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朝鮮人に日本式の名前を押し付けた創氏改名など「皇民化政策」の研究の先駆者。講師として複数の大学の講義を掛け持ち、研究の拠点は自宅だった。
早大で共に中国史を学ぶ先輩が突然、「自分は朝鮮人だ。本名を名乗る」と打ち明けた。なぜ日本人として生きざるを得なかったのか、仲間にしどろもどろに語った。後の歴史家、故姜徳相(カン・ドクサン)さんだった。「その深き悩みを知り、日本人としての責任を感じた」。朝鮮史を志した。
卒論は朝鮮の「3・1独立運動」に決めたが、見るべき先行研究がなく途方に暮れた。中国史の恩師が、朝鮮総督府の元高官が集まる団体が東京駅近くにあると教えてくれた。ビルの一室を訪ねると、棚の隅にほこりをかぶった風呂敷包みが二つ。支配者が「騒擾(そうじょう)」と呼んだ独立運動の報告書だった。原史料を使った卒論の評価は高かった。
これが縁で総督府元高官が呼びかけた研究会が毎週、開かれた。かつての政策担当者が証言し、植民地支配に批判的な大学院生らが質問する会だった。姜さんと共に参加した。
会は500回を超え、証言を録音したオープンリールのテープは膨大な数になった。学習院大学に保管され、晩年は客員研究員として文字に起こし、解説と注釈を付けて紀要を出す作業に没頭した。「未来の世代も学べるように」との思いだった。
追悼記事を書いた韓国紙ハンギョレの元記者金孝淳(キム・ヒョスン)さんは、「日本では最近、歴史を直視しない風潮が広がっている。二度と過ちを繰り返さないよう、事実を掘り起こした仕事は、もっと評価されるべきだ」と私に語った。(桜井泉)
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