あま野球日記@大学野球

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2011.05.29
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カテゴリ: 近鉄バファローズ

■昨日(5月28日)、早慶戦の1回戦が行われ、慶應義塾大が先勝し春季Vに王手をかけた。今日は雨天順延となったが、慶應の優勝がほぼ確定したようなもの。早慶戦は何が起きるかわからないと言われるが、今の早稲田の戦力では慶應に太刀打ちできない。

わずかの差で優勝を逃すのは、ボクが優勝候補に挙げた立教大。今季の成績は9勝4敗、勝ち点4。見事な成績だったが優勝にあと一歩届かなかった。悔いが残るのは対慶應の3回戦(4月12日)でサヨナラ負けを喫したこと。立教が1点リードして迎えた9回裏、一死一・二塁の場面で信じられないプレーが起きた。制球に苦しむ 小室正人 (3年・日野高)がやっと打ち取った当たりは、平凡なセカンドゴロ。ダブルプレーを焦ったか、二塁手がショートに悪送球。二塁ランナーが生還し、同点に追いつかれてしまった(その後、適時打を浴び、ジ・エンド)。あと少しで勝てた試合を落としたことが、ダイレクトにV逸につながってしまった。野球にエラーはつきもの。エラーをした選手を責められない。立教が負ける「流れ」が、あの試合のどこかにあったということだ。

ボクがもうひとつ優勝候補に挙げた法政大は3位が確定した。チーム状態は「打高投低」で、課題は投手陣にあった。特にエース・ 三上朋也 (4年、県岐阜商高)の不安定な投球が最大の課題だったが、最後の最後に(対明治大3回戦、5月23日)三上本来の投球ができた。速球、変化球をともに低めにズバッと決まめての完封勝利、チームを辛うじてAクラスに留めた。この経験を来季に活かし、真のエースになってほしい。


■話を昨日の早慶戦に戻す。勝利を決めたのは6回裏、 江藤省三 監督が 辰巳智大 (3年、郡山高)に命じたスクイズ。新聞では「江藤監督の采配の妙」と書いていたが、実は 「辰巳へのスクイズのサインは決めていたわけじゃないけど、『打て』(のサイン)なのに打たなかったからと直感的に出したもの」 (江藤監督)が真相らしい。

「打てのサインなのに打たない」 ・・・この言葉を聞きボクは 『江夏の21球』 を思い出した。近鉄・ 西本幸雄 監督が、9回裏、 石渡茂 の打席を回顧して発した言葉がまったく同じものだった。

一死満塁のチャンス。打席に入る石渡に西本監督が告げた言葉は、 「打て!」 だった。ところが 江夏豊 が投げた初球のカーブを平然と見送った石渡に、西本さんは 「なぜ打たないのか?」 「打てと言っているのに打たなかった」 石渡にもどかしさを感じ、直後の2球目にスクイズを命じる決心をしたという(NHKアーカイブスより)。

慶應・江藤監督も近鉄・西本監督も「打てのサインなのに打たない」打者にスクイズを命じ、江藤さんは(結果論だが)成功し、一方の西本さんは(結果論だが)失敗した。同じ土俵で比較することではないけれど、スクイズのサインを出す監督の心情を思う。


■「江夏の21球」。スクイズを失敗した近鉄・石渡茂と、スクイズを読んだ広島・ 水沼四郎 捕手。この2人には中央大時代にチームメイトだったエピソードがある。 二宮清純 「プロ野球の時間」に紹介されていた。以下に引用。

実は水沼と石渡は中大時代のチームメイトで気心の知れた間柄だった。
(水沼は)バッターボックスに入る石渡に一言つぶやいてみた。
「いつやるんだ? スクイズしかないのぉ」
普段なら、冗談交じりで返してくる石渡が、このときはじっとグラウンドを見つめ、何もしゃべろうとしない。私の声に耳を貸さない。いや全く耳に届いていなかったかもしれない。
「絶対に何かある」
石渡の様子から、その思いは確信へと変わった。スクイズがあることは確実だった。
(以上、「プロ野球の時間」)

石渡と水沼は中央大時代のチームメイト? 極めて緊張感が漂う場面で、あまり知られていない人間模様があったのだ! ボクは2人の学生時代のことを調べてみた。ただ詳しいことはついにわからなかった。時期はズレているが、東都大学リーグのベスト9に選ばれた2人の名前を見つけることができたのみ。水沼は1965年秋と1966年春の2回(捕手部門)、石渡は1969年春と70年秋の2回(遊撃手部門)。

ちなみに水沼が65年にベストナインを獲得した時、投手部門で選ばれたのが 高橋善正 (現・中央大監督)だったし、同じ頃、中央大には元・大洋の 中塚雅幸 や元・阪神の 佐野仙好 らがいることもわかった。


■「江夏の21球」。ついでに 江夏豊 平野光泰 のこと。石渡がスクイズを失敗する直前、9回裏無死二・三塁の場面で、江夏は平野を敬遠した。一塁に向かう平野が江夏を睨みつけるシーンがあった。平野の江夏に対する態度はどこか親しげで、旧知の仲のように見えた。ボクはずっとそのシーンが不思議だったが、その答えも二宮清純「プロ野球の時間」に書かれていた。 学年は江夏がひとつ上だが、二人は大阪で甲子園出場を争った間柄だった。江夏は大阪学院のエース、平野は明星の主力打者だった。 (以上、「プロ野球の時間」)

そうか、2人は本当に、高校時代から旧知の仲だったのだ。今度は2人の高校時代のことを調べてみた。すると 『夢を叶える亀★宮大工のつぶやき』 というブログに、2人のエピソードが紹介されていた。

(江夏は)3年時(1966年)の全国高等学校野球選手権大阪大会ではチームとしてベスト4、個人としては予選7試合を1人で投げ、わずか3失点という成績を残した。この時の活躍が阪神タイガースのスカウトの目に留まり、「直球もよいが、なかなか頭の使える選手だ」として一位指名に踏み切るきっかけとなった。なお、高校時代には一度も柵越えのホームランを打たれたことがなく、 唯一平野光泰(明星高校)にランニングホームランを喫したのみである (以上、「夢を叶える亀・・・」)



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Last updated  2011.05.30 23:14:18
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