あのにこやかな顔をテレビでみせている著者だが、本来バリバリの反権力ジャーナリストだ。オウム真理教のドキュメンタリー「A」を撮った
森達也
についても友人として、この本でふれている。p101
どうもこの本を読んでいて、私は、ちょっとピンとこないところがある。権力と市民(ジャーナリズム)の対置は、どこか<帝国>とマルチチュードの対置を彷彿させるが、どうも、そこに「ロマン」がない。なんだろう、マルチチュードを考えているときの「エロチシズム」がない。
つまり、マルチチュードにある「想像の詩」のような、壮大なロマンが、大谷が告発するところの「ジャーナリズム」にはない。それは、日本で私が暮らしている生活の中で、より具体化された問題だ。もちろん、看過されてはならない大事なテーマだ。いま考えておかなくてはいけない大事なテーマだ。
だが、なにかが足りない。反権力、というところから、さらなる大きな世界観が見えてこない。監視カメラは今にはじまったことではない。地域共同体なんて、相互スパイのような束縛しあう関係だった時代が長く続いてきたのだ。今はその束縛が、象徴としての監視カメラが描かれているが、著者の書く世界が、そのくびきを断ち切っているとは思えない。
自由とはなにか、未来とはなにか、人間とはなにか、なにかもっと刺激的で大きなものが欲しい。
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