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2018年10月26日
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テーマ: ニュース(96852)
カテゴリ: ニュース
今年の自民党総裁選挙に出馬した石破議員が「正直、公正」をスローガンにしたら「それは個人攻撃だ」と、まるで「卑怯な手を使うな」とばかりに批判されたことについて、次のような投書が9月24日の東京新聞に掲載された;




 日本を訪れる多くの外国人が、日本人の礼儀正しさや、落とし物さえ戻る誠実さを称賛する。全ての日本人がそうであるなどとは言わない。しかし、私たちが知らず知らずのうちに取る行動の中に、日本人の心が働いて、私たちをそうさせているのは間違いない。

 私たちはこの心を、どのように手に入れたのか。日本という社会の中で教育されたものだが、単に言葉だけで教えられたものではない。お手本という実体験があったからこそ、身に付いたものだ。もしそのような心など、実は意味がないのだという大人が大勢いたならは、日本人の心が今日まで受け継がれてはこなかっただろう。

 国会議員は国の法律をつくり、国の方向さえ変える力がある。本人の自覚の有無にかかわらず子どもたちのお手本でなければならない。 しかるに議員たちの会話は、日本人が綿々と受け継いできた心を、あざ笑い足蹴にするものとしか受け取りようがない。 このような大人を見て、子どもたちは日本人の心を受け継ぐであろうか。

 日本人の心は今まさに存亡の機に立っている。この現実を目の当たりにしながら、口を閉ざすのは万死に値する行為ではないか。


2018年9月24日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「ミラー-『正直、公正』なぜダメ」から引用

 「正直、公正」をスローガンにした石破議員がなぜ批判されたのか、という問題は検討に値すると私は思ったのでしたが、これを取り上げて議論するメディアがなかったのは残念と思っていたところ、上の投書を発見して、やはり同じ問題意識をもった人がいたのだと心強く思いました。
 本来、民主主義の国で行なわれる選挙は公正でなければならず、立候補する者にも公正で潔白な人柄であることが要求されるものであって、それがために欧米では少々のスキャンダルも政治家にとって命取りになるのが普通です。ところが、安倍政権の5年間は、数々のスキャンダルにまみれながらも本人は疑惑を否定する決定打を出せず、口先で見え透いたウソを繰り返すのみで野党の調査要求もことごとく拒否して逃げまくる。これでは小泉元首相がいうように「誰もがウソだと知っている」が常識になり、総裁選に挑戦する側が「私は正直、公正は政治をやっていく」とアピールするのは当然であり、なんら不当な表現ではありません。それを、「個人攻撃はやめろ」と批判するのは、「安倍氏には正直や公正というのは不可能なのだから、そこを批判するのはフェアじゃない」という意味になりますから、結局「安倍氏は正直じゃないし、公正でもない」と言ってるのと同じ、語るに落ちるとはこのことです。その「語るに落ちる」人たちが大勢集まって「正直でもない公正でもない」人物を総裁に選び、総理大臣にしたのですから、これは「日本人の心が存亡の危機」どころか「日本国の存亡の危機」と言って過言ではないと思います。





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最終更新日  2018年10月26日 01時00分06秒


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