1
あらゆる歴史的判断の根底に存在する思いは、あらゆる歴史に「現代史」としての視点を与えることです。外人は現代の日本人を特別視しています。日本には、資源が全くありません。国土の大きさも、アメリカの二五分の一、人口も三分の一、その上国土の七割が山。そんな国が、今や経済規模でも、技術力でも世界の一流国。経済の八○%が内需で、金融はこれから世界に進出しようという状態。世界最長寿国で漫画・アニメ・ゲームはハリウッドを凌駕している。こんな日本にいる私たちは、何を思想の根本としているのかを考えると、禅の思想なのです。私は、宗教は何ですかと聞かれたら、多分、仏教です、宗派はと聞かれたら日本宗と答える程度の信仰心のない人間ですが、何気ない判断の基準に必ず、仏があります。ということで、仏教の歴史をたどってみます。
2011年09月21日
閲覧総数 38
2
『子路が政治についてお尋ねした。 孔子言う。 「先頭に立って骨を折ること。ねぎらうこと」 「もっとありませんか」 孔子はいつでも簡にして要を得た答えをされる。 だから子路はときどきわからなかったり、 簡単に考えたり、つまらなかったりする。 もう少し聞かせてほしい。 ところがそこは孔子、よく心得ておりま。 「倦むことなかれ」――途中で嫌になってはいかんぞ、 と言われた』 仕事に倦む、会社に倦む、家庭に倦む、 自分の専門領域に倦む――、そんなとき、 人間は転職を考えたり、離婚に踏み切ったりするが、 多くは自分の姿勢に問題があって 「倦」んでいることには気づかない。 「継続は力なり」とよくいわれる。 継続は「倦」を乗り越えない限り 成就されることはない。 つまり、継続自体、 弱音を吐きがちな自分との闘いを意味している。「安岡正篤人間学」 神渡良平 同文館
2017年01月24日
閲覧総数 1019
3
反省してであれ、考えぬいてであれ、学問してであれ、自分の意志を他人に押しつけることは不可である。 いわんや親に対してはだ。 自分を抑え、親の意を体して親の好きなようにさせるのが正しい。 そういう見方である。 これは儒教の教えと一致するから儒教の影響と考えられるかも知れない。 孔子も、やはり、たとえ親が悪くとも、親のことはお上などに密告しない。 それが孝の自然の姿であり、人倫の基礎だと主張している。 親を捨てることを要求するキリスト教の理念とは正反対の立場に立つわけであろう。 しかし、日本人にとっては、親が「絶対悪」にはならないという前提が大切なのだ。 親が悪いと知っても、親を「絶対悪」の立場で論断する心情は私たちの中にはない。 親の立場を「察す」れば、そうなるのも「無理はない」。 自分の立場も正当であるが、その正当性は、どちらも相対のものに過ぎない。 この相対性を悟ることが一番の、そして最終的な条件なのだ。 同じ相対価値であるという前提の上で、自分の立場を捨てることが親孝行ということになるわけである。 よく絶対的価値を信じないのが古い日本の特徴だという指摘がなされる。 ベネディクトなどの「恥の文化」という日本文化への刻印には、こういう考えが基本となっている。 だが、それは皮相極まる観方でしかない。 私たちは絶対価値の存在は排撃しているのではない。 ただ、日本人は、自分が、そのような絶対価値の体得者であるというお目出たい信念を容易に持ち得ないだけのことだ。 また絶対というものが、そういう言葉の上で表現できるものではないことを知っているだけのことである。「ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界」 会田雄二 新潮社
2015年04月15日
閲覧総数 1434
4
ウパニシャッド哲学で説かれた輪廻の思想は、五火二道説と呼ばれます。これは、人間が死んでから再びこの世に生まれ変わるまでの過程を5つの火になぞらえたものです。これら5つの過程とは、亡骸が荼毘に付されたのち月に行く、雨となってこの世に戻る、大地の一部となって食物に姿を変える、その食物を食べた男性の精となる、女性の胎内に入って転生を遂げる、の各段階です。二道説は、人間の転生の種類を、生前の行為に従って神々の道(解脱への道)と祖霊の道(輪廻への道)の二つに分けたものですが、いずれも五火説を前提としています。この五火二道の思想が、いろんな思想家や、他宗教(ジャイナ教や仏教など)の影響も受け、集大成したものがヒンドゥー教の輪廻観となりました。そして信仰心と業によって来世が決まる、というのが教義のベースとなったことで、のちのカースト制度の位階ができたのです。
2011年10月24日
閲覧総数 1654
5
ニーチェの道徳論は、 「大衆社会の道徳論」という点において 画期的なものでした。 「大衆社会」とは何かという定義をしておかないと ニーチェの独創性は理解しにくいと思いますので、 そこから始めましょう。 ニーチェによれば、 「大衆社会」とは成員たちが「群」をなしていて、 もっぱら「隣の人と同じようにふるまう」ことを 最優先的に配慮するようにして成り立つ社会のことです。 群がある方向に向かうと、 批判も懐疑もなしで、 全員が雪崩(なだれ)打つように 同じ方向に殺到するのが大衆社会の特徴です。 (ニーチェの予見した「大衆社会」は、 その三十年後にオルテガ (Jose Ortega y Gasset 一八八三~一九五五)の 『大衆の反逆』において活写されることになります。) ニーチェはこのような非主体的な群衆を 憎々しげに「畜群」(Herde ヘールデ)と名づけました。 畜群の行動準則はただ一つ、 「他の人と同じようにふるまう」ことです。 誰かが特殊であること、 卓越していることを畜群は嫌います。 畜群の理想は「みんな同じ」です。 それが「畜群道徳」となります。 ニーチェが批判したのはこの畜群道徳なのです。「寝ながら学べる構造主義」 内田樹 文春新書
2015年04月08日
閲覧総数 962
6
世の中を達観仕候に、 一種の公平温厚底の人、 才もなく術もなく、 しかも高位に居して人心服し、 天下安寧に化(か)すること有るやに存候。 公平の徳大なるが故にいたす所に之れ有るや。 公平の二字は宰相の人、 なくて叶はざることに候。 公平温厚の二条はずれて、 高位に居て終を全くするものなきやに存候。 是を以て見れば才は徳に及ばぬことと存候。「偉大なる対話」 安岡正篤 福村出版
2017年02月17日
閲覧総数 430
7
「小型家産制国家」では、 近代化の過程で、 正常な国民経済発展にふさわしいかたちでの 原始蓄積がなされない、 ということである。 「小型家産制国家」を、 近代国家の発展に不可欠な 原始蓄積の観点からとらえてみると、 あらゆる意味でそれに不向きな特徴を もっていることがわかる。 なによりも分節社会というかたちで 国家社会が上下に分断されており、 国民の経済的余力を、 たとえば国家による農民層の全国的搾取 というぐあいに、 中央に結集させることはむつかしい。 首都周辺の農民層はたしかに土地収奪を受け、 搾取されるだろうが、それだけでは 巨大な本源的蓄積につながるはどの 富の収奪にはならない。 また政治権力に「公」と「私」とを区別する 観念が乏しいことから、 蓄積された資本が初期の肝心な段階で 有効に活用されないことが多い。「東南アジア世界の論理」 矢野暢 中公叢書
2018年07月20日
閲覧総数 62
8
白人の弱肉強食、世界制覇(せいは)の野望は、 二十世紀末で終わったわけではない。 軍事力による力の侵略から、 今度は目に見えない文化、文明のソフトの侵略、 たとえばビッグバンやヘッジファンドの金融・経済侵略や、 IT(情報技術)による情報侵略で アングロサクソン的世界基準で 世界制覇を狙(ねら)っているのである。 われわれは安易に今はやりの グローバリゼーションの罠(わな)に掛かってはならないのである。 そのためにも白人、 特にアングロサクソンの本性を探っておかねばならない。 白人による世界史の「流れ」は、 ルネッサンス、産業革命、フランス革命、アメリカ独立と 一貫した精神で貫(つらぬ)かれている。 それは自分たちの考え方こそ真実であり正しいと信じ、 それによって世界を動かそうという 白人たちの理想主義によってつくられた流れである。 この白人の理想主義は、 それに反対するものは許さないという 一種の思い上がった狂気を内包している。「破約の世界史」 清水 馨八郎 祥伝社
2019年01月08日
閲覧総数 6037
9
松永久秀は、フロイスが信長に面会する直前に、信長に宣教師を追放するように懇願しました。しかし信長は、たったひとりのキリシタンが都にいて、それで一国が乱れるというのは、久秀の心がせまい、といって笑いました。信長はフロイスに帽子、こんペいとうをいれたガラスびん、砂時計、だちょうの卵など南蛮の珍品をおくられて喜びましたが、目覚まし時計は構造が複雑だから、手もとにおいてもむだであるといって受けとりませんでした。また、信長はフロイスとの面談で仏教僧侶らの「忌むべき生活と悪しき習慣」をながながと説き、「坊主らは金銭を得、肉体を喜ばす以外に望むものがない。」といいました。そして、その日づけでフロイスの京都居住と布教を公認する朱印状を出しました。異国への好奇心もありましたが、僧侶の堕落をにくみ、それへ対抗する役割をキリスト教に求めたのです。
2024年10月01日
閲覧総数 25
10
科学革命における天体の幾何学の大きな礎石は、コペルニクス(N.COpernicus1473-1543ポーランド)の地動説によってすえられました。ケプラー(J.Kepler1571―1630ドイツ)およびガリレオ(GalileoGalilei1564-1642イタリア)がそれを発展させました。ガリレオは、他方で物体の運動の力学つまり動力学を創始しましたが、それは地上の物体の運動を扱うにとどまります。ただしガリレオはその力学研究で、個々の自然現象を研究する方法の原則を確立しました。ニュートン(p.38)は、それらの学者のあとをうけて動力学を天体に適用して発展させ、地上の物体と天体と、この自然界のすべてのものが統一的な力学の法則にしたがうことを明らかにしました。ここにおいて、古代からの天界と地界の区別は完全に消去されました。科学の方法という面では、ガリレオが示した研究の原則をさらにしあげ、加えて科学の1分野(力学など)の知識を統一的な体系にまとめました――なお、実験が科学研究の方法として定着することにかんしても、ガリレオとニュートンは重要な役割を果たしました。
2024年10月25日
閲覧総数 30
11
アジアが欧米の支配下におかれはじめたのは約五〇〇年前からです。西欧はインド洋へ、東南アジア諸島へ、東シナ海とアジア大陸へ、南アジアからポリネシアへ、アメリカ大陸へ大航海時代の先頭を切って海外進出をします。アジア進出に先んじたのはポルトガルとスペインで、両国はイベリア半島におけるイスラーム勢力に対する国土回復(レコンキスタ)を達成すると、ポルトガルは一四九八年のヴァスコ・ダ・ガマのカリカット到着を皮切りに、インド総督アフォンソ・デ・アルブケルケが一五一一年にマラッカを征服して以降、東南アジア沿岸部に拠点を築いていきます。スペインは一五二一年にマゼランの艦隊がフィリピンに到達して、一五七一年にはマニラを含むフィリピン諸島を征服しました。やがてこれらすべてが植民地化されていきます。日本も蚕食される危機を迎えていたのですが、襲うには航海地理上では遠く、信長や秀吉も警戒を強めて早めにキリシタン禁制にとりくみ、鎖国(海禁)に踏み切ったので植民地化を免れました。
2024年11月01日
閲覧総数 17