「オサマ・ビン・ラディン発言」
<再読>
オサマ・ビン・ラディン /ブルース・ローレンス 2006/08 河出書房新社 単行本 393p
No.895★★★☆☆
初 読 時もきちんと読めたわけではないし、一年経過したからと言って、キチンと読める段階になったわけでもない。ただ、このような本があるのだ、ということは記憶しておきたいし、何かのきっかけでキチンと読めるようにならないだろうか、と、チャンスを狙っていることは間違いない。しかし今回も、 =<再読>したいこの3冊= アガルタ カテゴリ編 の中の一冊として、<再読>してみても、どのようにとらえたらよいか、ちょっと悩んでしまうのは事実。
この本を9.11の張本人の犯行声明として読んでしまうのはあまりに短絡的であろうが、まったく無関係でもないし、また、そのことに私自身が関心をもつことに、どこかぎこちない感じが残ってしまう。アメリカ<帝国>とイスラム<宗教>の戦いのようにとらえてしまうのは、私の趣味ではないのだが、どちらも、その流れの中で解釈されることを、半ば期待しているようなところがないでもない。
「十 年前に仮想社会が登場してから、世界が印刷物からインターネットへ、有線通信から無線通信へと移行するなか、彼は仲間たちとニューメディア向けの声明を慎重に練り上げ、つぎつぎに発表してきた。」 p13
いろいろな反権力闘争やテロリズムの活動がある中で、たしかにアルジャジーラなど新しい報道機関の使い方が新鮮だ。あるいは9.11の事件の起こり方自体が、今までの単純な仕組みでないところが、なんとも新しい視点からの「ハイテク」なイメージが残る。
「ア ル・カイダは、1970年代にヨーロッパで活動を始めたテロ組織、『赤い旅団』のアラブ版---いわばそのお直系の後継者---であり、それをごまかすための手段であるというのだ。」 p26
ここで「赤い旅団」という名前がでてくることはびっくり 。
「<帝国>」
「マルチチュード」
の著者アントニオ・ネグリは 「赤い旅団」
のリーダーとも目されている。ここになんらかのコネクションがあるのかどうかなんてことは、一個人にはまったくわからない。あまり疑心暗鬼になるつもりはないが、いろいろな可能性について、簡単に否定もできない。
「日 本は、この戦いに何の関心があるというのか。いったいなぜ、この厳しい、激しい、残忍な戦争に参加したのか。これはパレスチナのわれらの子供たちへのはなはだしい侵害であり、日本はわれらと戦うことになるとは思いも寄らなかったはずなのだから、自国の立場を再検討するべきである。」 p190
これはインタビューに答えたOBL本人の言葉だ。このような発言はメディアを通じて一般の日本人に伝えられることはほとんどないと思われる。ただ、彼からしてみれば、日本は彼らと戦争を開始していると見ているのだ。何故だ、と彼は問うている。
「客 観的に言えば、いまや多くの人びと---称賛者か批判者かにかかわらず---からアメリカ帝国と呼ばれている存在を相手に、ビン・ラディンは戦いを挑んでいる。ここで留意してもらいたいのは、彼自身はこういう言い方をけっしてしないことだ。これまでに公表している声明に、「帝国主義」という言葉はでてこない。彼は、敵を表現するさいに別な言葉を用いている。彼にしてみれば、<ジハード>の敵は、帝国主義ではなく『世界的不信仰』である。」 p25
世界的不信仰、という単語に、彼の思い込み、あるいは思想や哲学、宗教の根源が隠れている感じがする。なぜに彼は「世界的不信仰」が許るすことができないのか。世界がすべてイスラム社会になればいいとというのだろうか。相手に対する寛容さを、この言葉から引き出すことはできるのだろうか。
「わ れらは、尊厳と名誉とともに暮らしており、そのことをアッラーに感謝している。この山地の樹木の下で暮らすほうが、アッラーの最も神聖な地の宮殿に住むよりもよほどいい。地上で最も神聖な地にあるというのに、不正がはびこり、アッラーへの不敬という不名誉にさらされているのだから。アッラーの他に力はなし。」
地下洞窟が縦横に発達しているという地域に彼は隠棲しているのではないか、と言う人もいる。そんな言葉から、地下都市アガルタのイメージを連想してしまう私はそうとうにイカれていると言えるだろう。そうでもしないと理解できない自分が情けない。この本を三読する時は、くるだろうか。
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