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共感力共感力と言う能力について考えている生存競争に生き残ったホモサピエンス勝ち残った勝因については諸説あるサピエンス大全を書いたハラリは「フィクション」をあげているホモサピエンスの共同行動を可能にしたものは「フィクションを信じた事」だという現代生活の根底には金・会社・法律それらのフィクションが前提となっていてこれ等のフィクションの存在は考えてみれば極めて奇妙な事ではあるのだがもし、それらを取り払ってしまえばホモサピエンスはデズモンド・モリスの言うようにただの「裸のサル」なのかもしれない例えば「金」これがフィクションで無いとすればいったい、何が、金の代わりになるのだろうか?よく漫画に描かれる毛皮をまとった原始人が転がしている大きな石あれが貨幣だとしてもあの石が実質的な価値を持っているわけでもないとすれば原始生活において有用な・ 肉などの食料・ 毛皮・ 石器それらが何らかの現実的な価値を持っているしかし、う~~んそれじゃ物々交換だよねだから貨幣の発明以前の社会は物々交換の社会だったんだ!考えてみれば当たり前の事ではある動物の世界でも例えば高等動物のチンパンジー彼等の世界なら、ある種の物々交換はありえるんだろうこう考えてみるとフィクションの機能・効用ってとんでもなく偉大な事人類世界をとてつもなく効率化したわけだ同じく法律原始時代には「掟」かな?動物社会にも掟はあると言えばある勢力争いで勝ち残ったオスがメスを独り占めするとか(笑)ひとり占めじゃなくて、一匹占めか?(笑)しかし、法律と言う者まで高められるには文字の発達が必須だったろうな文字で表せられる掟が法律その法律を法律たるべくするのは動物の群れのボス原始人のボスの会議・談合(笑)それが文字の発明によって粘土板に刻まれたクサビ文字で法律となるとここまで愚考して来て人類初の法律、とググってみるとーーーー世界最古の法典は、ウル第3王朝初代のウル・ナンム(紀元前2115〜2095年)が制定したウル・ナンム法典と言われています。また、バビロン王ハンムラビの治世(紀元前1792-1750年)の終わり頃に作られたハンムラビ法典は、ほぼ完全な形で残っている法典としては世界最古と言われています。ハンムラビ法典は、高さ225cmの石柱に、くさび形文字で刻まれており、刑罰や土地所有、財産相続などについて詳しく規定されています。この法典には、次のような特徴があります。刑法と民法と訴訟法が混在した原始的な法典貴族や奴隷を含む階級社会を定めた法典死刑の多い過酷な刑法を持つ法典「目には目を、歯には歯を」という復讐法(同害報復)が規定されている「正義と福祉を実現するために制定された」ことが明記されているハンムラビ王の死後の王(統治者)もこの法典に従えと明記されているーーーー
2024.11.02
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【人類はどこから来て、どこに向かうのか】国立科学博物館館長・篠田謙一/ノーベル賞受賞研究が明らかにした人類の起源/「日本人」の起
2024.09.24
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【落合陽一】人類最後のフロンティアは「イースター島」だった!ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは「お互いをどう見ていた?」絶滅した意外な理由、現生
2024.08.31
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【人類はどこから来て、どこに向かうのか】国立科学博物館館長・篠田謙一/ノーベル賞受賞研究が明らかにした人類の起源/「日本人」の起源
2024.08.22
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ナランハさんへの私のレス私のブログ記事ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへの進化「」これに関して、ナランハさんからコメントをいただいたそれに対する私のレスである ―――― 私のレス ――――ナランハさんのコメントは、いつもきわめて形而上学的対して私は、形而上学的な思考が苦手でdown to the earthザッハリッヒそんな思考しかできませんtckynさんには、いつも、リアリストだと言われていますよく言えば、そうなんでしょうその上で、私のブログ記事に関する、「美」に対する思考ですがホモ・サピエンスはそれまでの人類が持ち得なかった「美」と言う価値を発見したその「美」を創造し、価値として把握する脳力を持ったナランハさんは、この「美」というものを形而上学的に語っておられるが私は、実用的な価値として評価したい「美」として認識すると言う事はそのものにある種の ORDER があると言う事でしょう美しさとは、秩序であり、完成度であり、効率でもある感情を生み出すものであり、憧憬を生むものでもある敬意でもあるグループをまとめる力を秘めた万尾でもあるritual を生み出し深めたあるいはハラリによって、サピエンス大全で提示された人類が発明した「フィクション」というものにも関係しているのかもしれませんまだまだありそうですがいずれにせよ、、人類の価値体系において視覚や聴覚や言語能力などと違ってあまり具現的な能力では無いものの今まで存在しなかった異次元なものが加わってホモ・サピエンスの思考や行動に大きな付加価値を与えたそれが、ネアンデルタール人との生存能力上の差異になったそういう事では無いかと思います
2023.10.01
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NHK TV サブノート ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへの進化ネアンデルタール人のDNAから、ホモ・サピエンスが、受け取った有利なDNAは、色白・毛深いなどは寒冷気候にフィットするもの それ以外は、継承していないネアンデルタール人の制作した石器は、十万年?の間、形状が進歩せず変わらなかった その一方、ホモ・サピエンスは、石器をどんどん改良してゆく創造的な頭脳があったネアンデルタール人のDNAが、大変な苦労の末に復元可能となった ホモ・サピエンスのDNAとは、ただ1個のDNAがAからTに突然変異していた そのただ1個の塩素配列の変化が、ネアンデルタール人と比較して、高い知能指数・知識の蓄積が可能・言語能力の飛躍的進化であり、その結果、ホモ・サピエンスは、高度なコミュニケーション能力を獲得して、集団での効果的な狩猟が可能になった また、優れた言語会話能力により、世代間の知識・記憶・文化の継続・transfer が可能となった
2023.09.24
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【MEET YOUR ART FESTIVAL SPECIAL】脳科学者 中野信子× 森山未來『アートと脳の関係とは?!』中野信子ホモサピエンスとネアンデルタール人 違いは、装飾性の有無ではないか? 美を意識したか否か?アルファー波 美 アートと言う形 効率だけ? 人生 特急と鈍行 長く楽しむ 鈍行の方が運賃は高くても良いのではないか? 鉄道は利便より楽しみだった 新橋ー横浜間 戦争=効率 アート=非効率 科学=効率ではない テックが効率 科学と技術は同じものではない 日本人は真面目 効率を考えてしまう 真面目で内容に生きたい はみ出し者の面白さ(中野信子)
2023.09.12
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Ötzi the Iceman and the Copper Age World
2023.07.31
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Ancient Human🔴 How many species of Human were there?🔴 Homo Heidelbergensis - Ancient Human🔴 Homo Habilis - Ancient Human🔴 Homo Erectus - Ancient Human🔴 Homo Naledi - Ancient Human🔴 Homo Floresiensis - Ancient Human
2023.07.31
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tckyn3707さんへのレス 「継続は力なり」>あけましておめでとうございます。年末のスタッフへの訓示として師匠の「継続>力なり」を言わせて貰いました。どんなささいなことでも継続することに意義がある。そして継続することがパワー力になる、そしてそれは結果がついてくると、偉そうに(笑)言いました。ーーーーtckyn3707さんhttps://plaza.rakuten.co.jp/tckyn/diary/202201010000/これは、これは新年から、身にあまる光栄おこがましいことながら私が「継続は力なり」そう思った理由・経験は、二つあります1 継続した楽天ブログ何度も、月単位の休止をはさみながらもまがりなりにも、こうして、20年近く書き続けてきたこれも、自分で自分を褒めてやりたい(笑)(都合のいいセリフです)(笑)昨年になってやっと悩みを突き抜ける形で「ブログを書き続ける事のメリット」というものを科学的・心理的な側面から認識しましたそれは・ 自分の苦悩・不満などをブログ記事に吐き出すことによる昇華・ 自分の思索を書く事による自己を客観視出来るメタ認識・ 長期の継続で思考が成熟するその他にもありました先週だったかの記事に書かれていたことでもありますが2 out put こそが人間の価値in put ばかりの「情報に対して受け身、考えない」人間は「out put する」、つまり・ 「ブログなどを思索しながら創造的に書く」・ つまり知的な out put を継続する人間・ 人類の証である前頭葉を有効に働かす人間そういう人間に比較して寿命も短いそうですアホなうえに寿命も短い最悪じゃないですか?(オイオイ)とはいうものの長生きしないと「継続」は不可能箱根駅伝で言うと、往路だけでギブアップはダメです(笑)復路も走り切って、総合優勝を目指しましょう
2022.01.02
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【過去ログ復刻】「イヴの七人の娘たち 02」 天海祐希さんの二万年前の母 2004.01.11 ―――― 過去ログ ―――― 「イヴの七人の娘たち 02」 天海祐希さんの二万年前の母 2004.01.11「イヴの7人の娘たち」という本の中に述べられている「解明された人類の歴史」。それは人間の細胞内のミトコンドリアのDNAをたどると、今の全人類の共通祖先は約15万年前にアフリカに住んでいた「ミトコンドリア・イヴ」と命名された女性であるということです。もう少しくわしく言うと、世界中の現世人類は、ミトコンドリアDNAを調査分類の結果、35の系統樹に分けられる。つまり人類の共通先祖として35人の母が把握された。さらにこの35人の先をたどって行くと、ついに一人の女性、つまり「ミトコンドリア・イヴ」と命名された女性に到達することになります。欧州に限ればこの系統樹は7つとなり、つまりイヴの子孫である七人の共通の母がいたことになります。(これがこの本の題名のもとにもなっています)。またサイクス教授達によれば日本人の95%は9人の女性から派生したものだそうです。このサイクス教授の学説(1996年発表)については種々大論争が続きましたが、現在はほぼ定説として承認されています。(alex99)この本は当時最先端であったミトコンドリアDNA研究の成果ただし、この時期から約20年近く経過した現在では女性系列のミトコンドリアDNAとは別に男性系統のY染色体DNAの研究が盛んになりこれで母系父系双方の系統からの研究が盛んになりさらに驚異的に効果的なDNA解析方法が発明されDNA研究は異次元の進歩を見せているその成果としての日本人の祖先などに関する新説は私が最近の【You Tube】でいろいろ紹介しているのでそれを見てほしいただ、だからと言ってこの本の説く新説が間違っている訳では無いほぼ、正しいと認められている ―――― ◇ ――――●「イヴ」はもちろん、あの人類の始祖、「アダムとイヴ」のイヴにちなんで命名されました。もっともイヴはアダムの肋骨のひとつから作られたはずですが。「Man’s rib(肋骨)」だった存在(女性)が「Women’s Lib(女権運動)」を主張し出すなんて皮肉ですね。(冗談、冗談! 冗談ですよ!) ―――― ◇ ――――●「ミトコンドリア・イヴ」のミトコンドリアとは人間の細胞の核の中に寄生している小器官、ミトコンドリアの事です。このミトコンドリアは細胞核のDNAとは別の独自のDNAをもっています。このミトコンドリアDNAは先祖の系統樹を調べるのにとても便利な性質があり(このことについては次回に書きたいと思います)、この研究の成果により、人類の歴史に於ける数々の大きな謎の解明が可能になりましたし、新しい発見も数多くあったのです。 ―――― ◇ ――――● ミトコンドリアDNAの研究成果として、解明された謎としてはいろいろのものがあり、例えば :▼ 人類の発生はアフリカを単独の起源とする(単独発生説)のか?それとも世界中の色々な場所を起源とする(複数起源説)のか?アメリカ大陸の原住民はアジア系なのか?▼ 帝政ロシアのロマノフ王朝の末裔と称した「アナスタシア」は果たして本物か?▼ ネアンデルタール人は私達現在の人類の先祖か? ーーーー ◇ ーーーー● ほかにもいろいろあるのですが、この本とは関係ないあるテレビ番組のことを今日は書いて終わりにします。去年なにげ無しに見た深夜のテレビ番組なのですが・・・。日本のある弥生遺跡の人骨から発見された「タイプー8」と呼ばれるミトコンドリアDNAは、先祖をたどれば約二万年前の中国のある女性に行くつくのだということです。女優の天海祐希さんが、その「タイプー8」と呼ばれるDNAを持った一人だという事が判明して、その番組の企画として天海さんが、アジアに住むその「タイプー8」というDNAを共有する二万年前の女性の子孫、つまり天海さんの遠い遠い姉妹(親戚)にあたるわけですが、そう言う人たちを現地に訪ねて行くというものなのです。中国雲南省の山奥やバイカル湖にまで出かけて共通の母を持つ、遠~~~い親戚であるところの女性達と、感激の出会いをするのです。特に雲南省では何日もジープに乗っての苛酷な旅行の果てに、山崩れがあってそれ以上先へは進めなくなり、天海さんと同じ2万年前の母親を持つチベット族の女性は、自分の方から徒歩で二日もかけて天海さんに会いに来てくれて、天海さんも感激に涙目になっていました。ロシアのバイカル湖の近辺に住む朝鮮族の中にこのDNAを持つ女性が点在しているのですが、天海さんが訪ねあてたある少女はたまたま地元で劇団に属して演劇を勉強しているのですが、バイカル湖のほとりで、演劇界の先輩である天海さんにこの少女が将来は日本にも行ってみたい、立派な女優になりたいと夢を語る場面が印象的でした。
2021.12.20
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人類の脳の突然変異 ネイチャー誌 :研究結果人類の文化的躍進のきっかけは、7万年前に起きた「脳の突然変異」だった人類が洞窟壁画の制作や住居の建設といった「文化的躍進」は、7万年前より前には発見されていない。この時点でいったい人類に何が起きたのか──。この進化の引き金を引いたのが「脳の突然変異」であった可能性が、米大学の研究によって明らかになった。NATURE2019.09.01 SUN 17:00TEXT BY SANAE AKIYAMAEvolutionScience実在しない「想像の産物」をほかの誰かに伝えることができたとき、人類の文化的歴史が幕を開けた──。遺伝学的および考古学的研究によると、われわれ現生人類にはネアンデルタール人と共通の祖先から分かれる約60万年前には、すでに現代のような音声器官が備わっていたと考えられている。チンパンジーの音声器官に20から100の異なる発声があることを考えると、人類の祖先が主要なコミュニケーションに使用していた“単語”の数は、現在とさほど変わらなかったと思われているのだ。その一方で、洞窟壁画、住居の建設、副葬品を伴う埋葬、骨製の針などにみられる道具の専門化など、現生人類の想像力を彷彿とさせる「文化的創造性」は、7万年前よりも以前には発見されていない。この“文化的空白”の50万年間──現代的音声器官の発達と現代的想像力の獲得の間に横たわる長いギャップは、何十年も科学者たちを困惑させてきた。7万年前の想像力獲得に至った要因、そしてこのプロセスで言語が果たした役割は何だったのだろうか?ボストン大学の神経学者アンドレイ・ヴィシェドスキー博士が「Research Ideas and Outcomes」で発表した研究によると、それは脳の前頭前野の発達を遅らせる突然変異だ。ヒトの前頭前野は霊長類のなかでも極めて発達が遅く、だいたい20代半ばから30歳くらいまで発達し続ける。ヴィシェドスキーは、前頭前野におけるさまざまな脳障害や、子どもの脳が成長するなかで直面する言語的理解の発達を挙げ、前頭前野による知覚世界と内なる思考の統合が文化形成のための想像力獲得に必須だったと議論する。それは具体的にどのようなものだったのだろうか?外側前頭前野と言語の関係ヴィシェドスキーは長年、「言語」と「想像力」の脳神経プロセスを研究してきた。論文によると、脳の外側前頭前野には「記憶にあるもの」と「単語」や「文法」を統合し、まったく新しいものを頭のなかで想像することを可能にする機能がある。興味深いことに、外側前頭前野に損傷がある場合、人は物と物の関係や、相対性を表す文章が理解できなくなるという。例えば「犬は賢い」というシンプルな文章は理解できても、「犬は猫よりも賢い」となると、どちらが賢いのかわからなくなる。「円の上に三角を描く」「春は夏の前に来る」なども同様に、物事の上下関係や前後関係の理解がなくなってしまうのだ。このように、記憶のなかの複数の単語を意味のあるメンタルイメージとして合成するプロセスは、「前頭前野統合(Prefrontal Synthesis)」または「メンタル統合(Mental Synthesis)」と呼ばれている。「メンタル統合を理解するには、『犬がわたしの友達を噛んだ』『わたしの友達が犬を噛んだ』という2つの文を考えてください」と、ヴィシェドスキーは説明する。「使われている単語と文法がまったく同じ場合、単語か文法かのどちらかを使用して、意味の違いを区別することは不可能です」ひとつめの文章に込められた“不運”と、ふたつめの文章の“面白さ”を理解するには、「犬」と「友達」を頭のなかでどうかかわらせるかにかかっている。つまり、“心の眼”で「犬」と「友達」の関係をイメージできたとき、これらの文章は初めて特定の意味をもつようになるのだ。「メンタル統合」とは、複数の単語とそれらの関係を脳内で統合し、想像することを可能にするプロセスなのである。メンタル統合能力の重要性同じように、文章のなかでも「入れ子構造(または再帰構造)」になっているものの理解には、メンタル統合能力が必須である。例えば「父がかつて溺愛していた猫」を想像してみてほしい。言葉の再帰構造が理解できるようになると、「母は『父がかつて溺愛していた猫』にそっくりな猫を拾った」「『母は“父がかつて溺愛していた猫”にそっくりな猫を拾った』と兄が言っていた」といった具合に、次々に文をつなげて永遠にイメージを膨らませることが可能になる。「単語の柔軟な組み合わせと入れ子構造は、すべてのヒト言語に特徴的な機能です。このため言語学者は現代的な言語を『再帰言語』と呼んでいるのです」と、ヴィシェドスキーは言う。しかし、複数の単語が複雑に組み合わさった入れ子構造の文章が理解できるかどうかは、受け手の前頭前野外側での「統合」能力にかかっている。そしてこれを可能にするメンタル統合能力の発達には、非常に重要な時期があるという。言葉の再帰構造を習得できるのは子どものうちだけ人間なら誰しも、生涯をかけて語彙を増やし文法を習得することができる。ところが、メンタル統合能力だけは、だいたい5歳くらいまでの幼児期に再帰構造のある言葉に触れておかないと、大人になってもこれを習得することはできないという。ヴィシェドスキーは、13歳までいっさい言語に触れることのなかった少女をはじめとした10人の子どもたちの特異な例を挙げている。興味深いことに、10人全員が何年もの言語トレーニングを経たあとでも、英語の「in」「on」「at」などの空間的前置詞、動詞の時制、および文章の再帰構造を完全に理解することはなかった。また、社会的サポートがままならない途上国で、再帰構造のある手話に触れる機会のなかった聴覚障害のある子どもたちも同様だ。こういった子どもたちは、あとになって補聴器をつけたり徹底した言語療法を受けたりしても、「緑の箱を青い箱に入れる」などの簡単な指示をこなすことができないという。このような子どもたちに特徴的なのは、次のような行動だ。子どもたちは正しく緑色と青色の箱を持ち上げ、合っているかどうかのヒントを得るために、“実験者の顔色を見ながら”2つの箱を空間移動させ、トライ・アンド・エラーを繰り返す。これが「再帰言語」と「メンタル統合能力」の切っても切り離せない関係である。つまり、こういった指示を頭のなかで想像して理解するには、5歳までに難しい再帰言語に晒されることで鍛えられるメンタル統合スキルが必須なのだ。これこそが、人類の「現代的行動」の基盤となる発想力や文化的創造力に大きく貢献した──そうヴィシェドスキーは考えたのだ。文化的開花のために人類が乗り越えた「2つの障壁」そして、これが人類全体に広まるには、ふたつの障壁がある。メンタル統合スキルを習得できる期間が長くなければならないというのがひとつ。現在の子どもは5歳前後まで言葉の再帰構造の習得が可能だが、これがいまだ言葉があやふやな2歳までとなると無理がある。このことから、脳の前頭前皮質の成熟を遅らせる突然変異があったというのが有力な説だ。現在、すべての人間がもつ「前頭前皮質遅延」は、生存という視点で見ると有害だったと思われる。論文によると、3歳のチンパンジーの子どもは母親からよく離れて冒険するが、水場に近づくことはめったにない。前頭前皮質の迅速な成長が、水は危険なことを理解させるのだ。これとは対照的に、4歳未満のヒトの子どもでは溺死が主な死因である。ヒトの3歳児は、ほかの3歳の動物と比較して未熟であり、ひとりで幼児期を生き延びる可能性が低い。このため「前頭前皮質遅延」の突然変異からは、死亡率の増加が予測されるのだ。ふたつめの障壁は、脳の構造がいかにメンタル統合に適していたとしても、親が子どもに再帰言語を教えられなければ、子どもがそれを習得することはないことだ。この障壁をクリアするには、前頭前皮質の突然変異を持ったふたり以上の小さな子どもたちが、互いに会話しながら長い時間を過ごし、再帰言語を“発明”したはずだ。このような新しい再帰言語の自然発生は、1970年代から80年代にかけて、ニカラグアの聴覚障害がある子どもたちのなかで実際に観察されている。ニカラグア手話は、かつて家庭内で必要最低限のジェスチャーでしかコミュニケーションがとれなかった子どもたちが施設に集められ、そのなかで独自に生み出された言語だ。新たに発明された手話は年少者へと受け継がれて年月とともに複雑化し、ついには数世代で再帰構造を含む洗練された言語へと進化を遂げたのだ。ヴィシェドスキーが開発した進化の数理モデルによると、人類はほんの数世代でこのふたつの障壁を乗り越えなくてはならなかった。「われわれのモデルは、前頭前皮質遅延の突然変異とメンタル統合獲得が、ほぼ同時期に起こったことを予測しています」と、ヴィシェドスキーは『WIRED』日本版の取材に語っている。「もしかすると、それらは同じ子どもたちのなかで起こった可能性があります」かくして7万年前に文化的飛躍がなされた前頭前野の突然変異をもつふたり以上の子どもたちは、互いに会話し合うなかで空間的前置詞や言語の再帰要素を発明した。これらの子どもたちは、再帰的な会話によって発達するメンタル統合能力を手に入れただろう。これにより、記憶にあるオブジェクトを組み合わせてまったく新しい何かを脳で想像できるようになった。そしてまた、子孫に再帰構造のある言葉を教えたはずだ。「7万年前にメンタル統合と再帰言語を取得したことで、本質的に行動が異なる新たな種が誕生しました。真に現代的行動をとる最初のホモサピエンスです」と、ヴィシェドスキーは結論づける。「メンタル統合のプロセスで可能となった脳内で対象物の素早い並置ができる新たな能力は、“試作品”の想像を劇的に速め、それは技術進歩の急激な加速をもたらしたでしょう。どんな計画でも頭のなかでシミュレートする前例のない能力と、それらを仲間に伝達するという同じく前例のない能力を備えた人間は、一気に支配的な種になる準備が整ったのです」このあとに何が起きたかは、歴史が証明している。人類は大型動物を狩る知恵をつけ、栄養上の大きな利点を得た。人口が指数関数的に増加すると、人類はアフリカの地から新たな居住地を求めて拡散し、地球上で最も住み心地のいい場所に住み着いた。これらの人々は、われわれ現生人類と非常によく似ていたはずだ。そして文化的な要素を備えた再帰言語と、「前頭前皮質遅延」の突然変異によって可能となったメンタル統合の素質を兼ね備えていたのだ。ヴィシェドスキーのこの仮説は、ローマの伝説的な建設者である双子の兄弟ロムルスとレムスにちなんで、「ロムルスとレムス説」と名付けられた。伝説では、この兄弟は狼に育てられた。狼によるコミュニケーションは“動物的”なもので、多くの“単語”はあっても再帰構造はなかったはずである。よって獣の“親”は再帰言語を教えることはできず、ふたりが洗練された言葉を話すには再帰的な要素を発明しなくてはならなかっただろう。それはかつてのニカラグアの聴覚障害者たちを連想させるからだ。現代に住む再帰言語のない部族ちなみに論文には書かれていないが、ブラジルのアマゾン川のほとりには、ピダハン族と呼ばれる「再帰言語を話さない」狩猟採集民族が暮らしている。この部族の言語と文化を研究してきたダニエル・エヴェレットによると、ピダハン語には数や左右、色彩、それに性差の概念がない。そしてピダハン族は実際に見聞きしたことしか話さず、架空の話はしない。文法には過去や未来の概念もなく、“いま”を生きている。そのためか宗教をもたず、未来への不安もなく過去からの後悔もないという。まさにヴィシェドスキーの考える、再帰言語がなかった時代を彷彿とさせる人々と、その暮らしぶりなのだ。この部族についてヴィシェドスキーは、ピダハン言語についてもっと勉強しなくてはならないと前置きしながらも、次のように説明している。「ピダハン族は主語と目的語の概念を表現できるようなので、おそらくメンタル統合の能力はあると思われます」エヴェレットも、ピダハン族は過去の出来事や遠い未来を想像できないわけではなく、根拠に欠けることを語ることを好まない文化なのだと説明している。つまり、現生人類と同じ脳をもちながらも、再帰言語の獲得を必要としないライフスタイルと独自の文化があるのだ。ちなみにピダハン族は自らを「真っ直ぐな民」と呼び、外部の人間を「ひねくれ頭」と呼ぶという。いずれにせよ、7万年前に起こった何らかのきっかけが、人間を人間たらしめるものだったことは歴史が物語っている。人類の文化的躍進は、脳の突然変異の末に、その“ひねくれ頭”から生まれた想像の産物だったかもしれないのだ。
2021.11.09
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前頭葉出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E9%A0%AD%E8%91%89私は、人間の人間たるゆえんは、脳の前頭葉にあると思うその前頭葉をウィキで調べてみようGOOGLEの短い定義もある前頭葉の役割 ― Google ー前頭葉は、人が行動を開始し、または抑制する 機能を司ります。 ➡ 行動の開始・抑制 さらに、生活をする上で必要な情報を整理、計画して処理・判断することも前頭葉の役割です。 ➡ 情報の整理・計画・処理・判断 加えて、自己を客観的に捉えることや ➡ 客観視感情を持つこと ➡ 感情言葉を発することができる ➡ 言語能力のも、前頭葉が機能しているからです。
2021.07.11
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【YouTube】[人類誕生CG] NHK SPECIALCOMPLETE な動画があればいいのだがどうも一本にまとめた動画は無いらしくて短編を集めることになったいずれにして太古の時代の事を想像することになるのだがこういうものは本を読むのもいいがCG動画で生々しく見せてくれると感動する[人類誕生CG] 5万5000年前 ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の出会い | Homo sapiens encountering Neanderthals | NHKスペシャル | NHKhttps://www.youtube.com/watch?v=Q0FAO_Ynyi0[人類誕生CG] 370万年前の人類は虫を食べていた! | NHKスペシャル | NHKhttps://www.youtube.com/watch?v=0jdcR8jr3d0[人類誕生CG] 180万年前の人類はマラソンランナーだった!? | NHKスペシャル | NHKhttps://www.youtube.com/watch?v=k196j8ZkwT8[人類誕生CG] 4万3000年前 進化したホモ・サピエンスの狩り | Homo sapiens’ advanced hunting | NHKスペシャル | NHKhttps://www.youtube.com/watch?v=Q7V0ZqmnskU人類誕生(2)“最強ライバルとの出会い そして別れ” ネアンデルタール人の狩りhttps://www.nhk.or.jp/special/plus/videos/20180824_1/index.html[人類誕生CG] 4万年前 ひ弱なホモ・サピエンスが集団で結束できた理由とは? | How were vulnerable Homo sapiens united? | NHKスペシャル | NHKhttps://www.youtube.com/watch?v=vOi2nZbGhWM
2021.06.22
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【YouTube】アンデルタール人とデニソワ人から日本人が受け継いだDNAの新たな推計値が判明~ゲノム解析で明らかになる現生人類(ホモ・サピエンス)、ネアンデルタール人、デニソワ人の分岐年代と複https://www.youtube.com/watch?v=d6O83DkWUn4
2021.06.04
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人類 「世界史の窓」より人類は約700万年前に類人猿から分岐して出現し、いくつかの種を形成しながら進化、分化した。その一種である現生人類(ホモ=サピエンス)は約20万年前、アフリカで生まれ、世界中に拡散したと考えられる。現生人類以外の化石人類は絶滅した。定義と特徴 人類は生物学上の分類では「哺乳綱霊長目ヒト科」に属する。大型類人猿と近い関係にあり進化の過程で分化してきた。現在地球上に生存している人類はすべて同一の種(交配できる生物集団)であり、人類学上はホモ=サピエンス(現生人類)と言われる。人類の特徴は、人類学的には「直立二足歩行」と「犬歯の消滅」が目安とされている。人類は、ある時期から脳容積が大きくなり、知能を発達させ、道具や言語を使用するようになった。そして他の動物には見られない、文化を継承・発展させることによって「歴史」を形成してきたのが人類である。地球上に人類が出現した年代は、化石人類の研究が進むに従って、どんどん遡っているが、現在は約700万年前とされている(新しい情報で変化する可能性がある)。「人類の進化」の見方が変化している 人類にはわれわれホモ=サピエンス以外に、絶滅してしまった「種」があったことが化石の発見と研究によって判ってきた。それらの化石人類には形態の違いから、現在まで25ほどの種があったことが報告されているが、ホモ=サピエンス以外はすべて絶滅してしまった。つまり、「人類」は何種類もあったのであり、「われわれ」を除いて絶滅してしまったのである。<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書>段階的「進化」は、現在は否定されている かつては、化石人類は猿人、原人、旧人、そして現生人類である新人という4段階に分けられ、段階的に「進化」してきた、と考えられていた。しかし、最近の分子生物学の進歩によって化石人類のDNA分析が進んだ結果、このような見方は否定されている。最近の研究によれば、化石人類から現生人類に至る人類の進化は単線的なものではなく、それぞれ複雑に進化、分化、絶滅、置換を繰り返しているのであり、現在の人類学では猿人、原人、旧人、新人という分類は用いられていない。例えば化石人類のネアンデルタール人とクロマニヨン人の関係は、前者が後者に進化したのではなく、別々に進化し、しかも併存していたと考えられている。注意 人類進化図は今は使われていない 教科書や参考書には今でも、猿人→原人→旧人→新人という4段階で人類が進化したことを、よちよち歩きから次第に立ち上がっていく姿で表している図をよく見かける。これは現在の研究水準からすると、間違っており、誤解を与えるだけであるという。人類の起源 人類の出現年代は、近年、アフリカで化石人類の発見が相次ぎ、その年代はどんどんさかのぼっている。 2013年度版山川出版社『詳説世界史B』(最新版)では、約700万年前、とされるようになった。旧版の2007年版山川出版社『詳説世界史B』改訂版から約500万年とされていた。さらに前年の2006年版までは約450万年前とされていた。1994年に新課程になったときは、400万年前だった。さらにそれ以前は250万年前とされていた時期もある。これは現在までの急速な研究の発展により、特に21世紀に入って新たな発見が相次いだためである。現在では最古の人類は約700万年前にアフリカに出現というのが定説となりつつある。 現在報告されている化石人類で、約700万年前で最も古いとされているものは、アフリカ中央部のチャドで発見されたサヘラントロプス=チャデンシスとされている。 → 化石人類の項を参照現生人類の登場 現在のわれわれと同じ種の人間であるホモ=サピエンス(現生人類。かつては新人とも言われた)の発生についても、かつては各地の原人たちが、それぞれの地域で新人に進化したとする多地域進化説がとられていたが、現在では分子生物学などの発達により、アフリカで単独に進化したという「アフリカ単一起源説」が有力であり、アフリカから全世界に生活の場を広げた(アウト・オブ・アフリカ=人類の拡散)と考えられている。またホモ=サピエンスの登場は教科書などでは代表的な現生人類の化石人類クロマニヨン人の年代として4~3万年前とされているが、最近の研究では約20万年前(つまりかつて旧人と言われたネアンデルタールよりも早く)にアフリカに登場したという説が有力になっている。このように人類の起源について新たな知識が増えたのは、人類学の発達と並んで分子生物学(DNAの分析)の研究が急速に進んだためである。<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書>
2021.03.19
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【中野信子&滝沢カレン】先が全く読めない激レアトーク。https://www.youtube.com/watch?v=hePaVzzHP0k
2021.02.10
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復刻記事 科学 人類史 日本人の起源日本列島への「三段階トライモデル」で、日本語成立の謎が解けた2018.04.11 ーーー 記事 ーーー「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!読売新聞メディア局編集部 伊藤譲治. 2017年12月15日 05時20分日本人のルーツの一つ「縄文人」は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤 成也 なるや 教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。縄文人とは何者なのか。日本人の成り立ちをめぐる研究の現状はどうなっているのか。『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)を出版した斎藤教授に聞いた。 縄文人とは、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた人たちを指す。alex99と言うことは、日本列島の北から南まで縄文人が住んでいたと言うことになる平均身長は男性が160センチ弱、女性は150センチに満たない人が多かった。現代の日本人と比べると背は低いが、がっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴だった。 世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔かえん土器を創り出すなど、類を見ない独自の文化を築いたことで世界的にも注目されている。身体的な特徴などから、東南アジアに起源をもつ人びとではないかと考えられてきた。由来を探るため、これまで縄文人のミトコンドリアのDNA解析は行われていたが、核DNAの解析は技術的に難しかったことから試みられていなかった。 斎藤教授が縄文人の核DNA解析を思い立ったのは、総合研究大学院大学教授を兼務する自身のもとに神澤秀明さん(現・国立科学博物館人類研究部研究員)が博士課程の学生として入ってきたことがきっかけだった。「2010年にはネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解読が成功するなど、世界では次から次に古代人のDNAが出ていたので、日本でもやりたいと思っていた。神澤さんが日本人の起源をテーマにしたいということだったので、縄文人の核DNA解析に挑戦することにした」と振り返る。福島・三貫地貝塚人骨のDNA解読に成功 問題は、縄文人骨をどこから手に入れるか、だった。ねらいをつけたのは、自身が東大理学部人類学教室の学生だったころから知っていた東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地さんがんじ貝塚の人骨だった。同貝塚は60年以上前に発掘され、100体を超える人骨が出土した約3000年前の縄文時代後期の遺跡。同博物館館長の諏訪元げん教授に依頼すると、快諾。男女2体の頭骨から奥歯(大臼歯きゅうし)1本ずつを取り出し、提供してくれた。 解析を担当する神澤さんがドリルで歯に穴を開け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析装置を使い、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。東ユーラシア(東アジアと東南アジア)のさまざまな人類集団のDNAと比較したところ、驚くような結果が出た。中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。「縄文人は東南アジアの人達に近いと思われていたので、驚きでした。核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人びとの中で、遺伝的に大きく異なる集団だということです」と斎藤教授は解説する。アジア集団の中で最初に分岐した縄文人 20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、7万~8万年前に故郷・アフリカを離れ、世界各地へと広がっていった。旧約聖書に登場するモーセの「出エジプト」になぞらえ、「出アフリカ」と呼ばれる他大陸への進出と拡散で、西に向かったのがヨーロッパ人の祖先、東に向かったのがアジア人やオーストラリア先住民・アボリジニらの祖先となった。 縄文人は、東に向かった人類集団の中でどういう位置づけにあるのか。「最初に分かれたのは、現在、オーストラリアに住むアボリジニとパプアニューギニアの人たちの祖先です。その次が、縄文人の祖先だと考えられます。しかし、縄文人の祖先がどこで生まれ、どうやって日本列島にたどり着いたのか、まったくわかりません。縄文人の祖先探しが、振り出しに戻ってしまいました」 アフリカを出た人類集団が日本列島に到達するには内陸ルートと海沿いルートが考えられるが、縄文人の祖先はどのルートを通った可能性があるのだろうか。「海沿いのルートを考えています。大陸を海伝いに東へ進めば、必ずどこかにたどり着く。陸地に怖い獣がいれば、筏いかだで海へ逃げればいい。海には魚がいるし、食料にも困らない。一つの集団の規模は、現在の採集狩猟民の例などを参考にすると、100人とか150人ぐらいではなかったかと思います」と斎藤教授は推測する。分岐した時期は2万~4万年前の間 では、縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。「オーストラリアやパプアニューギニアに移動した集団が分岐したのが約5万年といわれるので、5万年より古くはないでしょう。2万~4万年前の間ではないかと考えられます。日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。 また、縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927~2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。遺伝的に近かった出雲人と東北人 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。日本列島への渡来の波、2回ではなく3回? 斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。日本列島への渡来の波は、これまで考えられてきた2回ではなく3回あった、というシナリオだ。第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。「● 第1波は縄文人の祖先か、縄文人。● 第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。● 第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。 ーーー 私の意見 ーーーそう言えば日本語は、文法的には、ほぼ朝鮮語なのに語彙には、母音が異常に多く、ポリネシアや南アジアとの関係が言われているちなみに私は、インドネシア駐在の経験があるが、インドネシア語など、カタカナで書けるほど日本語と親和性が高いハワイ語やタガログなども同様つまり第2波のポリネシア・ミクロネシア系の「海の民」が、母音の多い日本祖語を持ち込み第3波の「百済からの難民(笑)」が、百済文化と共に朝鮮語の文法を日本祖語に組み込んだこれで「alex99日本語起源論」の決まりである(笑) このモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と斎藤教授は説く。弥生・古墳人も解析、沖縄では旧石器人骨19体出土 日本人の成り立ちをめぐり、現在、さまざまなDNA解析が行われ、新たな研究成果も出始めている。「神澤さんや篠田謙一さんら国立科学博物館のグループは、東日本の縄文人骨や弥生人骨、北九州の弥生人骨、関東地方の古墳時代人骨など、数多くの古代人のゲノムを調べています。北里大学医学部准教授の太田博樹さんらの研究グループは愛知県・伊川津いかわづ貝塚の縄文人骨のDNAを解析していますし、東大理学部教授の植田信太郎さんの研究グループは、弥生時代の山口県・土井ヶ浜遺跡から出土した人骨から核ゲノムDNAの抽出に成功しています」沖縄・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した約2万7000年前の日本最古の人骨沖縄・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した約2万7000年前の日本最古の人骨 古代人と現代人はDNAでつながっているため、現代人を調べることも重要になってくる。「いま『島プロジェクト』を考えています。島のほうが、より古いものが残っているのではないかと昔から言われている。五島列島や奄美大島、佐渡島、八丈島などに住む人たちを調べたい。東北では、宮城県の人たちを東北大学メディカル・メガバンクが調べているので、共同研究をする予定です。日本以外では、中国・上海の中国人研究者に依頼して、多様性のある中国の漢民族の中で、どこの人たちが日本列島人に近いのかを調べようとしています」と語る。 縄文時代以前の化石人骨も続々と見つかっている。日本本土で発見された後期旧石器時代人骨は静岡県の浜北人だけだが、近年、沖縄・石垣島の白保竿根田原しらほさおねたばる洞穴遺跡から約2万7000年前の人骨が19体も出土し、学際的な研究が進められている。 分子(ゲノム)人類学の進展と技術革新で、謎に満ちた縄文人の由来や日本人の起源が解き明かされる日が、近い将来、きっと訪れるだろう。プロフィル伊藤 譲治(いとう・じょうじ) 読売新聞編集局配信部兼メディア局記者。文化部次長、紙面審査委員(文化面担当)を経て、昨年6月から現職。文化部時代は教育、読書・出版、放送などを担当。
2020.07.10
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ーーー 記事 ーーーホモ・サピエンス誕生の地はボツワナ、最新研究このニュースは○ NATIONAL GEOGRAPHOC○ BBC NEWSこの二つが伝えている ーーー NATIONAL GEOGRAPHIC ーーーホモ・サピエンス誕生の地はボツワナ、最新研究ミトコンドリアDNAで共通の祖先をたどる、異論もNATIONAL GEOGRAPHIC文=Maya Wei-Haas/訳=ルーバー荒井ハンナ2019.10.30https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/103000627/アフリカのザンベジ川以南には、はるか昔に緑豊かな湿地帯が広がっていた。現生人類はこの地から誕生したという新たな研究結果が発表された。現在、ここはマカディカディ塩湖と呼ばれる世界最大級の塩原になっている。 アフリカ南部の内陸国ボツワナに、マカディカディ塩湖と呼ばれる場所がある。まるで白い粉に覆われたように乾燥した大地が広がる、世界最大級の塩原だ。 だが、およそ20万年前は、緑が生い茂る豊かな湿地帯だった。 この古代のマカディカディ・オカバンゴ湿地帯こそ、現生人類(ホモ・サピエンス)誕生の地であるとする研究が、10月28日付けで科学誌「Nature」に発表された。 「私たちはみな、同じ地域からやってきたのです」 研究者らは、現在のアフリカ南部に住む人々を対象に、母親から子へ遺伝するミトコンドリアDNAを調べ、過去の気候や現代の言語、文化、人口分布と照らし合わせた。 その結果、この湿地帯に住んでいた古代人類はやがて、気候の変化にともなって現れた緑豊かな土地へと進出していったと、論文著者らは論じている。さらに、そのなかのある小さな集団がアフリカを離れ、やがて世界各地へ広がっていったのだ。(参考記事:「人類の出アフリカは18万年前?定説覆す化石発見」) 「私たちはみな、アフリカ南部の同じ地域からやってきたのです」と、研究を率いたオーストラリア、ガーバン医学研究所のバネッサ・ヘイズ氏は述べている。 現生人類の祖先が正確にアフリカのどこで誕生したかについては、長い間議論されてきたが、いまだ結論は出ていない。この研究に対しても、一部の科学者から批判が出ている。 現代に生きているすべての人間は、共通の祖先「ミトコンドリア・イブ」から受け継いだミトコンドリアDNAを持っているが、これは全遺伝物質のなかのごくわずかな部分に過ぎない。今回祖先とされた集団がミトコンドリアDNAの起源だとしても、現代人の遺伝子には他にも多くのDNAが関わっている。1217人分のDNAを分類 ヒト科の系統樹は、アフリカに深いルーツを持っている。これまでで最も古いヒト属(ホモ属)の化石は、東アフリカで見つかった280万年前のあごの骨だ。私たちホモ・サピエンスが現れたのは比較的最近のことで、少なくとも26万年前には枝分かれしていたとする研究がある。しかし、それがアフリカのどこで起こったかは、議論の対象のままだった。[画像のクリックで拡大表示] 現生人類とそれ以前のヒト属の特徴を併せ持つ化石は、アフリカ各地で発見されている。例えば、南アフリカでは26万年前のフロリスバッド人骨、エチオピアでは19万5000年前のオモ人骨、そしてモロッコでは31万5000年前のジェベル・イルード人骨が発見された。しかし、アフリカの暑い気候に長い間さらされてきた化石のDNAは、多くが劣化していた。 古代DNAの研究は続いているが、最近では多くの研究者が、現代アフリカに住む人々の遺伝子の多様性に注目するようになった。ミトコンドリアDNAの最も古いルーツのひとつは、アフリカ南部に住む人々の間に多く見られる。中でも特にその割合が高いのが、コイサン人と呼ばれる狩猟採集民族だ。彼らの話す言語には、子音にクリック音が含まれる。これまでヘイズ氏ほか多くの研究者が、人類の起源についての手がかりを探るために、コイサンの人々を調査してきた。 だが今回の研究は、ミトコンドリアDNAの起源を一カ所に絞り込むことが目的だ。遺伝子記録の空白部分を埋めるため、ヘイズ氏の研究チームはナミビアと南アフリカに住む198人からDNAを採取した。その中には、コイサン人もそうでない人々も含まれていた。これに、過去に集められたデータを合わせた計1217人分を、民族と言語によってグループ分けし、地理的な分布図を作成した。さらに、そのDNAに基づいて、20万年前までさかのぼる系統樹を作成した。 その結果、最初のホモ・サピエンス集団はおよそ7万年の間、一カ所に留まっていたことがわかった。当時の気候を分析したところ、ボツワナにあった広大な湿地帯が、彼らが住むのに適していたことも明らかになった。 ところが、今から13万~11万年前に変化が起こった。「新たな人類の系統がいたるところで現れ始めたのです」と、ヘイズ氏は説明する。 この時期に、緑の回廊がまず北東へ、次に南西へ向かって開け、集団の拡散を促したのではないかと、研究は論じている。その一部は、今も同じ場所に住んでいる。アフリカ南部の人々を長年研究してきたヘイズ氏は、分析結果が出るとすぐにそれを研究の参加者たちに伝えた。 「最初に結果を聞いたのは、研究に参加した現地の人々です。とても喜んでくれました。これは、彼ら自身の物語だからです」ミトコンドリア・イブと仲間たち 新たな研究は、見過ごされがちだった現在のアフリカ人に焦点を当てた点で重要だ。「これまで、ヨーロッパ人の研究に時間をかけすぎてきたことは、誰もが認めるところです」と、米プリンストン大学の遺伝学者ジョシュア・エイキー氏は言う。「もっと多様なヒトゲノムサンプルが集められれば、人類の歴史に関してより深く、より明確な理解が得られるはずです」(参考記事:「ヨーロッパは「今も昔も移民の大陸」 科学が示す」) 簡単に言えば、新たな研究結果は過去の一部の研究と似たような絵を描き出している、と言うのは米ウィスコンシン大学マディソン校の古人類学者ジョン・ホークス氏。つまり、現代のアフリカ南部に住む人々は、共通祖先に近いミトコンドリアDNAをもつが、細かい部分はまだはっきりしていないという。 現在そこに住んでいる人々が、数十万年前の人々と同じかどうかを突き止めるのは困難だ。アフリカ南部で過去に民族大移動があったかもしれない。あるいは、ミトコンドリア遺伝子に何か優れた要素があり、そのおかげで大きな民族移動なしにDNAを拡散できたのかもしれない。 「進化の歴史の一部を非常に高解像度で見ることができて、とても興味深いです。でも、その他の物語も必要と言えば必要です」と、ホークス氏は言う。 ミトコンドリアDNAは遺伝子のなかのごく小さな部分しか占めていない。核DNAのサイズは30億塩基対以上もある一方、ミトコンドリアDNAは約1万6500塩基対しかないと、スウェーデンにあるウプサラ大学の進化遺伝学者カリナ・シュレブッシュ氏は説明する。完全なゲノム情報を解明すれば、より複雑な物語が浮かび上がってくる。 似たような系統樹は、男性が持つY染色体でも作成されている。それによると、細かい点ははっきりしないが、西アフリカのカメルーンに住む現代人の一部に、かなり初期に枝分かれした遺伝子系統が見られるという。「他の染色体を調べれば、また集団の異なる遺伝子座が数百万と見つかります。その一つひとつが、過去のどこかで独自の祖先を持っているかもしれないのです」 単一起源でない可能性も 進化の図があまりに複雑になり、最近の多くの研究者たちは、人類がひとつの地域から誕生して世界中に広がったという説を見直し始めている。むしろ、人類はアフリカの複数の地域で進化したと考えるようになった。まるで網目模様に流れる川のように複雑に入り組み、分かれたり再び交わったりしながら、やがて様々な遺伝子が混じり合ってひとつの大きな流れとなり、私たちの血液の中に息づいている。 今回の研究の著者たちも、複数の場所から人類が誕生した可能性を認めているが、それを示すデータさえ十分にはないと、ガーバン医学研究所の統計遺伝子学者で論文共著者のエバ・チャン氏は言う。そして、最新の研究は進化の歴史を描いた絵の空白部分を埋める学際的な試みであると話す。 「だからと言って、今完全な絵が描かれたわけではありません。今後も多くのデータが出されて、この絵も変化し続けていくでしょう」 ーーー BBC NEWS ーーー人類の起源はボツワナ北部か、DNA分析で特定=研究チーム2019年10月30日人類誕生の地とされるボツワナ・マカディカディ塩湖。現在は塩田が広がっている 現生人類が20万年前にアフリカ南部のボツワナ北部で誕生したとする研究結果が28日、英学術誌ネイチャーで発表された。オーストラリア・シドニーのガーヴァン医学研究所の遺伝学者、ヴァネッサ・ヘイズ教授らの研究チームは、コイサン人など現在アフリカで暮らす人々から採取した細胞のミトコンドリアDNA(母から子へと受け継がれるDNA)を分析。遺伝学と地質学、そして気象のコンピューター・シュミレーションを組み合わせることで、約20万年前のアフリカ大陸がどのような状況だったのかを描くことに成功したという。人類誕生の地とされるのは、ザンベジ川の南側地域。現在は塩田が広がるが、かつては巨大な湖が存在したという。研究者によると、同地域には人類が7万年住んでいたものの、その後の気候変動で肥えた緑の回廊が広がったことで、世界各地へと移動していったという。ヘイズ教授は、「解剖学上の現生人類が約20万年前、アフリカで誕生していたことはしばらく前から明らかになっていた」と話す。「我々の祖先が出現した具体的な場所と、その後の移動について、長年議論されてきた」しかし、ヘイズ氏が導きだした結論に対し、他の研究者からは懐疑的な見方も出ている。水辺の安住の地議論の的になっている地域は、ボツワナ北部のザンベジ盆地だ。研究者は、人類の祖先がマカディカディ塩湖として知られるアフリカの巨大な湖沼系の近くに住み着いたと考えている。この場所には、現在では塩田が広がっている。「非常に広大な土地で、水が豊富で非常に肥えた土壌だったと考えられる。実際に、現生人類や野生動物が生き延びる上で適した生息環境だったようだ」とヘイズ氏は説明する。 この地に7万年余り定住した後、人類は各地へと移動を始めた。降雨量の変化により、13万年前と11万年前に合わせて3度、「移動の波」が発生。第一陣は北東部へ、第二陣は南西部へと移動した。一方で残りは今日まで同地域に留まったという。人類史の再構築今回の研究結果をめぐっては、ある専門家はミトコンドリアDNAだけで人類の起源を再構築することはできないと指摘。一方、、東アフリカに住む人々の起源を知るヒントにな化石の発見をもとに、異なる見解を示す学者もいる。今回の研究には関わっていない英ロンドン自然史博物館のクリス・ストリンガー教授は、現生人類「ホモ・サピエンス」の進化は複雑で、「現代のミトコンドリアの分布をもとに現生人類の起源の場所を1カ所に絞ることはできない」と、BBCニュースの取材で述べた。「この研究はデータに溺れていると思う。ゲノムのごく一部しか用いておらず、我々の起源の全体像を示すことはできないので」そのため、人類の起源は1カ所ではなく、まだ把握されていない場所が多数存在していた可能性がある。人類の進化の過程約40万年前:ネアンデルタール人(現生人類の祖先と分岐したとみられる)、ヨーロッパからアジアにかけて出現約30万年前~約20万年前:ホモサピエンス(現生人類)、アフリカに出現約5万年前~4万年前:現生人類がヨーロッパに到達(英語記事 Origin of modern humans 'traced to Botswana')
2019.11.05
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記事 アフリカ外で最古のヒト化石発見 人類移動の歴史塗り替えAFPBB News 2019/07/11 05:02 【AFP=時事】ギリシャの洞窟で発見された頭蓋骨の化石を分析した結果、アフリカ以外で見つかった中では最古となる21万年前の現生人類(ヒト)の骨であることが分かったとの研究結果が10日、英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。これまで考えられていた「人類の欧州到達時期」を「15万年以上さかのぼる」こととなる。これは人類学上のこれまでの定説を覆す最大の発見の一つだと思う今までは現生人類の応酬到達は今から六万年前だと考えられていたのだから21万年前に一部ではあってもすでに欧州入りしていた現生人類がいたという事実は驚天動地の発見であると言うことは単に欧州入りだけの問題では無い現生人類のアフリカ出立「エクソダス」がやはり15万年前後早かったと言うことになるとすればこれは今までの現生人類のアフリカ出立および世界拡散時系列マップを15万年ほどスライド、早めなければならないことになるのだが事はそれほど簡単なことでは無いDNA研究を伴った世界拡散トレース研究ではまだやはり従前のアフリカ出立は6万年前でつじつまが合うのだとすればこの突出した先着組は(笑)例外的な単独グループであってシンクロして世界拡散したとは言えないのでは無いか?つまり彼らは単独グループであって世界拡散の別グループは存在しなかったしこの先着グループはギリシャ近辺で滅亡して現在の欧州人の先祖にはならなかったそういうのが私の仮説である ヒトのユーラシア大陸進出についての通説を覆すこの驚くべき発見はまた、現生人類ホモ・サピエンスが数万年かけてアフリカ外への移住を何度も試み、時には成功しないこともあったとの説を裏付けるものだ。 欧州の南東部は長い間、現生人類がアフリカから移動した際の主要経路となったと考えられてきたが、これまでユーラシア大陸で見つかったヒトの最古の痕跡は約5万年前のものだった。ただ、初期人類のネアンデルタール(Neanderthal)人が太古の昔からユーラシア大陸全土に存在していたことを示す発見は複数あった。 ギリシャの洞窟では1970年代、損傷のひどい頭蓋骨の化石2つが発見され、いずれも当時はネアンデルタール人のものと特定された。国際研究チームは今回、これらの頭蓋骨を最先端のコンピューターモデリングとウラン年代測法を用いて再調査した。 2つの頭蓋骨うち、発見場所となった洞窟の名前にちなんで「Apidima 2」と名付けられたものは、17万年前のネアンデルタール人のものと特定された。しかし驚くべきことに、もう一つの「Apidima 1」は「Apidima 2」よりも最大で4万年ほど前のホモ・サピエンスと特定されたという。【翻訳編集】AFPBB News
2019.07.14
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世界平和などあり得ない本稿は、本日、ばあチャルさんのブログへ寄稿した私のコメント ーーー 私のコメント ーーー世界平和などあり得ない世界平和など実現するはずがありません狩猟採集生活だった人類が農業を覚えて定着生活となり資源とテリトリーの争奪戦つまり戦争が始まりそれ以来の人類の歴史は戦争の歴史でもあります現在のわれわれ現生人類は20種以上いたという人類の中の唯一の勝利者であり生き残りです脳髄が発達して特に攻撃本能を秘めた前頭葉が発達したために生存競争に生き残った訳ですがこの攻撃本能を穏健なものに変えるためには長い年月が必要だと言われていますしその前に人類はAIとの生存競争に勝たなければなりませんそう考えればわれわれの子孫達は極めて不幸な時代を生き抜かなければならないようですこの時代に生まれて良かった(笑)
2019.01.07
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麻生さんの「日本はG7唯一の有色人種」発言に関して七詩さんが上記に関連して下記の記事を書いていてそこに投稿した私の記事をここに紹介する「G7唯一の有色人種だって」 ーーー 私の投稿 ーーー七詩さんまあ、麻生さんも相変わらずだがあなたは、麻生さんの裏返し(笑)雑多で事象が整理されない記事なのでコメントも書きづらいのだがそもそも、この記事の中心ロジックは何なのか?・旧来の人種という概念の否定?・それとも、それはもう科学的に意味をなさない、とおっしゃるのか?・それとも、単に、人種なんて、もううんぬんすべき問題では無い!と言う意見なのか?>もしかしたらインド人で色の黒い人々のほとんどは自分らはアフリカ人と同じ黒人とは思っていないのかもしれない。----本気で書いているの?(笑)肌が黒いと黒人ですか?(笑)例えばアボリジニは、肌色が漆黒ですがオーストラロイドであってアフリカ黒人ではありません小学生でも知っている事ですインド人もしかり基本的に、ペルシャから東進したアーリア人と土着のドラヴィダ人との混血が大半アフリカの黒人とは、全く関係なしただし、私が昔、ムンバイのタジマハールという最高級ホテルに宿泊したときレセプションにいたある女性は雪のように白い肌の超美人でした混血にも濃淡があるわけで いずれにしても「人種」という概念は最新の学説では、はほぼ否定されているものの一般的にはハンディーな概念としてあるいは抜きがたい固定概念としてまだまだ生き続けているまあ、海外の異文化の中に生きて人種差別の実態を体験として知っている人は鳩ポッポさんぐらいかと思うが(鳩ポッポさんのご意見は知らない)なぜか、あなたは、人種差別の存在を軽視・無視したがっている様に見えるがそれは現実とはほど遠いそのことを申し上げておきたい人種差別意識は表面的な political correctness によって減衰して行く趨勢に見える一方各人種の(笑)本音や潜在意識の中では一向に消えていないいやむしろpolitical correctness によって抑圧され潜在化したために反発・反動にもつながっているとにかく人種差別意識は例えその人がそれを良心に従って否定して除去しようとしても獅子身中の虫(笑)潜在意識に着底した偏見は自己肯定の欲求とも結びついて代が変わらなければ消える事はありません最近の例で言えば例えば・トランプの言動や政策・欧州の難民排除運動これらにますます顕著に見られる
2018.09.10
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記事 人類史 母はネアンデルタール人、父はデニソワ人 DNA分析で初確認 2018/08/23 15:15 【AFP=時事】デニー(Denny)は、初期人類の異種交配で生まれた「婚外子」だった。 22日の英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された研究論文によると、デニーの母親は初期人類ネアンデルタール(Neanderthal)人で、父親はデニソワ(Denisova)人だったという。デニソワ人は5万年前にユーラシア(Eurasia)大陸に生息していた、ネアンデルタール人とは別種の初期人類だ。 英オックスフォード大学(Oxford University)の科学者らが名付けた愛称で呼ばれているこの少女は、正式名が「デニソワ11(Denisova 11)」で、死亡時の年齢が少なくとも13歳、死因は不明とされている。 論文の筆頭執筆者で、独マックス・プランク進化人類学研究所(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology)の研究者のビビアン・スロン(Vivian Slon)氏は「異なるヒト族、初期人類のグループ間での異種交配を示す証拠は、これまでにも存在した」と説明する。「だが、直接の第1世代の子孫を発見したのは、今回の研究が初めてだ」 デニーの驚くべき血筋は、ロシアの考古学者チームが2012年に露シベリア(Siberia)のアルタイ山脈(Altai Mountains)にあるデニソワ洞穴(Denisova Cave)で発掘した骨片によって明らかになった。 この骨のDNA分析結果は疑う余地がなかった。染色体がネアンデルタール人とデニソワ人の半分ずつの組み合わせになっていたからだ。これら初期人類の異なる2種は40万年前から50万年前までの間に分岐した。 論文の主執筆者で、マックス・プランク研究所のスバンテ・ペーボ(Svante Paabo)教授は「分析に不手際があったに違いないと当初は考えた」と話す。同教授は10年前、今回と同じ洞穴遺跡でデニソワ人を初めて発見した。 4万年前以前のネアンデルタール人、デニソワ人、現生人類ホモ・サピエンス (Homo sapiens)などの初期のヒト属のゲノム(全遺伝情報)については、解析が完了したものは全世界で二十数例に満たず、異種交配の第1世代の個体に巡り合う確率はゼロに近いほど低いように思われた。 あるいは、そうではないのかもしれない。■異種間の交わり「ネアンデルタール人とデニソワ人の混血個体を発見したというこの事実は、これまで考えられていたよりはるかに頻繁に異種交配が行われていたことを示唆している」と、スロン氏は指摘した。 後期更新世のユーラシア大陸において異種間の交わりがそれほど珍しいことではなかった可能性があることの最も有力な証拠は、現生人類の遺伝子の中にある。 全世界のアフリカ系以外の現世人類は現在、ネアンデルタール人に由来するDNAを約2%保有していることが、過去の研究で明らかになっている。 デニソワ人の名残もまた広範囲に及んでいるが、分布はネアンデルタール人ほど均一ではない。「デニソワ人のDNAの痕跡は、アジア全域とアメリカ先住民の間では全体の1%弱含まれていることが明らかになっている」と、ペーボ教授は話す。また、オーストラリアの先住民アボリジニと南太平洋のパプアニューギニアの人々は約5%保有しているという。 欧州の中部および西部にわたって広く分布し繁栄していたネアンデルタール人がなぜ約4万年前に姿を消したかという疑問をめぐっては、白熱した議論が繰り広げられている。総合的に見ると、今回明らかになった事実はこの疑問に対する斬新な答えを裏付けるものになっている。 これまで、ネアンデルタール人の謎の絶滅をめぐっては、病気、気候変動、現生人類ホモ・サピエンスによる集団虐殺やこれらのいずれかの組み合わせなどが原因として挙げられてきた。 だが、アフリカから集団移動でやって来た現生人類が、ネアンデルタール人とおそらくデニソワ人もを、攻撃でなく愛情で制圧したとすればどうだろうか。「これらの初期人類集団に関しては、単に現生人類集団に吸収されたにすぎない可能性があるという説明もできる」と、ペーボ教授は述べた。「現生人類は数で勝っていたため、他のヒト種が合併吸収されたのかもしれない」 ネアンデルタール人は主に欧州に、デニソワ人はアジア中部と東部にそれぞれ定住していたが、もしそうでなかったら2種間でさらに多くの混血が起きていたかもしれないと、研究チームは推測している。【翻訳編集】AFPBB News
2018.08.30
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難民と言えばシリア難民という先入観があったがBBCなどを見るとアフリカから地中海を越えて欧州へ移入する難民は黒人のアフリカ人が多いシリア難民は、以前として発生しているのだろうがトルコなどのバッファーもあり暗黒大陸アフリカ(笑)からの黒人の難民となるとこれはもう、政情不安のアフリカ諸国だからきりが無いのでは無いか?そもそも難民が発生しない様な状況を本国で作り上げなければいけないのだが現状、とてもそれは望めないとなれば欧州の黒人化?がこれからもどんどん進む欧州も私が初めて欧州に行った頃は黒人やアラブ人はそれほど目立たなかったそれが、最近、やたらに多い欧州は今になってテロを含めてかっての植民地だらけにして支配したアフリカからのしっぺ返しを受けているそういう歴史の流れだと思う人類はそもそもアフリカにおいて去るからスピンアウトして人類になり出アフリカを経て全世界に拡散したわけだが今は、第二の「出アフリカ」だろうか?
2018.08.05
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ーーー 科学記事 ーーー人類史ヒトはなぜ人間に進化した? 12の仮説とその変遷ヒト属の新種ホモ・ナレディ発見にあたり考えた2015.09.18NATIONAL GEOGRAPHIC 人間とはなんとすぐれた生きものだろう。この言葉には誰もが強く同意するに違いない。他の生物と比べてみれば、人間という存在は明らかに際立っている。 だが、先日、原始的な特徴と現代的な特徴をあわせもつヒト属の新種ホモ・ナレディが発見された。もちろん、ホモ・ナレディは人間(ホモ・サピエンス)ではないけれど、実際のところ、類人猿のみならず動物全体の中でホモ・サピエンスを唯一無二のものとしているのは何なのだろう。そして、私たちの祖先は、その「何か」をいつどのように獲得したのだろうか。(参考記事:「小顔のヒト属新種ホモ・ナレディを発見、南ア」) 過去100年で、おびただしい数の学説が出されている。中には、人類の進化についてだけでなく、提唱者の生きた時代を物語る説もある。12の主な仮説を紹介しつつ、この機会に考えてみたい。 1.道具を作る 人類学者ケネス・オークリーは、1944年の論文で「ヒトが独特なのは道具を作る点だ」と書いた。見つけた物を道具として使う行動は類人猿にも見られると説明しつつ、オークリーは「特定の用途に合わせて棒や石の形を変えるのは、明らかに人間らしい最初の活動だった」と述べた。1960年代初め、古人類学者ルイス・リーキーは、道具作りを始めてヒトへと進化したのが、約280万年前に東アフリカに住んでいた「ホモ・ハビリス」(器用な人)という種だとした。だが、ジェーン・グドール氏らの研究で明らかにされたように、チンパンジーも特定の用途のために棒から道具を作れる。例えば枝切れから葉を落として、地中にいる虫を「釣る」こともできるのだ。手のないカラスさえも非常に器用な行動を見せる。(参考記事:「動物の知力―言葉を話す、仲間をだます、道具を考え出す」) 2.殺し屋 人類学者レイモンド・ダートによれば、現生の類人猿と我々の祖先との違いは、常習的に殺りくをする攻撃性にあるという。すなわち我々の祖先は「生きた獲物を乱暴に捕らえ、息絶えるまで殴打し、死骸を八つ裂きにし、その温かい血をすすり、苦悶しつつ死んだ青ざめた獣の肉をむさぼり食うことで、飽くことのない飢えを満たしていた」肉食生物だというのだ。今読むと安っぽい小説のようだが、第二次世界大戦の大量殺戮の記憶がまだ新しかった1953年には、ダートの「キラーエイプ仮説」は人々の共感を呼んだ。(参考記事:「人類発祥の地は東アフリカか、南アフリカか」) 3.食料を分かち合う 1960年代になると、キラーエイプよりもヒッピー的な人間観が主流になった。人類学者グリン・アイザックは、動物が死んだ地点から別の地点へ意図的に死骸が移された証拠を発見。運ばれた先で、動物の肉が共同体全員に分配されたと考えた。アイザックの見方では、食料の分配が始まると、どこに食料があるかという情報共有の必要が生じる。これにより、言語など人間に特有の社会的な振る舞いが発達したとされた。 4.裸で泳ぐ そのしばらく後、「水瓶座の時代」とも呼ばれるニューエイジ・ムーブメントの頃に、脚本家のエレイン・モーガンが新たな説を広めた。ヒトが他の霊長類とこうも違うのは、水辺および水中という異なった環境で進化したからというものだ。体毛が薄くなるとより速く泳げるようになり、二足歩行によって水中を歩きやすくなった。この「水生類人猿説」は現在、科学界では一般に否定されているが、2013年に英国の博物学者でTVプレゼンターのデイビッド・アッテンボロー氏がこの説を支持した。 5.物を投げる 人類学者リード・フェリング氏は、我々の祖先がヒトへと進化したのは、石を速く投げる能力を身につけたときだと考えている。旧ソビエト連邦ジョージア(グルジア)のドマニシには、約180万年以前の初期人類の遺跡がある。フェリング氏はここで、ホモ・エレクトスが集団で石を投げ、襲ってくる野生動物を追い払って獲物を守っていた証拠を見つけた。「ドマニシの人々は小柄でした」とフェリング氏。「この一帯は大型のネコ科動物がそこかしこにいました。どうやって身を守り、アフリカからここまでたどり着いたのでしょうか? 答えの1つは、投石です」。動物への投石は人類の社会化ももたらしたとフェリング氏は主張する。成功するためにはチームワークが必要だからだ。(参考記事:「「初期人類はすべて同一種」とする新説」) 6.狩る チームワークをより強く促したのは狩りだと主張したのは、人類学者シャーウッド・ウォッシュバーンとC.S.ランカスターだ。2人は1968年の論文で、「我々の知性、関心、感情、そして基本的な社会生活は、本質的にはすべて、狩りにうまく適応したという進化の産物だ」と述べた。例えばヒトの脳が大きいのは、いつどこで獲物を見つけるかという情報を多く蓄積するためだという。また、狩りは女性が採集をするという男女の役割分担にもつながったと言われる。だが、ここで疑問が出てくる。女性も大きな脳を持っているのはどうしてなのか? 7.食べ物とセックスを取引する より端的に言うと、一夫一婦制だ。C・オーウェン・ラブジョイ氏が1981年に発表した学説によれば、人類進化の決定的な分岐点は、約600万年前に起こった一夫一婦制の開始だという。それまでは、どう猛なオスが他のオスを蹴散らして勝者となり、メスとの生殖を独占していた。しかし一夫一婦制の下でメスが好むのは、食料の調達がうまく、そばにいて子育てを手伝ってくれるオスだ。ラブジョイ氏いわく、我々の祖先が二足歩行を始めたのは、それによって両手が自由になり、より多くの食料をメスに届けられるから、とのことだ。(参考記事:「チンパンジー、食べ物とセックスを取引?」) 8.肉を(調理して)食べる 大きな脳は大量の栄養分を欲しがる。大脳皮質や小脳皮質などの灰白質が必要とするエネルギーは、実に筋肉の20倍だ。草食生活をしていては脳の発達はあり得なかったと一部の研究者は主張する。むしろ、人類の脳が進化したのはたった1度、タンパク質と脂肪の豊富な栄養源である肉を200~300万年前に食べ始めたときだという。また、人間に独自の行動である火を使った調理は、食物を消化しやすくする。人類学者リチャード・ランガム氏によれば、我々の祖先は火で調理を始めてから、肉をかみ切ったり潰したりするのに力を使う必要がなくなり、その分のエネルギーを脳に回せるようになった。その後も脳は発達を続け、自分の意志でビーガン(完全菜食主義者)を選ぶという判断を下せるまでになったのだという。(参考記事:「槍を使って狩りをするチンパンジー」) 9.炭水化物を(調理して)食べる あるいは、人類の脳は炭水化物を溜め込むことで大きく発達できたのかもしれない。最近の論文によれば、私たちの祖先が調理法を発明すると、塊茎(ジャガイモなど)のようなデンプン質の植物が脳にとって優れた栄養源となり、しかも肉より容易に入手できた。唾液に含まれるアミラーゼという酵素は、炭水化物を分解して、脳に必要なグルコースという糖分へと変える。英ロンドン大学の進化遺伝学者マーク・G・トーマス氏は、人類はDNAの中にアミラーゼ遺伝子のコピーを多く持っていると指摘。この特徴は、塊茎状の摂取が人類の脳の爆発的な発達を後押ししたことを示唆するものだと記している。(参考記事:「古代都市の子孫は免疫系が進化?」) 10.二足歩行をする 人類進化の決定的な転機は、私たちの祖先が木から下り、直立して歩き始めたときだったのだろうか?「サバンナ起源説」の提唱者たちは、気候の変化がサバンナへの適応を促したと主張する。300万年前にアフリカの気候が乾燥し、森林が減少して草原に取って代わられた。これが、直立する霊長類に有利に働いた。立ち上がって背の高い草よりも上から辺りを見渡し、捕食者を見つけたり、食料と水源が遠く離れた広い範囲を効率的に移動したりできた。この説の問題点は、2009年、現在のエチオピアで、440万年前に生きていたラミダス猿人(アルディピテクス・ラミダス)の化石が見つかったのだ。この地域は当時、湿潤で森林に覆われていた。にもかかわらず、ラミダス猿人の「アルディ」は二足歩行をしていた。(参考記事:「最古の女性“アルディ”が変えた人類進化の道」) 11.適応する 米スミソニアン博物館人類起源プログラムを指揮するリチャード・ポッツ氏は、人類進化は1度の契機によるものではなく、気候変化の影響の積み重ねと考えている。ポッツ氏によれば、300万年近く前にヒト属が出現した頃、気候は湿潤と乾燥の間で変動していた。自然淘汰によって、予測できない変化が絶えず起こる状況でも耐えられる霊長類が生き残ったのだ。ポッツ氏は、順応性自体が人間を定義づける特徴だと唱えている。(参考記事:「最古のヒト属化石を発見、猿人からの進化に新証拠」) 12.団結し、征服する南アフリカのピナクルポイントで見つかった、初期のホモ・サピエンスによる投てき武器。人類学者のカーチス・マリアン氏は、人類の協調能力の反映とみる。(Photograph by Per-Anders Pettersson, Getty Images)[画像のクリックで拡大表示] 人類学者カーチス・マリアン氏は、グローバル化時代に合致する人類起源の見方を提示している。我々は究極の侵略的種族だというものだ。1つの大陸に数万年も閉じ込められた後、我々の祖先は地球全体を支配下に置いてしまった。なぜこんな偉業が可能だったのか? マリアン氏によれば、鍵は遺伝的に備わっていた協調性だ。この性質は利他主義ではなく、争いに由来する。協力に長けた霊長類のグループは対立するグループよりも有利になり、その遺伝子が残った。「我々の祖先の発達した認知能力にこのような独自の性質が加わったことで、新しい環境にも巧みに適応できるようになった」とマリアン氏は記している。「また、イノベーションを促す役割も果たし、高度な投てき武器という画期的な技術を考案した」 これらの説は果たして正しいのか、それとも誤っているのだろうか。 優れた説は多いが、いずれも先入観にとらわれている。「人類は1つあるいはいくつかの分かりやすい特徴によって定義でき、ホモ・サピエンスへと至る必然的な道のどこか1カ所で起こった進化上の事件が決定的な転機となった」というものだ。 だが、彼らは現生人類のベータ版ではないし、「何か」を目指して進化していたわけではない。ただ、アウストラロピテクスやホモ・エレクトスとして生き抜いていただけだ。獲得した特徴のどれか1つが決定的となったわけでもない。進化の歴史に必然の帰結などというものはあり得ない。道具を作り、石を投げ、肉とイモを食べ、協調性と順応性が高く、大きな脳を持ち、殺りくをするサルが、結果的に私たちになった。そして、進化は今も続いている。 ※ホモ・ナレディ発見についての詳細は、9月30日発売の『ナショナル ジオグラフィック日本版』2015年10月号で図解や写真を含めて詳しく紹介します。 『ナショナル ジオグラフィック日本版』2015年10月号文=Mark Strauss/訳=高野夏美
2018.04.30
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ーーー 記事 ーーー人種差別を助長した、モートン医師の負の遺産サミュエル・モートン医師は科学的な立場から人種を差別した最初の人物だったNATIONAL GEOGRAPHIC2018.03.29 特集フォトギャラリー5点(画像クリックでリンクします)サミュエル・モートンの頭蓋骨コレクションの一部。モートンは、人類は異なる起源をもつ五つの人種から成ると主張した。 19世紀前半、米国のペンシルベニア州にサミュエル・モートンという医師がいた。非常に優秀な科学者として知られていたモートンは、人間の頭蓋骨を収集していた。 モートンは頭蓋骨に鉛玉を隙間なく詰め、別の容器に移して容積を測った。そしてその測定値を基に、人類は五つの人種に分かれ、それぞれが神の定めた階層構造のなかに位置づけられていると結論づけた。最も容積の大きな白人は知能が高く、階層の頂点にいる。次は東アジア人で、教育を受ければさらに賢くなる余地はあるが白人より劣る。その下に東南アジア人、アメリカ大陸の先住民が来て、黒人が最も低い位置に置かれた。当時はまだ南北戦争が起こる前で、奴隷制度の擁護者たちはモートンの主張に飛びついた。 「彼の説は大きな影響力がありました」と米ペンシルベニア大学の人類学者ポール・ウォルフ・ミッチェルは話す。1851年にモートンが亡くなると、ある医学専門誌は、「黒人に劣等人種としての正しい地位を与えた」と、称賛の言葉を贈った。 モートンは現在、科学的な立場から人種を差別した最初の人物として知られている。過去数世紀に起きた恐ろしい出来事の根本に、「ある人種がほかの人種より劣っている」という考えがあったことを思うと、いたたまれなくなる。残念ながら私たちは依然として、彼の負の遺産とともに生きているのだ。 人種という概念そのものが「誤解」 だが科学は人種について、モートンの主張と正反対のことを教えてくれる。彼は、普遍的に受け継がれる差異を発見したと考えていたが、当時はDNAが発見されるはるか前、チャールズ・ダーウィンの進化論さえ発表されていなかった時代だ。先祖の特徴が子孫に遺伝する仕組みは解明されていなかった。 研究が進んだ現在では、人種という概念そのものが「誤解」であるといわれている。ヒトのDNAを構成するすべての塩基配列を明らかにしようと始まった「ヒトゲノム計画」では、さまざまな人種で構成されるように被験者が選ばれた。2000年6月に解読結果が発表されたとき、DNAの配列決定における先駆者であるクレイグ・ベンターは、「人種という概念には、遺伝的にも科学的にも根拠がない」と述べた。 DNAは、A(アデニン)、C(シトシン)、G(グアニン)、T(チミン)という塩基の並び順によって遺伝情報を記録していて、この4文字で書かれた膨大なページ数の本にたとえられることが多い。ヒトゲノムは30億の塩基対から成り、それが約2万個の遺伝子に分かれている。東アジア人の毛髪が太くなったのは、そのうちのたった一つの遺伝子の、たった一つの塩基がTからCへ書き換えられた結果なのだ。 同様に、ヨーロッパ人の肌の色の薄さと最も深く関わっているのは、SLC24A5という遺伝子に起こった、たった一つの小さな変異だ。この遺伝子を構成する塩基対は約2万にのぼるが、そのなかの1カ所において、サハラ砂漠以南に住むアフリカ人の大半ではGとなっているところが、ヨーロッパ人ではAとなっている。 外見上の分類は無意味 人が人種を話題にするときは、大抵は肌の色が念頭にあり、さらにはそれ以上のものを含んでいるようにも感じられる。だが今日の科学は、外見上の違いは偶然の積み重なりにすぎないことを教えてくれる。肌の色は祖先が太陽光にどう対処したかということを反映しているだけで、それ以上に大きな意味はない。 「相手の肌の色だけで、その人の特徴までわかるという考え方がかなり一般的ですよね」。米シンシナティ大学で色素沈着を研究しているヘザー・ノートンはそう話す。「見た目の違いは、その人のゲノムにAがあるか、Gがあるかの違いにすぎないという説明は、結構インパクトがあるのではないでしょうか」 ※ナショナル ジオグラフィック4月号「人種と遺伝子」では、対立や差別を生む「人種」の概念を科学的な観点から見直します。 文=エリザベス・コルバート/ジャーナリスト
2018.04.18
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サブノート NHK 人類誕生 第一集NHK SPECIAL人類誕生第一集 こうしてヒトは生まれた2018/04/08NHK 総合 ーーーー最初の人類 ラミダス数百万年前アフリカの森の中に住んでいるものの二足歩行という変わり者アフリカ大陸の中央部が地殻変動で隆起して気候変動が起こり東半分が乾燥化に向かう樹木が減少ラミダスは犬歯が無い一夫一妻制なので、雄同士の権力争いが無くなったため犬歯が不要に一夫一妻制のメリットは、夫が食料探し、妻は洞穴で子育てと分業男女間が安定して家族を形成雄同士のケンカにエネルギーを費やす必要が無くなり育児にエネルギーを集中雄同士の抗争のある種は、雄の体格が大きいが抗争がなくなったラミダス以降の人類は男女の体格差がほとんど無い370万年前のアフリカの草原に二種類の人類がいた ―――― 続く ――――
2018.04.16
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ーーー 記事 ーーーAIは翻訳者の仕事を奪うのか? ITmedia NEWS2018/04/02 09:00翻訳クラウドソーシング事業を展開するベンチャー企業Gengo(東京都渋谷区)のチャーリー・ワルター氏(Head of Product)© ITmedia NEWS 翻訳クラウドソーシング事業を展開するベンチャー企業Gengo(東京都渋谷区)のチャーリー・ワルター氏(Head of Product) Google翻訳やエキサイト翻訳をはじめ、今や翻訳はネット上で気軽にできる時代になった。もはや人力による翻訳の仕事はAIに駆逐されてしまうのか。私の娘が海外で語学関係の仕事に就いているすでに色々記事をアップしたようにAIは、近未来に、人々の仕事と職を奪う語学関係は、その典型的なものかも知れない心配になって引用してみる娘にもこの記事をメールしたこの記事を読む人達の間にも、語学関係の方がいるだろう ーーーー同時に思った事は私の年齢から、残された時間は限定的であるその限られた時間の中で娘にしてやれる事はやっておこうと言う事私は、今まで、海外の娘に、日本のテレビの録画ビデオテープを、DVDを、今はブルーレイBDを、送ってきたおよそ娘の年齢分になるかも知れないとなると、30年近く、であるこれを米国の妹に電話で言うと、私は、非常にいい父親だと驚かれたこの私にも、そういう一面があるのである(笑) 「機械翻訳の精度が上がっても、まだまだ人間の手は必要。AIは99%の作業は得意だが、最後の1%はまだ苦手」――翻訳クラウドソーシング事業を展開するベンチャー企業Gengo(東京都渋谷区)のチャーリー・ワルター氏(Head of Product)は、こう話す。●「機械翻訳はライバルじゃない」 Gengoは、全世界に2万1000人以上の翻訳者を抱える翻訳クラウドソーシングの会社。翻訳者になれるのは、同社のテストに合格した人のみ。また、品質管理を一部自動化するなどして、高品質かつ低価格な翻訳サービスを売りにしている。同社は、世界的に盛り上がっているAI市場に注目し、2018年1月からはAIの学習データを提供する事業に着手しているという。 提供先は、米Amazon.com、Facebook、LINE、NTTなど、音声合成や自然言語処理などに注力するIT企業が中心で、機械翻訳のディープラーニングモデルの学習用に訳文データを提供するなどしている。例えば、Amazon.comから音声データを受け取り、Gengoが抱えるクラウドワーカーがデータのラベル付けなどをしてAIが分析できる形にデータを整え、Amazon.comに返す――という流れだ。 これまで、人力の高品質な翻訳が自慢だった同社にとって、機械学習用のデータを提供することは自らの食いぶちをなくすことにはならないのだろうか。同社のマシュー・今井・ロメインCEOは、「機械翻訳はライバルじゃない」と話す。 「画像認識の分野のように、AIが人間の認識精度を超える日はいずれ来るだろうが、まだ人が担うべき所は多い。翻訳前後で意味が通じているか、直訳しても通じないユーモアのある文章はどうか。意味の翻訳は当分人力になるだろう」(ロメインCEO) ワルター氏が言う「AIが苦手な残り1%」は、専門性の高い作業を指す。例えば、医薬品などに関する内容やメーカーの安全性に関わる説明文、法律に関する文章などはまだ人間の手作業だ。 同社は、9年間蓄積してきたノウハウと膨大な翻訳データを強みとしつつ、テクノロジーも活用することで、翻訳以外にも校正、コピーライティング、要約などビジネス支援の幅を広げている。 「今後AIはさまざまな産業に普及するが、開発段階、生産段階のそれぞれでまだ人間の手を借りる必要がある。Humans-in-the-loop(人間参加型)という考え方がますます浸透していくだろう」(ワルター氏)
2018.04.02
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ーーー 記事 ーーーなぜ人は他人を「敵」か「味方」に分類するのか研究から、人間の「群れたがる性質」を知る手がかりが見えてくるナショナルゲオグラフィック2018.03.30 2014年、ナイジェリアにある仲の良い二つの村に「危機」が降りかかる。民族と宗教と文化の違いが高い壁となり、壁の向こう側にいるだけで断罪の理由となった。妄言が飛び交い、ついに襲撃と報復の連鎖が始まった。畑はめちゃくちゃにされ、家畜は殺される。農耕民ティブの村は焼き打ちに遭い、男性も女性も殺害された。 こんな不幸な出来事が世界中で起きている。人種や宗教、文化が違う者同士が何十年、時には何百年も仲良く暮らしていた。事態が突然変わり、よく知る顔が「彼ら」「敵」「あっち側」と呼ばれる存在になる。 集団と集団のぶつかり合いでは、個人という概念は消えて、相手への共感も信頼もすっかりなくなってしまう。ナイジェリアと同じことが、フランスや米国の移民と地域住民の間でも起こりうる。状況は異なるが、重要なのは状況が違っても起こるということ。つまり問題の根底は同じなのだ。 人間は群れたがる 人間は「同一性を求めてやまない」と進化心理学者のジョン・トゥービーは指摘する。それは仕方がない。人間は生まれつき「私たち」と「彼ら」を区別するようにできているからだ。脅威に直面すると、無意識にでも「私たち」を優先することは避けられない。 米ニューヨーク大学の神経科学者で、集団同一性を研究しているジェイ・バン・ベイベルが行ってきた過去20年間の研究から、「同一性を求めてやまない」人間の脳について重要な事実がいくつかわかってきた。 たとえば、集団に対する認知や情動の多くは意識外で生まれていて、コントロールが利かない。そして、新しい集団同一性は、古いものとすぐに置き換わる。 これらの研究から、人間の「群れたがる性質」を知る手がかりが見えてくる。私たちは自分がどの集団に属しているのか、周囲にあるどの集団が重要なのか、常に心のレーダーを作動させている。人種、宗教、国籍といったアイデンティティーに十分満足していても、新たな集団に入る可能性を敏感に探っているのだ。 なぜ人間は自分の所属チームと、チーム内の自分の位置づけを気にする方向に進化したのか。その理由は想像に難くない。生まれつき体に備わった武器がなく、かよわくて騒々しい人間という生き物にとって、相互依存は当然の生き残り戦略だ。集団生活は生存のための手段であり、だから多くの霊長類は集団をつくるし人間社会にも必ず明確に線引きされた集団が存在している。 文=デビッド・ベレビー/サイエンスライター ーーー 私の感想 ーーーなるほど!人間の● 集団形成行動● 敵味方の識別・差別化行動これらは、同じコインの裏と表なのだ
2018.03.30
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ヒトが「ネアンデルタール人」を絶滅させた ヒトより脳も大きく、ガッシリしていたのに 東洋経済オンライン 中村 陽子2018/02/18 17:00この記事だけではたりない知見もあるので私が補足説明しておいた水色部分がそれ 700万年前、人類はチンパンジー類と分岐した。初期人類、アウストラロピテクス属を経て今に続くホモ属へと進化。私たちの祖先にはどんな種がいて、どのように生き、絶滅していったのか。『絶滅の人類史』を書いた分子古生物学者の更科功氏に聞いた。──私たちホモ・サピエンス(ヒト)が生き残った最後の種ですね。 人類は名前がついているだけで25種ありますが、実際は100種くらい存在したかもしれない。 人類の大きな特徴は、直立二足歩行と犬歯(牙)の縮小です。直立二足歩行を始めた頃、アフリカは乾燥化が進み森林が減少していた。類人猿も木登りが下手な個体は餌を求めて森から出ていかざるをえない。疎林や草原に追い出された個体の中で生き残ったのが初期人類です。もともと直立二足歩行はその不便さゆえに人類でしか進化しませんでした。優秀だから勝ち残ったわけではなく、追い出された ──人類は優秀だから勝ち残ったわけではない? ええ、力が弱く木登り下手な人類祖先は、ゴリラやチンパンジーなど類人猿に負けて豊かな森林から追い出され、仕方なく疎林や草原に出てきた。決して希望に満ちて草原へ旅立ったのではない。 直立二足歩行の最大の欠点は走るのが遅いことです。草原は肉食獣に襲われやすい場所。そこへ出ていくことは死を意味するわけだから、追い出されたという表現でいいと思う。ゴリラもチンパンジーも人類より力が強い。人類には牙もないから戦ったら死ぬ。こちらが出ていくしかないですよね。 ──なぜ牙を失い、不便な直立二足歩行を始めたのでしょうか? チンパンジーはオス同士の戦いで牙を使う。でも人類はオスとメスが集団生活をする中で、初めて一夫一婦制かそれに近い社会を作った。メスをめぐる争いがなくなったから牙という凶器を捨てた。 一夫一婦制はオスがメスや子供に食物を手で運ぶために始まりました。もちろん最初は一夫多妻や多夫多妻などいろんなグループが混在していたことでしょう。その中で結果的にいちばん多くの子孫を残せたのが一夫一婦制だったということ。家族のために食物を運ぶオスは、自分のためにしか食物を収集しないオスより肉食獣に襲われる。 当然生き残るオスの数は少ない。でもメスや子供にとっては、食物を与えられるので生存に有利になる。結果的に直立二足歩行の遺伝子が受け継がれる。進化においては、優れた者が勝ち残るのではなく、子供を多く残した者が勝ち残るのです。そのほかにも、現生人類=ホモサピエンスが「生存適者」となった要因がある一夫一婦制だから、男は、子供が生まれてからも母子を保護する食料を洞穴に運んでくる女の育児を助けるその結果、子供の生存率が高くなった一夫一婦制で無い動物の場合は子供が生まれたら、オスは巣を離れて行ってしまうそのあとは、母子だけで生きなければいけない家庭崩壊している米国の黒人の男の多くがこのパターンで、子供は一応育っても色々欠けているものがある ──そして250万年前、ホモ属が現れた。 ホモ属が石器を作るようになると頻繁に肉が食べられるようになり、脳を大きくすることができた。肉は植物より消化しやすいから腸も短くて済む。腸に使うエネルギーを回すことで脳はさらに大きくなる。食事や消化が短時間で済めば、暇な時間を石器用の石集めや石器作りに充てられ、作り方をまねるための仲間とのコミュニケーションなど知的活動が増えます。石器の発明と同様なことが農業の発明にも言える狩猟採集生活から農業の発明により定着生活を送るようになった人類大量の食料を手に入れることが出来さらにそれを肇造できるため(採集狩猟の獲物は貯蔵できるものでは無い農業による穀物などは貯蔵が利く)農業先住者以外の人間は余暇の時間が持てやはり各種ツールの作成や専門知識の習得が出来文化文明が発達した人類史上最大の脳を持っていたのがネアンデルタール人 ──脳の大きさ=頭のよさ? 頭のよさというより、脳の活動が多かった。ヒトに最も近縁な種で4万年前に絶滅したネアンデルタール人や、同じヒトでも1万年前のほうが現代人より脳容量は大きかった。 人類史上最大の脳を持っていたのがネアンデルタール人。彼らは私たちとは違う何かを考えたり、想像もつかない能力とか、現代人の物差しでは測れないものを持っていたんじゃないか。脳の形から、見たものを処理する視覚野の部分が大きいので、視覚に関係する能力はネアンデルタール人が勝っていたでしょう。 ──40万~50万年前に別のホモ属からネアンデルタール人とヒトが分化した。つまり両者は兄弟? 兄弟というよりは双子ですね。祖先の集団の一部がアフリカを旅立ち、その一部がヨーロッパに移住、そこからネアンデルタール人は進化した。一方アフリカに住み続けた集団からはヒトが進化した。 2種はヨーロッパとアフリカで別々に暮らし、ネアンデルタール人は欧州に先着して移住していたので気候に順応して、色白だったらしいこれに反して、だいぶ遅れて入欧したばかりの現生人類はまだ色が黒かったらしい欧州の現生人類は、少なくとも一万年前は黒人の肌色と容貌だったようだ(ナショジオより)4万7000年前にヒトがヨーロッパに進出してネアンデルタール人と再会する。 その後ヒトがヨーロッパへ大量進出してからは3000年くらい両者は共存しました。互いの接触はなるべく避けたと思いますが、少数ではあるけど両者は交配もした。最近まで現生人類は、ネアンデルタール人のDNAを全く持っていない、徒信じられていたのだが最近、現生人類はネアンデルタール人のDNAを少量ながら持っていると言うことが判明した日本人にもそういう人間がいるらしい ──ネアンデルタール人もヒトも食人の痕跡が残っていますね。 はい。飢餓の極限状態で食人の犠牲者となったネアンデルタール人12人の骨は、脳や骨髄目当てにたたき割られ、石器で肉を剥ぎ取られた傷が残っていました。 ネアンデルタール人絶滅の主な原因は、寒冷な環境とヒトの進出でした。ヒトは骨で針を作り、寒さをしのぐ毛皮服を作って防寒、何でも食べ、きゃしゃな体で広範囲を動き回る。投槍器を使い狩猟技術も高かった。一方ガッシリ体形のネアンデルタール人は基礎代謝量だけでヒトの1.2倍、動き回るには1.5倍のエネルギーを要した。力は強いけど燃費が悪いので、移動範囲は狭まり獲物も少ない。ヒトが自分たちの土地にズカズカ入り込んできて獲物を横取りしていった。ネアンデルタール人の口腔の構造では、母音中心のシンプルな声しか出せず、高度なコミュニケーションが出来なかったらしいこれは、狩猟や農業における協力関係で現生人類に負けたのだろう動物の全重量の10%をヒトが占めている ──未来の人類は私たちヒトをどう特徴づけるんでしょう。 南極まで行っているし、本格的に世界中に広がった。それから異常に数が増えた種ですよね。現在、動物の全重量の10%をヒトが占めていて、そんなに多い種は全人類史上初めてです。 ──え、たったそれだけ? 現代のITや宇宙への進出など目覚ましい文明の発展は、記録はされるでしょうけど、ヒト30万年間のうちテクノロジーの進化はたった200年。生物学的な定義としては「地球中に広がった種」となるんじゃないですかね。 ほかの種に比べ個体が弱いから集団で行動し、協力関係がなお強まった。集団の中で初めて一夫一婦制を形成したことも特徴に入るかな。それに将来、考えることをAI(人工知能)に任せていくようになれば、脳はさらに縮小する可能性がある。脳の大きさのピークはネアンデルタール人なので、「ヒトは脳が縮小していった種」というのも加わるでしょうね。 ──次の人類はどのように出現すると思いますか? 何らかの断絶が起きないとヒトから別種が分かれることはない。普通に考えて、1万年後、ほかの惑星に移住した集団が別種の人類になる可能性がいちばん高いのかな。 全く持っていない
2018.02.19
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楽天での旧友の一人、トイモイさんのブログ「スチュワーデスがあきれたドクタートイモイの公式ゲスト」https://plaza.rakuten.co.jp/doimoi/ここに、久しぶりにコメントを入れたトイモイさんは、ここ十年来?毎年、一年に400回ぐらい海外旅行をしている変人である(笑)以下、トイモイさんとの問答 ―――― 私のコメント ――――ポーランド クラコフのヴァヴェル城ここも二度行きました中欧・東欧ってフン族の侵入を経験していますポーランドには、残留フン族の村もあるしスエーデンの侵攻も経験していて・ ポーランド・ チェコ・ スロヴァキア(ブログにはスロヴァニアと、誤記してしまった)この三カ国の言語は、方言レベルの違いしか無い ―――― トイモイさんのレス ――――alex99さんやはり行かれましたか。フン族といえばアッチラを思い出しますが、フィンランドは関係ありましたかね違いますね。フン族、マジャール語(ハンガリー)に引き継がれたのでしたかねえ。長い歴史でアジア、イスラムが強かったのですね。国家の分断は旧ソ連の中央アジアも方言レベルの違いですね。スターリンが分断したスタン国家。 ―――― 私のコメント ――――ハンガリーは、フンガリーフィンランドも、フンランドでしょうね共に、フン族の土地という意味だそうですがそれにしてもフン族は正体が確定されていませんね中央アジア起源の民族らしいですがいわゆる匈奴だという説もあり移動につれて、スラブ・ゲルマンなどの民族を抱え込んで、彼らが半数以上を占めたとも言われています私は、長い間、モンゴルと混同していましたがモンゴルはフン族ほどには、欧州の中核にまで侵攻しなかったし、時代も違うんですねクラコフの大市場に高い塔がありますがフン族が攻め入ってきた時ポーランド側のラッパ手がその塔の見張り台でフン族の襲来を知らせるためにラッパを吹いたそのラッパの途中、フン族の放った弓がラッパ手の喉を射貫いてラッパは突然、中断してしまったこの史実をなぞってポーランドのラジオの昼正午の時報はみな、このラッパの吹奏なんです生放送で、この塔の見張り台からのラッパ吹奏ですしかし、史実通り、時報代わりのラッパの吹奏もその途中で突如、途切れます
2018.01.22
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この記事の中身は先日アップした記事に多くを追加してリライトしたもの ーーー リライト ーーー 美人とはなになのか? 男女の性差美人は機能美カテゴリ:【人類】人類史・人類学・人種・民族・ 脳科学顔の美醜は確かに、公に云々することでは無いかも知れない差別と見なされる可能性もあるし しかしそれは現実には男女を問わず誰もが本当は、一番気にかけている重大な判断材料、評価基準のひとつ では無いのか? ーーーー ● 美意識の成立● 美醜の判定考えてみると、これは、不思議である● なぜ、そういうデジタル数値に置き換えにくいものが人間の間で発達したのか?● なぜ、その基準が明確で無い価値判断があり得るのか?なぜ、あるものを美と判定するのか?つまり、ある一部の女性達が美人と認識されしかし、不運にも、そうで無い女性も多い(笑)ついでに言えば太古の時代はともかく現代では、事実上北欧の白人が美の基準とされる文明の発達過程とも関係はあるだろうがどうしてこうなったのか?美と言うものは、主観的なものだと思うのだが ーーーー英語で「fair 」は、「正しい」という意味が原義であるそのうえで、fair は白い肌・金髪・碧眼これらの条件を満たした女性をも指すこれが基本的には、西欧での美人の条件であるつまり fair は色としての「白色」と「金色」をも指している碧眼は添え物であるそれが西欧での正義なのである南に下がって、南欧のブルーネットの多いラテンの国でも例えば古代ローマ帝国でも女性がゲルマニア製の石けんで髪の毛をブリーチして金髪にするのが流行ったという欧州でも緯度が上がるほどに金髪の割合がふえるというちなみに古代英語で fair は1.〈古〉美女、最愛の女性2.〈古〉美しさ、美「My Fair Lady」という舞台劇の題名もある ーーーー寄り道してしまったが● 出産に適したウエストのくびれが男性を引きつける● 美人、と言う容貌が男性を引きつけるこういう仮説を立てたい私は、女性のウエストの「くびれ」と「美醜」は「生存のための価値観」だと思うまず、「」くびれ」脳科学者で、しかも美人の(笑)中野信子先生によれば男性が惹かれる女性は、ウエストがくびれていると言うある一定のウエストのくびれがある女性は、出産時に有利なのだというそのことを無意識に知る男性が「くびれ」女性を魅力的に思うつまり、これは単に自然の摂理で会って、男性を責めてはいけない(笑)私個人は、くびれが不足している熟女も充分許容範囲内(笑)まして、妊娠・出産の可能性が無ければ安心でもあるし(コレコレ) ーーーー「くびれ」だけでは無い(笑)容貌の美醜も、男性が女性を選択する重要な判定基準である私が思うに「美人」というのは、顔も身体も、バランスがとれているという事の「別の表現」だと思うその証拠に、美人は、スタイルもいい両方悪い場合は・・・諦めてほしい(笑) バランスがいいから、機能が良く、生存率が大きいこれは、筋が通った理屈である美人薄命、の反対である(笑)美人長命(笑) ーーーー ここで、ナランハさんからコメントが入った ■コメント心から満足する食事にありついた時、至福を感じます。この時沸き起こってくるハーモニーとバランスの感覚の根拠を今回アレックスさんが見事に言い当てて下さった!これまさに美学の根本命題なのです。では、20世紀、男性のファッションが背広に集約されたのに対し、女性のファッションが200種に分散したのは何故だと思われますか?男性は健康志向をベースにする傾向、それに対し女性の衣装は余計な要素があったり、不足の部分があったりするのが特徴と言える。その理由は解明されていませんが ーーーー以下は、これに対する私のレスナランハさんへありがとうございます>女性の衣装は余計な要素があったり、不足の部分があったりするのが特徴と言える。その理由は解明されていませんが私も解明できません(笑)でも、思いつきを書いてみると大抵の動物は、雄(オス)の方が雌(メス)よりも、美しいですよね雌の興味を引きつけて生殖するためです生命をつなぐ生殖が生物の根源的本質、目的ですからでも、人類だけは、なぜか?雌の方が断然美しい(笑)チンパンジーあたりまでは、そうでもないんですが(詳しくは、ありませんが)(笑)少なくとも「現生人類」では、ハッキリ、女性の方が美しいそれに、人類の雌、女性は私は、この頃やっと気がついたのですが(笑)外出する際に必ず化粧し、衣装をチェックする雄の方は、そういう発想は全く無い(笑)雄は、外に出れば七人の敵その敵に打ち勝つにはどうすればいいか?とまでは意識的では無いが無意識的に、外出は「戦場へ出かけること」です原始時代は、それよりもっと大切な狩猟での成功を願いながら知力と気力を研ぎ澄ませる事が最重要まあ、そういう雄が女性にとって頼もしいのでしょうが ーーーー一方、美しい雌は(笑)狩猟に出かける頼もしい雄を洞穴で待つ自分につなぎ止めておきたいもう、子供も出来たことだし(笑)そういう本能がまだ、人類の女性に強く残っていて自分の「美」をさらに強調するために女性の衣装は雌の美を強調するものになっているこういう風に思うんですが女性が過度に(笑)、自分のお肌の状態とか(笑)服装について注意するのは、男性に無い事ですこれは原始時代の名残 ーーーーどうも、原始時代の洞穴生活由来の発想になってしまいましたがここが、雌の方が美しいという他の動物との違いだと思うのですが人間以外の動物は、できるだけ多くの雌と交尾して子孫を残すそのためには、雌に拒否されてはいけないそのために、雄は美しくなるしかし、現世人類の場合は、上記の理由で、雌の方が美しくなったそれは、原始時代における動物と人類の生活形態の違いから来ているこれが、私の主張する学説(笑) ーーーー人間は、今まで、数百万年もの長い間、洞穴の中で暮らしてきた人類が狩猟採集生活をやめて洞穴から出て、穀物の栽培=農業というものを覚えて一定の土地に定着する事になって始めて集団的な人間社会が出来た土地の占有・資産の所有を巡って戦争が起きるそこから、一気に、文明世界へしかし、この人類の文明の時代など、長く見ても、精々、数千年数百万年の原始生活から見れば、一瞬にしか過ぎませんかりに五百万年 対 五千年 として、百分の一比率で言えば、99 : 1 ぐらいでしょうか?だから私は、人間のいろんな本質は原始時代に培われたと思っていますだから、男女の関係も(性差のことを言い立てると女権論者に叩き潰されますが)(笑)男女のそれぞれの本質が、原始時代にその根源を有するそれは間違っていないと思うんです ーーーー機能美、と言う言葉がありますよね機能に秀でたものは、美しい・ スポーツカー・ 航空機・ 軍用の武器・ アスリートアスリートの中でも陸上短距離の黒人の女性ランナーなどは特に美しいプリンプリンのお尻と太ももが・・・(以下自粛)機能に秀でた女性が美しいそれが、美人長命(笑) ーーーー なぜ機能に優れたものを、美しく感じるのか?機能が人間の生存に寄与するものだからでしょう同時に、機能に徹したものは、無駄が無い無駄が無い、という事も美意識に入ってくる ただ、それでも、ややこしいことに(笑)無駄なものにも「美」を感じるそういう感性も人間は、同時に、持ち合わせているそこが、人間の素晴らしいところでしょう基本的には、機能をアプリシエイトしながら一方でその正反対の、機能とは言えない、無駄・ゴミそういう対象にも「美」を感じるそれが日本人の感性でしょうね良くスナップ写真で、人の住まなくなった廃屋そんな、普通は「美」とは、されないものを味のある「風情(ふぜい)写真」として珍重する詫び・寂び、にも関係する美意識です ーーーー基本、西欧は、「豪奢」が美です日本では、豊臣秀吉が例外的に、黄金、金ピカが好きだった聚楽第とか、伏見城とか、大阪城とかしかし、他の武将は、あまり華美に走る事は無かったその秀吉が千利休に洗脳されて(笑)● 朝鮮の農家を模したと言う一間の茶室● 朝鮮の庶民の茶碗を珍重して茶器とするそういう● 縮み思考● わびさび美学に、はまりそうになった一間の小さな茶室に、にじり口(人一人が身体をかがめてやっと入れる寸法)から、茶室に入るとその中では、人間は総て対等・平等このにじり口があるため、武士も帯刀のまままでは、入室できない一時的な休戦協定(笑)刀狩り(笑)領地も関係無く、畳二・三畳の世界しかしマクロの世界の頂点に立つ天下人がそれではいけない!はっと、気がついた秀吉がミクロの世界に誘導・洗脳しようとする千利休に切腹を迫ったのでは無いでしょうか? ーーーー誤解の可能性もあると思うので付け加えておきますが人類の歴史としての原始・採集狩猟生活時代の男女分業制これが現代にも、そのまま、あるべきだとは、私は、全く、考えてはいません現代の男女は、原始時代の縛り・制限条件から解き放たれた現代文明の中に生きていますので(先進国でという限定条件かも知れませんが)原始分業制のままでいる必要は無い女性が男性と同じ権利・職能・ポジションを望むのはつまり、男女、同権が当然ただ同時に、性差というものも生物学的もの以外にも私が指摘した原始時代の歴史的条件に由来したものもある訳でそれらの理解・認識の上での男女同権でしょうやたらに平等だけを言い立てるべきものでも無い私自身は、娘にも言われますが・ 男尊女卑・ 女権を否定するそういう事が全く無い男ですこれは言っておかないと(笑)
2018.01.16
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美人長命(笑)顔の美醜は確かに公に云々することでは無いかも知れないしかしそれは男女を問わず誰もが、本当は、一番気にかけている重大な判断材料、評価基準のひとつでは無いのか? ーーーー ● 美意識● 美醜の判定考えてみると、これは、不思議であるなぜ、そういうものが人間の間で発達したのか?一つの仮定として私は、女性のウエストの「くびれ」と同様美醜は、生存のための価値観だと思う脳科学者の美人の(笑)中野信子先生によれば男性が惹かれる女性は、ウエストがくびれていると言う私個人は、くびれが不足している熟女も充分許容範囲内であるが(笑)肉体的作業を通じて、くびれを作ってあげたいという意欲もわく(余計なお世話か?)● 出産に適したウエストのくびれが男性を引きつける● 美人、と言う容貌が男性を引きつける私が思うに美人というのは、顔も身体も、バランスがとれている事の「別の表現」だと思うその証拠に、美人は、スタイルもいい両方悪い場合は・・・諦めてほしいバランスがいいから、無駄が無く、機能が良く、生存率が大きいこれは、筋が通った理屈である美人薄命、の反対である(笑)美人長命(笑)
2018.01.13
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先日は、池田信夫氏の化石燃料有限論を紹介した化石燃料、端的に言うと石油だがその石油資源が、埋蔵量が有限である事は誰でも知っているそこまでは、誰でも知っているのだが● 石油が枯渇したら、人類は死滅にいたるそういう事をリアルに感じている人は案外少ないその時期が、あと百年後、ぐらいであると言うシリアスな事実を指摘する人も少ない逆に言えば現代の文明が石油に、さらにはその石油をエネルギー源として変換した電気を基盤にした文明である事を理解している人も案外少ない私から言わせれば現代文明は、● 石油● 電気これらから成り立っている ーーーー人類史の大きな転換=発明はいくつかある私の目から見た人類史● 道具 (効率化)● 火 (暖房と照明と調理)● 言葉 (コミュニケーション)(共同作業)言葉によって集団的な狩猟も可能になった● 紙の発明 (言葉の記録)● 牧畜・遊牧 (狩猟の必要がなくなる)牧畜・遊牧は、定着性を持たないし、集団性も無い● 農業 (人口増加)● 定住 (都市に定住)(それまでは流浪の旅)● 馬の家畜化 (行動範囲拡大)(交通手段化)農業の発明から定着が始まり人類は、採集・狩猟のための移動生活からは定住を開始定住と農業によって、人口が増加● 土地に価値が発生し穀物と土地が資産となる小集団 → 村落 → 国 が発生● テリトリーの概念が発達● 資産の収奪合戦から戦争が始まる● 印刷の発明 (記録の一般化) ーーーー● 蒸気機関の発明などで産業革命機械力というものが発達移動・生産の拡大により人口増大 ーーーーウィキ産業革命(英: Industrial Revolution)は、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と、それに伴う社会構造の変革のことである。 産業革命において特に重要な変革とみなされるものには、● 綿織物の生産過程における様々な技術革新、● 製鉄業の成長、そしてなによりも● 蒸気機関の開発による動力源の刷新が挙げられる。これによって● 工場制機械工業が成立し、また蒸気機関の交通機関への応用によって● 蒸気船● 鉄道が発明されたことにより● 交通革命・移動革命が起こったことも重要である。 ーーーーさらにこれに加え●● 電気の利用● 電話の発明(長距離コミュニケーション)● ラジオ・テレビの発明 (文化の一般化)●● 石油の発見・開発(エネルギー源)●● ガソリン自動車 による車社会● 航空機 (移動のスピード化) ーーーー現在、人類は、実質的に、都会に定住している● その都会は、電気仕掛けである(笑)● 都市間の移動は石油で動く自動車・航空機である人類は石油が枯渇すれば、電気を失う電気を失えば、中世へ逆戻りである現代と中世の違いは、電気の有無である ーーーー幕末の日本の人口は、約3千万人と推定されるという日本人が電気を失えば、徳川時代の納涼社会に立ち戻るとすると日本の人口は、3千万人ぐらいに減少するだろうかまあ、存外、悪くない数字である今の日本の人口が一億一千万その約、四分の一人口は、25%に減少すると思われるそれ以外は、死んでしまう(笑) ーーーー農業社会と言うことは日本人の食料は、基本的に、再び、米に帰ることになるしかし、農地は、荒れ果てて、都会化して、ゴルフ場になって(笑)また、耕作可能な土地に戻すの似、約百年はかかるかも知れないいや、五十年でいいかな?その間は、食糧難で、人口は、半分以下に減少するだろうすると、人口は、1000万 ~ 1500万人?それから、農地の耕作可能な土地が増えて盛り返して、3000万人あたりで水平飛行か?腹が空くなら年間三毛作か可能なベトナムのメコン地帯に移住するのがいいかもしれない(笑)
2017.12.08
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記事 現生人類、6万5000年以上前に豪州到達 研究7/20(木) 11:13配信 AFP=時事生人類、6万5000年以上前に豪州到達 研究豪州北部カカドゥ国立公園近くの岩窟住居遺跡「Madjedbebe」で見つかった手おのの石器部分(2017年7月18日提供、撮影日不明)。【翻訳編集】 AFPBB News【AFP=時事】オーストラリアの先住民アボリジニは今から6万5000年以上前、これまで考えられていたより早い時期に豪州大陸に到達し、大型動物類と共存していたとする研究結果が発表された。現生人類がいつアフリカ大陸を離れたかについて、新たな手がかりをもたらす結果だという。. アボリジニは地球最古の継続的な文化を保持する民族と考えられているが、豪州に最初に到達した時期をめぐっては長く論争が繰り広げられている。これまでの推定では、4万7000年前から6万年前の間とされていた。. この論争のカギとなるのが、豪州北部カカドゥ(Kakadu)国立公園近くの岩窟住居遺跡「Madjedbebe」。これは、知られている限りで国内最古の人類居住遺跡だ。. 今回、考古学者と年代測定専門家のチームによるこの遺跡の発掘調査で、世界最古の石おの研磨技術などの新たな証拠が複数見つかり、同国におけるアボリジニの存在がさらにさかのぼった。. 英科学誌ネイチャー(Nature)に今週発表された研究結果は、現生人類がアフリカから南アジア各地へと拡散した年代の最も古い推定値を定めるものだ。. 論文の主執筆者で、2015年に同遺跡の発掘作業チームを率いた豪クイーンズランド大学(University of Queensland)のクリス・クラークソン(Chris Clarkson)氏は、AFPの取材に「これは、過去の出来事の年代を固定するうえで極めて重要になる」と述べ、「アフリカからやって来た現生人類の下限年代を定めることが可能となる。これに関してはこれまでやや根拠が弱かったが、今回の研究によって、現生人類は6万5000年前に豪州に到達したと断定することが可能となった」と付け加えた。. また、今回の研究結果は、巨大なウォンバット、カンガルー、トカゲなどの豪州に生息していた動物類が絶滅する以前に、現生人類が同大陸に到達していたことも示している。さらに、剥片石器や研磨石器などの、アボリジニの活動と複雑な生活様式を示す証拠が今回の発掘では明らかになった。これらの発見から、アボリジニが「技術的に洗練されていた」ことは明白だったことをクラークソン氏は指摘している。.■初の大航海 2015年に行われた発掘の最下層からは約1万1000点に上る人工物が見つかった。研究チームは、人工物が見つかった堆積物の年代と確実にマッチングさせるために、人工物ひとつひとつの位置を注意深く調査した。. 研究チームによると、鉱物粒子が最後に日光にさらされた時期を推定する光ルミネッセンス(OSL)法による広範囲の年代測定の結果、下層ほど年代が古くなる一般的傾向が示されるとともに、これまでよりはるかに高精度の年代構成が得られたという。. Madjedbebe遺跡の最新の推定年代は、現生人類が6万年~8万年前にアフリカを出たことを示す遺伝子分析結果とぴたりと符合する。. 当時は現在に比べて海水位がはるかに低く、東南アジアの島々から豪州に至るまでの航海距離も今より短かった。「これは人類による史上初の大航海となったと考えられる」と、クラークソン氏はコメントしている。【翻訳編集】 AFPBB News ーーー 私の感想 ーーー人類の起源については、アフリカ単独起源説が、今や常識人類の出アフリカは、約4万年前というのも定説それなのに、アボリジニが、それより以前にオーストラリアに到達していたとなると出アフリカの時期の見直しが必要となるのだがこれは大変なことだ.
2017.07.22
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『記事』 人類の類人猿からの分岐、アフリカではなく欧州で起きた? AFPBB News 【AFP=時事】500万年前のアフリカで人類は類人猿から枝分かれした──この長年の定説に疑問を投げかける研究論文が22日、発表された。研究は、分岐がそれよりも早い時期に欧州で起きた可能性があるとしている。 ヒトと最も近縁のチンパンジーに共通する最後の祖先が生存していた場所をめぐっては、科学者の間で激しい議論が交わされているが、今回、人類の起源についての新たな仮説が、ギリシャとブルガリアの洞窟で発見された約720万年前の骨の化石を基に立てられた。 今回の研究で、フランス、ドイツ、ブルガリア、ギリシャ、カナダ、オーストラリアの科学者らで構成された研究チームは、化石人類「グラエコピテクス・フレイベルギ(Graecopithecus freybergi)」の標本2体から採取した歯根の分析を行った。 ギリシャで発見された下顎とブルガリアで発見された上顎小臼歯をコンピューター断層撮影法(CT)でスキャンしたところ、これらの化石に人類が出現する以前のヒト科生物の特徴を確認することができたという。 さらに、グラエコピテクスをめぐっては、最古の人類(ヒト亜族)とも考えられている「サヘラントロプス(Sahelanthropus)」よりも以前に存在していたことも明らかになった。サヘラントロプスは、現在のアフリカ・チャドに当たるエリアで600~700万年前に生存していたと考えられている。 米オンライン科学誌プロスワン(PLOS ONE)に掲載された論文によると、ギリシャで発見された化石は724万年前、ブルガリアで発見された化石は717万5000年前とそれぞれ起源を遡るという。 共同執筆者でカナダ・トロント大学(University of Toronto)古人類学者のデービッド・ビガン(David Begun)氏は、「この年代から、ヒトとチンパンジーの分岐が地中海エリアで生じたと考えることができる」と語った。 共同執筆者で独テュービンゲン大学(University of Tubingen)教授のマレーン・ベーメ(Madelaine Bohme)氏(人類進化)は、類人猿からの分岐の背景には環境の変化があった可能性が高いとし、700万年以上前に形成された北アフリカの砂漠や南欧のサバンナ化が、ヒトとチンパンジーとの分岐において中心的役割を果たした可能性があると説明した。【翻訳編集】AFPBB News
2017.05.23
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記事 縄文人はアジアの古株? 2万~3万年前に出現か 日経 2016/9/1 11:37 縄文人は、東アジアや東南アジアに住み着いた共通の祖先から最も早く枝分かれし、約2万~3万年前には出現していた可能性があるとの研究成果を、総合研究大学院大学などのチームが1日付の日本人類遺伝学会の専門誌に発表した。 人類がアフリカからユーラシア大陸の東方へ進出した際に、縄文人につながる集団が現れたと考えられるという。チームの斎藤成也・総研大教授は「縄文人はユーラシア大陸の他の集団と比べても非常に特異だといえる」としている。 チームは、福島県北部にある三貫地貝塚で発掘された約3千年前の人骨を基に調査した。人骨の奥歯からDNAを抽出し、その配列を解析。東京周辺にいる現代の日本人や中国人、アフリカ人や南米の先住民など、世界各地の集団と比べた。 その結果、縄文人は東ユーラシア大陸の集団に近いものの、その中では遺伝子的に大きな差があることが判明。東ユーラシアの中では早い段階で出現したことが分かった。約1万5千年前にアジアからベーリング海峡を渡ったとされる、アメリカ大陸の先住民よりも前に現れたとみられる。 また、現代の本州に住む日本人は縄文人の遺伝子を12%程度受け継いでいることも判明。縄文人が日本列島に渡ってきた時期については、さらなる研究が必要だとしている。〔共同〕 ―――― 私の感想 ――――そうか!縄文人の先祖集団は,脱アフリカからバイカル湖周辺へ到達そこから、日本列島へ(まだ、言ってる)(笑)(だが、本当だと思う)>約1万5千年前にアジアからベーリング海峡を渡ったとされる、アメリカ大陸の先住民よりも前に現れたとみられる。と言うことは、先住民は,縄文人の一派であった,と言う可能性がある私は、現代日本人に於ける,縄文人と弥生人のDNAの比率はおおよそ半々、かな?と思っていたが縄文人由来のDNAは、「15%だけ」だったというのが,意外残りは、弥生人由来なのか?
2016.09.01
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記事 縄文人の核DNA初解読 東アジア人と大きく特徴異なる 朝日新聞デジタル 縄文時代に日本列島で狩猟採集生活をしていた縄文人の遺伝的特徴は、東アジアや東南アジアの人たちとは大きく離れていることがDNA解析でわかった。縄文人のルーツを考えるうえでの手がかりになりそうだ。総合研究大学院大学や国立科学博物館などのチームが、人類学の専門誌ジャーナル・オブ・ヒューマン・ジェネティクスに1日発表する。 福島県北部の三貫地貝塚で出土した約3千年前の縄文人2人の歯から、細胞核のゲノム(全遺伝情報)解読を試みた。約30億個ある塩基のうち、約1億1500万個の解読に成功した。縄文人の核DNAの解読は初めて。 世界各地の現代人のDNAと比較したところ、中国南部の先住民や中国・北京の中国人、ベトナム人などは互いに近い関係にあるのに対し、縄文人はこれらの集団から大きく離れていた。 ―――― 私の感想 ――――日本列島は,ユーラシア大陸の吹きだまり世界で最もDNAの種類が多いというその中で弥生人と共に主流である縄文人だが最初に日本列島に足を踏み入れたのが縄文人だと思われるがその縄文人も,いろいろ分派があってそれぞれ独自の時期と経路を経て日本列島にたどり着いたらしい一説によると,縄文人とはシベリアのバイカル湖湖畔に定住していた民族が大移動して,ついに日本列島に至ったその末裔だというそれ故に、東アジアおよび東南アジアの民族とはDNA的に,隔絶しているのだろうちなみに、日本人には,朝鮮民族の地が非常に多く流れていると思われているがこれは、そうでも無いらしい朝鮮民族というのは,DNA的に、非常に単一的な民族であると言われている日本に渡来して混血はしただろうが,俗に言われているほどでは無さそう南米ペルーのインカなどの人々は,縄文人と先祖を共有するらしい古代、日本近辺から,太平洋経由または、ベーリング海峡経由でアメリカ大陸へ渡ったらしい
2016.09.01
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記事 遺伝子検査、何がわかる?2016年6月25日03時30分遺伝子検査<グラフィック・下村佳絵> 唾液(だえき)などを業者に送るだけで病気のリスクや体質がわかる――。医師や病院を介さない遺伝子検査サービスが広がっています。ダイレクト・トゥー・コンシューマー(DTC、消費者直接販売型)と呼ばれるそんな検査の正確さや信頼性はどうなのでしょう。記者が体験しながら、現状や課題を探りました。 ■唾液ログイン前の続き送れば360項目 記者がインターネットで申し込んだのはジェネシスヘルスケア社の「ジーンライフ ジェネシス」。360項目2万9800円(税別)のところ2万円引きのキャンペーン中だった。郵便で届いたキットで唾液を採り、同意書と一緒に返送。1カ月後、検査終了の通知メールが。閲覧サイトにパスワードを入れると結果が表示された。 ドキドキしながら結果を見る。疾患リスクが、平均と比べ何倍高いか数字で示されていた。たとえば記者が悩む腰痛は1・61倍。軟骨形成にかかわるCILPという遺伝子が「腰部椎間板(ついかんばん)症の発症リスクが高い」型という。項目によっては複数の遺伝子を検査した結果が記載されている。 体質はほとんどが3段階で示されている。「アルコールに強い」は当たっているが、「髪の太さ=やや太い」や「最低血圧=高い」に首をかしげた。「失敗からの学習能力=高い」には癒やされたが、そこまでわかるのか? ■医療と別もの 「米国で、3社のDTCを同じ人が受けたら、共通して根拠とした遺伝子はわずか7%だったという調査があります」と、小杉眞司・京都大大学院教授(医療倫理学・遺伝医療学)。米国の後を追う国内のDTCも大差はなく社によるばらつきが大きいとみる。 「生命の設計図」DNAを文章にたとえると、文字にあたる4種類の塩基が約30億字連なる全文が「ゲノム」、うち働きが解明された領域を「遺伝子」と呼ぶ。ゲノムの大半は万人共通だが、ごく一部、人により異なるタイプ(多型)がある。DTCは遺伝子の多型を調べ、病気や体質との関連を示した論文を根拠にリスクを判定する。国内のあるDTCは、読み取った約30万個の多型の中から約500個を用いて300項目を判定する。「関連性が科学的に確立していれば、検査会社が根拠とする遺伝子は、かなりの程度共通になるはず」と小杉教授。 ほかにも問題はある。判定の根拠とされる論文は簡単に言うと、ある病気の患者と一般人の集団の、多型の割合を比べたもの。「ある多型を持つ人が将来発症するかどうかとは違う。また、集団どうしの統計的な数字が個人の予測として役立つかも疑問です」 しかし、遺伝子検査をして乳がんになる前に乳房を切除した米国の女優もいましたが……。 「あれは全く別のものです」。遺伝子の中にはただ一つの変異が高確率で病気を起こすものがあり、遺伝性乳がんもその「単一遺伝子疾患」の一つ。検査は医師の「診断」でのみ行う。DTCで調べるのは複数の遺伝要因や環境要因が影響する「多因子疾患」で、結果は「リスクや傾向の判定」だ。 では、DTCの結果はどう受け止めたらいいのか。ヤフーでDTCを担当する井上昌洋さんは「リスク数値が高い病気を知り、予防のために生活習慣を変えるきっかけにしてほしい」と話す。37社が加盟し、自主基準による優良検査の認定を始めた「個人遺伝情報取扱協議会」の別所直哉理事長も「DTCの目的は病気の診断ではありません」と医療との違いを強調する。 ■解明これから 北里大の高田史男教授(遺伝医療政策学)は「多因子疾患のリスクは、ゲノム全体に1200万といわれる多型の影響を総合して初めてわかる。それに必要な数十万~百万単位の人の全ゲノム解析と追跡調査は緒についたばかりだ。医療での遺伝子検査は分析や臨床上の妥当性、有用性、倫理・法・社会的側面などで厳しい制約があり、ビジネスなら別枠というのはおかしい。医療、DTCに関わらず遺伝子検査全体を共通の基準で規制する法整備を急ぐべきだ」と警鐘を鳴らす。 IT大手も参入するDTCには、経産省が産業育成の観点からかかわってきた。「医療行政の範囲外」と及び腰だった厚労省は昨年、法整備に向けた検討会を立ち上げた。 日進月歩のゲノム研究も、未解明の部分は多い。DTCを受ける時、頭に置いておくべきだろう。 (大庭牧子) ―――― 私の感想 ――――以前、話題になったDNAを調べると、アフリカ発祥の現世人類のグループがわかるというもの私も,自分の由来を調べて見ようかと思う日本人は,ユーラシア大陸の吹きだまりで,世界で最もDNAの種類が多い人々だそうだ
2016.08.31
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Yahoo 相談室の記事よりtermmasyuさん 2014/4/2018:26:37言っときますけど、一般的な遺伝子(DNA)検査で、個人レベルの「民族」判定は出来ません。「ミトコンドリアDNA」、又は「Y染色体ハプロタイプ」の「マーカ」自体の「ルーツ」を調べる事はできますが、ご自身(個人レベルで)の「ルーツ」を調べる事はできません(結論として、一般的なDNA検査では、ご自身が「大和民族」「漢族」「韓民族」なのかを識別する事はできません。これはDNA「マーカ」というものの性質上そうなります)。日本人の例として、---------------------------------・ミトコンドリアDNA=M7a1a3 (ハプロタイプM7a)・Y染色体ハプロタイプ=D2a1a1 (DE系統D亜型D2)---------------------------------というように、1種類ずつしかわかりません(上記は日本人「大和民族」で検出される、わりと多いマーカですが、これが出たからといって「大和民族」であるという保証にはなりません。また他のマーカが出たからといって「大和民族」ではないという事でもありません。日本人は混血民族であり、結局は何が出てもおかしくはないのです)。JAPAN DNA Projecthttps://www.familytreedna.com/public/japan/default.x?section=yresul...https://www.familytreedna.com/public/japan/default.aspx?section=mtr...「ミトコンドリアDNA」「Y染色体ハプロタイプ」で民族の系統分析が出来ます。しかし、これらは大規模な集団についてはその比率において民族の違いが判別できますが、個人レベルでは不可能です。例えば、日本人でよく検出される「Y染色体ハプロタイプ」の主なマーカは「D2A」「O2B1」「O3」「C1」「N」です(アイヌの人達は「D2*」「D2A」「C3」)。日本人集団の中でその占める比率は、日本人であるあなた個人の体の、混血比率となります。マーカ「D2A」を持っている日本人と、マーカ「O3」を持っている日本人、それと日本人女性(Y染色体を持たない)も、その混血比率はほぼ同じです。しかしながら、マーカはその人(男性)が偶然もっているだけで(mtDNAについては男女ともあります)、個人に対しては何の意味もなさないのです。例えば、韓国の人の中にも、数こそ少ないながら、マーカ「D2A」を持っている方がおそらくいるでしょう。しかし、その人の混血比率は朝鮮民族の比率であって、日本人とは違うのです。その人は遠い過去にあったマーカ「D2A」を偶然持たされただけにすぎません。「マーカ」はいわば気まぐれカードです。色々なカードがある中で、偶然それを持っているだけにすぎません。Y染色体ハプロタイプにしても、またミトコンドリア遺伝子にしても、「マーカ」は「大規模な集団」については強力な判別情報となりますが、「個人レベル」では全く意味をなさないのです。有名な良い例をもう一つ上げますと、どこからどう見ても白人のイギリス人なのに、黒人の「Y染色体ハプロタイプA系統」を持っている人がいます。これも同じです。「マーカ」は、その比率のみ、その集団を他と識別する情報となる以外、何にも使えないという事を理解しておいて下さい。特に個人レベルでは全く判別不能です。有史以前から日本人として続いている家系でも、Y染色体ハプロタイプ(もちろんmtDNAも)では何が出ても不思議ではなく、また何の意味もなさないという事です。http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_1.mitochondria_kara...http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93...唯一、中国人、韓国人、日本人を、個人レベルで、おおよそで区別ができそうなのは、現在のところ「DNAマイクロアレイ」による分析だけと推定されます(一般的な検査ではありません)。http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=73749&type=0http://ja.wikipedia.org/wiki/DNA%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%A...↓参考「総合研究大学院大学のプレスリリース(2012年11月1日)」http://www.soken.ac.jp/news/5276/http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412513789...http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112245968... ―――― 私の感想 ――――まあ、これは、科学的に考えて,当然の話なのだが現在の人類は,すべて、合計21種類も存在していたという人類のなかの「現世人類」であって同種なのだ黒人であろうが,白人であろうが,黄色人種であろうが(今はこう言う分類はしないが)さらにそもそもを言えばこの地球上のすべての生物はすべて、同じDNAの子孫不思議な事だがつまり、太古の昔、ある奇跡が生まれて(地球外生物が隕石に付いて地球に飛来したという学説もあるが)生命がひとつ生まれてそれが、枝分かれして,今日の生物になったのだ生物は、ひとつのファミリーツリーに収斂されるみな、兄弟姉妹、なのだだから、蚊に刺されても,パチンと殺してはいけない(笑)兄弟姉妹なのだから(笑)まあ、そうは言っても、条件反射的に叩きつぶしてしまうが私は,この頃、その後、蚊の成仏を祈って片手だが、祈っておく仏教は、宗教と言うより、哲学だがやはり、仏教が最高だな
2016.08.05
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世の中には,二種類の人間がいるらしい○ 書く人間○ ROM人間私は,興味深いブログを見つけたら、普通は,すぐコメントを書く典型的な「書く人間」ブログ上では,音声会話は出来ないから○ コメントを入れる○ レスするこう言うキャッチボールが○ 会話○ コミュニケーションとなる私のブログでは、このコミュニケーションが少ない読者は、ほとんどがROM人間だから、本当は、あまり、ブログの書き甲斐が無いと思っている(笑)ブログを書いても,会話の楽しみが無い----現世人類が他の21種類の「人類」との生存競争に勝って今や地球を支配するまでになった最大の能力は「コミュニケーション能力」だったという例えばネアンデルタール人はその口蓋の構造からして,現世人類ほどには自由な発音が出来ずそれがコミュニケーション能力不足につながったらしい採集・戦闘・狩猟・移動原始時代の人類の活動すべてに於いてコミュニケーションが重要な機能だったはずというのも人類は,個人単位では、猛獣に比べれば、戦闘能力などあまりないし草食動物に比較すれば、脚が速いわけでもないコミュニケーションを取りながらの集団狩猟で初めて大量の獲物を獲得できたのではないか?○ コミュニケーションがうまくゆかない原始人類は極端に言えば、個の能力で生き延びた○ コミュニケーション能力のある現世人類は個の能力に加えてチームワーク・集団の能力で生き延びたどちらが勝者になるかは、明らかさらに、知識の継承という重要な面においてもコミュニケーション能力は,大きな要素だっただろう例えば、弓矢や鏃の製造ということにおいてもそれだけでなく、生活の全般に於いて知能の進化と知識の継承が文化・文明を作った
2016.08.02
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記事 初期ネアンデルタール人、複雑な地下構造物を建造 研究 AFPBB News【AFP=時事】(写真追加)知能が低く、動物同然だと長年考えられてきた旧人類のネアンデルタール人だが、17万6500年前には儀式目的とみられる複雑な地下構造物を、火明かりの中で建造していたとの研究論文が25日、発表された。現生人類の絶滅した近縁種であるネアンデルタール人の、より知的な一面を垣間見る研究結果だ。 英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された論文によると、ネアンデルタール人は、洞窟の内部に石筍(したたり落ちた水滴中の炭酸カルシウムが沈殿・堆積したもの)の断片を膝くらいの高さまで、塀のようにいくつも積み上げていたとされる。一部には、不完全な円形のものもあったという。 構造物があるのは、仏南西部ブルニケル(Bruniquel)洞窟の入り口から300メートル以上の奥深い場所で、6個ある構造物の大きさは、それぞれ幅7メートルほど。これらはすべて、現生人類ホモ・サピエンス(Homo sapiens)が初めて欧州に到達する数万年前に作られた。 論文の共同執筆者で、仏ボルドー大学(Bordeaux University)のジャック・ジョベール(Jacques Jaubert)氏は、AFPの取材に「ネアンデルタール人は、創意に富み、創造的で、器用、そして(その組織は)複雑だった」と語る。「フリント石器を作ったり、食べるために獲物を殺したりすることだけに専念している粗野な存在ではなかった」 これらの構造物の年代を測定した結果、ヒト属の一種が初の洞窟探検を行った年代が、知られている限りで数万年さかのぼることになった。そして、この結果により、ブルニケル洞窟内の塀は、これまで知られている中で最古の人間による構造物の一つに位置付けられた。 今回の研究を行った国際研究チームによると、ネアンデルタール人は、石筍の柱を壊して、大きさがほぼ均一な断片を約400個作製したという。断片をすべてつなぎ合わせると、長さが112.4メートルになり、総重量は約2.2トンに及ぶ。 これは、ネアンデルタール人が集団で作業する方法を理解していたことを示唆するものだ。仏南西部ブルニケル洞窟の内部。(c)Michel SOULIER – SSAC / Nature Jaubert et al.© AFPBB News 提供 仏南西部ブルニケル洞窟の内部。(c)Michel SOULIER – SSAC / Nature Jaubert et al.■唯一の存在 石筍の断片の中からは、火の痕跡と焦げた骨のかけらも見つかっている。 研究チームは「初期のネアンデルタール人は、この時代に欧州に住んでいた唯一のヒト属集団だった」と論文に記し、彼らを「世界初の洞窟探検家」と称した。「今回の研究結果は、ネアンデルタール人の社会に近代的な要素が含まれていたことを示唆している。これらの要素が、従来考えられていたより早い時期に現れたことが、これで証明できる」■儀式用か? 今回の研究では「これらの構造物に関与したネアンデルタール人の集団が、これまで考えられていたより複雑な、ある程度の社会組織を持っていた」ことを主張している。 1992年に最初に発見され、最近に再調査が行われたこの石筍建造物の機能については、まだ推測の域を出るものではない。 初期人類が使用した洞窟の他の事例に基づくと、この石筍建造物が象徴的または儀礼的な目的で使われていたことは「推測可能」と、論文の執筆者らは指摘する。だがその一方で、日常生活での使用、あるいは隠れ家として使用された可能性も否定できないという。「最も驚かされたのは、自然光から遠く離れた、洞窟の非常に奥深くまで探索する能力を、ネアンデルタール人が持っていたことだ」とジョベール氏は話す。「日々の生存という目的を超越し、道を照らすために火を用いながら厳しい地下の環境に立ち入る能力が、ネアンデルタール人にあったことの証拠を、今回の研究が提供していると考えている」【翻訳編集】AFPBB News ―――― 私の感想 ――――これは、驚いた従来の学説ではネアンデルタール人は、現世人類と違って・ 儀式・儀礼の意識が希薄で・ 創造性に劣り・ その口蓋の構造から,子音を含む複雑な発音が苦手で それも一因と成って,集団での意思疎通に劣り 従って、集団行動に問題があった・ それらが集合して,現世人類との生存競争に負けたと言われてきたしかし、この記事を見れば,それらへの反証と思われる諸点があるでは、ネアンデルタール人の滅亡の原因は、なにだったのか?----以前は,ネアンデルタール人とクロマニヨン人{欧州の現世人類)との交婚はなかったと言われてきたが最近の研究ではわれわれ現世人類のDNAにネアンデルタール人のDNAが少量ながら混入していると言うことが明らかになっているこの2つの人類の出会いの場面を想像すると面白いそれに性的な関係は、どういうきっかけで?(笑)言葉は、通じたのか?ボディーランゲージだったのか?(笑)お互い、相手のどこがセクシーだと思ったのか(笑)愛情はあったのか?それとも、相手の身体だけが目的だったのか?(笑)毛皮の衣類はまとっていたのか?ヌードだったのか?(笑)私は,ネアンデルタール人の女性のヌードに興奮出来るか?(オイオイ)
2016.05.26
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日本人の祖先は、驚くほど勇気に溢れていた 「沖縄への渡航」は人類史上最大のチャレンジ ―――― 記事 ―――― 東洋経済オンライン 中村 陽子 翼を持たないホモ・サピエンスは海を渡って日本へやってきた。その航海は相当大変だったはずだ(撮影:今井 康一)© 東洋経済オンライン 翼を持たないホモ・サピエンスは海を渡って日本へやってきた。その航海は相当大変だったはずだ(撮影:今井 康一) 5万年前、アフリカを起源に全世界へ拡散した現生人類、ホモ・サピエンス。アジアはヒマラヤの南と北を進み、東アジアで再び合流、3万8000年前、ついに日本へ上陸する。第一波は朝鮮半島から対馬を経て九州へ渡り、続いて台湾から沖縄へ、陸続きだった樺太から北海道へと、三つのルートでやってきた。 日本人の祖先が旅した壮大な道のりを最新の研究結果とともに解き明かす『日本人はどこから来たのか?』を書いて、現代人の想像を超えるクリエイティビティに満ちた祖先たちの姿を浮かび上がらせた、国立科学博物館人類史研究グループ長の海部陽介氏に話を聞いた。──ホモ・サピエンスの「海岸移住説」の否定から話は始まります。これは、アジアでは南岸伝いにまず移住し、遅れて内陸に拡散したとする説で、欧米の研究者を中心に論じられ、受け入れられてきた説です。アイデアとしては面白いんだけど問題の多い説で、裏付けとなる証拠がない。それに、進化し新たな能力や創造性を備えたホモ・サピエンスが、2万年もの間、ただ海岸にへばりついていたとは考えづらい。そこで各地の遺跡証拠を厳密に解釈し、確実なものだけをプロットしてみると、4万7000年くらい前に爆発的に遺跡が出現する。アジアでは最初から南北に同時拡散が起こっていて、全体的な傾向がクリアに説明できるようになったのです。少し細かい話をすると、ホモ・サピエンスが世界に大拡散する過程で、ヨーロッパに移住したクロマニョン人は洞窟に壁画を残した。ところがアジアではそうした芸術作品があまり出てこない。では僕らの祖先は何をしていたんだろう、そこをきちんと考えたいという意識がずっとあったんですね。ヨーロッパの話は連中に任せといて、アジアのことはアジアを軸にきちんとやりたいと。──見えてきたのは何ですか?アジアでは、多様な環境にそうとう早い時期から適応していたということ。人類が居住していなかった熱帯雨林に行き、ヨーロッパより寒いシベリアに行く一方、人類最古の渡海でオーストラリアに進出している。芸術とは別の形で、それまでの人類ができなかった新しい行動をしてるんですね。つまり、僕らの祖先もクリエイティビティがあるじゃないかと。ヨーロッパのような芸術作品は残っていないけど、アジアではその前の人類が突破できなかった壁を突破していた。──そして東の果て、日本列島へは三つのルートで渡来した……。日本では3万8000年前から遺跡の数が爆発的に増えてるんです。これはその時期ホモ・サピエンスが渡来したとしか考えられない。日本に残るユニークな例として、よそでは出土していない台形様石器や円形キャンプのような環状ブロック群の跡、そして世界最古の落とし穴や往復航海があります。中でも黒曜石採取のため産地である神津島との間を往復航海するなどは、渡来してすぐにやっている。これは驚くべきことです。「往復」とは、「漂流」と違い、航海術を持って意図して行っていたことを意味しますから。──日本人の祖先の足取りをたどって、魅了された点は何ですか?あえて言うなら海へのチャレンジですね。ヨーロッパでクロマニョン人は航海していない。実は沖縄の海に、人類の海洋進出の歴史を探るうえで重要な手掛かりがあります。今、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」を準備中です。今年7月にまず与那国島─西表島間75キロメートルを、来年は台湾─与那国島間200キロメートルを、推測しうる当時の材料・技術で実験航海するものです。今年分の活動資金として、クラウドファンディング(ネット上での支援金募集)で目標2000万円に対し2620万円が集まりました。沖縄ルートの航海は、一筋縄ではいかない本当に困難なチャレンジです。対馬ルートは朝鮮半島─対馬間、対馬─九州間が各40キロメートルくらいで、一応目視できる。一方沖縄ルートでは、小さな与那国島は台湾からは見えない。見えないほどの距離を原始的な舟で航海するうえに、世界最大の海流で流速毎秒2メートルという黒潮を横断する。最短距離の所を横切ろうとしても黒潮に流されてしまうから、もっと南から出航しなきゃ島にはたどり着けない。いろんなミステリーがあるんです。しかもその先、宮古島から沖縄本島までは220キロメートルもあって、これはもっと遠い。さらに難関が待ち構えているわけですね。これを突破して、沖縄の島に3万年前くらいに遺跡が現れ始める。僕らの目的は、あくまでも祖先の行動を可能なかぎり再現すること。証明はできないですよ、だけど可能なかぎり正しい答えに近づきたい。そうすると、僕らの祖先たちが本当に何をしたのかがだんだんわかってくると思うんですね。細かいことはこれから実験して確かめていくんだけど、明らかなのは、僕らが漠然と思ってるよりすごいチャレンジだったってことです。技術は素朴でも創意工夫を持った人たちだった。──デモで作った全長3メートル、1人用の草舟を展示していましたね。僕らのは「到達」が目的ではなく「移住」の再現だから、相応の人数がいないと成り立たない。人口を維持するにはどれくらいの人数が必要か、今シミュレーションしている最中です。当然女性もいないとダメで、女性もこぎ手として一緒に舟に乗ります。実験航海でもし僕らの舟が失敗したら、それは彼らが僕らの考える以上の技術を持っていたということ。僕らが目指すのはそこなんです。草舟とはいえ、あれ一つ作るのにも縛り方とか組み合わせ方とかの知識やコツが詰め込まれてるんです。プラス、精神力もないと渡れない。今年実験する与那国から西表への航海も、計算上25時間、1昼夜寝ずにこぎ続けなければならない。来年の台湾から与那国への航海には3日かかるんですね。それだけでもやろうという意志がないとダメ。そういうチャレンジをした祖先たちがいて、おかげで今の僕らがいる。原始的な道具しか持たない原始人と下に見られがちだけど、本当にそうなのかっていうところにたぶん行き着く。祖先がやった挑戦を純粋に再現することによって、僕らが拾えるものはもっと大きいと思うんです。──究極的に解明したいのは、日本人の成り立ちを超えた、広く人類の歩んだ道ということ?その大きなことを知る手掛かりが日本にある、ってことですね。対馬から渡ろうと沖縄から渡ろうと、海を越えないと来られない。しかも沖縄への渡航は人類史上最も困難な、とんでもないことへの挑戦だった。こんなに驚異的な、身が震えるような話が自分たちの足元にあった。これはもう放っておけないですよね。 ―――― 私の感想 ――――この記事どうも納得出来ない点がある海を越えての移住は、人類史上、いくらでもあると思うがどうして、これらの航海だけが「人類史上最も困難な、とんでもないことへの挑戦」だったというのか?その説明がない例えばポリネシアやミクロネシアの人々だって台湾近辺から航海に出たアジア人がものすごい遠距離の航海の果て、到達したものだしそれに、沖縄への航海がそれほど困難なのかも疑問だがそれより日本本土へはともかくそれほど土地が豊饒とは思えない魚も旨くない(笑)米軍基地も多い(オイオイ)沖縄へ渡って,なんのメリットがあったのか?(笑)
2016.05.07
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記事 この6万年でヒトの進化は急激に加速していた!どこへ行く?ホビットもマンモスも滅ぼした私たち2016.4.21(木) 矢原 徹一 6万年前にアフリカを出て世界各地への移住を開始したヒトは、1~2万年の間にアメリカ大陸を除く世界に広がった。そして氷河が溶け始めてアラスカ以南への移住経路が開けた約1万5000年前には、アメリカ大陸各地への移住を始め、約1万年前には南米の先端まで到達した。 その後、今日に至るまで、ヒトはその数を増やし続けている。そしてこの人口増加は、ヒトの新たな進化の駆動力となった。今も私たちは、進化し続けている。驚くべき発見が相次ぎ報告される 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? この問いは、私たちヒトが言語を使った思考能力を身につけて以来、抱き続けてきた疑問に違いない。 私たちヒトは世界のさまざまな事物に興味を持ち、疑問を抱き、その疑問に答えるために世界を調べる努力を続けてきた種である。その疑問の矛先は、私たち自身にも向けられてきた。そして私たちは、この大きな問いへの答えを、ついに手にしようとしているのかもしれない。 ヒトは約6万年前にアフリカを出てネアンデルタール人を滅ぼし、世界各地に広がった。この時点で、ヒト(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)の間には、技術力に大きな差が生じていた。 ヒトは貝殻などを加工し、釣り針などを製作する技術を発達させたが、ネアンデルタール人はこのような技術を持たなかった。ヨーロッパに進出したヒト(クロマニオン人)の遺跡からは、これらの加工品が見つかる。埋葬跡からも副葬品が見つかるので、死者を埋葬したことがわかる。 ネアンデルタール人については、死者を埋葬したのではないかと主張する論文が古くから発表されてきたが、そのたびに反論が出された。最近では2013年にPNAS(米国アカデミー紀要)に埋葬説の論文が出たが、2015年に丁寧な反証論文が出され、いまだに埋葬の決定的な証拠は得られていない。 約6万年前にヒトは何らかのイノベーションを達成したのだが、そのイノベーションとは「言語による高度なコミュニケーション」だった可能性が高まっている(前回の記事ではこの証拠を紹介した)。そして、前回の記事掲載後にも驚くべき発見が相次いで発表されている。(※)前回の記事「6万年前に人類が手に入れた脅異の能力とは?」(JBpress)■ ネアンデルタール人のY染色体は排除された? 2016年4月7日には、ネアンデルタール人のY染色体(男性だけが持つ染色体)の遺伝子解析の結果が報告された。その結果、ネアンデルタール人のY染色体には、免疫系の3つの遺伝子にヒトとは異なる変異があることが分かった。そのため、ネアンデルタール人の男の胎児は母親の免疫系によって異物として排除されてしまうことが予想された。 実際に、ヒトとネアンデルタール人の交雑の結果、ヒトの核ゲノムにはネアンデルタール人の核ゲノムの1~3%が伝わっているにもかかわらず、ネアンデルタール人のY染色体の遺伝子はいっさいヒトに伝わっていなかった。 これらの結果から、ヒトの女性とネアンデルタール人の男性の受精による男性の胎児は、うまく育たなかったと考えられる。つまり、ヒトがネアンデルタール人の遺伝子を受け取ることができたのは、女性の胎児を通じてのみだったようだ。■ ヒトはホビットも滅ぼした? もう1つの発見は、「フロレス人(ホモ・フロレシエンシス)」と呼ばれるホモ属・第4の種についてのものだ。ヒトがアフリカを出て世界各地に広がった時代に、ネアンデルタール人、デニソワ人以外に、ホモ属には少なくともあと1種がいたのである。 2001年にインドネシアのフロレス島で発見されたフロレス人の化石は、人類進化の研究分野で大きな話題となった。それはとても小型の人類であり、当初は奇形ではないかという説も出たが、その後の調査で小型の人類がいたことが確かになり、その体型から「ホビット」という愛称がつけられた。 このフロレス人は、1万3000年頃まで生存していたと報告されたため、ヒト(ホモ・サピエンス)が約5万年前にインドネシアに到達したあとも、長く生きのびたと解釈され、ヒトとどうやって共存できたのか謎だった。 しかし、最新の技術で年代測定が行われた結果、フロレス人が生存したのは約5万年前までであることが確認された。この年代は、ヒトの渡来時期と符合する。つまり、フロレス人は、ヒトの移住とともに滅んだ可能性が高まった。 後述のとおり、ヒトは効率の良い狩猟技術によって、多くの大型哺乳類を滅ぼした。このようなヒトによる狩猟は、競合種であるネアンデルタール人やフロレス人の食糧を減らし、その存続を困難にしたものと思われる。■ マンモスを滅ぼした人類が手にした新技術 ヒトの渡来とともに滅んだのは、ネアンデルタール人やフロレス人だけではない。マンモスをはじめとする多くの大型哺乳類が、ヒトの渡来後に地球上から姿を消した。 北米では、マンモスをはじめとする33種の大型哺乳類が滅んだ。南米では、巨大アルマジロをはじめとする66種の大型哺乳類が滅んだ。アメリカ大陸では、ヒトの移住時期と気候変動が重なっているので、両方の効果で絶滅が起きたと考えられている。 一方、オーストラリアでは、約4万5000年前のヒトの渡来後に、サイ並みの大きさがあるディプロトドンなど大型の有袋類(カンガルーの仲間)が21種滅んだ。約4万5000年前のオーストラリアは気候も安定した時期だったので、ヒトの渡来以外に絶滅を促す要因は考えにくい。 大型哺乳類を滅ぼしたヒトは、より小型の動物や植物を利用して暮らす技術を発展させた。特に、ドングリなどの堅果や豆類を貯蔵する技術は、冬の食糧確保につながり、さらなる人口増加をもたらした。 日本でも、縄文時代の人口は、ドングリの豊作年に増加したことがわかっている。ドングリなどの堅果や豆類の貯蔵技術とともに、これらを貯蔵したり調理したりするための土器製作の技術も発展した。しかし、果実を食糧として利用する生活は、ドングリの豊凶といった資源の年変動に左右された。 また、イネやコムギのような穀物の原種からの種子採集は、野生の資源を減少させたはずだ。このような問題を解決する技術として、種子を播いて植物を育てる技術、すなわち農業が発展した。 上海市に近い海辺の地、跨湖橋での遺跡の調査から、稲作による農業の始まりを詳細に裏付けるすばらしい証拠が得られている。 この場所は8700年前に陸地化し、7500年前に再び海に沈んだ。しかし、再び海に沈むその前、7800年前にはイネの花粉が激増し、出土する種子(籾)の形が、脱粒性(熟すと穂から落ちる野生の性質)から非脱粒性(熟した籾が果実についたまま残る性質)に変化している。 これは、ヒトが非脱粒性の品種を選抜し、栽培を始めた動かぬ証拠である。そしてこの変化と平行して、カシ類(ドングリの木)の花粉が減り(森が減った証拠)、微粒炭が増えた(木を燃やした証拠)。 さらにその後、土壌中に残るブタの寄生虫が増えていることから、ブタを飼育したことがわかる。また、高潮の害から水田を守るために、灌漑技術を発展させた証拠が得られている。 このような稲作と灌漑の技術を持った人たちが日本に渡来し、弥生時代が始まったことはよく知られているが、同様な移住は中国から東南アジアへも生じた。 オオムギ・コムギの栽培と、ヤギ・ヒツジの飼育による農業を発展させたメソポタミアの人たちは、一方ではヨーロッパに、他方では南アジアやアフリカに移住した。このような農業技術を獲得した社会では、高い農業生産力によって人口が増え、中央集権的な国家が成立し、職業的軍隊によって治安が改善されるとともに、さらなる技術革新が進み、その結果人口はさらに増加した。 以後、今日に至るまで地球上の人口は増え続けている。■ 人口増加と農業がもたらしたヒトの急速な進化 かつて、ヒトの性質はアフリカを出た6万年前には完成されており、それ以後はほとんど進化しなかったと考えられていた。しかしこの考えは、最近のヒトゲノム研究によって過去のものとなった。 ヒトゲノムを大規模に比較する研究から、ヒトは過去6万年の間に進化を加速させ続けてきたことが明らかになったのだ。 下の図1は、年あたりに出現したより有利な遺伝子の数が、過去8万年間にどのように変化したかを示している。有利な遺伝子の出現数は、8万年前から6万年前ま での2万年間は、毎年1個程度の出現ペースだった。しかし、6万年前から増加が始まり、5000年前には30個を超えている。図1. 過去8万年間のヒトにおける有利な遺伝子の出現数。Hawksらの論文(Hawks J etal. PNAS 2007;104(52):20753-8)をもとに筆者作成。拡大画像表示 このグラフがどのようにして作成されたかを簡単に説明しておこう。ある遺伝子に自然選択が作用したかどうかを調べるには、自然選択が作用しなかった場合の予測と比較する。 この予測を可能にしたのは、故・木村資生博士が提唱した分子進化の中立理論だ。この中立理論は、ある環境において有利でも不利でもないDNA分子上の変異(中立な遺伝子)が偶然によって集団全体に広がる確率を記述する数学的な理論だ。 今日では、ゲノムのDNA配列の進化の多くは、この中立理論に従うことが分かっている。この性質を利用して、DNA配列の違いから、過去の進化年代を推定することも可能になった。 この方法によって、ヒトがアフリカを出たのは5万2000±2万7500年前と推定されている。この記事で「約6万年前」という数字を使っているのは、この推定値と考古学的な証拠の両方を考慮したものだ。 このような「分子時計」と呼ばれる性質を使って、現在のヒト集団中にみられる遺伝子の変異(たとえば血液型のABOの違い)がいつ頃(たとえば何万年前に)生じたかを推定することができる。 また、中立理論を使うと、偶然による進化の予測から統計学的に有意に異なる状態を決定することができる。この統計学的方法によって、現在のヒト集団中にみられる遺伝子の変異の中から、偶然による進化では説明できないものを選び出すことができる。これらの遺伝子では、自然選択によって有利なタイプが次第に増えてきたと考えられる。 この2つの方法を組み合わせることで、自然選択によって有利なタイプが次第に増えてきた遺伝子において、有利なタイプと不利なタイプ(対立遺伝子と呼ばれる一組のDNA配列)の祖先をさかのぼり、共通祖先に行きつく時間(年齢)を推定することができる。 先の図1は上記の方法によってヨーロッパの人類集団から選び出された2803個の遺伝子について、対立遺伝子の年齢を推定し、推定年ごとにその数をプロットしたグラフがベースとなっている。図1は、そこから5000年前、10000年前などの値を抜粋したグラフである(Hawks博士らが2007年に発表した論文<こちら>にはもっと多くの点がある)。 Hawks博士らは、アフリカの人類集団から選び出された3468個の遺伝子についても同様に解析を行い、同じ傾向を見出した。また、データは示されていないが、漢族中国人や日本人で調べても、同じ結果が得られたという。 すなわち、人類集団は世界各地で並行して、約6万年前から今日まで適応進化を加速させてきたのである。■ 進化を加速させた2つの要因 この進化の加速をもたらした要因は、2つある。1つは人口増加だ。人口が増えるほど、有利な変異がたまたま出現する可能性が増える。 DNA配列上に起きる変異のうち、大部分は生物の生存や繁殖に悪影響をもたらす有害な変異であることがわかっている。有害でない変異のほとんどは、故・木村博士が提唱した中立な変異だ。 つまり、残るごくわずかの変異が、生物の生存や繁殖に良い影響をもたらす有利な変異である。そのような変異が現れる確率はきわめて小さい。しかし、人口が増えれば、そのような変異が出現する期待値も高まるのだ。 もう1つの要因は、農業の開始や社会の複雑化に象徴される環境の変化だ。農業の開始は食生活を変え、たとえばヨーロッパの人たちではラクトース(乳糖)分解酵素の適応進化が起きた。また、天然痘などの家畜由来の病気が増えたために、免疫系の遺伝子に適応進化が起きた。 社会の複雑化に対する適応進化については、まだよくわかっていない。その理由は、知性や創造性、実行力、協調性、積極性、神経質などの人間の性質を決めている遺伝子は多数あり、一つひとつの効果は非常に小さいからである。 これらすべての性質について、約50%の遺伝率(変異の中で遺伝的影響が占める割合)があることがわかっているが、その遺伝的影響を特定の遺伝子に分解して調べることは容易ではないのだ。 しかし、研究は日進月歩であり、あと10年後には、私たちの社会的能力の進化についてもっと確かな理解が得られているだろう。■ 人類史の転換点に差し掛かっている さて、過去6万年間人口を増やし続け、地球環境を変え続け、一方で環境に適応して急速な進化を遂げてきた人類に、大きな転換点が訪れている。 2050年には、アフリカと西アジアを除くほとんどの国で、人口が減り始める見込みだ。言うまでもなく、日本はその先陣を切っている。 人口増加に歯止めをかけたのは、出生率の低下だ。どの国でも、経済が発展し、健康状態が改善されるにつれて、女性は子どもの数を減らし続けてきた。乳児死亡率の減少や、女性の社会進出などその理由はさまざまだが、現在は人口増加が著しいアジア諸国でも、母親1人あたりの子供の数は2人に近付いており、近い将来に2人を下回る。つまり、人口が減り始めるのだ。 人口は進化の駆動力であるだけでなく、科学や芸術におけるイノベーションの駆動力であり、経済発展の駆動力でもあった。その人口が減り始める状況において、未来の社会をどうデザインすれば良いのか? 人類はかつてない問いに直面している。
2016.04.24
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記事 6万年前に人類が手に入れた脅威の能力とは?ネアンデルタール人との決定的な「遺伝的違い」が明らかに2016.3.31(木) 矢原 徹一ネアンデルタール人の骨格標本と復元模型。国立科学博物館の展示。Wikipediaより。 ヒトは約6万年前にアフリカを出て世界中に広がり、その後今日に至るまで人口を増やし続けてきた。そしてこの6万年間を通じ、科学や芸術を発展させて文明を築き、産業や貿易を発展させて地球規模の市場を築き、地球環境を大きく変える力を手に入れた。 たった一種でここまで地球環境を変えた生物は、生命の歴史上初めてだ。ヒトはわずか6万年の間に、どうやってこれほどの力を手に入れたのだろうか。 その謎を解く手がかりが、ヒトゲノムの研究から得られてきた。今回はその最新の成果を紹介し、ヒトという種の驚異的能力の背景について考えてみよう。■ ネアンデルタール人との出会い「ヒト(ホモ・サピエンス)」はアフリカで進化し、約6万年前にアフリカを出て地球全体にひろがったのだが、実はヒトより先にアフリカを出てユーラシア大陸にひろがったホモ属の化石人類が少なくとも2種いたことが分かっている。 その一方は、西アジアからヨーロッパにかけて広がった「ネアンデルタール人」であり、1829年に子どもの頭骨が発見されて以後、ヨーロッパ各地や西アジアから多くの骨格化石が発掘されてきた。★ そのネアンデルタール人は、約4万年前に絶滅した。約4万5000年前に起きたヨーロッパへのヒトの分布拡大がネアンデルタール人を絶滅に追い込んだ可能性が高いが、両者の分布が接触したときにいったい何が起きたのか、よく分かっていなかった。 ネアンデルタール人の骨格化石には、ネアンデルタール人のDNAが残っている。そのDNA配列を決定できれば、ネアンデルタール人とヒトとの違いが明らかになり、ネアンデルタール人がなぜ絶滅したか、ヒトはなぜ急速に地球全体に広がったか、などの疑問に答えることができるかもしれない。 こう考えて、ネアンデルタール人のDNA配列決定という困難な課題に挑んだのが、マックスプランク進化人類学研究所のSvante Paabo(スヴァンテ・ペーボ)博士だ。ネアンデルタール人の骨から得られるDNA分子は、細かく断片化しているので、その配列決定は困難をきわめた。しかしPaabo博士は技術的改良を重ね、2010年についにネアンデルタール人の全ゲノム配列(遺伝情報が書きこまれたDNA分子の全配列)をサイエンス誌の論文で公表した。 その配列を世界各地のヒトのゲノム配列と比べた結果、ヨーロッパの現代人集団では、ゲノムの1~4%の配列がネアンデルタール人に由来することが分かった。 一方、アフリカのヒトのゲノム中にはネアンデルタール人に由来する配列は見つからなかった。つまり、ヨーロッパに進出したヒトは、ネアンデルタール人と交雑し、その遺伝子の一部を取り込んでいたのだ。■ デニソワ人とも交雑していた この、ネアンデルタール人ゲノムプロジェクトが進行しているさなかのことだ。西シベリアのデニソワ洞窟で2008年に発見された子どもの指骨のサンプルがPaabo博士のもとに届けられた。 この骨から一部のDNA配列を決定したPaabo博士は驚愕した。その配列は、ネアンデルタール人ともヒトとも異なるものだったのだ。「デニソワ人」と名付けられたこの化石人類のゲノム配列もまた2010年に決定され、世界各地のヒトのゲノム配列と比較された。★ その結果、メラネシア(ニューギニアとその東側の島嶼)の先住民集団のゲノム中には、デニソワ人由来の配列が4~6%存在することが明らかになった。ヒトはデニソワ人とも交雑していたのである。 つまり、ヒトはネアンデルタール人・デニソワ人それぞれの遺伝子をとりこんだ「雑種」ということになる。 ここまでの研究史は、Paabo博士による著作『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(文藝春秋)にいきいきと描かれているので、興味をもたれた方はぜひ一読されたい。この著作が出版されたあとも、研究は着実に進展している。■ 新たに明かされた交雑の経緯 先月(3月17日)には、デニソワ人・ネアンデルタール人とヒト交雑の歴史をゲノム情報の詳細な統計学的解析によって解明した論文が、サイエンス誌に掲載された。 ワシントン大学のBenjamin Vernot(ベンジャミン・ベルノー)博士らがPaavo博士とともに発表したこの論文によれば、ヒトはネアンデルタール人と少なくとも3回、デニソワ人と1回交雑し、これらの化石人類から遺伝子を取り込んで、新しい環境に適応した。 ヒトとネアンデルタール人との最初の交雑の痕跡は、ヨーロッパ・東アジア・メラネシアの人類集団に共通しているので、ヒトの祖先が約6万年前にアフリカから西アジアに進出したときに起きたと考えられる。ヨーロッパと東アジアの人類集団のゲノムには、ネアンデルタール人との2回目の交雑を示す痕跡があるが、この痕跡はメラネシアの先住民ゲノムにはない。したがって、おそらくメラネシアの先住民の祖先は2回目の交雑が起きる前に西アジアを離れ、メラネシアにたどりつく過程で、デニソワ人との交雑を経験したに違いない。 西アジアから東に向かったメラネシアの先住民の祖先は、おそらく船を使って沿岸部を移動したものと思われる。なぜなら、考古学の証拠によれば、ヒトの祖先集団がオーストラリアに侵入し、大型の有袋類(カンガルーの仲間)の種を次々に滅ぼしたのは、約4万5000年前である。 つまり、西アジアからオーストラリアへのヒト集団の移住は、わずか1万5000年の間に起きたのだ。この素早い移動を可能にしたのは、船を使う技術だろう。 一方、東アジアの人類集団には、上記の2回とは別の(3回目の)ネアンデルタール人との交雑の痕跡がある。メラネシアに向かった集団とは別の集団が、少し遅れて東アジアに広がる過程で、この3回目の交雑が起きたのだろう。○ 日本人を含む東アジアの人類集団は、ネアンデルタール人と過去に少なくとも3回の交雑を経験した雑種の子孫なのである。■ 交雑により環境適応力が向上 このような種間交雑は、植物では古くから知られている。私は植物の研究からスタートしたので、違った地域に隔離されて進化した種が出会えば、交雑するのは当たり前であることをよく知っていた。 しかし、私が学生だった40年前には、動物の種は生殖的に隔離されているもの(互いに交雑しないもの)という考えが支配的だった。私見だが、この固定観念は、「種」という概念に不変性や純血性を求める人間の心理的傾向と結びついていたように思う。 同じ祖先から分かれた2つの集団が地理的に隔離されて違った環境で暮らせば、自然淘汰によってそれぞれの環境への適応が生じ、やがて違った性質が進化する。このようにして異なる進化の道筋を歩んだ集団が、2次的に接触することは、生物進化の過程ではしばしば起きる。このような接触が起きたとき、2つの集団の間にはしばしば交雑が起き、遺伝子が入り混じる。 今日では、このような交雑によって、適応進化が加速されることが分かっている。「最強のイノベーション『生命の進化』に学ぶ3つの掟」で紹介したように、★ 有性生殖による遺伝子の組み換えは、莫大な数の組み合わせを作り出し、この「組み合わせ」の多様性が適応進化を加速するのだ。 新しい環境に進出し、そこへの適応を迫られた種にとっては、すでにその環境に適応した別の種と交雑して、その種から適応的な遺伝子を取り込むことが、★ 効率の良い進化の手段なのである。 実際に、ネアンデルタール人からヒトの集団に取り込まれた遺伝子には、皮膚や免疫系の遺伝子など、環境適応に貢献したと考えられるものが見つかっている。■ ネアンデルタール人はヒトよりも言語能力が劣っていた?★ しかし一方で、交雑で受け取る遺伝子の中には、より劣ったもの(適応度が低いもの)もしばしばある。このような遺伝子は、交雑のあとで、自然淘汰によって次第に集団から取り除かれていく。★ ネアンデルタール人との交雑の痕跡が、現代人集団のゲノム配列のわずか1~4%にしか見られないという事実は、ネアンデルタール人から受け取った遺伝子の大半が自然淘汰によって取り除かれたことを示唆している。 Vernot博士らは、ネアンデルタール人やデニソワ人とヒトのゲノムの配列を比較することで、交雑後にヒトの遺伝子が強く選び出された領域(ネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子が淘汰された領域)を特定する方法を開発した。 そしてこの方法を用いて、ヒトの第7染色体の一部に、ネアンデルタール人やデニソワ人との交雑の痕跡が完全に消えている領域があることを発見した。複数回の交雑の痕跡が同じ領域で完全に消えていることから、この領域では自然淘汰によってヒトの遺伝子だけが選び出されたと考えられる。 そしてこの領域には、とても興味深い遺伝子の配列が含まれていた。言語遺伝子といわれる「FOXP2」や、自閉症に関係する遺伝子がある領域だったのだ。 FOXP2は、言語障害のある家系の研究から発見された遺伝子であり、FOXP2の変異が家族性(遺伝性)言語障害を引き起こすことがわかっている。 また、チンパンジーとヒトのFOXP2遺伝子の間には2個の重要な配列差があり、ヒトのFOXP2遺伝子をマウスに導入するとマウスの学習能力が向上する。これらの証拠から、FOXP2はヒトにおける言語能力の進化に関係していると考えられている。 ただし、ネアンデルタール人とヒトのFOXP2の配列は一致しているので、ネアンデルタール人との交雑の痕跡が完全に消し去られた原因は、FOXP2自体ではない。おそらく、このFOXP2遺伝子の周辺に、FOXP2の調節に関連した別の遺伝子があり、そこが自然淘汰を受けた可能性が高い。 このように、まだ結論を出せる段階ではないのだが、Vernot博士らの研究は、★ ネアンデルタール人とヒトの間に、言語や社会性の発達に関わる重要な遺伝的違いがあった可能性を強く示唆している。■ 6万年前の大移動を前にヒトに起きた変革 文字が発明される前の言語は、化石にも記録にも残っていない。このため、言語がどのように進化したかは、謎に包まれている。 ネアンデルタール人は、ヒトと同じ配列のFOXP2を持っており、喉の構造も似ているので、ある程度の言語能力を持っていた可能性がある。しかし、ネアンデルタール人が暮らしていた洞窟には、ヨーロッパに進出したヒト(クロマニオン人)が描いたような壁画や、死者を埋葬した跡は見つかっていない。これらの違いは、ネアンデルタール人とヒトの間の言語能力の差に関係しているのかもしれない。★ DNA配列の証拠から、ヒトがアフリカを出てヨーロッパやアジアへの移住を開始したのは約6万年前だと考えられるが、★ 考古学的な遺跡の証拠によれば、約10万年前にもレヴァント地方(現在のレバノン付近)に進出し、ネアンデルタール人と一緒に暮らしていた。 しかしこの遺跡では、約7万5000年前にヒトは消失し、再びネアンデルタール人だけの時代が続いた。つまり、★ 最初にアフリカを出てレバノンに到達したヒトは、ネアンデルタール人との競争に敗れた可能性が高い。★ その後、約6万年前にヒトの大移住が開始された。★ 10万年前のレバノン進出から約4万年のこの間に、ヒトに何らかのイノベーションが起きた。★ 船を製造する技術や、壁画を描く能力や、死者を埋葬する心性をヒトは発達させたのだ。★ これらの変化を支えたのは、言語能力の高度化ではないかと私は考えている。■ 言語を使いこなす優位性 言語を使うことには、数々の効用がある。★ 第1に、言語は複雑な推論を可能にする。言語によるコミュニケーションを通じて、人は相手が何を考えているかを推論し、その推論にもとづいて相手の意思や感情に働きかけることができる。推論を可能にする思考能力自体は言語以前に進化したと考えられているが、言語の使用によって相手の言葉の裏を考えるような複雑な思考が可能になった。★ 第2に、言語は概念を豊かにする。人間は言語を使わなくても事物や現象を概念化できるが、たとえば色を表す多くの言葉を使うことで、世界をより豊かに認識できる。また、木・草・獣・鳥などの分類的概念を使うことで、多様な対象をより少数の要素に要約し、世界をよりシンプルに理解できる。この概念化は、数による定量化の前提である。★ 数は、対象の具体性を捨象し、数的側面のみを概念化したものであり、この概念化によって人は、事物を数えることができる。対象が石であろうが魚であろうが「いち、に、さん」という単語で数えることができるのだ。言語を使わない思考では、人間は「いち、に、たくさん」という概念しか使わないことが分かっている。「さん」以上の数量的な言語を持つことではじめて、より多くの量の間の関係を理解し、事物を測量することが可能になった。 船を製造するには、ある程度の測量が必要なので、約6万年前のヒトには数に関するかなり高度な語彙がそなわっていたはずだ。死者を埋葬する習慣もまた、「死」という概念や、死者の世界への推論があったことを物語っている。★ 第3に、言語は知識を蓄積し、伝達することを可能にする。言語はまた、集団が共有するルールを決めることを可能にする。そして、集団内での高度な分業にもとづく協力行動を可能にする。このような言語を基礎にした集団の協力行動において、おそらくヒトはネアンデルタール人との競争において、大きな優位性を獲得したに違いない。このような推論は、これからのゲノム研究でさらに検証されていくことだろう。 ヒトは言語を獲得したことで推論能力を高め、科学・技術を発展させ、ついに自分たちの進化の歴史を理解しはじめた。そして、私たちにヒトの活動が地球環境に大きな影響を与えていることも理解するに至った。言語を使うことで、私たちは人類社会の未来についても、さまざまな可能性を考えることができる。これらの可能性の中から、より良い選択肢を選び出す作業においても、言語は欠かせない。 私たちは言語を日常的に何気なく使っているが、この言語を使いこなす能力は、実は驚異的な能力なのだ。ゲノム科学はこの驚異的な能力の背景をまだほとんど解明できていないが、FOXP2を含む領域の研究から、近い将来に大きな発見が生まれる可能性がある。 ネアンデルタール人やデニソワ人と交雑しても、この領域だけはまったく変化しなかったことから、この領域にはヒトがヒトたる理由を説明する大きな秘密が隠されているようだ。その秘密が解かれる日が待ち遠しい。 ―――― 私の感想 ――――ひとくちに人類と言ってもわれわれ現世人類以外にネアンデルタール人を含む「ヒト」が20数種類もいてわれわれ以外は、すべて絶滅してしまったなんだか、信じられないような話だもし、タイムマシーンに乗って過去にさかのぼり彼等と会ってみたらお互いどう言う反応を示すのだろうか?まだ、ネアンデルタール人は、われわれと近い人類だからある程度意思の疎通ははかれたかも知れないまあ、共通言語はなかっただろうと思うからジェスチャーとか表情とかそういうものになるだろうがいや、不思議な気持ちだしかも、ネアンデルタール人のDNAは、一部われわれに混入しているというそう言えば、ネアンデルタール人的な風貌・体型の人間も、時折、散見するような気もする(笑)私にとって、人類史は、最も興味のある分野だ
2016.04.23
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同じ題名で、以前、記事を書いたと思うのだが私も、「ユダヤ人とはだれか?」(アーサー・ケストラー著)を読んでいるので現在のユダヤ人の主流を占める東欧系アシュケナージ・ユダヤ人が東欧に定着する以前は北コーカサス地方に7世紀ごろに栄えたトルコ系遊牧民のカザール王国のカザール人がユダヤ教に改宗したとする説に説得力があると思うこれが事実なら現在のシオニスト運動も根拠が無くなってしまう(シオンとは楽園 エデンの園を指す)その意味ではユダヤの最大タブー主流のアシュケナージ達には、非常に不都合な主張、だっただろう果たして?ケストラーは、謎の死を遂げているモサドに消されたのだろうと、私は、推測するしかし、当時のハザール王国内のユダヤ人人口も、相当なものだったのだからアシュケナージ、すべてニセユダヤ人とも言え無いのではないか?― ― ― ―ユダヤ人にも色々あって、また、その世界的な離散のコースもさまざまディアスポラと呼ばれる離散によってユダヤ人はエジプトから世界に飛び散ったが■ 主にイベリア半島に定住したのがセファルディム(スファラディ)■ 主に中欧・東欧の定住したのがアシュケナジム(ashkenazim)私は、アシュケナージと呼び勝ちだがそういう名前のユダヤ系ロシア人のピアニスト・指揮者みなさんも、ご存じのはずウラジミール・アシュケナージ姓にもなっているのだがこのセファルディムとアシュケナジムが現代ユダヤ人の二大主流となっている----私は、昔、赤坂のナイトクラブで、エチオピアのユダヤ人という女性ふたりと合ったことがあるが彼女ら、見事に、エチオピア人の容貌だった肌の色も、しかり一方で、ニューヨークでみかける黒衣装にあごひげ青白い顔色のアシュケナージ達もいるし私がロンドン駐在員だった頃の得意先の繊維機械のディーラーも、ユダヤ人だったが容貌はまるでスペイン人つまり、セファルディム・ユダヤだと思われた世界中で、ユダヤ人が定着していない国は無いといわれたが日本には、あまり大勢いなかった今はどうだろうイザヤ・ベンダサンもユダヤ人口に入れる?(笑)欧州のユダヤ人問題がイスラエル建国につながりユダヤ人差別がユダヤ陰謀説を生む(笑)イエスキリストを処刑したのはローマなのにいつの間にかユダヤ人が責められる(笑)ユダヤ人とは■ 血統なのか?■ 信仰なのか? ―――― ◇ ――――ユダヤ人問題については、また書きたいが関連して、こう言う記事があったので内容の真偽やチェックはともかくとりあえず、アップ ―――― ◇ ――――現在、ユダヤ人と呼ばれる人々は、アブラハムの子孫ではないハザール人(白人)!!まず、確認しておきたい事があります。それは「ユダヤ人」についての「定義」です。ま ず第一に、「民族」(人種)としての「ユダヤ人」です。■ 元々のユダヤ人はアラブ人と同じ 「有色人種」です。ですから、キリスト教に「普及」した「肌の白い」イエス(キリスト) や聖母マリアは真っ赤な「ウソ」なのです(実際には「浅黒」かったらしい)。第二に、「ユダヤ教徒」としての「ユダヤ人」です。現在、「祖国」(イスラエル)へ帰還している「ユダヤ 人」は、白人から黒人迄様々です。なぜ、「肌の色」が違う(つまりは、人種が違うと言う事) のに、同じ「ユダヤ人」なのか? それは、彼らが「ユダヤ教」の信者だからなのです。以 上の様に、「民族」としてのユダヤ人と、「ユダヤ教徒」としてのユダヤ人があると言う事 を頭の隅に入れて置いて下さい。それでは、いよいよ本題に入っていきましょう。8世紀、カスピ海・黒海の北岸一帯のとある国が国民総出で「ユダヤ教」に改宗しました。 その国の名を「ハザール」(Khazaria)と言います。彼らは、6世紀から8世紀にかけて北アジ ア(キルギス高原から南ロシア・キプチャク草原に至る広大な地)に覇を唱えた遊牧騎馬民族の帝国 「突厥」(テュルク:「トルコ」の語源となった)の流れを汲むトルコ系遊牧騎馬民族でした。 657年、東西に分裂した突厥の内の一つ、西突厥(葉護突厥:ヤブグ・テュルク)が滅亡した 際、可汗(カガン:「皇帝」に相当)だった阿史那氏を自らの民族の可汗に迎え、7世紀初頭、 国家を樹立しました。これが、「ハザール汗国」と呼ばれるものです。 その後、ハザールは突厥以来の精強な軍事力で領土を拡大し、8世紀に最盛期を迎えま す。しかし、ここで「ある決断」を迫られたのです。当時、ハザールは東にイスラム教を奉 じるイスラム帝国(アラブ人)、西にキリスト教(東方正教会)を奉じるビザンティン帝国(東 ローマ帝国)の、二大超大国と国境を接していました。そして、双方から自らの宗教(イスラ ム教とキリスト教)へ改宗するよう、迫られていたのです。しかし、これはハザールにとって 大きなジレンマでした。 どちらへ改宗しても角が立つ!? キリスト教に改宗すると・・・ ビザンツ 帝国 ハザール 汗国 VS イスラム 帝国 イスラム帝国を敵に回してしまう イスラム教に改宗すると・・・ ビザンツ 帝国 VS ハザール 汗国 イスラム 帝国 ビザンツ帝国を敵に回してしまう ビザンティン帝国・イスラム帝国双方共、敵に回したくはないハザールは、結局、キリス ト教でもなく、イスラム教でもない、第三の宗教「ユダヤ教」を「国教」として選択したの です。ご存じかとは思いますが、キリスト教もイスラム教も根は同じで、ユダヤ教徒は「啓 典の民」として差別される事は無かったのです。これで、ハザールも安泰かに思われたので すが、ビザンティン帝国の謀略やら、国内諸民族の紛争・国土の荒廃・経済基盤の崩壊によ って9世紀には衰亡。10世紀に遂に国家が消滅し、ハザール人は各地へ離散してしまったの です。そして、この時、ヨーロッパに入ったハザール人改め新・「ユダヤ人」の内、ある者 は「ヴェニスの商人」に代表される商業・金融の中核へ、又ある者は各国政界の中枢へと食 い込んでいったのです。そして、迎えたのが20世紀・・・第2次世界大戦が終結して間もない1948年、突如、パレスティナに一つの国家が樹立され ました。その国の名を「イスラエル」と言います。その後、イスラエルはアラブ諸国と幾度 と無く戦火を交え(中東戦争)、聖都イェルサレム・ヨルダン川西岸・ガザ・南レバノン・ ゴラン高原・シナイ半島(後にエジプトに返還)と言った地域を占領しました。さて、ここで 前述のハザール人が再び登場します。現イスラエル首相・ネタニヤフを見てもお分かりの様 に、彼は明らかに■コーカソイド(白色人種)-つまり、ハザール人です。聖書に登場し、バ ビロン捕囚に消えた「契約の民・ユダヤ人」では無いのです。そして重要な事は、現在のイ スラエルを実際に動かしているのは彼らハザール人(偽ユダヤ人)だと言う事です。確かに、 イスラエルには正真正銘のユダヤ人もいます。しかし、彼らはあくまでも「二等市民」でし か無いのです。その待遇は、非占領民であるパレスティナ人と何ら変わりが無いのです。富 めるハザール、貧しいユダヤ人。これが現代イスラエル社会の「現実」なのです。さて、それでは再び「日猶同祖論」です。改めて言いますが、日本と現在のイスラエルは 「同祖」でも何でもありません。彼ら(ハザール人)は、「我々は聖書の時代以来、パレステ ィナの地に暮らしてきた『神々に選ばれた民』である。様々な艱難辛苦(かんなんしんく)の 末に、再び国を持つ事が出来た」とユダヤ人を詐称し、日本人に対して「あなた方は『失わ れた十支族』の末裔だ。我々と祖先を同じくする民族だ」等と、「日猶同祖論」をタテにイ スラエルへの支援を要請するでしょう。しかし、そんな世迷い言に乗ってはならないので す。本来のユダヤ人を「踏み台」にして国家を樹立し、■ありもしなかったナチス・ドイツに よる「ホロコースト」(ユダヤ人大量虐殺)をタテにドイツをはじめとする諸国から資金を搾 取する「偽りのイスラエル」。もし、我々日本人が本当にユダヤ「失われた十支族」の末裔 だとするならば、ハザール人にではなく、イスラエルにおいて二等市民の扱いを受けている 本来のユダヤ人に、救いの手を差し伸べる事の方が重要だと思うのです。 ―――― 私の感想 ――――う~~ん!しまった!良く本文を読まずに引用してしまったがこの著者は、とんでもないヤツだな下記の部分は、大問題と言うか、ウソ■ 元々のユダヤ人はアラブ人と同じ 「有色人種」です。ですから、キリスト教に「普及」した「肌の白い」イエス(キリスト) や聖母マリアは真っ赤な「ウソ」なのです(実際には「浅黒」かったらしい)。■ 現イスラエル首相・ネタニヤフを見てもお分かりの様に、彼は明らかにコーカソイド(白色人種)-つまり、ハザール人です。■ありもしなかったナチス・ドイツによる「ホロコースト」(ユダヤ人大量虐殺)なにを言うのだ、この男は■ 元々のユダヤ人はアラブ人と同じ「有色人種」です。― ― ― ―いまどき、有色人種という分別は、人類学的にナンセンスそれに混血していないユダヤ人は、アラブの一種両者共に、昔、セム族と呼ばれたカテゴリーに入るが敢えて分別すれば、コケイジャン(白人種)の方だろうまあ、今の人類学では白人・黒人という分別は否定されている■ 現イスラエル首相・ネタニヤフを見てもお分かりの様に、彼は明らかにコーカソイド(白色人種)-つまり、ハザール人です。ーーーーまあ、ネタニヤフは、ポーランド・ユダヤだから、コケイジャンと言っても間違いでは無い■ありもしなかったナチス・ドイツによる「ホロコースト」(ユダヤ人大量虐殺)ーーーーこの男の最もとんでもないところは、ホロコーストを否定しているところこうレベルの言う男が、ブログを書くか?
2016.03.21
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11万8000年以上前の石器発見、デニソワ人か インドネシア AFPBB News【AFP=時事】インドネシア・スラウェシ(Sulawesi)島で、11万8000年以上前の石器が発見された。オーストラリアなどの科学者らが13日、英科学誌ネイチャー(Nature)に研究結果を発表した。石器を製作した原始人類の痕跡は見つからなかったが、オーストラリアに最初に到達した人類種と関連がある可能性があるという。 スラウェシ島にある4か所の離れた遺跡から数百個に及ぶ石器時代の石器が発掘されたことにより、この島に最初にやってきた、現在すでに絶滅している人類種に関する長年の議論に拍車がかかる可能性がある。インドネシア・スラウェシ島で見つかった石器。英科学誌ネイチャー提供(2016年1月13日提供)。(c)AFP=時事/AFPBB News© AFPBB News 提供 インドネシア・スラウェシ島で見つかった石器。英科学誌ネイチャー提供(2016… 同島近くのフロレス(Flores)島で2003年、体の小さいホミニン(ヒト族、類人猿を除く現生種と絶滅種の人類を表す用語)の化石が発見された。「ホビット(Hobbit)」の通称で呼ばれるフロレス原人(学名:ホモ・フロレシエンシス Homo floresiensis)は、年代測定検査の結果、少なくとも100万年以上前にフロレス島に到達したと判明している。 論文主筆者である豪ウロンゴング大学(University of Wollongong)の研究者、ゲリット・ファン・デン・ベルフ(Gerrit van den Bergh)氏は、AFPの取材に対し、現生人類としても知られるホモ・サピエンス (Homo sapiens) が約5万年前にこの地にやってくる以前、原始人類が居住していた島はフロレス島だけではなかったことを、今回の発見は示していると語った。 多くの科学者らが支持する説によると、ホビットは、絶滅したホモ・エレクタス(Homo erectus)の子孫にあたるという。ホモ・エレクタスは「島嶼化(とうしょか)」と呼ばれる過程を経て数百世代にわたって次第に小型化した。島嶼化は、海水位が低い時代に陸を渡って島に移動してきた動物が、海面の上昇によって島に取り残されてしまう現象だ。■遺伝子の交換 スラウェシ島の石器を作った人類種が、150万年以上前に近隣のジャワ(Java)島に住んでいたホモ・エレクタスから派生したのかについては、証拠となる化石がなければ知ることはできない。 だが、今回の発見によって、現在のオーストラリアとなる地域に居住した最初の人類と関係している可能性も浮上した。このことについて、ファン・デン・ベルフ氏は「非常に興味深い」と指摘しながら、「オーストラリアへ最初にやってきたグループとその子孫のDNAのごく一部は、デニソワ人(Denisovans)と呼ばれる謎の人類種から受け継がれたものであることが、遺伝学的証拠によって明らかになっている」と付け加えた。 現生人類とネアンデルタール(Neanderthal)人の両方の系統と関連があるデニソワ人は、約60万年前に現生人類から分岐し、約40万年前にネアンデルタール人から分岐したと考えられており、少なくとも4万年前まで生存していた。 その化石は、ロシアのシベリア(Siberia)の洞穴で発掘された数本の歯と小指の骨1個しか見つかってないため、どのような姿をしていたのか、科学者らにもまだ分かっていない。 だが、DNAがオーストラリアの先住民と関連していることは、一部のデニソワ人がアジア大陸の奥深くまで進出していたことを強く示唆している。 ファン・デン・ベルフ氏は「現代のオーストラリア人の祖先とデニソワ人の遺伝子の交換が起きたのは、東南アジアのどこかである可能性が高い」と説明し、「最近、年代が特定されたスラウェシ島の石器を作ったのが、デニソワ人だった可能性は十分にあると言えるだろう」と述べた。 残念なことに、熱帯気候では、DNAは極寒のシベリアほど良好な状態で残らないため、遺伝子的な手掛かりが見つかる可能性は低い。 ただ、今回の石器群を作ったのがホモ・サピエンスでないことは確かだと、論文では指摘された。「ホモ・サピエンスのものにしては、年代が古すぎる」とファン・デン・ベルフ氏はその理由を説明した。 鋭い刃を持つ片刃・両刃の石器は、石灰石のかけらから剥片を削り落として作られたものだという。
2016.01.14
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無関心、冷淡、怠け者…その性格には科学的に理由があった ギズモード・ジャパン努力の問題じゃありません、脳のエネルギー効率の違いに関係しているようです。■ 「無関心」「冷淡」「怠け者」といった性格の持ち主と、 その脳との関係性が科学的に明らかになってきていますよ。こうした性格について理解するべく、若者を対象に様々な脳タイプの検査を実施したのは、オックスフォード大学の神経学者たち。あるアンケートの回答結果に基づいて、■ モチベーションの高い人たち、 それから無関心で冷淡、怠惰な性格の持ち主が選出され、 2グループに分類されました。彼らは、MRIを使って脳で何が起きているか観察されながら、意思決定ゲームに参加。ゲームでは、それぞれのラウンドで■ 努力報酬がオファーされます。■ 被験者たちは、その報酬が努力に値するか判断して、■ オファーを受け入れるか断るか選ぶことができるというルール。さて、どんな結果が見られたでしょう?アンケート結果から無関心で冷淡、怠惰だと位置づけられた被験者たちは、モチベーションの高い被験者たちと比べて、■ オファーを受ける回数がかなり少なく、■ 大きな報酬に対してもあまり飛びつかなかったのだとか。ここまでは想像のつく範囲ともいえます。ただ興味深いのが、彼らがオファーを受け入れたときのこと。モチベーションの高い被験者たちよりも、一次運動野という行動を起こす脳内での活動が、MRIでかなり大きく示されたといいます。これは、彼らの一次運動野でより少ない活動が見られるのではないかという研究者たちの仮説とは、逆の結果になったのだとか。オックスフォード大学で神経学と認知神経科学の教授を務めるMasud Husain氏は、同大学HP内で次のように述べています。「我々は、■ 彼らの脳がより非効率な構造だと推測していたため、無関心で冷淡な人々にとって■ 決断を行動に移すのは努力の問題だと考えていました。」ところが、■ 頑張る・頑張らないの話では済まないことが分かります。というのもさらに明らかになったのが、無関心で冷淡だと分類された人々は、■ 意思決定と期待された報酬に働く、脳前部の前帯状皮質、そして■ 行動をコントロールするのに役立つ補足運動野という脳の一部とのあいだに■ 非効率な接続部があるということ。つまり神経科学者らによると、無関心、冷淡、怠惰な人々にとって■ 脳の特定のエリアを結ぶ接続部が、■ 意志決定や行動を起こすのを難しくしていることが明らかになったといいます。これはすべての人の怠惰を説明できるわけではないものの、この神経接続は、ときにアルツハイマーや脳卒中といった病を引き起こす可能性があるのだとか。■ 「日々、脳は体のなかでおおよそ5番目にエネルギーを消費する部位。 無関心で冷淡、怠惰な人々にとって、■ 行動を起こすことは、よりエネルギーの負荷がかかるもので、■ より努力を要する行為なのです。」Husain氏と彼のチームによる新たな発見の全貌は、ジャーナルで公開されています。Kiona Smith-Strickland - Gizmodo US[原文](Rina Fukazu) ―――― 私の感想 ――――のちほど
2015.12.27
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これは google のタイトル記事この前に掲載した英語原文の抄訳WIRED NEWS より2009.10.2 FRI最古の「人類の祖先」はルーシーではなくアルディ(ラミダス猿人)440万年前のラミダス猿人の全身骨格などが再現された。これまでの説を覆す画期的研究だ。Brandon Keimardi1hr身長120センチ、体重50キロ。Images:Science『Science』誌10月2日号、ラミダス猿人の化石人骨『アルディ』――『アルディピテクス・ラミダス』[ラミダス猿人の英語名]から取った愛称――に関する論文を多数取り上げている。[1992年以降エチオピアで発見された諸化石から全身像などを復元した研究者グループによると、]アルディは、人間という種族に属する最初の猿人だと認められた種の有名な化石人骨『ルーシー』より100万年以上も前に、直立歩行をしていた可能性があるという。「人類の最初の祖先」という地位は今やルーシーではなくアルディのものとなったわけだが、これは、人類の系図を表面的に書き換えるだけでは済まない。ルーシーの発見以来、人類の起源はサバナ[疎林と潅木を交えた熱帯草原地帯]にあるとされてきたが、アルディは森林地帯に生息していたと見られる。さらに、科学者らはルーシーの骨格から、人類と他の類人猿の最後の共通祖先はチンパンジーに似たものだと判断していたが、アルディの発見で、そうした判断は否定されることになる。familytreeアルディなどのラミダス猿人は、ルーシーなどのアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)より前の時代のものだ。ルーシーの祖先の一部は数百万年前に枝分かれして1つの種族となり、現在はチンパンジーやピグミーチンパンジーとなっている。ラミダス猿人がすべてのヒト科の動物の起源ではないとしても、のちに人間となったヒト科の動物の起源だという可能性はある。ダーウィン以来、ほとんどの科学者は、人類、チンパンジー、およびゴリラの最後の共通祖先を「チンパンジーに似たもの」と推測していた。チンパンジーのDNAが人間のDNAと99%一致し、チンパンジーがルーシーの骨格的特長の多くを持っていたことが、こうした考え方の裏付けとなっていた。しかしラミダス猿人は、チンパンジーの典型的な特徴(オスが持つ大きな犬歯など)をほとんど持っていない。これは、チンパンジーに見られる非常に攻撃的な社会的行動を、ラミダス猿人が早い段階で行なわなくなったことを示していると研究者らは言う。[犬歯の縮小は人類の大きな特徴とされる]。こういったことは、チンパンジーや大型霊長類には、ヒトと枝分かれしてからかなりの変異が起こったことを示している。[ラミダス猿人の化石を最初に発見し、今回の研究にも参加している諏訪元・東京大教授によると、「チンパンジーは、樹上では懸垂運動をし、地上では前肢の中指を地面に付けて歩くが、ラミダスにはそうした特徴の名残はなく、チンパンジーとは相当異なった祖先から進化したようだ」という]「これまでの研究ではアウストラロピテクスを、サルに似た先祖と初期のヒトをつなぐものと見る傾向が強かったが、ラミダス猿人はこういった推定を覆すものだ」と、ケント州立大学のC. Owen Lovejoy氏は『Science』論文で述べている。ardi11hr土踏まずがなく、親指のような大きな爪先を持つラミダス猿人の足は「掴む動作」が可能で、木登りもまだできていたようだが、骨盤は直立歩行に適した形と見られる。アルディは、木の上での生活にも地上での生活にも適応していたようだ。ただし、二足歩行説には異論もある。[「ルーシー」は約320万年前の化石で、全身に近い人類骨格としてはこれまで最古とされてきた。440万年前のラミダス猿人より古い人類化石には、チャドで見つかったサヘラントロプス・チャデンシス(約700万年前)、ケニアで見つかったオロリン・ツゲネンシス(約600万年前)などがあるが、化石が部分的で、姿や生活についてはよくわかっていない]{この翻訳は抄訳です}[日本語版:ガリレオ-佐藤卓/合原弘子]WIRED NEWS 原文(English)
2015.11.24
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HUMANITY HAS NEW 4.4 MILLION-YEAR-OLD BABY MAMAfrom WIRED NEWSAUTHOR: BRANDON KEIM. BRANDON KEIM SCIENCE DATE OF PUBLICATION: 10.01.09.10.01.09 TIME OF PUBLICATION: 10:54 AM.10:54 AMardi1hrAS OF TODAY, humankind may have a new mother, and she looks nothing like we expected her to.Described in a series of papers published Thursday in Science, Ardi — short for Ardipithecus ramidus — likely walked upright one million years before Lucy, the famous fossil skeleton whose species was regarded as the first member of the human lineage.That position now belongs to Ardi, and the reconfiguration of our family tree is not merely cosmetic. Lucy’s story placed humanity’s origin on the savannah; Ardi took her first steps in the forest. From the shape of Lucy’s bones, scientists reasoned that the last common ancestor of humans and other great apes had resembled a chimpanzee; Ardi does not.“This is a landmark,” said Dean Falk, a University of Florida evolutionary anthropologist who reviewed the findings. “The field will go into a frenzy.”Falk’s assessment was echoed by paleontologists around the world, who have waited for 15 years since a handful of 4.4 million-year-old fossils, belonging to an unknown hominid species, were found in sediments along the Awash River in Ethiopia.Even then, the fossils were clearly special. The name of the species, chosen by paleontologist discoverers Tim White, Gen Suwa and Berhane Asfaw of the Middle Awash Project, means “root ground ape” in local dialect. The fossils likely “represent a long-sought potential root species for the Hominidae,” they wrote in a 1994 Nature paper (.pdf).From that original site, the Middle Awash team has since collected hundreds more A. ramidus fragments from 35 individuals, including a partially complete skeleton of the 4-foot-tall, 110-pound female now known as Ardi.familytreeThe researchers’ original assessment is not strictly correct: Ardi’s A. ramidus preceded Lucy’s Australopithecus afarensis, but some of her ancestors had already branched several million years earlier into a lineage that ends, for the moment, in chimpanzees and bonobos. But even if A. ramidus isn’t at the root of all hominids, it’s likely at the root of those hominids who became human.Ardi “occupied the basal adaptive plateau of hominid natural history,” wrote the researchers in one of the Science papers, and “is so rife with anatomical surprises that no one could have imagined it without direct fossil evidence.”ardi11hrLacking arches, and with thumblike big toes, A. ramidus had grasping feet still fitted for tree-climbing, but its pelvis appears suited to walking upright. And though A. ramidus‘ teeth were appropriate for eating fruits and leaves, they also display evidence of root and insect consumption. Ardi appears adapted to life both in the branches and on the ground.That interpretation fits the environment implied by thousands of plant and animal fossils, as well as ancient soil deposits, also collected at the site. Most belonged to residents of woodlands, not grasslands: Whereas Lucy ventured onto the savannah, Ardi lived in a world of patchy, sun-dappled forests.The savannah-as-cradle narrative is not the only conventional wisdom upset by Ardi. From Darwin on, most scientists thought that the last common ancestor of humans, chimpanzees and gorillas would be chimplike. The discovery that chimps share 99 percent of our DNA, and possess many of the skeletal features found in Lucy, supported this.But A. ramidus lacks many typical features of chimpanzees, including large male canine teeth — a sign, say the researchers, that the ultra-aggressive social behaviors seen in chimpanzees were lost early in the human lineage. If so, male A. ramidus may have competed for female attention by bringing them food, rather than fighting each other. That could have contributed to the evolution of pair-bonding behavior, which later took the form of monogamous reproductive relationships. Ardi’s hands and pelvis were relatively humanlike; so, perhaps, was her heart.All this suggests that chimpanzees and other great apes have changed far more than thought since we split from them, and are perhaps not the near-human analogues that scientists presumed.“One effect of chimpanzee-centric models of human evolution has been a tendency to view Australopithecus as transitional between an apelike ancestor and early Homo. Ardipithecus ramidus nullifies these presumptions,” wrote C. Owen Lovejoy, a Kent State University anthropologist, in Science. “No ape exhibits an even remotely similar evolutionary trajectory to that revealed by Ardipithecus.”William Jungers, a Stony Brook University paleoanthropologist, called the fossils “incredibly important.”He disagreed with the researchers’ interpretation of A. ramidus‘ ability to walk upright — a skepticism seconded by Falk — but stressed the difference between this research and the hoopla that followed Ida, a 47 million-year-old lemur whose evolutionary importance was overhyped in May.The fossils “will be intensely scrutinized and debated for years to come,” said Jungers. “The Ardipithecus saga impacts many aspects of human evolution in genuinely profound ways.”Images: ScienceSee Also:Lucy 2.0: Famous Fossil Hominid Goes DigitalFeb. 13, 2004: Lucy in the Sky, With DiamondsHobbits May Belong on New Branch of Our Family TreeHumans Evolving More Rapidly Than Ever, Say ScientistsChimps: Not Human, But Are They People?Citations: “Ardipithecus ramidus and the Paleobiology of Early Hominids.” By Tim D. White, Berhane Asfaw, Yonas Beyene, Yohannes Haile-Selassie, C. Owen Lovejoy, Gen Suwa, Giday WoldeGabriel. Science, Vol. 326, No. 5949.“Reexamining Human Origins in Light of Ardipithecus ramidus.” By C. Owen Lovejoy. Science, Vol. 326, No. 5949.“The Great Divides: Ardipithecus ramidus Reveals the Postcrania of Our Last Common Ancestors with African Apes.” By C. Owen Lovejoy, Gen Suwa, Scott W. Simpson, Jay H. Matternes, Tim D. White. Science, Vol. 326, No. 5949.“Combining Prehension and Propulsion: The Foot of Ardipithecus ramidus.” By C. Owen Lovejoy, Bruce Latimer, Gen Suwa, Berhane Asfaw, Tim D. White. Science, Vol. 326, No. 5949.“The Pelvis and Femur of Ardipithecus ramidus: The Emergence of Upright Walking.” By C. Owen Lovejoy, Gen Suwa, Linda Spurlock, Berhane Asfaw, Tim D. White. Science, Vol. 326, No. 5949.“Careful Climbing in the Miocene: The Forelimbs of Ardipithecus ramidus and Humans Are Primitive.” By C. Owen Lovejoy, Scott W. Simpson, Tim D. White, Berhane Asfaw, Gen Suwa. Science, Vol. 326, No. 5949.“The Ardipithecus ramidus Skull and Its Implications for Hominid Origins.” By Gen Suwa, Berhane Asfaw, Reiko T. Kono, Daisuke Kubo, C. Owen Lovejoy, Tim D. White. Science, Vol. 326, No. 5949.“Paleobiological Implications of the Ardipithecus ramidus Dentition.” By Gen Suwa, Reiko T. Kono, Scott W. Simpson, Berhane Asfaw, C. Owen Lovejoy, Tim D. White. Science, Vol. 326, No. 5949.“Macrovertebrate Paleontology and the Pliocene Habitat of Ardipithecus ramidus.” By Tim D. White, Stanley H. Ambrose, Gen Suwa, Denise F. Su, David DeGusta, Raymond L. Bernor, Jean-Renaud Boisserie, Michel Brunet, Eric Delson, Stephen Frost, Nuria Garcia, Ioannis X. Giaourtsakis, Yohannes Haile-Selassie, F. Clark Howell, Thomas Lehmann, Andossa Likius, Cesur Pehlevan, Haruo Saegusa, Gina Semprebon, Mark Teaford, Elisabeth Vrba. Science, Vol. 326, No. 5949.“Taphonomic, Avian, and Small-Vertebrate Indicators of Ardipithecus ramidus Habitat.” By Antoine Louchart, Henry Wesselman, Robert J. Blumenschine, Leslea J. Hlusko, Jackson K. Njau, Michael T. Black, Mesfin Asnake, Tim D. White. Science, Vol. 326, No. 5949.“The Geological, Isotopic, Botanical, Invertebrate, and Lower Vertebrate Surroundings of Ardipithecus ramidus.” Giday WoldeGabriel, Stanley H. Ambrose, Doris Barboni, Raymonde Bonnefille, Laurent Bremond, Brian Currie, David DeGusta, William K. Hart, Alison M. Murray, Paul R. Renne, M. C. Jolly-Saad, Kathlyn M. Stewart, Tim D. White. Science, Vol. 326, No. 5949.Brandon Keim’s Twitter stream and reportorial outtakes; Wired Science on Twitter. Brandon is currently working on a book about ecosystem and planetary tipping points.Go Back to Top. Skip To: Start of Article.ANTHROPOLOGYEVOLUTIONHUMAN EVOLUTIONLUCY
2015.11.24
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