
「命を染めし一竹辻が花」
久保田 一竹 1986/03 シーズ 237P
Vol.2 No.0128
いやはや、ただごとではない。一竹辻が花のブームの張本人の自叙伝。ブームと言っても、着物や染織になんのかかわりのなかった私には、そんなブームがあったことさえ、知らない。ただ、Oshoが乗っていたロールスロイスのうち、何台かは、久保田一竹の「Opulence」という作品集にインスパイアされて、カーペインティングされた、ということを聞きかじっただけだ。
そのペイントの原画というものがあるのだろうか、と何冊かの彼の画集を見て、その存在感に圧倒された。ただただ作品のみある。そして、このほとんど唯一であろうとおもわれる自叙伝を読んで、またまた圧倒された、というしかない。
華々しい若手作家としての活躍のあと、幻の染色「辻が花」を現代に復活させようとして、仙人のような暮らし(本人いわく)を20年ほどしたあと、ふたたび世に戻ったときは1977年、すでにご当人は60歳になっておられた。それからの活躍は、私などが今頃ここに書き留めるような内容ではない。すでに多くの支持者がおり、各方面に多大な影響を与え続けている。
彼が欧米に紹介されたのは80年前後以降。そして、それはOshoがアメリカへ渡った時期と奇しくも重なっている。ロールスロイスのペインティングが83~4年頃行われていたとするならば、まさに、アットタイムの丁々発止のダイナミズムの中で展開されたに違いない。
一竹辻が花とロールスロイスの出会い。このテーマをきくだけでも、今となれば、私にもその企画の斬新さと意表をつくようなすごさが分かってくる。
しかし、すこしだけ分かったといっても、所詮ネット上でわずかな情報をかき集め、数冊の本でその成り行きを知っただけだ。もし、これから、これらの「ほんもの」と対峙するチャンスが恵まれるとすれば、その時にこそ、より本当のことがわかるに違いない。
筆者の、時代を超えたアーティストとしての意気込みと革命性に心打たれる。
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