「インディアンの夢のあと」
北米大陸に神話と遺跡を訪ねて
徳井いつこ 2000/02 平凡社 新書 235p
★★★☆☆
河合隼雄
に「
日本の女性たちはなかなか活動的だ」と紹介された本書、1960年生まれの著者が1996~98にかけて複数回にわたった旅の記録をまとめたものだ。前編は南西部のアナサジの遺跡、後編は、中西部から南部に点在するマウンド(塚)を取材している。
一読して、アメリカのネイティブ世界が書かれている、というより、むしろ、アルフォンソ・リンギス の
「何も共有していない者たちの共同体」
のような
世界を連想した。この本の特徴は、その視線の先にあるオブジェクトだけではなく、そこにいて、その視線を向けている者、その者の心象も書き出されているところにある。
4年もロサンゼルスに住みながら「いくつかの土地を旅してロサンゼルスに帰ってきたときに感じる絶望的な齟齬感」p4を感じていた著者は、「ここはどこだろうか?」という問いに愕然とする。そんな著者は、次第にインディアンの遺跡を訪ねる旅に惹かれていく。
あるひとつのことが気にかかる、あることに惹かれる、何かを調べ始めるというとき、人はいつも主体と客体の両方を演じている。呼びかける自分と、応える自分である。アメリカ・インディアンの遺跡に惹かれ始めたとき、考古学者でもない私がせっせと古いことを調べ始めたとき、呼びかけてきたのはなんだったのだろうか? 認識されることを待っていた他人の古い記憶? いやそれは私自身の記憶ではなかったかと思い始めている。
p7
この感性は、このブログについても言える。主体と客体の両方を演じながら、認識されるのを待っていたのは、他人の古い記憶ではなく、自分自身の記憶ではなかったのか、という思いには、共感する。ホピの土地であるコロラド・プラトーを訪れた著者は、「帰ってきた」と、心の中で叫んでいた。
この土地にやってくるたび、いつも自分の属する場所、本当のルーツがある場所にいるのだ、と感じる。親類縁者が踊りを踊り、その温顔をそろえて待ってくれているような気持ちになる。まるで現実ばなれした、理不尽な感情だった。じっさいこの土地に住んでいる友人と呼べるのは、デキストラひとりぐらいなのだ。
p75
彼女の旅の記録は、フィールド・ワークとしては貴重な資料となるに違いない。チェロキーの神話「火の獲得」p222や伝説「角のある蛇」p223なども紹介している。
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