・点景』でございます(^_^;
今回のもやいオブジェは、ちといままでのケースとは異なるもやいでした。
オリジナル画像探しもちょっくらひねりを入れないといけなかったし。
では、行きます。


そう、史記の世界から、こんにちはv
なんとなく如何にも中原のウマさんらしい感じです。
念のため、細部アップ画像も載せましょう るんるんv


……なんだろう、この感じ。
目の錯覚か、踏まれているヒトが嬉しそうですが。というか、 踏まれて ヘンなスイッチオ~~ンv
、みたいな…(^_^;
ええと、それはともかくッ(笑)
まずは最初の方の画像へ戻って、隠れた大賢者の疑いも深まりつつある恒例、親切解説を検証。
…前漢、だそうです。
霍去病、
だそうです。
…………………… ニヤリv
ふっふっふっふっふ~。
前漢関係で有名といえば、── 司馬遼太郎氏
の 『項羽と劉邦』
ですねっ(☆。☆)b ←突如として輝く瞳がアヤシイくも(爆)
や。『項羽と劉邦』は、登場人物に素晴らしい実在感をもたせる司馬遼太郎氏ならではの傑作小説のひとつなので、思わず瞳がギラギラと光りまくるわけでございまするが。
とりあえず前漢時代初期について、ちょこっとだけ。
前漢は劉邦が打ち立てた王朝です。
始皇帝さん没後の大混乱と林立した英雄達の中から、躍り出た二人の英雄、項羽と劉邦さんの内、涙もろくてめちゃくちゃ強いが、プッチンするやメチャクチャやらかす項羽よりも、弱くてすけべでずるくて、お調子者が取り柄の劉邦が打ち勝つというのは有名な話でございまするが。
ジツは、この項羽と劉邦の争い、真に勝者だったのはどちらでもなく、匈奴の王、 冒頓
単于こそが真の勝者とされる説があります(・_・)b
この『ぼくとつ』さんという方がまた恐ろしい人物ですが、これはさすがにスルーしまして。 ←ホントは語りたい気満々っ(笑)
実際、中原の覇者となった劉邦も、匈奴軍に打ち破られ、危ういところで恭順を約束しての和睦で、以降漢帝国は匈奴へ毎年貢ぎ物を捧げるハメになってしまうんですねえ。
だから、劉邦さんの後の皇帝達も長年匈奴への恨み骨髄でした。
つまりは、この石のおウマさんはその後の──漢と匈奴の力関係大逆転時代のモノでございますよ、ハイ。
でも、くもはへんな方向での記憶力には自信満々な反面、まともなコトはうらおぼえという、厄介な悪癖がありまするので念のため、こんな時の、うっきうきvペギィアちゃんで調べましたです、ハイ♪ ←つまりは好きな分野だけにノリがよくて、大盤振る舞いらしい(笑)
ハイ、資料へまずクリックジャンプv→ 霍去病ってだ~れ?
うっきうき、ペギィアっていつも便利v
ダラダラと下手な説明しなくてすむし♪ もう遅いけど(爆)
くも的にはあきらかに前半生がとってもお気の毒だった衛青さんの方が記憶に強く残ってまして我が儘霍去病はあまりいい印象がなかったような…?
しかし、霍去病さん弱冠24才で亡くなったんですねえ。
では、伯父さんの衛青さんのような苦労人じゃなく、お坊ちゃんだった霍去病さんがどんなに我が儘で傲慢であっても、そんくらいの若造ならば、大目に見て貰い、「頼もしいv」と大人気だったというのも頷けますねえ。
わずか24で去った夭折の英雄と…。
てなわけで霍去病さんと石馬でググっていきました。
が。すぐに出てこない。出てくるのは中国語のサイトばっか(爆)
や、中国語は大和言葉以上にぢぇんぢぇんなので、困っておりますと、『踏馬匈奴』という単語が目についた。
で、そちらでググりなおしますと、バンバンでてまいりましたですよ、わ~いv
てなわけで、苦心の末探し当てましたオリジナルをどうぞv
ハイ、クリックジャンプ→
シルクロード紀行
もひとつ、おまけでクリックジャンプ→
茂陵博物館
さて、オリジナルともやいオブジェの差。
ジツはこちらふたつの画像からは判りにくいのですが、オリジナルのおウマさん、馬面の右上部がスパッと、欠落しているんですよ。
なんとなく時の経過をば、勝手に再生のケースでは、スフィンクス像を思い出しますが、でもこのおウマさんは、稚拙化してはないような。
むしろ、オリジナルをある程度忠実に再現している感がとてもあります。
もやいオブジェの傑作のひとつと云ってもよろしいかとv
それと、二番目のサイトさまにある他の石像もイイ感じですね。天然石の形をそのまま生かした細工がされているように見受けられます。
前漢帝国、中興をなした武帝さまと、それを支えた若き名将霍去病さんに思いをはせつつ────
と、朝餉図工へ向かう時間で、ダッシュするくもでございました(いそいそッッ)