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終戦直前、軍によって施設は破壊され、文書も焼かれた。口外を禁じられたとされる元隊員は戦後78年が経って多くが世を去り、史実の継承が課題となっている。
そんななか、長野県飯田市が昨年開設した平和祈念館では、元隊員らの証言の展示が見送られた。
「クロロホルムを注射し、生きている人間をパタッとやった」
「300体もの生体解剖をした」。
こうした証言が、パネルで紹介されるはずだった。
この夏、平和祈念館を訪ねた。元隊員が持ち帰った医療器具などは展示されていたが、部隊についての説明はどこにもなかった。自らの証言パネルが展示されるはずだった元少年隊員の清水英男さん(93)は、「事なかれ主義だ」と見送りの判断に憤る。
なぜ、展示されなかったのか。平和祈念館を運営する飯田市教育委員会は取材に対し、「731部隊は研究途上で、社会的にも様々な意見が存在しており、慎重に検討する必要があると判断した」と説明した。
確かに、731部隊についての史料は限られ、ネットでは「捏造(ねつぞう)」といった極端な意見もある。だが 2002年に中国人遺族らが日本政府に賠償を求めた訴訟では、東京地裁が人体実験を行ったことなどを認定している。様々な意見があるからこそ、行政には元隊員らの証言を通して、何が行われていたのか伝えていく責任があるのではないか。
大学生だった6年前の夏休み、部隊の拠点があった施設跡を訪ねた。大部分が破壊されているものの、1枚の壁と、そこから伸びる2本の煙突が風化にあらがうように立っていた。私には、部隊の歴史を後世に伝えようとしているように思えた。
飯田市教委は9月、清水さんらの批判を受け、裁判で認定された部隊の説明を引用したパネルを1枚展示した。一方で、肝心の証言の展示については、今も議論が続いている。貴重な証言を伝えなければ、加害の歴史を語り継ぐことは難しくなる。そうなれば、被害を受けた国の人たちとも理解し合えないだろう。
歴史を見て見ぬふりをしていては、本当の意味での「平和祈念」とはならないはずだ。あったことをなかったことにしないために、あの戦争を伝え続けたい。
(ネットワーク報道本部)
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<みつい・あらた> 2019年入社。金沢、仙台を経て、今年5月から東京勤務。最前線でニュースを追いかける「フロントライン班」所属。発生現場に駆けつけたり、気になるテーマを深掘りしたりしている。
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