あま野球日記@大学野球

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2007.08.15
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テーマ: 高校野球(3735)
カテゴリ: 高校野球
元広島商高の夏の甲子園優勝投手、 佃正樹 氏が13日、
食道がんで死去、まだ52歳の若さだった。

佃正樹 さん、
73年夏の甲子園優勝投手。でも、ボクの記憶に残って
いるのは同じ年のセンバツ。準決勝で怪物・ 江川卓 を擁する
作新学院高と対戦、佃投手自身も適時打を放ち2-1で勝利
した。と同時に、江川に140イニングぶりに失点を与えた。


達川光男 (元・広島カープ監督)、そして遊撃手は 金光興二
(現・法政大監督)だった。

そして大学は法政大に進学。
甲子園で対戦した江川卓や、高校時代のチームメイト・金光興二
らと一緒になる。だが、法政に進んでからの佃さん、江川の陰に
完全に隠れてしまい、通算成績0勝1敗で大学野球を終えた。

この当時のことを振り返って佃さん、こんなことを言っていた。


大学に入学してすぐあきらめました。大学時代はほとんど出番
がありませんでした。高校時代に、江川の球を打ったなんて
信じられないなぁ」





佃さん死去のニュースを知るまで、 鍛冶舎巧 氏のことを書こうと
思っていた。大学時代の鍛冶舎さんをボクは憶えていて、今日の

に好感を持っていた。

県岐阜商を卒業後に早稲田大に進学。たしか背番号「24」を
つけた左のスラッガーだった。ボクは田舎の岩手にいてテレビで
早慶戦を見て覚えたのだと思う。「鍛冶舎(かじしゃ)」という
苗字があまりに珍しかったから。


(外野部門)を獲得し、第2回 日米大学野球の日本代表選手
選出された。日本代表のチームメイトには、 田尾安志 (同志社大)
らがいた。

大学を卒業後、松下電器に就職。2年後に阪神タイガースから
ドラフト2位で指名を受けるが、これを拒否。ビジネスマン生活
を貫き、労務部長や広報部長を歴任し、現在は松下電器の役員を
務めている。

その一方で、枚方ボーイズの監督も務めて世界優勝を2度経験して
いるらしい・・・。

なんて多才な人なんだろう。


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Last updated  2007.08.15 23:42:28
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