<1>よりつづく
「反密教学」
津田真一 2008/10 春秋社 単行本 385p、初版1987/10
Vol.2 No.435 ★
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前回は、「反」という視点にポイントをおいて頁をめくってみた。今回も、残念ながら、同じ「初版」であり、最近出版された「増補版」ではない。何がどう「増補」されているのだろう。そのことを考えるとゾクゾクする。今回の追っかけキーワードは「サンヴァラ」だ。 「サンヴァラ系密教の諸相」
において、津田の若き後輩・杉木恒彦は津田真一を、サンヴァラ系密教についての、俯瞰的な視野を持った、ほぼ唯一の世界的権威、と絶賛している。
私のその時点での盲目的テキスト研究によっても、サンヴァラ系密教の行の観念が<釈尊の宗教>の真下に回帰したものであることはわかっていました。お釈迦さんは仏教の開祖だ、サンヴァラは仏教の終点だ、しかもそれがお釈迦さんの真下にある。それをつなげば、丁度、心棒がうまく通る、というわけではなかったんです。
p22
この本の奥付けには、津田真一の「著書」として The Samvarodaya-tantra Selected Chapters,1974の一冊しか紹介されていない。この英文はつまりは、最勝楽出現タントラ=サンヴァラ・タントラに関連するものであろう。74年当時以前からこのサンヴァラと付き合ってきた津田は、いわゆるアカデミズムの中において、必ずしも優遇されてきたわけではないようだ。
現在のところ、仏教学の世界では、私のこれらの言葉はほぼ完全に黙殺されている。しかし、私は最早、そのことに驚きもせず、また、悲しみもしない。それが運命ならば私はこの事態を甘受すべきであるからである。(中略)
私は仏教学という学問の未来については、それほど重大な関心をもってはいない。けれども、仏教という一箇の思想については、それが非常に美しく深いものであり、そして、われわれ人間が生きるということの上に退き引きのならない意義を有するものであると思っている。仏教の思想はやはり、その美しさと深さに於いて、そしてその意義において解明され、広く世間に開示されなければならないであろう。私の仏教学--密教学(反密教学)は仏教に対する一つの、可能的な解釈であるに過ぎない。
「あとがき」p330
1938年生まれの著者、49歳(1987年)における心境である。とは言うものの、「タントリズム瞥見---サンヴァラの儀礼と教義」p153(全20p)1976年発表、などには度肝を抜かれる。これじゃぁなぁ・・・・、とため息。
サンヴァラ系密教に於いて、密教の論理、密教の行法を否定し、絶対の原則である<行の軸>上に回帰することによって、つまり、反密教であることによって、密教は真の完成状態に達したわけです。 p43
サンヴァラは7~8世紀のインドのおいて発生し、すでにチベットには伝わっていたわけだから14世紀のツォンカパも当然学んでいた。しかし、ツォンカパは、このサンヴァラの手前でとどまり、「秘密集会タントラ」を最上のものと確定した。サンヴァラの後には「カーラチャクラ・タントラ」が位置し、まさに、お芝居の最後の幕の役割をはたしている。言ってみれば、後期密教の母タントラに属するサンヴァラは、まさに仏教の最後のエッセンスである、と津田は言っているのだ。
つまり、津田においては、ここから、釈尊そのものに回帰していかなくてはならない。もし13世紀初半においてサンヴァラを説いていたチベットの谷間の僧院のマスターが、もし700年後に肉体をもった場合、もう帰るところは、釈尊そのものしかなかった。つまり、自らがブッダになるしかなかったのである。
釈尊に起源する仏教はインドに於いて思想的に展開し、その最終段階に於いて密教・タントラ仏教に到るのであるが、われわれは、われわれがそれをタントラ仏教の思想的なピークに位置するものと見做すところのサンヴァラ系密教を、或る理由からして、釈尊に起源する仏教の思想史が、大きなループを描くその動性の一サイクルを完了して、釈尊の宗教の真上に回帰したものと見做すのである。この描円運動はいうまでもなくサンヴァラ系密教に於いて円環的に釈尊の宗教に接続したのではなく、上下に懸隔してその真上に回帰したのであるが、われわれの仏教--密教思想史全体像に於て、華厳は上下に重なった釈尊の宗教とサンヴァラ系密教とを結ぶ中心軸からの、一つの離反の極、いわば遠点に位置するものなのである。 p70
この部分の論文発表は1983年だが、この本は著者の1976年から87年に至る論文集なので、どの地点での発言なのかは注意深く見る必要がある。しかし、現在入手できる他の密教本を読んでいたとしても、ここまで踏み込んだ発言はほとんどない。津田・反密教学のすごさが、かいま見える。
要するに華厳は真昼の思想であった。それは、一面では、かすみなる母(マーヤー)を離れて昇る太陽がそれを象徴する朝の思想である釈尊の宗教の自ずからなる展開としてあり、しかも他面に於てその遠点に位置するものであった。そしてインドに於て仏教がたどるその後の推移に於て、華厳のこの勇健な、熾んな利他行の理想は、いつしか一度敢えて決別した暗い夜の母に向ってその方向を転じ、そして夕暮れの思想であるサンヴァラ系密教に於て、再び「現法に」その目標に到達できる程度の自閉的な自己浄化の行へと回帰することになるのである。 p106
ここに津田が描く壮大なドラマがある。当ブログにおいては、 顕教としての仏教(スートラ)は「法華経」を持って、仏教の生誕地インドへ回帰した 、とみている。密教(タントラ)においては、まだそのような円環を探し当ててはいなかったが、ここにおける津田・反密教学は極めて示唆的である。
この集団的*行為により、この場に実現される個人の範囲をこえた非日常的な快楽、この宇宙全体と個人の快楽の於ける同化・融合の状態ともいうべき普遍的楽(大楽)が彼らの宗教理想たるサンヴァラ(最勝楽)なのである。この荼枳尼網という場で、個々の瑜伽者はヘールカとその明妃の瑜伽による快楽と同じ最勝楽を経験する。 p146(*印の部分は、「楽天」倫理規定により伏せ字)
経典のひとつひとつは読み説く気力がないが、ここの描かれている世界は実にただならぬ世界である。
密教が密教の論理を自ら否定することによってインド的精神の大原則に復帰したという別の云い方をするなら、密教はその密教の論理の自己否定によって、人間の思想として復活し得た、即ち、密教としての真の完成態へともたらされたことを、思想的事実として認識するものなのである。 p152
津田論文は、すべてにおいて、マニフェストだ。革命の狼煙がここから上がっている。
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