「歩きつなぎの旅」の記録

「歩きつなぎの旅」の記録

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

Calendar

2026.09.12
XML
2026年09月12日(土)小雨


何年も前から東京の9月は夏という認識だったが、今年の9月は秋の到来を感じさせてくれる。今回歩くのは、安政4年(1857年)板「東都小石川絵図」のうち、現在の文京区小石川1~2丁目に当たる地区。08:30 春日町交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第119回 】を歩き始める。



切絵図に「小石川大下水ト云」とある。小石川大下水は、町屋の排水・雨水・農業用水の末流を集めて神田川へ流すため、もともとあった谷川を改修して造られた人工的な水路。現在、水路は暗渠化されるか埋め立てられるかして、道路などになっている。



「源覚寺」を訪れる。創建は寛永元年(1624年)。切絵図には「源覚寺 コンニヤク閻魔」とある。鎌倉時代の作とされる閻魔王坐像は、右目が黄色く濁っている。宝暦年間(1751~64年)夢枕に現れた閻魔から右目を与えられて治してもらった眼病の老婆が、好物の蒟蒻を断って閻魔に供え続けたという。現在も眼病治療を願う人々により蒟蒻が供えられている。



「富坂」を上る。かつて近くの水戸徳川家(35万石 御三家)上屋敷(現在の東京ドーム・小石川後楽園など)付近にトンビが多かったため、この坂は鳶坂と呼ばれた。これが転じて富坂になったとされる。切絵図には「小石川上冨坂町」「小石川中冨坂町」「小石川下冨坂町」とある。



切絵図に「松平豊後守」とあるのは、下総国多古藩松平家(1.2万石 譜代)の上屋敷。正徳3年(1713年)松平勝以(かつゆき)が、3000石を加増されて1.2万石の大名となり多古藩を立藩、初代藩主に就いた。明治4年(1871年)の廃藩置県まで、松平家は8代に渡り多古藩を治めた。現在、多古藩上屋敷跡地には礫川(れきせん)小学校などがある。



「堀坂」を下る。かつて坂の北側にあった堀家の屋敷に、坂名は由来する。堀家は家禄2300石の旗本。文政年間(1818~30年)堀家が坂の修理を行い「ほりさか」と刻んだ石標を建てたという。現在ある石標が当時のものなのかは不明。切絵図には「ホリ坂」「堀内蔵助」とある。



「六角坂」を下る。かつて坂上にあった六角家の屋敷に、坂名は由来する。切絵図には「六角越前守」とある。六角家は家禄2000石の高家旗本。高家(こうけ)とは、幕府で朝廷・公家関係の儀式や典礼を担当した名門旗本の役職・家格のこと。09:10 六角坂下 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第119回 】はここで終わり。


春日町交差点 → 六角坂下 : 3.2 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 452.3 km )






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.09.13 08:30:03
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: