「鈴木大拙全集(第11巻)増補新版」
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「歎異抄」を読む
全集として編まれたこの巻のなかには、3つの本が合本されており、「Zen and Japanes Culture」として1938年に発行された「禅と日本文化」、1959年に「Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture」として改訂された「続・禅と日本文化」、そし1961年に追補された「日本仏教」という文章が含まれている。
「続・禅と日本文化」には「禅と日本人の自然愛」、「禅と能」、「禅と茶人」、「禅と問答」、「禅と空観」などが含まれている。「日本仏教」の中には、8つの章があって、浄土真宗についての展開が多く、あり、最後は「『歎異抄』を読む」という文で締めくくられている。
親鸞については、当ブログが経過してくるプロセスの中では、幾度となく遭遇してきたのだが、どうもタイミングを計りかね、後回しになっている。特に現在は、禅、あるいはZenに向かう途上にあるので、親鸞は、まだまだ後回しになる気配だ。
もうだいぶ昔の話だが、70年代の文化が花咲こうしていた頃、フォークソングは「使用前」、ロックは「使用中」、演歌は「使用後」、というジョークのような笑い話があった。その笑い話の例えがあっているかどうかはともかくとして、当ブログでいえば、 フィンドホーン
のようなニューエイジを「使用前」、 OshoのようなZen
を「使用中」とするなら、私から見れば、親鸞や浄土宗、浄土真宗は、どうしても「使用後」と思えてしまうのである。ちょっと、演歌っぽい。
個人的には、神道や禅宗は、わりと身近で、次に日蓮宗。浄土宗や真宗は、あまり縁がない。むしろバブテスト教会や内村鑑三や「キリストの幕屋」のほうが近い。だが、読書を進めていると、あ、この人も最後は親鸞かよ、と思わせられることがたびたびある。いつかはまとめて、その辺をうろつきたいとは思っているが、今はまだ時期早尚である。私はまだ「使用中」だ。

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