<初読>よりつづく
「ブッダは、なぜ子を捨てたか」
<再読>
山折哲雄 2006/07 集英社 新書 222p
Vol.2 No.0085 ★★★☆☆
初読時
今回、図書館の開架本棚にこの本を見つけ、借りてきたものの、なかなか頁をめくる気になれなかった。なぜなのだろう、とふと思う。仏教ルネッサンスやら、仏教の復興などという巷の掛声とはうらはらに、私自身は、すでに「仏教」の時代ではない、と、腹をくくってしまっているところがある。これまで、その道の先達としての著者の本になんどか触れてきている。そのお蔭はありがたいとは思うが、私のなかでは、どうも時代はすでに、もう「仏教」ではない、という声がする。
ブッダは、確かにひとつの人間として生きるべき最高の道をさししめしてくれた。その教えに触れて、無数の地球人たちが過去に現在に啓発され、そして未来にも啓発されるだろうことは、間違いない。
しかし、「仏教」という言葉になったとき、私のこころは少し重くなる。
著者は、プロローグから後半部までのほとんどを使って、いわゆるこの2500年間の仏教の歴史を総括する。インド、そしてチベットやスリランカなどのアジア、そして中国から日本へと渡った仏教。そして日本における祖師方の足跡を追う。もちろん表題の「ブッダは、なぜ子を捨てたか 」というテーマも限りなく追い込まれる。しかし、どのみち、2500年前の出来事など、推測も証明も、かぎりなく不可能な状態となっている。著者の、ともすれば、ドンキホーテにさえ似てくるダンディズムに、本書を読みすすめていくと、こちらもだんだんと気が重くなる。
藤井日達は、日蓮宗系の一派、日本山妙法寺大僧伽の山主だった。1931年(昭和6)に単身でインドにわたり、孤独と貧困の中で開教をはじめた。それは仏法をインドに返す、という日蓮の遺命を果たすためであった (攻略)p199
「現代にブッダをさがす」p197という巻末の数ページになって、ようやく私の暗雲は晴れ始める。私はこの1931年をもって、日本の仏教はインドに帰ったとみている。
上人の日本における平和運動は、1954年(昭和29年)に熊本市の花岡山に仏舎利塔を建立したときにはじまる。 p199
この年もまた記録されるべき年号である。なんどもメモしてきているので繰り返えさないが、2500年サイクルは、ゴータマ・ブッダから、あらたな時代へとバトン・タッチされてしまったのだ。だからと言って世界同時に現象として目撃されることはないだろう。その事実が誰の目にも明らかになるのには、数十年、あるいは時には数百年かかるだろう。だが、そのことをすでに目撃してしまった 者たちの数は決して少なくない。
「仏教」がんばれ 、とか、目覚めよ「仏教」、などという時代ではない。そんなことを言っている御仁がいるとすれば、単に時代錯誤か、自らの鈍感さを公にしているにすぎない。

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