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2021年12月16日
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テーマ: ニュース(96858)
カテゴリ: ニュース
昨日の欄に引用した「明成皇后暗殺事件の首謀者の書簡発見」に報道に関連して、弁護士の宇都宮健児氏は10日発売の「週刊金曜日」に、次のように書いている;




 記事によれば、126年前の1895(明治28)年10月8日、日本の軍人らが朝鮮王妃を殺害した「閔妃暗殺事件」で、実行グループの一員だった外交官が、事件の翌日に郷里の親友に宛てたとみられる書簡が見つかり、書簡には「自分たちが王妃を殺した」と経緯が詳しく記されており、研究者は「事件の詳細を解き明かす貴重な資料」と話しているということである。

 書簡の差出人は当時現地の領事官補だった堀口九万一(ほりぐちくまいち)で、郷里新潟県中通(なかどおり)村(現長岡市)の親友で漢学者の武石貞松(たけいしていしょう)に宛てた1894年11月17日付から事件直後の95年10月18日付までの計8通が見つかったということである。

 閔妃暗殺事件を知らない方のために補足する。日清戦争の講和条約(下関条約)(1895年4月17日)直後に起きた三国干渉を機に、ロシアを頼って日本を排除しようとしていた宮中の実力者であった閔妃を、元軍人で井上馨(いのうえかおる)の後任として朝鮮公使に着任した三浦梧楼(みうらごろう)が主導し、日本の軍人や外交官、警察官、民間人らか実行グループの中心となって起こした暗殺事件である。実行グループは1895年10月8日早朝、朝鮮王宮景福宮に乱入。朝鮮王朝第26代国王高宗(コジョン)の王妃閔妃を斬殺し、遺体を焼いた。

 1876(明治9)年2月に日本と朝鮮王朝との問で締結された日朝修好条規は不平等条約で、日本の実行グループに朝鮮の裁判権は及ばず、事件翌年の1896(明治29)年1月14日、陸軍将校8人は広島第5師団の軍法会議で無罪に。三浦や堀口ら48人も、広島地裁の予審で同年1月20日に証拠不十分を理由に免訴となり、釈放されている。暗殺事件の中心人物である三浦梧楼はその後、枢密顧問官という要職を務めている。

 閔妃暗殺事件は 一国の王妃を暗殺するという国際的な大事件であるにもかかわらず、日本の学校教育の中では、ほとんど教えられていない。 この暗殺事件のことは、韓国では必ず学校教育の中で教えられているということである。また、韓国では「閔妃」とは呼ばず、「明成皇后」と呼ばれている。

 日韓友好も歴史的事実に謙虚に向き合うところから始めなければ、前進はしないと思われる。


2021年12月10日 「週刊金曜日」 1357号 3ページ 「風速計-日本ではあまり教えられない明成皇后暗殺事件」から引用

 日本の学校教育でほとんど教えられていないのは「閔妃暗殺事件」だけではなく、明治維新以降のアジアに対する加害行為のほとんどについて、言えるのではないかと思います。満州国という傀儡国家をでっち上げて、その政府で閣僚を務めた人物が戦後に日本の総理大臣になったという事実が、過去の戦争に対する反省が欠落していることを象徴しています。しかし、そういう戦争を担った人物がこの世を去り、その子孫も政界からいなくなれば、やがては日韓両国民が同じ目線で過去の出来事を理解する時代が来るのではないかと思います。そういう時代に備えて、学問の世界で史実に対する揺るぎない「定説」を確立しておくことは大事な仕事だと思います。





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最終更新日  2021年12月16日 01時00分04秒


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