「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2026.03.07
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2026年03月07日(土)快晴


夜間に降った雨で路面が濡れている。今回歩くのは、万延元年(1860年)板「礫川牛込小日向絵図」のうち、現在の新宿区神楽坂1~6丁目・神楽河岸・揚場町・下宮比町に当たる地区。07:35 神楽坂上 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第105回 】を歩き始める。



切絵図にある「行元寺(ぎょうがんじ)」は、鎌倉時代末期の創建と伝わる。天明3年(1783年)境内で「神楽坂の仇討」があった。父親殺しを討ったのは百姓の冨吉で、その後、旗本に召し抱えられて侍になったという。安政4年(1857年)頃、境内の一部が遊行地となり、ここから神楽坂の花柳界は発祥したとされる。明治40年(1907年)行元寺は品川区西五反田へ移転した。



切絵図に「本多修理(しゅり)」とあるのは、旗本 本多家(家禄 9000石)の屋敷。10代当主忠寛は、元治元年(1864年)天狗党の乱の鎮圧に志願して出兵、さらに江戸警備などで功績を挙げたことから加増。大名に取り立てられて三河国西端藩(1.05万石 譜代)の初代藩主となった。



「善国寺」を訪れる。何故か、門前をアルパカ2頭が散歩中。調べてみると、神楽坂上で「アルパカふれあいランド」が営業している。切絵図には「善國寺 毘沙門天」とある。文禄4年(1595年)馬喰町(現在の中央区日本橋馬喰町)に創建、寛政5年(1793年)現在地へ移転した。



善国寺の本堂前に置かれているのは狛犬ではなく、嘉永元年(1848年)に周辺住民から奉納された石虎。虎は毘沙門天の使いとされる。本尊の毘沙門天は、江戸時代から「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集めた。



切絵図に「牡丹屋舗」とあるのは、岡本彦右衛門の拝領屋敷があった場所。享保元年(1716年)徳川吉宗の8代将軍就任に伴って紀州から江戸へ出てきた彦右衛門は、家伝の薬「熱湯散」の販売を手掛け、拝領屋敷で牡丹を栽培して将軍に献上、屋号を牡丹屋彦右衛門と改めた。宝暦年間(1751~64年)彦右衛門は咎めを受けて家財を没収され、地所は大奥女中らの拝領町屋となった。



切絵図にある「神楽坂」を上る。坂名の由来については、近くの神社で奉納される神楽がこの地まで聞こえたとか、祭礼の神輿が通る際に神楽が奏でられたなど、諸説ある。神楽を奉じたとされる近隣の神社は、穴八幡宮・若宮八幡宮・市谷八幡宮・津久戸明神八幡宮・赤城明神が挙げられる。



「軽子坂」を下る。切絵図には「軽子サカ」とある。軽子とは、軽籠(かるこ、縄で編んだもっこ状の籠)で荷物を運ぶ人足のこと。かつて飯田濠には船着場があり、荷揚げした物資を江戸市中へ運搬する軽子がこの近辺に多く住んでいたことに、坂名は由来する。神楽河岸・揚場町の町名は、この荷揚場に由来する。






神楽坂上 → 飯田橋交差点 : 2.9 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 400.7 km )






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Last updated  2026.03.08 07:30:00
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