「グルジェフと共に」
トーマス・ド・ハートマン+オルカ・ド・ハートマン / 前田樹子・訳1988/12 めるくまーる 単行本 p291
Vol.2 No.487 ★★★★☆
7番目。ふたたびグルジェフのもうひとりの弟子のハートマンの本だ・・・・。その本は「グルジェフと共に」だ。ハートマン・・・・正確な発音は知らない・・・・どこかでくすくす笑いが聞こえるからね。だが発音については気にしないことだ。ハートマンと彼の妻は両方ともグルジェフの弟子だった。ハートマンは音楽家でグルジェフダンスの演奏をしていた。グルジェフは踊りを瞑想として使った。それも踊る弟子のためだけではなく踊っている弟子を見ている人びとにとってさえ瞑想になるようにだ。
ニューヨークでグルジェフが初めて演奏したとき、ハートマンはピアノを弾いていた。弟子たちは踊っていたが、グルジェフが「ストップ!」と叫んだ瞬間・・・・。それはストップ・エクササイズだった----お前ではない、デヴァギート、お前は書き続けなさい・・・・。グルジェフが「ストップ!」と叫ぶと、踊り手たちは本当に停止した。ダンスの途中でだ! 彼らはちょうど舞台のの先端にいた。彼らは全員折り重なって床の上に落下した。だがそれでも誰ひとり動く者はなかった! 観客は畏怖の念に打たれた。彼らは人間がこれほどにも従順でありうるということが信じられなかった。ハートマンは「グルジェフと共に」を書いた。それは弟子によるすばらしい叙述だ。この本は、途上にある者すべてにとって役に立つだろう。
番号はいくつかね?
「今は7番でした、Osho」
グッド、聞いているね。
OSHO 「私の愛した本」
p147
ストップ・エクササイズは、 Oshoのダイナミック瞑想 に取り入れられているが、私は、Oshoの「ワーク」全体が一つのダイナミック瞑想だったのではないか、と仮定することがある。そういうイメージを持ったのは私だけかもしれない。数人の友人に私の印象をうちあけたところ、その洞察を大いに称賛してくれたけど、一向に一般的な認識にはならない。それでも、いちおう、ここにメモしておこう。
Oshoワーク全体の中で、「ストップ!」がかかったのは、 1985年のオレゴン州のコミューン においてだろう。私はちょうどそのころ、山形の月山をシャンタンと登っていた。遠く地球の反対側からのストップエクササイズの声が聞こえた。
大学の教員時代からボンベイまでの時代のOshoは、ダイナミックに摸すと、第一のステージだっただろう。激しい呼吸の中で、エネルギーだけがどんどん上昇してきた。
プーナ1のアシュラム時代は、カタルシスの時代。ダイナミック瞑想の第2のステージだ。あらゆるカタルシスが放出された。心理学的グループワークも、他の地球上のどのセンターにもないほど、過激を極めた。
オレゴンのコミューンづくりは、ダイナミック瞑想の第3ステージだ。ジャンプ、ジャンプ。ジャンプに次ぐジャンプ。すべてのエネルギーを使いきることが目的だ。HOO! HOO! HOO! マントラに次ぐ、マントラ。すべてはピークに足した。
と、その時、「ストップ!」の声がした。ジャンプしていた者たちは、すべてその動きを停止し、前のめりに床に叩き落とされた。Oshoはオレゴンを離れ、コミューンは閉鎖された。
Oshoのワールド・ツアー時代、世界中のサニヤシン達は、自分たちが自分がいる場所に留まることを学んだ。停止したなかで、何が起きているのかを見ていた。
Oshoがプーナ2にもどり、次第に体に動きが戻ってきた。そこではミステリースクールという踊りが始まった。静かに静かにセレブレーションが始まり、Oshoが肉体を離れることによって、そのセレブレーションの波は永遠のものとなった。
これが私のOshoワーク=ダイナミック瞑想論、である。Oshoのワークには常にグルジェフが立ち会っていたし、グルジェフはまた、自らのワークをOshoのなかに続けていたのだった。Oshoは常に、グルジェフと共に、あった。
問い7 グルジェフ氏がヨーロッパでやりたいと思っていることは何ですか? 西欧の知識をどう評価しますか? なぜパリを選んだのですか?
答え
パリを選んだのは、パリがヨーロッパの一中心地であり、ここにも研究所が必要だと、ずっと前から考えていたためである。2年間もそうできなかったのは、ひとえに政治状況によるものであった。
西洋からは、東洋にない知識を得たいと思った。東洋から理論を学び、西洋からは実行を学んだ。東にあるものは西になく、西にあるものは東にない。片方だけでは価値がない理由がここにある。両方が一緒になって互いを完全にする。
p210
問い10 グルジェフ氏のもつ知識は、彼の言う「偉大な教え」の一部分として存在するのですか? この知識の上に築かれた文明が、どこかに存在していましたか? たとえば、グルジェフ氏の言う「偉大な教え」の実践を理想とする階級(カースト)に託された政府が、インドにありましたか?
答え あった。たとえば、10年前のチベットでは、統治は僧の掌中にあった。当時、私の知識体系を実行することはできなかった。というのは、私の教えは私自身の仕事(ワーク)につながるあらゆる古代の真理から収集したもの全部を、一つにまとめる教えだからである。 p212
グルジェフ伝 神話の解剖 2009.01.14
ミルダッドの書<1> ミハイル・ナイーミ 2009.01.13
グルジェフ・ワーク 生涯と思想 2009.01.12 コメント(1)
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