この名文句が生まれたのは1941年(昭和16年)のこと。
「別所」とは言うまでもなく 別所毅彦
さんのことで、同年3月27日のセンバツ2回戦
で起きたアクシデントに由来する。
滝川中のエースとして春の甲子園に出場した別所さんは、岐阜商戦の9回、本塁に
スライディングした際に左腕を骨折。利き腕は右だったため、左腕を肩から三角巾で
吊り下げた状態のまま延長戦を投げ続けた。
左腕は全く使えないため、キャッチャーから返ってくる球はすべてゴロにしてもらった
という話もある。だが、10回、11回と無失点で切り抜けたものの12回途中には体力
が限界となって交代を余儀なくされた。
結局、延長14回の激戦の末、滝川中はスコア1-2で惜敗した。
この時、
別所を讃えた言葉が「泣くな別所、センバツの花」。その言葉とともに伝説と
なった。
「本塁に突入する際に捕手と激突、そして負傷」といった降りは今大会(2009年夏の
甲子園)の花巻東高・ 菊池雄星
と酷似している。
ちなみに、滝川中の4番を打っていたのは 青田昇
さん。本来は投手だったが、別所
さんがエースに君臨していたため控え投手に甘んじ、外野手に転向させられていた。
別所さん、青田さんの滝川中時代の先輩・後輩は、プロ入りしてからも何かと縁が
あった。 三原脩
さんを軸とした 「別所引き抜き事件」
(1948年)もそのひとつ。
ま、この事件のことは後日に。
菊池雄星
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「泣くな菊池、甲子園の花!」
(2009.8.24) → こちら
へ
◇ 別所毅彦
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「大下弘の少年・学生時代のこと」
(2009.8.2) →
こちら
へ。
◇ 青田昇
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「東西対抗戦が実現した背景」
(2009.8.1) → こちら
へ。
◇ 「ボクにとっての日本野球史」
、 INDEX
は こちら
へ。
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