「創価学会の実力」
島田裕巳 2006/8 朝日新聞社
私
がこのこの本を読もうと思ったのは、標題にある団体についての関心から、というより、著者そのものに関心があったから、といったほうが正しい。そして著者に関心を持ったのは何故か、といえば、著者のいままでの活動に共感なり反感なりを持ったというより、著者が好むと好まざると深く「関わり」を持ってしまった別な団体への関心が強かったと言っていいと思う。
そしてその別なる団体への関心がなぜ強いかといえば、それは失われたと言われる1990年代を問い直すところに、強い必要性、必然性を感じている私がおり、そしてなぜその90年代とやらを問い直したいと思っているかといえば、ひとつのカオスや極限の中に、ほのかにではあるが、ものごとの真実や、何事かの真実なるものが成長する時の萌芽が隠れているからではないか、という期待感があるからである。
で
は、なぜその真実やその萌芽というべきものを探求したいのか、といえば、人間とはなにか、人間は何故いきているのか、そもそも私とは誰か、という根源的な問いかけ、人間としての根源的な問いかけとして、もしこのブログがなんらかのきっかけになることができればよいなぁ、という淡く、かすかではあるが強い希望があるからである。
では、この本の標題にあるような団体が私にそのきっかけを作ってくれるか言えば、いままでのところ、そのような機会はなかった、と言わざるを得ない。もちろん、私が日本社会に生きていてこの団体の存在を知らないわけがないし、隣人にその会員がいないわけではない。いや、数え上げれば、すぐにでも二桁の人々を思いつくことができる。
しかしながら、その団体を考えたり、その会員と触れたりしていることによって、私が、人間としての根源的な部分に下りていくことができたか、あるいはできそうか、と考えると、それは全く期待はずれ、としかいいようがない。それは縁というものでもあるかもしれないし、また、求めるものそのものが間違っている、としかいいようがない。
私には、この団体についての情報や知識を得ることは、私自身にとっては、なにごとかのはぐらかしになってしまうようである。周辺や遠隔部ばかり目が行ってしまい、三面記事的なスキャンダリズム的時間かせぎになることはあっても、自分の中の何かが深まった、という実感はない。むしろ、私には、この団体についてはいわゆる一般的なアレルギーにも似たものがある。
さ
て、失われた90年代において、この本の著者が関わった問題の大きなものとして、オウム真理教がある。こちらの団体についても、上の団体以上に社会的に弾劾されているし、私自身のアレルギーも半端なものではない。ただ、アレルギーがあったとしても、いつかは直視せざるをえないだろう、という想いがある。世界を震撼させた1995年の事件以降すでに12年が経過したとしても、なお、清算されず、なお謎と残ってしまっている何か、を感じざるを得 ないのは、
私だけではない
。
その直視する機会が、いままではほとんどなかった。私個人で言えば、目をそらし続けてきた、と言っていいと思う。そして、今ようやくその機会がやってきたのかどうかも実はわからない。しかし、すこしでもその機会の訪れが近づいてきているとするならば、その兆しとして、私はこの本を読んだことになる。
著
者は、日本のニューエイジの草分け的な一冊となった、 フリッチョフ・カプラの
「タオ自然学」
の翻訳者の一人である。その本が出版された1979年ではまだ26歳。宗教社会学を研究する新進気鋭の学徒であった。まったく同年代の私にとっては、まさに綺羅星のような期待の同世代人であった、ということができる。松岡正剛ひきいる工作舎からこの本はでている。共同翻訳者はC+Fの吉福伸逸らである。まして、原著のカプラ自身がまだまだ駆け出しの存在だったとしても、その後の一連の著作からして、きわめて重要な一冊であったということができる。
著者 は
ヤマギシ会
にも属
していたことがあるという。そのような著者が、90年代にどのような軌跡をたどったのか。そして、現在、標題のような本を書くに至ったことを、時代の損失、才能の損失、と嘆くか、あるいは天の配剤で、彼にこそ与えられた特命というものがあり、今こそその使命をいかんなく発揮する時がやってきた、と喜ぶべきなのか・・・。正直私にはわからない。
す
くなくとも、なんども図書館では見かけた彼の一連の著作、そして、借りて来ては長いこと枕元に重ねられていた数冊の彼の本、その一冊にようやく手を伸ばしてみた、というところである。この本を読んでいる私を見て、表紙のタイトルを見ただけで、向い側の妻は笑った。この本のタイトルに何かお笑いの要素があるのだろうか。たしかに、本書でも触れているように、この団体の広告塔(というほどでもないとのことであるが)と見られているお笑いタレントも何人かいる。でも、笑 っちゃうのはこの団体だけではなく、他の団体や
他の政治的団体
にも同じような傾向がでてきているようだ
。
ともすれば笑っちゃうようなこの本に、込められている意味はそれほど軽くはないと思う。日本が戦争に突き進んでいった時代の宗教性、戦後の日本社会の工業化にともなう人間社会の変貌と権力のあり方。そして21世紀を迎えた現代の真なる精神性のあり方への問いかけ。この本のなかにそれらの答えがお手軽に書いてあるとは思わないが、それを探求しようとする著者の姿勢は、素直に感じることができる。私は、もうちょっと蛮勇を奮って (?)
彼の本
をすこしづつではあっても
読み進めてみたい、と思い始めている。
その男ゾルバ<2> 2007.07.30
ネットは新聞を殺すのか 2007.07.30
投資信託にだまされるな! 2007.07.30
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