あま野球日記@大学野球

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2007.02.20
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カテゴリ: 近鉄バファローズ
どうやら今年のシーズン終了をもって、プロ野球界から
「バファローズ」という名は消えるらしい。

30年以上にわたり「近鉄バファローズ」のファンだった。
勝手なことを言わせてもらえれば、ボクのこれまでの半生
の大半はバファローズとともにあった。

でも、何の感慨もない。感傷的になる気もサラサラない。
すでに近鉄という球団が消滅し、他の球団が事情により
バファローズを仮称としてつけていただけなのだから、
当然なことかもしれない。

簡単に「ボクとバファローズ」を振り返る。

■小学生低学年のころ■

なった。理由は他愛もないこと(ここでは省略)。

以降、ラジオで大阪の放送局が発信する「バファローズナイ
ター」を、岩手で聞いていた。実況アナの声より「ザッー」
というノイズの音のほうが大きかった。試合内容が断片的に
しかわからなかった。でもラジオを聴き続けた。

当時の近鉄にはすごい選手が結構いた。でも勝てなかった。
次第に勝てないことで落ち着ける自分がいた。天邪鬼な性格
はこの頃に芽生えたのかもしれない。

永淵、土井(正博)、伊勢、安井、清、神部、佐々木(宏) などがいた。

■中学生・高校生のころ■
いきなり、阪急の監督だった 西本幸雄 氏が近鉄の監督に就任。

になる 。「天王山。阪急-近鉄、西宮3連戦」 なんてフレーズ
がよく新聞で飛び交うようになる。

■浪人のころ■
バファローズ、パを初制覇。
マニエル おじさん 、「弱冠二十歳」 山口哲治
(智弁学園高)が活躍した。

そして 「江夏の21球」。
スクイズを失敗した 石渡 にも腹が立ったが、その前に三振に倒れた
佐々木恭介 に怒りを覚えた。たしか、その年の首位打者。もっと
何とかならなかったのかと。

■大学生のころ■
仲間と一緒に草野球チームを作った。名前は 「金欠バッキャローズ」。
ユニフォームの胸には「Buffaloes」と同じ字体で「Buccaloes」と
入れた。チームはかなり弱かった。

西本さんがシーズン終了とともに勇退すると聞き、「ラスマエ」の
ゲームを観るため、深夜急行に乗って、初めて大阪という土地(藤井寺)
に行った。

就職活動。近鉄のグループ会社の面接を受ける。
「私は近鉄バファローズが好きです」というと、担当者は「私は嫌い
です」と即座に切り返された。はぁ・・・撃沈!

■1988年■
伝説の「10.19」 は、川崎球場3塁側のベンチ裏で、声を嗄らして
2試合とも応援した。一年前まで、10年以上にわたり三塁コーチャー
だった 仰木彬 氏が、この年いきなり監督になってスゴイことをやってし
まい、ボクは一気に仰木さんのファンになった。

■1991年■
大阪支店に転勤になる。
最初の営業先は「近鉄球団」。何を話したか、まるで憶えていない。
名刺をもらえたことが、ただ嬉しかった。

大阪支店は大阪ビジネスパーク(OBP)の中にあり、ボクの勤務先は
15F。窓からは、森ノ宮にある日生球場の照明の灯りがはっきりと見
えた。残業もそこそこに球場に足を運んだ。

■2001年■
北川の代打・逆転・サヨナラ・満塁・本塁打 でリーグ優勝を決める。
もしこのゲームで優勝が決まらない場合は、一日をおいて千葉マリン
のロッテ戦で決定する可能性があった。ボクはそのチケット(ネット裏)
をもっていたので、大阪で優勝が決まったことが嬉しくもあり、残念でも
あった。

■2004年■
バファローズの身売りだ、合併だ、1リーグ制だ、そんな話題が席巻し、
なにやら不穏な動きが出始める。どさくさにまぎれて ホリエモン が登場。
「救世主」として歓迎するムキもあったが、ボクは興味をもてなかった。
決してホリエモンのその後を予見したとかじゃない。テレビのあるインタ
ビューで「もし買収したら、誰を監督にしますか?」と聞かれ、
「うーん、原さんかな」と応えたその一言で、このヒトは野球を知らない
し、興味もないんだなと思った。

ま、そんなこんなで近鉄は消滅した。
そして同じとき、ボクは必死で「バファローズ」という名も記憶から消滅
させようとしはじめた。



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Last updated  2007.02.21 01:09:38
コメント(16) | コメントを書く


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Re:バファローズが消える日(02/20)  
私もいろいろと思い出がありますが、永遠に近鉄バファローズとしてとどめておきたかったので、合併球団がバファローズを名乗ることが受け入れがたかったです。未だに違和感を持っていただけに、早く名前は変えてもらって、思い出を美しいままでおいといてもらいたいです。

>そして同じとき、ボクは必死で「バファローズ」という名も記憶から消滅させようとしはじめた。

このフレーズ、ジワーッと感じるものがありました^^; (2007.02.21 01:50:37)

Re[1]:バファローズが消える日(02/20)  
あいしーぷろさんさん
>私もいろいろと思い出がありますが、永遠に近鉄バファローズとしてとどめておきたかったので、合併球団がバファローズを名乗ることが受け入れがたかったです。未だに違和感を持っていただけに、早く名前は変えてもらって、思い出を美しいままでおいといてもらいたいです。

そうですね。
そっと昔のファンたちの胸にしまっておくのが
いいですね。
(2007.02.21 02:24:24)

なるほど・・・  
浜店1919  さん
「南海ホークス」→「ダイエーホークス」のときは大阪から去ることだけがかなりショックで,「ホークス」は生き続けるのだ,ということでホッとしたような気がします.球団合併でもなかったですしね.
そこが違うところでしょうか? (2007.02.21 11:45:12)

株主の意思で消滅した球団  
デジ1工担者 さん
優勝の美酒を味わったのは確か西本,仰木,梨田の3監督。

千葉茂さん,別当薫さん,岩本義行さん,小玉明利さんらは苦闘を強いられたみたいっすね。

60年小玉明利さんが初めて選出される迄近鉄からはベストナインに選ばれる選手が不思議なことにひとりもいなかったらしいっす。

三原脩さんが監督に就任してから阪急とペナントを争うようになり一時期は盛り上がったすね。

球団内部に軋轢が生じるようになったのは梨田氏が監督に就任してから。安定株主の中から球団売却を主張する輩が現れネーミングライツの問題含め一気に風雲急を告げてくる。

某金融機関の思惑も絡んできてこうなってくるとスポーツ以外の要素が色濃くなってきてしまって個人的には虚しかったっす。華麗なる一族のストーリーからも判るように金融界ってちっとも華麗じゃないというかどす黒いところで野球界にはあまり容喙して欲しくないっすよ。

横浜フリューゲルス消滅の時にも見られた現象っすけど生殺与奪の鍵を握っているのはファンではなく株主達みたいっすね。

あの川崎球場での対ロッテ/ダブルヘッダーは2試合目が有藤さんの抗議で時間切れ引き分けになっちゃい残念でしたね。T濱中外野手の先輩にあたる吹石さん(お子さんがいろんな映画創っててその分野ではイチロー級の天才だそうっす)がバットを短く持って園川投手から打った本塁打忘れられないっすよ。

藤井寺や日生は狭くて本当に本塁打がよく出る球場だったすね。 (2007.02.21 12:10:41)

Re:バファローズが消える日(02/20)  
おたけ9446  さん
合併当初から3年目が終わるとチーム名を変えるとは思ってました。
近鉄バファローズは思い出の中にしまっておきます。 (2007.02.21 12:51:07)

Re:バファローズが消える日(02/20)  
lattecaffe  さん
これだけ記憶を辿れるということは
心の中の隅っこにそっとしまって置いてくださいね!
大好きな球団、選手、あと俺の場合馬とかは
忘れることが出来ないもんですし!
これからもバファローズを大切にしてください☆ (2007.02.21 14:46:40)

Re:バファローズが消える日(02/20)  
航平0857  さん
僕は現在Bsを応援していますけど、変わる覚悟と予想はしていました。ですけど、前々から言っていたような感じだったのでそれほど衝撃は受けませんでした。こういう感じで変えるなら、合併のときに変えたほうがよかったんではないのかと思います。
応援しているチームの名称・バファローズという名が無くなりますけど、本当のバファローズは近鉄消滅時になくなっているんではないのかと。と思います。 (2007.02.21 17:01:31)

Re:バファローズが消える日(02/20)  
non_non7492  さん
近鉄時代が懐かしいです
僕は西武ファンですが、ブライアントに4発
くらった時はあのユニホームがものすごい脅威でし
た。

日テレの放送戦略はちょっとって感じですねぇ
六大学の放映権を獲得したんだから地上波でやれば
いいと思うのですが・・・
早慶戦ならNHKも放送するだろうし
ちょっと残念です (2007.02.21 23:37:56)

Re[1]:バファローズが消える日(02/20)  
lattecaffeさん
>これだけ記憶を辿れるということは
>心の中の隅っこにそっとしまって置いてくださいね!
>大好きな球団、選手、あと俺の場合馬とかは
>忘れることが出来ないもんですし!
>これからもバファローズを大切にしてください☆
-----
ありがとう...(涙)
(2007.02.22 01:58:30)

Re:なるほど・・・(02/20)  
浜店1919さん
>「南海ホークス」→「ダイエーホークス」のときは大阪から去ることだけがかなりショックで,「ホークス」は生き続けるのだ,ということでホッとしたような気がします.球団合併でもなかったですしね.
>そこが違うところでしょうか?
-----
ファンにとっては、受け取り方が違うように思います。例えば身売りであれば、単純な話で済みますけど、1リーグ制移行の中で語られていた面もあり、
事態は複雑化しました。 (2007.02.22 02:03:35)

Re[1]:バファローズが消える日(02/20)  
おたけ9446さん
>合併当初から3年目が終わるとチーム名を変えるとは思ってました。
>近鉄バファローズは思い出の中にしまっておきます。
-----
そうですね。そうします。
でも、いつか再び溢れかえるかもしれませんが(笑)
(2007.02.22 02:07:16)

Re[1]:バファローズが消える日(02/20)  
航平0857さん
>僕は現在Bsを応援していますけど、変わる覚悟と予想はしていました。ですけど、前々から言っていたような感じだったのでそれほど衝撃は受けませんでした。こういう感じで変えるなら、合併のときに変えたほうがよかったんではないのかと思います。
>応援しているチームの名称・バファローズという名が無くなりますけど、本当のバファローズは近鉄消滅時になくなっているんではないのかと。と思います。

その通りですよ。本当のバファローズはすでに
消滅していました。だからバファローズの名を
オリックスが使うことに興醒めしていました。
(2007.02.22 02:11:26)

Re[1]:バファローズが消える日(02/20)  
non_non7492さん
>近鉄時代が懐かしいです
>僕は西武ファンですが、ブライアントに4発
>くらった時はあのユニホームがものすごい脅威でし
>た。

でも、近鉄ファンから見ると、青のユニフォームが
脅威でしたよ。

>日テレの放送戦略はちょっとって感じですねぇ
>六大学の放映権を獲得したんだから地上波でやれば
>いいと思うのですが・・・
>早慶戦ならNHKも放送するだろうし
>ちょっと残念です

教えていただきありがとうございます。
なんだか中途半端な感じですね。 (2007.02.22 02:14:43)

Re[1]:バファローズが消える日(02/20)  
non_non7492さん
>近鉄時代が懐かしいです
>僕は西武ファンですが、ブライアントに4発
>くらった時はあのユニホームがものすごい脅威でし
>た。

でも、近鉄ファンから見ると、青のユニフォームが
脅威でしたよ。

>日テレの放送戦略はちょっとって感じですねぇ
>六大学の放映権を獲得したんだから地上波でやれば
>いいと思うのですが・・・
>早慶戦ならNHKも放送するだろうし
>ちょっと残念です

教えていただきありがとうございます。
なんだか中途半端な感じですね。 (2007.02.22 02:14:49)

Re:株主の意思で消滅した球団(02/20)  
デジ1工担者さん

さっすがデジ1さん、
メチャメチャ詳しい。

>あの川崎球場での対ロッテ/ダブルヘッダーは2試合目が有藤さんの抗議で時間切れ引き分けになっちゃい残念でしたね。T濱中外野手の先輩にあたる吹石さん(お子さんがいろんな映画創っててその分野ではイチロー級の天才だそうっす)がバットを短く持って園川投手から打った本塁打忘れられないっすよ。

-----
吹石徳一の本塁打、私も覚えてますよ。
後日、中西太コーチがインタビューに答え、

「セリーグばかり見ているヒトには、吹石
という地味な選手を知らないだろうけど、
素晴らしい選手がいることを知らせたかった」

と。


(2007.02.22 02:21:24)

経営熱意に欠けた電鉄3球団  
デジ1工担者 さん
パリーグの問題点はなんといっても6球団中電鉄系3球団(何れも本業が好調であったため球団経営には不熱心だった)が関西地区に集中していたことだったすね。

南海黄金期のあと阪急隆盛期が到来したがこの両球団は本気で球場を観客で一杯にしようとは考えていなかった。西武が球団を買い取った時電車の中吊り広告を選手に関する情報で埋めたのとは対照的であり野球について全く無知なスタッフを電鉄本社から球団に送り込み選手を辟易させた。

この当時南海,阪急,近鉄とも沿線人口が増えていた時期であり3電鉄会社自体毎年黙っていても増益だったため球団が赤字でもちっとも困らなかったらしい。

プレーオフの時球場ががらがらだと格好つかないというので西宮球場に阪急電鉄のスタッフを動員し空席を埋めたということもあったが南海対阪急のプレーオフ/73年はそれでも空席だらけだった。

そしてあの野村さんが南海の監督だった当時明らかにスター選手の報酬が安かった。監督業含め1億円以上得ていたのは野村さん(金額は非公開)ただ一人でありONの場合所得税抜きの年俸が公表されていたため他球団選手のスター達は気の毒なくらいその報酬を抑えられていたっすね。

また高度成長期はいわば総中流時代であり五十嵐敬喜氏の分析に拠ると他人が持っていない特殊技能を持った一部の個人が多額の報酬を得ることに対する社会的反発が今とは違いかなりあったらしいっす。

今こうやって格差社会が到来し(人が持っていない技術や技能を複数身につけ自身を多機能化することを含め)個人の努力と工夫次第で幾らでも個人が飛躍することが可能になったがあの高度成長期に近鉄を支えた鈴木啓,土井正博といった往年の名選手があと30から40年遅く生まれていたら今頃どのくらいの報酬を得ていたのだろうか。。。。



(2007.02.23 14:38:16)

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