全16件 (16件中 1-16件目)
1

☆ ↑風蝶草(ガウラ)・茜(あかね)☆以前、花びらの色が、濃いピンクと白のぼかしになったガウラを見かけ、調べたことが有りました。その時、他にも花びら全体が濃いピンクの「小紅」や、ぼかしの「茜(あかね)」、全体に白っぽい「甲斐桜」という種類が有ることを知り、気になっていました。つい先日、その中の一つ「あかね」が、すぐご近所の家で咲いているのを見つけました。「甲斐桜」は、一番多く見かける種類に似ていますが、未だ「小紅」は見たことがありません。いつか出会えるのを楽しみにしています。(下の写真は、7月21日の日記に掲載したガウラです。)↑ガウラ・あけぼの↑ガウラ日野春ハーブガーデン→ガウラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆ サルビア・コクネシア ☆元は、十年以上前に、ピンクの苗を植えたのが始まりでした。以来、毎年こぼれ種が勝手に芽を出して、庭中に咲きほこっています。色は、ピンクだけで無く白と赤もありますが、赤は少し遅くて、今年はようやく咲き始めました。↑ 古い写真を引っ張り出してきました。( 撮影:2007年 )
2015.08.29
コメント(8)

☆むかし僕が死んだ家・東野圭吾・講談社文庫・1997年5月15日 初版第一刷( 1994年5月、双葉社より単行本刊行 )それは、7年前に別れた恋人からかかって来た、一本の電話が全てのはじまりだった。彼女は「会って話を聞いて欲しい。あなたにしか頼めないから」と言う彼女の口調から、事情の深刻さは察せられた。彼女の名は、旧姓、倉橋沙也加。結婚して娘が1人いるという。私は、大学の理学部物理学科の研究助手で、その傍ら、新聞社が発行する月刊誌に「科学者が見た社会現象」というコーナーの記事を書いている。翌日、待ち合わせ場所にやって来た彼女は、一年前に亡くなった父の遺品の中に有った「真鍮の鍵と、便箋にインクで書かれた簡単な地図」を見せた。「父親は、時々この場所に行っていたと思う。自分には小学校に上がる前の記憶が全く無い… 。この鍵が何かを突き止めれば、きっとあたしの記憶も戻ると思う。一緒にこの場所に行って欲しい」という。ようやく辿り着いた場所は、別荘地からも外れた森の中で、そこには灰色の家が建っていた。台所には冷蔵庫が有り、中にはコーラなどの飲み物、子供部屋には、ランドセルや、ソフトビニール製の怪獣のおもちゃや、使われた形跡の無いグローブ、SLの雑誌、6年1組 御厨祐介と名前が書かれた算数のノートと日記帳…。電気製品はあっても、電気そのものがその家には引かれていなかった。その家の中の全ての時間は、23年前の11時10分で止まっていた。人が住んだ気配が全く無い、この家は、一体誰が、何のために建てた物なのか・・・。沙也加の記憶が徐々に蘇り、封印されていた幼児期の忌まわしい事実が明らかになって行った。その「家」は、かつて別の場所に有り、焼失してしまった家に似せて建てられたものだと判明…。住むための建物ではなく、火事で死んだ御厨祐介と父親の御厨雅和、そして「沙也加」という名の女の子のための「墓標」だった… 。☆☆☆
2015.08.29
コメント(0)

☆ よこはまプレミアム商品券 ☆↑よこはまプレミアム商品券、冊子(参加店舗一覧)↑3冊申し込みました。商品券の内訳=500円券×2枚、1000円券×11枚(1万2000円分)各地で様々な形の、プレミアム商品券が発売されているようです。横浜市では凡そ下記の内容で、購入希望者を募集しました。発行総数=96万冊販売価格=一冊、1万円商品券額面=1万2千円分発行総額=総額115億2,000万円購入限度=1人10冊まで利用期間=平成27年8月21日(金)〜平成27年12月31日(木)参加店舗(利用できる店舗)=店舗の届出住所が横浜市内にある小売店、飲食店などのうち、参加店舗として登録した店舗応募者多数の場合は抽選。当選者には、8月中旬に「当選通知」が届くことになっていました。1万円で、1万2000円分の買い物が出来るのですから、とても魅力的!ならば、限度いっぱいの10万円分申し込めば良い良いように思うのですが、思案の末、我が家では3万円分だけ申し込みました。3万円だけにした理由は、二つ有りました。一つは、年末までに大きい買い物をする予定が無かったこと。もう一つは、我が家が一番多く利用する「Oスーパー」が、締め切り間際になっても参加していなかったことなのです。そのため、果たして年末までの4ケ月間に、どれだけ使い切れるか読めなかったのです(^^;;今回、「商品券の応募者」と「商品券が使える参加店舗」を同時進行で募集したため、最初の内は、使えるお店が少なくて限られていました。その後は少しずつ増えていったのですが、絶えずホームページでチェックする必要が有りました。普段からパソコンやスマホを使い慣れている人でないと、これはとても面倒です。仕組みがよく分からなくて、商品券を購入する側、参加店舗の両方共に、応募出来なかった方がいらっしゃるのではないかしら、と思いました。8月21日から当選通知と商品券の交換が始まり、商品券で買い物が出来る様になり、私も、今日初めて使いました。念のため、未だに参加店舗に記載されていないOスーパーに聞いてみると、ナント「参加店舗の第2次募集に応募していますので、少し遅れますが9月半ばから使えます」との返事・・・。今更そんなこと言われても・・・σ(^_^;)商品券を申し込む前に、決めて欲しかった …>_
2015.08.25
コメント(4)

☆ 庭の花たち ☆↑ジギタリス↑トレニア & サルビア↑ブルーサルビア↑トレニア↑ゴーヤカーテン昨日も日中の日差しの強さは相変わらずでしたが、夜になると窓から入る風が冷たくなって驚きました。夏の間元気がなかった庭の花たちは、人より先に秋の気配を感じていたのか、急に元気を取り戻して来ました。猛暑のなか、息も絶え絶えで枯れてしまうかと思ったブルーサルビアが息を吹き返し、トレニアも咲き始め、背は低いものの、ジギタリスが又咲いています。三本のゴーヤはますます元気で、2階のベランダまで生い茂り、毎日たくさん実を付けてくれます。和裁教室やご近所、ラジオ体操のお仲間に配りまくっています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆ 散歩道の花たち ☆↑公園のどんぐり
2015.08.24
コメント(6)

☆出世花(しゅっせばな)・高田 郁・角川春樹事務所、2011年5月18日 第一刷発行(2008年6月、祥伝社文庫より刊行された作品に、若干の加筆・修正の上、新版として刊行されたもの。作者のデビュー作)久世藩の藩士、矢萩源九郎は、幼い娘の艶を連れ妻仇討ち(めがたきうち)の旅に出た。寛政5年(1793年)、飢え凌ぎに誤って毒草を食べてしまった二人は行き倒れとなる。下落合にある青泉寺の住職に助けられたが、源九郎は住職に艶を託し死んだ。助かった艶は、住職から「縁」と言う名をもらい、新たな人生を歩むことになった。青泉寺は死者を弔う「墓寺」であった。真摯に死者を弔う人々の姿に心打たれた縁は、自らも湯灌場を手伝うようになった。4年の歳月が経ち、9歳で清泉寺に来た縁は、寛政9年(1797年)のこの年、13才となっていた。縁の利発さを見抜いた内藤新宿の菓子商、桜花堂の店主佐平と後妻のお香から、縁を養女にしたいと申し出でが有った。縁は、申し分のない話を断り、寺に残りたいと言う。住職の正真に「お前が何を考え何を望んだのか、お二人に隠さず話すがいい」と促され、お縁は話し出した。母のこと、父のこと。父が亡くなった時に見た湯灌のこと…… 。そして、「死人を洗うなど、身の毛がよだつ」と受け取られていることに衝撃をうけたこと… 。震える声で、お香は「お父上と母上の名前を聞かせておくれでないか?」と問うた。「父は、矢萩源九郎。母は、登勢と申しました」という返事を聞き、お香は意識を失って倒れてしまった。その日を境に、佐平・お香夫婦と、お縁の縁はぷっつり切れた。いつの頃からか、風に乗って次のような噂話が聞かれるようになった。江戸は下落合村に青泉寺という名の寺があり、そこには「三昧聖」と呼ばれる娘がいる。三昧聖の手にかかると、病みやつれた死人は元気な頃の姿を取り戻し、若い女の死人は化粧を施されて美しさで輝くようになる。三昧聖の湯灌を受けた者は、皆、安らかに浄土に旅立って行くのだ、と。お縁は、15の年から湯灌を任されるようになり、3年の月日がたっていた。湯灌記録を綴っていることを知った、同心、窪田主水は「無冤錄述」と言う、検視のための手引き書を貸してくれた。毒草や毒薬の知識を深めていた縁は、時には、定廻り同心の新藤から意見を聞かれるほどになっていた。ある日、正念とお縁が遠出の湯灌から戻ると、寺門の外に2挺の駕籠が待機していた。待っていた老人は、正念を「若」と呼び、生母のお咲きの方様が危篤のよし、伝えに参りましたという。「早う私と共に」といい、手を伸ばして腕を取る老人に、正念は「仏門に入った時より俗世との縁は断ち切っておりますゆえ」といい、その場を立ち去った。翌朝訪ねて来た、正念の異父妹と名乗る、あや女の「生きているうちに、母を見舞って欲しい」と言う願いにも、態度は変わらなかった。見送りに出たお縁に、あや女は「兄は、母のことを心の底から憎んでいるのに相違ありません…」といい、帰って行った。やがて、お咲きの方が亡くなり、菩提寺を通じて、あや女からお縁に湯灌の依頼が来た。敬愛して止まない正念の、余りにも普段の姿と違う態度… 。「きっと何か訳が有るはず… 」と思ったお縁は、湯灌に同行して欲しいと正念を説き伏せた。遺族が見守る中、お縁と正念の手で湯灌が済み、お縁は死化粧を終えた新仏に一礼して後ろに下がった。その場に居合わせた人々が引き寄せられるように亡骸を取り囲んだ。新仏は、まるで何か楽しい夢でも見ているのかのごとく、口角を上げ、微笑んで眠っているようだった。その表情に、もはや病苦の痕はない。仏の夫である多聞が、正念に向かい「毘沙門にお願いがございます。副葬の品として、亡き妻の好きな母子草を棺に入れ、お浄土に持たせてやりとうございます。毘沙門手ずから手折りし母子草ならば、必ずや亡き妻もお浄土まで持参できるはず。…… 」といい、 あや女共々、玉砂利に額を押し付けた。正念はじっと考えたあと、寺の一角の陽だまりに群れている御形(おぎょう=母子草)を手折り、自らの手で新仏の手に持たせて、棺を閉じた。正念は一足先に帰り、お縁は、借りた紅を返そうと、ひと気の無くなった湯灌場で一人待っていた。遺族が骨揚げまで待つ小さなお堂に誘った多聞は、娘のあや女とお縁に向かい、正念が出家するに至った事情を話しはじめた。☆主な登場人物♣︎縁 幼名は「艶」、のち「縁」〜「正縁」。父は久居藩下級武士の矢萩源九郎、母は登勢。母は、男を作って家を出た。妻仇討ちの放浪の果てに父が頓死。青泉寺で育ち、三昧聖となる。♣︎正真下落合にある墓寺、青泉寺の住職。高潔な人格者。♣︎正念青泉寺の修行僧。元は武家の出で、出家に至る複雑で哀しい過去を持つ。♣︎香内藤新宿の菓子商「桜花堂」の店主・佐平の後妻。
2015.08.24
コメント(0)

↑矢の根梵天化(ヤノネボンテンカ) 別名=高砂芙蓉(タカサゴフヨウ)同じ町内の、Hさんの家の塀越しに咲いているのを見つけ、写させて頂きました。花の直径は、5~6cm、ムクゲや芙蓉によく似ています。名前は「矢之根梵天花(ヤノネボンテンカ)」といい、夏の茶花だと教えて下さいました。ラジオ体操の行き帰りによく通る道なのに、これまで気が付きませんでした。帰宅して調べてみると、別名を「高砂芙蓉(タカサゴフヨウ)」といい、アオイ科の落葉低木で、南米原産の帰化植物だと分かりました。いただいた枝を花瓶に活けて眺めると、花びらの裏側に赤い筋が入っていて、とってもお洒落〜!残念ながら、一日花で、早くも昼過ぎには萎み始めました( ; ; )
2015.08.19
コメント(6)

↑帆船 日本丸にも …↑コレットマーレ6Fからの眺望↑アットイーストにも…↑ランドマークプラザにも …↑ ピカチューの大行進↑動く歩道にも …夏休みで、高2と中1の孫娘が二人来ていました。今日は「インサイドヘッド」を観たあと、桜木町駅前の、コレットマーレ6Fにある「梅蘭」でランチ。そのあと、二人の買い物に付き合い、みなとみらい線の「みなとみらい駅」で、二人と別れました。ランドマークプラザを通り抜けて、地下鉄の駅に向かう途中、ピカチューの行進に遭遇しました。あちこちに、ピカチューがいるのには気が付いていましたが、思いがけないことで吃驚!親子連れに混じって、夢中で写真を撮ってしまいました。これ迄、子供だけでなく、大の大人が可愛いいと夢中になっているのを不思議に思っていましたが、一糸乱れず行進する様は、確かに可愛い・・・。ついつい着ぐるみだと言うことを忘れて見ていました。8月30日迄の夏休み期間中、ドックヤードガーデンなどを中心に、ピカチューのイベントをやっている様です。イベントの詳細はコチラをどうぞ → ピカチュウわくわく探検チュウ!
2015.08.15
コメント(8)

↑雌しべと雄しべ(雄しべが根元についています)真夏の強い日差しにも負けず、いつも行くコミュティセンターの近くに咲いていて、以前から気になっていました。同じ赤でも、ハイビスカスの「朱赤」と違い、どちらかといえば「紅色」に近い色で、この季節にはちょっと暑苦しい赤です。雄しべの付いている位置と、葉の形から、ハイビスカスでは無く、芙蓉の仲間の様です。色々調べてみた結果、どうやら、アカバナフヨウ(アメリカフヨウと日本の芙蓉の交配種)だと分かりました。植物図鑑Weblio辞書→ アカバナフヨウ(赤花芙蓉)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ハイビスカスの雌しべと雄しべ先端が雌しべ、雄しべはめしべのすぐ下に付いています。ハイビスカスと槿や芙蓉との見分け方は、以前、ボタニカルアートの先生に教わりました。
2015.08.12
コメント(12)

↑コリンキー(左) & 青ナス(右)近くの菜園の即売市で、赤いかぼちゃと、青ナスを買いました。赤いかぼちゃは、昔からある普通のかぼちゃだとばかり思っていました。けれど、貼り付けてあった「コリンキー(かぼちゃ)」という名前が気になって調べてみました。すると、思いがけないことが判明しました。コリンキーは山形県の、山形セルトップとサカタのタネによって2002年に品種登録された、生食できるカボチャの品種なのだそうです。薄く切って生で食べたり、ジャムにも出来るとか…。まだ食べる決心がつかなくて、眺めています (*^^*)コリンキー・かぼちゃの品種青ナスは、皮が緑色をしていますが、切り口は普通の茄子そのものでした。色々食べ方があるようですが、今回は米茄子と同じ様に、何時もの我が家の調理法で頂きました。真ん中をスプーンでくり抜き、そこに、ひき肉、タマネギ、くり抜いたナスの粗みじん切りを炒めて塩胡椒したものを詰めます。ピザ用チーズをたっぷり載せて、アルミ箔で包み、オーブンで焼きました。いただく時に醤油を垂らします。ナスも、チーズも、口の中でとろ〜りと溶けてとても美味しいんですよ。これは、その昔、箱根で食べた味が忘れられず、以来、我が家の定番料理なりました。
2015.08.11
コメント(6)

天の梯(そらのかけはし)♤ みをつくし料理帖シリーズ 10(完結編)☆天の梯(そらのかけはし)・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2014年8月18日 第一刷発行早朝、翁屋の楼主、伝右衛門が澪を訪ねて来た。夏の旱魃を慮り、遅れに遅れていた吉原への引移りが、長月九日、重用の節句の日に決まったといい、ついては商い始めに「鼈甲珠」を是非売り出したいという。芳と共に一柳へ移る様にと勧める、柳吾と芳たちに、澪は「食は天なり… 。ある方に教わったその言葉が私にとって全てです。… 後世に名を残すことを望まず、残すなら、名前でなく料理でありたい…」と言い、三人に向かって、深々と頭を下げた。澪は、芳のいる一柳を頼らず、飯田川沿いの貸し家を借りて、そこで「鼈甲珠」を作り、まずは持ち帰り用の惣菜などを商う算段をつけていた。澪の行く末を案じて訪ねて来た源斉は、下戸で有ることを忘れて、酒粕を使った肴を進められるまま口にしつつ、じっと思案にくれるている。黙々とつけ揚げを摘みながら言葉を探しているようだったが、結局見つけられず、ゆっくり腰を上げたもののよろけ、咄嗟に抱きとめようとした澪ともども、二人して尻餅をついた。源斉は、送って出た澪に「あなたが、どこかへ行ってしまうのではないか、と… 」あとは言わずに、そのまま足早に帰って行った。一柳が自身番へ届けた客の忘れ物は、製造販売を禁じられている「酪(らく)」だった。店主の柳吾が自身番に引っ張って行かれ、酪について「何か」を知る佐兵衛は、柳吾を助けるため、澪に妻と娘を託し町奉行所に自訴した。佐兵衛の自訴により事態を重く見て調べていた奉行所は「酪」製造販売に係わったとして登龍楼を厳しく取り調べ、登龍楼は取り潰しになった。間も無く柳吾と佐兵衛は解き放された。佐兵衛は、澪に「お解き放ちの時、吟味方から内々で教えてもろうた。「白牛酪考」という書を引き合いにして、私を庇うてくれはった人がおったそうや」と話し、また「幕府重鎮の覚えもよく登龍楼とも因縁のあった御膳奉行さまの進言やそうや」と。そして、そのお方が、縁も所縁もない者のために、なぜそこまでしてくれたのか分からないとも言った。自らの愚かさを悟った佐兵衛は、もう一度料理人としてやり直したいという。佐兵衛の話を聞き、助けてくれたのはかつての想いびとだった小野寺数馬だったと気付いた澪は、佐兵衛に一礼すると駆け出した。真っ直ぐ行けば富士見坂という名の急な下り坂…。2度と来ることのないはずの場所だった。辻に立ち、両の手を合わせると、小野寺の屋敷に向かって、深々と首を垂れた。顔を上げ、何気なく富士見坂の方面に目をやると、坂の手前に、凝然とたたずむ人影を認めた。霞立つ遠景を背負った男は、渋い褐返しの紬の綿入れ羽織がよく似合う。小野寺数馬、その人だった…。つる家を訪ねて来た攝津屋は、あの鼈甲玉を手にしたあさひ太夫の錦絵を見せ、太夫が大変なことになっていると言う。錦絵に描かれた太夫の天女の如き美しさが、人々の話題になってもて囃され、大名やら豪商やらが、執拗に太夫との饗宴を強いることになった。あさひ太夫の旦那衆三人は、とてもあさひ太夫を年季明けまで翁屋に留め置くことは出来ないと頭を抱えているという。澪に四千両もの太夫の身請け金が用意出来るのか、攝津屋は悠長には待てない、と言い置いて帰って行った。約束の4日後につる家を訪れた攝津屋に、澪は「鼈甲玉には特別な調味料を用いていますが、その仕入先も含めて、作り方の一切を翁屋に売り渡し、以後、私は鼈甲玉から手を引きます」と言った。澪の答えを聞いた攝津屋の肩が上下に揺れ、笑いは徐々に大きくなり、ついには両の手を打ち呵呵大笑に至った。幾らで売るつもりだとの問いに「四千両です」との、打てば響くような答えに、札差は顎を撫で、にんまりと笑った。「弥生15日は梅若忌、昼見世のの始まる前に翁屋へ来なさい。お前さんが伝右衛門と商談をする席に私も立ち会いたいのでね」と言い置いて帰って行った。何が野江にとって幸せか…、思い惑う澪は、ふいに化け物稲荷が脳裏に浮かび、神狐に呼ばれた気がして駆けた。境内に駆け込むと、そこには源斉がいた。澪の悩みを聞いた源斉は「あさひ太夫を澪が身請けすれば、それは太夫にとって一番の吉祥であると同時に、一番の枷になるでしょう。女に身請けされたとなれば、噂は世間を巡り、江戸にいる限りは、生涯好奇の目で見られることになる。澪が太夫を身請けするなら、廓を出た太夫は江戸で暮らすべきではない」と言った。そして、澪も一緒に、大坂へ移るのが良いという。戸惑う澪に、源斉は、私にとっての心星は、病に苦しむ人を救うことで、御典医になることではない。実は先達て亡くなった恩師から大坂に医塾を作ろうとの話が進んでいて、大阪行きを勧められていたことを打ち明け、「澪さん、私と夫婦になってください」と、手を握りしめた。鼈甲玉の材料、その入手方法、そして作り方を記した書付を、翁屋に四千両で買い取ってもらいたいと言う澪の申出でを聞き、話にならぬと席を立とうとした伝右衛門に、攝津屋と二人の旦那衆から絶妙な加勢が入り、話は纏まった。澪はこれ迄の鼈甲玉の売り上げの全てである金貨銀貨のぎっしり詰まった箱を出し、皆様にお願いしたいことがございますと頭を下げた。攝津屋は「札差などと言うものは、滅多に驚くことが無いが、お前さんの申し出には心底驚いた。…… お前さんが太夫を身請けしたとなれば、太夫は生涯、それを負い目に思うに違いない 。太夫の幸せを一番に、との言葉は胸に沁みました」よろしくお願いしますと頭を下げる澪に、誰があさひ太夫を身請けするのか、お前さんの案は、我々の心を打ちましたといい、太夫が吉原を出る卯月朔日に向けて、あらゆる手を尽くしますよと、結んだ。命の恩人である又次への償い、四つで亡くなった娘を野江に重ね合わせて、その幸せを心底願う攝津屋なればこその振る舞いだった。つる家の人々を前に、これ迄の一部始終を語り終えた澪は「私は野江ちゃんと一緒に大坂に帰ります。…… 生まれ育った故郷に戻りたいのです」と頭を下げた。女二人の身で大坂へ行く事を案じる人々に、攝津屋の力添えがあること、それに「源斉先生もー」と、言いかけた澪の言葉を、種市が遮った。やがて、芳、源斉、源斉の母 かず枝も揃った。源斉は「奥医師にとの話を断って大坂へ行く事を選んだのです。父の立場にも大いに障りました。周囲の風当たりも強く長田家と絶縁するのは至極当然です。ただ、士分を捨て、澪さんと夫婦になることに関しては、母が皆を説得してくれました。『料理人、医師同然程の役也』という、かつての大老、土井利勝の遺訓を引かれては、誰も何も言えませんからね」そう話して、源斉は楽しそうに笑った。澪を促して下座に移った源斉は「… 大坂に移り、この澪さんとふたり、手を携えて生きて参ろうと存じます。私は医学の道、澪さんは料理の道。互いの道を重ねて実りのある人生にします。どうぞお許しください」と、二人揃って深々と頭を下げた。源斉は、澪や野江より一足先に船で大坂へ向かうことになった。見送りの澪に、攝津屋から「高麗橋のそばに、澪が料理の腕を存分に振るえるような調理場を持った住まいを探すように頼む」との文を受け取ったこと、そして、その返事に「澪が早晩料理屋を開きますので、住まいとは別に、こじんまりしたつる家のような造りの貸し店を探します」と書き送ったと伝えた。その朝、江戸町の通りから、一群が姿を現した。先頭に立つのは翁屋の番頭、続いて伝右衛門、若い衆に守られて、純白の薄衣を被衣とした、あさひ太夫が現れた。大門が開け放たれた。あさひ太夫の身請け人が誰か確かめようと、誰しもが眼を凝らした先には、塗り駕籠が一艇控え、前後の提灯には、野江(あさひ太夫)の生家である「高麗橋淡路屋」の名が堂々と記されていた。攝津屋の同行を受けて、野江と澪はゆっくりと二十日ほどかけて大坂を目指した。船ではなく歩いて旅をすることで、野江は身についた遊里の垢を落とし、徐々に町の暮らしへと馴染んでいく。一行が大坂の地に戻った卯月二十二日、元号が文化から文政へ変わった。淡い雲が広がる空のもと、二人にとって思い出深い天神橋は、洪水のあと架け替えられて、幼い日に渡ったものではないはずが、二人の目には昔と少しも変わらない。十六年前のあの日、水に沈んだ街は、息を吹き返し、多くの命を育む。声もなくその景色を眺める二人の目に、うっすらと涙が浮いていた。二人が持つ片貝は、澪の掌で漸く一つになり、澪は橋の欄干から手を差し伸べ、そっと落とした。「雲外蒼天」二人の胸に、その四文字が浮かんでいた。
2015.08.11
コメント(0)

↑大池と旧燈明寺三重塔↑ミズカンナ↑旧燈明寺三重塔とハス池↑午前10時、強い陽射しに息も絶え絶えでした。↑ハスの葉のシャワー写真は、朝顔展を見に行った時に写しました。今ごろになってハスの花が咲いていましたが、やはり例年と比べるとうんと少ないそうです。ハス池のそばで、面白い物を見つけました。蓮の葉を丸く切り抜き、茎にホースを繋いでありました。四方八方に広がる葉脈の切り口から、水がポタポタと流れ出ていて、まるでシャワーです。横浜三渓園 → 横浜三渓園 公式サイト
2015.08.08
コメント(8)

↑露草陽が差す前は、露草が一番綺麗なとき…。これも早朝散歩のご褒美の一つです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ピンクのデュランタ次々と、花が咲き出しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑夾竹桃葉に毒が有るからでしょうか。最近、余り見かけなくなりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑モミジアオイ友人の家の庭で咲いています。以前、wordを使って描いたことがあります↓。今度は、絵筆を使ってスケッチブックに描きたいと思いつつ、果たせないでいます。Wordのオートシェイプ画・2010年夏
2015.08.07
コメント(6)

☆ 変化咲き朝顔 ☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆ 大輪朝顔 ☆9時の開園時間に合わせて、朝顔展を見に行って来ました。私は、今回初めて見せて頂きましたが、三渓園の朝顔展は、今年で34回目なのだそうです。横浜朝顔会の皆様が丹精込めて育てられた、大輪朝顔と変化朝顔が展示されていました。朝顔の前で、黙々と絵を描いている少年がいました。聞いてみると、会員の方のお孫さんでした。邪魔をしない様にそっと覗いてみて、余りの上手さに吃驚しました。今日の横浜の最高気温は35度とか。熱中症を心配しましたが、海が近いのと緑が多いからでしょうか、吹く風も心地よく、そんなに暑さを感じませんでした。嬉しいことに、今年は諦めていた蓮の花が、今ごろになって綺麗に咲いていました。♧ 第34回 三渓園朝顔展会期:2015年8月5日(水)~8月9日(日)、午前9時~正午まで会場:三渓園外苑主催:横浜朝顔会、三渓園保勝会、横浜市緑の協会の共催朝顔展の会場はこちら →横浜三渓園
2015.08.05
コメント(8)

↑ ブルーベリー入りマフィン冷凍してジャムにするのもなんとなく勿体無くて、少しずつ摘まんで味見しただけで、ほとんど冷蔵庫に保存しています。計ってみると、約200gありました。その内の100gを使って、娘がマフィンを焼いてくれました。手塩にかけて育てたブルーベリーだからでしょうか、マフィンは、ほんのりブルーベリーの香りがして、お店で買ったものとは、一味も二味も違う様に感じました。土作りから始まって、苗を選び育てたのは主人。マフィンを焼いたのは娘…。よく考えると、私は、時々草取り、時々水やり、時々収穫…。それだけでした(o^^o)お二人さま、ご馳走様でした。
2015.08.03
コメント(10)

♤ みをつくし料理帖シリーズ9☆美雪晴れ(みゆきばれ)・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2014年2月18日 第一刷発行美雪晴れ芳と一柳の店主、柳吾との祝言は、年が明けて初午の日と決まった。柳吾の世話で、つる屋の新しい料理人も決まり、澪がつる家から巣立つ日も近い。澪は、芳と一緒に一柳へ移って来る様にとの、柳吾の誘いも断り、「鼈甲珠(べっこうだま)」を吉原の花見に合わせて一人で売ることを心に決めた。鑑札も持たない澪は、吉原で振売りの妨害にあい、一度は断念したが、澪のあさひ太夫との関わり、その想いを知る難波屋の後押しもあり、再建中の妓楼「翁屋」の前で「鼈甲珠」を売る承諾もとれた。登龍楼の『天の美鈴』と同じ値の、一つ二百文で売り出した「鼈甲珠」は、日増しに評判が上がり、弥生晦日までのひと月に、合わせて五百ほど売り、実に二十五両を売り上げた。伊勢屋が失火から焼け、財産没収に等しい過料と在所所払いの罰を受けた。美緒は生まれたばかりの赤子に飲ませる乳がでないと言う。澪は、辛い想いをしているであろう美緒に、死んだ母親から乳の出がよくなると教わった芋茎(ずいき)の料理を食べさせたいと、あれこれ試作を繰り返していた。芋茎の湯葉巻きの味見をした源斉は、美緒のための料理だと見抜いた。源斉は、つる家の店主種市から「澪にこれ以上危ない真似をさせたくない。一日も早く一柳へやりたい。澪には一柳の料理場が相応しい」と、澪を説得して欲しいと頼まれたことを明かした。そして「料理人としてどう生きたいかを決めるのは澪さんです。周りがとやかく言うべきではない」と言った。そして、澪の想い迷う心のうちをじっと聞いていた源斉は「あなたは『食は、人の天なり』と言う言葉を体現出来る稀有な料理人なのです。私からすれば、あなたほど揺るがずに、ただ、一つの道を歩き続ける人はいない…」と言った。源斉の言葉が、澪の心を縛っていた迷いの糸を断ち切り、澪の前には一筋の道が残った。澪の両目から溢れる涙に、じっと見入っている源斉は、澪の料理人としての心星を、澪自身よりも先に見出していのだ。その事実に澪は畏怖を抱くと同時に、これほどまでに大きな存在に、傍で見守られていたことに強く胸を揺さぶられた。♯ 巻末 特別収録・富士日和その日、御膳奉行、小野寺数馬は、目黒行人坂の茶屋で寛いでいた。一腕の茶を飲み、思わず洩らした「旨いな」という声に、向いの床几で箸を使っていた男が顔をあげた。年の頃は三十前後か、穏やかな双眸が親し気にほほえんだ。男の持つ白木の割籠に詰められているのは、俵型の握り飯に梅干し。仕切りを隔てて黄色く乾いた何か。興味を覚えてわずかに身を乗り出し「それは湯葉では無いのか?」と問うた。進められるまま、さくさくと軽やかに嚙みすすめ、思わず「ううむ」と唸った。湯葉巻きの中身と調理法、それに流山の白味醂まで言い当てた数馬に、男は箸を置いて居住まいを正した。相模屋の店主 紋次郎と名乗り、弁当は懇意にしている料理屋の主が持たせてくれたものだと言う。煮切った味醂の使い方、味噌と合わせた調理法など鷹揚に話す数馬を、只者ではないと察した紋次郎は、塗りの重箱を大事そうに開いた。きらきらと琥珀色に輝く透き通ったものが、切り分けて収められている。琥珀色の中に閉じ込められているのは卵白だろうか、……。勧められるまま、数馬は一切れを口に運ぶ。寒天のぷりぷりした歯応え、出汁に玉子の味、何より味醂の気高い味が舌を魅了する。更に一切れを差し出して、紋次郎は話した。「三十年ほど昔、大阪で好評を博した『琥珀寒』といい、店の大阪生まれの料理人が苦労して再現したものと聞いております」刹那、数馬の脳裏に下がり眉の女料理人の顔が浮かんだ。店の名を問う数馬に「俎板橋傍の、つる家という料理屋でございます」とこたえた。ーこの命のある限り、ひとりの料理人として存分に料理の道を全うしたいのですー雪の中、懸命に許しを請うていた娘の姿が、その声が蘇る。そうか、お前はここまで来たのだな。そうかそうかと胸のうちで繰り返し、数馬は口中の幸福を飲み下した。
2015.08.03
コメント(0)

↑我が家の鹿の子百合絵のモデルにする積りで植えたピンクの鹿の子百合が咲きました。ゆっくり絵を描く気分にもなれず、せめて写真だけでも残して置くことにしました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆ 散歩道の花たち ☆↑向日葵↑向日葵とフウセンカズラ↑ 菜園の周囲の花たち朝の散歩道は、季節が変わる度に様々な花や風景と出会える楽しみと、不思議が一杯です。毎朝、少しずつ違う道を歩く様にしていますが、同じ道路でも1~2週間経つと違った表情を見せてくれるのです。この菜園は、サツマイモ、カボチャ、ミニトマト、青菜・・・。様々な野菜が植えられていて、今は、生垣代りに写真の様な花やつる性の野菜などが植えて有ります。無人の即売コーナーが設けられていて、なんでも一袋 100円。細長いカボチャもミニトマトの小袋も同じ100円。大きさからすると、カボチャの方が断然お得だと思うのですが、見たこともない姿のカボチャを買うのは勇気がいるかも・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ ん・ゴミ?↑もしかして花?↑小さい小さい花でした。先日見つけた不思議な姿の「アスパラ・デンシフロルス・マイヤーズ」に花が咲いていました。最初はゴミがついているのかしら?と思って近づいてみると、小さい小さい花でした。
2015.08.01
コメント(6)
全16件 (16件中 1-16件目)
1
![]()

