Japaneseness in yourself

Japaneseness in yourself

November 4, 2007
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今日、センセイとどんな音楽が自分の中から出てくるか話した。
ほんっと日本人らしくないんだよねとセンセイは言った。
それが売れる音楽とはちと違うということだった。

「白人の好きなカントリー、バンジョーを鳴らしながら
そういう気分で出てきたポップス、
日本人の歌謡曲に少し通じる。
ブルースじゃないよ。」
「日本人に受け入れられるものは洋楽であってもシーズニングされたもの、
カップヌードルのような味付けという気がします」と私は言ってみた。

しっとりした情感というものが俺にはない。かわいてるんだよね」
とセンセイは言った。

でもね乾いているように見えても、乾いているものなんてほんとに少ししかない。
と私は思ったけど、センセイの音楽を聴いたことがないのだからそれ以上は言わなかった。

フランス人に受け入れられるアートじゃなくてもいいのだ。
天城越えからちょっとはずれてみて、愛のコリーダ。
演歌とちょっと違うところ、どっちかというと民謡、不吉・不幸な言われの。
「あはれなるかな きょうだい心中」みたいな。
ものなら、私も喜んで受け入れようと思う。

さて、私は同じNHKでも視聴率、聴く側の好みをしっかりキャッチしてしかも創りだしてきた歌謡ショーではなくて、教育テレビがすきだ。
私のルーツのひとつにそれがある。

「ゆきの日にこたつでみかん、ねことストーブ」というような。
ただそれだけで、日本人のこころにひびく、というような。
それならば参加する。
ピタゴラスイッチも好きだし、でこぼこフレンズもにほんごであそぼも好きだ。
中世的で、平和な日本の子供を作ろうとした、むかしからの教育者たちの努力が見える。


それで電車の中で考えたのだけど、
私の書く詩は良くも悪くも起承転結ができてしまっている。
書き始めは起と承くらいしか思いついてないのだが、
書いているうちに転を思いつき、それで終わろうと思う。
でも、最後の最後にもう一言言いたいという気になって、結局見てみたら
四つから五つのパラグラフになっている。

思えば、昔から国語の教科書に載っていたような文章の正しい作り方とは、どこから来たのだろう。
村上が読書感想文の模範作品なんかは「間」のようなものが大事にされていて俺は苦手だといっていたけどよくわかって、そういうものが善しとされてきたのはいつからで、誰が言い始めたのであろう。もし英語にもそういうものがあるとしたら、本当に文法じゃなくて英語の国語の教科書を繰り返し読まなければ、英語の詩はかけないなあ。というのは、そのルールを破るにしろ利用するにしろ、それを知っていると表現というものはいとも簡単になるからなのだ。





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Last updated  November 4, 2007 11:28:41 PM
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Comments

meru☆ @ Re:Is your life wRock??(01/22) Rockかぁ。 時々聴きたくなるジャンルか…
Dreaming Nataly @ Nope, 自分のためです(笑)。 でも、日曜結局…

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