「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2025.10.25
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2025年10月25日(土)曇


このところの東京は、曇り空と雨降りばかり。今日も肌寒い。今回歩くのは、文久2年(1862年)板「内藤新宿千駄ヶ谷辺図」のうち、現在の新宿区新宿1~4丁目に当たる地区。07:55 新宿4丁目南交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第94回 】を歩き始める。



「天龍寺」を訪れる。天和3年(1683年)に牛込納戸町(現在の新宿区納戸町)から現在地へ移転してきた。ここには江戸三名鐘のひとつとされる「時の鐘」がある(他のふたつは上野の寛永寺と市谷の亀岡八幡宮)。現在の梵鐘は3代目、明和4年(1767年)の鋳造。かつて境内に池があり、渋谷川の源流のひとつだった。切絵図の天龍寺にも池と川が描かれている。



切絵図に「内藤新宿」とあるのは、元禄11年(1698年)に幕府から設置が許可され、翌年開設された宿場。信濃国高遠藩内藤家(3.3万石 譜代)下屋敷の一部がその用地に当てられたことに、宿場名は由来する。日本橋から2里弱の距離にあり、甲州街道の最初の宿場になった。



切絵図の内藤新宿の西端に「追分」とあるのは、甲州街道と青梅街道の分岐点。甲州街道はここで南に折れてから西へ、青梅街道は直進して西へ向かう。現在、新宿3丁目交差点の一角に、「新宿原標 ここが追分」と記された円形の絵地図がある。



「太宗寺」を訪れる。慶長元年(1596年)頃に開かれた草庵が起源とされる。高遠藩内藤家の菩提寺で、歴代藩主の墓所が置かれた。境内にある江戸六地蔵のひとつ「銅造地蔵菩薩坐像」は正徳2年(1712年)の造立。「閻魔像」で知られ、切絵図にも「太宗寺 エンマ堂」とある。



「成覚寺(じょうかくじ)」を訪れる。文禄3年(1594年)創建と伝わる。切絵図には「成覚院」とある。境内の「子供合埋碑」は、内藤新宿で死んだ飯盛女(遊女、子供ともいう)の供養碑。黄表紙といわれるジャンルを開拓し、寛政元年(1789年)に没した戯作者恋川春町の墓所がある。



「正受院」を訪れる。文禄3年(1594年)創建。切絵図には「正受院 三途川老婆」とある。境内の「奪衣婆像」は咳止めに霊験があるとされ、幕末頃には江戸中から参詣者を集めた。頭から綿を被っているのは、祈願の御礼に綿を奉納する習慣があったためで、「綿のおばば」とも呼ばれる。



切絵図に「百人組」「二十五キト云」とある。百人組は幕府の鉄砲隊で、伊賀組・甲賀組・根来組・二十五騎組の4組があり、各組100人の同心で構成された。二十五騎組は現在の新宿1丁目に屋敷があり、与力25騎(他の3組は20騎)が同心を束ね、屋敷地は「二十五騎町」と呼ばれるようになった。08:55 花園小学校前、【 江戸切絵図歩きめぐり 第94回 】はここで終わり。









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Last updated  2025.10.26 08:21:17
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