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「超シャンバラ」
、
「オサマ・ビン・ラディン発言」
、
「アガルタの凱旋」
す でに108エントリーに達したカテゴリが9つあり、すでに<再読>モードが終了したのは7つのカテゴリ。残るは「アガルタ」と「レムリア」の 2つのカテゴリと、まだ108エントリーに達していない「チェロキー」カテゴリだ。この3つのカテゴリは実は非常に入り乱れている。すくなくとも「アガルタ」と「レムリア」の区別は判然としない。「チェロキー」がなかなか進行しないのも、実は、この2つのカテゴリの暗闇から光がでてくるのを待っている、という趣きがあるからだ。
ではあっても、とにかく、このブログとしては、そろそろ中間報告、中締めをしなくてはならない。それで、この3つのカテゴリについては、<再読>モードでありながら、<再読>を終了しないまま、このまま同時進行をしていこうと思う。それにつけても、それぞれのカテゴリの<この一冊>だけは、とりあえず選出しておく。
ア
の中の、<この一冊>は「超シャンバラ」である。この本は 、
「空洞地球」
と一緒に読まれるべきである。あるいは 「X51. ORG THE ODYSSEY 」
も役立つだろう。もちろん、 レムリア・カテゴリの3冊
との連動もある。今は判然としないことが多すぎる。しかし判然としないまま進まなくてはならない状況にある。あるいは煩雑な世界へ進入することのためらいもある。どうなるかはわからないが、とにかくこのカテゴリではこの一冊を選出しておこう。
この本は再読しただけでは終わるまい。三読、四読、ないし、読書を離れたところでのなにごとかが必要となるであろう。そういった意味では不用意に手にとるべき本ではないと感じる。小説や仮想社会、あるいはSFといった範疇にオーバーラップするかに見えながら、今のところはかなりスタンドアロンで孤立している段階ではないか。うまくネット上に乗るかは、それこそ乗るか反るかの大問題と、見えているのだが、どうだろう。
O サマ・Bン・Lディンの名前をむやみに書き込むことは、いろいろな意味において軽々しく行ってはならない。であるにかかわらず、ここに残されているのは、少なくとも読んではいますよ、気には留めてますよ、という程度のことである。ちゃんと読んだからと言って、そのことをこのブログに書いていいかどうかは、判断がつきかねる。このブログの速読の粗雑さの中でOBLが扱われていった場合、なにか大事なものが損なわれてしまう可能性が大だ。
いつまで経ってもわからないこと、ついには解決しなかったことなども、あって構わないと思う。であるがゆえに、ものごとにおいては時間がたっぷりかかってもよいこともあり、ゆっくり解決してこそ、正しいものが導き出されることが多くある。私は彼についての関心は静かにあたためながらも、ゆっくり自分の中で熟成してくるのを待っている。
マ イルス・デビィスのLPは、私にとってはまた別な意味合いを持っている。横尾忠則のカバージャケットが最高にいい。だが、まだ中身を聞いていないのだった。再生するLPプレイヤーが私の身の回りから消えてしまったからだ。ただ、幸いに公立図書館にCDとして収められているので、他の人の視聴が終わったら、私のほうに回ってくる予定なので、そちらの動きを待とうと思っている。
図書館利用は、書籍からVHSやDVDと来て、音楽CDへと動きつつあるところだ。おいしいケーキを急いで食べてしまうのもいいかもしれないが、ゆっくり後まで楽しみにとっておくのいいだろう。その辺は単に個人の嗜好でしかないが、この辺あたりまで来ると、嗜好性をさらに超えて、ライトタイム、ライトプレイスでものごとが起こり始めるので、すこしはそのハプニングの動きに注意深くなっている、と言うこともできる。
最後に残った<再読>10冊 2007.12.02
シンギュラリタリアン・カテゴリ 最後の… 2007.12.02
SF映画100年史(10) SFヒーロー列伝 2007.12.02
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