3.結末




 私は、この数日間、ずっと大野君のことを考えていた。

「来週の日曜、3時に、この広場で待ち合わせをしましょう。」

 彼はそう言った。
 私はすぐに答えることが出来なかった。
 他の誰かと待ち合わせをして、あの広場からどこか別の場所に遊びに行くことが出来たら。
 そうしたら、忘れられるかもしれない。私はそう思った。
 けど・・もしも来週の日曜に、大野君が来て、それでもやっぱりあの広場から動くことが出来なかったら・・・。
 そう思うと、とても怖い気がした。私はもう二度と忘れられないのかもしれない・・。

 けれど、実際に日曜が近づくにつれて、私の心はだんだん晴れてきた。
 私は、大野君に会ってから今までのことを何度も思い出していた。ただ暗い気持ちであの広場にいた私は、大野君が話し掛けてくれるようになって、少しだけ明るい気持ちになれた。大野君と話をしているときは、自分が彼を待っているということさえ忘れている時さえあった。前の雨の日もそうだった。雨の日、ずっと私に傘を差しつづけていた大野君のおかげで、私は前向きになることが出来た。

 ・・大野君が居てくれるなら、私は彼のことを忘れられるかもしれない・・・。

 私は決心し、土曜日の夜に大野君に電話をした。

「もしもし、大野君」
「加奈子さん・・。こんばんは。」
「この前の返事・・明日の日曜日、3時に。待ち合わせしましょう。」
「大丈夫ですか?」
「・・わからない・・もしかしたら、やっぱりあの広場からは離れられないかもしれない・・。でも、私決めたの。自分から今の状況を打開しなくちゃって・・」
「うん・・。その前向きな気持ちがあれば、大丈夫ですよ。きっと、大丈夫。」
「それじゃあ、また明日。」
「それじゃあ・・」

 そうして、電話を切った。私は電話を切った後、大野君の「大丈夫」という言葉を何度も反芻した。何度も頭の中で、大野君が大丈夫と言ってくれるおかげで、私自身、大丈夫だという気分になってきた。
 大丈夫、きっと明日は、大野君と待ち合わせをして・・彼のことを忘れることができる。


 ・・・その時、電話が鳴り出した。

「・・俺、だけど。」

 声を聞いた瞬間に、私の記憶から一人の男性の姿が浮かんできた。

「久しぶり・・元気だった?」

 彼の問いかけに、私はとっさに声が出てこなかった。

「・・どうして?」

 少しの沈黙の後、私はやっと声を出すことが出来た。

「・・どうして今まで連絡してくれなかったの?」
「・・ごめん。」

 それは、
私がずっとあの広場で待ちつづけていた、彼からの電話だった。



 ・・・・日曜日は、また雨が降っていた。私は広場の大時計の前で傘を差し、大野君を待っていた。
 思えば、こんなに楽しい気持ちで人を待つのは本当に久しぶりのことだった。


 昨日、大野君と話したすぐ後に、彼から電話がかかってきた。

 彼とは、あの広場で待ち合わせをしていた。しかし彼は、私が夜まで広場で待っていても、現れなかった。そしてそのまま、音信不通になったのだ。私は彼のことを愛していた。彼が居なくなってからも、その現実を受け止めることが出来ずに、あの広場へと通い続けたのだ・・。

 しかし、その彼と電話で話をしているうちに、私は自分の気持ちが冷めているのを感じていた。彼が私との約束を破り、待ち合わせの場所に来なかったことは、完全に彼の自分勝手な行動だったという。
 私はそのことに悲しむことはなく、自分でも驚くほど何も感じなかった。そのうち、どうして彼のことを思っていたのかさえわからなくなっていた・・。
 その時、私は気づいたのだ。私の心の中には、もうすでに大野君が居るのだということを・・。


 私は、この広場で大野君を待ちながら、いろいろなことに思いをはせていた。
 待っていた彼から電話があり、そしてちゃんと別れることができたのだということを告げたら、大野君はなんていうだろう。私が大野君のことを好きだと告げたら、彼はどう思うのだろう。
 そんなことを思いながら、私は少女のようにどきどきした気分で彼のことを待っていた。

 時計を確認すると、大野君との約束の時間の午後3時は、もう30分も過ぎていた。
 その時、私の携帯電話が鳴った。最初は大野君からの電話かと思ったが、ディスプレイの表示は知らない電話番号だった。私は一瞬訝しげに思いながら、通話ボタンを押した。

「もしもし。」
「○○病院の者ですが、山下加奈子さんですか?」
「はい。山下ですが、どうしましたか?」
「落ち着いて聞いてください。大野友宏さんが交通事故に遭われて、こちらの病院に搬送されました・・・・」



・・・あれから、もう10年の月日が流れた。
 駅前の、大きな時計がある広場。毎日たくさんの人が待ち合わせの場所としてこの広場を利用している。私もそんな人々と同じように、大時計の下のベンチに腰掛けて彼を、大野君を待っている。
 彼がもう来ないということはわかっている。彼はもう、死んでしまったのだから・・。
 けれど私は、日曜の午後3時には必ずこの広場へと来ている。そして、周りで待ち合わせをしている人達を眺めながら、彼ことを思い出し、日が暮れた頃に一人で帰っていく。
 大野君が最後に言った言葉「前向きな気持ちがあれば、大丈夫」その言葉を思い出して、今の状況を打開しようと思ったこともあった。けれど、ダメだった・・・。
 今では、このままでいいと思っている。私は、今のままで、大野君を思いながら生きていくだけで、大丈夫。

 私は人を待つことには慣れているから・・。


おわり



あとがきへ

前へ

HOMEへ

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: