<2>よりつづく
OSHO ZEN TAROT
65. 罪悪感
この瞬間! この<今ここ>……。なにかを達成しようという観点から考えはじめると、それが忘れ去られてしまう。達成しようとする心が湧いてくると、あなたは今いる楽園とのつながりを失ってしまう。これは解放をもたらす最良のアプローチのひとつだ——それはまさに今、あなたを解放する! 罪などすべて忘れてしまうがいい、聖人らしさもすべて忘れてしまうがいい。どちらもばかげている。このふたつがいっしょになって、人間の喜びをすべて破壊してきた。罪を犯した人は罪悪感を感じている。喜びが失われているのはそのためだ。たえず罪悪感を感じていたら、自分はこんな悪いことをした、あんな悪いことをしたと告白するためにいつも教会に行っていたら、どうして生を楽しめるかね? 悪いこと、悪いこと、悪いこと ……あなたの生全体が罪で作られているようだ。どうして楽しく生きられるかね? 生を楽しむことなど不可能になる。あなたは重くなる、荷重がかかってしまう。罪悪感があなたの胸の上に岩のように居すわり、あなたを圧しつぶす。あなたを踊れなくしてしまう。どうして踊れるかね? どうして罪悪感が踊れるかね? どうして罪悪感が歌えるかね? どうして罪悪感が愛せるかね? どうして罪悪感が生きられるかね? だから、自分はなにか悪いことをやっていると思っている人は、罪の意識をいだいている。重荷を負い、死より先に死んでいて、すでに墓に入っている。
Osho
Take it Easy
, Volume 1 Chapter 3
解説:
罪悪感は、私たちが捕まってしまいかねないもっとも破壊的な感情のひとつです。ほかの人にひどいことをしたり、自分自身の真実に背いたりしたら、いうまでもなく私たちは気分が悪くなります。しかし、自分自身を罪悪感で打ちのめしてしまうと、偏頭痛を呼び込むことになってしまいます。その結果、自分を疑い、自分には価値がないという、口やかましい雲に取り巻かれ、結局は、生が私たちに差し出そうとしている美と喜びをなにひとつ見ることができなくなってしまいます。私たちはみな、もっと良い人になりたいと望んでいます——もっと愛にあふれ、もっと醒めていて、もっと自分自身に真実でありたい、と。しかし、失敗したからといって自分を罪悪感で罰してしまうと、失望と絶望の堂々巡りのなかに閉じ込められてしまい、自分自身への明晰さ、さらには自分が遭遇する状況への明晰さがすべて奪い去られてしまいます。あなたはあるがままのあなたで完全にオーケーなのです。そして、ときには道に迷ってしまうことも、まったく自然なことです。そのことから学び、先に進みつづけ、その教訓を生かして、二度と同じ間違いをおかさないようにしましょう。
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