OSHO ZEN TAROT
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なにはともあれ、Osho・Zenタロットを引いてみる。毎日すこしづつそのヴァイブレーションと波長を合わせる。ひとつひとつのカードの意味もあるし、そのカードの位置も、なにかといわくありげだ。なんども引いていて、位置はあちこちだが、何回かでてきて、まずは、ちょっと気になるカードがこれ。「中途半端なテクニック」と言われてもちょっと困るが、なにごとか、私の中のなにかをヒットするのだろう。
抜け目なく器用であってはいけない。さもなければ、あなたは同じままだ。変わりはしない。愛の道における中途半端なテクニックと瞑想の道における中途半端なテクニックは、あなたのなかに多くの混乱を引き起こす。それらは助けにならない......。
だが、助けを求めることはエゴに反する。だから、あなたは妥協しようとする。この妥協はもっと危険なことになる。あなたはさらに混乱することになる。
妥協の結果、さらなる混乱が生じるからだ。だから、なぜ自分は妥協を強く望んでいるのか、理解しようとするがいい。遅かれ早かれ、妥協は助けにならないことが理解できるようになる。それに、妥協はどちらの方向にも行こうとしないやり方なのかもしれないし、自分の混乱を抑圧しているだけなのかもしれない。混乱が頭をもたげてくることになる。なにひとつ抑圧してはいけない。自分の状況をはっきり認識しているがいい。そして、もし混乱しているのだったら、自分は混乱しているのだと覚えておくことだ。これが、あなたに関してまず第一にはっきりしていることだ--つまり、あなたは混乱しているということだ。
あなたは旅を始めたのだ。
解説
: 昔、日本の朝廷では、従僕は些細な罪を犯した罪人で去勢されている者のなかから選ばれることがよくありました。彼らは朝廷の動きを知りつくしていたために、しばしば政治的、社会的陰謀の中心にあって、影の権力を大いにふるっていたのです。このカードのふたりの人物は、私たちが自分自身の真実を妥協させてしまったときに入り込んでしまう、あさはかな茶番劇のような状況を思い出させてくれます。歩み寄り、自分たちとは違う見地を理解し、反対勢力との調和を目指して働くことと、「屈服し」、自分の真実に背くこととは、まったく別です。それを深く見抜いたら、私たちはなにかを--権力であれ、他者からの承認であれ --なにかを得ようとしているのだということがよくわかってきます。誘惑されそうになったら、気をつけましょう。この手の妥協で得られるものは、後味が苦いのが常です。
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