■数か月ぶりにテレビでプロ野球中継を見た。西武vsオリックス戦。投手の後ろからバッターをとらえたカメラには、バックネット周辺に張り巡らされた大小の広告看板が無数並んでいた。いつから西武ドームには、こんなに多くの看板が並ぶようになったのか?まるでどこかの地方球場みたいだ。ただただ見苦しいばかり・・・。
一方、相手のオリックス選手が被るヘルメットには 「SOLAは京セラ」
と書かれていた。 「京セラ」
だけでなく 「SOLA は
」
と書いているのが気になった。企業広告でなく商品訴求の広告もOKなんだろうか。それなら「年利○○%以下はアコム」とか「他店より絶対安いビックカメラ」なんて広告をヘルメットに書いてもいいのか。もしそうなら、まったくスポンサーのやりたい放題だ。
■球団の厳しい台所事情が報じられるようになって久しい。残念ながら球界のスポンサーや親会社への依存はまだまだ続きそうだ。
先日、 川上哲治
氏が著した『遺言』(文芸春秋、2001年刊)を読んだ。その中に「巨人軍は読売新聞の拡材か」と見出しがついた頁があった。内容は1960年代初めのこと、巨人軍が自ら読売本社から離れて独立採算の事業体にしようと試みたことがあったというエピソード。
読売本社の一部門に過ぎなかった巨人軍、予算の決定から伝票チェックまですべて読売の管理下にあった。ただ1960年頃は長く続いた赤字を脱却した時期であり、川上さんも半信半疑ながら、その仰天プランに目を見張ったものだった。仕掛けたのは当時球団代表だった 佐々木敦美
さん。
佐々木さんの目的は、単に巨人軍が読売本社から離れることではない。それは手段であって本当の目的は、ユニフォームを脱いだ後の選手たちの再就職の受け皿作りだった。
「選手諸君はいつかユニフォームを脱ぐ。実力不足やケガ、故障ですぐに野球を辞めなくてはならん選手もいる。コーチになったり、フロントに入ったりできるのはごくまれだ。野球しかやってこなかった人間が、その野球ができなくなったらどうするんだ。巨人軍を中心にしたグループ企業を作れば、本人にも親元にも安心して巨人軍に来てもらえるじゃあないか」
これは、巨人軍専属の運動用具店、ドライクリーニング店、グラウンド整備や運送業務を行う会社、広告代理店や営業面をサポートする会社を作ると、巨人軍と野球を接点にした仕事への再就職が容易になるといった斬新な発想だった。
このプランに就任直前の 正力亨
オーナーが乗った。さっそく実父でもある 正力松太郎
社主に相談に行った。だが正力社主に一喝されて、会談はあっさり終わってしまった。
「いったい何を考えておるか。巨人軍と読売とは絶対に切り離せるものではない」
と。
■この会談の結果を伝え聞き、川上さんは 「巨人軍は読売の営業政策、部数拡大のための先兵役」
だったことに気づいたという。
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