あま野球日記@大学野球

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2009.05.13
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カテゴリ: プロ野球

昨日(12日)行われたオリックスvs西武戦のこと。

■以下、日刊スポーツより。

調子が悪いなりにも抑えるから負けない。西武 岸孝之 投手(24)が6回を6安打
3失点と粘り、開幕6連勝を飾った。開幕から6戦全勝は53年の西鉄 川崎 以来、
チーム56年ぶり。昨年から続く連勝を12に伸ばし、得意のオリックス戦も7連勝。
「制球が全然ダメだったけど、銀仁朗がうまくリードしてくれた」 と女房役に感謝した。
(以上、日刊スポーツ)


開幕から6連勝。 岸孝之 (名取北高-東北学院大)が絶好調だ。WBCに出場
した投手の何にもが故障を抱える中、惜しくも最終選考で落選した岸にとって今季
は雪辱を果たす一年になるのかもしれない。

岸孝之 の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「WBC岸孝之の高校大学時代」  (2009.2.11) → 
こちら へ。



日刊スポーツの記事には、
「開幕から6戦全勝は53年の西鉄川崎以来、チーム56年ぶり」
と書かれていた。西鉄の川崎といえば、 川崎徳次 を指すことはわかった。
だけど川崎という投手がいったいどんな選手だったか、実はボクはよく知らなかった。


調べてみたら、川崎徳次という人は新たな記録尽くめの豪快な選手だった。
(以下、主にwikipediaを参考にした)


日刊スポーツの記事にあった「開幕6連勝」のほかに、こんな記録ももっていた。


・1948年、最終回のピンチに救援で登板したが、その初球を本塁打された。
それが逆転サヨナラ本塁打となり、プロ野球史上初の「1球敗戦投手」になった。


・1949年、1試合で被本塁打8、13失点を喫したものの、自らが3本塁打を含む
4安打9打点の打撃を見せ、勝利を収めた。この試合で記録した1試合3本塁打は
投手として史上初、9打点は当時のプロ野球新記録だった。
※wikipediaによると、この試合まで川崎は1本も本塁打など打ったことのない
選手だったという。


・1949年オフ、西鉄クリッパーズ(西鉄ライオンズの前身)創設時には、それまで
在籍していた巨人を自ら離れて西鉄に移籍。監督候補者を探していた球団の意を
受け、当時巨人の監督を追われ総監督という「名誉職」に甘んじていた 三原脩
を西鉄に招き入れたのも、この川崎が仕掛けたことだった。


もしこの時、川崎が西鉄に三原を呼んでいなければ、西鉄ライオンズの黄金時代
はそもそもなかったかもしれなかった。川崎、創成期のプロ野球界を育てた重要
人物だったのだ。

三原脩 の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「歴代・名監督達の相関関係(2)」  (2009.5.6) → 
こちら へ。
「物議を醸した三原脩のホームスチール」  (2009.5.4) → 
こちら へ。 

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Last updated  2009.05.14 00:22:13
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斎藤君のこと  
まこと さん
なにがおかしいのですか?あれはヌードとかではないですよ。斎藤君の努力の成果だとなんで思えないのかわかりません。いつも楽しんで読ませていただいていたブログだけに悲しい反応でした。 (2009.05.23 16:28:53)

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