地球人スピリット・ジャーナル1.0

地球人スピリット・ジャーナル1.0

2008.12.04
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カテゴリ: osho@spiritual.earth

<3>よりつづく

「英知の辞典」 <4> Osho

セラピー THERAPY

セラピーは基本的に愛の働きだが、愛は自我(エゴ)がないときにのみ流れる。あなたは自分が利己的(エゴイステッィク)でない分しか相手を助けることができない。自我が入り込んだとたんに、相手は身構える。自我は攻撃的だ。それは相手のなかに自動的な防御の衝動を作りだす。愛は攻撃的ではない。それは相手が傷つきやすく、オープンで、身を固くしないでいるのを助ける。それゆえに、愛がなければセラピーもない。

 セラピーは愛の働きだ。だから自我があれば、あなたは助けることができない。相手に害を与えることさえあるかもしれない。手助けするという名目で、あなたは彼の成長を阻害するかもしれない。だが、西洋の心理学はまったくの混乱のなかにある。

 第一に、西洋の心理学はいまだに「健康な自我」という見地で考えている。自我はけっして健康なものではありえない。それは言葉の矛盾だ。自我そのものが病気だ。自我は健康なものではありえない。自我はつねにあなたをもっともっと病気のほうに導いてゆく。だが、西洋の心理学は考える---西洋の考え方全体がそうだった---人々は弱い自我ゆえに苦しんでいる、と。人びとは弱い自我ゆえに苦しんでいるのではない。人々はあまりの利己主義(エゴイズム)ゆえに苦しんでいる。

 だが、社会が男性精神志向、攻撃的思考なら、その社会の唯一の望みはいかにしてすべてを征服するかということになり、そうなればあなたは自分のなかのすべての女性的なものを、自分の存在の半分を忘却の淵に投げ棄てねばならなくなる---あなたは残り半分で生きなければならない。健康は全体性から生まれてくるのだから、残りの半分はけっして健康になりえない。女性的なものは受容性であり、女性的なものは愛だ。

 ほんとうに健康な人とは、男性的なものと女性的なもののバランスが完全にとれている人のことだ。実のところ、彼は男性的なものが女性的なものによって断たれ、息の根を止められ、その両方を超越し、男性でも女性でもなくなった人だ---彼はどちらでもない。彼を分類することはできない。この人は全体的であり、この人は健康的だ。そしてこのような人はつねに、東洋では、師(マスター)とみなされてきた。

 東洋では、私たちはサイコセラピスト(精神療法家)に類似するものを生みださなかった。東洋は師を生みだし、西洋はサイコセラピストを生みだした。人々が精神的にかき乱されたとき、西洋では精神科医のところへ行く。東洋では、師のもとへ行く。師の働きは全面的に異なっている。師はあなたがより強い自我(エゴ)を獲得することを助けない。実のところ、彼はあなたが持っている自我はすでに余計なものだということを感じさせる。それを落とせ! それを手放せ!

 ひとたび自我が落とされると、突然、あなたはひとつになり、全体になり、流れるようになる。そこは妨げるものはないし、障害もない・・・・。

 東洋では、私たちはセラピストがまったく何もしなくていいようなアプローチをとってきた。セラピストはただ神のエネルギーの乗り物になる。彼はただ空っぽの竹のように自分を開きさえすればいい、そうすれば神は彼を通ってゆくことができる。癒し手はただの通路にならなければいけない。

 患者とは---東洋の目からすれば---神との触れあいを失っている人のことだ。彼はあまりにも利己的になって、神との触れ合いを失ってしまった。彼は自分のまわりに万里の長城を築きあげてしまい、もはや神が何なのかわからないし、もはや全一さ(トータリティ)が何なのかわからない。彼は完全に根から、生命のまさに源泉から切り離されている。だから彼は病気になっている---精神的に、肉体的に、つまり東洋のセラピストは、彼をふたたび源泉と結びつける役割を担っている。彼は源泉を失っているが、あなたはいまだつながりを保っている。

 あなたはその人の手を握る。彼は壁の後ろに隠れている。彼は壁の後ろに隠れていればいい。たとえ壁の穴を通して彼の手を握らねばならないとしても、もし彼があなたを信頼できるなら---彼は神を信頼できないし、神が何を意味するかもわからない。その言葉は彼には無意味なものになっている。だが、彼はセラピストを信頼することができるし、セラピストの手を握ることができる。セラピストは空っぽであり、神と調和しており、そこにエネルギーが流れはじめる。そのエネルギーは実に生き生きとして、みずみずしいものであり、遅かれ早かれ、それは患者のまわりの万里の長城を突き崩して、彼に無我の一瞥を与える。その一瞥が彼を健やかな全体にするのであって、ほかの何ものも彼を健やかな全体にすることはできない。

 だからもしセラピスト自身が利己主義者(エゴイスト)だったら、それは不可能になってしまう。どちらも囚人だ。その牢獄は異なっているが、彼らは大した助けになることはできない。

 私のセラピーに関するアプローチのすべては、セラピストは神の道具にならねばならないというものだ。私はノウハウを覚えてはいけないと言っているのではない。ノウハウを覚えなさい!---だが、そのノウハウを神の手にゆだねなさい。神にそれを使わせなさい。サイコセラピーを習い、ありとあらゆるセラピーを習いなさい。知るうるかぎりのことを知ればいいが、それにしがみついてはいけない。そのすべてをさし出して、あなたを通して神の力が働くようにしなさい。神があなたのすべてのノウハウを通り、神があなたのすべてのノウハウを流れるようにしなさい。神を癒しとセラピーの源泉にしなさい。それが愛というものだ。

 愛は相手をリラックスさせる。愛は相手を信頼を与える。愛は相手に雨のように降りそそぎ、その傷を癒す。  OSHO

ZEN:THE PATH OF PARADOX、Vol.3

p353

<5>につづく






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Last updated  2008.12.06 06:37:39
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