「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2026.05.02
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2026年05月02日(土)快晴


快晴。予報によると、今日の東京の最高気温は28℃まで上がるらしい。今回歩くのは、安政4年(1857年)板「雑司ヶ谷音羽絵図」のうち、現在の文京区小日向2~3丁目・音羽1~2丁目に当たる地区。07:50 江戸川橋交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第109回 】を歩き始める。



神田川に架かる「江戸川橋」を渡る。かつて神田川の中流域(関口大洗堰~飯田橋付近)が江戸川と呼ばれていたことに、橋名は由来する。切絵図にも「江戸川橋」とあり、南側を流れるのが神田川(江戸川)、北側を流れるのが神田上水。

音羽の北に位置する護国寺は、元和元年(1681年)5代将軍徳川綱吉が建立したもので、のちに将軍家の祈願寺となった。江戸川橋から真っ直ぐ護国寺へ続く道(現在の音羽通り)は、将軍御成道として整備された。音羽の地名は、桂昌院(綱吉の生母)付きの奥女中音羽に護国寺の門前町が与えられたことに由来する。



「今宮神社」を訪れる。元禄10年(1697年)桂昌院の発願により、京都の今宮神社の分霊を勧請、護国寺内に創建された。明治維新後の神仏分離により、現在地へ遷座。元々この地には田中八幡という神社があったが、別の場所へ遷座した。切絵図には「田中八幡 別當 西蔵院」とある。



今宮神社の脇、切絵図にある「八幡坂」を上る。坂名は田中八幡に由来する。切絵図の八幡坂上に「御賄組(おまかないぐみ)」とあるのは、江戸城内の台所で扱う食料品や日用品の供給を担当する賄方の御家人が拝領した屋敷地。切絵図と現在の地図と比べて見ると、往時の短冊形の地割りがそのまま残っているのがわかる。



切絵図にある「大日坂」を下る。坂の途中の「妙足院」に、かつて大日堂があったことに坂名は由来する。切絵図には「明息寺 大日如来」とある。安政4年(1857年)板「東都小石川絵図」に「ハツトリサカ」とある「服部坂」を上る。かつて坂上に服部権太夫の屋敷があったことに、坂名は由来する。服部家は家禄300石の旗本。切絵図にも「服部権太夫」とある。



「小日向神社」を訪れる。明治2年(1869年)服部権太夫の屋敷跡地に、田中八幡(今宮神社の遷座により移転)と氷川神社(日輪寺の蓮華山から移転)を合祀して建立された。田中八幡は貞観3年(861年)創建、氷川神社は天慶3年(940年)創建とされる。



切絵図に「戸田淡路守」とあるのは、美濃国・三河国大垣新田藩戸田家(1万石 譜代)下屋敷。大垣新田藩は美濃国大垣藩(10万石 譜代)の支藩だった。現在、下屋敷跡地には拓殖大学文京キャンパスがある。






江戸川橋交差点 → 護国寺南交差点 : 4.0 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 418.2 km )






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Last updated  2026.05.03 08:30:59
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