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評判は散々だったが、そこで「FOCUS」は問題提起をしていたのだと思う。確かに顔写真公開は加害者本人を推知させる記事の掲載を禁じた少年法61条に反する。しかし実際には加害者がどんな少年なのか知りたいと感じる人も多いのではないか。同誌はそんな「需要」に応えるのと同時に社会の一定程度共有されている「本音」と少年法が齟齬(そご)を来している現実を示したのだ。
総合論壇誌である「新潮45」8月号に自民党議員の杉田水脈氏が「生産性がない」LGBTに対してさまざまな支援策が採られるおかしさを指摘する論文を掲載したときも、新潮社らしい問題提起なのかと当初思った。
というのも生産性で人の価値を測る優生主義的な発想は、実は社会のあらゆる局面で見られ、新自由主義の進行とともに強化されている。記事はそうした社会のゆがみを、LGBTに対する差別的発言を議員にさせることで露出させる確信犯的なものなのではないか。そう思ったのは問題発言をさせて耳目を集めるのが出版社系ジャーナリズムの常とう手段でもあったからだ。
予想通りというべきか、同論文は物議を醸し、杉田氏の辞職を求めるデモまで繰り広げられた。それに対し同誌10月号では特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を掲載。しかし、その内容は筆者が期待した方向に議論を広げ、深めるものではなく、杉田論文擁護のためにLGBTだけでなく、性犯罪被害者をも言葉で冒涜するものだった。
結果として抗議活動は一段と熱を帯び、新潮社は休刊を決める。こうした経緯のなかで一貫して欠落したのは「言論」の地平での議論だったのではないか。たとえば言論表現の自由は際限なく認められるわけではない。 他者の社会的地位を低下させる言論が許容されるのはそれが真実性と公益性を備えている限りにおいてだ。 神戸連続児童殺傷事件の顔写真公開後には、評論家の立花隆氏が、ここまで残忍な犯罪を行う加害者がどのような少年であるのか社会は知る権利・義務を有するという趣旨で発言。少年犯罪加害者の顔を見たがる社会の要請に応える報道の公益性を擁護する立場を取るなど、議論が繰り広げられた。
今回の特集論文に関しても同じような議論が必要だったはず。 あえてその作業にこだわるのは、もし言論の要件を備えない論文が掲載されているとすれば、なぜそうなったのか、論壇ジャーナリズム自体の検証にそこから移れたと思うからだ。
そうした作業を含めて言論の場としての論壇誌を残す努力をしてほしかったと思う。かつて社会学者の上野千鶴子氏が指摘したように、一つの差別の撤廃が新たに別の差別を生み出すなど差別問題の構造は複雑である。その複雑さを相手取るには単一争点で訴えるデモでは力不足だ。継続的な議論の場が必要なときに論壇誌がその器になれない損失は大きい。
たけだ・とおる 1958年東京都生まれ。評論家、専修大教授。専門はメディア社会論。「流行人類学クロニクル」でサントリー学芸賞。他の著書に「日本ノンフィクション史」「暴力的風景論」など。
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